鳥海・由利旅行記(ブログ) 一覧に戻る
今回の旅行のハイライトともいうべき、鳥海山の鉾立展望台に行く。その前に鶴岡市内で昨日時間がなくて行けなかった観光スポットや酒田市にも魅力的な場所も多くある。鳥海山を下山して、象潟を散策。<br />10月28日(金)ホテルで朝食を済ませてチェックアウト。鶴岡公園に向かう。鶴ケ岡城跡にある鶴岡護国神社、荘内神社、大寶館を見学する。次に酒田市に向かう。山居倉庫、庄内米歴史資料館、本間家旧本邸、酒田市立資料館などを見学。酒田市を出て十六羅漢岩を見学し、鳥海ブルーラインを走って鳥海山鉾立登山口へ。鳥海山展望台から絶景を楽しむ。下山して元滝伏流水を見学し、象潟に向かう。夕方、土砂降り雨の中、何とかホテルにたどり着く。

2022年秋、「どこかにマイル」と全国旅行支援で東北の旅 3.山居倉庫を見学、鳥海山の絶景を堪能する

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2022/10/28 - 2022/10/28

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旅四郎さん

今回の旅行のハイライトともいうべき、鳥海山の鉾立展望台に行く。その前に鶴岡市内で昨日時間がなくて行けなかった観光スポットや酒田市にも魅力的な場所も多くある。鳥海山を下山して、象潟を散策。
10月28日(金)ホテルで朝食を済ませてチェックアウト。鶴岡公園に向かう。鶴ケ岡城跡にある鶴岡護国神社、荘内神社、大寶館を見学する。次に酒田市に向かう。山居倉庫、庄内米歴史資料館、本間家旧本邸、酒田市立資料館などを見学。酒田市を出て十六羅漢岩を見学し、鳥海ブルーラインを走って鳥海山鉾立登山口へ。鳥海山展望台から絶景を楽しむ。下山して元滝伏流水を見学し、象潟に向かう。夕方、土砂降り雨の中、何とかホテルにたどり着く。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
4.0
グルメ
4.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
レンタカー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 10月28日(金)宿泊したホテルイン鶴岡の部屋で昨夜買ったハムエッグランチを朝食として食べる。少し早めにチェックアウトして、昨日行けなかった鶴岡公園周辺の観光スポットを散策することにした。

    10月28日(金)宿泊したホテルイン鶴岡の部屋で昨夜買ったハムエッグランチを朝食として食べる。少し早めにチェックアウトして、昨日行けなかった鶴岡公園周辺の観光スポットを散策することにした。

    ホテルイン鶴岡 宿・ホテル

  • 鶴岡公園は庄内藩酒井家歴代藩主の居城として栄えた鶴ケ岡城跡に整備された公園。現在も濠や石垣があり、往時の面影を残している。県内随一の桜の名所として有名。朝から天気が良く気持ちよく散策できた。

    鶴岡公園は庄内藩酒井家歴代藩主の居城として栄えた鶴ケ岡城跡に整備された公園。現在も濠や石垣があり、往時の面影を残している。県内随一の桜の名所として有名。朝から天気が良く気持ちよく散策できた。

    鶴岡公園 名所・史跡

  • 鶴岡公園の中の鶴ケ岡城跡の堀の中には写真の菖蒲園があり。5月にはアヤメ、6月には花菖蒲が見ごろになる。この時期は多くの苗が植えられている。

    鶴岡公園の中の鶴ケ岡城跡の堀の中には写真の菖蒲園があり。5月にはアヤメ、6月には花菖蒲が見ごろになる。この時期は多くの苗が植えられている。

    鶴岡公園 名所・史跡

  • 城跡に入ると写真の鶴岡護国神社がある。戊辰戦争、西南戦争に殉じた藩士の霊を祀るため、酒井家13代藩主酒井忠篤が鶴ヶ岡城御金蔵址に1895(明治28)年に創建した。その後の日清・日露・第一次世界大戦・太平洋戦争で戦死した人々を英霊として祀っている。境内には「石原莞爾生誕之地」の石碑もあった。

