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4トラで各地の綺麗な彼岸花が紹介されていますね。<br />秋分の日を挟んでお彼岸の3連休。<br />私も常総市にある弘経寺にその花を見に行きました。<br /><br />境内のあちらこちに【葵のご紋】が見受けられ....<br />後から聞いて知った事ですが.....。<br />赤い彼岸花が咲き乱れるそこは、数奇な運命を<br />辿った一人の女性の眠る場所なのだそう。<br /><br />    徳川家康の孫・千姫。<br /><br />彼女の生涯の話を聞くうちに、彼岸花の花言葉<br />「悲しい思い出」が重なり....。<br />御廟を守るように咲くその姿が、まるで千姫自身で<br />あるかのようにも思えたりもして。<br />生きた時代が違うだけで。こうも女性としての人生が<br />違うのかと。<br />切なさを感じながらその花を眺めてきました。<br /><br />時は、完全男性社会の戦国時代のお話。<br />戦国の姫として生まれてしまったがゆえに<br />時代に翻弄され悲しい人生を過ごすも強く生きた千姫。<br />同じ女性としての思いをのせて....。<br />また、弘経寺との繋がりを紹介しながら境内を<br />散策してみようと思います。<br /><br />聞いたお話・のちに調べたお話を元に作成しましたが<br />歴史は詳しくないので、間違いがあるかも知れません。<br />あくまでも旅行記の個人の感想という事でお許しください。<br /><br />よろしかったら、お花の写真と合わせてご覧頂けたらと<br />思います。<br /><br />

彼岸花に見る悲しい思い 千姫の眠る弘経寺

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2022/09/25 - 2022/09/25

55位(同エリア108件中)

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cocoro

cocoroさん

4トラで各地の綺麗な彼岸花が紹介されていますね。
秋分の日を挟んでお彼岸の3連休。
私も常総市にある弘経寺にその花を見に行きました。

境内のあちらこちに【葵のご紋】が見受けられ....
後から聞いて知った事ですが.....。
赤い彼岸花が咲き乱れるそこは、数奇な運命を
辿った一人の女性の眠る場所なのだそう。

    徳川家康の孫・千姫。

彼女の生涯の話を聞くうちに、彼岸花の花言葉
「悲しい思い出」が重なり....。
御廟を守るように咲くその姿が、まるで千姫自身で
あるかのようにも思えたりもして。
生きた時代が違うだけで。こうも女性としての人生が
違うのかと。
切なさを感じながらその花を眺めてきました。

時は、完全男性社会の戦国時代のお話。
戦国の姫として生まれてしまったがゆえに
時代に翻弄され悲しい人生を過ごすも強く生きた千姫。
同じ女性としての思いをのせて....。
また、弘経寺との繋がりを紹介しながら境内を
散策してみようと思います。

聞いたお話・のちに調べたお話を元に作成しましたが
歴史は詳しくないので、間違いがあるかも知れません。
あくまでも旅行記の個人の感想という事でお許しください。

よろしかったら、お花の写真と合わせてご覧頂けたらと
思います。

旅行の満足度
5.0

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  • 1597年4月11日 千姫が生まれた世は、<br />天下人 豊臣秀吉が全国を統轄していた戦国時代。<br />自らの死期を悟り、家の将来を案じた秀吉は<br />徳川家との繋がりを強化するために、半ば強引に<br />千姫と自らの子・豊臣秀頼との婚姻を決めたという。<br /><br />当時まだ千姫は物心もつく前の2歳という幼さ。<br />女性子供が、まるで政治の駒のように扱われ<br />人権なんてあったもんじゃない。<br />ただの道具であったのことに言う方無い怒りと悲しみを感じる。<br /><br /><br />

    1597年4月11日 千姫が生まれた世は、
    天下人 豊臣秀吉が全国を統轄していた戦国時代。
    自らの死期を悟り、家の将来を案じた秀吉は
    徳川家との繋がりを強化するために、半ば強引に
    千姫と自らの子・豊臣秀頼との婚姻を決めたという。

    当時まだ千姫は物心もつく前の2歳という幼さ。
    女性子供が、まるで政治の駒のように扱われ
    人権なんてあったもんじゃない。
    ただの道具であったのことに言う方無い怒りと悲しみを感じる。


