2022/10/16 - 2022/10/16
35位(同エリア67件中)
あおしさん
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
出張に引っ掛けた伊勢志摩旅行2日目。
天気予報では今日は曇り時々雨。
天気があまりよくないようなので、伊勢志摩の青い海巡りはやめて、今日はローカルバスに乗って大杉という山奥に行くことにしました。
紀行作家として多くの旅行好き、鉄道好きに愛された故宮脇俊三さん。
宮脇さんの作品に、36年前、昭和61年にローカルバスに乗って大杉へ行ったという話があり、いわば「聖地巡り」です。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
津のホテルに宿泊して、朝9時前にJR津駅を出発します。
まずは鳥羽行「快速みえ」に乗車。
多気駅で紀勢本線の普通列車に乗り換えです。APOA HOTEL津 宿・ホテル
-
津駅から約1時間半、三瀬谷駅で降ります。
JR紀勢本線 乗り物
-
三瀬谷駅は三重県大台町の中心駅。
駅の裏には役場や道の駅もありますが、無人駅です。三瀬谷駅 駅
-
この三瀬谷駅から宮川に沿って山奥のダム湖までローカルバスがあります。
宮脇さんがここを訪れたときは三重交通という三重県の一番大手のバス会社の路線でしたが、廃止されて、今は大台村のコミュ二ティバスになっていました。 -
コミュ二ティバスが三瀬谷駅に到着しました。
地元の観光バス会社に委託しているようで、中型の観光バスです。
10時31分、三瀬谷駅を出発します。 -
コミュ二ティバスの車内です。
観光バスの中央部のシートを取り外して出入口に改造されていました。
宮脇さんの乗ったときは『客は12,3人で老人が多い。若者は1人だけである』との記載がありますが、今回はおじさん1人、おばさん1人、若い人が1人、そして私1人の4人です。 -
『三瀬谷の家並を出はずれると、紀勢本線の線路が左の大内山川沿いにと消えていく。…バスでなくて鉄道だったら。もっと楽しいのにとも思う。線名は「大杉線」となるだろう。いい名だ。
バスは青緑色の水をたたえた細長いダム湖の北側に沿って走る』
宮脇さんの書いたとおり、三瀬谷の家々を過ぎると、三瀬谷ダムがあり、そのダム湖に沿ってバスは走ります。三瀬谷ダム 名所・史跡
-
途中ダム湖の橋の宮川大橋というバス停で5歳くらいの男の子とお父さんが乗ってきました。
お母さんが車でバス停まで送ってきたようで手を振っていました。
その後10分ほどのフォレストピアで降りていきました。
わざわざ1日数本のバスに乗るなんてお子さんへのバスに乗るためのお勉強?
フォレストピアは温泉やレジャー施設のあるこの地域自慢のリゾートホテルです。奥伊勢宮川温泉 奥伊勢フォレストピア宮川山荘 宿・ホテル
-
途中の小切畑というやや大きめの集落でおばさん、またフォレストピアの手前のバス停で若い人が降りて、このあたりの中心地である江馬と言ところを出たころには客は私とおじさんだけ。
このコミュ二テイバスは江馬から宮川の両岸の集落を何本かずつ経由します。
今乗っているバスは宮脇さんの乗車した宮川北側の道路経由ではなく、南側の集落を経由します。
こちらの南側の経由のバスは1日2本だけ。
その途中のバス停でおじさんも降りて、乗客は私だけになりました。 -
『両岸の山の傾斜が急になり、宮川が渓谷になった。岩肌が露出し、河中には巨岩がある』と宮脇さんの書いたとおり、中心地・江馬を超えると宮川は渓流になってきました。
宮川南側を走ってきたバスもやがて宮川を橋で渡って北側の道路に合流します。
江馬より先は道路もセンターラインのない細い道となり、対向車が来ると少々苦労していました。 -
バスは杉やヒノキの木々を見ながら山奥に入っていきます。
