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美術館・教会を訪ねエル・グレコの祭壇画を鑑賞<br />そして、スペインが世界の覇権国であった頃の<br />目も眩むばかりの金・銀財宝と<br />大聖堂を始めとする中世の建物を存分に楽しんだ後<br /><br />旧市街の中心となる広場のその中心に在るレストラン で<br />なんだかなぁと、思えた(⌒-⌒; ) 遅いランチを食べて<br />さぁ、残るは<br />パラドールからの絶景をと眺めようとタクシーを拾って<br />パラドールへ向かいました。<br /><br />帰路、ミラドール・デル・バジェ展望台からの<br />トレドの旧市街地の絶景の眺望も忘れられません。<br /><br />わずか7から8時間程の滞在時間でしたが<br />マドリード・トレドを往復した列車旅も<br />併せて、これぞ旅と思える充実した楽しいトレドの旅でした。<br /><br />それでは、トレドの街とエル・グレコのコラボ物語を<br />楽しんでいただければ、(⌒▽⌒) うれしいです。<br />

トレドの街とエル・グレコの物語~ 西洋美術に魅せられて②

114いいね!

2018/07/31 - 2018/07/31

21位(同エリア845件中)

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53

あの街から

あの街からさん

美術館・教会を訪ねエル・グレコの祭壇画を鑑賞
そして、スペインが世界の覇権国であった頃の
目も眩むばかりの金・銀財宝と
大聖堂を始めとする中世の建物を存分に楽しんだ後

旧市街の中心となる広場のその中心に在るレストラン で
なんだかなぁと、思えた(⌒-⌒; ) 遅いランチを食べて
さぁ、残るは
パラドールからの絶景をと眺めようとタクシーを拾って
パラドールへ向かいました。

帰路、ミラドール・デル・バジェ展望台からの
トレドの旧市街地の絶景の眺望も忘れられません。

わずか7から8時間程の滞在時間でしたが
マドリード・トレドを往復した列車旅も
併せて、これぞ旅と思える充実した楽しいトレドの旅でした。

それでは、トレドの街とエル・グレコのコラボ物語を
楽しんでいただければ、(⌒▽⌒) うれしいです。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通手段
鉄道 高速・路線バス 観光バス タクシー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 美術館・教会そして旧市街地のお土産屋も回りも終えて<br />なんだかなぁと、思えたお店で遅いランチを食べて

    美術館・教会そして旧市街地のお土産屋も回りも終えて
    なんだかなぁと、思えたお店で遅いランチを食べて

  • さぁ、残るは<br />パラドールからの絶景をとタクシーを拾って<br />

    さぁ、残るは
    パラドールからの絶景をとタクシーを拾って

  • パラドールに向かいました。<br /><br />雲ひとつない快晴で<br />テラスからの景色はどんなだろう。と<br />ワクワクしました。<br /><br />設立 1968年 20室で開業。<br />以後、増築を繰り返し現在に至る。

    パラドールに向かいました。

    雲ひとつない快晴で
    テラスからの景色はどんなだろう。と
    ワクワクしました。

    設立 1968年 20室で開業。
    以後、増築を繰り返し現在に至る。

  • 昔、【RONDA】のパラドールに行った時に<br />買い求めた<br />『スペインパラドール紀行』を久しぶりに本棚から引っ張り出してみたら<br />発行元が日本交通公社(⌒-⌒; )ってありました。<br />カッコしてJTBとあって 少し安心しました。(⌒▽⌒)

    昔、【RONDA】のパラドールに行った時に
    買い求めた
    『スペインパラドール紀行』を久しぶりに本棚から引っ張り出してみたら
    発行元が日本交通公社(⌒-⌒; )ってありました。
    カッコしてJTBとあって 少し安心しました。(⌒▽⌒)

  • パラドールの愛称は【Parador  Conde de Orgaz】は<br />サント・トメ教会の寄進者<br />ドン・ゴンザロ・ルイスの埋葬の伝説に基づき<br />1586年にエルグレコが教会内部に描いた<br />〈オルガス伯爵の埋葬〉にちなんだもの。<br />〈皇帝の丘〉に立つパラドールは薄茶色の瓦葺<br />外壁は日干し煉瓦の二階建てに造られている。

