2022/09/17 - 2022/09/18
813位(同エリア16384件中)
ばねおさん
今年のヨーロッパ文化遺産の日は、フランスでは9月17日、18日の両日に催され、全土で数多くのスポットが無料で公開された。
この日は、普段は立ち入れない政府機関や文化施設の多くが一般に公開され、有料の施設も無料になったりするので心待ちにしている人も多い。
歴史遺産はみんなの共有財産という認識のもとに、1984年にフランスで始まったこのイベントは今ではヨーロッパ中に広がり、フランスだけでも15,000カ所以上の場所が公開対象になっている。
その中でも圧倒的に人気なのは大統領官邸であるエリゼ宮で、混雑を避けるために事前の予約登録制をとっているが、申込開始と同時に埋まってしまう。自分もダメ元で試みてみたが、案の定あっけなく門前払いとなった。
今年はどこにしようか。
2日間をフルに利用して、あちらこちら数多く見て回る人もいるが、一カ所重点主義者の自分としては1日に一つ、多くても二カ所ぐらいがせいぜいだ。
一つ目は以前からユネスコ本部と決めてある。
数多くの世界中の美術品が集積されていて、それらが全て公開される訳でもないが、原則として門外不出の作品を目にする機会は年に一度しかない。中でも「長崎の天使像」との出会いを心待ちにしている。
二つ目は少し迷った挙句、リュクサンブール宮殿(元老院:上院)にすることにした。リュクサンブール宮殿だと行列で入場に時間がかかりそうな場合、近くのソルボンヌなど他の施設見学に移動することができる。
ということで、初日は予定通りユネスコ本部。
見学できたのは収蔵品の極々一部に過ぎないが、作品の展示されている理由、その背景等々はそれぞれ奥深く、説明員も配置されていて、実に濃密で有意義な時間を持つことができた。
2日目はリュクサンブール宮殿へ行っのだが、あまりの行列に並ぶのを諦めてソルボンヌへ入った。ここまでは想定内だったのだが、入場時には僅かな行列だけだったのに内部は大変な人混みだった。
結局、あまりの混雑ぶりに恐れをなして見学は途中で放棄して帰宅した。
やはり観光地と重なり合う中心部はどこもかなりの人出があって、それなりの覚悟がないと挫けてしまう。ましてや、いくつもの公開施設を回ろうとすれば、よほど念入りに計画をする必要があるだろう。
その点、ユネスコや周辺施設はエッフェル塔に近い割には人出が少なく、ゆっくりと見学するには向いている。
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ユネスコ本部は、エッフェル塔からシャン・ド・マルス、エコール・ミリテール(旧陸軍士官学校、世界遺産の一部)へと延びる線上に位置していて、フォントノア広場 Place de Fontenoy に正面入り口がある。
9月17日、雲は多いが晴れ模様で気温は15度。ここのところ寒い日が続いていたが、この日の天候はまずまずといったところ。
15区の住まいから25分ほどかけて歩いてやってきたユネスコ本部。
今日は各国の国旗掲揚があるかと期待していたのだが、「文化遺産の日」だからといって国旗までは揚げられてはいなかった。 -
加盟国の国旗が掲揚される日の様子はこんな具合。(2021.1撮影)
風の強い日は国旗のはためくバタバタした音と掲揚ロープのジョイント部分がポールに当たる音がカラコロと聞こえてくる。
各国に混じって当然ながら日の丸も見える。
日本がユネスコに加盟したのは1951年のこと、国連本体に加盟が認められる5年前になる。
南北問題や運営をめぐる対立から英国や米国は脱退と復帰を繰り返し、トランプ政権時にパレスチナ加盟に反対して再び脱退した米国とイスラエルは依然として復帰をしていない。 -
この日の見学は、スフラン通り(Av. de Suffren)に面した出入り口を指定されていた。
入場者の行列もなく、道路沿いから覗ける構内の様子も見学者の姿がちらほらと見える程度だった。
ここでちょっとおさらい。
ユネスコ UNESCOという言葉は英語名の略称で、正式には United Nations Educational, Scientific and Cultural Organizationとなる。仏語では Organisation des Nations unies pour l'éducation, la science et la cultureとなる。
日本では「国際連合教育科学文化機関」と訳されている。
