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今回の瀬戸内の旅のメインは直島訪問で、前後に鞆の浦と瀬戸内クルーズの旅をプラスしていました。<br /><br />後の瀬戸内クルーズ旅とは、正確には広島発の観光列車&quot;etSETOra&quot;で三原まで行き、三原港から高速船&quot;SEA SPICA&quot;に乗り、うさぎの楽園・大久野島と江戸時代の町並み・御手洗に立ち寄り、広島港に戻る日帰り旅でした。<br /><br />直島では現代アートを愉しみ、最終日にはDay tripで海岸沿いを走る観光列車から、そして高速クルーザーから、瀬戸内の大小の島々が点在する&quot;多島美&quot;を見ることができ、瀬戸内を満喫する旅となりました。

娘とアートと歴史ある町並みを楽しむ瀬戸内の旅 ~観光列車etSETOra&瀬戸内クルーズ編 ~

69いいね!

2022/10/23 - 2022/10/23

828位(同エリア13011件中)

旅行記グループ 瀬戸内の旅 2022

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akiko

akikoさん

この旅行記のスケジュール

2022/10/23

  • 岡山駅(8:05発) ー 広島駅(8:45着)さくら545号

  • 広島駅(9:32発)ー 三原駅(12:17着)観光列車 エトセトラ

  • 三原港(13:30発)ー 大久野島(14:10着)SEA SPICA

  • 大久野島(14:40発)ー 大崎下島御手洗港(15:25着)

  • 大崎下島御手洗港(16:25発)ー 広島港(18:05着)

この旅行記スケジュールを元に

今回の瀬戸内の旅のメインは直島訪問で、前後に鞆の浦と瀬戸内クルーズの旅をプラスしていました。

後の瀬戸内クルーズ旅とは、正確には広島発の観光列車"etSETOra"で三原まで行き、三原港から高速船"SEA SPICA"に乗り、うさぎの楽園・大久野島と江戸時代の町並み・御手洗に立ち寄り、広島港に戻る日帰り旅でした。

直島では現代アートを愉しみ、最終日にはDay tripで海岸沿いを走る観光列車から、そして高速クルーザーから、瀬戸内の大小の島々が点在する"多島美"を見ることができ、瀬戸内を満喫する旅となりました。

旅行の満足度
5.0

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  • 旅の3日日は、直島で美術館エリアをめぐり、午後遅く直島をあとにし、宇野港から岡山駅までやってきました。宿泊はJR岡山駅直結の『ホテルグランヴィア岡山』。高層階からは岡山駅が眺められました。

    旅の3日日は、直島で美術館エリアをめぐり、午後遅く直島をあとにし、宇野港から岡山駅までやってきました。宿泊はJR岡山駅直結の『ホテルグランヴィア岡山』。高層階からは岡山駅が眺められました。

  • 翌朝、帰途につく娘と別れ、一人で広島駅までやってきました。

    翌朝、帰途につく娘と別れ、一人で広島駅までやってきました。

  • 広島駅2階 ペディストリアンデッキ前で、瀬戸内『etSETOra 島たびクルーズ』の参加者が集合。9時過ぎに15名ほどの人が集まり、広島駅から観光列車に乗車したのでした。

    広島駅2階 ペディストリアンデッキ前で、瀬戸内『etSETOra 島たびクルーズ』の参加者が集合。9時過ぎに15名ほどの人が集まり、広島駅から観光列車に乗車したのでした。

  • これがその日帰り旅のチラシです。広島駅発着で往路は観光列車で、復路は高速クルーザーで戻り、その途中にある大久野島と大崎下島(御手洗)に立ち寄る旅スケジュールでした。<br />

    これがその日帰り旅のチラシです。広島駅発着で往路は観光列車で、復路は高速クルーザーで戻り、その途中にある大久野島と大崎下島(御手洗)に立ち寄る旅スケジュールでした。

  • 地図ではこのようなルートでした。観光列車ではお弁当を食べながら海沿いの景色を楽しみ、「瀬戸の小箱」という和菓子もいただきました。<br />復路の立ち寄りスポットの大久野島では可愛いうさぎを見たり、ずっと行きたいと思っていた御手洗では江戸時代の町並みを地元ガイドが案内してくれるというのも大きな魅力的でした。

    地図ではこのようなルートでした。観光列車ではお弁当を食べながら海沿いの景色を楽しみ、「瀬戸の小箱」という和菓子もいただきました。
    復路の立ち寄りスポットの大久野島では可愛いうさぎを見たり、ずっと行きたいと思っていた御手洗では江戸時代の町並みを地元ガイドが案内してくれるというのも大きな魅力的でした。

  • 広島駅で乗車した、この青と白の車両の観光列車「etSETOra(エトセトラ)」は、瀬戸内の海の&quot;青&quot;、海岸線から見える波の&quot;白&quot;をイメージしているそうです。<br /><br /> 列車名の「エトセトラ」という言葉は、ラテン語で「その他いろいろ、...など」という意味があり、「えっと」は広島弁では「たくさんの」「多くの」という意味があるんだとか。&quot;エトセトラで行く旅は多くの瀬戸内の魅力を感じることができる&quot; と紹介されていました。

    広島駅で乗車した、この青と白の車両の観光列車「etSETOra(エトセトラ)」は、瀬戸内の海の"青"、海岸線から見える波の"白"をイメージしているそうです。

    列車名の「エトセトラ」という言葉は、ラテン語で「その他いろいろ、...など」という意味があり、「えっと」は広島弁では「たくさんの」「多くの」という意味があるんだとか。"エトセトラで行く旅は多くの瀬戸内の魅力を感じることができる" と紹介されていました。

  • 1号車は秋の宮島をイメージしたオレンジ色、2号車は瀬戸内の山の新緑をイメージしたグリーンのインテリアで、ボックス席・テーブル席・L字ボックス席で構成されていました。(写真はJRのWEBサイトからお借りしました)

    1号車は秋の宮島をイメージしたオレンジ色、2号車は瀬戸内の山の新緑をイメージしたグリーンのインテリアで、ボックス席・テーブル席・L字ボックス席で構成されていました。(写真はJRのWEBサイトからお借りしました)

  • ちょうどこのエトセトラは運行開始2周年だったようで、駅員さんのお見送りの姿も!「行ってきま~す」

    ちょうどこのエトセトラは運行開始2周年だったようで、駅員さんのお見送りの姿も!「行ってきま~す」

  • ロゴマークは、人・街・食・伝統・風習などの様々な思いが、ひとつのレールで繋がることを「etSETOra」の文字を繋げて表現しているのだとか。レモンサイダーとロゴマークコースターと一緒にパチリ!

    ロゴマークは、人・街・食・伝統・風習などの様々な思いが、ひとつのレールで繋がることを「etSETOra」の文字を繋げて表現しているのだとか。レモンサイダーとロゴマークコースターと一緒にパチリ!

  • 途中、呉駅を通り過ぎた時のこと、おじいちゃんとお母さんらしき方と男の子が国旗を手に手を振ってくれている姿がありました。観光列車を待ってくれていたのかわかりませんが、とても心が和むワンシーンでした...。

    途中、呉駅を通り過ぎた時のこと、おじいちゃんとお母さんらしき方と男の子が国旗を手に手を振ってくれている姿がありました。観光列車を待ってくれていたのかわかりませんが、とても心が和むワンシーンでした...。

  • さて、これが車内で配られたお弁当でした^ ^<br />海苔巻きおむすびとおかずが詰まったお弁当で、車窓の景色を眺めながらとても美味しくいただきましたd(*⌒▽⌒*)b

    さて、これが車内で配られたお弁当でした^ ^
    海苔巻きおむすびとおかずが詰まったお弁当で、車窓の景色を眺めながらとても美味しくいただきましたd(*⌒▽⌒*)b

  • 多島美の風景が見えてきました。山を抱いた島々が折り重なるように続く風景を&quot;山なみ&quot;ならぬ&quot;島なみ&quot;と呼ぶのだとか...。

    多島美の風景が見えてきました。山を抱いた島々が折り重なるように続く風景を"山なみ"ならぬ"島なみ"と呼ぶのだとか...。

  • お天気が良く、海面がキラキラ輝いていました.:*☆*:.

    イチオシ

    お天気が良く、海面がキラキラ輝いていました.:*☆*:.

  • 古くから港町として知られ&quot;安芸の小京都&quot;と呼ばれる「竹原駅」を通過。駅名表示板に&quot;かぐや姫&quot;のイラストが!

    古くから港町として知られ"安芸の小京都"と呼ばれる「竹原駅」を通過。駅名表示板に"かぐや姫"のイラストが!

