2022/11/28 - 2022/11/28
552位(同エリア834件中)
gianiさん
- gianiさんTOP
- 旅行記182冊
- クチコミ321件
- Q&A回答0件
- 704,014アクセス
- フォロワー11人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
天草五人衆の合従連衡によって、長年の秩序が保たれた地域。
志岐氏の領地だった苓北町・五和町の豊かな自然と文化を紹介します。
端っこに位置しますが、魅力満載のエリアです。
平成の大合併で誕生したメガ市に席巻される天草諸島で、苓北町だけ独立を守る理由も解明します。
一筆書きの地図情報も要チェックです。
歴史編は↓
https://4travel.jp/travelogue/11784952
- 旅行の満足度
- 5.0
PR
-
まずは、亀島が見えます。
甲羅にうずくまる姿を連想させます。 -
これからイルカウォッチング。
事前予約していたお店で、会計を済ませます。
いざ桟橋まで、自費移動します。
価格はどの団体も一緒です。差は、ツアー前後に食事プランを付けたい人が食事の内容を見て決める位でしょうか。
あと、乗船して分かったのが、小さな漁船から、手すり付きのきれいな旅客船仕様まで、様々な船で運行されることです。天草 海鮮蔵 グルメ・レストラン
-
乗船は、道の駅からです。
道の駅でも、直接申込できます。道の駅 天草市イルカセンター 名所・史跡
-
出港。
加盟する事業者が一斉に船を出します。
申込が少ないと船を融通し合う、みたいなことはしないみたいです。
私の乗った船は、貸し切り状態でした。 -
最近、イルカが来ないんだよね。
とボヤいていた本業漁師の船長さん。
暗雲立ち込めるか、、、 -
沖で5分ほど停泊していると
-
イルカの群れ出現!
呼吸のために浮上するタイミングを狙います。 -
潮を吹いているのが分かりますか?
訂正:尾ひれを打ち付けて、しぶきが上がっただけでした。
※原画を2倍に拡大。 -
今更ですが、
イルカは群れで行動するみたいです。 -
好奇心が旺盛です。
-
母子がアプローチ。
本マグロみたいな流線型で美味しそう。
とか思ってしまいました。 -
数分の間に、浮上→接近→通り過ぎて、また潜水。
という流れでで1セットという流れです。 -
出没スポットに船が点在して漂流し、
イルカの群れを見つけると全速力で各船がアプローチ。 -
群れの手前でエンジンを切って、漂流状態で群れを観察します。
-
28mm単焦点レンズで写しているので、
肉眼には画面の3倍以上の大きさで映っています。 -
朝一のツアーだったのですが、
段々とイルカの群れも警戒心を解き、
どんどん近づいて来ます。 -
1stセットは好奇心の強い個体が近づく感じでしたが、
2nd,3rdと進むにつれ、群れごと船に近づいてきます。 -
国交省の役人が観たら、
重大インシデント発生!と眉毛を引きつらせるレベルのニアミス。
余談ですが、対岸の島原半島(長崎県)が思ったよりも大きく目に映ります。
天草は歴史的にも、本土側の熊本県よりも島原半島の方が交流が深かったいうのも納得です。 -
まるで障害物競争を楽しんでいるように、
舟の手前で潜水して、反対側で顔を出します。
そもそもイルカがストレス感じたら近づいてこないので、
こちらも手放しで嬉しいです。 -
船をハードルのように潜水通過したかと思えば、
横を並走することも。
我々へ挨拶してくれているみたいです。 -
じゃれ合うイルカたち。
イルカの遊泳の天才、かつ優秀なソナーも持っているので、
誤って仲間とぶつかることはありません。
つまり、互いにスキンシップを取っているという事です。 -
向こうから接近して思いっきり愛嬌を振りまいたかと思えば、
-
数分後には、あっさり遠のく。
このメリハリあるツンデレ感は、
水族館では決して体験できません。 -
イチオシ
イルカ3頭が揃って、バタフライ。
シンクロナイズドスイミングなら、間違いなく金メダル。 -
時にはサメのようにアプローチ。
日差しを浴びる美しい流線形は、時には本マグロの群れのように、
時には潜水艦のようにも見えます。潜水艦のデザインは、絶対にイルカを研究していると思います。 -
そろそろお約束の1時間が終わろうとしています。
それを察してか、スタンディングオベーションをしてくれます。
水しぶきの音が、拍手喝さいの音に聞こえるんです! -
別れを惜しむように並走
-
今日は期待しないで。とボヤいた船長さん、
人生初のイルカウォッチングは、最高でした。
運営の皆さん、本当にありがとうございます!