1945年11月にロンドンで44カ国が集い、戦争の悲劇を繰り返さないという理念に基づいて「ユネスコ憲章」を採択し、翌1946年11月4日に正式に発足した。
このパリの本部ができたのは1958年、3人の建築家(Marcel Breuer(米国)、Pier-Luigi Nervi(イタリア)、Bernard Zehrfuss(独))が設計に加わっている。 -
ユネスコには今までも訪れたことはあるのだけれど、内部に展示されている美術作品にはまだ親しくお目にかかれていない。
聞くところでは所蔵する歴史的遺産や美術作品は大小1000近くという。その中で観覧できるのはごくわずかであろうが、世界の文化遺産を認定する機関に展示されている作品とはどのようなものか大いに興味がある。
美術館とは違って、作品を他所に貸し出しすることは滅多にないので、ここでしか見られない年に一度の貴重な機会だ。 -
スフラン通り側から入館して、すぐの右手に大会議場「SALLEⅡ」があって、その前通路の壁上に掲げられていた作品がこちら。
Antoni TAPIES(スペイン、1923-2012)の作品『Totes les coses (全てのもの)』とある。
作者がユネスコ50周年を記念して寄贈したもので、黒い線は書道的な要素を取り込み十字架を表しているという。 -
次いで、チュニジアの古代都市から発掘された2世紀終わり頃のモザイク画。
かなり色が褪せてはいるが、驚くほど保存状態が良い。
説明によると、月と狩猟を司る女神ディアナをテーマにしたこの作品はローマ帝国の芸術工芸の代表的なものの一つであり、こうしたモザイク工芸の技術はやがて地中海沿岸に広まっていったという。 -
順路が定められている訳ではないので、見学者はそれぞれの興味に従って思い思いの場所に散らばっているが、知名度の高い作者の前にはやはり人が集まっている。
正面左に青く見えるのはピカソの壁画。
壁画の手前に建物の太い梁があるので距離を置いて全体を見渡せないのが残念。 -
ピカソの『イカロスの墜落』(1958)
説明によると、当初は『悪に打ち勝つ生命と精神の力』と題されていたが、後に『イカロスの墜落』に改題されたという。
作品は40枚の木製パネルにアクリル絵具で描かれていて、パネルの総面積は約100㎡になる。
ピカソの署名が無いが、手前に太い梁があるという展示場所が気に入らなかったピカソは署名することを拒んだと伝えられている。 -
アイスランドの現代芸術家 Erró エロの作品『Thor's Story』。
アイスランドの文化・教育・科学省が、2007年にユネスコに寄贈したもの。
説明によれば、Thor トールとは北欧神話の神々のなかで最も崇拝され、有名な神々の一人であるという。エロは、ここにトールとその死をもたらす大蛇との戦いの物語を描いている。神であるトールもまた死を免れない存在であり、その最期は大きな激変であるラグナロクの日に予言されている。ラグナロクの日とは世界週末の日であるらしい。オーディン(神々の王)とヨード(地球の化身)の息子であるトールは、体力と雷の神でもある云々。
北欧神話に知識のない自分にはチンプンカンプンであるが、現代のアニメ作品のモチーフとしても利用されているようで、そちらに詳しい方であればもっとよく理解ができるかもしれない。
現在のスカンジナビアで用いられている名前には、北欧神話に由来する例が多いという。 -
Karel APPEL カレル・アペル(オランダ、1921-2006)
『Rencontre du printemps』(1958)
当初は本部7階のレストランに飾られていた作品だが、2009年に現在の「SallⅠ」の外側通路の位置に移されたという。
カレル・アペルの作品は日本にもいくつかあって、自分では行ったことはないのだが瀬戸内海の直島には『猫とカエル(?)』という立体作品が屋外に展示されているとのこと。 -
カレル・アペルの作品が外側に飾られていた「SallⅠ」の内部。
ユネスコ本部で最も大きな会場で、最高の意思決定機関である総会はここで開かれる。
総会時には壇上に加盟各国の国旗がずらりと並べられる光景がリーフレットで紹介されていた。 -
国連公用6言語(英語、フランス語、ロシア語、スペイン語、中国語、アラビア語)の同時通訳設備が整えられている。
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2階席もあって、そこからの眺めはこんな感じ。
