2022/11/22 - 2022/11/22
149位(同エリア596件中)
Bachさん
先月の琵琶湖疏水ウォーキングで見逃して、後で行きたいと思っていたお寺の紅葉が見頃だという紹介がテレビであったので、急遽行くことにしました。
お目当ては、山科疎水沿いにある4つの寺院で、京阪「御陵駅」をスタートして「天智天皇陵」経由で琵琶湖疏水に出て、「本圀寺」、「安祥寺」、「毘沙門堂」、「双林院」を巡り、京阪「山科駅」までの約10km、4時間のコースです。
好天にも恵まれ、嵐山や清水寺ほどではないものの予想外の混雑でしたが、飛鳥時代の38代・天智天皇(てんじてんのう)の「山科陵」(やましなのみささぎ)から、その孫の42代・文武天皇(もんむてんのう)の勅願で創建された「毘沙門堂」、その後平安時代の55代・文徳天皇(もんとくてんのう)の母の発願で創建された「安祥寺」、南北朝時代の96代・後醍醐天皇の勅願所となっている「本圀寺」、江戸時代の111代・後西天皇(ごさいてんのう)の時に毘沙門堂の塔頭として創建された「双林院」まで、脈々と続く日本の歴史と共に生きてきた紅葉は、飛鳥時代の天皇も見たかどうかは分かりませんが、昔も今も人々の目を楽しませます。(*現在の令和天皇は126代)
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(行程)11:00京阪「御陵駅」(みささぎえき)~11:15「日時計碑」~11:20「天智天皇陵」~11:40琵琶湖疏水「正嫡橋」(しょうちゃくばし)~「本圀寺」(ほんこくじ)~12:30「安祥寺橋」~「安祥寺」(あんしょうじ)~13:00「安祥寺水路閣」~13:30「毘沙門堂」(びしゃもんどう)~14:10「双林院」(そうりんいん)~14:30「安朱橋」(あんしゅばし)~14:50京阪「山科駅」
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京阪「御陵駅」(みささぎえき)
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「琵琶湖疏水煉瓦工場跡」
琵琶湖疏水工事のポイントの一つ「煉瓦工場」をこんな所に発見!
琵琶湖疏水工事では全て煉瓦を使用しているが、当時大量の煉瓦を製造できる工場がないので、原料の採取と製品の運搬に便利なこの地に工場を作り、1886年から3年間で1400万個の煉瓦を焼いた -
「日時計碑」 三条通りのこんな所に!
日本で最初に漏刻(ろうこく:水時計)を作った天智天皇に因み、1938年京都時計商組合が建立した、正面は「天恩無窮」(天皇の御恩は極まりない)で6月10日の「時の記念日」には天智天皇を祀る近江神宮で「漏刻祭」が実施される -
日時計の先で三条通りを左折
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「天智天皇陵」入口
旧東海道も近く、江戸時代には街道名所の一つだったという -
陵墓まではかなり長い参道で、こんもりした森に囲まれ静まり返っており高貴な人物が眠っているような雰囲気を醸し出す、敷地は広大で、裏手に回るとすぐ琵琶湖疏水があり、さらに裏山を登ると「鏡山」257m山頂に至り、そこから左に行くと大文字山、右に行くと毘沙門堂に行く
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「中門」手前に琵琶湖疏水への抜け道がある
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大津宮(おおつのみや)で崩御した天智天皇の陵墓が京都にあるのは不思議だが、一説には天智天皇が山科の森へ狩猟に出かけて行方不明になり、沓(くつ)だけがこの地で発見されたからという
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7世紀末古墳時代終末期の、それまで主流であった円墳や前方後円墳でなく八角形の古墳で、京都の天皇陵の中で最古、過去には御廟野古墳(ごびょうのこふん)と言われていたが、古代の天皇陵は埋葬者の特定が困難な場合が多い中、特定されてる数少ない古墳で、正式名は「天智天皇山科陵」(やましなのみささぎ)
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38代天智天皇は、飛鳥時代に20歳にして中臣鎌足と共に豪族・蘇我氏の政治に終止符を打ち大化改新を成し遂げた中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)で、以後皇族が主導する政治体制を確立、律令制定、国史編纂など、国の礎を築く政治を行った
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抜け道から「本圀寺」(ほんこくじ)入口の「正嫡橋」(しょうちゃくばし)に到着
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「正嫡橋」(しょうちゃくばし)の名称は、「本圀寺」が日蓮宗の根本道場として天皇からお墨付きの綸旨(りんじ)をもらったことから、仁王門の扁額にしている「正嫡付法」(しょうちゃくふほう)からとられたと思われる *正嫡(しょうちゃく)は、 本妻又は 本妻から生まれた長子で、せいちゃく、せいてきとも読む?
