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スペイン旅は、今回の旅が4回目でした。<br />しかしこれまでなぜかトレドを訪れたことはありませんでした。<br />トレドを表す有名な格言<br />『もし、1日しかスペインに居られないのなら迷わずトレドへ行け』<br />と言うのがありますが、マドリードから電車でわずか30分の所に<br />あるというのに。トレドへなぜ行かなかったのだろう。<br /><br />あまりにも、スペインは全土にわたって見たい所が多くあり<br />優先順位から外していたのだろうと思いますが<br />今回行けて良かった。と心から思えるトレドへの旅となりました。<br /><br />このスペインの旅でも、スルーとなってしまうところでした。<br />ひとつは、前泊まで、地中海で透明度のある美しい島で<br />あの街から の旅にしては、めずらしく1週間程<br />移動もせず、ゆっくりと過ごすことができその反動か(^ー^) <br />この旅 現地滞在最終日にスケジュールをタイトに<br />詰め(⌒-⌒; )込んだため、体力的にキツくなった時には<br />マドリードでゆっくり過ごそう。と思っていて<br />融通がきくようにトレド行きのチケットは当日券を予定していました。<br /><br />二つめが、マドリードのアトーチャ駅で危うく列車の<br />チケットを買い損ねそうになったこと。<br />等などありましたが<br />やっぱり最後は、見知らぬ街をこの機会に見てみたい。<br />との思いに推してもらい<br /><br />トレドの歴史的にも貴重な、建造物・教会・絵画そして<br />タホ川のほとり丘の上に建つ城塞都市の絶景など<br />素晴らしさにあふれた〈トレド〉を<br />滞在時間僅か7時間から8時間でしたが<br />充実した時間を過ごすことができました。<br /><br />今回は、美術館と教会をじっくりと旅行記にしてみました。<br /><br />

トレドのきらめき ~サンタクルス美術館、大聖堂・サント・トメ教会をじっくりと~西洋美術に魅せられて①

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2018/07/31 - 2018/07/31

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あの街から

あの街からさん

スペイン旅は、今回の旅が4回目でした。
しかしこれまでなぜかトレドを訪れたことはありませんでした。
トレドを表す有名な格言
『もし、1日しかスペインに居られないのなら迷わずトレドへ行け』
と言うのがありますが、マドリードから電車でわずか30分の所に
あるというのに。トレドへなぜ行かなかったのだろう。

あまりにも、スペインは全土にわたって見たい所が多くあり
優先順位から外していたのだろうと思いますが
今回行けて良かった。と心から思えるトレドへの旅となりました。

このスペインの旅でも、スルーとなってしまうところでした。
ひとつは、前泊まで、地中海で透明度のある美しい島で
あの街から の旅にしては、めずらしく1週間程
移動もせず、ゆっくりと過ごすことができその反動か(^ー^)
この旅 現地滞在最終日にスケジュールをタイトに
詰め(⌒-⌒; )込んだため、体力的にキツくなった時には
マドリードでゆっくり過ごそう。と思っていて
融通がきくようにトレド行きのチケットは当日券を予定していました。

二つめが、マドリードのアトーチャ駅で危うく列車の
チケットを買い損ねそうになったこと。
等などありましたが
やっぱり最後は、見知らぬ街をこの機会に見てみたい。
との思いに推してもらい

トレドの歴史的にも貴重な、建造物・教会・絵画そして
タホ川のほとり丘の上に建つ城塞都市の絶景など
素晴らしさにあふれた〈トレド〉を
滞在時間僅か7時間から8時間でしたが
充実した時間を過ごすことができました。

今回は、美術館と教会をじっくりと旅行記にしてみました。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
4.5
交通手段
鉄道 観光バス タクシー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 先ず向かったところが<br />『サンタ・クルス美術館』<br />16世紀トレドの大司教だった枢機卿メンドーサの遺志を受け継いだ<br />イザベル1世の命により建てられた病人や孤児のための慈善病院でした。

    先ず向かったところが
    『サンタ・クルス美術館』
    16世紀トレドの大司教だった枢機卿メンドーサの遺志を受け継いだ
    イザベル1世の命により建てられた病人や孤児のための慈善病院でした。

  • 『サンタ・クルス美術館』<br />ファサードには美しい彫刻が施されていますが<br />これは〈プラテレスコ様式〉で<br />ゴシック様式の構造体にイスラム的なものを取り<br />入れた16世紀前半のスペイン・ルネサンス建築様式とのこと。<br />

    『サンタ・クルス美術館』
    ファサードには美しい彫刻が施されていますが
    これは〈プラテレスコ様式〉で
    ゴシック様式の構造体にイスラム的なものを取り
    入れた16世紀前半のスペイン・ルネサンス建築様式とのこと。

    サンタ クルス美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • 『サンタ・クルス美術館』<br />マドリードのプラド美術館の姉妹美術館で<br />たくさんの宗教画やエルグレコの作品などが展示されている。<br /><br />入場料 5Euro<br />    

    『サンタ・クルス美術館』
    マドリードのプラド美術館の姉妹美術館で
    たくさんの宗教画やエルグレコの作品などが展示されている。

    入場料 5Euro
        

  • ステンドグラスに描かれた絵はのテーマ『東方三博士』でしようか。<br /><br />東方三博士には、こんな物語があります。<br />「マタイ福音書」から引用された主題で<br />「マタイ福音書」によれば、<br />聖母マリアがイエスを馬小屋で生んだ際<br />東方から「ユダヤ人の王が生まれたという星を見た」という理由から<br />3人の占星術学者がはるばる<br />ベツレヘム(イエス・キリスト生誕の地)までやってきました。<br />目印となったこの星は「ベツレヘムの星」と呼ばれます。<br />キリストの誕生日であるクリスマスに、ツリーの頂点に星を飾るのは<br />この「ベツレヘムの星」に由来しているとのこと。<br /><br />三人の学者はその行程でヘロデ王のもとを訪れ<br />「ユダヤ人の王が生まれた、どこにいるのか」と尋ね、<br />ベツレヘムが預言書の中に言及されていたことを知りました。<br />一方、ヘロデ王は、ユダヤの王イエスは、自分の地位を揺るがす<br />存在になると、国中の新生児を虐殺します。<br />これが、『嬰児虐殺』という宗教主題につながります。<br />一方、三博士は無事にイエスのもとにたどり着き<br />誕生のお祝いとして<br />「乳香」「没薬」「黄金」の三つの贈り物を持参しました。<br />このような言い伝えが残っています。

    ステンドグラスに描かれた絵はのテーマ『東方三博士』でしようか。

    東方三博士には、こんな物語があります。
    「マタイ福音書」から引用された主題で
    「マタイ福音書」によれば、
    聖母マリアがイエスを馬小屋で生んだ際
    東方から「ユダヤ人の王が生まれたという星を見た」という理由から
    3人の占星術学者がはるばる
    ベツレヘム(イエス・キリスト生誕の地)までやってきました。
    目印となったこの星は「ベツレヘムの星」と呼ばれます。
    キリストの誕生日であるクリスマスに、ツリーの頂点に星を飾るのは
    この「ベツレヘムの星」に由来しているとのこと。

    三人の学者はその行程でヘロデ王のもとを訪れ
    「ユダヤ人の王が生まれた、どこにいるのか」と尋ね、
    ベツレヘムが預言書の中に言及されていたことを知りました。
    一方、ヘロデ王は、ユダヤの王イエスは、自分の地位を揺るがす
    存在になると、国中の新生児を虐殺します。
    これが、『嬰児虐殺』という宗教主題につながります。
    一方、三博士は無事にイエスのもとにたどり着き
    誕生のお祝いとして
    「乳香」「没薬」「黄金」の三つの贈り物を持参しました。
    このような言い伝えが残っています。

  • 早速 宗教画やイコンが<br />かなりのスペースで展示されているのがわかりました。

    早速 宗教画やイコンが
    かなりのスペースで展示されているのがわかりました。

  • イコン<br />宗派よって〈聖像〉〈聖画像〉と呼ばれています。<br />その形状は、板のみではなく、フレスコ画、モザイク画<br />写本押絵など多様です。<br /><br />イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における<br />重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を<br />描いた画像である。Wiki による。<br /><br />鮮やかな色彩で描かれています。<br />

    イコン
    宗派よって〈聖像〉〈聖画像〉と呼ばれています。
    その形状は、板のみではなく、フレスコ画、モザイク画
    写本押絵など多様です。

    イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における
    重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を
    描いた画像である。Wiki による。

    鮮やかな色彩で描かれています。

  • イコン<br />宗派によって〈聖像〉〈聖画像〉と呼ばれています。<br />その形状は、板のみではなく、フレスコ画、モザイク画<br />写本押絵など多様です。<br /><br />イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における<br />重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を<br />描いた画像である。Wiki による。<br /><br />イエスとマリアの生涯と聖人たち 祭壇画<br />色彩鮮やかに描かれています。

    イコン
    宗派によって〈聖像〉〈聖画像〉と呼ばれています。
    その形状は、板のみではなく、フレスコ画、モザイク画
    写本押絵など多様です。

    イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における
    重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を
    描いた画像である。Wiki による。

    イエスとマリアの生涯と聖人たち 祭壇画
    色彩鮮やかに描かれています。

  • イコン<br />宗派によって〈聖像〉〈聖画像〉と呼ばれています。<br />その形状は、板のみではなく、フレスコ画、モザイク画<br />写本押絵など多様です。<br /><br />イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における<br />重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を<br />描いた画像である。Wiki による。<br /><br />キリストがゴルゴタの丘で磔<br />の場面等が色彩鮮やかに描かれてる祭壇画

    イコン
    宗派によって〈聖像〉〈聖画像〉と呼ばれています。
    その形状は、板のみではなく、フレスコ画、モザイク画
    写本押絵など多様です。

    イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における
    重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を
    描いた画像である。Wiki による。

    キリストがゴルゴタの丘で磔
    の場面等が色彩鮮やかに描かれてる祭壇画

  • キリストが十字架を背負いゴルゴタの丘へ<br />向かうところを描いたのでしようか。

    キリストが十字架を背負いゴルゴタの丘へ
    向かうところを描いたのでしようか。

  • どこか東洋風でもあるような<br />匠の技ですね。

    どこか東洋風でもあるような
    匠の技ですね。

  • イコン<br />宗派によって〈聖像〉〈聖画像〉と呼ばれています。<br />その形状は、板のみではなく、フレスコ画、モザイク画<br />写本押絵など多様です。<br /><br />イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における<br />重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を<br />描いた画像である。Wiki による。<br />鮮やかな色彩で描かれています。<br /><br />キリストの復活 受難・聖人祭壇画