小さな漁船だったので、海面が至近距離だったのが幸いしました。
※知床での惨事があったのでお断りしておきますが、
常時救命衣の着用が求められ、安全柵等の保護策も完備。法律と海の状況に逆らわない海を畏れる超優良な業者さんでした。長年地元で漁師やっている人が操船します。 -
群れが遠ざかるのを待たずして、
最期はエンジン始動で、こちらの方から遠ざかります。
後ろ髪引かれるエンディングの演出です。 -
おまけの画像
素潜りでウニ漁をしている漁師さんの言葉が印象的でした。
イルカが居る海はサメが近寄らないので、安心して潜れると。
加えて、イルカの生息域では網を使わない古来の漁法がイルカの保護に繋がるそうです。
イルカって、かわいいだけではないのですね。 -
撮影後記
今回は、利き手にカメラ、反対の手にスマホの動画撮影という体制でした。
撮影に気を取られて貴重な時間を不意にしたくなかったので、何も考えずにひらすらシャッターを切りました。写真と動画はおまけ、濡れ手に粟というスタンスです。
おかげで、記憶に残る体験になりました。イルカの鳴き声や泳ぐ際の波しぶきの音、イルカの群れめがけて突進するエンジン音等が今も鮮明によみがえります。
写真も思ったよりも良い取れ高でしたし、旅行記に挙げられない動画も良い出来でした。画質は、写真優先が良いかと。動画は、画質よりも動きと音が重要で、スマホでも及第です。ハンディカムを持っていれば、奇跡の映像も録れたかと思いますが。。。 -
ここから苓北町です。
イルカウォッチングの二江漁港は、天草市(旧五和町)で境界線から1kmほど離れています。
まずは、声に出すのが憚れるネーミングのスポット。おっぱい岩 自然・景勝地
-
鳥居を目指すと見つけられます。
その先には通詞島が見えます。 -
きれいな御椀型で、乳頭は陥没気味でしょうか。
まさに、おっぱいです!
苓北町観光協会の資料によると、
直径1.5m、サイズはZZカップだそうです。
海底でメタンと水と細菌の作用で作り出されたとか。私には理解不能、、、 -
1億年かけて堆積したものが変成作用で岩石になりました。
断面を見ると、様々な地層が堆積したことが分かります。
ちなみに火山活動は、太古の大地の歴史の積み重なりを破壊する存在です。
あくまでも地質学の観点からですが。 -
歴史スポットが割り込み。
天草平定を断念した天草四郎は、ここから対岸の島原半島の原城へ船を出しました。天草四郎乗船の地 名所・史跡
-
復元された富岡城本丸には、苓北町周辺の自然を扱った展示コーナーがあります。
富岡城(富岡ビジターセンター) 名所・史跡
-
富岡城は、島と本土の間に海流が運んだ砂で繋がった「陸繋島」という地形。
沿岸流は今も活発で、砂嘴と呼ばれる地形もあります。 -
本丸から見た砂嘴。沖に細い砂浜の線が伸びます。
-
沿岸流による砂の堆積作用で砂嘴は形成されます。
代表例は、静岡県の美保の松原です。 -
砂嘴は、時間が経つと対岸まで到達して湾を塞ぎます。
砂嘴の進化系を砂洲と言います。代表例は天橋立。
浜名湖もかつては砂洲でしたが、1498年の明応大地震で砂洲の一部に穴が開き、現在の姿になりました。 -
二ノ丸跡には、コンパクトながらもアカデミックな資料館があります。
苓北町歴史資料館 美術館・博物館
-
富岡城周辺は、海域公園に指定されています。
陸(山)の部分は、亜熱帯の植生。
苓北町の北側は穏やかな内海の有明海、西側は外海の天草灘です。
内海外海の両方を楽しめる好立地です。富岡海域公園 展望所 自然・景勝地
-
海岸まで降りると、こんな感じ。
-
砂浜ではなく、角の取れた大きな石がゴロゴロしたワイルドな光景。
磯では、肉眼で魚も識別できました。 -
陸繋島の付け根の部分(外海側)に、貝瀬浜という古い地名があります。
ここでは、伝統的なサメ退治が行われました。
鱶狩りと呼ばれ、旧暦6月13日頃に行われます。
貝瀬浜の沖合2kmに「ふか曽根」と呼ばれる岩礁が存在し、
アオリイカ・アイゴ・イサキなどが産卵期に集結します。
これらを目当てに、鮫がやってくるタイミングで実施されます。貝瀬浜海岸 自然・景勝地
-
鱶狩りは、サメの習性を利用します。
夜間は群れで沿岸に、夜が明けると沖へ移動する習性です。