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「総門」から参道へ
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「開運門」(通称「赤門」、「清正門」とも呼ばれる)
1592年加藤清正が寄進したもので、尾張の貧しい家に生まれ秀吉についていってどんどん出世した加藤清正にあやかり、開運勝利の神様「せいしょこ(清正公)さま」 の門を潜ると開運勝利の人生が開けるという、が時すでに遅し? -
日蓮宗の大本山の一つで山号は「大光山」
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「大梵鐘」
ここで得度した秀吉の姉・村雲日秀尼(むらくもにっしゅうに)の寄進で、秀吉の両親や木下家一族の法号が記されている -
以前は金ピカだったが、解説文の冒頭に「黄金に輝く大梵鐘は、、」と書かれているところを消しており、わずかに鐘の内部に残っている
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赤はパワーの素、紅葉と色を競う
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手水舎と七福神
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「九名皇諦堂」(くみょうこうたいどう)
1536年天文法難の時、大火の中に姿を現し危機を救ったという「九名皇諦尊女」をかたどった九名皇諦尊石が祀られている -
「九名皇諦尊石」(くみょうこうたいそんせき)
「くみょうさま」と呼ばれ、題目を唱える人を必ず救うという神さまで、特にガンなど難病を救ってくださる霊験がある -
中門「仁王門」
左右の金色の仁王像は以前は全身金色で、屋根の鯱(しゃち)も以前は金色だったらしい、扁額の「正嫡付法」(しょうちゃくふほう)は鎌倉から京都へ移転の後、天皇から法華経の総本家で日蓮宗正嫡の根本道場としてのお墨付きの綸旨(りんじ)をもらったことに由来 -
大本山「本圀寺」(ほんこくじ)
法華経を唱えている全国のお寺の総本家で法華経の根本道場、1253年日蓮が鎌倉に創建した法華堂が前身で、南北朝時代・後醍醐天皇の勅願所となり、室町時代・足利尊氏の支援で1345年京都に移築、この時天皇から「正嫡付法」の綸旨(りんじ)を受けている、その後徳川光圀の帰依を得て生母久昌院の追善供養を行うと1685年光圀は自らの名から一字を本国寺に与えそれまでの本国寺から「本圀寺」と改称し、1971年に西本願寺の北側の堀川七条から現在地の山科へ移転し、「金は金をよび、赤はパワーのもと」という考えより色々な所に金箔を貼り「黄金に輝くお寺」とした -
「大本堂」(妙法華院)
1976年本堂と祖師堂を一つにして再建、山科移転後の歴史こそ浅いものの日蓮宗の開祖・日蓮本人により開山された由緒正しき大寺院で、足利義昭や織田信長が京都の宿泊所として利用していたほか、豊臣秀吉の姉 村雲日秀尼(むらくもにっしゅうに)が得度した地としても知られる -
「本師堂」
本堂右手は「本師堂」で、日蓮が拝んでいた釈迦如来像が安置されている、本堂前には灯籠と日蓮上人像、灯籠は金色の擬宝珠だがこれも以前は全部金色だったらしい、 -
本堂前に咲いた四季桜が奥ゆかしい!
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「九頭龍銭洗弁財天」(くずりゅうぜにあらいべんざいてん)
この鳥居も以前は金ピカで、金銭・財運の御利益がある、右隣は「玉房稲荷社」で豊穣と商売の神様 -
「九頭龍銭洗弁財天」は、八大龍王の中で最も神通力の強い神とされ、金運・財運を授けられると言われ、龍神から流れ出る霊水でお金を洗い浄財袋に入れて持っていると財運がつくと言われる
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「客殿」
六条本圀寺の黒書院を1971年移築、本堂と廻廊で繋がっている -
「勅使門」隣に「二天門」
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「清正宮」(せいしょうぐう)
本圀寺は朝鮮出征時の加藤清正の祈願所及び菩提所で、本堂の裏手に加藤清正を祀る廟と黄金の鳥居がある -
「清正公廟」(きよまさこうびょう)
法華経の信徒であった加藤清正が、両親の遺骨と自身の肉歯・毛髪を石室に納め生前墓としている -
「清正公廟」から「本堂」方面
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「経蔵」(きょうぞう)
仏教の総てのお経を納めており、この中の一切経蔵は重要文化財 -
亀は仙人が住む逢莱山(ほうらいさん)の使いで、長寿や幸運・金運上昇につながり、玄関に置くと魔除けになる
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再び琵琶湖疏水へ戻る
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突然、轟音とともに琵琶湖疎水船に遭遇!