  • この観光列車が通る呉線(さざなみ線)は、ずっと海岸線を通るわけではありませんでしたが、この辺りからは瀬戸内海の景色を楽しめ、車窓に釘付けで、写真も数多く撮影したのでした。

    この観光列車が通る呉線(さざなみ線)は、ずっと海岸線を通るわけではありませんでしたが、この辺りからは瀬戸内海の景色を楽しめ、車窓に釘付けで、写真も数多く撮影したのでした。

  • ポツンと浮かぶ小さな島が見えてきました。この島は三原市幸崎町の沖合にある有竜島で、地図で見ると、後方にある島々はしまなみ海道で知られる生口島・大三島のようでした。

    ポツンと浮かぶ小さな島が見えてきました。この島は三原市幸崎町の沖合にある有竜島で、地図で見ると、後方にある島々はしまなみ海道で知られる生口島・大三島のようでした。

  • これは「すなみ海浜公園」。海水浴場のようでした。

    これは「すなみ海浜公園」。海水浴場のようでした。

  • アテンダントの方が「記念写真はどうですか」と回ってきてくれたので、逆に写真を撮らせていただきました^ ^

    アテンダントの方が「記念写真はどうですか」と回ってきてくれたので、逆に写真を撮らせていただきました^ ^

  • これは車内サービスでいただいた、呉を代表する御菓子処の蜜屋の『旬月神楽の和菓子』。他にケーキの洋菓子の小箱も選択できました。

    これは車内サービスでいただいた、呉を代表する御菓子処の蜜屋の『旬月神楽の和菓子』。他にケーキの洋菓子の小箱も選択できました。

  • エトセトラは尾道まで運行されますが、ツアー参加者は途中の「三原駅」で下車。<br />三原駅には、踊りを踊っている像がありました。これは三原&quot;やっさ祭り&quot;という伝統の踊りで、毎年8月に祭りが行われるそうです。

    エトセトラは尾道まで運行されますが、ツアー参加者は途中の「三原駅」で下車。
    三原駅には、踊りを踊っている像がありました。これは三原"やっさ祭り"という伝統の踊りで、毎年8月に祭りが行われるそうです。

  • 三原駅で列車を降り、少し歩いて三原港までやってきました。ここから折り返しで、今度は船で広島に戻る瀬戸内しまたびラインクルーズの番でした。

    三原駅で列車を降り、少し歩いて三原港までやってきました。ここから折り返しで、今度は船で広島に戻る瀬戸内しまたびラインクルーズの番でした。

  • 桟橋を行くと、観光型高速クルーザー『SEA SPICA(シースピカ)』が停まっていて、それに乗り込みました。

    桟橋を行くと、観光型高速クルーザー『SEA SPICA(シースピカ)』が停まっていて、それに乗り込みました。

  • 観光型高速クルーザー SEA SPICAの船内1階はラウンジのような雰囲気で窓からの景色が楽しめるようになっていました。2階には屋外デッキ「スピカテラス」があり、瀬戸内海の島々をイメージしたユニークなソファが配置されていてオシャレな空間になっていました。

    観光型高速クルーザー SEA SPICAの船内1階はラウンジのような雰囲気で窓からの景色が楽しめるようになっていました。2階には屋外デッキ「スピカテラス」があり、瀬戸内海の島々をイメージしたユニークなソファが配置されていてオシャレな空間になっていました。

  • SPICA(スピカ)とは、豊穣の女神を象徴する乙女座の一等星で、日本名は&quot;真珠星&quot;。この船が瀬戸内の海で青白く美しい輝きを放ちながら、ゲストを自由で開放的な旅に誘いたいという思いを込めて命名されたのだとか。

    SPICA(スピカ)とは、豊穣の女神を象徴する乙女座の一等星で、日本名は"真珠星"。この船が瀬戸内の海で青白く美しい輝きを放ちながら、ゲストを自由で開放的な旅に誘いたいという思いを込めて命名されたのだとか。

  • 船尾には、このようなデッキチェアが並び、景色を楽しめるようになっていました。

    船尾には、このようなデッキチェアが並び、景色を楽しめるようになっていました。

  • まもなく三原港を出発!

    まもなく三原港を出発!

  • あっという間に三原港がはるか彼方に!

    あっという間に三原港がはるか彼方に!

  • たぶんこれは佐木島あたりで、フェリーが桟橋に向かって進んでいました。

    たぶんこれは佐木島あたりで、フェリーが桟橋に向かって進んでいました。

  • 佐木島にポツンと洋館が建っていました。

    佐木島にポツンと洋館が建っていました。

  • 船のアナウンスでもうすぐ生口島の瀬戸田港に着くとのことでした。

    船のアナウンスでもうすぐ生口島の瀬戸田港に着くとのことでした。

  • 写真上の黄色い橋は生口島の高根島にかかる橋で<br />写真下の斜張橋は多々羅大橋。生口島と大三島を繋ぐ道路橋なんだとか。<br />島をつなぐ橋にも特徴があって、見るのが楽しかったです。 <br />

    写真上の黄色い橋は生口島の高根島にかかる橋で
    写真下の斜張橋は多々羅大橋。生口島と大三島を繋ぐ道路橋なんだとか。
    島をつなぐ橋にも特徴があって、見るのが楽しかったです。 

  • この三原港→広島港の&quot;しまたびクルーズ&quot;では、2つの島に立ち寄ることになっていました。見えてきたのは瀬戸内に浮かぶ「うさぎの島」として有名な大久野島でした。

    この三原港→広島港の"しまたびクルーズ"では、2つの島に立ち寄ることになっていました。見えてきたのは瀬戸内に浮かぶ「うさぎの島」として有名な大久野島でした。

  • この島では多くののうさぎが生息していて、各所で触れ合うことができるのだそうです。

    この島では多くののうさぎが生息していて、各所で触れ合うことができるのだそうです。

  • 島に上陸すると、案内板がありました。この島は周囲約3.3kmの小さな島で、国民休暇村やキャンプ場があるだけでなく、戦争遺跡やなんとかつては毒ガス製造工場もあったらしく、その資料館もあるとのことでした。<br />うさぎがいるのどかな島だとばかり思っていましたが、かつては悲しい歴史があったんだそうです。

    島に上陸すると、案内板がありました。この島は周囲約3.3kmの小さな島で、国民休暇村やキャンプ場があるだけでなく、戦争遺跡やなんとかつては毒ガス製造工場もあったらしく、その資料館もあるとのことでした。
    うさぎがいるのどかな島だとばかり思っていましたが、かつては悲しい歴史があったんだそうです。

  • 第一桟橋周辺は、ウッドデッキが海沿いに設置され、美しい海の景色を眺められるようになっていました。

    第一桟橋周辺は、ウッドデッキが海沿いに設置され、美しい海の景色を眺められるようになっていました。

  • 反対側の様子

    反対側の様子

  • 海岸線沿いに、大小様々なサイズのうさぎ耳のオブジェが建っていました。これは集音器で、頭を入れると集音器に集まった音を聴くことができるようになっていました。記念写真を撮っているグループがいたので、写真を一緒に撮らせてもらいました。

    海岸線沿いに、大小様々なサイズのうさぎ耳のオブジェが建っていました。これは集音器で、頭を入れると集音器に集まった音を聴くことができるようになっていました。記念写真を撮っているグループがいたので、写真を一緒に撮らせてもらいました。

  • うさぎはどこにいるのかと、子どもがいるところに行ってみると、茶色のうさぎがいました!可愛い~~(=^▽^=)<br /><br />1971年、島外の小学校で飼育されていた8羽のうさぎが大久野島に放され、野生化したうさぎ達は700羽にまで増え、いつの間にか&quot;うさぎ島&quot;と呼ばれるようになったんだそうです。

    うさぎはどこにいるのかと、子どもがいるところに行ってみると、茶色のうさぎがいました!可愛い~~(=^▽^=)

    1971年、島外の小学校で飼育されていた8羽のうさぎが大久野島に放され、野生化したうさぎ達は700羽にまで増え、いつの間にか"うさぎ島"と呼ばれるようになったんだそうです。

  • こんなグレーっぽいうさちゃんも!目がクリッとしていてまるでぬいぐるみのよう。子どもからエサをもらっていて、とても人馴れしているようでした。

    こんなグレーっぽいうさちゃんも!目がクリッとしていてまるでぬいぐるみのよう。子どもからエサをもらっていて、とても人馴れしているようでした。

  • この姿、たまりません~~

    この姿、たまりません~~

  • このうさぎは、どこかピーターラビットに似ている気がしました^ ^ <br /><br />実は、大久野島のうさぎはコロナ禍で観光客が来なくなって、数がかなり減ってしまったそうです。うさぎを保護するためにも、うさぎに触れ合うルールが紹介されていたので、少しだけ。<br /><br />■うさぎは弱い動物です。ストレスがたまりやすく骨を折ったりケガをしやすいため、追いかけまわしたり抱っこしたりしてはいけません。<br />■うさぎは歯がするどく目があまり良くありません。口もとでエサを与えると噛まれてケガをすることもあります。<br />■うさぎは限られたものしか食べることができません。人間と違って色々な食べものを口にすると体の調子をくずしてしまいます。<br />※特に人間のお菓子などはやってはいけないそうです。

    このうさぎは、どこかピーターラビットに似ている気がしました^ ^

    実は、大久野島のうさぎはコロナ禍で観光客が来なくなって、数がかなり減ってしまったそうです。うさぎを保護するためにも、うさぎに触れ合うルールが紹介されていたので、少しだけ。

    ■うさぎは弱い動物です。ストレスがたまりやすく骨を折ったりケガをしやすいため、追いかけまわしたり抱っこしたりしてはいけません。
    ■うさぎは歯がするどく目があまり良くありません。口もとでエサを与えると噛まれてケガをすることもあります。
    ■うさぎは限られたものしか食べることができません。人間と違って色々な食べものを口にすると体の調子をくずしてしまいます。
    ※特に人間のお菓子などはやってはいけないそうです。

  • 慰霊碑があって、その横に千羽鶴が掛けられていました。<br /><br />昔、この島には毒ガス工場が存在し、秘密裏に毒ガスが製造されていて、その毒ガス製造に携わる方々がたくさんいたのだそうです。当時は、工場での事故も多かったようで、後遺症に苦しみ亡くなられた方々のためにこの慰霊碑が建立されたんだとか。<br />- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -<br />石碑には次のようなことが書かれていました。<br /><br />「化学兵器は無差別かつ広範囲に人間を殺りくすることでは核兵器・生物兵器と同じであるから、ただちに廃絶されなければならない。<br />ここ大久野島にはかって、東京第二陸軍造兵廠忠海製造所があり、国際条約で禁止された毒ガスを密かに製造していた。事情を知らされることなく働いた工員・徴用工・学徒・勤労奉仕ほかの人々は、働いているときはもとより、仕事をやめた後も呼吸器などの毒ガス障害に悩まされ、癌の恐怖におびえた毎日を送っている。死没者はすでに千名を超えたが、その多くは毒ガス障害の解明のため身をささげ、国からの救済の道を開くべく、その礎となった人々である。<br />ここに毒ガス障害による死没者の冥福を祈って慰霊碑を建立し、再びこのような不幸なことを繰り返さないよう広く世界に警告する。竹原市長」<br /><br />初めて知った事実でした。今ではうさぎの島として有名な大久野島ですが、こんな小さな島に秘密のそのような施設があって、そして事情を知らされることなく働いていた人々がいたとは衝撃の事実でした。戦争について知らないことが多くあることを、こんな平和な島でも知らされたのでした...。