    イコン
    宗派によって〈聖像〉〈聖画像〉と呼ばれています。
    その形状は、板のみではなく、フレスコ画、モザイク画
    写本押絵など多様です。

    イエス・キリスト、聖人、天使、聖書における
    重要出来事やたとえ話、教会史上の出来事を
    描いた画像である。Wiki による。
    鮮やかな色彩で描かれています。

    キリストの復活 受難・聖人祭壇画

  • どの部分を見ても<br />匠の技で作られています。

    どの部分を見ても
    匠の技で作られています。

  • 匠の技をじっくりと<br />ご覧ください。

    匠の技をじっくりと
    ご覧ください。

  • 匠の技をじっくりとご覧ください。

    匠の技をじっくりとご覧ください。

  • ドンキホーテの作者セルバンテスかな。<br />サングレ門にある銅像は本を抱えていたのですぐわかったのだけれど。<br />

    イチオシ

    ドンキホーテの作者セルバンテスかな。
    サングレ門にある銅像は本を抱えていたのですぐわかったのだけれど。

  • 慈悲の聖母~ピエタ<br />『慈悲の聖母~ピエタ』作者不明。

    慈悲の聖母~ピエタ
    『慈悲の聖母~ピエタ』作者不明。

  • ドンキホーテ<br /><br />

    ドンキホーテ

  • 美術館そのもの<br />といったいい雰囲気も漂っています。

    美術館そのもの
    といったいい雰囲気も漂っています。

  • この後、目指す<br />【エルグレコ】をじっくりと鑑賞します。

    この後、目指す
    【エルグレコ】をじっくりと鑑賞します。

  • 展示室は長方形で<br />元病院の建物の面影は感じます。

    展示室は長方形で
    元病院の建物の面影は感じます。

  • サンタ・クルス美術館に行ったら〈エルグレコ〉の絵画を<br />じっくりと観よう。と<br />楽しみにやってきました。<br /><br />ゴヤ、ベラスケス、と共に、スペイン3大画家の1人に数えられる<br />エル・グレコ	ですが、<br />これまで彼の、特に晩年の作品は<br />自分的には<br />今ひとつ理解の範囲を超えていました。<br />面長な顔や不自然な体のバランス、	<br />強烈な赤の周辺は一変して暗いトーンでまとめられている。<br />それが、エルグレコの作品の特徴なのかもしれないのだが<br />そのエル・グレコの作品の背景にあるものを	<br />掘り下げることで鑑賞のヒントを掴もうとしました。<br /><br /><br />

    サンタ・クルス美術館に行ったら〈エルグレコ〉の絵画を
    じっくりと観よう。と
    楽しみにやってきました。

    ゴヤ、ベラスケス、と共に、スペイン3大画家の1人に数えられる
    エル・グレコ ですが、
    これまで彼の、特に晩年の作品は
    自分的には
    今ひとつ理解の範囲を超えていました。
    面長な顔や不自然な体のバランス、
    強烈な赤の周辺は一変して暗いトーンでまとめられている。
    それが、エルグレコの作品の特徴なのかもしれないのだが
    そのエル・グレコの作品の背景にあるものを
    掘り下げることで鑑賞のヒントを掴もうとしました。


  • 先ずエルグレコが絵画を描いていた時代を<br />掘り下げてみることに。すると<br />【マニエリスム】という背景があることがわかりました。<br />それは、ルネサンス後期の美術で、<br />イタリアを中心に起こったムーブメントで、<br />その語源は、イタリア語の「マニエラ(様式)」<br />英語では、繰り返しの「マンネリズム」を意味する。と<br /><br />ミケランジェロに代表される盛期ルネサンスの巨匠<br />レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロたちは<br />古典的様式を完成させ芸術は頂点を極め<br />今や完成されたと考えられていました。<br /><br />これをヴァザーリは普遍的な美の存在を前提とし、	<br />「最も美しいものを繋ぎ合わせて可能な限りの美を備えた	<br />一つの人体を作る様式」として<br />「美しい様式(ベルラ・マニエラ)」と定義づけました。<br /><br />そのような風潮の中で、ミケランジェロの弟子ヴァザーリは<br />ミケランジェロの「手法(マニエラ maniera)」を<br />高度の芸術的手法と考えマニエラを知らない過去の作家に対して、<br />現在の作家が優れていると説きました。<br /><br />画像は『聖ベロニカの聖顔布』 エルグレコ

    先ずエルグレコが絵画を描いていた時代を
    掘り下げてみることに。すると
    【マニエリスム】という背景があることがわかりました。
    それは、ルネサンス後期の美術で、
    イタリアを中心に起こったムーブメントで、
    その語源は、イタリア語の「マニエラ(様式)」
    英語では、繰り返しの「マンネリズム」を意味する。と

    ミケランジェロに代表される盛期ルネサンスの巨匠
    レオナルド・ダ・ヴィンチ、ラファエロたちは
    古典的様式を完成させ芸術は頂点を極め
    今や完成されたと考えられていました。

    これをヴァザーリは普遍的な美の存在を前提とし、
    「最も美しいものを繋ぎ合わせて可能な限りの美を備えた
    一つの人体を作る様式」として
    「美しい様式(ベルラ・マニエラ)」と定義づけました。

    そのような風潮の中で、ミケランジェロの弟子ヴァザーリは
    ミケランジェロの「手法(マニエラ maniera)」を
    高度の芸術的手法と考えマニエラを知らない過去の作家に対して、
    現在の作家が優れていると説きました。

    画像は『聖ベロニカの聖顔布』 エルグレコ

  • 1520年頃から中部イタリアでは前述の巨匠たちの様式の模倣が	<br />目的である芸術が出現し「マニエラ」は芸術作品の主流となりました。<br />その結果盛期ルネサンス様式の造形言語の知的再解釈が行われ、	<br />盛期ルネサンス様式は極端な強調、歪曲が行われるようになりました。<br />一方で古典主義には入れられなかった不合理な諸原理を表現する	<br />傾向も表れるようになっていきました。<br /><br />やがて時はながれ	<br />しかし、17世紀のピエトロ・ベッローリは<br />ミケランジェロの「マニエラ」の模倣者たちを非難し<br />型にはまった生気の欠けた作品という評価が支配的となりました。<br /><br />そして、この考え方は19世紀まで<br />引き継がれマニエリスムは1530年頃からの	<br />ローマやフィレンツェにおける絵画の衰退を意味する<br />言葉として扱われました。<br /><br />そのことによって、これ以降<br />エルグレコの絵画への評価も同様の扱いを受けていました。<br /><br />画像は、この絵のタイトルは<br />    本によってバラつきがありましたがその中から<br />    『聖母の前に現れるキリスト』としました。<br />    この他にも、邦題で微妙に違ったタイトルの<br />    作品が多々見受けられました。<br />    訳者(学者)のその時ネーミングセンスによるのだ<br />    ろうと思われます。

    1520年頃から中部イタリアでは前述の巨匠たちの様式の模倣が
    目的である芸術が出現し「マニエラ」は芸術作品の主流となりました。
    その結果盛期ルネサンス様式の造形言語の知的再解釈が行われ、
    盛期ルネサンス様式は極端な強調、歪曲が行われるようになりました。
    一方で古典主義には入れられなかった不合理な諸原理を表現する
    傾向も表れるようになっていきました。

    やがて時はながれ
    しかし、17世紀のピエトロ・ベッローリは
    ミケランジェロの「マニエラ」の模倣者たちを非難し
    型にはまった生気の欠けた作品という評価が支配的となりました。

    そして、この考え方は19世紀まで
    引き継がれマニエリスムは1530年頃からの
    ローマやフィレンツェにおける絵画の衰退を意味する
    言葉として扱われました。

    そのことによって、これ以降
    エルグレコの絵画への評価も同様の扱いを受けていました。

    画像は、この絵のタイトルは
        本によってバラつきがありましたがその中から
        『聖母の前に現れるキリスト』としました。
        この他にも、邦題で微妙に違ったタイトルの
        作品が多々見受けられました。
        訳者(学者)のその時ネーミングセンスによるのだ
        ろうと思われます。

  • その後1956年にオランダのアムステルダムにて催された	<br />『ヨーロッパ・マニエリスムの勝利』などをきっかけとして、	<br />20世紀ドイツにおけるドイツ表現主義や抽象主義の隆盛により	<br />マニエリスムも独立した表現形態であり、抽象的な表現に<br />見るべきものがあるとして再評価されるようになりました。<br />以上 一部Wiki参照。	<br /><br />※Wiki【マニエリスム】を参照とするも、<br />   美術書の専門用語の羅列が続き<br />   あの街からでも、わかりやすい文に代えてみようと<br />   試みましたが、<br />   中には、「ルネサンス様式の造形言語の知的再解釈」<br />   「普遍的な美の存在を前提とし」等<br />   もしかして、訳者が意識的にこの様な表現方法を<br />   使っているとも思われますが、そう考えると勝手な<br />   意訳もはばかられ<br />   うまく変換する術が見つからないセンテンスもあり、<br />   そんな時にはあえてその文のまま載せることとした<br />   箇所も多々あります。<br /><br />   職場やその専門部の会議等は別にしても<br />   専門用語(ここで言うなら美術・芸術に関すること)は<br />   一般的なプレゼンには、なるべく用いないで<br />   語るのが必要とされるのですが、<br />   美術館関係書には、どうしても不可欠と思われる<br />   宗教上の記述が多く、難解とならない表現方法と<br />   思いましたがそこにとどまってばかりいると<br />   旅行記は立ち往生してしまいますので、<br />   そこは、前後の文章で理解してもらうことにして<br />   進めることにしましたが<br />   私の変換不明箇所はスルーしてください。(^ー^)<br /><br />   画像は、『聖ペテロ』 エルグレコ

    その後1956年にオランダのアムステルダムにて催された
    『ヨーロッパ・マニエリスムの勝利』などをきっかけとして、
    20世紀ドイツにおけるドイツ表現主義や抽象主義の隆盛により
    マニエリスムも独立した表現形態であり、抽象的な表現に
    見るべきものがあるとして再評価されるようになりました。
    以上 一部Wiki参照。

