2022/04/30 - 2022/04/30
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摂津の国のマーガトロイドさん
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ゴールデンウィークはどこも混んでいる、でも大阪市内は多少人は少ないかも?であればせっかく大阪に住んでいるのだからたまには大阪を満喫してみようということでずっと気になっていた「大阪楽遊パス」を使って普段は高くてなかなか行かない場所へ行くという旅の1日目。
この大阪楽遊パスは破格の値段で大阪が1日(~2日)楽しめるのである。大阪に来てUSJだけなんてあまりにもったいない。
梅田スカイビル(空中庭園)に初めて行き大阪港観光船サンタマリアに乗ってキャプテンラインも往復し日本橋を歩いて最後はHEPの観覧車へという日本橋以外初物尽くしの旅の様子を紹介する。
使用した交通機関は以下の通り。
南千里937→普通天下茶屋行→951淡路
淡路952→普通梅田行→1002梅田
大阪1143→大和路快速奈良行→1153大正
大正橋1157→60系統天保山行→1225頃天保山ハーバービレッジ
大阪港1441→生駒行→1453堺筋本町
堺筋本町1459→天下茶屋行→1504恵美須町
なんば1726→市バス8系統大阪駅前行→1745大阪駅前
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
旅は南千里から。
なぜ南千里かというとある情報筋(という書き方をしているが地元の友人である)から「TOKKに面白そうなイベントが載っていた」と連絡が来たのである。
吹田市立千里ニュータウン情報館で行われていた企画展「千里山線を駆け抜けた車両たち」というものである。
(https://tokk-hankyu.jp/articles/event/46100/)
なかなか行く機会がなかったが最終日、ちょうど大阪市内に出かける用事もあるということで南千里に立ち寄ってから梅田に出ることにしたわけである。
では次はなぜ市内に出ることになったかという話から。
GWということで彦根の友人が大阪に帰省してくることになったので一緒に嵯峨野トロッコ列車に乗りに行こうという話をしていたのだが…満席orz
ということでその代案で気になっていた「大阪楽遊パス」を使ってみようという話になったのである。
本来は交通機関セットの「大阪周遊パス」もあるのだがこの時はコロナ戦争の関係もあるのかなぜか発売されておらず、それにこちらには地下鉄と市バスの乗継割引もあるということで普通に回数カードで市内を動き回ることにした。
なお嵯峨野トロッコ列車は2ヶ月後にリベンジを果たしている。 -
企画展そのものはTOKKにも「ミニ企画展」と記載されている通りささやかなものである。
気になったものだけいくつか撮影してある。
阪急千里線の前身である北大阪電気鉄道の記述もあるのだがこちらは東海道本線の線形付け替えの話。
なぜそんなことになっているのかといえば現在の阪急京都線十三~淡路間と千里線の淡路~東吹田(現在の吹田駅の前身のひとつで阪急吹田駅から東海道本線をくぐり抜けた東側にあった)間は東海道本線の旧線の線路敷を転用したものである。
東吹田には車庫があったという。それは初めて知った… -
そして北大阪電気鉄道は新京阪鉄道に合併され、紆余曲折ありながら現在の阪急になっていくわけである。
この地図には東吹田駅と西吹田駅も記載されているが西吹田駅はほぼ現在の阪急吹田駅の位置にある。
また、左側に見切れている地図にも注目してほしいが京阪電車が直線主体の現在線ではなく旧線の併用軌道の状態である。
え?京阪は「カーブ式会社」と揶揄されるほどカーブだらけだろって?それは守口市より東側の話で守口市~野江間は戦前に専用軌道化する際に現在の直線主体の線形となっている。 -
阪急となってしばらくすると千里ニュータウン建設が本格化してきて千里山までだった路線は新千里山へ延伸される。