    パラドールの愛称は【Parador Conde de Orgaz】は
    サント・トメ教会の寄進者
    ドン・ゴンザロ・ルイスの埋葬の伝説に基づき
    1586年にエルグレコが教会内部に描いた
    〈オルガス伯爵の埋葬〉にちなんだもの。
    〈皇帝の丘〉に立つパラドールは薄茶色の瓦葺
    外壁は日干し煉瓦の二階建てに造られている。

  • ロビーは太い梁が組み合わされた<br />カスティージャ風で、天井は2階までの吹き抜け<br />で、やや低い。

    ロビーは太い梁が組み合わされた
    カスティージャ風で、天井は2階までの吹き抜け
    で、やや低い。

  • こんな風に「JTB出版」の本では<br />紹介されていた。<br />まぁ みた通りだな。と<br /><br />その先に紹介文を待ちかねるように

    こんな風に「JTB出版」の本では
    紹介されていた。
    まぁ みた通りだな。と

    その先に紹介文を待ちかねるように

    パラドール デ トレド ホテル

  • トレドの街全体が眺められる<br />バルコニーには外来者の姿が多い。<br />と紹介してあるテラスに<br />早速、行ってみた。

    トレドの街全体が眺められる
    バルコニーには外来者の姿が多い。
    と紹介してあるテラスに
    早速、行ってみた。

  • レストランからは古い家並みが眺められ<br />あたかも一切の営みが止まったかの様な<br />静けさだ。

    レストランからは古い家並みが眺められ
    あたかも一切の営みが止まったかの様な
    静けさだ。

  • まだ、先程食べた〈うどん〉のような<br />スパゲッティが残っていて<br />スイーツは2人でひとつ(⌒▽⌒)<br />しかし、付け合わせの<br />オリーブの実の方美味かった。<br />と思い出されます。

    まだ、先程食べた〈うどん〉のような
    スパゲッティが残っていて
    スイーツは2人でひとつ(⌒▽⌒)
    しかし、付け合わせの
    オリーブの実の方美味かった。
    と思い出されます。

  • この絶景を目の前にして<br />相方さんも、とうとうビール(⌒▽⌒)<br /><br />会計は、しめて13,30EUR プラスTax<br />でした。<br /><br />当時のレートは1Euroが130円程ですから<br />1730円程。

    この絶景を目の前にして
    相方さんも、とうとうビール(⌒▽⌒)

    会計は、しめて13,30EUR プラスTax
    でした。

    当時のレートは1Euroが130円程ですから
    1730円程。

  • 宿泊客の70%は、外国で<br />その内日本人は10%。<br />スペインを訪れる外国高官がヘリコプターで<br />飛来し、パラドールの丘から対岸のパノラマに<br />見入る状況が、テレビで時折り報道される。<br />中曽根元首相もその一人だった。<br />と<br />日本交通公社のガイドブックに掲載されていました。

    宿泊客の70%は、外国で
    その内日本人は10%。
    スペインを訪れる外国高官がヘリコプターで
    飛来し、パラドールの丘から対岸のパノラマに
    見入る状況が、テレビで時折り報道される。
    中曽根元首相もその一人だった。

    日本交通公社のガイドブックに掲載されていました。

  • いったい ここから<br />幾人の人が<br />この感動を共有したのだろう。

    いったい ここから
    幾人の人が
    この感動を共有したのだろう。

  • 噂どおり<br />噂に違わず<br />絶景かな 絶景でした。<br /><br />2時近く過ごした後<br />パラドールにさよならをしました。

    噂どおり
    噂に違わず
    絶景かな 絶景でした。

    2時近く過ごした後
    パラドールにさよならをしました。

  • パラドールの正面玄関広場には<br />ついさっきまで、宿泊客を乗せた<br />タクシーが次々やって来ていたのですが<br />はて、一台のタクシーも停まっていません(;゜0゜)

    パラドールの正面玄関広場には
    ついさっきまで、宿泊客を乗せた
    タクシーが次々やって来ていたのですが
    はて、一台のタクシーも停まっていません(;゜0゜)

  • 少しだけ待ってみたのですが<br />タクシーはやって来ません。(⌒-⌒; )<br />それじゃ、絶景を眺めながら<br />ゆっくりと歩いて下ろう。<br />そのうちタクシーがやって来るさ<br />と二人で歩き出しました。