    ※Wiki【マニエリスム】を参照とするも、
       美術書の専門用語の羅列が続き
       あの街からでも、わかりやすい文に代えてみようと
       試みましたが、
       中には、「ルネサンス様式の造形言語の知的再解釈」
       「普遍的な美の存在を前提とし」等
       もしかして、訳者が意識的にこの様な表現方法を
       使っているとも思われますが、そう考えると勝手な
       意訳もはばかられ
       うまく変換する術が見つからないセンテンスもあり、
       そんな時にはあえてその文のまま載せることとした
       箇所も多々あります。

       職場やその専門部の会議等は別にしても
       専門用語(ここで言うなら美術・芸術に関すること)は
       一般的なプレゼンには、なるべく用いないで
       語るのが必要とされるのですが、
       美術館関係書には、どうしても不可欠と思われる
       宗教上の記述が多く、難解とならない表現方法と
       思いましたがそこにとどまってばかりいると
       旅行記は立ち往生してしまいますので、
       そこは、前後の文章で理解してもらうことにして
       進めることにしましたが
       私の変換不明箇所はスルーしてください。(^ー^)

       画像は、『聖ペテロ』 エルグレコ

  • マニエリスムの絵画の特徴とする、<br />不自然な程大袈裟に引き伸ばされ<br />デフォルメされた身体。<br />曲がりくねったポーズ。	<br />バランスの崩れた遠近法で空間に<br />漂う人々などを技巧を凝らした<br />表現方法で描く、マニエリスム。<br />その影響下にあったエルグレコ。<br /><br />晩年のエルグレコの絵画にはこんな背景があったことを知り、<br />全体の色彩トーンが暗く	<br />人間の身体はまるで引き伸ばされたゴム粘土人形のように<br />描かれていた作品に、あの街から は<br />そこから、<br />幻想的でロマンに満ちた独特の世界観に誘われるのだ。<br />と納得しました。	<br /><br />※この解釈は、“あの街から“ の独断と偏見です。(⌒▽⌒)<br />

    マニエリスムの絵画の特徴とする、
    不自然な程大袈裟に引き伸ばされ
    デフォルメされた身体。
    曲がりくねったポーズ。
    バランスの崩れた遠近法で空間に
    漂う人々などを技巧を凝らした
    表現方法で描く、マニエリスム。
    その影響下にあったエルグレコ。

    晩年のエルグレコの絵画にはこんな背景があったことを知り、
    全体の色彩トーンが暗く
    人間の身体はまるで引き伸ばされたゴム粘土人形のように
    描かれていた作品に、あの街から は
    そこから、
    幻想的でロマンに満ちた独特の世界観に誘われるのだ。
    と納得しました。

    ※この解釈は、“あの街から“ の独断と偏見です。(⌒▽⌒)

  • 画像は 『巡礼者としての聖ヤコブ』 エルグレコ<br />エル・グレコ44~61歳頃の作品<br /><1585~1602年頃の作><br /><br />大ヤコブは、<br />サンディエゴ・デ・コンポステラへの巡礼の<br />立役者でスペインの守護聖人です。<br />大ヤコブと呼ばれているのは、<br />キリストの使徒には<br />2人のヤコブがいて、<br />この方が先に弟子となったことから<br />大がついています。<br /><br />黄金色の壁のくぼみの中で、<br />巡礼の杖を持ち<br />帆立貝を付けた帽子を肩にした<br />聖ヤコブが巡礼者として、こちらに視線を送る立ち姿は、<br />とても穏やかで、そそとした様子が伝わってくる作品です。<br /><br /><br />

    画像は 『巡礼者としての聖ヤコブ』 エルグレコ
    エル・グレコ44~61歳頃の作品
    <1585~1602年頃の作>

    大ヤコブは、
    サンディエゴ・デ・コンポステラへの巡礼の
    立役者でスペインの守護聖人です。
    大ヤコブと呼ばれているのは、
    キリストの使徒には
    2人のヤコブがいて、
    この方が先に弟子となったことから
    大がついています。

    黄金色の壁のくぼみの中で、
    巡礼の杖を持ち
    帆立貝を付けた帽子を肩にした
    聖ヤコブが巡礼者として、こちらに視線を送る立ち姿は、
    とても穏やかで、そそとした様子が伝わってくる作品です。


  • 画像は、『聖イルデフォンソ』 エルグレコ<br /><br />トレドの守護聖人で、司祭姿をしていますが<br />ミトラと呼ばれる大司教の冠に<br />右手に持っているのは金細工が施された杖を持ち<br />視線は書物に向けられ、衣装は豪華な刺繍の<br />品位の高い司祭が着用しています。<br />グレコの時代、カズラと呼ばれる正式な場で<br />身につけていた衣装です。<br />

    画像は、『聖イルデフォンソ』 エルグレコ

    トレドの守護聖人で、司祭姿をしていますが
    ミトラと呼ばれる大司教の冠に
    右手に持っているのは金細工が施された杖を持ち
    視線は書物に向けられ、衣装は豪華な刺繍の
    品位の高い司祭が着用しています。
    グレコの時代、カズラと呼ばれる正式な場で
    身につけていた衣装です。

  • 画像は、『洗礼者ヨハネと福音史家ヨハネ』 エルグレコ<br /><br />聖ヨハネと呼ばれている聖人は、<br />洗礼者ヨハネと福音史家ヨハネがいます。<br />〈洗礼者ヨハネ〉(左手)は、<br />預言者であり禁欲生活を送っています。<br />イエスの出現を予言し、イエスに洗礼を授けた人です。<br />イエスの弟子というより兄貴分的存在の人だといわれます。<br /><br />〈福音史家ヨハネ〉(右手)は、<br />イエスに最初についていった人物のひとりで、<br />イエスに最も可愛いがられた弟子とされ<br />使徒の中では、唯一人殉教しなかったとされ、<br />イエスの死後聖母マリアを連れてエフェソスという所に<br />移り住んだ後パトモス島に幽閉されて、<br />そこで黙示録を書きました。<br />いわゆる「ヨハネの黙示録」です。

    画像は、『洗礼者ヨハネと福音史家ヨハネ』 エルグレコ

    聖ヨハネと呼ばれている聖人は、
    洗礼者ヨハネと福音史家ヨハネがいます。
    〈洗礼者ヨハネ〉(左手)は、
    預言者であり禁欲生活を送っています。
    イエスの出現を予言し、イエスに洗礼を授けた人です。
    イエスの弟子というより兄貴分的存在の人だといわれます。

    〈福音史家ヨハネ〉(右手)は、
    イエスに最初についていった人物のひとりで、
    イエスに最も可愛いがられた弟子とされ
    使徒の中では、唯一人殉教しなかったとされ、
    イエスの死後聖母マリアを連れてエフェソスという所に
    移り住んだ後パトモス島に幽閉されて、
    そこで黙示録を書きました。
    いわゆる「ヨハネの黙示録」です。

  • 画像は『聖家族』 <br />エルグレコ1586年から1588年頃の作品<br />エル・グレコは1580年頃から1600年にかけて<br />「聖家族」の主題に取り組み<br />現存するものに限っても少なくとも5点の作品を残している。<br />サンタクルス美術館はそのうちの1枚<br />「聖アンナと小さなヨハネのいる聖家族」を所蔵。<br />※この様なネーミングセンスの美術書もあります。<br /><br />これらは、聖母マリア、イエス、ヨセフ、アンナという限られた<br />モティーフを組み合わせることで、様々なバリエーションがを<br />作り出されています。<br /><br />ちょっとだけ横道にそれますが(⌒-⌒; )<br />聖母マリア・イエス・ヨセフが揃って<br />サクラダファミリアですね。<br />この絵では、マリアの母である聖アンナと<br />まだ小さなヨハネが加わっています。<br /><br />聖母子にヨセフを加えた「聖家族」図はルネサンス期以降<br />時に聖母の母アンナや父や父ヨアキム<br />幼児の頃の洗礼者ヨハネをともなって頻繁に描かれたという。<br /><br />まだ小さいヨハネですが<br />右手に果物の入ったカゴを持ち<br />左手の指を口にあてて静かに<br />そんな仕草をしています。<br />ヨハネは、洗礼者であり預言者でもありますから<br />イエスの未来を知っており、眠る幼子を起こさぬようにと<br />いう気づかいと、預言者として、やがて犠牲となる<br />イエスの未来を見据え、後の救世主に対しての<br />畏敬の念を示したものである。とされています。<br /><br />聖アンナは、孫のイエスに優しく布をかけようとしています。<br />この布は聖骸布ともとれます。<br /><br />右上に何やらキョトンとした不思議な雰囲気でこちらを見ている<br />のが聖ヨセフです。そもそも服装がイエスの時代のものではなく<br />グレコの時代の服装になっています。<br />このヨセフは、20世紀末この絵の汚れを落とす修復作業中に<br />現れてきたと言います。<br /><br />数年前、フィルメールの絵でも同様に修復作業を施していたら<br />下地から新たなものが現れてきてニュースで取り上げられていました。<br /><br />発表当時は、描いたものを上書きされ消されていたものなのか<br />消されたけれど、ぼんやり見えていたのかは、はたまた<br />汚れがつく前には、はっきりと見えていたのか <br />今となっても不明のままです。<br />このキョトンとしたヨセフを<br />エルグレコはどんな思いで描いたのか、<br />これといって大きな仕事のない時代の作品ということから<br />当時グレコの抱いていた不安が現れているのでは、と<br />謎かけのような説もあります。<br /><br /><br />

    画像は『聖家族』 
    エルグレコ1586年から1588年頃の作品
    エル・グレコは1580年頃から1600年にかけて
    「聖家族」の主題に取り組み
    現存するものに限っても少なくとも5点の作品を残している。
    サンタクルス美術館はそのうちの1枚
    「聖アンナと小さなヨハネのいる聖家族」を所蔵。
    ※この様なネーミングセンスの美術書もあります。

    これらは、聖母マリア、イエス、ヨセフ、アンナという限られた
    モティーフを組み合わせることで、様々なバリエーションがを
    作り出されています。

    ちょっとだけ横道にそれますが(⌒-⌒; )
    聖母マリア・イエス・ヨセフが揃って
    サクラダファミリアですね。
    この絵では、マリアの母である聖アンナと
    まだ小さなヨハネが加わっています。

    聖母子にヨセフを加えた「聖家族」図はルネサンス期以降
    時に聖母の母アンナや父や父ヨアキム
    幼児の頃の洗礼者ヨハネをともなって頻繁に描かれたという。

