2022/05/14 - 2022/05/14
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江戸時代、九州の玄関口である小倉から唯一の外国との窓口であった長崎とを結んでいた長崎街道。
参勤交代の大名や長崎奉行をはじめ、坂本龍馬など幕末の志士に伊能忠敬やシーボルト、果てや象や孔雀も通ったとされるこの道を徒歩で巡る長編企画です。
第9弾は武雄市のJR北方駅から塚崎宿(武雄温泉)を経由し、嬉野温泉までの区間を取り上げていきます。
広大な佐賀平野も終わり、久々の峠越えも登場します。
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今回は佐賀県武雄市のJR北方駅からスタートです!
未明まで降り続いていた雨も止み、何とか晴れてきたので良かったです。北方駅 駅
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塩田方面へ向かう旧ルートとの分岐点。
旧ルートはENEOSのあたりから左側へと道が伸びていました。
長崎街道が開通した当初は北方からは鳴瀬宿と塩田宿を経由して嬉野へ向かうルートが取られていましたが、塩田川の度重なる氾濫によって通行できなくなる事が多々ありました。
そのため、享保2年(1717)に温泉地として賑わっていた柄崎(武雄)を経由する新ルートに付け替えられています。 -
かつての追分であった事を示す案内板
ここから上がった所には追分観音堂(志久庵室)があり、旅人達が休息に利用していました。 -
追分観音堂の十三仏
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再び旧道へ戻って進みます。
踏切の向こう側にかつての塩田経由の街道が通じていました。 -
フランソワ佐賀工場を右手に見ながら進みます。
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追分の名は今でも武雄市北方町の地名として残っています。
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記憶に新しい令和元年豪雨の際の浸水ライン
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女性が元気になれるセンター
全国各地にこのような趣旨の施設はありますが、なかなか直球なネーミングですね。 -
国道を横切って奥の小道へと進みます。
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木ノ元神社の案内板
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鎌倉時代に泥棒の濡れ衣を着せられた木元夕路木公が身の潔白を証明するために、7人の我が子もろとも自害した場所と伝えられており、祠には「木元社」と彫られた板があります。
この木元夕路木なる人物ですが、地元では鎌倉幕府の在京御家人であった源頼茂だと言い伝えられています。
鎌倉幕府三代将軍である源実朝への暗殺容疑を掛けられたために、京都から遠く離れた北方の地へと逃れてきて、そこで木元夕路木に名を改めたのだそう。
木元夕路木の死後、地元では災厄が頻発し木元公の祟りだと受け取った人々は稲主神社を建ててこれを鎮める事としました。 -
筆者も参考にしている松尾卓次さんの「長崎街道を歩く」によれば、この木ノ元集落には藁葺き屋根の家屋がズラリと並ぶ光景が観られたそう。
しかし、現在は画像のように瓦やトタン屋根に変わってしまっており、古い町並みを維持していく事の難しさを実感しました。 -
少し進むと先程の話に出てきた稲主神社の鳥居があります。
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稲主神社の本殿。
五穀豊穣の神様として今も地元の方から崇敬を集めています。 -
境内にはかなり昔のものと思われる石段も多数ありました。
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おみくじ売場の上に置かれたアルコール消毒液
鳥居にもしっかり「消毒液」と書かれているのが面白いですね。 -
再び旧道に戻って進んでいきます。
なお、ここから右手に進めばしゃくなげ寺として有名な高野寺があります。 -
不動産会社の広告を見ても担当支店が「佐世保駅前店」だったりと着実に長崎県が近付きつつあるのを感じます。
ちなみに北方には国道沿いにPart5で登場した井手ちゃんぽんの本店があるのですが、いつの間にか通りすぎていたようです。。 -
トイレが危なくなってきたので北方運動公園のトイレをお借りしました。
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松の木が新しく植えられています。
かつての街道沿いを意識しての事でしょうか。 -
北方公民館の所には北方町内の長崎街道についての案内板があります。
地図を見るとJR北方駅とかつての北方宿はかなり離れている事がわかります。 -
北方宿の本陣跡。
文化9年(1812)に伊能忠敬が宿泊した記録も残っています。
反対側には脇本陣と多久領の米蔵もあったようです。 -
本陣跡であることを示す案内板
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かつての北方宿を進んでいきます