    慰霊碑があって、その横に千羽鶴が掛けられていました。

    昔、この島には毒ガス工場が存在し、秘密裏に毒ガスが製造されていて、その毒ガス製造に携わる方々がたくさんいたのだそうです。当時は、工場での事故も多かったようで、後遺症に苦しみ亡くなられた方々のためにこの慰霊碑が建立されたんだとか。
    - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
    石碑には次のようなことが書かれていました。

    「化学兵器は無差別かつ広範囲に人間を殺りくすることでは核兵器・生物兵器と同じであるから、ただちに廃絶されなければならない。
    ここ大久野島にはかって、東京第二陸軍造兵廠忠海製造所があり、国際条約で禁止された毒ガスを密かに製造していた。事情を知らされることなく働いた工員・徴用工・学徒・勤労奉仕ほかの人々は、働いているときはもとより、仕事をやめた後も呼吸器などの毒ガス障害に悩まされ、癌の恐怖におびえた毎日を送っている。死没者はすでに千名を超えたが、その多くは毒ガス障害の解明のため身をささげ、国からの救済の道を開くべく、その礎となった人々である。
    ここに毒ガス障害による死没者の冥福を祈って慰霊碑を建立し、再びこのような不幸なことを繰り返さないよう広く世界に警告する。竹原市長」

    初めて知った事実でした。今ではうさぎの島として有名な大久野島ですが、こんな小さな島に秘密のそのような施設があって、そして事情を知らされることなく働いていた人々がいたとは衝撃の事実でした。戦争について知らないことが多くあることを、こんな平和な島でも知らされたのでした...。

  • その慰霊碑のそばで、十月桜が咲いていました。

    その慰霊碑のそばで、十月桜が咲いていました。

  • これは大久野島神社。

    これは大久野島神社。

  • この赤レンガの建物は「毒ガス資料館」でした。 館内では、旧日本軍の毒ガス製造に関する資料が展示されているのだとか。 <br />

    この赤レンガの建物は「毒ガス資料館」でした。 館内では、旧日本軍の毒ガス製造に関する資料が展示されているのだとか。

  • そばに陶磁器製の配管などが展示されてました。 毒ガスは、化学薬品を反応させて複雑な科学操作を経て製造され、製造設備の主要な部分には薬品に反応せず熱に強い陶磁器が用いられていたのだとか。<br />これらはごく一部だそうですが、悲惨な歴史を後世に伝えるため展示されているのだそうです

    そばに陶磁器製の配管などが展示されてました。 毒ガスは、化学薬品を反応させて複雑な科学操作を経て製造され、製造設備の主要な部分には薬品に反応せず熱に強い陶磁器が用いられていたのだとか。
    これらはごく一部だそうですが、悲惨な歴史を後世に伝えるため展示されているのだそうです

  • 大久野島では30分ほどの滞在時間でした。<br />またクルーザーに乗って瀬戸内海を進んで行きました。

    大久野島では30分ほどの滞在時間でした。
    またクルーザーに乗って瀬戸内海を進んで行きました。

  • 船内には、今どこを進んでいるかリアルタイムに表示するスクリーンがありました。<br />この時点は、大久野島から西に進み、大崎上島の近くを通っているところでした。次に向かうのは大崎下島にある「御手洗」でした。

    船内には、今どこを進んでいるかリアルタイムに表示するスクリーンがありました。
    この時点は、大久野島から西に進み、大崎上島の近くを通っているところでした。次に向かうのは大崎下島にある「御手洗」でした。

  • 瀬戸内海には700以上もの島々があり、アジアのエーゲ海とも呼ばれているそうです。島なみと海そして空のコントラストが美しくて何枚も写真を撮りました。

    瀬戸内海には700以上もの島々があり、アジアのエーゲ海とも呼ばれているそうです。島なみと海そして空のコントラストが美しくて何枚も写真を撮りました。

  • 橋が見えてきました!中ノ島と岡村島を結ぶ「岡村大橋」でした。

    橋が見えてきました!中ノ島と岡村島を結ぶ「岡村大橋」でした。

  • 大橋を下からパチリ!

    大橋を下からパチリ!

  • 橋の下を通って進むと、御手洗の赤い桟橋が見えてきたのでした。

    橋の下を通って進むと、御手洗の赤い桟橋が見えてきたのでした。

  • 桟橋の左右にこのような景色が!

    桟橋の左右にこのような景色が!

  • 御手洗は、広島県呉市の安芸灘(あきなだ)に浮かぶ大崎下島の小さな港町で、江戸時代、瀬戸内海をゆく幕府の交易船や西廻り航路の北前船の寄港地として栄えたところなんだそうです。

    御手洗は、広島県呉市の安芸灘(あきなだ)に浮かぶ大崎下島の小さな港町で、江戸時代、瀬戸内海をゆく幕府の交易船や西廻り航路の北前船の寄港地として栄えたところなんだそうです。

  • 江戸時代中期より海運が盛んになるにつれ発展。突堤や千砂子波止(ちさごはと)という波止場も整備され、船宿や水夫のための待合茶屋なども出来て、大いに繁栄したんだとか。

    江戸時代中期より海運が盛んになるにつれ発展。突堤や千砂子波止(ちさごはと)という波止場も整備され、船宿や水夫のための待合茶屋なども出来て、大いに繁栄したんだとか。

  • 桟橋を出て町中に入ると、もうここは御手洗の伝統的建造物群保存地区でした。

    桟橋を出て町中に入ると、もうここは御手洗の伝統的建造物群保存地区でした。

  • この通りは、江戸時代の面影を色濃く残す「常盤町通り」。昔ながらの町家が軒を連ねタイムスリップしたような雰囲気が漂っています。この風景が私が思い描いていた&quot;THE 御手洗&quot;でした!

    イチオシ

    この通りは、江戸時代の面影を色濃く残す「常盤町通り」。昔ながらの町家が軒を連ねタイムスリップしたような雰囲気が漂っています。この風景が私が思い描いていた"THE 御手洗"でした!

  • 反対側から常磐町通りを見たところです。正面左の『旧柴屋住宅(御手洗町並み保存センター)』は、江戸時代に建てられた古民家で...

    反対側から常磐町通りを見たところです。正面左の『旧柴屋住宅(御手洗町並み保存センター)』は、江戸時代に建てられた古民家で...

  • 御手洗町年寄役を代々勤めた高橋家(屋号柴屋)の別宅。1806年に伊能忠敬が地図の測量で大崎下島に来訪した際に宿舎として利用した建物だそうです。<br />玄関脇に、小すだれに一輪挿しの花飾りと俳句の色紙掛けが飾ってありました。

    御手洗町年寄役を代々勤めた高橋家(屋号柴屋)の別宅。1806年に伊能忠敬が地図の測量で大崎下島に来訪した際に宿舎として利用した建物だそうです。
    玄関脇に、小すだれに一輪挿しの花飾りと俳句の色紙掛けが飾ってありました。

  • この花飾りは、私が以前JR西日本の「おとなび」のCMで、伊藤蘭さんが古い街並みの御手洗を散策する途中で登場していて、それにとても心魅かれ... <br />この素敵な昔の町並みが残る『御手洗』を訪れてみたいとずっと思っていたのでした。<br />そのCM:https://youtu.be/QALoeIEQsac

    この花飾りは、私が以前JR西日本の「おとなび」のCMで、伊藤蘭さんが古い街並みの御手洗を散策する途中で登場していて、それにとても心魅かれ...
    この素敵な昔の町並みが残る『御手洗』を訪れてみたいとずっと思っていたのでした。
    そのCM:https://youtu.be/QALoeIEQsac

  • これらは、&quot;この美しい御手洗の風景を守ろう&quot;、&quot;増えゆく空き家に彩りを&quot;と島の女性たちが始めた小すだれに花の一輪挿しで玄関を飾る取り組みなんだそうです。町内の40数か所に花と俳句、絵手紙が飾られているということでした。

    これらは、"この美しい御手洗の風景を守ろう"、"増えゆく空き家に彩りを"と島の女性たちが始めた小すだれに花の一輪挿しで玄関を飾る取り組みなんだそうです。町内の40数か所に花と俳句、絵手紙が飾られているということでした。

  • 旧柴屋住宅の中に入りました。内部にいろんな地図やパネル資料が展示されていて、指し棒を持った方が地元を案内してくれるガイドさんでした。

    旧柴屋住宅の中に入りました。内部にいろんな地図やパネル資料が展示されていて、指し棒を持った方が地元を案内してくれるガイドさんでした。

  • これは御手洗がある大崎下島が中央に表示されている地図で、今でいう「とびしま海道」の地図。<br /><br />多くの島が描かれ、島と島が橋で繋がっています。これらが広島県の沖に点在する「とびしま海道」で、島々が庭園を渡る飛び石をイメージして名付けられた名称なんだそうです。