    まだ小さいヨハネですが
    右手に果物の入ったカゴを持ち
    左手の指を口にあてて静かに
    そんな仕草をしています。
    ヨハネは、洗礼者であり預言者でもありますから
    イエスの未来を知っており、眠る幼子を起こさぬようにと
    いう気づかいと、預言者として、やがて犠牲となる
    イエスの未来を見据え、後の救世主に対しての
    畏敬の念を示したものである。とされています。

    聖アンナは、孫のイエスに優しく布をかけようとしています。
    この布は聖骸布ともとれます。

    右上に何やらキョトンとした不思議な雰囲気でこちらを見ている
    のが聖ヨセフです。そもそも服装がイエスの時代のものではなく
    グレコの時代の服装になっています。
    このヨセフは、20世紀末この絵の汚れを落とす修復作業中に
    現れてきたと言います。

    数年前、フィルメールの絵でも同様に修復作業を施していたら
    下地から新たなものが現れてきてニュースで取り上げられていました。

    発表当時は、描いたものを上書きされ消されていたものなのか
    消されたけれど、ぼんやり見えていたのかは、はたまた
    汚れがつく前には、はっきりと見えていたのか 
    今となっても不明のままです。
    このキョトンとしたヨセフを
    エルグレコはどんな思いで描いたのか、
    これといって大きな仕事のない時代の作品ということから
    当時グレコの抱いていた不安が現れているのでは、と
    謎かけのような説もあります。


  • 画像は『聖衣剥奪』<br /><br />先の『聖家族』同様に<br />このテーマを扱った作品『聖衣剥奪』は17枚あるといいます。<br />サンタクルス美術館は、その中の一枚を所蔵展示しています。<br />『聖衣剥奪』にまつわる逸話はエルグレコを知るうえで<br />興味深いものがありますので、<br />この後、大聖堂での展示作品で解説とします。<br />

    画像は『聖衣剥奪』

    先の『聖家族』同様に
    このテーマを扱った作品『聖衣剥奪』は17枚あるといいます。
    サンタクルス美術館は、その中の一枚を所蔵展示しています。
    『聖衣剥奪』にまつわる逸話はエルグレコを知るうえで
    興味深いものがありますので、
    この後、大聖堂での展示作品で解説とします。

  • 『受胎告知』<br />この受胎告知というテーマは、<br />初期キリスト教美術から<br />よく取り上げられてきた主題であり、<br />中世から近代とそして現代まで、<br />千年以上にわたって描かれてきました。<br />少し挙げてみても<br />ボッティチェリ〈受胎告知〉<br />カルロ・ドルチ〈受胎告知 聖母〉<br />カルロ・ドルチ〈受胎告知 天使〉<br />ロセッティ〈受胎告知〉<br />そして<br />レオナルド・ダヴィンチの描いた『受胎告知』を<br />私もウフィツィ美術館で観て印象に残っています。<br /><br />エルグレコの『受胎告知』は、大原美術館<br />ティッセン・ボルネミッサ美術館そして今回と<br />3作品を鑑賞する機会を持ちました。<br /><br />本当に絵画によく取り上げられて、<br />いろいろな画家によって<br />受胎告知をテーマとした作品が描かれていますが、<br />そのどれもがそれぞれ画家のモチーフは違っていて<br />エルグレコは、私が観た3作品とも全く、<br />あるいは構図は似ているが微妙に違っているのでした。<br /><br />『受胎告知』の場面〈シーン〉は<br />新約聖書に書かれているエピソードの1つで<br />マリアのもとに突然、大天使ガブリエルが舞い降り<br />処女である聖母マリアが、神の子イエスを身体に<br />宿していることを伝えるシーンです。

    『受胎告知』
    この受胎告知というテーマは、
    初期キリスト教美術から
    よく取り上げられてきた主題であり、
    中世から近代とそして現代まで、
    千年以上にわたって描かれてきました。
    少し挙げてみても
    ボッティチェリ〈受胎告知〉
    カルロ・ドルチ〈受胎告知 聖母〉
    カルロ・ドルチ〈受胎告知 天使〉
    ロセッティ〈受胎告知〉
    そして
    レオナルド・ダヴィンチの描いた『受胎告知』を
    私もウフィツィ美術館で観て印象に残っています。

    エルグレコの『受胎告知』は、大原美術館
    ティッセン・ボルネミッサ美術館そして今回と
    3作品を鑑賞する機会を持ちました。

    本当に絵画によく取り上げられて、
    いろいろな画家によって
    受胎告知をテーマとした作品が描かれていますが、
    そのどれもがそれぞれ画家のモチーフは違っていて
    エルグレコは、私が観た3作品とも全く、
    あるいは構図は似ているが微妙に違っているのでした。

    『受胎告知』の場面〈シーン〉は
    新約聖書に書かれているエピソードの1つで
    マリアのもとに突然、大天使ガブリエルが舞い降り
    処女である聖母マリアが、神の子イエスを身体に
    宿していることを伝えるシーンです。

  • 今回、エルグレコの作品を少し調べてみたら<br />エルグレコが、スペインにやって来てからの作品には<br />同じテーマ〈モチーフ〉で描かれた作品が多々あり<br />ほとんど同じような構成あれば、<br />テーマだけ同じという作品と様々でした。<br />それは<br />今回の旅行記に登場した作品だけでも<br />『聖衣剥奪』『聖家族』そして『受胎告知』などありますが<br />旧約聖書からの物語を題材とした絵が<br />それまでも多く描かれていて、教会などからのオファーでも<br />人気のテーマだったのだろうと推測されます。<br /><br />この画像は、この旅で基点となったマドリード滞在中に訪れた<br />テッセン・ボルネミッサ美術館で所蔵のエルグレコの『受胎告知』です。<br /><br />テッセン・ボルネミッサ美術館の画像は<br />この旅のシリーズ「マドリード」編に<br />ほんの数枚だけ入れただけで<br />残り、数100枚程はフォルダーに眠ったまま<br />未だ旅行記を作成していないものです。(⌒-⌒; )

    今回、エルグレコの作品を少し調べてみたら
    エルグレコが、スペインにやって来てからの作品には
    同じテーマ〈モチーフ〉で描かれた作品が多々あり
    ほとんど同じような構成あれば、
    テーマだけ同じという作品と様々でした。
    それは
    今回の旅行記に登場した作品だけでも
    『聖衣剥奪』『聖家族』そして『受胎告知』などありますが
    旧約聖書からの物語を題材とした絵が
    それまでも多く描かれていて、教会などからのオファーでも
    人気のテーマだったのだろうと推測されます。

    この画像は、この旅で基点となったマドリード滞在中に訪れた
    テッセン・ボルネミッサ美術館で所蔵のエルグレコの『受胎告知』です。

    テッセン・ボルネミッサ美術館の画像は
    この旅のシリーズ「マドリード」編に
    ほんの数枚だけ入れただけで
    残り、数100枚程はフォルダーに眠ったまま
    未だ旅行記を作成していないものです。(⌒-⌒; )

  • この画像は、2016.8  イタリアのトスカーナ地方の<br />小さな村や町をドライブ旅行をした時、<br />中日にフィレンツェに3泊4日<br />毎日せっせと美術館通いをしました。<br />ウフィッイ美術館だけでも、300枚はくだらない写真を撮り<br />どの様に旅行記にしようかと迷いました。 <br />仮に3分の1に絞っても100枚になるなぁ。<br />タイトルだけでアップしようか。<br />でもなぁ、全てとはいかないけど、<br />気に入りの作品や超有名なものだけでも、<br />感想やコメントのようなことを載せたいしなぁ。<br />と、考えているうち次の旅に出かけてしまい。(;゜0゜)<br /><br />2016.8のトスカーナの小さな街や村、<br />ワイナリーや天空の城など<br />かなりの画像が眠ったままになっているので<br />機会をみてアップできればと、<br />今回この旅行記を作りながら思いました。

    この画像は、2016.8 イタリアのトスカーナ地方の
    小さな村や町をドライブ旅行をした時、
    中日にフィレンツェに3泊4日
    毎日せっせと美術館通いをしました。
    ウフィッイ美術館だけでも、300枚はくだらない写真を撮り
    どの様に旅行記にしようかと迷いました。 
    仮に3分の1に絞っても100枚になるなぁ。
    タイトルだけでアップしようか。
    でもなぁ、全てとはいかないけど、
    気に入りの作品や超有名なものだけでも、
    感想やコメントのようなことを載せたいしなぁ。
    と、考えているうち次の旅に出かけてしまい。(;゜0゜)

    2016.8のトスカーナの小さな街や村、
    ワイナリーや天空の城など
    かなりの画像が眠ったままになっているので
    機会をみてアップできればと、
    今回この旅行記を作りながら思いました。

  • 天井まで届くギリシャ神殿を切り取ったような<br />大作がエルグレコの『無原罪の御宿り』<br />エルグレコの最晩年の作品のひとつで<br />美しいと評判の高い作品です。<br /><br />テーマについては、その激しいまでの上昇感ゆえ<br />それまで「聖母被昇天」とされていましたが<br />地上に描かれた「無原罪のお宿り」を意味する<br />息子マヌエルの手の存在と聖母被昇天特有の<br />モチーフである石館や12使徒が描かれていない<br />そのことを根拠に<br />「無原罪のお宿り」として発注されたという。<br />また<br />この天国を仰ぎ見る上昇感も無視することはできず<br />「マリアは穢れ〈けがれ〉を免れている(無原罪)が故に<br />死からよみがえり天に迎えられた」という、<br />2つのことが融合した複合図像と考えられています。<br /><br />ここでも無原罪とか、被昇天など<br />宗教画特有の言い回しが美術書を読む<br />うえで(⌒-⌒; )  <br />また、お宿り など<br />現在ではあまり見かけなくなった日本語もありますが<br />これは、原題の直訳なのだろうか。 <br />まぁ、言ってみればいわば、固有名詞ですから<br />そのまま受け入れるものなのだろうと納得しました。<br /><br />

    天井まで届くギリシャ神殿を切り取ったような
    大作がエルグレコの『無原罪の御宿り』
    エルグレコの最晩年の作品のひとつで
    美しいと評判の高い作品です。

    テーマについては、その激しいまでの上昇感ゆえ
    それまで「聖母被昇天」とされていましたが
    地上に描かれた「無原罪のお宿り」を意味する
    息子マヌエルの手の存在と聖母被昇天特有の
    モチーフである石館や12使徒が描かれていない
    そのことを根拠に
    「無原罪のお宿り」として発注されたという。
    また
    この天国を仰ぎ見る上昇感も無視することはできず
    「マリアは穢れ〈けがれ〉を免れている(無原罪)が故に
    死からよみがえり天に迎えられた」という、
    2つのことが融合した複合図像と考えられています。