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さらに進むと大崎八幡宮の入口があります。
地元の炭鉱で働く人達の様子などを描いた「炭坑絵馬」が有名な神社で、筑豊出身の筆者としては強い興味があります。
佐賀のこの辺りもかつては唐津炭田の一部として、多くの炭鉱が開発されており、長崎街道と石炭が密接な関係であった事を感じさせます。 -
大崎八幡宮の本殿。
松尾卓次さんの著書によれば、炭坑絵馬は奥の御堂に奉納されているとの事でしたが、窓から覗いてもそれらしきものは見当たりませんでした。。 -
気を取り直して進んでいきます。
かつての宿場町らしく90度カーブもきっちり備わっています。 -
焼肉レストランふちがみがある所で国道34号へ再び合流します。
予定では北方駅からここまで1時間で来るつもりでしたが、少し時間が押してしまったので先を急ぐ事にします。ふちがみ グルメ・レストラン
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国道を直進していきます。
天気もすっかり回復して日差しが強くなってきました。 -
長崎自動車道の高架と交差します。
右折すると武雄北方インターの入口があります。 -
例の水害による実績浸水深が軽く2メートル以上あり、武雄市の中でも被害が甚大であった事を伺わせます。
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北方地区を抜けて朝日地区へ入ります
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旧街道はENEOSの角を右へと入ります。
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高橋の町へと入りました。
北方と武雄の間に位置する間宿でかつては交通の要衝として大いに賑わったそうです。 -
Googleマップにはこの道が旧街道として記載されていますが、後程こちらは裏道であった事が判明。。
1本奥の県道がメインルートになりますが、「歩道がない」「狭い」「交通量が多い」の三重苦なのでこちらに迂回するのもありだと思います。 -
大正末期頃の高橋の地図。
18世紀に長崎街道が塩田経由から塚崎経由に変更されて以来、
六角川の水運を活かした各方面からの物資の集積地として発展。
江戸時代当時は月に6回もの市が開かれていたそうです。
明治に入り、交通の要衝である高橋にも鉄道の駅が設けられましたが、肝心な物資輸送も鉄道へとシフトしてしまったため、町は衰退してしまいました。
大正末期には市も月3回に減っていますが、それでも多くの商店が建ち並んでおり、今の比ではない賑わいだったのでしょう。 -
高橋の中心部に立地する高橋八幡宮
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少し怖いですが、せっかくなので表のメインルートにも再び挑戦してみます。
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表通りには当時を思わせる町家が何軒か残っています。
今はほとんどが普通の民家ですが、かつては一軒一軒が何らかの商店だったのでしょう。 -
こちらの鮮魚店はかなり昔から営業していたのでしょうか。
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奥に見える保育所の角を左折します。
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長崎街道の案内板
地元のウォーキングコースとしても整備されています。 -
享保橋
その名の通り長崎街道が塚崎・高橋経由に付け替えられた享保2年(1717)に架けられた事からこの名が付いています。
なお、現在の橋は平成元年(1989)に架け替えられたものです。 -
橋を渡った先には長崎街道がルート変更になった旨を示す石柱もありました。
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Part8まではまだまだ青々としていた麦畑もすっかり黄金色に輝いており、収穫の時期が近い事を伺わせます。
山の緑もだいぶ近くに迫っており、広大な佐賀平野も終わりつつあるのを感じますね。 -
長閑な風景の中をさらに進みます。
奥には武雄のシンボルである御船山が見えます。 -
暫くすると軽い峠越えの道に差し掛かります。
この旅でこの手の勾配のある坂道自体がずいぶんと久々な気がします。 -
良い眺めです
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旧街道はこちらの分岐を左手へと入ります。
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細い道を暫く進んで再びさっきの道へ合流。
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合流地点に長崎街道の石柱があります。
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再び平坦な道になりました。
武雄の市街地へ向けて進んでいきます。 -
武雄市のコミュニティバス「ほんわカー」の停留所。
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八並水源地交差点
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細い道を直進します
