2022/05/19 - 2022/05/19
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chiaki-kさん
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2011年3月11日14時46分、マグニチュード9.0の巨大地震が太平洋の沖合で発生。東北地方を中心に北海道・関東地方も含む沿岸に巨大津波が押し寄せ、各地に壊滅的な被害をもたらした。岩手県・釜石市・鵜住居(うのすまい)地区にも、15mを超える津波が押し寄せ、1,653戸が全壊、死者行方不明者は580人という大きな被害を受けた。
表紙の写真は被災地跡に建てられた鵜住居スタジアムの一角にあった慰霊碑だが、地震、津波、そして原発事故の被害を受けた東北地方の太平洋沿岸には、こういった慰霊碑が建立されていたり、被災した建物が保存されていたりしますが、昨年訪れなかった場所を中心に、何カ所か巡ってみることにした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- その他
-
5/19
5:30起床。シルバーティアラは多少の揺れはあったが、疲れが上回っており、ぐっすりと睡眠を取ることが出来た。太平洋に昇る朝日がまぶしい。 -
まだ、誰も起きてこないので、昨晩出来なかった船内をウロウロ。
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なにかセレモニーが出来るようなステージあり。
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シルバーティアラにはレストランは無いが、代わりに、こんな自販機コーナーがある。
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冷凍になった「ほやめし」(600円)をゲット。向かい側にあった電子レンジでチン。
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部屋に戻ってから、「ほやめし」とセイコマートで購入した辛味噌ラーメンで朝食。お味のほうは、まあまあだったが、「ガラナ」は薬品のような臭いがして、No Good 。
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7:30 定刻でシルバーティアラは八戸港に着岸。向かいの埠頭には僚船のシルバープリンセスが出港の準備をしていた。
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紫色がシンボルカラーのシルバーティアラ下船。こんな大きな船だったのね。
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八戸フェリーターミナルを三陸道方面へ出発する。
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八戸南ICから三陸沿岸道路に入るが、この道路は災害時には緊急車両道路、あるいは避難所となる設計なので、ほぼ全線、海岸から離れており眺望は臨めない。
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全線無料なのは良いが、ほぼ片側一車線。
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たまに2車線の場所もあるが、すぐに1車線に戻ってしまう。
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そんなこともあり、久慈はノンストップで通過し、
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宮古北ICで降りて、やってきたのは三陸復興国立公園・浄土ヶ浜。
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最初、一番奥の駐車場まで行ってしまったが、ここから浄土ヶ浜まではかなり歩くことが判明したので、一番入り口にあった駐車場に戻って、こんな道を下っていく。
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15分ほど舗装された車道を下って行くと、こんな風景が見えてきた。
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浄土ヶ浜に到着。
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レストハウス前は舗装工事の真っ最中。
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イチオシ
これが浄土ヶ浜。観光客の姿はパラパラ程度で、いい写真が撮れた。
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左側をUP
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左から2番目をUP
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中程をUP
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右側をUP
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浜から見るとこんな感じ。
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パノラマでどうぞ。
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大地震の後には津波が来る・・・と刻まれた石碑を発見。
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レストハウスの売店でアイスクリームを購入。
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レストハウスの2階は展望台になっており、ここで最期の一枚。
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20分ほど息を切らして坂道を登った場所で愛車と再開。