    ここでも無原罪とか、被昇天など
    宗教画特有の言い回しが美術書を読む
    うえで(⌒-⌒; )
    また、お宿り など
    現在ではあまり見かけなくなった日本語もありますが
    これは、原題の直訳なのだろうか。 
    まぁ、言ってみればいわば、固有名詞ですから
    そのまま受け入れるものなのだろうと納得しました。

  • サンタ・クルス美術館<br />中庭は、かっての病院の面影が残っていました。<br />バラ・オリーブの樹と植えられた花壇を囲むように<br />回廊がありやすらぎを感じる空間となっていました。

    サンタ・クルス美術館
    中庭は、かっての病院の面影が残っていました。
    バラ・オリーブの樹と植えられた花壇を囲むように
    回廊がありやすらぎを感じる空間となっていました。

    サンタ クルス美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • カトデラル『大聖堂』に場所を移動。<br /><br />カトリックの大聖堂。で<br />トレド大司教は、スペインカトリック教会の首位聖職者とされている。<br /><br />1226年カスティーリャ王フェルナンド3世の時代に建設が始まり、<br />カトリック両王時代の1493年に完成、およそ267年もの<br />歳月を要して建設されたのです。<br /><br />その構造は13世紀のフランスゴシック様式の影響を大きく受け<br />ブルージュのサン=テチエンヌ大聖堂を模したとされる。<br />しかし、ムデハル様式など、スペイン独自の特徴をも加えている。<br />全長120m  幅が59m。<br /><br />バチカンのサンピエトロ大聖堂、ロンドンのセントポール大聖堂<br />スペインのセビリア大聖堂に次ぐ大きさを誇っている。

    イチオシ

    地図を見る

    カトデラル『大聖堂』に場所を移動。

    カトリックの大聖堂。で
    トレド大司教は、スペインカトリック教会の首位聖職者とされている。

    1226年カスティーリャ王フェルナンド3世の時代に建設が始まり、
    カトリック両王時代の1493年に完成、およそ267年もの
    歳月を要して建設されたのです。

    その構造は13世紀のフランスゴシック様式の影響を大きく受け
    ブルージュのサン=テチエンヌ大聖堂を模したとされる。
    しかし、ムデハル様式など、スペイン独自の特徴をも加えている。
    全長120m 幅が59m。

    バチカンのサンピエトロ大聖堂、ロンドンのセントポール大聖堂
    スペインのセビリア大聖堂に次ぐ大きさを誇っている。

    トレド大聖堂 寺院・教会

  • アユンタミエント広場に面する、ファサードは<br />繊細な彫刻が施されています。<br />そのひとつ一つが匠の技です。<br />正面にはゴシック様式の「免罪の門」がありますが、<br />この門は通常閉じられており、<br />大司教や一国の元首を迎え入れる時のみ扉が開きます。<br />こんなところは<br />京都で訪れた「醍醐寺」にあった勅使門と共通するものを感じ<br />パソコンなど便利な情報なない数100年以前<br />西洋と東洋と遠く離れた所で同じ様なスタイル(システム)が<br />あったのでした。<br /><br />ファサードの上部には18世紀に造られた「最後の晩餐」をモチーフにした<br />キリストと12使徒の像が一直線に並んでいます。

    アユンタミエント広場に面する、ファサードは
    繊細な彫刻が施されています。
    そのひとつ一つが匠の技です。
    正面にはゴシック様式の「免罪の門」がありますが、
    この門は通常閉じられており、
    大司教や一国の元首を迎え入れる時のみ扉が開きます。
    こんなところは
    京都で訪れた「醍醐寺」にあった勅使門と共通するものを感じ
    パソコンなど便利な情報なない数100年以前
    西洋と東洋と遠く離れた所で同じ様なスタイル(システム)が
    あったのでした。

    ファサードの上部には18世紀に造られた「最後の晩餐」をモチーフにした
    キリストと12使徒の像が一直線に並んでいます。

  • 高さ90mの鐘楼は、上部と下部に分けられ<br />下部四角の4段の建造物とその上に小尖塔がついた<br />8角形の構造で、設計はそれぞれ別の人物が担当して<br />造られたといわれています。<br />最上部の3つの冠はローマ教皇が被ったものから作られた物。<br />もともと塔は左右に造られる予定でしたが、<br />地盤が弱かったため礼拝堂に変更されたといわれています。<br />

    高さ90mの鐘楼は、上部と下部に分けられ
    下部四角の4段の建造物とその上に小尖塔がついた
    8角形の構造で、設計はそれぞれ別の人物が担当して
    造られたといわれています。
    最上部の3つの冠はローマ教皇が被ったものから作られた物。
    もともと塔は左右に造られる予定でしたが、
    地盤が弱かったため礼拝堂に変更されたといわれています。

  • 回廊には<br />美しい種々のステンドグラスが<br />およそ750枚ものステンドグラスで構成されていて<br />静謐で厳かな空間を醸し出しています。<br />

    回廊には
    美しい種々のステンドグラスが
    およそ750枚ものステンドグラスで構成されていて
    静謐で厳かな空間を醸し出しています。

  • 美しいステンドグラスが<br />静謐で厳かな空間を作り出してくれています。

    美しいステンドグラスが
    静謐で厳かな空間を作り出してくれています。

  • それは教会独特の凛とした空間が<br />隅々まで広がっています。

    それは教会独特の凛とした空間が
    隅々まで広がっています。

  • 目を見紛うばかりの金・銀・宝石・イサベル女王の王冠<br />で飾られた聖体顕示台には<br />あのコロンブスが新大陸〈アメリカ〉から持ち帰ったと<br />いわれている金もその一部に使われているとのこと。<br />まさに栄華を誇ったスペイン王国の夢のあと。

    目を見紛うばかりの金・銀・宝石・イサベル女王の王冠
    で飾られた聖体顕示台には
    あのコロンブスが新大陸〈アメリカ〉から持ち帰ったと
    いわれている金もその一部に使われているとのこと。
    まさに栄華を誇ったスペイン王国の夢のあと。

  • 高さ3m  総重量が200kg。<br />中央部分は全て純金。<br /><br />聖体顕示台は、<br />15世紀頃から行われているといわれている【聖体祭】<br />には、教会から街へ移動してパレードを飾ります。<br />いやぁ 警備はどんなにか大変ですね。<br />いやいや、それは畏れ多いこと。考えられませんよね。

    イチオシ

    高さ3m 総重量が200kg。
    中央部分は全て純金。

    聖体顕示台は、
    15世紀頃から行われているといわれている【聖体祭】
    には、教会から街へ移動してパレードを飾ります。
    いやぁ 警備はどんなにか大変ですね。
    いやいや、それは畏れ多いこと。考えられませんよね。

  • それにしても、凄いものです。

    それにしても、凄いものです。

  • 金の量ばかりに目を奪われていた訳ではありません。(⌒-⌒; )<br />細部まで見事な金の細工の技。圧巻! でした。

    金の量ばかりに目を奪われていた訳ではありません。(⌒-⌒; )
    細部まで見事な金の細工の技。圧巻! でした。

  • いよいよ主祭壇へ。<br />鉄柵があって祭壇に普段は入れないようです。

    いよいよ主祭壇へ。
    鉄柵があって祭壇に普段は入れないようです。

  • 写真撮影はフラッシュ撮影をしなければ<br />できました。<br />鉄柵は高さがあります。<br /><br />他の見学者の方々を見ていると<br />柵の棒と棒の間の間隔が結構あり<br />その隙間にカメラを入れて撮影をしていることがわかりました。

    写真撮影はフラッシュ撮影をしなければ
    できました。
    鉄柵は高さがあります。

    他の見学者の方々を見ていると
    柵の棒と棒の間の間隔が結構あり
    その隙間にカメラを入れて撮影をしていることがわかりました。

  • 主祭壇には、高さ30mの壮大なスケールで<br />「新約聖書」からキリストの生涯を20シーン<br />描かれています。<br /><br />まさに圧巻で、息を呑む素晴らしさです。

    イチオシ

    主祭壇には、高さ30mの壮大なスケールで
    「新約聖書」からキリストの生涯を20シーン
    描かれています。

    まさに圧巻で、息を呑む素晴らしさです。

  • 静かに ただただ 見つめて

    静かに ただただ 見つめて

  • 一コマ一コマ精巧に造られていて<br />これだけでも見応え充分<br />で、撮影を終えた後には<br />しばし、立ち尽くしていました。

    一コマ一コマ精巧に造られていて
    これだけでも見応え充分
    で、撮影を終えた後には
    しばし、立ち尽くしていました。

  • 最後に見上げて<br />主祭壇を離れました。

    最後に見上げて
    主祭壇を離れました。

  • 主祭壇に圧倒されますが<br />その後には、ぜひ聖堂内をじっくりと。<br />どちらの方向を向いても素晴らしい装飾<br />を見せてくれます。

    主祭壇に圧倒されますが
    その後には、ぜひ聖堂内をじっくりと。
    どちらの方向を向いても素晴らしい装飾
    を見せてくれます。

  • 聖ペテロの殉教

    聖ペテロの殉教

  • 羊飼いの崇拝

    羊飼いの崇拝

  • 画像『聖ヨセフと幼子イエス』 エルグレコ<br /><br />この絵では、キリストの養父聖ヨセフに捧げられ<br />長く脇役であった聖ヨセフを独立させ崇敬の対象にしています。<br /><br />幼子を見守る優しくたくましい父ヨセフと寄り添うキリスト。<br />ここには、聖母の姿は見当たりません。<br />養父と幼子の姿を表した、珍しい構成てす。<br />ヨセフに冠を授けようとする天使が頭上を舞い<br />足元をよぉーく見るとそこにはトレドの風景が広がっています。<br /><br /><br /><br /><br />

    画像『聖ヨセフと幼子イエス』 エルグレコ

    この絵では、キリストの養父聖ヨセフに捧げられ
    長く脇役であった聖ヨセフを独立させ崇敬の対象にしています。

    幼子を見守る優しくたくましい父ヨセフと寄り添うキリスト。
    ここには、聖母の姿は見当たりません。
    養父と幼子の姿を表した、珍しい構成てす。
    ヨセフに冠を授けようとする天使が頭上を舞い
    足元をよぉーく見るとそこにはトレドの風景が広がっています。