    城跡に入ると写真の鶴岡護国神社がある。戊辰戦争、西南戦争に殉じた藩士の霊を祀るため、酒井家13代藩主酒井忠篤が鶴ヶ岡城御金蔵址に1895(明治28)年に創建した。その後の日清・日露・第一次世界大戦・太平洋戦争で戦死した人々を英霊として祀っている。境内には「石原莞爾生誕之地」の石碑もあった。

    鶴岡護国神社 寺・神社・教会

  • 近くには写真の荘内神社がある。酒井家初代忠次、二代家次、三代忠勝、九代忠徳を祀る神社で、鶴ヶ岡城本丸跡に1877(明治10)年に建てられた。大晦日から元旦にかけて初詣客でにぎわい、夏の例大祭ではかつて江戸城西の丸で時を告げていた大太鼓が打ち鳴らされ、参勤交代を再現した大名行列が市中を練り歩く。創建から120年以上を経た今も「神社はん」の愛称で人々に親しまれている。

    近くには写真の荘内神社がある。酒井家初代忠次、二代家次、三代忠勝、九代忠徳を祀る神社で、鶴ヶ岡城本丸跡に1877(明治10)年に建てられた。大晦日から元旦にかけて初詣客でにぎわい、夏の例大祭ではかつて江戸城西の丸で時を告げていた大太鼓が打ち鳴らされ、参勤交代を再現した大名行列が市中を練り歩く。創建から120年以上を経た今も「神社はん」の愛称で人々に親しまれている。

    荘内神社 寺・神社・教会

  • 荘内神社の境内の奥には御輿殿があり、中に写真の金の神輿が安置されてる。「酒井忠勝公庄内入部四百年記念 御神輿修繕完了 明治十年の御鎮座を記念して製作された御神輿を山形市の神輿職人が十ヶ月かけて全面修理を施しました。金箔は、世界遺産日光東照宮と同じ純金箔を使用されました」と神輿の前に置かれ説明板に書かれている。

    荘内神社の境内の奥には御輿殿があり、中に写真の金の神輿が安置されてる。「酒井忠勝公庄内入部四百年記念 御神輿修繕完了 明治十年の御鎮座を記念して製作された御神輿を山形市の神輿職人が十ヶ月かけて全面修理を施しました。金箔は、世界遺産日光東照宮と同じ純金箔を使用されました」と神輿の前に置かれ説明板に書かれている。

    荘内神社 寺・神社・教会

  • 本殿の向かいに宝物殿がある。御鎮座120年を記念して、1998(平成10)年に開館した。旧藩主家酒井家より奉納された貴重な宝物や旧家より奉納された雛人形、雛道具、五月人形、土人形など歴史的にも貴重な品々が展示されている。鶴ヶ岡城下絵図、御城時代の大絵馬なども展示されている。写真は徳川家康所用の金白檀塗り黒糸威二枚仏胴具足。

    本殿の向かいに宝物殿がある。御鎮座120年を記念して、1998(平成10)年に開館した。旧藩主家酒井家より奉納された貴重な宝物や旧家より奉納された雛人形、雛道具、五月人形、土人形など歴史的にも貴重な品々が展示されている。鶴ヶ岡城下絵図、御城時代の大絵馬なども展示されている。写真は徳川家康所用の金白檀塗り黒糸威二枚仏胴具足。

    荘内神社 寺・神社・教会

  • 県道47号線に面して写真の大寶館がある。大正天皇の即位を記念して建てられたもので、1915(大正4)年10月に完成、物産陳列場、図書館として使用された。オランダバロックを思わせる窓とルネッサンス風のドームがのせられている。赤い尖塔屋根と白壁が特徴で、今なお美しいたたずまいを見せる洋風建築。現在は郷土人物資料展示施設として使用されている。

