2022/09/15 - 2022/09/23
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Pメテオラさん
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2022年9月、再びビルバオに行った。コロナ禍による旅行制限が凡庸な旅行者でも対応できるレベルに緩和されたからである。
ビルバオとの縁を授けてくれた君は旅立ち、私は、これからどうすればよいのかと思いながら、あちらこちらを歩いた。純然たる観光客目線に近づいて感じるビルバオは、古き良きヨーロッパムードが少ない街なのかも知れない。多くの人が、ドノスティア(サン・セバスチャン)観光の前後に寄り、グッゲンハイム美術館とビスカヤ橋を駆け足で見物し、1-2軒バルに顔を出して次の目的地へ移動している。それでも、サグラダ・ファミーヤとパエージャ、フラメンコばかりではないスペインの多様性を体験したことを大いに賞賛したい。
エスパーニャ・ベルデ(緑のスペイン)と呼ばれる雨の多いしっとりとした気候の中で心地良い眠りにつき、日本人の口にも合うバスク料理を食べても、私の心の寂しさは塞がれない。時は刻一刻と進む。君との縁を胸に自分の旅立ちまで前を向いて待つことにしよう。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 3.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- エミレーツ航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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【ビルバオ今昔】 私が最初に見たビルバオは、中都市特有の落ち着きがあるものの、製鉄業が衰えた街並みは鉄錆でくすみ、ネルビオン川は汚れ、部外者の目にも斜陽な様が感じられる程だった。そのうえ、バスク独立を叫ぶETAの局地テロが未だ続く政治情勢では、観光客の「カ」の字もなく、日本人とて数人いたかも知れないが、ガイジンらしき人間の気配すら感じられなかった。中心部を離れた小さな町に着いた私は、「なかなか珍しい場所、けっこう穴場なスペインへ来たかも」と密かに思ったものだった。
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イチオシ
それから40年弱でビルバオは大変身を遂げた。1991年に計画開始、1997年10月開館のグッゲンハイム美術館ビルバオ分館(グッグアイム・ムーセオア)の想像を超えた都市再生効果により、ヒトとカネをいっぱい呼び込んだことは皆さまの見聞きしているとおり。アルチャンダの丘から望む街並みは、驚くほどすっきりして清潔感あふれる外観になり、シュールなデザインのビルもでき、観光客と市民が闊歩する都心部は活気にあふれている。そんな稀有な変化を体感できたことを感謝したい。そして、君の変わらぬ心の温かさこそ、ビルバオとの縁が続いた最初で最後の理由だ。
アルチャンダ公園 広場・公園
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【ビルバオの基点モユア広場】 ビルバオ体験の真骨頂は新市街にあると私は思っている。その中心に位置するモユア広場(Plaza Moyua)は、市民、観光客を問わず行動の基点となる場所で、花壇のある楕円形の広場から放射状に伸びる大通りのいずれかに向けて歩くのが王道。市民は南の商店街やバル街へ行き、観光客は北のグッゲンハイム美術館へ足を向けることが多い。私も観光客なので北へ向かった。
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ビルバオ旅行の日本人の90%がコメントすると書いても過言ではないメトロ・ビルバオのモユア駅の出入口。当局の関係者は、結果論ながらもグッゲンハイム美術館の超ユニークなデザインに感化され、街の随所に近未来風デザインを採り入れた建造物を作ったし、これからも作り続ける予定だ。我らがニッポン人は、この時点で都市再生スキルでは負けたと思う。でも将来は無限なのだから、次のステージでは私たちも気持ちを全面入れ替えしてチャレンジしたいものだ。