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宮古盛岡横断道路を使えば1時間ほどで盛岡へ行けるのだが、浄土ヶ浜で時間を使いすぎたので、今回はパス。fuzzさん、ごめんなさい。また今度ね。
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宮古からR45をひた走って、山田町に入る。海岸沿いには高い防潮堤が現れる。
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ところが同じ場所をGoogleストリートビューで見ると、なんと山田湾が見える。
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町入り口の交差点だが
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ストビューでは、このとおり。
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ちなみに通常の航空写真には防潮堤がハッキリ写っている。Googleさん、わざと昔の映像を残したのね。
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山田湾展望広場に立ち寄る。
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左側、そして・・
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前面には美しい山田湾があった。
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右側、そして・・
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巨大な水門が造られていた。
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橋の下では、何かを採っているようだ。
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山田町を過ぎ、R45を南下する。
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三陸復興国立公園・四十八坂という景勝地からみた三陸の海。
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いいね
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やがて左手向こうに巨大な防潮堤が見えてきた、大槌町だ。
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大槌町では、加藤町長を始めとする数十人の職員が、庁舎を襲った津波にのみこまれて、そのまま消息が途絶えてしまった。そのため、行政機能は麻痺し、周囲から孤立したような状況がしばらく続いた。
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2011年4月9日の時点で判明した人的被害は死者583人・行方不明者1,068人・避難者9,070人、建物被害は不明となっている。
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三陸鉄道リアス線・大槌駅の手前はこんな感じ。新しい家と更地が目立つ。
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大槌町のすぐ隣は釜石市鵜住居地区。ストビューには被災後、何年か経った後の映像が残っている。
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新しい家が建ち始めた交差点を左へ行くと釜石鵜住居復興スタジアム。
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大槌湾に押し寄せた津波は鵜住居川の堤防を乗り越え、ほぼ全ての住宅を飲み込んだ。鵜住居川と大槌湾の堺には巨大な水門が造られていたが、津波は川から来るのだ。
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そして、こちらがお馴染みのラグビー・スタジアム。2019年9月25日、ラグビーワールドカップ・フィジー対ウルグアイ戦がここで開催され、1万4025人の観客が集まった。
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スタジアムからピッチを眺めるとこんな感じ。
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被災した鵜住居地区の写真があった。まるで爆撃を受けたようだ。
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復興住宅があちこちに並んでいる。
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昼飯の店を探しながら釜石市内をウロウロするが、結局、かっぱ寿司に着陸。
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お馴染みのミニ列車に載って運ばれてくる注文寿司だが、やはり港のある町の回転寿司はひと味違う。
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釜石中央ICから再び三陸道に乗り、気仙沼手前にある気仙沼鹿折ICで気仙沼市内へ。昨年は大島へ行ったので、市内は初めて。
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迷路のような市内を彷徨い、やってきたのは気仙沼市・東日本大震災遺構・伝承館
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旧気仙沼向洋高校は4階までが津波で水没するなどの被害を受けたが、震災時に学校にいた生徒は2km離れた中学校に避難し、校舎に残った、一部教職員は屋上に逃れて全員無事だった。なお、津波は4階の床まできたそうだ。
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津波が直撃した冷凍工場が押し流されてきて校舎4階角のベランダに衝突した跡。
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気仙沼では死者・行方不明者が1,366名に上った。