    県道47号線に面して写真の大寶館がある。大正天皇の即位を記念して建てられたもので、1915(大正4)年10月に完成、物産陳列場、図書館として使用された。オランダバロックを思わせる窓とルネッサンス風のドームがのせられている。赤い尖塔屋根と白壁が特徴で、今なお美しいたたずまいを見せる洋風建築。現在は郷土人物資料展示施設として使用されている。

    大宝館 美術館・博物館

  • 鶴岡市を出て国道112号線を北に走る。最上川河口に面して写真の山居倉庫が見える。酒田は江戸寺時代には庄内産の米を輸送するための拠点として整備された。山居倉庫は1893(明治26)年に建てられた米穀倉庫で、川に沿って倉庫が立ち並ぶ様は酒田のシンボル。けやきを植え、風通しをよくするために二重屋根にするなど建物の随所に大切な米を守るための工夫が見られる。

    鶴岡市を出て国道112号線を北に走る。最上川河口に面して写真の山居倉庫が見える。酒田は江戸寺時代には庄内産の米を輸送するための拠点として整備された。山居倉庫は1893(明治26)年に建てられた米穀倉庫で、川に沿って倉庫が立ち並ぶ様は酒田のシンボル。けやきを植え、風通しをよくするために二重屋根にするなど建物の随所に大切な米を守るための工夫が見られる。

    山居倉庫 名所・史跡

  • 現在12棟が残り、今も米穀倉庫として使用されている。倉庫の1棟を改装した写真の庄内米歴史資料館は1985(昭和60)年に開館した。稲作の歴史、稲のルーツ、品種改良の歴史、生産・保管・流通の過程、山居倉庫での作業の様子などを精緻な模型や展示パネルなどで分かりやすく紹介している。<br />

    現在12棟が残り、今も米穀倉庫として使用されている。倉庫の1棟を改装した写真の庄内米歴史資料館は1985(昭和60)年に開館した。稲作の歴史、稲のルーツ、品種改良の歴史、生産・保管・流通の過程、山居倉庫での作業の様子などを精緻な模型や展示パネルなどで分かりやすく紹介している。

    庄内米歴史資料館 美術館・博物館

  • 館内に入ると、千石船の模型、俵編器や唐箕などの実物が展示されている。写真は女丁持と呼ばれる米俵を運ぶ女性の人形。1俵が60㎏だから5俵で300㎏の重さがある俵を運んでいる。俵を担いで重さを実感できるコーナーもある。山居倉庫から船着き場まで女性が米俵を担いで運んだ。山居倉庫には米俵が濡れないように屋根付きの通路がある。

    館内に入ると、千石船の模型、俵編器や唐箕などの実物が展示されている。写真は女丁持と呼ばれる米俵を運ぶ女性の人形。1俵が60㎏だから5俵で300㎏の重さがある俵を運んでいる。俵を担いで重さを実感できるコーナーもある。山居倉庫から船着き場まで女性が米俵を担いで運んだ。山居倉庫には米俵が濡れないように屋根付きの通路がある。

    庄内米歴史資料館 美術館・博物館

  • 庄内米歴史資料館の近くには新井田川に架かる写真の山居橋がある。山居橋は山居倉庫エリアと酒田市街地を結ぶ歩道橋。現在の橋は 1993(昭和68)年に架けられたもので、鉄筋構造をヒバ材で覆った重厚な外観の太鼓橋で52mの長さがある。山居倉庫の2棟は「酒田夢の倶楽」として土産物店やレストランに使用されている。

    庄内米歴史資料館の近くには新井田川に架かる写真の山居橋がある。山居橋は山居倉庫エリアと酒田市街地を結ぶ歩道橋。現在の橋は 1993(昭和68)年に架けられたもので、鉄筋構造をヒバ材で覆った重厚な外観の太鼓橋で52mの長さがある。山居倉庫の2棟は「酒田夢の倶楽」として土産物店やレストランに使用されている。