  • 千姫が7歳 秀頼が11歳になった時。<br />二人は結婚して大阪城へと移り住むことに....。<br />幼い子供同士の、形だけの政略婚姻であったとはいえ、<br />二人仲睦まじく過ごした記録がある....。<br /><br />恋すら知らなぬ幼子が、人質にとられるかの<br />ごとく親元から引き離されてしまう中.....<br />千姫にとっても、何も知らない秀頼にとっても、<br />唯一互いが心の支えであった事だろうと想像し安堵する。<br />ただ、夫婦というよりは恋愛には発展しない兄妹のような<br />関係であったのも事実のよう。<br />二人の間には子供はいなかったという。<br /><br />写真は2007年大阪を訪れた時の写真より

    千姫が7歳 秀頼が11歳になった時。
    二人は結婚して大阪城へと移り住むことに....。
    幼い子供同士の、形だけの政略婚姻であったとはいえ、
    二人仲睦まじく過ごした記録がある....。

    恋すら知らなぬ幼子が、人質にとられるかの
    ごとく親元から引き離されてしまう中.....
    千姫にとっても、何も知らない秀頼にとっても、
    唯一互いが心の支えであった事だろうと想像し安堵する。
    ただ、夫婦というよりは恋愛には発展しない兄妹のような
    関係であったのも事実のよう。
    二人の間には子供はいなかったという。

    写真は2007年大阪を訪れた時の写真より

  • 本来 徳川家と豊臣家の関係は良くはなかったけれど。<br />1615年関係が悪化して戦になり大阪の夏陣で大阪城落城。<br /><br />千姫は祖父家康に、秀頼の助命嘆願するも叶わず、<br />夫 秀頼は自害。<br />豊臣家滅亡することになった。 <br />千姫19歳の時だった。<br />

    本来 徳川家と豊臣家の関係は良くはなかったけれど。
    1615年関係が悪化して戦になり大阪の夏陣で大阪城落城。

    千姫は祖父家康に、秀頼の助命嘆願するも叶わず、
    夫 秀頼は自害。
    豊臣家滅亡することになった。 
    千姫19歳の時だった。

  • 後に 家臣の本田忠刻と当時では珍しく大恋愛した千姫。<br />その際、10万石の化粧料(持参金)を持って姫路城で<br />仲睦まじく不自由なく暮らすことに。<br /><br />乱世に翻弄された千姫にとっては、心通わせ結ばれた<br />忠刻との結婚は女性としての幸せを手にいれたかのよう。<br />誰から見ても美男美女の素敵なご夫婦だったそう。<br /><br />2人の子宝に恵まれこれからという時に。<br />

    後に 家臣の本田忠刻と当時では珍しく大恋愛した千姫。
    その際、10万石の化粧料(持参金)を持って姫路城で
    仲睦まじく不自由なく暮らすことに。

    乱世に翻弄された千姫にとっては、心通わせ結ばれた
    忠刻との結婚は女性としての幸せを手にいれたかのよう。
    誰から見ても美男美女の素敵なご夫婦だったそう。

    2人の子宝に恵まれこれからという時に。

  • 長男が3歳で病死。<br />

    イチオシ

    長男が3歳で病死。

  • 2番目の夫 本田忠刻も病を患うことに....<br />前の夫 豊臣秀頼の怨念を感じた千姫は秀頼の菩提を弔い<br />祈りを捧げるも、その甲斐もなく2番目の夫 忠刻も病死。<br /><br />奇しくもそれは 豊臣秀頼が自害した日であったとかなかったとか。<br /><br />

    2番目の夫 本田忠刻も病を患うことに....
    前の夫 豊臣秀頼の怨念を感じた千姫は秀頼の菩提を弔い
    祈りを捧げるも、その甲斐もなく2番目の夫 忠刻も病死。

    奇しくもそれは 豊臣秀頼が自害した日であったとかなかったとか。

  • そのようなこともあり、出家して「天樹院」となり<br />亡くなった二人の夫の菩提を弔ったのだいう。<br /><br />千姫30歳の事。<br /><br />