    少しだけ待ってみたのですが
    タクシーはやって来ません。(⌒-⌒; )
    それじゃ、絶景を眺めながら
    ゆっくりと歩いて下ろう。
    そのうちタクシーがやって来るさ
    と二人で歩き出しました。

  • この絶景を見渡す丘の上から<br />降りながら、いつしか<br />トレドの街とエルグレコについて思い浮かべていました。

    イチオシ

    この絶景を見渡す丘の上から
    降りながら、いつしか
    トレドの街とエルグレコについて思い浮かべていました。

  • エルグレコがトレドに移り住み活躍をしていた頃<br />トレドに暮らしている人々の5%は、聖職者であり<br />2,000人は修道司祭で、700人は在俗司祭でした。

    エルグレコがトレドに移り住み活躍をしていた頃
    トレドに暮らしている人々の5%は、聖職者であり
    2,000人は修道司祭で、700人は在俗司祭でした。

  • ※在俗司祭はその功績によって上位の長司祭(archpriest) や<br /> 首司祭 (protopresbyter) に昇叙される。<br />    在俗司祭には妻帯が許されるが、結婚を望む者は<br /> 輔祭に叙聖される前に婚姻をしなければならない。<br /> そして再婚することはできない。<br /> また再婚者が司祭になることも禁止される。<br /> 正教会においては、在俗司祭のほとんどが妻帯している。<br /> <br />※輔祭(ほさい)は正教会における神品(聖職者)の<br /> 職分のひとつ。<br /> 主教・司祭の許(もと)で、主教・司祭を奉神礼(祭礼)<br /> において補佐する。男性の正教徒が主教による神品機密に<br /> よって叙聖(新たに神品に任ずること)されることにより<br /> 輔祭職に就く。<br />※は、Wiki 参照。

    イチオシ

    ※在俗司祭はその功績によって上位の長司祭(archpriest) や
     首司祭 (protopresbyter) に昇叙される。
    在俗司祭には妻帯が許されるが、結婚を望む者は
     輔祭に叙聖される前に婚姻をしなければならない。
     そして再婚することはできない。
     また再婚者が司祭になることも禁止される。
     正教会においては、在俗司祭のほとんどが妻帯している。
     
    ※輔祭(ほさい)は正教会における神品(聖職者)の
     職分のひとつ。
     主教・司祭の許(もと)で、主教・司祭を奉神礼(祭礼)
     において補佐する。男性の正教徒が主教による神品機密に
     よって叙聖(新たに神品に任ずること)されることにより
     輔祭職に就く。
    ※は、Wiki 参照。

  • 範囲を広げて管轄区域をみると、管区の六つの町と<br />およそ300の村からできており、60万人程の住民<br />がいて、そのうちの5000人程が聖職者でした。<br /><br />大きな組織で、力を持った大司教区であったことが<br />うかがえます。<br />ですから、スペインの首座に位置するトレド大司教は<br />ローマとスペインの教会とを公的に結んでいる<br />スポークスマンの役割りをも、していました。

    範囲を広げて管轄区域をみると、管区の六つの町と
    およそ300の村からできており、60万人程の住民
    がいて、そのうちの5000人程が聖職者でした。

    大きな組織で、力を持った大司教区であったことが
    うかがえます。
    ですから、スペインの首座に位置するトレド大司教は
    ローマとスペインの教会とを公的に結んでいる
    スポークスマンの役割りをも、していました。

  • その結果、一定時期トレドはスペインで最も人口の多い<br />最も金持ちの町のひとつなのでした。<br />また、織物業、絹や羊毛、ローマと対戦した<br />ハンニバル将軍がトレド産の剣を使用していることで<br />人気となったといわれている剣を始めとする武具、<br />ダマスキナードと呼ばれる金・銀の細工等など産業も<br />盛んでした。<br />

    その結果、一定時期トレドはスペインで最も人口の多い
    最も金持ちの町のひとつなのでした。
    また、織物業、絹や羊毛、ローマと対戦した
    ハンニバル将軍がトレド産の剣を使用していることで
    人気となったといわれている剣を始めとする武具、
    ダマスキナードと呼ばれる金・銀の細工等など産業も
    盛んでした。

  • そのような環境の時代背景にあったトレドにギリシア出身の<br />画家エルグレコが移り住んできたのは、スペインの首都が<br />マドリードに移って15年程経った頃でした。<br /><br />※エルグレコは、36歳から73歳(1577~1614年頃)<br />  トレドで暮らしていました。