「大津」からの下り便は55分で流れに乗ってゆったり楽しめるが、「蹴上」からの上り便はエンジンを使って35分のスピード運転だから、ちとウルサイ! -
乗客定員は12名、船長1名、ガイド1名の計14名が定員の小型船で約1時間、トップシーズンは8,000円と結構な値段だが、なかなかとれない人気ぶり!
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船が去った後でも波が残る
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絶好の紅葉日和でハイキング客も多い、ハイキングも疎水船も大津から蹴上へ流れに沿って下るのが良い!
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琵琶湖疏水には桜が似合うが、紅葉も良い!
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シラサギとアオサギは分かりにくいが、これはアオサギか、この辺のアオサギは渡り鳥ではなく留鳥だという、琵琶湖畔に行くと渡り鳥の真っ白な白鷺をよく見る
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「安祥寺橋」(あんしょうじばし)周りの紅葉
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「安祥寺」(あんしょうじ)特別公開
「安祥寺」は平安時代の848年に文徳天皇の母・藤原順子(ふじわらののぶこ)の発願により創建された高野山真言宗の寺院で、通常は非公開だが、2021年「青龍殿」の修復が完了し、2022年夏に庭園「蘚苔蟠龍」が完成したので特別公開する -
創建当時は山科一帯に広大な寺域を有し七百余の坊舎があったと伝わるが、応仁の乱で壊滅的な被害を受け、現在は江戸時代に再建された本堂、地蔵堂、大師堂などが残るのみ
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「弁天社」
中島には石橋が架けられ「弁財天」が祀られている -
「大師堂」(たいしどう)
1773年江戸時代の仏師・清水隆慶の建立で、弘法大師坐像などを安置する -
「地蔵堂」(じぞうどう)
1772年に建てられた宝形造のお堂で、鎌倉時代の「地蔵菩薩」が祀られる -
「本堂」(観音堂)
1817年建立で、重文指定の本尊十一面観音立像を祀る -
「本堂」には本尊十一面観音立像(奈良時代)の両側に四天王像(鎌倉と江戸時代)を2体ずつ安置
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「青龍大権現御宝殿」(せいりゅうだいごんげんごほうでん)
安祥寺の鎮守神・青龍大権現を祀る御堂で、10回の再建・修復を経たが、五智如来の国宝指定を記念して2021年完全修復を行うと共に、玉垣、鳥居の再建と参道整備を行った -
「苔植や植栽・植樹は仏様や御堂をより際だたせていくもの」、「開運と祈願の成就を祈念してお参り下さい」とある
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青龍殿内庭園「蘚苔蟠龍」(せんたいばんりゅう)
西側の雄龍は力強く隆起し今にも昇ろうとしており、東側の雌龍は緩やかに蟠(はん:わだかまる)を巻いて雄龍を見守る、龍の回りには焔雲(ほむらぐも)が沸き立ち周囲の巨木はさながら龍が舞う如く、そして龍が舞い降り昇るのを待つように天空は開けている -
「多宝塔跡」(たほうとうあと)
明治39年(1906)に焼失したが、国宝に指定されている創建当時の初期密教彫刻の貴重な「五智如来坐像」は京都国立博物館に寄託されていたため難を逃れ、再建されれば無事にこの塔に帰って来る -
「五智如来坐像」(ごちにょらいざぞう)
密教で5つの知恵(法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智)を5体の如来にあてはめたもので、順番に大日如来(だいにちにょらい)、阿閦如来(あしゅくにょらい)、宝生如来(ほうしょうにょらい)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、不空成就如来(ふくうじょうじゅにょらい)の5仏 -
また琵琶湖疏水へ、先に見えるのは「安朱橋」
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「山科疎水と安祥寺川」
山科盆地の山側は灌漑用の水を殆どため池に頼っていたが、琵琶湖疏水が出来てから数か所に分水口を設けて琵琶湖からの水を引き込むことで山科の隅々まで豊かな水がもたらされた、と書かれている -
水路閣の手前を左折すると毘沙門堂へ行く
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「安祥寺水路閣」
山科を北から南へと流れる安祥寺川と疏水が重なる地点では、川の流れを遮らないように、南禅寺の水路閣と同様に水路橋を設けて立体交差させている -
安祥寺川沿いに狭い道を上る
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途中いくつか見える「お地蔵様」
地域を守る「道祖神」は旅の安全や道の安全を守る -
昔何かがあった廃墟だが、美しい紅葉はそのまま残っている
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今は使われていない休憩所があったのでランチ休憩
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安祥寺川に架かる橋
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「権利魔王大僧正・御姿蔵」とあるが、この山の天狗か?