途中に数軒の民家のある小さな集落が点在していました。 -
まず、「西村屋前」というバス停で降りました。
ここには36年前、宮脇さんがここを訪れたときに宿泊した西村屋という旅館があったところです。
『今夜の宿の西村屋は川沿いの一軒宿で、建物は新しかった』と宮脇さんは書いていますが、西村屋は旅館業を廃業したそうです。
庭にあったと思われる噴水のような池が残っていました。
家は建て替えをしていたようです。 -
宮脇さんと同じく川の上流に向かって散歩します。
『川沿いの道を上流へ向かうと、小さな集落がある。廃屋が何軒もあり、店を閉じた雑貨屋もある』
宮脇さんのみた店を閉じた雑貨屋らしき建物がありました。
無人のようでした。 -
『「銀嶺荘」という古びた旅館があり、これも雨戸が閉まって休業中と書いてある』
宮脇さんが見た銀嶺荘。
このあたりの民間とは別格の3階建ての立派な建物です。
ただ、看板が銀嶺荘ではなく、お寺になっていました。
なんでも銀嶺荘は廃業したそうですが、九州から移住してきたお坊さんがこの建物を買い取り、お寺として使っているそうです。 -
銀嶺荘の隣には簡易郵便局がありました。
この集落は桧原という民家が10軒ほど(ただ全部の家に住民がいるかどうかは不明)でしたが、よく郵便局があるものです。 -
宮脇さんが歩いてきた宮平という集落へ着きました。
桧原の隣の集落です。
民家が20軒ほどのやや大きめの集落で、町役場の出張所もありました。 -
この集落にある橋の上から見た宮川。
ごつごつした岩の多い渓谷です。
ここでこれからバスに乗るというおばあさんと話をしました。
西村屋や銀嶺荘の話もこのおばあさんから聞きました。
昔はさらにもう1軒旅館があったそうですが、3軒とも廃業したそうです。
観光客が来るような場所ではないですが、紅葉の時期は渓谷も美しく多くの写真愛好家が集まってくるとのことでした。
先ほど降りたバスが終点から戻ってきたのでそのバスに乗ります。
乗客は私とそのおばあさんの2人。あと途中の集落で若い男性が乗ってきて3人となりました。 -
このあたりの中心・江馬にある大台町宮川支所前で降りました。
平成の大合併までは宮川村役場だったところで、宮川村役場の石看板は残っていました。 -
もとは宮川村の中心・江馬。
長い建物の商店街や農協、診療所などがありました。 -
江馬の待合室のあるバス停から今度は終点の大杉に向かって12時50分、再度バスに乗ります。
今度のバスは小さめのバスでしたが、路線バスらしく車内は運賃表やバス停案内の車内アナウンスなどが整備されたバスでした。
乗っていたのはおじさん1人で、私で乗客は2人になりました。 -
『人家は少なくなたが、バス停はこまめに設けられている。その1つ「御棟」という雅な名の停留所で病院通いらしい老婆とおばさんが下車した』と書かれたところで、私以外の乗客のおじさんが降りて、乗客は私1人に。
このあたりのバス停の名前は「御棟」の他に、「唐櫃」「始神」「神滝」と雅なバス停名があり、何か天皇家や貴族との由来があるのかもしれません、 -
『2時ちょうど、久豆という集落に着く。南に面してやや広い平地があり民家も30戸ぐらいはある。…残っていた客はみんな降り、私1人になった』
宮脇さんの乗っていた宮川北側の道路経由のバスでやがて久豆に到着。
ここは民家が30~40軒ある大き目の集落です。
この山奥の中心地なのでしょう。 -
久豆からはさらに細くなり山道をぐんぐん上り、宮川ダムとダム湖を右手に見ながら、5分ほどで終点の大杉に到着しました。
大杉峡谷 自然・景勝地
-
『大杉谷登山センター」という、この6月に開館したばかりの新しい二階建てがあって場違いな感じがしないでもない
1階は登山者の安全管理のための事務所で、若い女性が1人おり、2回は陳列館になっている』