    そのような環境の時代背景にあったトレドにギリシア出身の
    画家エルグレコが移り住んできたのは、スペインの首都が
    マドリードに移って15年程経った頃でした。

    ※エルグレコは、36歳から73歳(1577~1614年頃)
      トレドで暮らしていました。

  • 幾らトレドが賑わっていたとしても、人々はだんだんと<br />首都マドリードに集まってゆくのは自然の成り行きでした。<br />トレドに館を構えていた貴族たちもやがて、マドリードへ<br />マドリードへと移り住むようになっていきました。<br />そして、空き邸宅がトレドに増えていったのでした。<br />中には、邸宅を手放す貴族もいましたが、邸宅の管理を<br />人に任せることにした貴族も多かったのです。<br />そのような貴族たちは、誰に邸宅の管理を任せたのでしよう。<br />それは、教会や修道院でした。

    イチオシ

    幾らトレドが賑わっていたとしても、人々はだんだんと
    首都マドリードに集まってゆくのは自然の成り行きでした。
    トレドに館を構えていた貴族たちもやがて、マドリードへ
    マドリードへと移り住むようになっていきました。
    そして、空き邸宅がトレドに増えていったのでした。
    中には、邸宅を手放す貴族もいましたが、邸宅の管理を
    人に任せることにした貴族も多かったのです。
    そのような貴族たちは、誰に邸宅の管理を任せたのでしよう。
    それは、教会や修道院でした。

  • 教会や修道院は、新たに邸宅の管理者になったことで、<br />信仰に関した絵を飾ろうとしました。<br />一方、マドリードに首都が移動した後も、トレドを活躍<br />の場とした貴族たちは、「政治の中心がマドリードなら、<br />トレドは、信仰の中心である。そうねばならない。」と<br />強く考えました。<br />そのために、立派な祭壇やそれを飾る絵を必要としました。<br />まさに、エルグレコの活躍の場とするに適した街なのでした。<br />

    イチオシ

    教会や修道院は、新たに邸宅の管理者になったことで、
    信仰に関した絵を飾ろうとしました。
    一方、マドリードに首都が移動した後も、トレドを活躍
    の場とした貴族たちは、「政治の中心がマドリードなら、
    トレドは、信仰の中心である。そうねばならない。」と
    強く考えました。
    そのために、立派な祭壇やそれを飾る絵を必要としました。
    まさに、エルグレコの活躍の場とするに適した街なのでした。

  • エルグレコがローマからスペインへ移り住んだ訳は、単に<br />トレドの修道院から仕事のオファーがあったことばかり<br />ではありませんでした。 <br />「スペインでは、エル・エスコリアルという巨大な修道院を<br />建設中らしい。大きな聖堂に掲げる絵は、私の絵が似合う。」<br />と意欲を満々。<br />ヴェネツィアでもローマでも今ひとつ上手くいかなかった<br />エルグレコは、今度こそは!と勇んで海を渡ったのでした。<br />

    イチオシ

    地図を見る

    エルグレコがローマからスペインへ移り住んだ訳は、単に
    トレドの修道院から仕事のオファーがあったことばかり
    ではありませんでした。 
    「スペインでは、エル・エスコリアルという巨大な修道院を
    建設中らしい。大きな聖堂に掲げる絵は、私の絵が似合う。」
    と意欲を満々。
    ヴェネツィアでもローマでも今ひとつ上手くいかなかった
    エルグレコは、今度こそは!と勇んで海を渡ったのでした。

    トレドの展望台 観光名所

  • 1494年フランス王が突如南下政策を取りナポリに<br />侵攻してきたことから対フランスとスペインの両国間<br />には、くすぶっては時に激しくという長い戦いが始まりました。<br />時は流れて1557年、スペイン国王フェリペ2世と<br />フランス国王アンリ2世の戦いにスペイン軍が勝利。<br />ミラノ・ナポリ・シチリアがスペイン領となり<br />3代に渡る長い戦いにひとまず決着がついたのでした。<br />

    1494年フランス王が突如南下政策を取りナポリに
    侵攻してきたことから対フランスとスペインの両国間
    には、くすぶっては時に激しくという長い戦いが始まりました。
    時は流れて1557年、スペイン国王フェリペ2世と
    フランス国王アンリ2世の戦いにスペイン軍が勝利。
    ミラノ・ナポリ・シチリアがスペイン領となり
    3代に渡る長い戦いにひとまず決着がついたのでした。