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毘沙門堂に到着
正面が毘沙門堂、左手に行くと双林院へ、手前に戻ると大文字山へ -
いきなり眼前に「勅使門」前参道の紅葉が開け、人だかりに圧倒される!
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この日は結婚カップルの前撮りを4組ほど見た、関係ないがこちらも思わずシャッターを切る
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「勅使門」
毘沙門堂の総門に当たり、天皇の行幸、毘沙門堂門主の晋山式以外は開門されない -
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「薬医門」紅葉
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「勅使門」紅葉
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「宸殿」
「勅使門」「霊殿」と共に後西天皇の旧殿を京都御所から移築してきたもので、狩野益信の襖絵や円山応挙の絵も見所、宸殿の北側には「晩翠園」という回遊式庭園があるが、この時期は勅使門参道の紅葉が主役で、庭園の見頃は桜か百日紅の時期だというのであらためて訪問することに -
「宸殿」大玄関
紅葉の雑踏にふと立ち止まる、「照于一隅」(しょうういちぐう:一隅を照らす):天台宗の宗祖・最澄(さいちょう)の言葉で、「径寸十枚(けいすんじゅうまい) 是(こ)れ国宝に非(あら)ず/ 一隅(いちぐう)を照らす 此(こ)れ則(すなわ)ち国宝なり」(お金や財宝が宝ではなく、今いる状況で懸命に努力し輝く人こそ国の宝である)*「径寸十枚」は直径一寸ほどの強い光を放つ珠が十枚 -
境内には枝垂れ桜はじめ50種類以上の桜があり、桜の時期も素晴らしい!
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「宸殿」から「霊殿」への渡り廊下
「霊殿」は阿弥陀如来を中央に代々の位牌などが祀られている -
「毘沙門堂」(びしゃもんどう)は、皇室ゆかりの門跡寺院で、妙法院・三千院・青蓮院の3門跡に加えた曼殊院と並ぶ天台宗五門跡の一つ(門跡寺院は、住職が皇室又は摂関家によって受け継がれてきた格式の高いお寺)、平安京以前の飛鳥時代に行基により創建され、平安京遷都時に桓武天皇が奉献された「伝教大師・最澄が自ら制作した毘沙門天」を御本尊とし、江戸時代に徳川家綱の援助の下で現在地に移った
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「唐門」と「本堂」(本殿)
本尊・毘沙門天が祀られているお堂で 徳川家寄進により建てられた、毘沙門天ご本尊は比叡山根本中堂にある最澄が彫られた薬師如来像の予材を使って作られ、完全非公開の秘蔵 -
御所から移築された建造物と比べて、本殿・仁王門・唐門は朱色の彩色が鮮やかで通常の寺院建築にはあまり見られないが、徳川家が直接関わっているので「日光東照宮」の建築様式を色濃く受け継いでいる
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この毘沙門堂は大石内蔵助が吉良邸討ち入りを決意するまで隠棲した「赤穂浪士討ち入り」のゆかりの地で「山科義士まつり」の出発点でもある、赤穂浪士たちの処分について将軍綱吉から意見を求められた毘沙門堂門跡の公辧法親王は「浪士たちはを生き長らえさせて世俗の塵に汚すよりも、切腹させることによって尽忠の志を後世に残すべきである」と進言し綱吉は切腹させることを決心したという、「山科義士まつり」は毎年12月14日討入りの日に義士隊行列が毘沙門堂から岩屋寺、大石神社まで練り歩く
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「経蔵」(きょうぞう)
経典や仏教に関する書物を収蔵 -
鳥居の先に「弁才天」
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「高台弁才天」 (こうだいべんざいてん)
豊臣秀吉の母・大政所が大坂城内に建立したものを、北政所が高台寺に移し、さらに毘沙門堂に移された豊臣家ゆかりのお堂 -
左手に本殿、霊殿を見ながら鳥居から弁財天までの紅葉も素晴らしい!
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奥が霊殿
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反り橋を渡る
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朱塗りの本堂や弁財天と真っ赤な紅葉は素晴らしい!
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弁天池に映るモミジやドウダンツツジの紅葉と、朱塗りの建物のコラボも圧巻!