  • 天井いっぱいには天井画<br />聖イルデフォンソの昇天が描かれており<br />こちらも素晴らしいです。<br />

    天井いっぱいには天井画
    聖イルデフォンソの昇天が描かれており
    こちらも素晴らしいです。

  • 聖衣剥奪(El Expolio)<br />大聖堂から、ミサのための準備の部屋である聖具室に<br />置くための絵として<br />「キリストの聖衣が奪われ、ゴルゴタの丘に<br />登り犠牲となる準備をしているところ」<br />を描くようにとの依頼を受けました。<br /><br />元々このテーマの絵は、<br />マルコによる福音書の『兵士たちは、総督官邸の中に、<br />イエスを引いていき部隊の全員を招集した。<br />そして、イエスに紫の服を着せ茨の冠を編んでかぶらせ<br />「ユダの王万歳」と言って敬礼をした。<br />それから何度も葦の棒で頭を叩き唾を吐きかけ<br />ひざまずいて拝んだりした。<br />このように散々イエスを侮辱した挙句、<br />紫の服を脱がせて元の服を着せた。<br />そして、十字架に磔にするため外へ引き出した。」<br />というところを題材としているものであった。<br /><br />この時代の画家は、先人画家の描いた構図が <br />多種多様に蓄積されており、それを自分流にアレンジをして<br />描くのが普通でした。<br />依頼を受けたエルグレコは <br />「スペイン人はこの様なテーマを好むのか」と不思議に思った。<br />というのも、この時代の絵画としては、珍しいテーマだったのです。<br /><br />

    聖衣剥奪(El Expolio)
    大聖堂から、ミサのための準備の部屋である聖具室に
    置くための絵として
    「キリストの聖衣が奪われ、ゴルゴタの丘に
    登り犠牲となる準備をしているところ」
    を描くようにとの依頼を受けました。

    元々このテーマの絵は、
    マルコによる福音書の『兵士たちは、総督官邸の中に、
    イエスを引いていき部隊の全員を招集した。
    そして、イエスに紫の服を着せ茨の冠を編んでかぶらせ
    「ユダの王万歳」と言って敬礼をした。
    それから何度も葦の棒で頭を叩き唾を吐きかけ
    ひざまずいて拝んだりした。
    このように散々イエスを侮辱した挙句、
    紫の服を脱がせて元の服を着せた。
    そして、十字架に磔にするため外へ引き出した。」
    というところを題材としているものであった。

    この時代の画家は、先人画家の描いた構図が 
    多種多様に蓄積されており、それを自分流にアレンジをして
    描くのが普通でした。
    依頼を受けたエルグレコは 
    「スペイン人はこの様なテーマを好むのか」と不思議に思った。
    というのも、この時代の絵画としては、珍しいテーマだったのです。

  • エルグレコは、頭の中には彼のイメージする良いモチーフを<br />見つけることはできませんでした。そこで、彼はイエスが<br />捕られられ総督官邸での出来事を参考にて、<br />構図も色彩もこの絵のほとんどを創作したのでした。<br />そして、その作風は<br />平面的で上下方向に引き伸ばされたマニエリスムで、その<br />描き方は、当時はまだ斬新さ故批判があったといわれます。<br /><br />この絵で印象的なのは、中央に毅然して立っているキリストの<br />真紅の衣装でしょう。彼はこの絵のアテンション効果を計算<br />して、激しさと落ち着きを対比させたドラマチックな役割を<br />表現すると同時に、キリストの孤独が描かれているといいます。<br />天を仰ぐ静かな表情は周囲の喧騒の中、一層際立っています。<br /><br />キリストの周りには、所狭しと兵士も一般人も労働者も<br />ひしめき合っています。グレコは、緊張感を表すために<br />人の頭部を数多く描き空を狭くしたといわれます。<br />右下では、一心不乱に仕事に没頭している人が描かれて<br />いますが、十字架を作っているのでしょう。<br />やがて、イエスが自ら背負ってゴルゴタの丘に登りその<br />十字架で磔になる。その衝撃的な場面を、黙々と仕事に<br />勤しむ若い男で表しました。<br /><br />画像は、『聖衣剥奪』<br /><br />

    イチオシ

    エルグレコは、頭の中には彼のイメージする良いモチーフを
    見つけることはできませんでした。そこで、彼はイエスが
    捕られられ総督官邸での出来事を参考にて、
    構図も色彩もこの絵のほとんどを創作したのでした。
    そして、その作風は
    平面的で上下方向に引き伸ばされたマニエリスムで、その
    描き方は、当時はまだ斬新さ故批判があったといわれます。

    この絵で印象的なのは、中央に毅然して立っているキリストの
    真紅の衣装でしょう。彼はこの絵のアテンション効果を計算
    して、激しさと落ち着きを対比させたドラマチックな役割を
    表現すると同時に、キリストの孤独が描かれているといいます。
    天を仰ぐ静かな表情は周囲の喧騒の中、一層際立っています。

    キリストの周りには、所狭しと兵士も一般人も労働者も
    ひしめき合っています。グレコは、緊張感を表すために
    人の頭部を数多く描き空を狭くしたといわれます。
    右下では、一心不乱に仕事に没頭している人が描かれて
    いますが、十字架を作っているのでしょう。
    やがて、イエスが自ら背負ってゴルゴタの丘に登りその
    十字架で磔になる。その衝撃的な場面を、黙々と仕事に
    勤しむ若い男で表しました。

    画像は、『聖衣剥奪』

  • 左下方に3人の女性たちが、マグダラのマリア、聖母マリア<br />小ヤコブマリアといわれています。小ヤコブマリアの母マリア<br />は、マグダラのマリアらとともにキリストの磔刑の場を見守り<br />安息日が明ける日の早朝に墓を訪れた女性たちのうちの1人なの<br />です。3人は、十字架を作っている男の手元を見つめていますが<br />これから起こることを知っているのです。<br />そして、この男の下方に何やら白い紙がありますが、<br />エルグレコがギリシャ語で自分の名前を書いています。<br />これは、彼の自信や誇りを物語っているといわれています。<br /><br />しかし、この絵を納める段になって絵の売買価格で問題が<br />起きてしまいました。当時の画家は、絵を描き始める前に、<br />準備金として前払いのお金をもらい、残額は作品が完成<br />したあと、料金を交渉して支払いを受けるという形式ものでした。<br />彼は、準備金として150ドゥカードを先に受け取り、<br />1577年に作品に着手、1579年に完成させました。	<br />出来上がった時、大聖堂側の代金交渉人が提示した金額は<br />227ドゥカード、グレコが要求した金額は900ドゥカード<br />なんと約3倍も開きがあったのです。<br /><br />

    左下方に3人の女性たちが、マグダラのマリア、聖母マリア
    小ヤコブマリアといわれています。小ヤコブマリアの母マリア
    は、マグダラのマリアらとともにキリストの磔刑の場を見守り
    安息日が明ける日の早朝に墓を訪れた女性たちのうちの1人なの
    です。3人は、十字架を作っている男の手元を見つめていますが
    これから起こることを知っているのです。
    そして、この男の下方に何やら白い紙がありますが、
    エルグレコがギリシャ語で自分の名前を書いています。
    これは、彼の自信や誇りを物語っているといわれています。

    しかし、この絵を納める段になって絵の売買価格で問題が
    起きてしまいました。当時の画家は、絵を描き始める前に、
    準備金として前払いのお金をもらい、残額は作品が完成
    したあと、料金を交渉して支払いを受けるという形式ものでした。
    彼は、準備金として150ドゥカードを先に受け取り、
    1577年に作品に着手、1579年に完成させました。
    出来上がった時、大聖堂側の代金交渉人が提示した金額は
    227ドゥカード、グレコが要求した金額は900ドゥカード
    なんと約3倍も開きがあったのです。

  • エルグレコは、絵の引き渡しを拒否しました。<br />大聖堂側は、絵の内容に問題がある。と言うのです。<br />先ず、キリストの頭の上に数人の男たちの頭と兜が描かれて<br />いるのは許してがたい。<br />さらには、下方に3人のマリアが描かれているが、福音書の<br />内容に違反している。以上のことから、これらを消すように<br />というものでした。<br />やがてモントヤーという調停人に仲裁を受けることになり<br />317ドゥカードが提示され、大聖堂とグレコの力関係から<br />エルグレコは承諾せざるを得ませんでした。<br />この裁定にまだ憤慨していたグレコは、その後、大聖堂からの<br />注文を受けることはありませんでした。<br />しかし、『聖衣剥奪』は人気となり、ほぼ同様の絵〈作品〉が<br />17枚描かれたといいます。<br /><br />最後に徳をしたのは、どちらだったのでしよう。<br />いや、一番徳をしたのは我々後世の絵画ファンかもしれません。<br />この裁定のおかげで、ひしめいている人物やマリアが消される<br />こともなく現存し、そのおかげで、大聖堂へゆく観光客が<br />こうして鑑賞することができるようになったのですから。<br />

    エルグレコは、絵の引き渡しを拒否しました。
    大聖堂側は、絵の内容に問題がある。と言うのです。
    先ず、キリストの頭の上に数人の男たちの頭と兜が描かれて
    いるのは許してがたい。
    さらには、下方に3人のマリアが描かれているが、福音書の
    内容に違反している。以上のことから、これらを消すように
    というものでした。
    やがてモントヤーという調停人に仲裁を受けることになり
    317ドゥカードが提示され、大聖堂とグレコの力関係から
    エルグレコは承諾せざるを得ませんでした。
    この裁定にまだ憤慨していたグレコは、その後、大聖堂からの
    注文を受けることはありませんでした。
    しかし、『聖衣剥奪』は人気となり、ほぼ同様の絵〈作品〉が
    17枚描かれたといいます。

    最後に徳をしたのは、どちらだったのでしよう。
    いや、一番徳をしたのは我々後世の絵画ファンかもしれません。
    この裁定のおかげで、ひしめいている人物やマリアが消される
    こともなく現存し、そのおかげで、大聖堂へゆく観光客が
    こうして鑑賞することができるようになったのですから。

  • 聖母子像にも<br />優しさがあふれていて<br />(⌒▽⌒) 心穏やかになります。

    イチオシ

    聖母子像にも
    優しさがあふれていて
    (⌒▽⌒) 心穏やかになります。

  • エルグレコの彫刻<br /> Imposición de la Casulla a San Ildefonso <br /> メモによる。<br /> 

    エルグレコの彫刻
     Imposición de la Casulla a San Ildefonso 
     メモによる。
     

  • 今回、トレドを訪れてエルグレコの作品を掘り下げてみて<br />自然に宗教画やイコンへも波及してゆき、これまで<br />各地で多くの美術館を観てきましたが、その際、イコンや<br />宗教画のコーナーは、避けてきていました。<br />それは、信者でもないので触れてはならないものと<br />どこか畏れのような気持ちが働いてその様にしてきました。<br />