    山居倉庫 名所・史跡

  • 山居倉庫の近くに本間家旧本邸がある。江戸時代の豪商本間家3代光丘が幕府巡見使の本陣宿として1768(明和5)年に建設しもので、庄内藩主酒井家に献上した。写真は旗本2000石格式の長屋門で、特別な時や賓客の来訪時にのみ使用された。邸内には幕府の巡見使を迎えた御座敷や士分が許された本間家の御勝手があり、土間ではなく板間になっている。樹齢400年以上の赤松なども見られる。

    山居倉庫の近くに本間家旧本邸がある。江戸時代の豪商本間家3代光丘が幕府巡見使の本陣宿として1768(明和5)年に建設しもので、庄内藩主酒井家に献上した。写真は旗本2000石格式の長屋門で、特別な時や賓客の来訪時にのみ使用された。邸内には幕府の巡見使を迎えた御座敷や士分が許された本間家の御勝手があり、土間ではなく板間になっている。樹齢400年以上の赤松なども見られる。

    本間家旧本邸 名所・史跡

  • 本間家旧本邸の向かいに写真の本間家旧本邸別館「御店」がある。本間家初代原光が「新潟屋」を開業して以来、本間家が代々商いを営んだ場所。館内には、実際に使用された帳場や度量衡、行灯等の照明具、金庫、台所用品、そして商いに使用された看板などを展示している。

    本間家旧本邸の向かいに写真の本間家旧本邸別館「御店」がある。本間家初代原光が「新潟屋」を開業して以来、本間家が代々商いを営んだ場所。館内には、実際に使用された帳場や度量衡、行灯等の照明具、金庫、台所用品、そして商いに使用された看板などを展示している。

    本間家旧本邸 名所・史跡

  • 酒田は火事が多かったため、本間家はこれに備えて消火道具を用意した。写真は江戸時代から明治時代にかけて用いられた竜吐水で、竜が水を吐く様に見えたことから名付けられた。地域とともに歩んだ本間家の様子が紹介されている。

    酒田は火事が多かったため、本間家はこれに備えて消火道具を用意した。写真は江戸時代から明治時代にかけて用いられた竜吐水で、竜が水を吐く様に見えたことから名付けられた。地域とともに歩んだ本間家の様子が紹介されている。

    本間家旧本邸 名所・史跡

  • 本間家旧本邸から4分程歩くと、写真の酒田市立資料館がある。考古・歴史・民俗などのさまざまな資料を収集保存、紹介する事を目的に、1978(昭和53)年に開館した。2階が常設展示で、湊町として栄えた酒田の舟運の資料、城輪柵、酒田商人の繁栄、戊辰戦争、酒田大火などに関する展示が行われている。

    本間家旧本邸から4分程歩くと、写真の酒田市立資料館がある。考古・歴史・民俗などのさまざまな資料を収集保存、紹介する事を目的に、1978(昭和53)年に開館した。2階が常設展示で、湊町として栄えた酒田の舟運の資料、城輪柵、酒田商人の繁栄、戊辰戦争、酒田大火などに関する展示が行われている。

    酒田市立資料館 美術館・博物館

  • 1階では「昔なつかし酒田の看板と広告」という企画展が行われていた。配布されたチラシには「明治から昭和にかけて作られた看板や、新聞、冊子など様々な印刷物に掲載された面白いデザインの広告を紹介します」と今回の企画展の趣旨が書かれている。写真は展示されていた明治時代の海産物商樋田為次郎の広告チラシである引札。

    1階では「昔なつかし酒田の看板と広告」という企画展が行われていた。配布されたチラシには「明治から昭和にかけて作られた看板や、新聞、冊子など様々な印刷物に掲載された面白いデザインの広告を紹介します」と今回の企画展の趣旨が書かれている。写真は展示されていた明治時代の海産物商樋田為次郎の広告チラシである引札。

    酒田市立資料館 美術館・博物館

  • 酒田市立資料館から国道7号線を北に走って約30分で十六羅漢岩に到着。海禅寺の21代寛海和尚が、日本海で命を落とした漁師の供養と海の安全を願って、1868(明治元)年に完成させた磨崖仏群。16の羅漢のほか、菩薩や舎利仏を合わせて22体が並ぶ。