  • この戦いに勝利した8月10日は〈聖ラウレンティウスの日〉<br />でした。聖ラウレンティウスは、258年、当時まだローマ帝国<br />においてキリスト教信仰が禁じられていたが、教皇シクストゥス<br />2世のもとで助祭となって活躍。逮捕され殉教した教皇の遺言<br />どおり教会の財産を貧しい人々に寄付し自らも逮捕され<br />「貧しい人たちこそ永遠の宝ものです。」の述べ殉教した聖人<br />ですが、フェリペ2世は、「巨大な修道院を造り、聖ラウレンティウスを祀ろう」と考えたのでした。<br />

    この戦いに勝利した8月10日は〈聖ラウレンティウスの日〉
    でした。聖ラウレンティウスは、258年、当時まだローマ帝国
    においてキリスト教信仰が禁じられていたが、教皇シクストゥス
    2世のもとで助祭となって活躍。逮捕され殉教した教皇の遺言
    どおり教会の財産を貧しい人々に寄付し自らも逮捕され
    「貧しい人たちこそ永遠の宝ものです。」の述べ殉教した聖人
    ですが、フェリペ2世は、「巨大な修道院を造り、聖ラウレンティウスを祀ろう」と考えたのでした。

  • 首都マドリードから50km程離れたエル・エスコリアルの地<br />に建設された修道院は、ハプスブルク家の偉大さを示すかの<br />ように、世界各地から集められた数多くの貴重な書物や絵画<br />が収められ宮殿であり仕事場ともなり、霊廟・図書館の他<br />美術館も兼ね備え文字通り巨大な修道院でした。<br />そして、1563年から21年の歳月をかけ完成しました。

    首都マドリードから50km程離れたエル・エスコリアルの地
    に建設された修道院は、ハプスブルク家の偉大さを示すかの
    ように、世界各地から集められた数多くの貴重な書物や絵画
    が収められ宮殿であり仕事場ともなり、霊廟・図書館の他
    美術館も兼ね備え文字通り巨大な修道院でした。
    そして、1563年から21年の歳月をかけ完成しました。

    トレドの展望台 観光名所

  • エルグレコがスペインに渡る頃、この修道院の建設が半ばを<br />過ぎ聖堂の建設が始まっていました。聖堂には、祭壇画が<br />必要になります。<br />エルグレコは、「自分にスペイン国王から依頼があるに<br />違いない。やがて、スペイン宮廷の画家となる日もやって<br />くる。」と自信満々でした。<br />

    エルグレコがスペインに渡る頃、この修道院の建設が半ばを
    過ぎ聖堂の建設が始まっていました。聖堂には、祭壇画が
    必要になります。
    エルグレコは、「自分にスペイン国王から依頼があるに
    違いない。やがて、スペイン宮廷の画家となる日もやって
    くる。」と自信満々でした。

  • 1579年、修道院は完成に近づいていました。その頃<br />エルグレコは、トレドで大聖堂の聖具室やサント・ドミンゴ<br />・エル・アンティグオ修道院の礼拝堂祭壇画を描いていて<br />トレドで注目される画家となっていました。<br />そんな折、フェリペ2世が〈聖体の祝日〉を過ごす為に<br />トレドを訪れることになりました。<br />その際、フェリペ2世は完成した大聖堂などのエルグレコの<br />絵画は、幸運にも完成した状態になっていました。

    1579年、修道院は完成に近づいていました。その頃
    エルグレコは、トレドで大聖堂の聖具室やサント・ドミンゴ
    ・エル・アンティグオ修道院の礼拝堂祭壇画を描いていて
    トレドで注目される画家となっていました。
    そんな折、フェリペ2世が〈聖体の祝日〉を過ごす為に
    トレドを訪れることになりました。
    その際、フェリペ2世は完成した大聖堂などのエルグレコの
    絵画は、幸運にも完成した状態になっていました。

  • その頃、建設間近な修道院では、当時の宮廷画家のトップ<br />ともいえるエル・ムードが亡くなり予定の枚数には30枚程<br />未完成となっていました。<br />フェリペ2世は、期待を抱いてエルグレコにエル・エスコリアル<br />修道院の礼拝堂ひとつに、先の〈聖ラウレンティウス〉の絵では<br />なく、「聖マウリティウスの殉教」の絵画をオファーしました。