    今回、トレドを訪れてエルグレコの作品を掘り下げてみて
    自然に宗教画やイコンへも波及してゆき、これまで
    各地で多くの美術館を観てきましたが、その際、イコンや
    宗教画のコーナーは、避けてきていました。
    それは、信者でもないので触れてはならないものと
    どこか畏れのような気持ちが働いてその様にしてきました。

  • それが今回、エルグレコのおかげか、ルネサンスから<br />バロック期の絵画を鑑賞するなら、<br />いやもっと拡大して西洋絵画を鑑賞してきたなら<br />知らず知らずにキリスト教の世界観を観てきて<br />いたのだ。と今頃ですが、気がつきました。(⌒-⌒; )<br />それだけ、西洋史 西洋の人々の暮らしに密着して<br />宗教が存在し続けているのですね。<br /><br />振り返ってみると、あの街から の美術館の旅行記には<br />イタリア・ベルリンに関わらずイコンのコーナーは出てきて<br />いないなぁと納得しました。<br />

    それが今回、エルグレコのおかげか、ルネサンスから
    バロック期の絵画を鑑賞するなら、
    いやもっと拡大して西洋絵画を鑑賞してきたなら
    知らず知らずにキリスト教の世界観を観てきて
    いたのだ。と今頃ですが、気がつきました。(⌒-⌒; )
    それだけ、西洋史 西洋の人々の暮らしに密着して
    宗教が存在し続けているのですね。

    振り返ってみると、あの街から の美術館の旅行記には
    イタリア・ベルリンに関わらずイコンのコーナーは出てきて
    いないなぁと納得しました。

  • それは、自分に聞いてみたところ、どちらかと言えば<br />信仰心というよりは、西洋史を学ぶ感覚なのですが<br /><br />その事は、自分的には<br />大きな収穫だったなぁ。<br />旅行記を作成することで<br />その思いが一層確認することができるました。<br />感謝です。

    それは、自分に聞いてみたところ、どちらかと言えば
    信仰心というよりは、西洋史を学ぶ感覚なのですが

    その事は、自分的には
    大きな収穫だったなぁ。
    旅行記を作成することで
    その思いが一層確認することができるました。
    感謝です。

  • そして、カラヴァッジョの作品にも<br />また出会えることができました。

    イチオシ

    そして、カラヴァッジョの作品にも
    また出会えることができました。

  • カラヴァッジョ『洗礼者のヨハネ』<br />このテーマで、カラヴァッジョも多くの作品を残しています。<br /><br />カラヴァッジョが20代から30代の前半の<br />ミラノ・ローマの時代は修行時代ともいわれていますが<br />この時代には、少年が登場する有名な作品何枚も<br />ありますが、まだ38歳という若さで亡くなってしまう<br />カラヴァッジョに晩年という言葉は相応しくないのですが <br />35歳で犯罪に手を染めた彼が<br />ナポリ、シチリア島のシラクーザそしてマルタ島へと<br />生活空間を移して亡くなってしまう3年程の間に<br />描いた作品は<br />深みと陰影のある作品が多く<br />自分的には、その頃の作品群が気に入りです。<br /><br /><br /><br />

    イチオシ

    カラヴァッジョ『洗礼者のヨハネ』
    このテーマで、カラヴァッジョも多くの作品を残しています。

    カラヴァッジョが20代から30代の前半の
    ミラノ・ローマの時代は修行時代ともいわれていますが
    この時代には、少年が登場する有名な作品何枚も
    ありますが、まだ38歳という若さで亡くなってしまう
    カラヴァッジョに晩年という言葉は相応しくないのですが 
    35歳で犯罪に手を染めた彼が
    ナポリ、シチリア島のシラクーザそしてマルタ島へと
    生活空間を移して亡くなってしまう3年程の間に
    描いた作品は
    深みと陰影のある作品が多く
    自分的には、その頃の作品群が気に入りです。



  • 受胎告知のウフィツィ美術館の展示作品<br />のファイルを開いた時カラヴァッジョの作品も<br />あるはず、と引き出してみました。<br />ここに登場してもらいました。<br />『バッカス』

    受胎告知のウフィツィ美術館の展示作品
    のファイルを開いた時カラヴァッジョの作品も
    あるはず、と引き出してみました。
    ここに登場してもらいました。
    『バッカス』

  • 受胎告知のウフィツィ美術館の展示作品<br />のファイルを開いたのでカラヴァッジョの作品も<br />あるはず、と引き出してみました。<br />ここに登場してもらいました。<br />『メドゥーサ』

    受胎告知のウフィツィ美術館の展示作品
    のファイルを開いたのでカラヴァッジョの作品も
    あるはず、と引き出してみました。
    ここに登場してもらいました。
    『メドゥーサ』

  • そして、『合奏』これは<br />ニューヨークのメトロポリタン美術館で<br />観ていましたが、2021年暮れに<br />大阪市立美術館で開催された<br />【メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年】<br />でも鑑賞することができました。<br /><br />カラヴァッジョの作品については、<br />またの機会にとっておくことにしました。

    そして、『合奏』これは
    ニューヨークのメトロポリタン美術館で
    観ていましたが、2021年暮れに
    大阪市立美術館で開催された
    【メトロポリタン美術館展 西洋絵画の500年】
    でも鑑賞することができました。

    カラヴァッジョの作品については、
    またの機会にとっておくことにしました。

  • ピエタと言えば、サンピエトロ大聖堂のミケランジェロの作品が<br />あまりにも有名で、私も、近くでじっくり観てきたひとりですが<br /><br />ピエタをテーマとした作品は<br />彫刻・絵画と多くの作品が生み出されています。<br />今回のトレドの旅では<br />サンタクルス美術館そしてトレド大聖堂で<br />2つの作品を鑑賞することができました。<br />

    ピエタと言えば、サンピエトロ大聖堂のミケランジェロの作品が
    あまりにも有名で、私も、近くでじっくり観てきたひとりですが

    ピエタをテーマとした作品は
    彫刻・絵画と多くの作品が生み出されています。
    今回のトレドの旅では
    サンタクルス美術館そしてトレド大聖堂で
    2つの作品を鑑賞することができました。

  • 【サント・トメ教会】<br />12世紀にアルフォンソ6世が建造した教会。	<br />荒廃していた教会をオルガス伯爵が私財を投じ14世紀に再建。<br />教会のシンボル「モサラベの塔」は現在トレドに残る最も素晴<br />らしいムデハル様式といわれています。	<br />エル・グレコの最高傑作のひとつ「オルガス伯爵の埋葬」を<br />展示していることで今も人並みが絶えません。 <br />オルガス伯爵のお墓の上に飾られている絵は、<br />縦4.8m、横3.6mと大きなもので<br />サント・トメ教会の依頼によって、1586年3月契約が<br />交わされ完成までおよそ2年を要したものです。<br /><br />「オルガス伯爵の埋葬」にまつわる<br />逸話〈おはなし〉<br />絵の下方やや左寄りに鋼鉄の鎧を全身につけ目を閉じて<br />両側から抱きかかえられている騎士、その人こそオルガス伯爵<br />です。オルガス伯爵は、ドン・ゴンサロ・ルイス・デ・トレド<br />という名の実在した人物で、13世紀半ばオルガス4代領主と<br />して生まれました。亡くなったのは、1323年と言いますから<br />グレコの時代からおおよそ250年以上も前の人ということです。<br />オルガス伯爵は、村の領主というだけではなく、カスティーリヤ<br />王国の主席公証人で王女の執事長でもありトレド市長も務める<br />など国の要人の一人でした。<br />当時、あちらこちらの教会は経年劣化や戦争によりかなり傷ん<br />でいました。伯爵は、積極的に教会の修復に関わり<br />サント・トメ教会ばかりではなくその他にも<br />教会や修道院も建てたりと社会貢献を積む<br />と同時に為政者でもありました。<br />しかし、生前はオルガス村領主であり、オルガス伯爵ではありませんでした。<br />後の1520年になってスペイン国王カルロス1世から爵位が授けられました。

    【サント・トメ教会】
    12世紀にアルフォンソ6世が建造した教会。
    荒廃していた教会をオルガス伯爵が私財を投じ14世紀に再建。
    教会のシンボル「モサラベの塔」は現在トレドに残る最も素晴
    らしいムデハル様式といわれています。
    エル・グレコの最高傑作のひとつ「オルガス伯爵の埋葬」を
    展示していることで今も人並みが絶えません。 
    オルガス伯爵のお墓の上に飾られている絵は、
    縦4.8m、横3.6mと大きなもので
    サント・トメ教会の依頼によって、1586年3月契約が
    交わされ完成までおよそ2年を要したものです。

    「オルガス伯爵の埋葬」にまつわる
    逸話〈おはなし〉
    絵の下方やや左寄りに鋼鉄の鎧を全身につけ目を閉じて
    両側から抱きかかえられている騎士、その人こそオルガス伯爵
    です。オルガス伯爵は、ドン・ゴンサロ・ルイス・デ・トレド
    という名の実在した人物で、13世紀半ばオルガス4代領主と
    して生まれました。亡くなったのは、1323年と言いますから
    グレコの時代からおおよそ250年以上も前の人ということです。
    オルガス伯爵は、村の領主というだけではなく、カスティーリヤ
    王国の主席公証人で王女の執事長でもありトレド市長も務める
    など国の要人の一人でした。
    当時、あちらこちらの教会は経年劣化や戦争によりかなり傷ん
    でいました。伯爵は、積極的に教会の修復に関わり
    サント・トメ教会ばかりではなくその他にも
    教会や修道院も建てたりと社会貢献を積む
    と同時に為政者でもありました。
    しかし、生前はオルガス村領主であり、オルガス伯爵ではありませんでした。
    後の1520年になってスペイン国王カルロス1世から爵位が授けられました。