    酒田市立資料館から国道7号線を北に走って約30分で十六羅漢岩に到着。海禅寺の21代寛海和尚が、日本海で命を落とした漁師の供養と海の安全を願って、1868(明治元)年に完成させた磨崖仏群。16の羅漢のほか、菩薩や舎利仏を合わせて22体が並ぶ。

    十六羅漢岩 寺・神社・教会

  • 十六羅漢岩から鳥海ブルーラインを約25分走って見晴らしの良い場所があったので駐車場に車を停めた。眼前には紅葉した山と日本海が広がっている。

    十六羅漢岩から鳥海ブルーラインを約25分走って見晴らしの良い場所があったので駐車場に車を停めた。眼前には紅葉した山と日本海が広がっている。

    鳥海国定公園 自然・景勝地

  • 駐車場から1分で鳥海山鉾立登山口駐車場に到着。写真左に鳥海山ビジターセンター、その隣に鉾立山荘、稲倉山荘がある。この駐車場よりさらに高い位置にある駐車場に車を停めたので、見晴らしは良かったが、風はかなり強かった。360°展望できる素晴らしいロケーションを楽しむことができた。

    駐車場から1分で鳥海山鉾立登山口駐車場に到着。写真左に鳥海山ビジターセンター、その隣に鉾立山荘、稲倉山荘がある。この駐車場よりさらに高い位置にある駐車場に車を停めたので、見晴らしは良かったが、風はかなり強かった。360°展望できる素晴らしいロケーションを楽しむことができた。

    高原の駅 鳥海山鉾立 道の駅

  • 鳥海山ビジターセンターを見学。2022(令和4)年4月28日にリニューアルオープンした鳥海山をダイジェスト紹介する施設。鳥海山の「なりたち」、「自然」、「登山」のそれぞれの紹介コーナーが設けられている。鳥海山・飛島ジオパークに関することや鳥海山に咲く花、生息している動物なども紹介している。ビジターセンター向かいの稲倉山荘で鳥海ラーメンを食した。

    鳥海山ビジターセンターを見学。2022(令和4)年4月28日にリニューアルオープンした鳥海山をダイジェスト紹介する施設。鳥海山の「なりたち」、「自然」、「登山」のそれぞれの紹介コーナーが設けられている。鳥海山・飛島ジオパークに関することや鳥海山に咲く花、生息している動物なども紹介している。ビジターセンター向かいの稲倉山荘で鳥海ラーメンを食した。

    秋田県営 鉾立ビジターセンター 美術館・博物館

  • 日本百名山のひとつにも数えられる標高2236mの鳥海山。鉾立は鳥海山5合目にあり、標高1150mの位置にある。象潟口登山道で鳥海湖に行こうと思ったが雨が降ってきたので諦めた。稲倉山荘から徒歩1分の場所に鳥海山展望台がある。天気が悪くなってきたが、写真右奥に、鳥海山の頂上が何とか見える。午後12時45分頃に駐車場を出て、象潟に向かう。

    日本百名山のひとつにも数えられる標高2236mの鳥海山。鉾立は鳥海山5合目にあり、標高1150mの位置にある。象潟口登山道で鳥海湖に行こうと思ったが雨が降ってきたので諦めた。稲倉山荘から徒歩1分の場所に鳥海山展望台がある。天気が悪くなってきたが、写真右奥に、鳥海山の頂上が何とか見える。午後12時45分頃に駐車場を出て、象潟に向かう。

    鉾立展望台 名所・史跡

  • 午後1時20分頃に元滝伏流水の駐車場に到着。10分程歩くと、鳥海山の万年雪が地中に染み込み、伏流水となって岩間から吹き出す景勝スポットが見える。苔むした岩肌を清冽な水が勢いよく流れるさまは圧巻。幅約30mの岩肌一帯から一日5万トンもの水が湧き出している。苔むした森を歩いていると、『もののけ姫』の世界に迷い込んだような錯覚を覚える。