    その頃、建設間近な修道院では、当時の宮廷画家のトップ
    ともいえるエル・ムードが亡くなり予定の枚数には30枚程
    未完成となっていました。
    フェリペ2世は、期待を抱いてエルグレコにエル・エスコリアル
    修道院の礼拝堂ひとつに、先の〈聖ラウレンティウス〉の絵では
    なく、「聖マウリティウスの殉教」の絵画をオファーしました。

  • オファーを快諾したエルグレコは、フェリペ2世肝入りで<br />絵の具の特殊な色も費用もたっぷりという申し分のない<br />制作環境を整えてもらいました。そして、2年を費やして<br />マニエリスムで描いた自信作に仕上がり、宮廷からは<br />絵の代金が支払われました。<br />しかし、出来上がった絵を見たフェリペ2世は「上手く<br />描けているが、祈る気にはならない!」という一言で、<br />礼拝堂に置かれないことになりました。

    オファーを快諾したエルグレコは、フェリペ2世肝入りで
    絵の具の特殊な色も費用もたっぷりという申し分のない
    制作環境を整えてもらいました。そして、2年を費やして
    マニエリスムで描いた自信作に仕上がり、宮廷からは
    絵の代金が支払われました。
    しかし、出来上がった絵を見たフェリペ2世は「上手く
    描けているが、祈る気にはならない!」という一言で、
    礼拝堂に置かれないことになりました。

  • それは<br />エル・エスコリアル修道院とういうハプスブルク家の<br />霊廟を置こうという場所のひとつの礼拝堂で、置かれる<br />絵は、単純明快に、地上での苦しみと天上での栄光という<br />構図を求めていたフェリペ2世の意向に反してエルグレコが<br />最も重要と考え絵の中心に据えたのが殉教の場面ではなく、<br />会話の場面ということが難解で理解のはんちゅうを超えて<br />いました。<br />こうして宮廷画家への道も絶たれてしまったエルグレコ。

    それは
    エル・エスコリアル修道院とういうハプスブルク家の
    霊廟を置こうという場所のひとつの礼拝堂で、置かれる
    絵は、単純明快に、地上での苦しみと天上での栄光という
    構図を求めていたフェリペ2世の意向に反してエルグレコが
    最も重要と考え絵の中心に据えたのが殉教の場面ではなく、
    会話の場面ということが難解で理解のはんちゅうを超えて
    いました。
    こうして宮廷画家への道も絶たれてしまったエルグレコ。

  • 首都がマドリードに移りトレドの街は少しずつ衰退し始め<br />貴族たちが残した宮殿の様な邸宅も、やがて貸家になった<br />り宿屋となったりしましたが、それでもトレドの大学には<br />1000人程の学生も住んでいたといいます。<br />その頃、ルターたちの唱えたプロテスタントの宗教改革に<br />対して、危機感を覚えたカトリック教徒側も宗教改革を始め<br />これが〈反宗教改革〉と呼ばれ、トレド大聖堂の大司教<br />ガスパル・デ・キローガは、就任早々に教区会議を招集。<br />公会議の会則を順守させました。

    首都がマドリードに移りトレドの街は少しずつ衰退し始め
    貴族たちが残した宮殿の様な邸宅も、やがて貸家になった
    り宿屋となったりしましたが、それでもトレドの大学には
    1000人程の学生も住んでいたといいます。
    その頃、ルターたちの唱えたプロテスタントの宗教改革に
    対して、危機感を覚えたカトリック教徒側も宗教改革を始め
    これが〈反宗教改革〉と呼ばれ、トレド大聖堂の大司教
    ガスパル・デ・キローガは、就任早々に教区会議を招集。
    公会議の会則を順守させました。

  • このことで、自宅に宗教画を飾ろうとする人が増え<br />エルグレコに絵を注文する知識人たちが増えてゆきました。<br />エルグレコ自身も〈大きな祭壇画〉以外にもこういった<br />絵画を描くことに気持ちが向いてゆきました。<br />こうして、エルグレコは〈反宗教改革〉を描く画家として<br />注文が増えていきました。