座席数は1350席で、会場建物はアコーディオンの形をイメージしている作られているが、内部も何となく連関づけられているように思える。 -
会議場後方の内通路には格子窓があって内部の様子を覗けるようになっていた。
この格子窓はどうみても和風な感じに思える。 -
通路脇のショーケースに陳列されていた「平和の家」の実際に用いられた標章プレート。
おそらく中東であろうと察せられるが、HOOYGA NABADDAという地名がどこなのかが良く分からなかった。 -
Caroline MONNET キャロライン・モネ (1985 - )
『Debouttes』(2022)
カナダ ケベック政府からの寄付作品。
一時期、パリ市内にも飾られていたようだ。
説明によれば、先住民族とその文化の認識について国際社会の意識を高めることは重要で、社会の多様性を維持するためにも先住民が果たす役割は大きいとある。
作者本人もカナダの先住民族アルゴンキン族(アメリカインデイアンの一民族)の血を引く女性アーティスト。 -
見学通路の途中に書籍や記念グッズ類の臨時販売所が設けられていた。
記念に買い求める人が列を作っていたが、書籍の他に人気なのはエコバックや小物入れ類で、自分もカスケットcasquetteとエコバッグを買い求めた。 -
購入した布製エコバッグの大小とカスケット。
いわゆる観光地プライスではなく良心的な値付けであった。
カスケットは被り心地がよいので、以来、日々愛用している。 -
さらに先には、ドリンク、軽食類の販売コーナーがあった。
コンパクトな割にはメニューは豊富で、見学の途中にこうした飲食物を入手できる場があることはとても便利でありがたい。
こちらでコーヒーとパウンドケーキなどを購入し、天気も良いので外で小休止することにした。 -
その折りに買ったナッツ入りのチョコバーが美味しくてわざわざ写真に残した。
飲食コーナーを担っているのはケータリング専門業者で、扱い品は一般に市販されていないようなのだが、入手できないものか問い合わせをしてみようと思っている。 -
入館時に渡されたリーフレットには、見学可能な27の展示作品(空間設計を含めて)が記載されていて、コーヒーを飲みながら数えてみたら日本はスペインと並んで最も多い4作品がピックアップされていた。
そのひとつ、佐藤忠良の『ブーツを履いた少女』像 (1984)
作者本人からの寄贈とある。
宮城県美術館には佐藤忠良の記念館が併設されていて、多数の作品を見ることができる。滋賀県の佐川美術館にも佐藤忠良コーナーがあるとのことだが、こちらはまだ足を運んでいない。
少女像の周辺は、飲食物を購入したひとたちの小休憩場所になっていた。 -
少女像の後方には安藤忠雄の建築作品があり、そこからイサムノグチの日本庭園にかけてはさながらニッポンエリアのようになっている。
ユネスコ本部の中で日本のスペースが大きく取られていることは嬉しいことだ。
背景には日本の分担金の割合が多いということも多少は関係があるのかもしれないが、ここは率直に喜ぶべきだろう。 -
安藤忠雄『瞑想空間』1995年
ユネスコ憲章採択50周年の記念プロジェクトに応募した世界中の建築家の中から採用されたもので、コンクリート造り33 平方メートルのシンプルな円筒形をしている。 -
床材には広島で被曝した御影石(花崗岩)も使用されているとのことで、この先の「長崎の天使像」と合わせ考えることができる。
内部は空洞になっており、高い背もたれの椅子があって、厳粛な気持ちと自分自身への思索を促すという趣旨説明があった。 -
思索中であるのか、いつまでも座り続けている人が居たのでカメラを向けるのは遠慮して内部の天井を写してみた。
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イサム・ノグチ(1904 - 1988)
『Fontaine de la paix et jardin 平和の泉と庭園』(1956-58)
これは泉の部分で、彫刻された花崗岩からは絶え間なく水が流れ落ちている。 -
泉から流れ出た水は、水路を通って穏やかに平和の庭園へと続いている。
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平和の泉の右後方の建物壁面には「長崎の天使像」が掲げられている。
この写真では分かりづらいが、右手中ほどに壁の色と若干異なる点のように小さく写っている。
天使像が平和の泉と庭園を見守っているという構図となっているようだ。 -
「長崎の天使像」