    午後1時20分頃に元滝伏流水の駐車場に到着。10分程歩くと、鳥海山の万年雪が地中に染み込み、伏流水となって岩間から吹き出す景勝スポットが見える。苔むした岩肌を清冽な水が勢いよく流れるさまは圧巻。幅約30mの岩肌一帯から一日5万トンもの水が湧き出している。苔むした森を歩いていると、『もののけ姫』の世界に迷い込んだような錯覚を覚える。

    元滝伏流水 自然・景勝地

  • 奈曽の白滝を目指してカーナビに従って走ったが見つからなかった。午後2時30分に写真の象潟郷土資料館に到着。象潟のなりたちや歴史・文化を分かりやすく紹介している資料館。屋外には巨大な埋もれ木が展示されている。象潟の原型をつくった紀元前466年の鳥海山の噴火の際に杉が泥流によって土中に封じ込められたもので、近年掘り出された。

    奈曽の白滝を目指してカーナビに従って走ったが見つからなかった。午後2時30分に写真の象潟郷土資料館に到着。象潟のなりたちや歴史・文化を分かりやすく紹介している資料館。屋外には巨大な埋もれ木が展示されている。象潟の原型をつくった紀元前466年の鳥海山の噴火の際に杉が泥流によって土中に封じ込められたもので、近年掘り出された。

    象潟郷土資料館 美術館・博物館

  • 館内に入ると、「潟時代の象潟」のコーナーがある。ここには潟時代の象潟を825分の1で再現した写真の模型がある。大小百以上の島々が点在するで潟で独特の風景があった。その他に、貝殻や埋もれ木なども展示している。

    館内に入ると、「潟時代の象潟」のコーナーがある。ここには潟時代の象潟を825分の1で再現した写真の模型がある。大小百以上の島々が点在するで潟で独特の風景があった。その他に、貝殻や埋もれ木なども展示している。

    象潟郷土資料館 美術館・博物館

  • 象潟の旧景を余すことなく伝える写真の六曲一双の象潟図屏風が展示されている。本荘藩主が本荘画工の祖である牧野永昌に描かせたもので、鳥海山や島々、街並みを忠実に、しかも当時の名称も添えて描写している。往事を伝える歴史的な資料でもあり、県の文化財に指定されている。<br />

    象潟の旧景を余すことなく伝える写真の六曲一双の象潟図屏風が展示されている。本荘藩主が本荘画工の祖である牧野永昌に描かせたもので、鳥海山や島々、街並みを忠実に、しかも当時の名称も添えて描写している。往事を伝える歴史的な資料でもあり、県の文化財に指定されている。

    象潟郷土資料館 美術館・博物館

  • 地元出身の木版画家・池田修三の作品も展示している。今年の10月25日から池田修三生誕100周年記念企画展「暮らしを彩る木版画」を開催していた。県内の高校教師を辞め木版画家を目指して1955(昭和30)年に上京、82歳で亡くなるまで、子どもを主テーマにさまざまな情景を描き、晩年は風景画も手掛けきた。

    地元出身の木版画家・池田修三の作品も展示している。今年の10月25日から池田修三生誕100周年記念企画展「暮らしを彩る木版画」を開催していた。県内の高校教師を辞め木版画家を目指して1955(昭和30)年に上京、82歳で亡くなるまで、子どもを主テーマにさまざまな情景を描き、晩年は風景画も手掛けきた。

    象潟郷土資料館 美術館・博物館

  • 象潟郷土資料館の人に象潟の情景が良くわかる場所として、道の駅 象潟ねむの丘を紹介してもらった。写真の建物が道の駅 象潟ねむの丘で、周りを回って展望できそうな場所を探した。ここは地元のみやげが揃う物産館や食事処が備わる人気の道の駅。

    象潟郷土資料館の人に象潟の情景が良くわかる場所として、道の駅 象潟ねむの丘を紹介してもらった。写真の建物が道の駅 象潟ねむの丘で、周りを回って展望できそうな場所を探した。ここは地元のみやげが揃う物産館や食事処が備わる人気の道の駅。