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昨年訪れた大島。亀山がよく見えていた。
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10分ほどR45を移動して着いたのは昨年も訪れた道の駅大谷海岸。
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国道を横切って海岸まで行ってみた。海水浴ができるくらいなので、綺麗な海岸だね。
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西側はこんな感じ。
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鯉のぼりの向こうに旧JR気仙沼線の線路跡と塞がれたトンネル跡が見える。
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鉄道の代わりに設けられたBRT(Bus Rapid Transit)。令和2年の大谷駅乗降客数は1日平均34人。
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最新の道の駅なので、外のテラスでも食事が可能。海を見ながら食べたのは、
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普通の醤油ラーメンでした。
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この後、お土産をどっさり買い込み、大谷海岸ICから三陸道を一気に向かったのは、
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松島でした
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西行戻し松公園という高台にある公園で松島湾の眺めが良いことで知られている。
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丁度西日が当たってきた。ちなみに松島はこれらの小島が津波のエネルギーを吸収してくれたので、大きな被害は無かったそうだ。
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明るい内にホテルに着きたかったので松島観光はやめ、謎のルートを通って仙台港北IC近くのルートインホテルにチェックイン。
ホテルの口コミは↓です。
https://4travel.jp/dm_hotel_tips/14700531 -
ホテルの周囲にはレストランや食堂など多数あるのだが、フロントで今日は満室と聞いてしまったので、混みそうな店は敬遠し、車で5分ほどの場所にあるイオン多賀城店でお買い物。カツオのたたきと、厚切りベーコンポテト・チーズ焼で部屋食。最近、最後の晩餐はだいたいこんな感じだね。
これで「2022年 東北・北海道 5:八戸、三陸道、浄土ヶ浜、山田湾、釜石・鵜住居地区、気仙沼&松島」は終了です。ちょっと重い旅行記になりましたが、最期までご覧いただき、ありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- pedaruさん 2023/02/25 14:53:31
- 優しかった人たちが・・・理不尽な運命
- chiaki-kさん こんにちは
あれから12年も経つのですね。関連の報道は少なくなりました、しかも政府は原発を再稼働どころか新設まで発表しています。
建物は建っても、家族を失った人の心は癒されませんね。決して忘れてはいけないと思老います。
時間がありましたらご覧ください。 https://4travel.jp/travelogue/10697270
pedaru
- chiaki-kさん からの返信 2023/02/25 16:47:29
- 復興へのエールを贈りたいと思います
- ・
pedaruさん、こんにちは。”東北旅行記”にいいねを
ありがとうございます。2012年の旅行記、拝見しました。
牡鹿半島は未到地ですが、Googlemapで見ると十八成浜
地区の隣の鮎川地区や大原地区、そして小網倉地区の
被害も凄かったように見えます。
被災地区には無機質な防潮堤と、復興住宅が建ち並んで
いますが、どれだけ人が戻ってきたかは見えません。
今、私たちに出来ることは防災、あるいは減災の街作り
と、いかにしたら人々が戻ってこれる産業の育成、そして
誰もが笑顔で暮らせる地域作りではないでしょうか。
まだまだ困難な問題は山積していますが、この災害により
不幸にして亡くなられた方々も、故郷や町の復興を望んで
いるはずです。
微力ではありますが、幸いにして被災を免れた私たちも
応援しますので、復興を目指して頑張っていただきたく
エールを贈りたいと思います。
では、また。
chiaki-k
-
- fuzzさん 2022/06/03 16:43:24
- ありがとー
- chiaki-kさん、こんにちはー
岩手さ、ようこそ❗
オラの実家は宮古市です。
そう、浄土が浜のある港町。
山田の海にも良く泳ぎに行きました。
大槌は親戚がいます。
山田は私が知ってる町が町ごとなくなって、復興が進んだ今の様子は知りません。
色々と見せて頂いて嬉しいです。
嬉しいけど、ちょっと涙が出ました。
fuzz
- chiaki-kさん からの返信 2022/06/04 06:56:38
- ストリートビューの中に残るもの
- ・
fuzzさん、おはようございます。東北・北海道旅行記に
たくさんの”いいね”を、ありがとうございます。
fuzzさんの以前の旅行記で、宮古が、ご実家なのは承知して
いましたが、山田や大槌へも行かれていたんですね。
実をいうと三陸方面は70年代にR45を何回か走ったことが
あります。浄土ヶ浜は寄りませんでしたが、山田湾の美しさ
が今でも記憶に残っています。
(もちろん、現在も綺麗です)
その山田湾が今では防潮堤に遮られ、国道からは見えなく
なってしまいましたが、Googleのストビューの中に残って
いたのには驚きました。
この後UP予定の浪江町や双葉町も被災後の画像がストビューに
ありますが、更地と構造物と新しい建物ばかり目立つ現在より
も何かを物語っているようです。
盛岡は残念ながら行かれませんでしたが、仙台空港で購入した
盛岡冷麺、美味しくいただきましたよ。
では、また。
chiaki-k
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