    そのようなこともあり、出家して「天樹院」となり
    亡くなった二人の夫の菩提を弔ったのだいう。

    千姫30歳の事。

  • その時教え導いたのが、今回訪れた弘経寺の住職で<br />あったのだと言う。 <br />だから各所に葵の御紋を見受けられるだという事は後から<br />寺守人から聞いて知った。<br />

    その時教え導いたのが、今回訪れた弘経寺の住職で
    あったのだと言う。 
    だから各所に葵の御紋を見受けられるだという事は後から
    寺守人から聞いて知った。

  • 本来この弘経寺。<br />室町時代には関東浄土宗の中心寺院として栄えており<br />多くの学僧を世に送った有力寺院であったそう。<br /><br /><br />

    本来この弘経寺。
    室町時代には関東浄土宗の中心寺院として栄えており
    多くの学僧を世に送った有力寺院であったそう。


  • ところが戦に巻き込まれ、戦火で堂宇を焼かれてしまう。<br /><br />

    ところが戦に巻き込まれ、戦火で堂宇を焼かれてしまう。

  • 後に千姫が上人に帰依し、ここ弘経寺を菩提所を定め<br />再建に多大な寄進をして現在に至る歴史があるのだとか。<br /><br />写真は経堂

    後に千姫が上人に帰依し、ここ弘経寺を菩提所を定め
    再建に多大な寄進をして現在に至る歴史があるのだとか。

    写真は経堂

  • ご本殿の葵の御紋。<br /><br />御紋の真ん中の彫り物は<br />千姫の孤独な心に幸せが訪れることを<br />願って掘られた彫刻なのでしょうか....<br /><br />幸せを運ぶ鳳凰の彫刻がなされている。<br />左甚五郎作とのこと。<br /><br />

    ご本殿の葵の御紋。

    御紋の真ん中の彫り物は
    千姫の孤独な心に幸せが訪れることを
    願って掘られた彫刻なのでしょうか....

    幸せを運ぶ鳳凰の彫刻がなされている。
    左甚五郎作とのこと。

  • そして、ここが千姫の御廟。<br /><br />葵の御紋がそれを示している...。<br />

    そして、ここが千姫の御廟。

    葵の御紋がそれを示している...。

  • 平成9年の保存修理の際<br />これまでは遺髪しかないと伝えれれてき御廟。<br />実際に遺骨が納められていたことが判明したのですって。<br /><br />千姫は今もなおここに眠っている。

    平成9年の保存修理の際
    これまでは遺髪しかないと伝えれれてき御廟。
    実際に遺骨が納められていたことが判明したのですって。

    千姫は今もなおここに眠っている。

  • もととと千姫は戦国一の美女祖母・お市の方の血を受け継ぐ<br />とても美しい女性だったとか。<br /><br />そのような伝説も残る。

    イチオシ

    もととと千姫は戦国一の美女祖母・お市の方の血を受け継ぐ
    とても美しい女性だったとか。

    そのような伝説も残る。

  • しばらくコロナ禍で中止されていたけれど<br />常総市では毎年千姫の誕生を記して4月11日前後<br />に千姫まつりが開催されている。<br /><br />綺麗な着物に身を包み千姫に扮し市内を練り<br />歩く姿はなんとも艶やか。<br />常総市の観光大使として市の魅力を発信し<br />今なお地元民に愛されている千姫の魂。<br /><br />世が世ならそれだけの美貌と家柄であれば<br />何一つ不自由なく女性として母として<br />苦労なく暮らしを手にしていたことでしょう。

    しばらくコロナ禍で中止されていたけれど
    常総市では毎年千姫の誕生を記して4月11日前後
    に千姫まつりが開催されている。

    綺麗な着物に身を包み千姫に扮し市内を練り
    歩く姿はなんとも艶やか。
    常総市の観光大使として市の魅力を発信し
    今なお地元民に愛されている千姫の魂。