    道の駅象潟「ねむの丘」 道の駅

  • 道の駅の建物の後ろが小高くなっているので登ってみると、少し雲がかかっているが迫力のある鳥海山の美しい姿がよく見える。山頂付近の地形を見ると、北に開いた馬蹄形の窪みがあり、東鳥海馬蹄形カルデラである。

    道の駅の建物の後ろが小高くなっているので登ってみると、少し雲がかかっているが迫力のある鳥海山の美しい姿がよく見える。山頂付近の地形を見ると、北に開いた馬蹄形の窪みがあり、東鳥海馬蹄形カルデラである。

    道の駅象潟「ねむの丘」 道の駅

  • この建物の6階に展望室があり、こんもりと盛り上がって島のようになっている場所が点在していることが良くわかる。かつては「東の松島、西の象潟」と呼ばれ、103余りの小島が浮かぶ入り江で、松島と並び称せられた潟の絶景だった。象潟の様子をもっと近くで見たいと思って、道の駅の近くにある蚶満寺へ行った。

    この建物の6階に展望室があり、こんもりと盛り上がって島のようになっている場所が点在していることが良くわかる。かつては「東の松島、西の象潟」と呼ばれ、103余りの小島が浮かぶ入り江で、松島と並び称せられた潟の絶景だった。象潟の様子をもっと近くで見たいと思って、道の駅の近くにある蚶満寺へ行った。

    道の駅象潟「ねむの丘」 道の駅

  • 景勝地象潟は1804(文化元)年の象潟地震で陸地化し干潟に変ってしまった。陸地化した象潟を巡って開田の実施で島だった高台を破壊しようとする本荘藩と九十九島の保存を主張する蚶満寺住職全栄覚林が対立した。全栄覚林は本荘藩に捕らえられ獄死するが、後に保存運動が高まり、現在のような景観が保存されている。写真のように水田の中に点在する島々から当時の面影がしのばれる。

    景勝地象潟は1804(文化元)年の象潟地震で陸地化し干潟に変ってしまった。陸地化した象潟を巡って開田の実施で島だった高台を破壊しようとする本荘藩と九十九島の保存を主張する蚶満寺住職全栄覚林が対立した。全栄覚林は本荘藩に捕らえられ獄死するが、後に保存運動が高まり、現在のような景観が保存されている。写真のように水田の中に点在する島々から当時の面影がしのばれる。

    天然記念物「象潟」九十九島 自然・景勝地

  •  1689(元禄2)年6月、「奥の細道」最北の地象潟を訪れた松尾芭蕉はその景観を絶賛して「きさかたや雨に西施がねむの花」と詠んでいる。雨の象潟は中国の悲劇の美女西施を思い浮かべるほど寂しく悲しい景色に見えたのか。写真の銅像の隣に句碑がある。芭蕉は「象潟は松島に似ていて、また違う。松島は笑うようで、象潟は恨むようだ。その土地の趣は美女が憂いに閉ざされているようだ」と言っている。

    1689(元禄2)年6月、「奥の細道」最北の地象潟を訪れた松尾芭蕉はその景観を絶賛して「きさかたや雨に西施がねむの花」と詠んでいる。雨の象潟は中国の悲劇の美女西施を思い浮かべるほど寂しく悲しい景色に見えたのか。写真の銅像の隣に句碑がある。芭蕉は「象潟は松島に似ていて、また違う。松島は笑うようで、象潟は恨むようだ。その土地の趣は美女が憂いに閉ざされているようだ」と言っている。

    蚶満寺 寺・神社・教会

  • すぐ近くに蚶満寺山門がある。853(仁寿3)年、慈覚大師円仁が開山したと伝わる古刹で、芭蕉の奥の細道行脚で訪れた。山門は木造切妻造瓦葺きの八脚門で金剛力士像を安置する。寺伝によると1257(正嘉元)年に執権北条時頼が、北国巡遊で訪れたとき寺領を寄進し再興したと伝えられている。そのため、中興の開基と敬われている北条家の家紋「三鱗紋」を寺紋とし屋根瓦にも刻まれてる。