  • 彼は教区教会であるサント・トメ教会に自分の遺骨を埋葬する<br />ことを決め、「墓は粗末な石でよい。聖歌隊席から離れた奥の<br />壁際で、西から入って右手方向に」と控えめで、<br />さらに「今後も、オルガス村はサント・トメ教会に対し、羊<br />雌鶏、薪、貨幣を寄進する。」という遺言を残し亡くなりました。<br /><br />その葬儀で奇跡が起こりました。<br />儀式の最中に、空から2人の聖人が降りてきたのです。<br />葬儀に参列していた人が驚いて見ていたところ、2人の聖人は<br />遺骸を静かに持ち上げ、柩の上に安置した。というのです。<br />その奇跡をオルガス村の人たちは、代々言い伝えていました。<br /><br />時は流れて16世紀半ばサント・トメ教会の主任司祭アンドレス<br />ヌニェスは、この教区に何か記念碑的なものを作ろうと考えました。<br />しかし、毎年教会への寄進を重荷になっていた村人たちは<br />寄進を拒否しました。 司祭は、高等法院に訴訟を起こし勝訴。<br />そこで、司祭はこの勝利を記念してオルガス伯爵の奇跡をもっと<br />広めよう。そして、今後村人たちは、寄進はしないなどと言わなく<br />なるようにしよう。と考えました。<br />司祭は、さらにローマにこの奇跡を認めるよう依頼、<br />1583年とうとうローマから、奇跡を認めるという<br />勅令を受けました。<br /><br />そこで、司祭は、エルグレコに白羽の矢を立ててオファーを<br />出しました。エルグレコは、トレドで暮らしてから10年が<br />経ちトレドで1番の著名な画家になっていました。<br />この時、教会とグレコで交わされた契約の内容は<br />①司祭と他の聖職者たちがどの様にオルガス伯爵を埋葬したのか<br /> その行列を描く。<br />②聖アウグスティヌスと聖ステパノが降りてきて、<br /> 片方がオルガス伯爵の頭を、もう一方が足を持ち、<br /> 遺骸を墓の上に置く。<br />③周囲では多くの人がそれを見ている。<br />④その上には栄光の天国が開かれている。<br />というもので、現存する「オルガス伯爵の埋葬」そのものです。<br />「この絵は、天界と地上の2部構成になっていて<br />上半分には天上の世界。下半分には地上の出来事が描かれていて<br />いかにも、エルグレコである。」などと解説があるのだけれど<br />この構図は、ほとんど注文内容をそのままグレコが描きあげた<br />ものと言えます。

    彼は教区教会であるサント・トメ教会に自分の遺骨を埋葬する
    ことを決め、「墓は粗末な石でよい。聖歌隊席から離れた奥の
    壁際で、西から入って右手方向に」と控えめで、
    さらに「今後も、オルガス村はサント・トメ教会に対し、羊
    雌鶏、薪、貨幣を寄進する。」という遺言を残し亡くなりました。

    その葬儀で奇跡が起こりました。
    儀式の最中に、空から2人の聖人が降りてきたのです。
    葬儀に参列していた人が驚いて見ていたところ、2人の聖人は
    遺骸を静かに持ち上げ、柩の上に安置した。というのです。
    その奇跡をオルガス村の人たちは、代々言い伝えていました。

    時は流れて16世紀半ばサント・トメ教会の主任司祭アンドレス
    ヌニェスは、この教区に何か記念碑的なものを作ろうと考えました。
    しかし、毎年教会への寄進を重荷になっていた村人たちは
    寄進を拒否しました。 司祭は、高等法院に訴訟を起こし勝訴。
    そこで、司祭はこの勝利を記念してオルガス伯爵の奇跡をもっと
    広めよう。そして、今後村人たちは、寄進はしないなどと言わなく
    なるようにしよう。と考えました。
    司祭は、さらにローマにこの奇跡を認めるよう依頼、
    1583年とうとうローマから、奇跡を認めるという
    勅令を受けました。

    そこで、司祭は、エルグレコに白羽の矢を立ててオファーを
    出しました。エルグレコは、トレドで暮らしてから10年が
    経ちトレドで1番の著名な画家になっていました。
    この時、教会とグレコで交わされた契約の内容は
    ①司祭と他の聖職者たちがどの様にオルガス伯爵を埋葬したのか
     その行列を描く。
    ②聖アウグスティヌスと聖ステパノが降りてきて、
     片方がオルガス伯爵の頭を、もう一方が足を持ち、
     遺骸を墓の上に置く。
    ③周囲では多くの人がそれを見ている。
    ④その上には栄光の天国が開かれている。
    というもので、現存する「オルガス伯爵の埋葬」そのものです。
    「この絵は、天界と地上の2部構成になっていて
    上半分には天上の世界。下半分には地上の出来事が描かれていて
    いかにも、エルグレコである。」などと解説があるのだけれど
    この構図は、ほとんど注文内容をそのままグレコが描きあげた
    ものと言えます。

  • マニエリスムで描かれた<br />エルグレコの最高傑作のひとつといわれています。<br />最後に、この絵に登場した人物を挙げてみましょう。<br />先ずは、3人の主役。オルガス伯爵と2人の聖人は、<br />先に挙げました。グレコは、オルガス伯爵が亡くなった14世紀<br />前半の服装ではなく、描いた当時の16世紀に流行していた襟を<br />した衣装となっています。そして頭をアウグスティヌスにもたれて<br />いますが、その魂はすでに天国に向かって昇って行くところなので<br />ここにあるのは、オルガス伯爵の体だけということです。<br /><br />次に、②の人々は、グレコの息子、教会関係者、右から2番目に<br />高等法院に訴えてを起こしたアンドレス・ヌニェス。<br />フランシスコ会の修道士。ドミニコ会修道士。<br />アウグスティヌス会修道士。<br />古代ギリシャ語研究者で法学家。<br /><br />この中には、なんとグレコ自身も描き込まれています。<br />天界と地上の2部構成になっており、	<br />上部には魂の昇天、下部には肉体の埋葬が描がれています。<br />襞(ヒダ)襟を着ているトレドの町の貴族の中で、こちらを<br />凝視している人物がエルグレコの自画像と言われています。<br />グレコの右隣には、トレド市長。襞襟の人たちの中には、<br />あの「胸に手を置く騎士」のモデルとなった人物がいるとか<br />いないとか、言われていますが詳細は不明です。一つ言える<br />のは、グレコが多くの著名な地位のある人物をこの作品の中に<br />描いているのです。<br /><br />④栄光の天国には<br /> 中央にイエス・キリスト、聖母マリア、洗礼者ヨハネ<br /> 天使が抱いているのがオルガス伯爵の魂で審判を受けるため<br /> イエスの元へ運ぼうとしています。<br /> それを、聖母マリアと洗礼者ヨハネが腕を出して<br /> イエスへの取り次ぎをしています。<br /> それから、聖ペテロ、福音史家ヨハネ、<br /> 旧約聖書で有名な3人。左からダビデ王は竪琴を抱えています。<br /> モーゼは、立法の石板を。そしてノアは、箱舟を抱えています。<br /><br /> 洗礼者ヨハネが描かれた右側。たくさんの人たちが描かれてい<br /> ますが、大ヤコブ、聖パウロ、聖トマス。<br /> その中には、<br /> オファーを受け描いた絵が意に沿わず、グレコが宮廷画家に<br /> なり損ねた経緯があるフェリペ2世も描かれている。<br /> 当時は、フェリペ2世は存命で<br /> 双方に複雑な心境があったのではと思われます。<br /><br /> この他にも知っている人物が何人か名前を聞くと、<br /> あの著名人が含まれていそうな気がします。<br /> 聖人を探しながらの名画鑑賞もまたひとつ名画に近づく手立て<br /> になるかもしれませんねよね。<br /> 

    マニエリスムで描かれた
    エルグレコの最高傑作のひとつといわれています。
    最後に、この絵に登場した人物を挙げてみましょう。
    先ずは、3人の主役。オルガス伯爵と2人の聖人は、
    先に挙げました。グレコは、オルガス伯爵が亡くなった14世紀
    前半の服装ではなく、描いた当時の16世紀に流行していた襟を
    した衣装となっています。そして頭をアウグスティヌスにもたれて
    いますが、その魂はすでに天国に向かって昇って行くところなので
    ここにあるのは、オルガス伯爵の体だけということです。

    次に、②の人々は、グレコの息子、教会関係者、右から2番目に
    高等法院に訴えてを起こしたアンドレス・ヌニェス。
    フランシスコ会の修道士。ドミニコ会修道士。
    アウグスティヌス会修道士。
    古代ギリシャ語研究者で法学家。

    この中には、なんとグレコ自身も描き込まれています。
    天界と地上の2部構成になっており、
    上部には魂の昇天、下部には肉体の埋葬が描がれています。
    襞(ヒダ)襟を着ているトレドの町の貴族の中で、こちらを
    凝視している人物がエルグレコの自画像と言われています。
    グレコの右隣には、トレド市長。襞襟の人たちの中には、
    あの「胸に手を置く騎士」のモデルとなった人物がいるとか
    いないとか、言われていますが詳細は不明です。一つ言える
    のは、グレコが多くの著名な地位のある人物をこの作品の中に
    描いているのです。

    ④栄光の天国には
     中央にイエス・キリスト、聖母マリア、洗礼者ヨハネ
     天使が抱いているのがオルガス伯爵の魂で審判を受けるため
     イエスの元へ運ぼうとしています。
     それを、聖母マリアと洗礼者ヨハネが腕を出して
     イエスへの取り次ぎをしています。
     それから、聖ペテロ、福音史家ヨハネ、
     旧約聖書で有名な3人。左からダビデ王は竪琴を抱えています。
     モーゼは、立法の石板を。そしてノアは、箱舟を抱えています。

     洗礼者ヨハネが描かれた右側。たくさんの人たちが描かれてい
     ますが、大ヤコブ、聖パウロ、聖トマス。
     その中には、
     オファーを受け描いた絵が意に沿わず、グレコが宮廷画家に
     なり損ねた経緯があるフェリペ2世も描かれている。
     当時は、フェリペ2世は存命で
     双方に複雑な心境があったのではと思われます。

     この他にも知っている人物が何人か名前を聞くと、
     あの著名人が含まれていそうな気がします。
     聖人を探しながらの名画鑑賞もまたひとつ名画に近づく手立て
     になるかもしれませんねよね。
     

  • 大聖堂・サンタクルス美術館そして教会<br />と、旧市街地のメインストリートから<br />徒歩圏内で、まぁちょっと坂道ではあるけれど<br />観光しやすい街です。<br /><br />ありがとうございました。(^ー^)

    大聖堂・サンタクルス美術館そして教会
    と、旧市街地のメインストリートから
    徒歩圏内で、まぁちょっと坂道ではあるけれど
    観光しやすい街です。

    ありがとうございました。(^ー^)

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