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【チャバリ宮とイベルドローラ・タワー】 モユア広場に立つと、伝統的な外観のチャバリ宮(Txabarri Jauregia / Palacio Chabari )と呼ばれる官公庁の建物と、通りの奥にそびえるイベルドローラ・タワーが目に付く。グッゲンハイム美術館への最短路は、この通りに入って最初の交差点を右折である。
「イベルドローラ・タワーの上って登れるの」
「普段は一般公開していないのですが、何かのイベント時には入れると思う」
住んでる人でも「あそこはオフィス・ビルだから」の返事。大雪の日に特別公開した時に入った人からもらったwhatsappの添付画像を見ると、てっぺんからの展望は素晴らしいはずですが、今回は行けずにがっくり。チャバリ宮殿 城・宮殿
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【昼前からバル】 少し東方向へ寄り道すると、バルが通りの両側に並んでいる場所がある。スペイン人は、朝もバル、昼前もバル、夕暮れもバル。いったい、いつ働いているんだと思うくらい、バル、バル、バル。でも、ちゃんと働いているからこそ、少なくともバスク州は今の足元のニッポンより豊かで、多分、数字上の所得も高いか同等のはず。ここでも、最近のニッポンの不甲斐なさにがっくり。
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【高級マンション街】 アバンド地区のモユア広場からグッゲンハイム美術館付近一帯は高級住宅街。築100年以上だが、きれいに化粧直しされ、高さもほぼ同じで、バスク風の出窓がついたマンションが軒を連ねている。この風景は昔も今も同じだったが、マンションの1階(スペイン風では地上階=0階)に、スシ屋や、うどん屋が新規に出店していた。
「美味しいの?」
「食べたことないから分からない。経営者はニホンジンじゃなさそうだから行かない。次に来たとき味見がてらに連れてって!」
同行者に、とても微妙な発言をされ、私は、その次のセリフに往生した.
「レッツ、ゴー」 -
【グッグアイムなくしてビルバオなし】 モユア広場から、寄り道気味に歩いて20分、すたすた歩くと5-6分でグッグアイム(グッゲンハイム)美術館前に出る。
経緯や見どころ、攻略法は皆さまが書いたり、言ったりするとおりだ。この美術館なくして、今日のビルバオはないと断言できる傑出した建造物である。
他人の言動に左右されず、皆さまひとりひとりのグッグアイム美術館体験を大切に!そして、ニッポン人の皆様も、是非、コンテンポラリー・アーツの良さと駄作を肌で感じてほしいというのが私の願いである。グッゲンハイム美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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【グッゲンハイム外観いろいろ】 チタン合金で覆われたグッゲンハイム美術館を少し遠目に鑑賞。晴れても雨でも、朝でも夕方でも、アメリカ人建築家フランク・ゲーリー氏の傑作を自分の目で再び見られたことに感謝。
まずは、朝の若い光に輝くグッゲンハイム。後方は、おなじみイベルドローラ・タワー。グッゲンハイム美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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皆さん、あまりコメントしていませんが、花の都パリのブーローニュの森の縁にできた「フォンダシオン・ルイ・ヴィトン(美術館)」の建物もフランク・ゲーリー作である。「何だ、このデザインは」という驚きからさめて一呼吸置いて見ると、建物の曲線感が似てませんか?