1945年8月9日午前11時2分、B29爆撃機によって長崎に原子爆弾が投下された。その年のうちに7万人以上の死者を出し、その多くは原爆投下から24時間以内に命を落とした。
爆心地に近い長崎市浦上地区は完全に破壊され、後に残ったのは一握りの建物だけであった。
投下当時、浦上天守堂ではミサが行われていて多数の信徒が詰めかけていたが、司祭信徒全員が亡くなった。
聖堂は瓦礫となりほとんど形あるものは残らなかった中で、一部の聖人像や天使像が奇跡的に助かった。その中の天使像のひとつである。 -
1976年、パリで開催されたユネスコ創立30周年記念式典で、「長崎の天使」と呼ばれるこの像がユネスコに寄贈され、この天使像は国際平和と人類の未来への希望のシンボルと位置付けられた。
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2発目の原子爆弾の標的となった長崎は、2世紀以上にわたって日本と世界との接点の役割を果たし続け、また、少数派のキリスト教徒が厳しい弾圧の下で長い間活動し続けたことでも知られた地でもある。
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彫像とはいえ、この天使像の顔面の傷痕はとても痛ましくもあり、また象徴的にも思えてくる。
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天使像の下には、その由来を記したプレートが嵌め込まれていた。
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「長崎の天使像」が見守っている平和の泉と庭園をつなぐ水路の先には蓮池があり、石橋も設けられている。
周囲には桜、梅、椿、木蓮、楓、竹などが植えられ、季節ごとの変化を楽しませてくれるという。 -
1700平方メートルの平和の庭園は別名日本庭園とも呼ばれている。
このことは日本人として誇っていいのだが、それに値するだけの在り様が求められているとも言える。
平和はそこに在るものではなく、自分たちで作っていくものだという意識と行動が、これからはますます必要になっていくはずだ。 -
平和の庭を抜けた先には「L'espace de Tolérance 寛容の広場」と名付けられた別の空間が広がっていた。
イスラエルの Dani Karavan ダニ・カラヴァン(1930-2021)の作による石碑のような彫刻で、1995年に暗殺されたラビン首相に敬意を表して、1996年に除幕式が行われた。
石碑には10ヶ国語でユネスコ憲章の有名な前文が記されている。
すなわち「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」。
平和を象徴している古いオリーブの木が石碑に寄り添うようにして植えられている。
ダニ・カラヴァンの彫刻空間のような作品は、日本では宮城県美術館で見ることができる。 -
「寛容の広場」のサックス通りに面した場所には、1世紀ごろの発掘品が地下に置かれる形で保存されていた。
このサックス通りのすぐ先には、一般の献花が続いているウクライナ大使館がある。 -
Vassilakis TAKIS タキス (ギリシャ、1925-2019)の『Signaux Éoliens 風信号』(1993)
タキスは、風、音、光などの非物質的なエネルギー源をいかに作品に取り込むかを考え、都市環境に対する関心も強い芸術家といわれている。
この作品は、風によって動き続ける可動式の構造物で、タキス作品の特徴であるミニマルでシンプルな形と原色で表現されている。 -
アゼルバイジャンの12~13世紀ごろの馬と羊の像(メモリアル・アート)。
2012 年にアゼルバイジャンがユネスコへの加盟 20 周年を記念して寄贈したもの。
説明によれば、メモリアルアート(墓石や葬儀用の石碑)は、アゼルバイジャンの伝統的な民芸品の形式の一つであり、古代から長い時間をかけて、記号やシンボル、さまざまなテーマを組み合わせて作られている。
大きさや形は作られた地域によって異なるが、いずれも同じ技法で作られ、砂岩を素材にしている共通点があるので様式やシンボルは様々でも、ある種の均質性が保たれているという。 -
本部館内ホールに戻り、エスパス・ミロと名付けられた空間スペースに入ると大量のレゴ・ブロックが用意されていて、来場した子どもたちが組み立てに熱中していた。
そこからY字形建物の反対方向へ出ると、ブルガリアのバラが植えられていた。 -