夜が明け前に出港し、船団は沖の岩礁へ先回りします(写真)。
指揮船の左右に弧を描くように船団(脇船)を半円形並べ、サメを囲い込む陣形にします。船の下には、半円形に振り網を仕掛けます。
朝になり、沖の産卵場へ向かうサメの群れを岸へ追い込みます。 -
振り網(振り縄):網に木片を結び付けたもので、網を上下に振る(揺らす)ことによって、獲物を威嚇します。上記の動作で水中の木片が激しく上下し、怯えた獲物は網と反対の方向へ逃げ出します。
朝方のサメは習性で沖へ向かいます。網目は1.4m四方なので、鮫は網目を潜り抜け可能ですが、木片に怯えて反対方向の岸へ泳ぎ出します。 -
陣形を狭めながら岸へ船を進め、岸まで200m未満になると、潜水夫の助けを借りて目の細かい網を投入、サメを囲い込みます。
写真は、1960年7月24日の記録写真。漁船80隻、漁師400名が参加する浜総出の作業です。漁師以外の大人も集合して、渚で待機しています。
余談ですが、無動力船(手漕ぎ)が多くを占めました。 -
岸の近くでの光景。
網を岸まで曳く作業は、浜で待機していた大人たちが担当します。 -
陸揚げしても暴れる海獣相手に、砂上での格闘は続きます。
祭りの様な異様な興奮に包まれます。
鱶狩は、1720年に富岡代官の命令で始まりました。
当日は領民の商売も禁止され、一丸となってサメ狩に専念したそうです。
20世紀の鱶狩りも、大プロジェクトだと感じる記録写真です。 -
窯業…内山皿窯
天草島原の乱の時期は、中国の明王朝滅亡の時期と重なり、磁器の本場の景徳鎮等は動乱の真っ最中。輸出どころではない状態でした。ヨーロッパ各国は、日本に磁器を大量発注し、古伊万里・有田では特需を賄いきれませんでした。
富岡代官所も磁器産業に参入するべく、地質調査を開始。1647年に内田川上流で陶石を発見し、ここに焼窯を2基設置しました。 -
17世紀後半は清王朝の下で中国も安定し、輸出需要は激減。マーケットを国内に変更し、庶民の間にも普及しました。
現在、天草(下島の皿山脈)は日本の陶石(陶磁器の原料)の8割を生産し、質・量共に日本一です。内田皿山焼窯元 名所・史跡
-
天草炭田
享保年間に志岐で発見、本格的な採掘は明治以降。皿山脈沿いに分布する点では、陶石の分布と重なる。最盛期には20ほどの炭坑が存在し、苓北町と旧牛深市に偏る。特に苓北町には1/3以上が分布した。
日本練炭株式会社は、内田皿山窯付近の炭坑と富岡港を結ぶ3.5kmの鉄道を1907年に開通させる。年間5万トンを出荷していたが、1975年に閉山。現在は、県道富岡崎津港線の一部として活用されている。
天草炭田は中小零細規模の経営で、大規模資本が参入になかったのが特徴。故に埋蔵量のごく一部しか採掘されていない。 -
国産の石炭は低品質(炭化が進んでいない)だが、天草炭田はJIS規格で最高ランクの品質「無煙炭」に分類される。それゆえ海軍の軍艦用に卸された。
最高品質のものは「瓦ヶ炭」(写真左)という商品名で、大火力を要するコークスの原料になった。天草炭田でも苓北町の炭坑しか産出しない。
それ以外は「綺羅(キラ)炭」の商品名(写真右)で、戦後は家庭燃料として流通した。褐色の不純物が混ざっている。 -
陶石・石炭露頭から海へ舵を切ると。巨大な火力発電所(140万kW)が。
1995年始動で、県内の電力の2/3を賄う石炭式火力発電所。
脱硫・集塵装置のオンパレードで、かなりの公害物質を回収しているようですが、煙突の高さが200mもあるので、それなりの量の有害物質を大気中に排出しているようです。
苓北町が唯一合併に加わらなかったのは、ここの交付金と税収で財政基盤が強化されたことに起因します。ちなみに石炭は輸入に頼っています。
次の旅行記↓
https://4travel.jp/travelogue/11785601九州電力(株)苓北発電所 名所・史跡
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
gianiさんの関連旅行記
この旅行で行ったスポット
もっと見る
この旅行で行ったグルメ・レストラン
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
56