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イチオシ
2番目は、サルベ橋(Puente La Salve)を半分くらい渡った場所から、朝日に輝く橋の赤いゲートとグッゲンハイム美術館全景。赤と銀色のコントラストや、花びらを連想させる曲線美に見とれてしまう。
現在のビルバオのイメージを初心者にアピールするなら、赤が印象的なこのアングルが最適な気がする。グッゲンハイム美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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イチオシ
最後は、君がイチオシしていた、夕方に西側から見た美術館とサルベ橋。とても優雅で美しい構図だ。サルベ橋のゲートの赤が、自己主張しない程度のアクセントになった奥ゆかしさが感じられる。この風景は、デウスト大学に通じる人道橋ペドロ橋の上から夕暮れ前に見られる。
グッゲンハイム美術館 博物館・美術館・ギャラリー
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【ネルビオン川岸散歩】サルベ橋を降りてて川沿いの遊歩道を上流方向へ歩くと、具象、抽象のオブジェが次々と視野に入る。速足気味の男の人の像の先には、人が抜けたような切れ目が入った厚板のオブジェ。色合いと雰囲気が同じ作品が、この先の市役所前にも鎮座している。
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繊細で波打つようなカーブが特色のスビスリ(Zubizuri)(橋)も、ビルバオ1泊観光の定番。グッゲンハイム美術館の周りを1時間かそこら徘徊するだけで、何種類ものモダンアートを体験できる。これらは、生活空間に何気なく設置してあるので有難みが薄れがちだったが、改めてすごい都市づくりをしたもんだと感心した。
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水質改善がなされたネルビオン川沿いを歩くこと20分くらいで旧市街が見える場所まで来ることができる。青空が広がり始めた西の方を振り向くと、日本人建築家の磯崎新(いそざき・あらた)氏設計のイソサキ・アテアのツインビルが青く輝いていた。落ち着いた外観なのでビルバオらしくないが、日本人観光客には有名なビル。
世界でさりげなく活躍する日本人が、絶え間なくいらっしゃいますようにと願うばかりだ。 -
【新旧市街地の結び目アレナル橋】 都心のアバンド地区と旧市街を結ぶアレナル橋(Puente del Arenal)風景。私がビルバオに初めて来たとき見た風景もここ。左端にちょこっと写っているアリアーガ劇場の裏手が当時のバスターミナルだったからだ。建物の赤錆は落とされ、屋根や窓枠も塗り直されて白っぽくなり、市電(トランヴィア)の線路も敷かれた。つい数年前まで、もっともっと変貌するビルバオを市民目線で案内してもらう心積もりでいたのに。
アレナル橋 建造物
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【観光名所リベラ市場】 アレナル橋を通り過ぎてネルビオン川左岸を歩き続け、太鼓橋の形をしたリベラ橋(Puente de La Ribera)付近から見た旧市街。ウスケラ(バスク語)でサスピ・カレアク、カスティヤーノ(スペイン語)でカスコ・ビエホという呼称。多くの皆さんが懐古的な情景を求めて路地や広場を行き来してバルに入る。写真中央の塔は、旧市街の真ん中に建つサンチアゴ聖堂の尖塔。初めの方に書いたように、私はあんまり興味なしだが、バスク風のマンションがせり出さんばかりに軒を並べる光景は確かに旅情を誘うし、ヨーロッパに来た感たっぷり。
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リベラ橋近くに20年くらい前にできたリベラ市場(いちば)。常設の生鮮食料品売り場とピンチョスバルの並んだコーナーが観光客に人気のスポット。みんな楽し気にバルでおしゃべりしていたが、まだまだニッポン人観光客はいなかった。中国人観光客のほとんどいない、ここ半年か1年こそ、私たちの期待するヨーロッパ観光地体験ができる時期だと思う。
円安は、かなり痛いけれど、ゆめゆめチャンスを逃すことなかれ。リベラ市場 市場
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【カスコ・ビエホ今昔は観光客の有無】旧市街サスピ・カレアク/カスコ・ビエホの中心、カイエ・コレオ(郵便局通り)。平日の昼下がり午後4時すぎは、のんびりムード。歩いている人は大半が観光客。私も、そのひとり。ビルバオの平均的な観光客気分を体験できてよかった。
