2022/10/29 - 2022/10/29
124位(同エリア127件中)
旅四郎さん
秋田県の由利本荘市に行き本荘城跡にある本荘公園を散策し、本荘郷土資料館で歴史を勉強した。次に横手市で横手焼きそばを賞味し、後三年合戦金沢資料館を見学。岩手県に移動し、平泉町にある達谷窟毘沙門堂を見学して、厳美渓を散策。
10月29日(土)宿泊した金浦温泉・学校の栖を出て道の駅で朝食。由利本荘市にある本荘城跡にある修身館や本荘神社を散策し、本荘郷土資料館を見学。横手市に行ってJR横手駅近くの食い道楽本店で昼食。後三年合戦金沢資料館を見学して、北上市に向かうが通行止があってどうしても行けないので、仕方なく秋田自動車道を使った。大幅に遅れたので、以前行ったことがある中尊寺や毛越寺はパスして、達谷窟毘沙門堂と厳美渓を見学することにした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- レンタカー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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10月29日(土)朝起きて外に出てみると、昨夜の雨が嘘のように天気は回復していた。宿泊した「金浦温泉・学校の栖」を午前7時40分頃に出発。
金浦温泉 学校の栖 宿・ホテル
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国道7号線に出て、北に走って30分程走ると「道の駅 にしめ」が見えてきたので、ここで朝食を食べることにした。
道の駅 にしめ はまなすの里 道の駅
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道の駅の「日の丸食堂」に入って、目玉焼き定食を注文。
日の丸食堂 グルメ・レストラン
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朝食を済ませて、国道7号線をさらに北に進み、由利本荘市に入って国道107号線を東に進んで本荘公園に到着する。本荘城址に上ると復元された大手門と大手門広場が広がっている。
本荘公園 公園・植物園
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本荘城址をさらに上ると本丸休憩施設「本丸の館」が見えてくる。中に入って階段を上ると小展望台になって公園内を見渡せる。
本荘城跡 名所・史跡
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本丸の館のホールには印象的な丸窓がある。窓から見て左側に十年桜が見える。春先と10月から12月にかけて、年2回花を咲かせる。
本荘城跡 名所・史跡
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本丸の館と同じ敷地内に本丸体験学習施設「修身館」がある。本荘城三の丸にあった藩校「修身館」に因んで名付けられた。
本荘城跡 名所・史跡
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館内に入ると「本荘傘鉾」が展示されている。本荘の傘鉾は写真のように吊し飾り付けられている。有名な京都祇園祭の四条傘鉾は吊し飾りが無い。「傘鉾は北前船に依ってもたらされた都の文化が伝播されたもの…祭りの祭具であると共に、その吊し飾りは、女の子の初節句を祝って、祖母や或いは親類縁者・近所の人たちが、赤ちゃんの幸多かれと願いながら、一針一針縫い上げた物」と説明されている。
本荘城跡 名所・史跡
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由利本荘市の楠家に古くから伝わる写真の甲冑が展示されている。甲冑には「菊水」の紋があり、南北朝時代の南朝方の知将として有名な楠木正成の紋章である。甲冑の由来は作成時期については不明。館内には縄文土器、本荘城についての解説や模型、現代の名工・小高重光の組木細工、佐々木良三の「EARTH Ⅰ」などの作品が展示されていた。
本荘城跡 名所・史跡
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修身館を出ると、「正一位稲荷大明神」がある。正一位稲荷大明神の称号は、伏見稲荷の祭神を、「稲荷勧請」によって、各地の稲荷の社祠に分祀したことを示すもので、「正一位」の神階は、伏見稲荷を「狐の本所」とする観念と関わりながら、「狐の官位」として普及していった。扁額には「城中稲荷社」と書かれている。
本荘城跡 名所・史跡
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公園の中には写真の「満洲開拓の碑」がある。元満州国牡丹江省寧安県沙蘭村に渡った第十次営城由利開拓団を顕彰したもの。秋田県由利郡から291名渡満。現地出生57名。帰還者192名、死亡者138名、他18名と記されている。この碑は1989年に建立された。
本荘城跡 名所・史跡