ブルガリアのバラの前面に置かれていたのは、Zourab TSERETELI ズラブ・ツェレテリ(ジョージア、1934 - )の『La naissance d'un homme nouveau (新しい人間の誕生)』(1992)。
新大陸の発見へ向かうコロンブスと三つの船を表現しているというもので同様の作品が他所にもある。こちらはコロンブスのアメリカ大陸発見500年の記念日に、ロシアから贈られたもの。
このジョージア出身のロシア人彫刻家の作品はロシアはもとより世界中の至る所にあって、モスクワのピョートル大帝の像(高さ100m)やニューヨークの国連本部前の『善は悪に挑む』像など、その巨大さから知る人も多いと思う。
世界中から賞や勲章を得ている一方では、設置をめぐって論議を呼び、反対運動や寄贈受け入れ拒否という事例も少なくない。
芸術は作品で評価すべきとは思うけれど、この人物については知れば知るほど胡散臭く、芸術家というよりは全く別の側面で自分は見ている。
プーチンの盟友でもあり、ロシアでは絶大な権力と莫大な富を持ち、ボデイガードに守られてロールスロイスで移動する生活を送っているという。
一言でいえば、もっともらしい作品を量産し、芸術に名を借りたロシアのプロバガンダを実に巧妙に利用して名声と地位を獲得してきた男と言っても良い。
日本では日ソ国交回復に尽力した有名政治家の像を制作している。
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その先に広い空間を占めていたのは、Alexander Calder アレクサンダー・カルダー ( アメリカ 1898-1976 )の1958年の作品『Spirale』。
動くモビール作品で有名なカドラーの作品は世界各地にあって、目にする機会も多いがその中でもこれは代表作の一つとされている。 -
カドラーの作品広場と隣り合って、ヘンリー・ムーアの巨大彫刻が横たわっていた。
Henry MOORE (英 1898 - 1986 )『Silhouette au repos 』
1957年、パリの本部発足にあたり、ユネスコはムーアに彫刻を依頼し、当初は新築された本部ビル前の広場の中央に設置した。その後、1965年になって、建物の拡張工事に伴い、現在の場所に移設されたものである。 -
ムーアの作品の中では最大級の大きさで、制作場所のイタリアからパリに運ぶにあたっては4つに分割してこなければならなかったという。
その分割線はここかな?と作品を前にして勝手に想像してみた。 -
ムーアは自分の彫刻作品とユネスコの建物とがよく調和することを強く望み、建物の水平線を考えて作品の水平処理化を決めたと言われている。
当初の設置場所から移動はしたが、ムーアの望んだ水平調和は見事に果たされているように思える、
今日のような天気であれば、建物のガラスに映る空や雲が作品素材の色ともマッチして存在を引き立てているようにも見えてくる。 -
ユネスコ本部から望むエッフェル塔。
ロシアのウクライナ侵攻の影響でエネルギー不足が深刻となり、省エネのためにエッフェル塔の消灯時間が早くなった。今までは午前1時まで点灯していたが、9月23日から23時45分までとなった。
観光で訪れる人にとっては、ちょっと残念なことだろう。
フランスでは今でも毎日ウクライナ難民が200~250名受け入れられていて、その援護の費用も巨額となっている。ウクライナだけが特別扱いになっていると、他国からの難民からは強い不満が出ているらしい。
調和をとるのはなかなか難しいことだ。 -
カルダーの『Spirale』とムーアの『Reclining Figure』の先には素敵な菜園が広がっていた。
これも空間設計の作品のようである。 -
人の手を入れすぎた整然さはなく、自然の趣を残しているようでもある。
野菜や果実があちらこちらから顔を覗かせていた。 -
トマト畠の上には小鳥の巣箱
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リンゴも実をつけていた。
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これはナス。日本によくある長茄子とは違って、これは丸茄子の形。
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かぼちゃも数種類がゴロゴロと横たわっていた。