    このことで、自宅に宗教画を飾ろうとする人が増え
    エルグレコに絵を注文する知識人たちが増えてゆきました。
    エルグレコ自身も〈大きな祭壇画〉以外にもこういった
    絵画を描くことに気持ちが向いてゆきました。
    こうして、エルグレコは〈反宗教改革〉を描く画家として
    注文が増えていきました。

  • 彼の描く絵は、体制側の求めにも、知識階級の求めにも<br />合致していたのでした。<br />こうして、エルグレコは、このトレドの地で次々と<br />傑作を描き続け、やがて、ゴヤ・ベラスケスと共に<br />スペイン3代画家の1人に数えられる画家となりました。<br />

    彼の描く絵は、体制側の求めにも、知識階級の求めにも
    合致していたのでした。
    こうして、エルグレコは、このトレドの地で次々と
    傑作を描き続け、やがて、ゴヤ・ベラスケスと共に
    スペイン3代画家の1人に数えられる画家となりました。

  • 大急ぎで、トレドの街とエルグレコの物語をエルグレコが<br />トレドの街で暮らしていた時分を並べてみました。

    大急ぎで、トレドの街とエルグレコの物語をエルグレコが
    トレドの街で暮らしていた時分を並べてみました。

  • 以上のトレドとエル・グレコの物語は、<br />旅行記『トレドのきらめき サンタクルス美術館・大聖堂<br />サント・トメ教会』編にこの時期に描いたエルグレコ<br />絵画の解説を併せてご覧いただくと<br />https://4travel.jp/travelogue/11801960<br /><br />エル・グレコの作品の数々が描かれた背景を<br />より掘り下げて楽しむことができると思います。

    以上のトレドとエル・グレコの物語は、
    旅行記『トレドのきらめき サンタクルス美術館・大聖堂
    サント・トメ教会』編にこの時期に描いたエルグレコ
    絵画の解説を併せてご覧いただくと
    https://4travel.jp/travelogue/11801960

    エル・グレコの作品の数々が描かれた背景を
    より掘り下げて楽しむことができると思います。

  • それにしても、待ちわびたタクシーは<br />ついに来ずじまい(;゜0゜)<br />もはや、正午過ぎの今を盛りの太陽こそ<br />徐々に翳りがありましたが<br />「暑い 暑いなぁ」といいながらも<br />結局は丘を降りきり<br />麓のバス停からバスに乗って<br />トレドの駅まで戻ることになりました。

    それにしても、待ちわびたタクシーは
    ついに来ずじまい(;゜0゜)
    もはや、正午過ぎの今を盛りの太陽こそ
    徐々に翳りがありましたが
    「暑い 暑いなぁ」といいながらも
    結局は丘を降りきり
    麓のバス停からバスに乗って
    トレドの駅まで戻ることになりました。

  • 今思い返してみると、暑いかったことと<br />トレドの思い出として強烈に残ったのが<br />パラドールから絶景を眺めながら歩いて<br />降った道々の体験です。<br /><br />暑いとはいえ、天気に恵まれたことは<br />幸いでした。<br />まぁ雨降りならば嫌でもタクシーを<br />パラドールで呼んでもらったのでしようね。(⌒-⌒; )<br />自分としては、歩くのも悪くなかった。と<br />今では自信を持ってそう答えられます。(⌒▽⌒)

    今思い返してみると、暑いかったことと
    トレドの思い出として強烈に残ったのが
    パラドールから絶景を眺めながら歩いて
    降った道々の体験です。

    暑いとはいえ、天気に恵まれたことは
    幸いでした。
    まぁ雨降りならば嫌でもタクシーを
    パラドールで呼んでもらったのでしようね。(⌒-⌒; )
    自分としては、歩くのも悪くなかった。と
    今では自信を持ってそう答えられます。(⌒▽⌒)

  • それにしても、夏の日暮れは<br />ゆっくり。<br />この時ですでに21:00は回っていました。

    それにしても、夏の日暮れは
    ゆっくり。
    この時ですでに21:00は回っていました。

    トレド駅

  • さぁ マドリードへ戻ります。

    さぁ マドリードへ戻ります。

  • 発車まであと15分<br />日本のようにベルとかは鳴りませんから<br />時間がくるとホームから滑るように<br />走り出します。<br /><br />安心したのか列車に乗り込んだら<br />空腹に気がつきました。(⌒-⌒; )<br />パラドールから歩き始めてから<br />水以外口にしていないことに<br />初めて気がつきました。