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本荘神社は本荘城の本丸跡に鎮座している。本荘城は1610(慶長15)年、楯岡豊前守満茂が尾崎山に築城を開始し、2年後に完成。この地を本城と名付け、その後本城の規模を縮小して本荘城と改称した。戊辰戦争時には本荘藩は久保田藩と共に新政府軍側に属したため、藩主六郷兵庫頭政鑑は本荘城に火を放ち久保田城へ逃れ、1869(明治2)年に廃城になった。
本荘城跡 名所・史跡
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本荘公園には写真の「報国戦死碑」がある。「明治3年に建てられた、戊辰戦争時に新政府軍側で戦死した66名の碑。碑には久保田(秋田)藩、佐賀藩、福岡藩、鳥取藩、松江藩、弘前藩、本荘藩の藩士の『藩名、氏名、戦死月日、戦死箇所、年齢』が刻まれています。この戦死者以外に秋田庄内戊辰戦争では新政府軍だけでも約500名の戦死者を出した」と記されている。
本荘城跡 名所・史跡
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修身館の近くに「猿倉人形芝居木内勇吉一座顕彰碑」がある。猿倉人形芝居は、鳥海町出身の池田与八が創案し、本荘出身の木内勇吉一座がこれを継承して明治から昭和にかけて全国各地を巡業した。その功績を顕彰した碑であり、1974年に県無形民族文化財に指定された。猿倉人形芝居は「裾突っ込み指人形挟み式」といわれ、人形衣装の裾から腕を入れ、人形カシラのノド木を人差し指と中指で挟んだ。
本荘城跡 名所・史跡
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本荘公園を出て、羽州浜街道を北に進み子吉川を渡ると「由利本荘市郷土資料館」が見える。午前10時頃に到着。郷土資料館は、「地域の歴史を深く学び、地域の未来を創造するため、私たちの祖先が残した生活の様子や精神的な営み(文化)を学び、残されたさまざまな歴史・民俗資料などを調査収集し、これらの資料を保管する施設として旧本荘北中学校跡地に建てられたもの」と説明されている。
本荘郷土資料館 美術館・博物館
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館内に入ると、資料館の職員が解説してくれた。企画展として須藤善一郎コレクションが実施されていた。彼は出羽国由利郡本荘中町の大地主須藤善太郎、ナオの長男として生まれた。明治から昭和初期の政治家・実業家であった須藤善一郎が残した文化財を公開されていた。
本荘郷土資料館 美術館・博物館
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特に注目すべきものは維新の三傑と呼ばれる三人の書が揃って展示されていることだ。一番左は犬養毅のものだが、次に西郷隆盛、大久保利通、木戸孝允の書が並んでいる。
本荘郷土資料館 美術館・博物館
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本荘の歴史と文化の常設展には「本荘刺し子」が展示されていた。刺し子は日本海に沿った地方を中心に、貴重な木綿を大切にしようと布地を補強し、さらには寒さに耐える保温力を増すために縫い目を入れたのが始まりで、一針一針丹念に布地に模様を刺し込んだもの。昔から農家の野良着に活かされてきた手仕事が代々受け継がれ、今やその実用性と模様の巧みさ・美しさを両立させた。
本荘郷土資料館 美術館・博物館
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同じ展示室には「本荘ごてんまり」も展示されていた。本荘ごてんまりは、手まりを起源とし、全国でここだけという、手まりの三方に房をつけた、美しさと技の粋ともいえる工芸品。手まりの歴史は古く、1223(貞応2)年に手鞠会が盛んに催されたことが記録されている。手まりの模様には「菊」「十字手裏剣」「狐の迷い道」などがある。
本荘郷土資料館 美術館・博物館
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郷土芸能として「猿倉人形芝居」が展示されていた。猿倉という名称は、創始者池田予八の弟子で、人形芝居を大きく発展させた真坂藤吉の出身地に由来する。戦後、娯楽の多様化が進むと、人形劇は徐々に下火になり、継承者も減少したが、秋田県内では木内勇吉一座、吉田千代勝一座、鈴木栄太郎一座の三座が芸を守り続けた。
本荘郷土資料館 美術館・博物館
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午前10時49分頃に資料館を出て、国道107号線を東に走って、横手に向かう。JR横手駅の近くにある「食い道楽 本店」に午後12時30分頃に到着。とにかく横手焼きそばを食べようと思って、この店を選んだ。店内に入ると、カウンター席と座敷がある。
食い道楽 本店 グルメ・レストラン
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長年かけて開発したというオリジナルソースが特徴という、定番の横手焼きそばとおにぎりを注文する。牛バラ焼きそば、マーボー焼きそばもある。秋田県の地域クーポンで支払った。昼食を済ませて、地域クーポンが残っているので国道13号線沿いにあるビフレ横手店で秋田の名酒「雪の茅舎」を購入。