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1980年代のカイエ・コレオ。前の写真より少し聖堂寄りから写した1枚。奥に写っている公園の緑は同じようだ。この通りは商店街なので当時から通行人は多かったが、みんな地元の人。観光客はいなかったし、お土産屋さんもゼロ。建物の色合いも黒っぽかった。
自分の経てきた年月の長さに感慨ひとしお。そして、誰かいっしょに歩いてくれないものかと思案した。 -
【後悔先に立たずのバル体験】 たまにはプラサ・ヌエバ以外の広場を体験しようと、ウナムーノ広場というところに回り道。写真左の階段を10分くらい昇って、さらに丘の斜面を上がるとベゴーニャ教会に行きつく。サンチアゴ・デ・コンポステーラ巡礼ルートの有名ポイントのひとつだそうだ。ここにもバルが軒を連ねていて、みんな楽しそうにおしゃべりや一休み。
私も、旧市街で有名ピンチョス・バルの1軒くらい入ればよかった。皆さんの評判では、プラサ・ヌエバの回廊の一角にあるグレ・トキというバルが人気の様子。どこか気持ちが入らない部分があったようだが、後悔先に立たず。 -
【やっぱり新市街はアバンド駅前から】 旧市街からアレナル橋を渡って坂を昇るとビリビラ広場と、その一角を占める国鉄RENFEのアバンド駅前に出る。広場の駅寄りに観光案内所があるので、分からないことを聞くときには便利。写真で自転車の並んでいる前のビルだ。ここの観光案内所は英語も通じるし、自分や他人への対応を見ている限りでは、スタッフもきびきびと働いていた。私は、郊外の気になる数軒のレストラン情報を尋ねたが、いずれもコロナで閉店とのことでがっかり。
ビルバオ観光案内所 (鉄道前) 散歩・街歩き
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スペイン国鉄RENFE(レンフェ)のアバンド駅舎。正式にはアバンド・インダレシオ・プリエト駅(Estacion Abando Indarecio Prieto)と言うそうだ。ビルバオは、今のところ鉄道でのアプローチが極めて不便な都市なので、ニッポン人旅行者の利用客もわずか。大きくて立派な駅なのだが、発着するのは通勤通学用の近郊電車ばかり。スペイン版新幹線が延伸されるまで、宝の持ち腐れ状態が続くようだ。
ビルバオ アバンド駅 駅
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【いきいきグランビア周辺の新市街】 アバンド駅前から、西南方向へ一直線に伸びるのがグランビア。その都市を代表する大通りのことで、地図を見るとビルバオでは「グランビア・ドン・ロペス・デ・アロ」(Gran Via Don Ropez de Haro)と書いてある。実を言うと、正式にはこのような名前であることを、恥ずかしながら初めて知ったのであった。
写真は、ビスカヤ県庁舎と思い込んでいるが本当だろうか。君も、他の連れも、皆んな同じことを言っていたので、いままで疑いもせずに眺めていた建物である。 -
モユア広場からレカルデ通り(Alameda Recalde)を5分ほど南下した通り沿いにあるのがバスク州保健局庁舎。何度も何度もビルバオ観光体験談に出てくる有名建築物。
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そこから、ちょっと西へ入ったところのビスカヤ広場にあるガラス張りのうねるようなデザインが特徴的な建物がバスク州政府合同庁舎。こちらは、保健局の建物ほど注目されないのはなぜだろう。大通りから一本、入った分の立地の差のようだ。
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ビスカヤ広場の端に合同庁舎と並ぶように建っているのがアスクナ・セントロア(Askuna Centroa)という市民センター。カスティヤーノではアロンディガ(穀物取引所)という旧称で通っている。
アスクナ セントロア 建造物
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アスクーナ・セントロアの内部は近未来風に大改装されている。燃え盛る火の玉のようなオブジェがあって、私は、こういうの好き。ゼロ階には「THIS IS BASQUE DESIGN:ディス・イズ・バスク・デザイン」という英語名のお土産屋さんもあるが、ビルバオのお土産は最近の観光ブーム後に発案されたものなので、今のところ全然、興味が湧かない。
嫌味に聞こえることを承知で書くと、近隣の名産品を、さもビルバオでも昔からあったように、しらっとした顔で売らないだけ、日本の新参観光地のお土産屋よりマシだと思うのは私だけだろうか。アスクナ セントロア 建造物
