2022/12/13 - 2022/12/16
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akitaineさん
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寒い時期に寒い場所に行くのもなかなか良いものです。
12月半ば、初めて帯広に行ってまいりました。
冬だから山には登れないし、活動的に行動もできない。
でも、ステキなホテルでゆっくり過ごすのもいいかな、って。移動もせずに3連泊しました。
以前から泊まってみたかった北海道ホテルでモール温泉に入り、ホテルの食事を楽しみ、ちょっと市街も歩くのんびり旅でした。
こんな静的な旅もあっていいのではないでしょうか。
ホテルでの滞在は別記事に書きました。
今回は、日中の行動編です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス スカイマーク
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-
帯広到着の翌日。ホテルで市内の地図をもらい、歩いてみることにしました。街は、驚くほど平坦で、まっすぐの道が延々と続いています。
ホテル近くの緑ヶ丘公園内に帯広百年記念館という博物館があるのですが、別館として埋蔵文化財センターというのがあると聞き、行ってみることにしました。
新緑通りという道をどんどん西に歩きます。
しかし、行っても行っても目的地は遠い。
周囲は住宅地とときおり商店街。
人はほとんど歩いていない。そうだよね。寒くて遠いから皆、車かバスなんだ。今にして思えば、この延々歩き、街の状況がわかって面白かったです。 -
しかし、保育園の子供たちのお散歩に遭遇しました。
寒さ対策したモコモコの姿が可愛い!
雪の上を幼児らしいヨチヨチ歩きで上手に滑らず歩いていました。 -
新緑通りの西側が帯広川にぶつかった地点に、埋蔵文化財センターはあるはずです。
1時間半かけて帯広川までやってきました。 -
川を背に振り返ると、住宅地の中に地味目に立つ2階建ての建物がありました。看板も極めて地味。
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一部屋だけの小規模な施設で、職員さんも1名だけ。
快く迎え入れてくれました。
帯広平野は、住みやすい場所であったようで、縄文時代の遺跡がたくさん見つかっています。 -
草創期14,000年前の土器。
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縄文早期前半の土器。
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縄文早期後半の土器。
数千年もほぼ同じ形態です。 -
14000年前に煮炊きしていた土器が発見され、これは世界最古だそうです。
小さな施設でしたが、親切な職員さんに気持ちが温められ、施設を後にしました。
帰途は、また1時間半歩く気はしないので、教えてもらった近くのバス停からバスに乗り、ホテル近くまで帰りました。 -
翌日。お天気は昨日より晴れていますが、道は凍って、道路はアイスバーン状態。これは怖かった。
そろそろと5分くらいの緑ヶ丘公園を10分くらいかけて辿り着きました。 -
目の前に長く延びる公園1本道。
左側にはグリーンパークと400mベンチがあります。
ザ・北海道、という感じ。 -
広大な公園は見どころがたくさんあります。
入口近くには、文化財の帯広監獄石油庫があります。 -
監獄石油庫。帯広最古の建物。1900年建設。
帯広は開拓当初、あまり開拓が進まず人口も増えなかったのですが、監獄が明治26年設置されてから、監獄関係の人が増えはじめ、人口増となっていったそうです。 -
400mベンチ。
春になると多くの人がずらっとここに腰を下ろすのでしょうか。 -
池も氷が張って真っ白。
向かいに小さく見える建物が、本日お目当ての「帯広100年記念館」 -
帯広の歴史や地理を知るために来てみたかった博物館。
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帯広開拓の中心は、依田勉三という人を中心に結成された晩成社でした。
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晩成社三幹部。
右から依田勉三、渡辺勝、鈴木銃太郎。
勉三は、1883年入植し、次々と農業、酪農、牧畜、食肉加工、缶詰工場と事業を行うものの、ほとんど失敗し、1932年遺族が残った借金を手持ちの土地を手放すことで会社は解散しました。
しかし、依田勉三が手掛けた農業や酪農は現在十勝の主要産業となっています。帯広にとって晩成社・依田勉三は開拓先駆の恩人であり象徴的存在です。
帯広を代表する菓子メーカー、六花亭の「マルセイバターサンド」は晩成社が北海道ではじめて商品化したバターの名前を使い、パッケージも当時のデザインを復刻しています。 -
解説を読むと、開拓には妻の役割も大きかったことがわかります。
渡辺勝と妻カネの写真。
夫と共に牧場経営をするかたわら、近隣の子女の教育にも関わった。
当時、アメリカ人の探検家がたまたま渡辺牧場を訪れたとき、夫妻が英語を話すことに驚いたそうです。
今見ても知的で美しい方です。 -
アイヌに関するコーナーもあります。
ほぼ川にそっていくつもの部族が生活したことがわかります。 -
ムックリという弦楽器。唇に当てて音を出します。
かなり普遍的な楽器と思われます。
台湾原住民も同じ音を出す楽器を持っていました。 -
アイヌの人の風習について。
その子の性格を見てから名前をつけるとは、興味深いことです。 -
昨日見学した埋蔵文化財センターと同じく縄文・後期縄文・擦文時代の遺跡の展示もありました。
縄文遺跡が発掘された現地の写真を背景にしています。日高山脈の麓に9000年くらい前の竪穴住居がたくさんみつかりました。 -
公園の一部は原生林のまま残っています。
記念館を後にしてからしばらく公園内を歩きました。 -
帯広第4日目。11:30の高速バスで帰ります。
一度もJR帯広駅の北側に行っていなかったので、バスに乗る前に北側繁華街をしばらく散策。
地元新聞で知りましたが、市内の大型デパート藤丸が2023年1月に閉館するそうです。
駅から徒歩5分くらいの場所にあります。
本格的な大型デパートです。
創業122年。 -
1階入り口近くにお客様の寄せ書き板がありました。
ざっと各階を見ましたが、1階にブランド店やブランド化粧品店、2階から衣料、雑貨、宝飾品と通常のデパート構成パターンでした。
時代の流れでしょう。こうした従来型の百貨店は難しいのだろうと少し寂しく思いました。 -
斜め角の商店街に六花亭本店があるので近くまで行ってみました。
時間がないので中には入らなかったのですが、道から少し離れて駐車場の奥にひっそりと建っています。中も良く見えない。有名度とは少しちぐはぐな印象です。
ただ、市内で売店を数多く目にしました。
ちょっとしたスーパーやモールには必ずといっていいほど店舗を構えています。六花亭の生ケーキをはじめてみました。 -
六花亭の前に南北に通る銀座通り(名前とは少し違い、細い居酒屋通り)を駅に向かって歩きます。
よくガイドブックに載っている北の屋台の建物群がありました。午前なのでひっそりとしています。夜になると活気づくのだろうな。
屋台ではなくても、この通りは夕食とるのに便利なところでしょう。近くにホテルがたくさんあるし。
北海道ホテルからは遠い。
あわただしく北側を見学し、高速バスに乗り込みました。
あとは飛行機に乗って帰るだけ。
意外と近いと感じた帯広。美味しいものを食べるには良い場所です。
次回はグルメとサウナ挑戦だな。
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