秋の収穫祭をやりませんか、と提案したくなるほど豊作のようだ。 -
菜園の先にあるのは、 Erik REITZEL リッツェル・エリック(デンマーク、1941-2012)の『Symbolic Globe シンボリック・グローブ』
ユネスコの紹介写真には必ずといって良いほど登場するこの作品は、1995年3月にコペンハーゲンで開催された「社会開発に関する世界首脳会議」のために制作された。
ユネスコの創立50周年を機にここに設置されたもので、デンマーク政府が5年間の予定でユネスコに提供したものであったが、その後寄贈となった。 -
構造説明によれば、高さ12.80m、直径15m、重量4トンで、1万本の超耐性アルミニウムの棒が使われている。
建築構造的にも最小限の素材を用いた工法として大きな意味があるという。
ユネスコ加盟国の国旗が立ち並ぶ中に置かれているこの「地球儀」にはいくつもの象徴的な役割を与えられているようで、ご苦労様と言ってあげたい。 -
菜園を歩き回り楽しんだあと館内に戻ってみると、入場者もだいぶ増えてきている様子だった。土曜日なので午過ぎにゆっくりと家を出てくる人が多いのかもしれない。
本館セギュールホールの奥には一箇所に人々が集まっていた。
行ってみるとジャコメッティの特徴のある人物像が展示されていた。 -
Alberto GIACOMETTI アルベルト・ジャコメッティ(スイス 1901-1966 )『 L'Homme qui marche 歩く男 』1960
人体を極端に削ぎ落とし、まるで針金のようなシルエットが様式化したようなジャコメッティの作品。
作品の題名というのは作者の意図を考える重要なヒントでもあり、単純であれば哲学的でもある。
「歩く男」はどこから来てどこへ行くのか、美術評論家であれば一編の解釈を示してくれるだろうが、あまり定まった観方にとらわれたくない。
こうした作品は自由にあれこれ想像するほうがずっと楽しい。 -
見学の終わり頃になって気がついたが、今日は7階の展望レストランが公開されているようでエレベーター前には長蛇の列が出来ていた。
自分も並んで行ってみようかと思ったのだが、展示見学と菜園散歩で満足度十分となっていたのでやめにした。 -
見学出口近く(本来は入り口)にある常設の書籍&お土産品コーナー。
この日は見学コース上に出店があっていわば出張販売となっていた。
マネキンが被っているのは自分が買った帽子と同じだ・ -
書籍類は世界文化遺産関連のものが多く取り揃えられていた。
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売店から受付に向かう途中には、Joan Miró ジョアン・ミロによるポスターが掲示されていた。
1974 年にユネスコで開催された「人権」に関する芸術イベントのためにミロがオリジナルのリトグラフで制作したポスターで、よく知られた作品だ。 -
館内受付。
もっと手前には入館時の受付&セキュリティチェックがあって、そこを通過するとここの受付案内となる。 -
見学出口近くに展示されているRobert JACOBSEN(デンマーク、1912-1993)の作品『無題』。通常であれば、来館者が最初に目にするのがこの作品ということになる。
説明によると、多岐にわたるヤコブセンの作品に共通するのはリズムへのこだわりと、形と形の間の余白を大切にする姿勢。彼の作品は時代とともに単純化され、幾何学的なものとなり、ついには有機的な線はほとんど排除されたとあった。
これを最終見学にして、セキュリティスポットを通り外に出た。 -
今日は見学者の出口専用になったが、本来は正面入り口であるフォントノア広場に面した外観の様子。
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横の外柵にUNESCOの表示があるのみで、素っ気ないほど案内らしきものは何もない。
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フォントノア広場を出ると、隣接するエコール・ミリテール(旧士官学校)からは音楽が聞こえてきた。ユネスコと同様に今日は年に一度の公開日となっているのだが、遠目で見ても見学者は多くない。
アンヴァリッドを含め、歴史的背景からこの辺りは軍関係施設が多いが、興味さえあればハシゴ見学ができる場所ではある。
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