2022/08/08 - 2022/08/08
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hijunoさん
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忠臣蔵大ファンの夫のお供で出かけました。
まず、花岳寺へ。1645年に浅野長直が浅野家菩提寺として創建したお寺です。1703年の吉良邸討ち入りがあり、1706年には森家が赤穂城主になって、赤穂義士37回忌の年の1739年に義士のお墓が建立されています。
境内には義士の宝物館、義士木像堂もあり見学しました。
大石内蔵助が討ち入る前に書いた手紙など、緊迫感が伝わってくるようでした。
義士の木像がずらりと並ぶお堂も迫力のあるものを感じました。47名のそれぞれの人生があったのだと考えながら、義士の墓所、浅野家の墓所などを周りながら、もう300年以上も前の出来事だったのだと感慨深かったです。
花岳寺のあとは、息つぎの井戸を観ました。浅野内匠頭の江戸城松の廊下での刃傷事件を知らせる使者の早水藤左衛門と萱野三平が大石内蔵助の屋敷に着く前に、この井戸で水を飲み、息をついだといわれている井戸です。
東京にある泉岳寺と兵庫県の加西市にある久学寺、そして赤穂の花岳寺、
義士ゆかりのこの三つのお寺を「三がく寺」と呼んでいます。
今回花岳寺へ行き、全てを回ることができて嬉しいです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
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花岳寺へ来ました。
山門を車でくぐって、駐車場へ。
山門は赤穂城が解体されるときに塩屋総門がこちらのお寺に移築されたものです。
写真を撮り忘れました。 -
境内の地図がありました。
見どころが沢山ありそうです。 -
境内にあった「大石名残の松」。
初代名残の松のようです。
大石内蔵助が討ち入りで赤穂を去るときに、名残り惜しんだといわれる美しい松の樹。 -
大きな幹です。
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写真もありましたが、相当な大きな松の樹だったのですね。
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境内には二代目の松の樹もありました。美しい力強い松の樹。
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本堂の天井には「竹に虎」の絵。
法橋義信画伯の作。
ちょっと怖いような、、、。
迫力にしり込みしそうです。 -
本堂には討ち入りに関しての年表や
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四十七士の説明もありました。
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境内にある「鳴らずの鐘」。
1703年に46人の義士が自刃すると、悲しみの町民たちが花岳寺に集まり、鐘を激しくつき続け、その後音調を失います。
人々の強い悲しみや憤りが伝わってくる逸話です。
1797年に再改鋳。
戦時中にも金属の供出を免れています。 -
見学料を払い中へ。
まず、資料館のほうへ。 -
義士宝物館。
中は撮影禁止です。
浅野家、大石家、赤穂義士に関する資料が展示されています。
大石内蔵助が討ち入りの前の日に花岳寺へ送った「暇乞状」もありました。 -
資料館のそばにある枝垂れ桜。
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説明にもありますが、
浅野長矩が三次の阿久里との婚儀の際に、大石内蔵助が三次を訪れ、
阿久里の菩提所のお寺に植樹した枝垂れ桜。
その苗木がこちらのお寺に寄贈されたもの。 -
義士木像堂。
こちらも写真撮影禁止です。
正面に討ち入りの際に大石内蔵助が身に着けていたといわれる小さな千手観音。
周囲には木像の義士たち。
木像とはいえ、迫力がありました。 -
外には古い石佛、中国からのものだそうです。
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500年に中国の魏でつくられたもの。
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裏側にも文がありました。
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義士のひとり、俳人でもあった大高源五の句碑があります。
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説明にもありますが、大高源五といえば、吉良上野介が在宅の情報、討ち入りの日を決める情報を得た人。
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森家の役瓦。
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浅野家の霊廟。
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浅野の家紋が見えます。
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忠義塚。
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義士の墓所があります。
音声テープの説明が流れていました。
37回忌の際に墓所が建てられました。
遺髪が納められているそうです。
中央には浅野内匠頭、左右には大石内蔵助と大石主税。
そして禄高ではなく、右から格式順に建てられています。
一番右は吉田忠左衛門でした。戒名の上には刃の文字。