この新千里山駅こそが現在の南千里駅であり、1967年の北千里延伸にあわせて現在の南千里に改称された。 -
その開業当初の写真がこの通り。2面3線で現在の淡路方面ホームを1面2線で使用していた。
2号線が梅田行き、3号線が天神橋行きである。
この時代まだ地下鉄堺筋線は存在しないので天神橋筋六丁目駅ではなく天神橋駅である。
堺筋線開業は1969年なので2年だけ北千里から天神橋行きという列車があった。
3号線の跡は現在でもきれいに残っている。 -
駅前にはロータリーがあった(現在の南千里駅のロータリーとは場所が異なる)
当時ロータリーがあってバスターミナルを持つ駅は珍しかったそうである。 -
天神橋行きの210系が停車している。
電動貨車の機器流用車であるが1963年頃には嵐山線に移っていたということもあり新千里山駅に停車している写真は貴重である。 -
新京阪の伝説の車両P-6も末期には千里線にも入線していた。
そのP-6の機器を流用した1600系との新旧ツーショットも見ることができた。 -
本来は千里ニュータウンに関する資料館であるので千里ニュータウン名物だったほくさんバスオールも保存されている。
これが普及したのは「府営住宅」であるところがミソで公団住宅には割と初期から風呂が完備されていた。
というのも当時所得によって上から公団、府営住宅、住宅供給公社の順でグレードが分かれていたのである。 -
1964年のマスタープラン模型が展示されている。
さすがに大阪モノレールはないものの阪急の北千里延伸と北大阪急行の開通は既にマスタープラン内に入っていた。もっとも現在の北大阪急行となる区間の運営主体は決まっていなかったようだが…
よく見ると今と変わっている部分も所々あるが概ねマスタープラン通りである。
対照的なのが泉北ニュータウンでなかなかニュータウン鉄道の運営主体と区間が決まらず阪和線の分岐する上野芝か南海の分岐するなかもずのどちらから鉄道(もしくは阪神高速)が来てもいいような設計としたという話やまちびらき時から5年経ってようやく泉北高速鉄道が開通したという歴史もある。
※泉北高速の開通時には地下鉄御堂筋線はなかもず延伸計画はあったもののまだあびこまでしか開通していない -
ということでようやく阪急で梅田に向かう(笑)
天下茶屋行きだったので淡路で梅田行きに乗り換える。
十三から淀川を渡り、中津を過ぎると梅田芸術劇場を眺めつつ済生会病院前のトラス橋を渡る。こうしてだんだんと梅田の中枢に進んでいく感覚はなかなか新鮮。 -
ということで久々に阪急梅田駅に到着。集合時間まではまだ少し余裕があるので少しばかり撮り鉄…乗ってきた電車は高槻市行きとして折り返す。
-
定番だがついついやりたくなるこの構図…
-
9301Fの入線。幕車であるのが特徴だ。
ここで改札を出て友人と合流。ヨドバシ1Fのファミリーマートで大阪楽遊パスを購入する。
そのままかつての地下道(一部は現存しているが…)を歩いて空中庭園のある梅田スカイビルへ。
空中庭園は高いので実は入ったことがなかった。 -
だが今回は入る。この時点で1500円回収。
長いエスカレーターを上がればあの空中庭園である。 -
エスカレーターからも風景を見ることができる。
友人は約15年ぶり(だったかな…)、筆者に至っては初であるw -
屋上に行く前にまずは10Fから梅田方面を眺めてみる。
眼下にはJR梅田駅こと梅田貨物駅の跡地のうめきたが広がる。
これがYahoo!ニュースの背景になっているとは思わなかった… -
中にはこのビルの模型もあった。だがこれはまだ完成形ではないという…
あれで完成していなかったのかこのビル… -
この通り本来は3棟構造となるはずだったそうである。
まあ時期的にバブル崩壊の影響もあったと思われるが…
またデザイン的にも3棟だと難しいというのもあるかもしれない。 -
早速屋上に上がってみよう。屋上は当然ではあるが飛び降り自殺対策がされており少し遠い位置から眺めるようになっている。
こちらは東側。グランフロントが目立つ。 -
遠くには生駒山の電波塔も見ることができる。ここから約17kmの位置にある。