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グランビアの南のインダウチュ地区のオフィス街を歩いていると、造りの良い近代建築のビルが並び、その周囲を身ぎれいなお姉さん、お兄さん、おじさん、おばさんたちが、さっそうと歩いていたり、バルのテラスでおしゃべりしている光景に出会う。こういうオフィス街で働くグローバル・ビジネスマンになれるくらいの素質があり、運頼みも含めて努力すれば良かったかもと、ないものねだりの悲しさよ。
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【グランビアを西へ】 グランビアの西の方は、いまのところ観光客には縁遠い。目立たないデザインだが、しっかりと手入れされたオフィスビルやマンションが立ち並ぶ光景こそビルバオの底力(そこぢから)の象徴だと思う。私のビルバオ感も、こんなイメージが原点である。
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グランビアの並木は、30年、40年を経ても、あんまり変わらない。前の写真は1990年ごろ、次の写真が2022年現在の並木である。自家用車の都心部乗り入れ規制強化でグランビアを通るクルマも少なくなった気がするが、正確なところは不明。アバンドやカスコ・ビエホあたりは、かなり厳しいクルマ規制が敷かれているようだが、モユア広場より西は道が広いので、規制は緩い感じだ。
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【聖心のキリスト像のある地区で】 グランビアの西端にそびえる聖心の像、サグラダ・コラソン。深い意味はなく、キリスト教の国なので、一応、こういうの建てた程度にしか受け取れない代物だ。グランビアを進んできて右斜め前に折れれば川を渡ってデウスト地区へ行き、左折すればサビノ・アラーナ大通りに出てバスセンター方向へ緩やかな上り坂となる。
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【ウスカルドゥナも地味に新ビルバオのシンボルのひとつ】
先ほどのキリスト像のある広場の北側に20年ばかり前にできたのが「ウスカルドゥナ」(Euskalduna)という国際会議場兼イベントホール。市電のトランヴィアにも同名の停留所がある。こちらは、当局の思惑通り大盛況とはいかないようだが、致し方なしというところか。
すでにお気づきの賢い読者がいると思うが、私のウスケラ(バスク語)のカナ表記はビスカヤ発音。だから「eu」のカナ表記は耳に聞こえるとおり「ウ」。サンセバスチャンのあるギプスコア県では「(エ)ウ」らしいし、有識者が提唱している(エ)ウスカラ・バトゥア(共通バスク語)でも「エ」音が意識されるそうだが、ビルバオで明瞭な「エ」音を聞いた試しがない。そもそも「(エ)ウスカラ・バトゥア」そのものにも根強い反対論があり、「そんな人工的に練り上げたものは俺たちの言葉じゃない」と心で思っているバスク語話者が少なくないそうである。今後は、どうなることやら興味津々。
会話が苦手で、もっぱら綴りに頼ってウスケラ(バスク語)をカナ表記するニッポン人の皆様、要注意ですよ。 -
イチオシ
【河港ビルバオのクレーン・モニュメント】 ウスカルドゥナあたりからネルビオン川方向に見える赤いクレーンは、ビルバオ港の繁栄を記念するモニュメント。川岸一帯が記念公園になっているが、面倒なので、私はそこまで降りていかなかった。その代わり、屋根付き歩道が整備されたウスカルドゥナ橋を渡り、対岸のデウスト側の川岸に降りた。たまには、デウスト側に行ってみたいと思ったからだ。
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【サン・マメスはサッカーファンの聖地】 デウスト地区からネルビオン川越しに眺めたサン・マメス(サッカー)スタジアム。アクセントは「メ」にある。とっても美しい外観をなので思わず見とれてしまう。地元チーム「アスレチック・クラブ・ビルバオ」は最近は低迷気味らしいが、試合の日にはバルでファンの市民が楽しく大騒ぎ。
蛇足であるが、この投稿用の地図検索ではサン・マ「メ」スが出てこない。ビルバオで確実にトップ5以内のランドマークくらい出してよ、と言いたくなった。 -
【バスターミナル、インテルモダールの赤使い】 サン・マ「メ」スから南に目をやるとバスターミナル上に併設された、赤い壁面のイルニオン・ホテル・サンマメスが見える。私は、この付近とのご縁が深いのであるが、再開発で一帯はかなり変わった。もう1回くらいは変わりゆく街並みを見られるだろうが、あんまり多くを期待できなくなったのは寂しい。