最後には、寺坂吉右衛門、討ち入りには加わらず、討ち入りの様子を伝える役割をしたなど様々な説がありますが、戒名には刃の文字はありません。 -
忠義桜。
大石家にあったものと言われています。 -
向かって右には、不忠柳。
大野九郎兵衛宅にあったとされる柳の樹。
大野九郎兵衛といえば、末席家老でしたが、大石内蔵助らと意見もあわず、赤穂から脱出した人というイメージありました(多くのドラマを観ていて)
が、最近は様々な説もあるのですね。
たとえば、討ち入りが失敗し、上杉家へ吉良が逃げ込むことを想定して
米沢に行き、討ち入りの成就を聞き自害した、、など、大野九郎兵衛ゆかりの遺蹟もあるそうです。
最後は困窮して京都で没したともいわれていますが、本当のところはどうでしょう~。 -
義士の墓所からさらに奥に進むと、
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浅野家などの墓所があります。
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水琴窟があります。
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大石家の祖先のお墓。
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浅野家家中の人々の墓もこちらへ。
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森家のお墓もあります。
浅野家が藩主として1701年まで、その後永井家が1706年まで藩主をつとめ、廃藩置県までは森家が藩主をつとめます。 -
赤穂藩森家初代藩主森長直は浅野家より続く塩田の開発に尽くしました。
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こちらは赤穂城の完成に力を尽くした近藤正純の夫妻のお墓。
藩主浅野長直の時代に仕えた家臣です。 -
浅野家三代のお墓もありました。
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二代藩主浅野長友のお墓です。
浅野内匠頭長矩の父君です。 -
初代藩主浅井長直のお墓。
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浅野長直の父君の浅野長重のお墓。
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桜ではありませんが、こちらの大木の花びらが風に舞っていて、
なんともいえない情緒がありました。
ひらひらと花びらが舞います。 -
百日紅の花も可憐です。
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突如として日本の歴史に残る出来事に関わりながら生きてきた人々、、
討ち入り後も義士の家族も藩の人々も大きく変わった生活が待っていたでしょう。一人一人の人生がそこにあったのだなぁ~と感慨深いです。 -
花岳寺を出て、近くの「息つぎの井戸」へ。
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説明にもありますが、早水藤左衛門と萱野三平が主君の刃傷傷の凶報を江戸より4日半かけて赤穂へ駆けつけるさいに、こちらの井戸で一息つき、
大石内蔵助邸に行ったといわれています。
いまでは新幹線や飛行機で数時間で到着する時代には考えられない4日半。
しかも良い知らせではない知らせを持ち、赤穂へ戻る気持ちはどんなものだったのだろう~とかんがえます。 -
井戸。日本三代上水道のひとつの赤穂藩上水道の給水井戸だそうです。
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石碑があります。
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義士行灯。
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からくり時計だそうです。
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お城通りを通ります。
風情のあるおとりでした。 -
綺麗に整備されています。
時間があれば、歩いてみたい、、。 -
赤穂市立歴史博物館へ。
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こちらもお蔵の形をした建物があります。
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館内は写真撮影禁止です。
外の案内板にもありましたが、展示物には大石内蔵助や息子の主税の書状などがありました。主税の下書きもありましたが、とても若い主税の字も立派で堂々としていました。 -
「塩と義士の館」と呼ばれ、赤穂の塩、城と城下町の様子、赤穂義士と旧赤穂上水道の大きなテーマに分かれて、資料が多く展示されていました。
とくに、赤穂は海に近く、井戸を掘っても海水が出てきたそうですが、上水道の拡張、改修が続き、川からの水の供水を利用することで、人々の暮らしを支え、城下の町家へ各戸に給水するというような施設も作っています。
赤穂と言えば、塩。重労働の塩造り。
その塩が赤穂の経済を支えてきたことがよくわかりました。 -
博物館の外、赤穂城の米蔵跡もありました。
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すぐ近くがお城です。
こちらからも歩いていけそうですが、先に大石神社に行きます。
続きは大石神社からです。
それにしても、暑い一日でした。
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