
2022/06/17 - 2022/06/25
3位(同エリア64件中)
gontaraさん
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今日は世界遺産のゴレ島、アフリカ各地に有る負の遺産、奴隷貿易の証を今に伝える奴隷の積出港(許されない言葉ですが)を訪問し、PCR検査の結果を受け取り出入国の準備をすることになってる。MY・SOS(入国に関するアプリ)登録をするなどの課題が課せられてるんやけど、これが一筋縄ではいかん! 受け取ったPCR陰性証明をMY・SOSにアップロードすると2~30分程で指定の要件を満たしていないとの回答。どないしたらええねん!
また、体調を崩して朝食も殆ど食べられない状態になってしもた、ゴレ島へ行かんとホテルで待機するかどうか迷ったけど、もう二度と此処へ来ることも無いやろと取りあえず島に渡ってみることにした。
お腹を壊したGONTARAに添乗員さんはおかゆの差し入れをくれたので、何とか命を繋いだ。ありがとうございました。
翌朝は帰国の為にホテル出発は4時半、3時半に添乗員さんが新しい日本の様式に合致したと思われる陰性証明を届けてくれ、MY・SOSにアップすると画面が青色になった、OKや!
この画面を出国の際に提示するようにとに指示になってるけど、空港でWi-Fiが確実に取れるとも限らないので、一応スクショしといたけど、そんなもん全く相手にされんかった。「スマホはええからさっさと陰性証明だして」的な対応。海外では認知度ゼロかいな。
今度は陰性証明は日本帰国に有効とされる証明はダメだと言われ、日本には通用しないセネガル様式が求められた。
出国に際してはMY・SOSで蹴られたペーパーが必要やった。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 航空会社
- エチオピア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
夜半から体調が悪くなって朝食も食べられない状態に
これだけでも残してしもたぐらいや -
ホテル待機も選択肢の一つやけど、もう2回目は無いやろうし、取りあえずゴレ島に渡って、しんどかったらトイレの有る場所で待機しといたらええかと、みんなと一緒に出掛けた。
港はあっという間に着いた、徒歩圏内かもしれん。
ゲートではパスポートのチェックが有った。 -
往復で5200フラン、1000円ぐらいかな
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デッカイターミナルビル
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凄い人や
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よう分らんままに人波に流されて
この船かな?
ちゃんとライフラフトも装備されてる
3km先のゴレ島を目指す -
ガイドが座る場所を確保してくれた
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出港
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これは病院船やて
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ゴレ島が見えてきた
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もう直ぐゴレ島到着
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港
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凄い人数、アフリカ系の人が多い
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島が世界遺産
東西300メートル、南北900メートルと、とっても小さな島で、1444年にポルトガル人によって発見され、その後、オランダやイギリス、フランスなどが領有を争ったけど、17世紀後半以降はフランスの植民地になった。16~19世紀にかけて、西アフリカから多くの奴隷がこのゴレ島を経由して、新大陸アメリカへと連れて行かれた。その数は総計で1200万人とも2000万人とも言われてる(アフリカ全体の連れていかれた奴隷の人数)
奴隷たちはアメリカ大陸で、コーヒーや砂糖、たばこ、綿花などの強制労働を強いられ、動物以下の扱いを受けた。
1814年にフランスが奴隷貿易を廃止すると、交易の拠点はアフリカ本土のダカールへと移っていった。セネガルは1960年に独立し、ゴレ島は1978年に負の世界遺産に登録された。島内には悲劇の歴史を語るように、セネガル最古のモスクや奴隷の収容施設、フランス統治時代の砲台などが残されている。 -
奴隷の家は混雑してるやろうという事で博物館から
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今は博物館になってるけど、建物の形状からして要塞やね
大砲が無造作に転がってる
博物館に入るんかと思たら、炎天下でガイドがひたすら喋ってる・・・ -
ホテルになってるのかな?
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GONTARAはここでリタイヤして休むことにした
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奴隷の家2階は白人の住まいで階下は船積みを待つ奴隷を閉じ込めてた牢屋みたいな場所
男女別に子どもの部屋も有ったらしい
その環境はぎゅうぎゅう詰めで鎖で繋がれ、ろくな食事も与えられず排泄物にまみれた過酷な筆舌し難い状況だったとのこと -
一筋の光が差し込む扉は「帰らざる扉」と呼ばれ、この扉を潜った奴隷が2度とこの地に戻ることは無かった
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この狭い空間に150人の奴隷が閉じ込められてたとか
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恐らく奴隷の船積みの様子を表した図やと思うけど
当時の船は100トンから200トン程度の小さな船で、船倉に閉じ込められた奴隷の悲惨な状況は想像に難くない
アメリカまで40日から60日を要したとのこと、当然航海中に命を落とす奴隷も少くない無い。6%から25%の損失が(あえてそう書きます)あり、保険は必須だったらしい -
現在のゴレ島はリゾート地かと思えるような長閑な雰囲気を醸し出してる
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帰りの船は空いてた
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ゴレ島の昼食は抜いたし、ディナーも行かない旨を伝えて置いたら、添乗員のF氏がおかゆを届けてくれた
ありがとうございました、お陰で生き延びられました<(_ _)> -
出張PCR検査を受けた際に日本の指定の様式も渡したらしいけど、セネガル様式の陰性証明が届いた
MY・SOSにアップしたけど必要な要件を満たしてないとダメだしの返答が来た
意外とちゃんと見てるんや!
後は添乗員なり現地ガイドの手腕にかかってるので、ジタバタしてもしゃーない -
最終日のホテルの出発時間は午前4時半
1時間前にF氏が部屋に日本仕様の陰性証明を持ってきてくれた
検体採取の時間等も違うけど・・・
この辺りの証明書の再取り寄せは現地ガイドが居らんかったらどないしょうもないやんか!