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「弁財天」の裏に小さな滝があり、その横に水の神・水天さまが祀られている
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再び「弁才天」側から「本堂」の紅葉
「毘沙門天」と「弁財天」を祀っているお寺は多いが、七福神の立ち位置では夫婦のように見えるが違うらしい、「毘沙門天」は力強さを感じ外敵から国家を護る守護神で上杉謙信は毘沙門天の一字「毘」を旗印としていた、「弁財天」は美しい佇まいの七福神の中で唯一の女神で本来は「弁才天」で音楽の神様、技芸の神様であるが、「才」が「財」になり財宝の神様でもある
「毘沙門天」は仏教を守護する「四天王」でもありこの時はお釈迦様の教えを一番多く聞いていたことから「多聞天」(たもんてん)と呼ばれる
「七福神」は「恵比寿」正直、「大黒天」有徳、「毘沙門天」威光、「弁財天」愛敬、「布袋」大量、「福禄寿」人望、「寿老人」寿命 -
「仁王門」
本堂の表門で、大提灯と左右に阿吽の二天像が目を引く -
大提灯と紅葉が合う
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勅使門前よりもかなりな急階段
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「仁王門」参道階段も負けてない!
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帰りは「仁王門」を下る
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「仁王門」入口
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「極楽橋」
後西天皇が毘沙門堂を訪れた時に「橋より上はさながら極楽浄土のような清浄華麗な霊域である」と褒め称えられたことから命名、正に極楽浄土だった! -
「極楽橋」から再度「勅使門」前参道へ周ると、まだカメラマンが溢れている!
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「勅使門」前参道の左手を川沿いに進んで「双林院」へ
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「双林院」は通称「山科聖天」
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5分ほどで「双林院」に到着
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「双林院」(そうりんいん)
天台宗の僧により1665年毘沙門堂の復興に伴って塔頭として創建され、毘沙門堂に祀られていた近江国西明寺より勧請された「光坊の弥陀」(こうぼうのみだ)と呼ばれる阿弥陀如来像を譲り受けて本尊とした、秘仏の大聖歓喜天(聖天さん)約100体の歓喜天が祀られており「山科聖天」(やましなしょうてん)とも呼ばれている -
提灯にはシンボルとしている「大根と巾着」の絵
大根の白色は息災を意味し食べると体内の毒や煩悩を消し、巾着は歓喜天から受ける御利益が大きくなり、夫婦和合・縁結び、財福と子孫繁栄の御利益を表すという -
「浴油供祈祷」というのが聖天様の縁日に毎月開催される
「浴油祈祷」とは、十一面観音様が暴れ回っていた神を山中にある油の池で頭から注ぐと毒物が除かれ善神となったと伝わる秘法で、聖天様に油を浴して祈祷することで信者のあらゆる望みをかなえる -
聖天堂は商売繁盛・夫婦円満にご利益あり、武田信玄も大聖歓喜天像を寄進したということで境内には武田の四つ割菱(菱形を四等分した形)が目立つ
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1665年(寛文5)「毘沙門堂」が後陽成天皇の勅により徳川家から「安祥寺」の寺領の一部を与えられ天海大僧正、公海大僧正に至って現地に再興された時、同年に建立された、とある
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「聖天堂」は山門を入って右側
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「聖天堂」(しょうてんどう)
1868年(明治元年)に天台座主であった公遵法親王の念持仏「大聖歓喜天」(だいしょうかんきてん)を祀る聖天堂が新たに建立され本尊を阿弥陀如来から大聖歓喜天に変更した、約100体の歓喜天像(男女和合の状態を表現した仏像)が合祀されている、「大聖歓喜天」は仏教の守護神で頭が象、首から下は人間という二体が向かい合って抱擁されている陰陽和合の男女合体神で、厨子に納められ直接見ることはできない秘仏だが、見たい! -
「不動堂」
明治16年(1883)比叡山無動寺(むどうじ)より勧請された不動明王像を安置する、比叡山焼き討ちによって焼失した仏像を不動明王として作り変えたものといわれる、「不動堂」は堂内で大護摩が焚けるように屋根の上部が煙突になっているのが特長 -
「阿弥陀堂」(非公開)
西明寺(滋賀県犬山郡)より勧請された阿弥陀如来が祀られており、お盆・両彼岸法要参加者のみ参拝可能 -
お瀧不動尊へ
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手前にお瀧不動さん、奥に不動の滝
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「不動の滝」
不動堂の奥に滝があり、「お滝不動」が祀られている -
毘沙門堂とは又違うひなびた雰囲気の紅葉がいい!
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不動堂裏の紅葉
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山門あたりの紅葉は素晴らしい!
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15分ほどで琵琶湖疏水に架かる「安朱橋」(あんしゅばし)
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ここから「山科駅」へ15分
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京阪「山科駅」本日の終点に到着
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