食い道楽 本店 グルメ・レストラン
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国道13号線を北上し「後三年合戦金沢資料館」に午後1時20分に到着。陸奥・出羽を治めていた清原氏の内紛に、陸奥国守の源義家が介入し、清原氏が敵と味方に分かれて戦った合戦。後三年合戦関連遺跡発掘調査の出土品や秋田県指定文化財の経筒、金澤八幡宮の宝物などが展示されている。
後三年合戦金沢資料館 美術館・博物館
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館内に入ると、この資料館の中心資料である地元の文人・戎谷南山が模写した「後三年合戦絵詞」をはじめとして、「改訂補遺奥州後三年合戦絵詞」、「前九年合戦絵巻」などが展示されていた。午後1時40分頃に資料館を出て、国道13号線を南下して横手で県道1号線を東に走って北上市に向かう。
後三年合戦金沢資料館 美術館・博物館
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県道1号線から国道107号線に入って湯田を過ぎた辺りで通行止めになっていた。北上市へ抜ける道を探しているうちに時間を浪費するばかりだったので、仕方なく秋田自動車道の湯田インターに入った。北上金ヶ崎インターで降りて、国道4号線を南下。平泉で県道31号線を西に走って、午後4時40分頃に達谷窟毘沙門堂に到着。入口の「石之大鳥居」は壱之鳥居、赤い弐之鳥居、その奥に参之鳥居がある。
達谷窟毘沙門堂 寺・神社・教会
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鳥居を潜ると達谷窟毘沙門堂がある。801(延喜20)年、征夷大将軍・坂上田村麻呂は激戦の末蝦夷を平定した。翌年、毘沙門天の加護に感謝して毘沙門天を祀る別當寺として建立した伝えられている。毘沙門堂は岸壁を背にした懸崖造の建物で、国指定の史跡になっている。階段を上って堂内入る。
達谷窟毘沙門堂 寺・神社・教会
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毘沙門堂を出ると、西側の高さ約33mの大岩壁に約3.6mの大仏の顔が刻まれている。前九年・後三年の役で戦没した兵士の霊を供養するために陸奥守源義家が馬上より弓張を以って彫り付けたと伝えられている。「北限の磨崖仏」として名高く、1695(元禄9)年の記録には「大日之尊體」と記され、磨崖仏は大日如来と考えられる。現在では「岩面大佛」と呼ばれている。
達谷窟毘沙門堂 寺・神社・教会
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毘沙門堂の前庭には蝦蟆ヶ池と中島に辯天堂がある。昔、錫杖を持って奥州を巡行していた慈覺大師は達谷川や北上川を行き来する美しい浮嶋を見て、五色のガマの姿をした貪欲神が化けたものと見破った。大師はガマを捕えて窟毘沙門堂の前まで引きいて逃げ出さぬように堂宇を建立した。ガマを抑える白虵である八肘の辯才天女を大師は彫って祀り、蝦蟆ヶ池辯天堂と名付けたと伝えられる。
達谷窟毘沙門堂 寺・神社・教会
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金堂は古くは講堂とも呼ばれ、802(延喜21)年に達谷川対岸の谷地田に建てられたが、1490(延徳2)年の大火で燒失した。江戸時代には現在の場所に建てられた客殿が金堂の役割を果たしていたが、明治初年に廢仏毀釋で破棄された。1987(昭和62)年に再建に着手し、1996(平成8)年に完成した。
天台宗 別當 達谷西光寺 寺・神社・教会
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午後4時50分頃にに達谷窟毘沙門堂を出て県道31号線を南下。午後4時58分に厳美渓に到着。磐井川が巨岩を侵食し、変化のある景色をつくり出している。国の天然記念物にも指定されており、川岸には大小の滝や怪岩、奇岩が連なる。厳美渓の周辺には落葉樹が多く、赤や黄に色づいた紅葉が楽しめる。周囲は暗くてあまりよく見えない状態だったが、優秀なiPhoneのカメラは景色をはっきり捉えている。
厳美渓 自然・景勝地
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厳美渓を出て、国道342号線を東に走って、チサン・イン 岩手一関インターに午後5時20分頃に到着。チェックインして部屋で休憩して、夕食に出かける。国道342号線沿いには多くの店があるので、ぶらぶら歩いて適当な店を探した。スーパーマーケットのイオン一関店近くのあるかつや一関店に入った。
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宿泊したチサン・イン 岩手一関インターは全国旅行支援が利用できなかったので、カツ丼を注文して安く上げた。夕食を済ませてホテルに戻る。
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チサンイン岩手一関インター
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