    世が世ならそれだけの美貌と家柄であれば
    何一つ不自由なく女性として母として
    苦労なく暮らしを手にしていたことでしょう。

  • でも女性の本当の幸せって何なのでしょうね。<br />心ない方との政略結婚というのは、まっぴら<br />ごめんだけれどもね。<br /><br />子供<br />家庭<br />仕事の充実<br />何をもって幸せと言うのかな・・・<br />この年になっても私自身もまだはっきりと<br />わからないけれど....。<br /><br />生まれた瞬間から、人によって『人生』が<br />決められていたとしたら。<br />束縛感・窮屈感で、なんと不自由な事でしょうね。<br /><br />心通わす人がいる<br />ただそれが.....女性としての幸せなのかも知れないな....。<br /><br />写真は来迎杉<br /><br />

    でも女性の本当の幸せって何なのでしょうね。
    心ない方との政略結婚というのは、まっぴら
    ごめんだけれどもね。

    子供
    家庭
    仕事の充実
    何をもって幸せと言うのかな・・・
    この年になっても私自身もまだはっきりと
    わからないけれど....。

    生まれた瞬間から、人によって『人生』が
    決められていたとしたら。
    束縛感・窮屈感で、なんと不自由な事でしょうね。

    心通わす人がいる
    ただそれが.....女性としての幸せなのかも知れないな....。

    写真は来迎杉

  • 彼岸花という名前。<br /><br />幽霊花/毒花/葬式花/墓花/火事花....。<br />と、おどろおどろしい別名を持つ花。<br /><br />悲しみ・別れ・不吉を連想させる響きになじめずに<br />本当は私はいつも曼珠沙華と呼んでいるの。<br />

    彼岸花という名前。

    幽霊花/毒花/葬式花/墓花/火事花....。
    と、おどろおどろしい別名を持つ花。

    悲しみ・別れ・不吉を連想させる響きになじめずに
    本当は私はいつも曼珠沙華と呼んでいるの。

  • 「赤い花」という意味なのですって。<br />名前がかわるとその花のイメージもかわるもの。<br /><br />花柱がくるりと上を向いて 立体的で。<br />まるで女性がビューラーを目元にあてたそんな<br />印象すらあって かわいくも見える。<br />

    「赤い花」という意味なのですって。
    名前がかわるとその花のイメージもかわるもの。

    花柱がくるりと上を向いて 立体的で。
    まるで女性がビューラーを目元にあてたそんな
    印象すらあって かわいくも見える。

  • 赤い花が多いけれど白や黄色もあるのはご存知の通り。<br /><br />「花言葉」<br /><br />赤は・・・情熱・独立・再会・あきらめ・悲しい思い出・<br />     想うはあなた一人<br />白は・・・また会う日を楽しみに・想うはあなた一人<br />黄色は・・悲しい思い出・追想・深い思いやりの心<br /><br />どの色も誰かに思いを寄せる花言葉。

    赤い花が多いけれど白や黄色もあるのはご存知の通り。

    「花言葉」

    赤は・・・情熱・独立・再会・あきらめ・悲しい思い出・
         想うはあなた一人
    白は・・・また会う日を楽しみに・想うはあなた一人
    黄色は・・悲しい思い出・追想・深い思いやりの心

    どの色も誰かに思いを寄せる花言葉。

  • どことなくさみし気で・・・・<br />会いたい... そんな思い・女性の心を秘めた花。<br /><br />美しくも妖しげでそしてはかなくて。<br />そんな姿が、時代の流れで囚われの身になり<br />逆らえず強く賢くしたたかに生きた千姫の物語と<br />重なって私には見えた....。<br /><br />今回はあえて曼珠沙華ではなく彼岸花として旅行記に。<br />

    どことなくさみし気で・・・・
    会いたい... そんな思い・女性の心を秘めた花。

    美しくも妖しげでそしてはかなくて。
    そんな姿が、時代の流れで囚われの身になり
    逆らえず強く賢くしたたかに生きた千姫の物語と
    重なって私には見えた....。

    今回はあえて曼珠沙華ではなく彼岸花として旅行記に。

  • 高く澄み切った秋の空。<br /><br />おさえても溢れる 理由もわからず流れる涙..<br /><br />あなたをお慕い申し上げております....<br /><br />誰を思い咲く花ぞ。<br /><br />真っ赤に燃える昼下がり。<br /><br />

    高く澄み切った秋の空。

    おさえても溢れる 理由もわからず流れる涙..

    あなたをお慕い申し上げております....

    誰を思い咲く花ぞ。

    真っ赤に燃える昼下がり。

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