    これは御手洗がある大崎下島が中央に表示されている地図で、今でいう「とびしま海道」の地図。

    多くの島が描かれ、島と島が橋で繋がっています。これらが広島県の沖に点在する「とびしま海道」で、島々が庭園を渡る飛び石をイメージして名付けられた名称なんだそうです。

  • 中庭の奥に蔵があって、そこが「伊能忠敬測量絵図館」になっていました。<br />1806年2月30日~3月2日にかけて,伊能忠敬が柴屋種次宅に宿泊し,大崎下島の海岸線の測量を行ったそうです。<br />この絵図館には様々な絵図だけでなく、測量に使用した器具や参考本などが所狭しと並べられていました。<br />

    中庭の奥に蔵があって、そこが「伊能忠敬測量絵図館」になっていました。
    1806年2月30日~3月2日にかけて,伊能忠敬が柴屋種次宅に宿泊し,大崎下島の海岸線の測量を行ったそうです。
    この絵図館には様々な絵図だけでなく、測量に使用した器具や参考本などが所狭しと並べられていました。

  • 伊能忠敬は隠居後50歳を過ぎてから江戸にて、幕府天文方「高橋至時」の門に入り、西洋天文学、西洋数学、天文観測学、暦学などを学んだそうです。<br />この時の師匠である高橋至時は忠敬より19歳年下でした。その後幕府の命令で55歳から71歳まで、17年間全国各地を測量し、国家的大事業である大日本海輿地全図を完成。 1805年2月から翌年11月までの640日間、紀伊半島、瀬戸内海の島島、中国地方沿岸、若狭、琵琶湖周辺を中心に測量したとのことです。

    伊能忠敬は隠居後50歳を過ぎてから江戸にて、幕府天文方「高橋至時」の門に入り、西洋天文学、西洋数学、天文観測学、暦学などを学んだそうです。
    この時の師匠である高橋至時は忠敬より19歳年下でした。その後幕府の命令で55歳から71歳まで、17年間全国各地を測量し、国家的大事業である大日本海輿地全図を完成。 1805年2月から翌年11月までの640日間、紀伊半島、瀬戸内海の島島、中国地方沿岸、若狭、琵琶湖周辺を中心に測量したとのことです。

  • 御手洗の天満宮にやってきました。平安時代、菅原道真が太宰府に流される途中にこの地で手を洗ったため &quot;御手洗&quot;と名付けられたらしく、これがこの集落の名前になったとか。

    御手洗の天満宮にやってきました。平安時代、菅原道真が太宰府に流される途中にこの地で手を洗ったため "御手洗"と名付けられたらしく、これがこの集落の名前になったとか。

  • 菅原道真公の歌 「我たのむ 人をむなしくなすならば 天が下にて名をやなかさん」が刻まれた自然石の大きな歌碑。

    菅原道真公の歌 「我たのむ 人をむなしくなすならば 天が下にて名をやなかさん」が刻まれた自然石の大きな歌碑。

  • 本堂(写真上)と井戸(写真下)<br />井戸は、道真公が九州大宰府に流される途中、この地に船を着けて、持っていた笏で地面を掘ったところ、こんこんと清水が湧き出たそうで、その水で手を洗い、口をすすいだという伝説が残っているそうで、「菅公の井戸」として今でも信仰されているんだとか。

    本堂(写真上)と井戸(写真下)
    井戸は、道真公が九州大宰府に流される途中、この地に船を着けて、持っていた笏で地面を掘ったところ、こんこんと清水が湧き出たそうで、その水で手を洗い、口をすすいだという伝説が残っているそうで、「菅公の井戸」として今でも信仰されているんだとか。

  • この通路は本殿の真下に設けられた通路でした。この通路は『可能門』と呼ばれていて、願いをこめてこの門をくぐると、その願い事が叶うのだそうです。<br />一人一人くぐることになり、くぐる時に一つに願い事をして、立ち止まることなく通り抜けたのでした。

    この通路は本殿の真下に設けられた通路でした。この通路は『可能門』と呼ばれていて、願いをこめてこの門をくぐると、その願い事が叶うのだそうです。
    一人一人くぐることになり、くぐる時に一つに願い事をして、立ち止まることなく通り抜けたのでした。

  • 可能門をくぐった先に小さなお地蔵様がいました^ ^

    可能門をくぐった先に小さなお地蔵様がいました^ ^

  • 天満神社から続く相生通りには、かつての花街の隆盛を物語る若胡子屋跡(わかえびすやあと)の建物が今なお残されていました。<br /><br />若胡子屋跡(わかえびすやあと)<br />かつての待合茶屋の跡。最盛期には100人以上の芸妓がいたお茶屋(遊郭)だったそうで、港に滞在する船の商人や水夫でにぎわったとか。その後公民館として利用され、現在は過去の資料を展示しているそうです。

    天満神社から続く相生通りには、かつての花街の隆盛を物語る若胡子屋跡(わかえびすやあと)の建物が今なお残されていました。

    若胡子屋跡(わかえびすやあと)
    かつての待合茶屋の跡。最盛期には100人以上の芸妓がいたお茶屋(遊郭)だったそうで、港に滞在する船の商人や水夫でにぎわったとか。その後公民館として利用され、現在は過去の資料を展示しているそうです。

  • このブルーの洒落た洋館は床屋さんのようです。聞くところによると、ここはサントリーのオランジーナCM「先生登場」編にロケ地として登場していていたんだそうです。

    このブルーの洒落た洋館は床屋さんのようです。聞くところによると、ここはサントリーのオランジーナCM「先生登場」編にロケ地として登場していていたんだそうです。

  • この通り一帯は重要伝統的建造物保存地区に指定されているんだとか。赤いポストがあるのは「御手洗郵便局」で...

    この通り一帯は重要伝統的建造物保存地区に指定されているんだとか。赤いポストがあるのは「御手洗郵便局」で...

  • ちょうど目の前のブルーの洋館のイラストが窓ガラスに貼ってありました。赤いポストもイラストに描かれています。

    ちょうど目の前のブルーの洋館のイラストが窓ガラスに貼ってありました。赤いポストもイラストに描かれています。

  • 御手洗を代表する景観が描かれたポスターも近くに貼られていました。どの風景もとても素敵で、じっと眺め入ったのでした。はっきりわかりませんが、もしかしたらこれは切手シートなのかもしれません。

    御手洗を代表する景観が描かれたポスターも近くに貼られていました。どの風景もとても素敵で、じっと眺め入ったのでした。はっきりわかりませんが、もしかしたらこれは切手シートなのかもしれません。

  • 大正時代に建てられた『越智医院』。外壁のサイディングが劣化して剥がれているのもレトロ感が出て良い感じ♪ 現在、GUESTHOUSE醫(KUSUSHI)というお宿になっているそうです。<br />

    大正時代に建てられた『越智医院』。外壁のサイディングが劣化して剥がれているのもレトロ感が出て良い感じ♪ 現在、GUESTHOUSE醫(KUSUSHI)というお宿になっているそうです。

  • 薩摩の武士が集った薩摩藩船宿跡。幕末には薩長両藩との軍事貿易の拠点となり、坂本龍馬はじめ、吉田松陰、大久保利通なども滞在した記録が残っているのだとか。今は脇屋という看板が掲げられ、中ではエステとタロット占いをしているようでした。

    薩摩の武士が集った薩摩藩船宿跡。幕末には薩長両藩との軍事貿易の拠点となり、坂本龍馬はじめ、吉田松陰、大久保利通なども滞在した記録が残っているのだとか。今は脇屋という看板が掲げられ、中ではエステとタロット占いをしているようでした。

  • 民家の壁に小すだれに絵手紙が飾ってあるものもありました。描かれていたのは、ちょうど季節の&quot;秋の七草&quot;でした。

    民家の壁に小すだれに絵手紙が飾ってあるものもありました。描かれていたのは、ちょうど季節の"秋の七草"でした。

  • 赤い懐中時計を模した看板が目を引くこの家は「新光時計店」。<br />江戸時代、御手洗に船が多く集まるようになってから米や醤油などの食料品・薬・雑貨などにを販売するお店を開業。その後時計の取り扱いも始めたとか。その頃の時計は非常に高価で、日本製はなく主に海外製を販売していたそうです。<br /><br />小さな島の時計店ですが、現在に至るまで時計店が営まれ、修理の腕は確かなため、全国から時計の修理依頼が寄せられているそうです。

    赤い懐中時計を模した看板が目を引くこの家は「新光時計店」。
    江戸時代、御手洗に船が多く集まるようになってから米や醤油などの食料品・薬・雑貨などにを販売するお店を開業。その後時計の取り扱いも始めたとか。その頃の時計は非常に高価で、日本製はなく主に海外製を販売していたそうです。

    小さな島の時計店ですが、現在に至るまで時計店が営まれ、修理の腕は確かなため、全国から時計の修理依頼が寄せられているそうです。

  • 懐かしい看板がたくさん掛かったお店がありました。ここは『駄菓子屋 玩具ミュージアム 御手洗昭和館』。<br /><br />入場料は要るようですが、江戸時代末期の建物を改修した施設内に一歩足を踏み入れれば、そこはもう昭和の世界で、店主が集めたレトロなコレクション約500点が展示されているそうです。

    懐かしい看板がたくさん掛かったお店がありました。ここは『駄菓子屋 玩具ミュージアム 御手洗昭和館』。

    入場料は要るようですが、江戸時代末期の建物を改修した施設内に一歩足を踏み入れれば、そこはもう昭和の世界で、店主が集めたレトロなコレクション約500点が展示されているそうです。

  • 「江戸みなとまち展示館・乙女座」<br />ここは昭和12年、当時の御手洗町長が町民の文化向上に貢献するために私財を投じて建てた劇場。当時の建築の粋を集めたモダン劇場として、映画・芝居・大道芸の興業などに利用されてきたそうです。