宮脇さんが訪れた36年前に新しく開館したこの建物もさすがに今は古くなっていましたが、若い女性ではなくおじさんの事務員さんがいました。
土砂降りの雨が降ってきたのでここで雨宿り。 -
『大杉の集落は家は8戸、人口27。ダム湖ができるまでは対岸に40戸ほどの家があったが、水没を機に離散し、一部がこちら側の湖岸に引っ越したのである。すでに30年を経ているので、どの家も黒ずみ、山の気に溶け込んでいる』
宮脇さんが訪れてから36年。
民家は3軒のみでした。
庭で木を刈っていたおばあさんに聞いたら、今は住民は3軒5人だけとのことでした。いずれは消滅する集落なのかもしれません。 -
一軒食堂がありました。
宮脇さんが「こんなところに旅館があるとは」と驚いた建物でしょうか。
宮脇さんはそこの奥さんといろいろ話をしていましたが、そこにいたお兄さんに聞くとここは食堂も廃業して、お兄さんがここを借りてカヌーなどのアクティブスポーツレジャー店をやっているとのことでした。 -
宮脇さんはここからダム湖の奥に行く観光船に乗っていましたが、お兄さんに聞いたらところではすでに船頭さんが高齢でコロナを機に廃業したそうです。
観光船は残っていましたが、観光船乗り場への桟橋は水没していて、観光船まではいけませんでした。 -
大杉のバス停から15分ほど歩いて宮川ダムへ。
大きなダムです。宮川ダム湖 自然・景勝地
-
宮川ダム湖。
天気がよかったり、紅葉の時期には美しい景色かもしれません。
さて先ほど乗ってきたバスが三瀬谷駅方面に戻るので、ダムの前のバス停から再度バスに乗ります。
お客は私1人だけ。
江馬まで来て、女子高校生2人とおばあさんが乗ってきました。 -
三瀬谷駅を通り過ぎて、大台厚生病院で降ります。
15時25分。
紀勢本線の列車はまだ2時間後までないので、この周辺にある北畠家関連の史跡巡りをしました。
ここは茶畑が多く、お茶の名産地のようです。三瀬谷駅 駅
-
北畠神社。
建武の新政の功臣だった公家の北畠親房、そしてその息子で公家ながら足利尊氏など北朝をたびたび破った名将・北畠顕家に始まる北畠は南北朝時代終了後も伊勢国の守護大名として生き残りました。
その名門北畠家も戦国時代に織田信長に滅ぼされました。
その北畠家をまつった神社です。北畠史跡公園 公園・植物園
-
近くにある三瀬館跡。
北畠家実質最後の当主である北畠具教は織田信長に攻められ、当時でも「バカ殿様」で有名だった信長の次男・信雄(のぶかつ)に北畠の家督を譲らされ、ここ三瀬谷の三瀬館に隠居させられました。
その後一族でここで細々と暮らしていましたが、1576年織田信長に再度攻め込まれて一族みな自刃して、名門北畠家は滅亡しました。
ちなみに6年後織田信長は本能寺の変で自殺、北畠信雄は信長の3男織田信孝との後継者争いでは羽柴秀吉のバックアップで勝利しましたが、やがて秀吉により追放され、領地も取り上げられました。
それでも大坂の陣で豊臣家が滅亡後、徳川家康に泣きついて5万石の小大名として織田家の大名として明治維新まで生き残っています。北畠具教・三瀬館跡 名所・史跡
-
道の駅に戻ってきてここで一息。
ここから歩いて5分の三瀬谷駅へ戻り、紀勢本線の列車で名古屋方面へ向かいます。道の駅 奥伊勢おおだい 道の駅
-
途中松阪駅で途中下車。
松阪といえば、有名な駅弁・松阪牛の駅弁があります。
ここで駅弁を買って名古屋へ。松阪駅あら竹売店 グルメ・レストラン
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
この旅行で行ったホテル
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
明和・大台(三重) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 出張&旅行支援で伊勢へ
0
34