2022/09/25 - 2022/09/25
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cocoroさん
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4トラで各地の綺麗な彼岸花が紹介されていますね。
秋分の日を挟んでお彼岸の3連休。
私も常総市にある弘経寺にその花を見に行きました。
境内のあちらこちに【葵のご紋】が見受けられ....
後から聞いて知った事ですが.....。
赤い彼岸花が咲き乱れるそこは、数奇な運命を
辿った一人の女性の眠る場所なのだそう。
徳川家康の孫・千姫。
彼女の生涯の話を聞くうちに、彼岸花の花言葉
「悲しい思い出」が重なり....。
御廟を守るように咲くその姿が、まるで千姫自身で
あるかのようにも思えたりもして。
生きた時代が違うだけで。こうも女性としての人生が
違うのかと。
切なさを感じながらその花を眺めてきました。
時は、完全男性社会の戦国時代のお話。
戦国の姫として生まれてしまったがゆえに
時代に翻弄され悲しい人生を過ごすも強く生きた千姫。
同じ女性としての思いをのせて....。
また、弘経寺との繋がりを紹介しながら境内を
散策してみようと思います。
聞いたお話・のちに調べたお話を元に作成しましたが
歴史は詳しくないので、間違いがあるかも知れません。
あくまでも旅行記の個人の感想という事でお許しください。
よろしかったら、お花の写真と合わせてご覧頂けたらと
思います。
- 旅行の満足度
- 5.0
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-
1597年4月11日 千姫が生まれた世は、
天下人 豊臣秀吉が全国を統轄していた戦国時代。
自らの死期を悟り、家の将来を案じた秀吉は
徳川家との繋がりを強化するために、半ば強引に
千姫と自らの子・豊臣秀頼との婚姻を決めたという。
当時まだ千姫は物心もつく前の2歳という幼さ。
女性子供が、まるで政治の駒のように扱われ
人権なんてあったもんじゃない。
ただの道具であったのことに言う方無い怒りと悲しみを感じる。 -
千姫が7歳 秀頼が11歳になった時。
二人は結婚して大阪城へと移り住むことに....。
幼い子供同士の、形だけの政略婚姻であったとはいえ、
二人仲睦まじく過ごした記録がある....。
恋すら知らなぬ幼子が、人質にとられるかの
ごとく親元から引き離されてしまう中.....
千姫にとっても、何も知らない秀頼にとっても、
唯一互いが心の支えであった事だろうと想像し安堵する。
ただ、夫婦というよりは恋愛には発展しない兄妹のような
関係であったのも事実のよう。
二人の間には子供はいなかったという。
写真は2007年大阪を訪れた時の写真より -
本来 徳川家と豊臣家の関係は良くはなかったけれど。
1615年関係が悪化して戦になり大阪の夏陣で大阪城落城。
千姫は祖父家康に、秀頼の助命嘆願するも叶わず、
夫 秀頼は自害。
豊臣家滅亡することになった。
千姫19歳の時だった。 -
後に 家臣の本田忠刻と当時では珍しく大恋愛した千姫。
その際、10万石の化粧料(持参金)を持って姫路城で
仲睦まじく不自由なく暮らすことに。
乱世に翻弄された千姫にとっては、心通わせ結ばれた
忠刻との結婚は女性としての幸せを手にいれたかのよう。
誰から見ても美男美女の素敵なご夫婦だったそう。
2人の子宝に恵まれこれからという時に。 -
イチオシ
長男が3歳で病死。
-
2番目の夫 本田忠刻も病を患うことに....
前の夫 豊臣秀頼の怨念を感じた千姫は秀頼の菩提を弔い
祈りを捧げるも、その甲斐もなく2番目の夫 忠刻も病死。
奇しくもそれは 豊臣秀頼が自害した日であったとかなかったとか。 -
そのようなこともあり、出家して「天樹院」となり
亡くなった二人の夫の菩提を弔ったのだいう。
千姫30歳の事。 -
その時教え導いたのが、今回訪れた弘経寺の住職で
あったのだと言う。
だから各所に葵の御紋を見受けられるだという事は後から
寺守人から聞いて知った。 -
本来この弘経寺。
室町時代には関東浄土宗の中心寺院として栄えており
多くの学僧を世に送った有力寺院であったそう。 -
ところが戦に巻き込まれ、戦火で堂宇を焼かれてしまう。
-
後に千姫が上人に帰依し、ここ弘経寺を菩提所を定め
再建に多大な寄進をして現在に至る歴史があるのだとか。
写真は経堂 -
ご本殿の葵の御紋。
御紋の真ん中の彫り物は
千姫の孤独な心に幸せが訪れることを
願って掘られた彫刻なのでしょうか....
幸せを運ぶ鳳凰の彫刻がなされている。
左甚五郎作とのこと。 -
そして、ここが千姫の御廟。
葵の御紋がそれを示している...。 -
平成9年の保存修理の際
これまでは遺髪しかないと伝えれれてき御廟。
実際に遺骨が納められていたことが判明したのですって。
千姫は今もなおここに眠っている。 -
イチオシ
もととと千姫は戦国一の美女祖母・お市の方の血を受け継ぐ
とても美しい女性だったとか。
そのような伝説も残る。 -
しばらくコロナ禍で中止されていたけれど
常総市では毎年千姫の誕生を記して4月11日前後
に千姫まつりが開催されている。
綺麗な着物に身を包み千姫に扮し市内を練り
歩く姿はなんとも艶やか。
常総市の観光大使として市の魅力を発信し
今なお地元民に愛されている千姫の魂。
世が世ならそれだけの美貌と家柄であれば
何一つ不自由なく女性として母として
苦労なく暮らしを手にしていたことでしょう。 -
でも女性の本当の幸せって何なのでしょうね。
心ない方との政略結婚というのは、まっぴら
ごめんだけれどもね。
子供
家庭
仕事の充実
何をもって幸せと言うのかな・・・
この年になっても私自身もまだはっきりと
わからないけれど....。
生まれた瞬間から、人によって『人生』が
決められていたとしたら。
束縛感・窮屈感で、なんと不自由な事でしょうね。
心通わす人がいる
ただそれが.....女性としての幸せなのかも知れないな....。
写真は来迎杉 -
彼岸花という名前。
幽霊花/毒花/葬式花/墓花/火事花....。
と、おどろおどろしい別名を持つ花。
悲しみ・別れ・不吉を連想させる響きになじめずに
本当は私はいつも曼珠沙華と呼んでいるの。 -
「赤い花」という意味なのですって。
名前がかわるとその花のイメージもかわるもの。
花柱がくるりと上を向いて 立体的で。
まるで女性がビューラーを目元にあてたそんな
印象すらあって かわいくも見える。 -
赤い花が多いけれど白や黄色もあるのはご存知の通り。
「花言葉」
赤は・・・情熱・独立・再会・あきらめ・悲しい思い出・
想うはあなた一人
白は・・・また会う日を楽しみに・想うはあなた一人
黄色は・・悲しい思い出・追想・深い思いやりの心
どの色も誰かに思いを寄せる花言葉。 -
どことなくさみし気で・・・・
会いたい... そんな思い・女性の心を秘めた花。
美しくも妖しげでそしてはかなくて。
そんな姿が、時代の流れで囚われの身になり
逆らえず強く賢くしたたかに生きた千姫の物語と
重なって私には見えた....。
今回はあえて曼珠沙華ではなく彼岸花として旅行記に。 -
高く澄み切った秋の空。
おさえても溢れる 理由もわからず流れる涙..
あなたをお慕い申し上げております....
誰を思い咲く花ぞ。
真っ赤に燃える昼下がり。
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