-
そしてその中で懐かしいと思ったのがこのNOVAの看板。
実は筆者がまだ幼い頃よく祖父の車で阪急梅田駅屋上の駐車場に車を止めていたことがあり、その駐車場から見えるこのNOVAの看板が梅田の象徴だった時期があるのだ。
まだ阪急百貨店が建て替えられる前、それどころかヨドバシカメラが無かった頃の話である。
あの頃の梅田阪急のステンドグラスが忘れられない… -
再び南側を望む。
場所の関係で東側と南側の眺望はあまり良くないがまあ仕方ない。 -
その代わり西側と北側は遮るものがあまりないので眺望はかなり良い。
大阪市内はおろか神戸方面まで一望できる。 -
ということで神戸方面を拡大してみる。
正確には神戸といっても神戸空港沖で正面に見える橋は神戸空港に架かる神戸スカイブリッジと思われる。 -
六甲アイランドの大型ガントリークレーンの後ろ側には明石海峡大橋が見える。明石海峡大橋が見えるかどうか探していてギリギリ肉眼では見えないかと話していたがデジカメでは映っていた。
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北方面は千里方面や伊丹空港、箕面の山々まで見ることができる。
手前の橋は十三大橋。 -
千里中央も一望できる。
ランドマークとなる建物が多いので大阪市内から北方向を撮影するときは目印となる辺り。 -
十三大橋の横の新淀川橋梁を行く阪急も撮れる。トラス橋ではない京都線が一番撮りやすい。
これは阪急名物の三複線同時発車のシーンである。 -
先行するのは京都線、次いで宝塚線の順で最後を走る神戸線は7000系だった。
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JALの飛行機が伊丹空港に着陸しようとしているのが見える。
もう高度がかなり低いので斜め上の視点程度でも見えるのである。 -
その伊丹空港もこの通り。頑張れば離着陸シーンも見ることができるかも?
-
ふと眼下を見ると梅田貨物線をくろしおが通過していく。
かつては線路がたくさんあったこの区間も今は単線しかない。
そして今となっては地下化されたためここに線路はない。 -
阪神高速が突き抜けるビルもよく見える。
実はこう見るとあのビル、意外に小さく見えるがそれでも一応16階建て(そのうち5~7Fを阪神高速が貫通)である。 -
最後に空中庭園を下から眺めてみる。
こう見ると大都会の摩天楼感が出るw
実際は「今は」梅田からやはり少し遠い場所というイメージが強いが…みなとみらいみたいな感じになっていくのだろうかうめきたは…
大阪駅まで移動して環状線で大正へ向かう。
USJからのキャプテンラインの時間が合えばユニバーサルシティへとも思ったが時間が合わないのでひとまず昼飯優先で大阪港へ向かうことにする。 -
弁天町で降りず大正で降りるw弁天町で地下鉄に乗り換えないのはその後の行程の都合上。
ここからなんば発の市バスで天保山へ。
それなら梅田からも直通のバスがあるのだがまあそれはそれとして… -
ということでこちらもものすごく久々に天保山マーケットプレイス(誰だAmazonとか言ったのは)にやってきた。
観覧車も大阪楽遊パスで乗れるがHEPでいいやとスルーして昼食へ。 -
なぜ沿岸バス…
しかも円形看板の色合いも本物の沿岸バスとは異なる…
しかもこの店は本店は北海道…ではなく心斎橋である。 -
昼食は自由軒にした。
難波の本店より多少ソーシャルディスタンスは保てるが、それでも結構密w
ただ自由軒のカレー、美味しいのは美味しいので難波へ行くとたまに食べることもある。
最近難波ではもっぱら焼肉ライクに浮気気味だが…なぜなら梅田には無いからw -
腹ごしらえもしたのでここからいよいよ塩分補給。
だがその様子は次の旅行記で紹介することにする。
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2022年大阪楽遊パス
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