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旅人の集うビルバオ・インテルモダール(Bilbao Intermodal)という名前のバス・ターミナル。中長距離バス全便と半分くらいの市外路線バスが発着している。空港連絡バスも、ここが起終点。多くの皆さんは、地下のメトロ連絡通路を歩くので、外観を見ることは少ないのでは。この色使い、日本では、まず考えられない赤であるが、すんなり納得するのもビルバオにいるからだろう。
バス・ターミナルは完成しているが、周辺工事が残っている。全部ができあがると、どんな感じになるのかなあ。 -
【新市街のマンション暮らしはいかが】 新しいビルが多い新市街の南の山すそ付近。私には馴染みが深い街並みであるが、多くの旅行者には無縁の地区。遠目にバスターミナル横の高層マンションが見えるので、だいたいの距離感が分かるというもの。
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ビルバオ・インテルモダール脇を南北に走るサビノ・アラーナ大通り(Avenida Sabino Arana)。並木の緑がすがすがしい素敵な道である。川に向かって緩やかに下り坂なので、都心部のバルやお買い物に行って戻ってくるときは、少し息が上がるようになった。
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サビノ・アラーナ大通りの山側。私のご縁はこの一帯。
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大通りから一歩、入った住宅街の様子。うす茶色やベージュ色をした同じ雰囲気の中層マンションが立ち並んでいる。家に寄った感想だけであるが、大通りの騒音は聞こえないし、メンテもしっかりしているようなので、住み心地は良いと思う。
部外者目線だと、どうしても伝統的な外観や雰囲気の建物に住みたい気分になるが、部屋割りや水回り、気密性、段差などを考えたら、お金持ちでない限りヨーロッパでも新しいマンションに住んで、たまに旧市街に出かけてレトロムードを楽しむのがベスト、というのが私の意見。しかし、我が家のマダムは、あまり納得していない様子で、映画の主人公のようにシャンデリアもどきの照明がぶら下がったロココ調インテリアの居間のソファーでくつろぎたいとのこと。1カ月くらい住むと電気や水のトラブルに見舞われ、新旧どっちが快適なのか実感できるはずだ。 -
再び表通りに出てきて、市電トランヴィアの走るアウトノミア通り(Autonomia)を見る。大通り沿いのマンションは、幾分、メンテが雑な様子。排気ガスに直接当たるので痛みが進みやすいのだろう。
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【暮れ行くビルバオ、夜の街中】 夕暮れのひとときは、多くの人がバルでおしゃべり。明かりがともり始めたインダウチュ界隈の商店街やマンション風景がなつかしい。
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イルミネーションに美しく映えるアバンド地区のコンコルディア駅とアレナル橋。9月の日没は午後8時前後。平日は9時過ぎにそそくさと夕食だが、週末はときどきであるものの延々、午前様になるまでバル飲み歩きとかお食事会。だいたい、日本の時間感覚より2-3時間後ろ倒しがスペインの生活時間。そして、私を含む老齢者は、若いモンより早寝早起きはビルバオもニッポンも同じだ。
皆さんのスペイン・タイム慣れ具合は、いかがなものだろうか。私は、こっちに来るたびに「東京では6時ごろが日の出だけれど、朝が来れば働き始め、日が暮れたら飲んだり、食べたりっていう意味ではパターンは同じだよ」と言っているが、相方は、絶対に分かっていなかったと思う。アレナル橋 建造物
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平日夜10時ごろのモユア広場。日本の午後8時だと思うと「えっ、もうこんなに閑散とするの?」という感じ。時計の数字で考えると、スペイン人は夜更かし型に見えるが、日の出、日の入りの実態ベースでは、頭で考えるより夜更かししていないと思う。ビルバオの記憶を頭と胸に刻んで、ちょっぴり感慨深くなりながらおやすみなさい。
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【いつか二人で】 そして、次回のスペイン旅行は、十中八九、サンチアゴ・デ・コンポステーラ徒歩巡礼。つい先日までは、一人旅で楽しく900㎞弱の道のりを歩き、前後にビルバオ立ち寄って君との再会を約束していたのに、ほんとに一寸先は闇となってしまった。日本の四国のお遍路さんとは別の意味で、君と「同行二人:どうぎょう・ににん」で歩くつもりだ。了
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