    「江戸みなとまち展示館・乙女座」
    ここは昭和12年、当時の御手洗町長が町民の文化向上に貢献するために私財を投じて建てた劇場。当時の建築の粋を集めたモダン劇場として、映画・芝居・大道芸の興業などに利用されてきたそうです。

  • ここは「満舟寺」。平清盛が上洛の途中にこの付近で嵐に遭い、神仏に祈りを捧げたところ晴天になったため、草庵をたて行基作の十一面観音を安置したのが始まりなんだそうです。<br /><br />豊臣秀吉が四国攻めの際に、加藤清正に命じて築いたとされる野石積みの「乱れ築き」の巨大な石垣が有名なんだとか。<br />

    ここは「満舟寺」。平清盛が上洛の途中にこの付近で嵐に遭い、神仏に祈りを捧げたところ晴天になったため、草庵をたて行基作の十一面観音を安置したのが始まりなんだそうです。

    豊臣秀吉が四国攻めの際に、加藤清正に命じて築いたとされる野石積みの「乱れ築き」の巨大な石垣が有名なんだとか。

  • これが野石積みの「乱れ築き」の巨大な石垣でした。

    これが野石積みの「乱れ築き」の巨大な石垣でした。

  • ここは「大東寺」というお寺でした。<br />

    ここは「大東寺」というお寺でした。

  • その前に『みたらい散策絵図』という案内板が立っていました。その案内図に巡ってきた場所に印をつけてみました。

    その前に『みたらい散策絵図』という案内板が立っていました。その案内図に巡ってきた場所に印をつけてみました。

  • 迷路のような路地裏歩きをしたあと、海が見えるところまで来ました。

    迷路のような路地裏歩きをしたあと、海が見えるところまで来ました。

  • この海沿いの道は江戸時代の町並みが残る「築地通り」。<br />写真手前から2軒目の建物が...

    この海沿いの道は江戸時代の町並みが残る「築地通り」。
    写真手前から2軒目の建物が...

  • 一日一組限定貸し切りの宿「閑月庵 新豊」でした。<br />築約150年の建物を生かした宿「閑月庵 新豊」は、村上春樹の短編小説を映画化した「ドライブ・マイ・カー」(カンヌ国際映画祭・脚本賞授賞)の監督濱口竜介さんが「ぜひ、ここで撮影したい」とほれ込んだロケ地なんだそう。「ドライブ・マイ・カー」は広島を舞台としたロードムービーで、広島らしい瀬戸内の情景やなじみのある風景が映されていて、ちょうど2階の窓が開いているのが見えますが、映画の中でも2階から主人公が海を見るシーンが登場するだそう。

    一日一組限定貸し切りの宿「閑月庵 新豊」でした。
    築約150年の建物を生かした宿「閑月庵 新豊」は、村上春樹の短編小説を映画化した「ドライブ・マイ・カー」(カンヌ国際映画祭・脚本賞授賞)の監督濱口竜介さんが「ぜひ、ここで撮影したい」とほれ込んだロケ地なんだそう。「ドライブ・マイ・カー」は広島を舞台としたロードムービーで、広島らしい瀬戸内の情景やなじみのある風景が映されていて、ちょうど2階の窓が開いているのが見えますが、映画の中でも2階から主人公が海を見るシーンが登場するだそう。

  • その「新豊」の前の県道もシーンに出てくるそうで、町の掲示板にこのポスターが貼ってありました。

    その「新豊」の前の県道もシーンに出てくるそうで、町の掲示板にこのポスターが貼ってありました。

  • 海に目をやると、3つの吊橋が見えていて...<br />ガイドさんによると、大島と今治の間4.1kmを3つの吊橋で繋いでいる「来島海峡大橋」なんだそうです。

    海に目をやると、3つの吊橋が見えていて...
    ガイドさんによると、大島と今治の間4.1kmを3つの吊橋で繋いでいる「来島海峡大橋」なんだそうです。

  • この建物も一組限定の宿「とみつね」で、カフェもやっているようでした。

    この建物も一組限定の宿「とみつね」で、カフェもやっているようでした。

  • この辺りから右の海の方を見ると、突堤のところに高灯籠が立っていました。ちょうど鞆の浦の常夜燈のようでした。

    この辺りから右の海の方を見ると、突堤のところに高灯籠が立っていました。ちょうど鞆の浦の常夜燈のようでした。

  • ここは御手洗で最も古い社の「恵美須神社」。<br />江戸時代の記録によれば、「千砂子」という磯に夜な夜な光るものがあり、漁師が引き上げると蛭子神像であったため、それを祀ったのが創建の由来とされているそうです。<br />御手洗町が開かれた頃 (1666年) に祠として祀られ... 御手洗に立ち寄る船乗りたちは、ここで航海の安全と順風を祈願。また、御手洗の繁栄を願い、境内では毎年春・秋に芝居が興行され、大坂など各地から一座が巡業にやってきたのだそうです。<br /><br />近くに海に面して鳥居があり、「縁結び鳥居」とされているのだとか。

    ここは御手洗で最も古い社の「恵美須神社」。
    江戸時代の記録によれば、「千砂子」という磯に夜な夜な光るものがあり、漁師が引き上げると蛭子神像であったため、それを祀ったのが創建の由来とされているそうです。
    御手洗町が開かれた頃 (1666年) に祠として祀られ... 御手洗に立ち寄る船乗りたちは、ここで航海の安全と順風を祈願。また、御手洗の繁栄を願い、境内では毎年春・秋に芝居が興行され、大坂など各地から一座が巡業にやってきたのだそうです。

    近くに海に面して鳥居があり、「縁結び鳥居」とされているのだとか。

  • 鳥居のあたりから、青い海・青い空、そして青い「SEA SPICA」の船体が見えていたのでした。

    鳥居のあたりから、青い海・青い空、そして青い「SEA SPICA」の船体が見えていたのでした。

  • そしてその脇に、海辺で輝く日本遺産、北前船寄港地・船主集落の石碑が!<br />ネット上に、「見たらいい町、御手洗」というキャッチコピーを見かけましたが、わずか1時間弱の町歩きで江戸時代の街並みをたっぷり楽しむことができました。<br />地元ガイドの方に大変お世話になりました。ご案内どうもありがとうございましたm(__)m

    そしてその脇に、海辺で輝く日本遺産、北前船寄港地・船主集落の石碑が!
    ネット上に、「見たらいい町、御手洗」というキャッチコピーを見かけましたが、わずか1時間弱の町歩きで江戸時代の街並みをたっぷり楽しむことができました。
    地元ガイドの方に大変お世話になりました。ご案内どうもありがとうございましたm(__)m

  • ガイドさんたちに見送られ、船は再び出港!

    ガイドさんたちに見送られ、船は再び出港!

  • しばらくすると、青い空がオレンジがかってきたのでした。

    しばらくすると、青い空がオレンジがかってきたのでした。

  • オレンジ色に輝く西の空の方に、吊橋が見えてきました。

    オレンジ色に輝く西の空の方に、吊橋が見えてきました。

  • 航路を見ると、安芸灘大橋の手前にいることがわかりました。

    航路を見ると、安芸灘大橋の手前にいることがわかりました。

  • 「安芸灘大橋」は、本土と下蒲刈島の間を流れる「女猫の瀬戸」に架かり、橋長1.175m、主塔の高さは海面から約130mもある美しい橋なんだとか。

    イチオシ

    「安芸灘大橋」は、本土と下蒲刈島の間を流れる「女猫の瀬戸」に架かり、橋長1.175m、主塔の高さは海面から約130mもある美しい橋なんだとか。

  • 橋をくぐる時は、空の色合いが違っていて、この橋の姿も美しかったです♪

    橋をくぐる時は、空の色合いが違っていて、この橋の姿も美しかったです♪

  • この赤い橋は、平清盛が切り開いた海峡とされる「音戸の瀬戸」で、真紅のアーチ橋「音戸大橋・第二音戸大橋」の2つ連続する橋がかかっていました。潮流が早く、可航幅も狭いため、海の難所として有名なんだそうです。

    この赤い橋は、平清盛が切り開いた海峡とされる「音戸の瀬戸」で、真紅のアーチ橋「音戸大橋・第二音戸大橋」の2つ連続する橋がかかっていました。潮流が早く、可航幅も狭いため、海の難所として有名なんだそうです。

  • そのあと、呉港の近くを通りかかりました。この呉湾一帯は、かつて世界最大の戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港と呼ばれたとか。現在は海上自衛隊呉基地が設置され、多くの潜水艦や護衛艦など多くの自衛艦が並んでいる様子を間近で見ることができました。<br />船のアナウンスで「潜水艦が6隻いるのはとても珍しいことです」というお知らせがありました。潜水艦を間近でみたのは初めてでした。メイプル国旗がついたカナダ海軍の船艇も寄港していて、作業をしていた船員たちがこちらに手を振ってくれている姿もありました。

    そのあと、呉港の近くを通りかかりました。この呉湾一帯は、かつて世界最大の戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港と呼ばれたとか。現在は海上自衛隊呉基地が設置され、多くの潜水艦や護衛艦など多くの自衛艦が並んでいる様子を間近で見ることができました。
    船のアナウンスで「潜水艦が6隻いるのはとても珍しいことです」というお知らせがありました。潜水艦を間近でみたのは初めてでした。メイプル国旗がついたカナダ海軍の船艇も寄港していて、作業をしていた船員たちがこちらに手を振ってくれている姿もありました。