    発車まであと15分
    日本のようにベルとかは鳴りませんから
    時間がくるとホームから滑るように
    走り出します。

    安心したのか列車に乗り込んだら
    空腹に気がつきました。(⌒-⌒; )
    パラドールから歩き始めてから
    水以外口にしていないことに
    初めて気がつきました。

  • 30分で、大都会の喧騒の中へ

    30分で、大都会の喧騒の中へ

  • マドリードにやって来たその晩に<br />食事をした店が美味かったので<br />この旅、最後のディナーもその店ですることにしましたー。<br /><br />マヨール通りにある<br />『ムセオ・デル・ハモン』<br />スペイン語でハムの博物館という名のレストランです。

    マドリードにやって来たその晩に
    食事をした店が美味かったので
    この旅、最後のディナーもその店ですることにしましたー。

    マヨール通りにある
    『ムセオ・デル・ハモン』
    スペイン語でハムの博物館という名のレストランです。

  • 行く種類もの生ハムやチーズが<br />一階のショーケースに飾られています。

    行く種類もの生ハムやチーズが
    一階のショーケースに飾られています。

  • 2階がレストラン になっていて<br />ランチの<br />始まる少し前から午前零時近くまで<br />お客さんがひっきりなしにやって来る<br />超人気店です。

    2階がレストラン になっていて
    ランチの
    始まる少し前から午前零時近くまで
    お客さんがひっきりなしにやって来る
    超人気店です。

  • お腹が空き過ぎて(⌒-⌒; )<br />早速、生ハムメロンオーダー。<br />生ハムの量が、半端ではなくを<br />白ワイン飲みつつ<br />交互に食べました。(⌒-⌒; )

    お腹が空き過ぎて(⌒-⌒; )
    早速、生ハムメロンオーダー。
    生ハムの量が、半端ではなくを
    白ワイン飲みつつ
    交互に食べました。(⌒-⌒; )

  • スペインオムレツ、サラダ、ポテトフライ<br />どの皿も量がはんぱではなく<br />初めてアメリカでドライブして<br />町はずれの小さなダイナーで<br />ランチをした時を思い出しました。

    スペインオムレツ、サラダ、ポテトフライ
    どの皿も量がはんぱではなく
    初めてアメリカでドライブして
    町はずれの小さなダイナーで
    ランチをした時を思い出しました。

  • 昨夜、Hotelに戻ったのは<br />このところの私たちの旅には珍しく<br />午前さま。(;゜0゜)<br />幸いHotelは治安の良いところで助かりました。(⌒▽⌒)<br /><br />僅か数時間の眠りから<br />モーニングコールで起こしてもらい<br />

    昨夜、Hotelに戻ったのは
    このところの私たちの旅には珍しく
    午前さま。(;゜0゜)
    幸いHotelは治安の良いところで助かりました。(⌒▽⌒)

    僅か数時間の眠りから
    モーニングコールで起こしてもらい

  • マドリード空港へ。<br /><br />旅行鞄は、イビサ島のホテルで<br />パッキングしたまま<br />香港乗り継ぎもスルーで<br />成田まで乗せていってもらいました。

    マドリード空港へ。

    旅行鞄は、イビサ島のホテルで
    パッキングしたまま
    香港乗り継ぎもスルーで
    成田まで乗せていってもらいました。

  • とうとう今回の旅も終わりかぁ。<br />と<br />少しだけセンチになったけれど<br />直ぐに爆睡。

    とうとう今回の旅も終わりかぁ。

    少しだけセンチになったけれど
    直ぐに爆睡。

  • 気がつけば香港上空まで来ていました。<br />香港で一時間半程のトランジット<br />再び香港を飛び立つ窓からの景色を眺め<br />もう直ぐで日本と安堵感と<br />今回も旅の終わりの一抹の寂しさを感じながら。<br /><br />今年こそあの大地へ行けるかな。<br />どうだろう。<br /><br />ありがとうございました。<br />

    気がつけば香港上空まで来ていました。
    香港で一時間半程のトランジット
    再び香港を飛び立つ窓からの景色を眺め
    もう直ぐで日本と安堵感と
    今回も旅の終わりの一抹の寂しさを感じながら。

    今年こそあの大地へ行けるかな。
    どうだろう。

    ありがとうございました。

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