日本からの直行便のあるような国ならともかく、アフリカや南米は個人で行くにはハードル高いなぁ~
早いこと鎖国解除して欲しいわ -
取りあえずMY・SOSにアップすると20分程でスマホの画面が青になった
ホッと胸をなで下ろした -
4時半にホテルを出発、さすがにこの時間は道路は空いてるのでスイスイ、
セネガルカラーのスタジアム、もう見納めや -
早朝5時過ぎから空港は動いてる
-
エチオピア航空のチェックインカウンターの前に関所が有った
MY・SOSの画面を見せたら、「なんやねん、スマホがどうしたんや?」みたいな顔をされ、陰性証明書を出すように指示された
日本仕様の証明書を出すと、これでは有効ではないと言われた
プチオーマイゴッドやけど、セネガル様式のペーパーを出したらOKやった -
提示した書類は全て撮影し、チェックが終わった印にシールを張られた
カウンターで発券されたらイミグレやけど、ラインが2口しか開いてへん -
6時から係官の人数増えるんとちゃうかと言うてたら、ホンマに増えた
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イミグレを抜けると免税店やった
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バオバブの苗やな
種まいたら育つのに・・・
セネガルのお金事情を書いてなかったんで、チョットだけ。
現地通貨に両替したのは55ユーロ、丁度35000フランになるので、窓口で指示された金額。小銭で渡して欲しいとリクエストしたけど、小銭が無いの一点張り。
現地で必要なのは食事の時の飲み物代ぐらい(土産は買わんし)
飲み物は1000フラン(200円)から3000フランぐらい
最終23500フラン残ってたんで、ドライバーさんとガイドに10000フランずつチップとして渡して残金3500フラン、ここでデーツをチョコット買ってお終い -
ゲートは一番端っこ
3時間前に空港に来といて丁度やった -
ほぼ定刻にテイクオフ
ブルキナソファまではガラガラ -
摩訶不思議な物が出てきた
甘いんやけど正体はなんやろ?
因みに今朝の朝食になる -
もう直ぐブルキナソファ
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エプロンも無いようなブルキナソファ空港にもう1機大型機が!
しかも、さっき4発機が飛び立って行ったし
この空港はビジーなんか? -
小一時間の機内待機
ぎょうさん乗客が乗り込んで来て、ほぼ満席
立派な建物も建ってる -
ミナレット4本の立派なモスク
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アディスアベバまでの機内食
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定刻にアディスアベバ空港に到着したけど、乗り継ぎ時間は1時間切ってるし、沖止めから沖止めへの乗り継ぎ期待したけどあかんかった
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以前に比べると空港内の動線が整理されスムースになったので、乗り継ぎ時間で間に合った
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また、載せてしもたわ
何回目やろ -
インチョン到着前に健康観察表など書類が5種類配られた
アライバルカードと税関申告書は要らんのは分かるけど、健康観察表は要るんかなぁ
折角書いたけど結果は不要やった -
インチョン到着前の機内食、4回目になるかな?
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韓国に入国する乗客はそのままスルー
トランジットする者はトランプを引かんとあかん
これ、無駄やなぁ ホンマ邪魔くさい -
それなりに人の姿があるインチョン空港
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夕刻のインチョン空港
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最後の晩餐
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カートから機内食のトレーを出したときに転がったパン
無情にもCAは知ってか知らずか無視して次の配膳をしてた
この頃にはGONTARAも食べられるように回復してたのに
拾ろて食べたらええやんかって! -
少し早めに成田空港到着
降機後は本来の動線とは逆方向に進んで検疫のチェックがある
で、ここでMY・SOSのチェックが有って、ファストパス(青色画面)レーンへ進む -
ファストトラックで無いパッセンジャーは個別に審査されるんかな?真ん中の歩く歩道上の人は、元に戻って本来の動線へ回帰する
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検疫の流れとファストパスの目印の青紙、健康観察についての用紙が渡される
これ以降写真は撮れんかったけど、恐らくANAのラウンジ内に造られたブースで口頭試問(チョコット質問されるだけ)確認が有って、元の動線に戻って入国
この間のロスは5分ぐらいやったかな、このファストパスはMY・SOSの値打ちが有ったわ -
入国時間20:22
自動化ゲートで -
ツアーの皆さんにお別れをして、今夜のお宿
成田東武ホテルエアポートへ
16番がホテルバス送迎者用、運よく待ち時間なしでバスが来た -
空港内をグルグル回るしメッチャ遠い?
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ホテルみたいなロビー
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部屋もビジネスホテルにしては広め
浴槽にお湯を張って入浴したのは当たり前 -
ホテル内にコンビニが有るのはポイント高い
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貧乏GONTARAのお夜食と明日の朝食
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送迎バスで2タミまで行って3タミまで歩いたんやけど、ホテルから3タミの方が近かったんと違うかなぁ
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3タミは結構人が多い
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売店も充実
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乗る前にうどんぐらい食べとこか
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座席はケチって指定しなかったけど4Cやった、ほぼ満席の関空行き
関空には定刻の14時前には着陸したけど、空港周辺に雷注意報が発令されて地上業務が出来ないとのことで、スポット手前で停止した。
直ぐに降りられるやろうと思てたけど、15分経ち30分経ち・・・ -
結局1時間以上スポットの手前で待機してた
飛行機に乗ってる乗客より、次便を待ってる人の方がイライラしてたやろな
コロナ後の初海外、何とか無事に帰って来たなぁ
ようやく海外に出られるようになったけど、ハードル高いなぁ
現地のPCR検査、これがネックや
老人の忘備録、最後までお付き合いくださりありがとうございました。
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旅行記グループ
コロナ後初海外 セネガルへ
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