  • この頃にはすっかり日も暮れ、太陽が沈む直前になっていました。

    この頃にはすっかり日も暮れ、太陽が沈む直前になっていました。

  • そして、日が沈みセピア色の世界に...。おセンチになる風景で、こんな時は誰かと一緒にいたいと思う瞬間でした。。。<br />このあと、船は広島港に着き、日帰り旅「瀬戸内 etSETOra 島たびクルーズ』が終了しました。<br /><br />広島は尾道や宮島は訪れたことがありましたが、瀬戸内海を愉しむ旅は今回が初めてでした。この観光列車&観光高速クルーザーの日帰り旅は、JR西日本の案内で知りましたが、&quot;瀬戸内しまたびライン&quot;でもツアー案内が載っていました。http://setonaikaikisen.co.jp/simatabi/<br /><br />瀬戸内の旅はこれで終わりです。最後までつきあっていただきありがとうございました♪<br /><br />

    そして、日が沈みセピア色の世界に...。おセンチになる風景で、こんな時は誰かと一緒にいたいと思う瞬間でした。。。
    このあと、船は広島港に着き、日帰り旅「瀬戸内 etSETOra 島たびクルーズ』が終了しました。

    広島は尾道や宮島は訪れたことがありましたが、瀬戸内海を愉しむ旅は今回が初めてでした。この観光列車&観光高速クルーザーの日帰り旅は、JR西日本の案内で知りましたが、"瀬戸内しまたびライン"でもツアー案内が載っていました。http://setonaikaikisen.co.jp/simatabi/

    瀬戸内の旅はこれで終わりです。最後までつきあっていただきありがとうございました♪

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この旅行記へのコメント (14)

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  • キートンさん 2023/01/21 22:05:25
    魅力的な日帰り旅
    ご無沙汰してます、akikoさん。
    往路が呉線の観光列車、復路が大久野島と御手洗に寄港する観光船、なかなか魅力的な広島発着日帰り旅ですね。
    瀬戸内でも特に風景が良さそうな鉄道路線と航路の組み合わせという感じがします。

    瀬戸内海に戦時中の毒ガス工場があった島の存在は知っていましたが、ウサギで知られるようになった島と同一の島だったということは、初めて知りました。

    2021年に走ったとびしま海道は特に心に残るサイクリングでしたが、最も印象的だったのが御手洗の街でした。
    その日は火曜日でどこも休館日だったので、街並みを見ただけで終わったのが残念でした。
    伊能忠敬の測量絵図館があったことや民家の玄関横に飾られた花の意味なども初めて知りました。

    「ドライブ・マイ・カー」は当時上映はされていたものの、各賞を受賞する前の訪問だったので、ロケ地となった宿もスルーしてました。
    受賞して話題となってから鑑賞して、どちらかというと地味ですが、余韻の残る作品でした。
    受賞するだけのことはあります。
    ただ、御手洗のシーンは比較的短く、ロケ地巡りをするなら広島市内がメインとなりそうな感じです。

    瀬戸の島々の他にも、いくつかの橋の下をくぐり、自衛艦が停泊する呉を通過し、しめは瀬戸の夕陽と充実のクルーズでしたね。

    では、また。

    キートン

    akiko

    akikoさん からの返信 2023/01/22 19:46:15
    RE: 魅力的な日帰り旅
    キートンさん、こんばんは〜

    観光列車と観光船で往復するこの日帰り旅、たまたま直島への旅の最終日に行けてよかったです!
    広島は尾道や宮島は行ったことがあるんですが、海岸線の景色をじっくり見たことがなかったので、呉線を走る観光列車に乗ってお弁当を食べながら車窓の瀬戸内海の景色を楽しめたのが最高でした。

    三原で折り返し、まず大久野島で1時間ほどの観光タイム。私もキートンさんと同じで、旅行記かどこかで毒ガス工場が瀬戸内の島にあったと読んだ記憶がありましたが、可愛いうさぎがいる大久野島とは一致していなかったんです。行くことになってから、その島が大久野島だとわかり、毒ガス工場のことは軍の機密として扱われ、この島が地図から消された「存在しない島」だったこともわかりました。この島でうさぎが繁殖したのは偶発的だったようですが、可愛いうさぎで負の歴史を隠したと勘繰ってしまいそうになりました。

    キートンさんのとびしま海道のサイクリング旅は以前にも拝見していましたが、再度見せていただきました。御手洗では「歴史の見える丘公園」にまず行かれたんですね。私も行きたかったのですが、ガイドさんが集落を案内してくれたので無理でした。今さらですが、高台にある「歴史の見える丘公園」から見える景色は素晴らしいですね!
    あと「御手洗昭和館」の大村崑さんのオロナミンCや由美かおるさんの渦巻き線香の看板も撮影されていたんでしたね〜そうそう、あのお店には昭和の人間にとって懐かしいものがたくさんありました(笑)

    「ドライブ・マイ・カー」はガイドさんが紹介してくれたので、私も旅行記に書いたのですが、映画は観ていないんです。カンヌ映画祭で受賞したとTVでこの映画の紹介をしていたのは見たのですが。余韻の残る作品だったのですね〜 機会があれば観てみようと思います。

    キートンさんは私が船から見た橋の数々を自転車で渡られたのですね!すごい距離を走行されたようで、全部は真似はできませんが、一部だけでも自転車で走ってみたくなりました。

    akiko
  • しゃんみーさん 2022/12/14 16:33:50
    はじめまして(#^.^#
    akikoさん、初めまして!
    以前からakikoさんの旅行記の写真の美しさに魅せられてずーっと読ませていただいています。
    思わず行きたくなるような写真がいっぱいでうっとりしてます。いいお天気の日で良かったですね。
    私は広島に住んでいて、この観光列車の旅に興味がありました。
    とても充実していて(お弁当やおみやげも)行ってみたくなりました♪
    以前は呉市に住んでいたので音戸大橋や呉駅などとても懐かしいです。
    大久野島は、子供のころは毒ガスの島と言うことで近づくことはありませんでしたが、今はキュートなうさぎたちに会えるんですね。
    ここんとこ旅行は行けてないですが、近くでもいいので出かけてみようかな~♡
    これからも素敵な旅行記見せてくださいね!
    いつも楽しみにしてます。
      しゃんみー

    akiko

    akikoさん からの返信 2022/12/14 22:15:49
    RE: はじめまして(#^.^#
    しゃんみーさん、こんばんは〜

    いつも見ていただいてありがとうございます(*^^*)
    それにこのようなうれしい言葉を書いてくださって、
    とってもうれしいです。
    しゃんみーさんは広島にお住まいなのですね。
    観光列車エトセトラは広島の呉線を利用しているの
    ですね。お弁当も美味しかったですし、和菓子も
    広島の老舗の和菓子店のものだそうで良かったです。
    三原駅まで行けば、高速船スピカにも乗船できますね。

    呉市にも住んでおられたとのこと。私は初めてでしたが
    呉駅で手を振ってくれた地元の方たちがいて心が和み
    ました。
    大久野島ではウサギの数が減ったそうですが、
    うさぎがあちこちにいて、とても可愛かったです。

    もうかなり寒くなってきたので、瀬戸内のクルーズは
    どうかと思いますが、ぜひ暖かくなったら観光列車&
    観光高速船クルーズに乗ってみてくださいね。

    うれしい書き込みをどうもありがとうございました♪
    これからもよろしくお願いします。

    akiko  
  • yokoさん 2022/12/07 12:54:41
    私の知らない魅力いっぱいの瀬戸内♪
    akikoさん こんにちは~(^o^)

    表紙のコラージュがお洒落ですね。シンプルで私好みです!
    お嬢さんと別れた後は広島に移動して、日帰りツアーに参加されたのですね。観光列車と高速船を利用して、景色も食も楽しめる素晴らしいプランでしたね。観光列車「etSETOra」はまだ2周年ということで、あまり多くの方が知らないプランではないかしら? 参加人数も多くなくて、ゆったり楽しめましたよね。素晴らしいセレクトに拍手!!

    列車の窓からは瀬戸内の多島美が眺められ、窓際に置かれた「etSETOra」のコースターとレモンサイダーの画像は私も“イチオシ”です。ポスター掲載権は「ネコパンチ社」に先を越されてしまったけれど。。(^^;)
    食いしん坊の私は、お弁当もジロッと眺めてしまいました。どれも美味しそう~♪ 食後にはお菓子のサービスもあって、和と洋から選べたのね。和菓子も美味しそうだけど洋菓子はどんな内容だったのかしら? 景色を見ながらだと、どれも更にお味がアップグレードしたでしょうね(^^)

    高速船に乗り換えて見えた、海面がキラキラ輝く写真も素敵です*,゚.:。+゚*大久野島はうさぎで有名な島ですよね。先日テレビでコロナ禍で訪れる観光客が減り、その数がかなり減っているというニュースを見ました。悲しい戦争の歴史がある島ですが、その過ちを繰り返してはなりませんよね。その事実にちょっと落ち込んだ気分を癒やしてくれたピーターラビットのようなうさぎさん。私が山形の荘内神社で見たうさぎさんと似ているような気がします。そして十月桜も、花の少ない季節に慰められる優しいピンクでしたね。

    大崎下島の「御手洗」は初めて聞きました。JR西日本のCMで伊藤蘭さんが出演されている場所は素敵な所が多いですが、ここも取り上げられていたのですね。昔ながらの町屋が軒を連ね、本当にタイムスリップしたような通りですね。四十数カ所に花と俳句や絵手紙が飾られた玄関脇も、島に住む方のおもてなしの心が表れていて嬉しい気持ちになりますね。可能橋を渡った所のお地蔵様は、良く見る丸顔のお地蔵様と違って面長ですね。“童(わらべ)”地蔵というよりも、ちょっとお兄さんに見えました。