    すぐ近くに蚶満寺山門がある。853(仁寿3)年、慈覚大師円仁が開山したと伝わる古刹で、芭蕉の奥の細道行脚で訪れた。山門は木造切妻造瓦葺きの八脚門で金剛力士像を安置する。寺伝によると1257(正嘉元)年に執権北条時頼が、北国巡遊で訪れたとき寺領を寄進し再興したと伝えられている。そのため、中興の開基と敬われている北条家の家紋「三鱗紋」を寺紋とし屋根瓦にも刻まれてる。

    蚶満寺 寺・神社・教会

  • 急に雨が降ってきたので、予約していたたつみ寛洋ホテルに行った。ホテルに割り振られた予算が無くなったので、全国旅行支援が適応できないという。ホテル側と話し合って、まだ予算があるホテルを紹介してもらった。市街地から少し離れいるが写真の金浦温泉・学校の栖に行くことにした。車を運転するのも怖いような土砂降りの雨の中、迷いながら何とか写真のホテルにたどり着いた。

    急に雨が降ってきたので、予約していたたつみ寛洋ホテルに行った。ホテルに割り振られた予算が無くなったので、全国旅行支援が適応できないという。ホテル側と話し合って、まだ予算があるホテルを紹介してもらった。市街地から少し離れいるが写真の金浦温泉・学校の栖に行くことにした。車を運転するのも怖いような土砂降りの雨の中、迷いながら何とか写真のホテルにたどり着いた。

    金浦温泉 学校の栖 宿・ホテル

    竹林に囲まれた小学校の跡地に建てられた一軒家の宿 by 旅四郎さん
  • 大竹小学校の跡地に建てられた平屋の一軒宿。部屋の名前は2年1組で学校の泊まっているような気にさせられる。写真が秋田県の地域クーポン。ホテルで紹介してもらった美味しい店はホテルから遠くはないのだが、土砂降りの雨の中を運転して行くのは気が重かった。食べないわけにはいかないので安全運転を心がけて出かけることにした。

    大竹小学校の跡地に建てられた平屋の一軒宿。部屋の名前は2年1組で学校の泊まっているような気にさせられる。写真が秋田県の地域クーポン。ホテルで紹介してもらった美味しい店はホテルから遠くはないのだが、土砂降りの雨の中を運転して行くのは気が重かった。食べないわけにはいかないので安全運転を心がけて出かけることにした。

    金浦温泉 学校の栖 宿・ホテル

    竹林に囲まれた小学校の跡地に建てられた一軒家の宿 by 旅四郎さん
  • 国道7号線の金浦バイパス沿いの「にかほ陣屋」内にある写真の焼肉・大将という店に行った。この店は焼肉の他にラーメンやカルビ丼もあり、地域クーポンを使って夕食。

    国道7号線の金浦バイパス沿いの「にかほ陣屋」内にある写真の焼肉・大将という店に行った。この店は焼肉の他にラーメンやカルビ丼もあり、地域クーポンを使って夕食。

  • メニューを見て写真の豚ロースと定食セットを注文した。車を運転するので酒は我慢した。食事が終わっても雨は降り止まず、カーナビがイマイチだったのでiPhoneのグーグルマップで何とかホテルにたどり着いた。ホテルの風呂は濁った湯の硫黄鉱泉と特別天然記念物の北投石のラジウム鉱泉、サウナがある。温泉だけ入りに来ている人もいた。

    メニューを見て写真の豚ロースと定食セットを注文した。車を運転するので酒は我慢した。食事が終わっても雨は降り止まず、カーナビがイマイチだったのでiPhoneのグーグルマップで何とかホテルにたどり着いた。ホテルの風呂は濁った湯の硫黄鉱泉と特別天然記念物の北投石のラジウム鉱泉、サウナがある。温泉だけ入りに来ている人もいた。

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