    ブルーの洒落た洋館は、床屋さんでオランジーナのCMのロケ地にもなったそう。そう言えば見覚えがあるような。。。赤い懐中時計を模した看板がある時計店は、全国から修理依頼があるような技術もあって、ただ可愛い建物というだけではないのですね。鞆の浦に似た高灯籠や、江戸時代の町並みが残る「築地通り」など見所が多くてびっくりしました!!!ガイドさんがいらっしゃったので、効率よく説明を聞きながら歩けたのも良かったですね。最後は女猫の瀬戸に架かる安芸灘大橋の夕日もご覧になり、お天気の良さが景色を何倍も綺麗に見せてくれましたね。日本全国知らない所ばかりの私に、また行ってみたい場所が増えました(o^^o)

    yoko

    akiko

    akikoさん からの返信 2022/12/07 23:42:57
    RE: 私の知らない魅力いっぱいの瀬戸内♪
    yokoさん、こんばんは〜♪

    表紙の写真って悩みますよね。これはInstaMagのコラージュですが、オシャレだと言ってもらってうれしいです^ ^

    yokoさんは今までたくさん観光列車に乗られたことがありますよね。この「etSETOra」はあまり知られていないのですが、広島ー尾道間の呉線を走るもので、ずっと海岸線を走るのではなかったのがちょっと残念でした。でも、海岸線を通るところでは、瀬戸内の多島美が眺められて、景色を見ながらお弁当もいただけたし... お見送りがあったり、途中で地元の方に手を振ってもらえたのも良い思い出です。

    yokoさんにもコースターとレモンサイダーの画像を推してもらえて超ハッピーです!ポスター掲載権なんて言ってもらえて、どうしましょう(笑)話に乗ってくれてありがとう〜〜(((o(*゚▽゚*)o)))

    お弁当は地元の「むさし」という仕出し弁当屋さんのものでしたが、いろんなおかずが入っていて美味しかったです^ ^ 列車で食べるお弁当って遠足気分でいいですよね!食後に食べても良い瀬戸の小箱という箱に入った和菓子はお土産で持ち帰りました。洋菓子はね、小さなケーキとコーヒーゼリーと瓶入りのパフェの3品でした。かなり迷ったんですが、和菓子に決めたのでした。

    高速船は席が決まっていたのですが、どこに移動してもOKで、主に屋外デッキで穏やかな海と島かげを見て楽しみました。お天気が良かったので、海面が光って見えてきれいでした^ ^ 最初の立ち寄り場所の大久野島はコロナ禍前はもっとうさぎの数は多かったみたいですね。桟橋の近くでは、探せばいるくらいの数でしたが、どのウサギも可愛かったです。そうそう、yokoさんが書いてくれたように、毒ガス施設のことで「ええっ?」と思っていた時に、明るい気分に変えてくれました。yokoさんがご覧になったうさぎさんとも確かに似ていたかも。。。十月桜も慰霊碑の横で、被害に遭った人たちを見守るようにように咲いていて、寒々しい景色のなかで薄ピンクの花がとても可愛かったです♪

    御手洗は今ではほとんど知られていない小さな島の集落ですが、昔は菅原道真も平清盛も坂本龍馬も吉田松陰、大久保利通なども滞在したことがある島で、かなり栄えていたみたいなんですよ。私が惹かれたのは江戸時代の町並みとそこにyokoさんの書いてくれた"おもてなし"の花飾りが飾られている様子がとても心に響いたのでした。実際、この時も秋の花が飾られていて、それをあちこちで見たときはうれしかったです。

    天満宮の可能橋は、本殿の下を通ってお願い事をするって珍しいですよね。渡った所のお地蔵様は、私も面長だなって思ってました^ ^ あまり見かけませんよね!
    ブルーの洒落た洋館は、まさかの床屋さん。オランジーナか覚えてませんが、何かのCMで見た記憶がありますよね〜 この洋館も私が見てみたかったものでした。

    地元のガイドさんは3人で、少人数で御手洗を案内してくれました。町の良いところを見てもらおうと丁寧に説明しながら集落をめぐり、わずか1時間ほどでしたがとても楽しかったです。最後は、船が見えなくなるまで手を振ってくれて、これもうれしかったです。

    終盤は、夕焼けが綺麗で安芸灘大橋も美しい姿を見せてくれ、海に沈む太陽も見ることができました。ホントお天気で良かったです!

    丁寧に見てくださって、嬉しいコメントもありがとうございました♪

    akiko
  • あまいみかんさん 2022/12/07 12:35:46
    懐かしい風景。
    akikoさん、おはようございます。

    続けて瀬戸内クルーズの方にもやって来ました。
    鞆の浦、直島と十二分に瀬戸内海を堪能されたのでは・・っと思っていた
    ので、岡山から広島に移動されて、更に三原からクルーズっていうの、
    フットワークの軽さにビックリよ!海景の美しい呉線でお弁当頂きながら
    観光列車での移動いいですね。お弁当箱も、菓子箱も開ける瞬間がとても
    楽しみだし、両方共とても綺麗に入ってて美味しそう。
    スピカでのクルーズ、よく予約が取れましたね。
    大久野島ではうさぎちゃんと遊んだのね、ほんとピーターラビット達みたい。
    第2次大戦中に「地図から消された島」
    かつてその本が新聞の広告欄に載った時、何だろうなっと思ったものです。
    夏休み帰省の際、釣り好きだったので60歳過ぎて、モーターボートの
    免許を取った父が(母の心配をよそに)皆に救命具をつけさせて、大久野島
    迄連れて行ってくれたことがあるんです。昭和の終わり頃の話で、し~んと
    静まり返った島を探検気分で歩きました。当時、うさぎちゃんはいなかった。
    誰も住んでない島っということで、廃屋になった工場跡とか、発電所とか、
    ガスボンベが無造作に置かれた洞窟みたいな所を4人で見学しました。
    こんな何にもないような小島に毒ガス製造工場があったこと等を孫達に説明。
    小学校の新聞に何か書いてっと先輩に頼まれていたので、そこでの体験を
    書くことにしました。そう話したら、父はそこで働いてた人の体験を聞ける
    ように動いてくれ、実際にお話を伺うことができました。記憶の彼方ですが、
    やはり、毒ガスで体は蝕まれ、肺の病気で息がし難い・・・っと。
    「地図から消された島」と言う題でこの島の事を紹介したのを思い出しました。
    反戦志向の父は、自分の男友達三人とその子供達(母親達は留守番)の大所帯
    で修学旅行みたいなのを企画して、ヒロシマにお泊り旅をしたことがあります。
    一番小さかった私に、原爆資料館は強烈な印象を残しました。整備されてない
    原爆ドームなどを見せて、戦争の悲惨さを教えようと思ったのでしょう。
    できたばかりの音戸大橋も見学。平清盛の話や、くるくる螺旋の橋もとても
    印象に残りました。今なら、色んな所に立派な橋が出来てますが、ここの
    橋は当時、最先端のものだったようです。今思えば、超短い橋だけど。
    またまた自分の想い出語りをしてしまいましたが、のどかな島影の大久野島に
    そんな過去があったなどとは思えませんね。支笏湖で国民休暇村の会員になっ
    たことだし、いつか再訪したいと願っています。汐待、風待ちの御手洗は江戸
    時代の雰囲気があって、伊能忠敬が測量の際に逗留したお宿があるとか、小す
    だれがあちこちに素敵にあって、これもいつか実際に訪ねて見てみたいな~
    っと思いました。
    いい日帰り旅を選ばれましたねえ。ほんとにakikoさんは旅名人だわ~~~~!
    そして旅行記名人、ありがとうございました。長くなって、ごめんなさい。

    あまいみかん

    akiko

    akikoさん からの返信 2022/12/07 21:28:13
    RE: 懐かしい風景。
    みかんさん、引き続き書き込みありがとうございます^ ^

    直島への旅の日程が決まり、直島以外にもどこかと探してみたら、たまたま島たびクルーズの日帰り旅行に参加できることがわかり、岡山から広島に移動したのでした。観光列車と観光高速クルーザーの組み合わせって魅力的ですよね。その上、お弁当と瀬戸の小箱というお菓子の詰め合わせもついていて、迷わず予約したのでした。

    大久野島へはみかんさんのお父さまがモーターボートで社会見学のために連れて行ってくださったのですね。その頃はうさぎもいない時だったとか。お父さまは、明るみに出ていないけど過去にこのような非人道的な施設があったということをお孫さんに知らせたかったのでしょうね。また別の機会には広島の原爆ドームに子どもたちを連れていき、原爆の悲惨さを知り体感させる企画もされたそうですね。戦争は二度と起こしてはいけないという思いを強く持ち続けられておられたのでしょうね。それを伝えていくのが大人の義務ですが、なかなか実行に移せないものです。学校で学んだり、本を読んでも戦争の悲惨さはわかりますが、でも実際大久野島や原爆ドームで実際使われていたものを見たり、原爆で焼け焦げたものを目にするのとでは、百聞は一見にしかずで、印象が全然違いますよね!

    話がそれますが、ウクライナで今なお戦争が続いていて、何千人もの民間人が虐殺されているのがあまりに酷いので、それを見るのが辛すぎて目を背けている現実があって、ずっとモヤモヤしたままです。日本ではないですが、過去の教訓を生かせていないのを、天国でお父さまは悲しんでおられるでしょうね。

    音戸大橋も見学されたのですね!大久野島には国民休暇村があることですし、また機会があれば訪ねてみてくださいね〜 近くの大崎下島の御手洗もおすすめです。歩いても1、2時間あれば十分のコンパクトな集落ですが、どこか懐かしい趣のある町並みが素敵なんです。小すだれの一輪挿しの花飾りも古い街並みに似合っているでしょう!行きたいと思っていたところに行けて大満足でした。

    いろいろお話を聞かせてくださって、ありがとうございました(^^)♪

    akiko
  • クサポンさん 2022/12/06 12:07:33
    このコース
    Akikoさん
    クサポンです。

    このコースいいですよね。

    これに、西条の酒蔵巡りも合わせて
    ゴールデンウィークに行こうと思ってましてが、頓挫してます。

    お天気もとてもいいですね。

    私もいつか行きたい♪

    akiko

    akikoさん からの返信 2022/12/06 23:02:59
    RE: このコース
    クサポンさん

    書き込みありがとうございます(*^^*)
    この広島発着の日帰り旅、ご存知だったのですね。
    たまたま直島の日程に合った催行日を見つけて
    申し込んだのでした。

    西条の酒蔵巡りは知りませんでしたが、
    この日帰り旅と合わせた旅は良さそうですね〜

    冬の期間は、この日帰り旅はなさそうなので、
    また来年行けるといいですね!

    akiko
  • ネコパンチさん 2022/12/06 08:00:57
    多島美と懐かしい町並みと…
    akikoさん、おはようございます!

    竹原、三原、瀬戸田…懐かしい地名が次々登場して
    思わず惹き込まれました。
    観光列車とクルーザーの両方で
    瀬戸内の多島美を楽しめるなんて
    本当に素敵な企画ですね。
    レモンサイダーとロゴマークコースターの写真は
    そのままポスターになりそう!
    私が担当者なら即採用します(笑)
    お弁当も美味しそう。
    車窓からの景色が気分を高めてくれますよね。

    大久野島の過去は他の人の旅行記で知りました。
    その歴史ゆえ、一時は地図上から
    抹消されていたということも…
    島の存在すらなかったことにして
    闇に葬り去ろうとしたなんて、とてつもなく恐ろしく
    大きな罪ですよね。
    うさぎ目的で訪れた観光客が、歴史に触れて
    何かを考えるきっかけになるといいな、と思いました。
    淡い茶色のうさぎちゃん、本当にピーターラビットみたい(*^^*)
    大崎下島の御手洗、そぞろ歩きが似合う町並みですね。
    竹原の保存地区を思い出しました。
    伊能忠敬さんが訪れていたのですね。
    瀬戸内海の複雑な海岸線の測量は
    さぞかし大変だったでしょうね。

    クルーズ終盤は日没前後と重なって
    ドラマチックな情景が続きますね。
    誰かと一緒にいたい瞬間、よくわかります(#^.^#)
    でもそんな気持ちに気づけるのも
    ひとり旅ならではのことだとも思いました。
    旅に出られるありがたみを感じる瞬間でも
    ありますよね。

    全4編、お疲れ様でした!
    akikoさんのことだから、休まず次に取り掛かるのかな?
    楽しみにお待ちしていますね♪

    ネコパンチ

    akiko

    akikoさん からの返信 2022/12/06 22:53:29
    RE: 多島美と懐かしい町並みと…
    ネコパンチさん、こんばんは〜

    瀬戸内の旅は、ネコちゃんも昨年行かれたのでしたね!
    私も確か、知り合いのアーティストが瀬戸田に住んで
    いて、生口島に行きたいとお話しした記憶が...。
    しまなみ海道も興味があって行きたいと思っていた
    のですが、直島、鞆の浦、とびしま海道を先に訪問する
    ことになりました。

    レモンサイダーとロゴマークコースターの写真、
    採用してくれますか?嬉しいです〜〜ヽ(*^^*)ノ
    お弁当もそうそう、車窓景色もご馳走の一つになって
    とても美味しくいただきました。

    大久野島には後で調べてみると、他にも多く軍事遺構が
    あることがわかりました。うさぎは可愛くて明るい光
    だとすれば、毒ガスという暗い影もあって、とっても
    複雑な気持ちになりました。
    ネコちゃんが言われるように、島の存在すらなかった
    ことにして 闇に葬り去ろうとしたなんて本当に恐ろしい
    ことですよね。
    うさぎに関しては、人を見ても逃げることはなく、
    エサを食べる姿がめちゃくちゃ可愛かったです。
    ピーターラビットみたいなうさぎもいたでしょう!

    御手洗はずっと行きたいと思っていた場所で、やっと
    行けました!そういえばネコちゃんの行かれた竹原に
    似ています。竹原の方がもっと大きな歴史の町ですね。
    機会があれば、竹原も行ってみたいな...♪

    伊能忠敬さん、全国を周って地図を完成させましたが
    確かに、瀬戸内海の複雑な海岸線の測量は大変だった
    でしょうね〜〜当時の地図を見てみたら、ほぼ正確
    なのには驚かされました。すごいですよね!

    旅先で日の出、日の入りを見るのがとても楽しみ
    ですが、日の入りはどうしてもおセンチになります。
    言われてみたら、誰かと一緒にいたいという気持ちに
    気づけるのも一人旅ならではのことですね。
    家族に感謝し友人を大切にしなくてはと思いますね!

    いつもながら、長い旅行記に付き合ってくれて
    どうもありがとう〜〜♪
    京都編の続きもひと休みしてから完成させないとね^ ^

    akiko
  • cheriko330さん 2022/12/05 10:09:37
    フィナーレを飾るに相応しい瀬戸内旅☆.。.:*・゜
    akikoさん、おはようございます♪

    お嬢さんと別れて、ちょっぴり淋しい一人旅ですね。観光列車と
    瀬戸内クルーズ、何とも素敵じゃないですか。
    九州にもたくさんある観光列車、長崎⇔武雄間にも西九州新幹線と
    共に新しい観光列車ができて、行きたいと気になっているところです。

    「レモンサイダーとロゴマークコースター」は映えますね。バックの
    景色も良いわ~。お弁当もきれいで、いただきたくなります。
    アドリア海やエーゲ海とはいきませんが、なかなかの景色ですね。
    キラキラした海は大好きです☆・゚:*

    「御菓子処の蜜屋」は記憶にないのよ。多分いただいているとは思う
    けどね。そして三原から高速クルーザーね。そして有名な大久野島へ。
    読み進めて、うさぎさん、ピーターラビットみたいって思っていたら
    akikoさんも、そう書かれていました。きれいなうさぎさんですね。
    とっても可愛く撮られています。キュンです。
    そして慰霊碑のことも。ちらっとテレビで聞いたことがありますが
    とても恐ろしいことですね。争いは、いろんなところで悲劇がおきます。
    このことは語り継いでいかなくては・・・

    御手洗って呉市なんですね。これも初めて知りました。古い町並みが
    保存されていてakikoさんの旅行記、伊藤蘭さんのCMを見て行きたく
    なりました。
    音戸の瀬戸は何度も通ってます。今のようにたくさんの橋はなかったわ。
    きれいなサンセットも見れて、一人じゃ淋しかったですね。私と?って
    厚かましくいいたいけど、ご主人やお嬢さんそれともあの俳優さん?(爆)

    高速クルーザー、これなら沈没の心配もなさそうで季節良いときに
    真似して行ってみたいです。akikoさんが行く先々は、とっても素敵で
    行きたいところばかり。

    瀬戸内旅の完成で、続きに行けますね。何かと忙しくなるけど、また
    頑張って作成してね。お待ちしています。

     cheriko330

    akiko

    akikoさん からの返信 2022/12/05 20:20:38
    RE: フィナーレを飾るに相応しい瀬戸内旅☆.。.:*・゜
    cheriko330さん、こんばんは〜☆

    この日帰り旅、観光列車にも乗れるし、船旅もできるし、しかも行きたいと思っていた御手洗に行けるというので、私にはとても魅力的なものだったんです(^^)♪
    最近、観光列車かなり増えましたね。前回、長崎に行った時、新幹線用の駅舎がほぼ完成していて、完成した長崎駅を見てみたいと思っていたんです。長崎⇔武雄間の観光列車も走っているんですね。

    > 「レモンサイダーとロゴマークコースター」は映えますね。

    レモンサイダーって瀬戸内の旅にピッタリでしょう!列車の窓辺に置いてパチリ!目をとめてくれてありがとう♪
    確かにアドリア海やエーゲ海と比べるのには無理がありますよね(笑)でも小さな島が並ぶ景色って素敵でとても気に入りました。キラキラした海もいいでしょう!

    列車でいただけた和菓子は、広島の蜜屋さんのものらしいのだけど、私も初めて聞いた名前でした。綺麗な箱に入っていて、どれも美味しくいただきました。

    大久野島のうさぎ、人馴れしていて子供たちから餌をもらう姿が可愛かったです。 最後のうさぎ、ピーターラビットみたいですよね!cherikoさんもそう思われたと聞いてニンマリ(*^^*) 野生なのにきれいですよね〜〜
    慰霊碑のことはお聞きになったことがあるのですね。戦争中はこれ以外にも秘密裏に行われたことはたくさんあったんでしょうね。こういう事実は明らかにして、毒ガスも含め生物兵器は二度と使わないようにしてもらいたいですよね。

    御手洗は大崎下島という島にあるんですが、呉市に属しているんですって。御手洗の魅力が詰まったJRのCM素敵でしょう。私はこのCMを見て御手洗のファンになったんですよ。どこか懐かしくてとても心惹かれる港町ですよね。

    > 音戸の瀬戸は何度も通ってます。今のようにたくさんの橋はなかったわ。

    cherikoさんはこの近くにお住まいになられていたことがあったんですね。私は初めてでしたが歴史的にも有名な橋なんですね。この辺りまでくると、夕焼けが美しくてついつい感傷的に...。日の出はそんなことないのにね!横に誰が、ですって?美しい夕焼けの景色を共感できる人がいいです^ ^ cherikoさんは共感してくれますよね(^_-)-☆ あの俳優さんって?多すぎてわかりません(笑)

    cherikoさんの旅行記もお待ちしていますよ〜〜♪

    akiko

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