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八並水源地公園
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八並水源地は昭和三年(1928)に建設された武雄市初の浄水場で、武雄市の水道事業発祥の地となっています。
残念ながらかつての浄水場の建物は取り壊されていますが、跡地は公園として整備されています。 -
旧街道に戻って進みます。
このまま直進すれば塚崎宿ですが、ちょっと寄り道して武雄温泉駅の方面に向かうことにします。 -
駅方面の道が分岐する所に八並の石塔があります。
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石塔の案内板
平安時代末期に起きた曾我兄弟の仇討ちに纏わる話が紹介されています。
源頼朝が富士で行う巻狩りに父の仇である工藤祐経が参加する事を聞き付けた曾我兄弟は、闇夜に紛れて無事に仇を討つことに成功します。
しかしその代償は大きく、兄の十郎は殺され、弟の五郎は捕えられた末に鎌倉で獄死してしまいました。
兄・十郎の許嫁であった虎御前は兄弟の冥福を祈るために出家。
折しも小城に西国一と謂われる岩蔵寺が建つと聞いて、虎御前は九州へとやってきました。
その旅路で中国と四国、そしてこの武雄の地にそれぞれ石塔を建てて、改めて兄弟の冥福を祈ったとされています。
この旅でもPart3で飯塚から内野宿へ向かう途中、虎御前の墓と伝えられる場所を紹介しましたが、このような伝説は全国各地に残されているようです。 -
武雄温泉駅に到着。
9月の西九州新幹線開業後は新幹線と在来線特急の接続という重要な役割を担う事になります。武雄温泉駅 駅
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駅前には「ロマンシング佐賀」の武雄温泉バージョンのイラストもあります。
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新幹線開業に向けた広告
博多~長崎間で考えると時短効果も薄い上に乗り換えが必要になるなど何かと批判されがちですが、鉄道マニアの筆者としてはやはり新路線の開業は嬉しいものです。 -
今はシャッターが下ろされていますが、新幹線開業後はこの先に新幹線とリレーかもめののりばが整備されます。
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新幹線口の様子。
切符売場や待合室も概ね完成しており、開業後のイメージを伺い知ることができます。 -
新幹線口の駅舎外観。
駅前の開発はまだまだこれからといった感じですね。 -
駅を出て暫く歩き、塚崎の大楠を観に行く事にしました。
武雄市文化会館の所から入る事ができます。 -
これが塚崎の大楠
1963(昭和38年)に落雷の影響で上部が9m程失われてしまいましたが、それでも樹から放たれる威容は凄まじいものを感じます。
樹齢は約2,000年との事。塚崎の大楠 自然・景勝地
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オープン当時「TSUTAYA図書館」として話題になった武雄市図書館。
館内には歴史資料館も併設されており、筆者が訪れた際には武雄鍋島家の有力家臣であった武雄十兵衛家に関する資料が展示されていました。 -
武雄鍋島氏の9代目当主であった鍋島茂義公の銅像。
西洋式の砲術や科学技術の研究に注力し、幕末における佐賀藩の軍事面・技術面での発展の礎を築いた人物です。 -
腹も減ってきたので、こちらの居酒屋のランチメニューで昼食とします。
青を基調としたユニークで爽やかな外観です。 -
日替わり魚定食(1,100円)を注文。
メインは鯵のみぞれ煮で刺身も付いています。
魚の扱いには定評のある店らしく、とても美味しくいただく事ができました。
同じ値段で天ぷら定食もありますが、運ばれてるのを見るとかなりのボリュームでしたねw
こちらは量も少なめであっさりしているので、街道歩きにも優しい内容かと思います。 -
随分と道草食ってしまったので、そろそろ街道歩きに復帰する事にします。
有名キャラクターを模したオブジェのようですが。。最早元ネタが何なのかわからない崩壊ぶりですねw -
八並の石塔があった所まで戻り旧街道へ復帰します。
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古い町家にレトロなコカ・コーラの看板が良い味出してますね。
昔は何かの商店だったのでしょうか。 -
この辺りから塚崎宿です
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「鍵形道路」と呼ばれる直角カーブの連続した道が残っています。
やはり外敵から攻められた際にその勢いを殺ぐために設けられたとのこと。 -
宮野町の街並み
古くからの商店が並びます。 -
飛雲山明宗寺
この辺りは「寺町」とも呼ばれ、その名の通り寺院が密集しているエリアです。
これは決して偶然ではなく、武雄第20代領主 後藤家信が焼失した住吉城から塚崎の地へ戻ってきた際、各地に散在していた浄土真宗の寺院を一斉に移転させた事が発端となっています。
有事の際には兵士の宿舎としても活用できるようにするためで、移転建築の費用は全て領主の負担であったとされています。 -
武雄市のマンホール。
武雄温泉の楼門が描かれています。 -
手前が法林寺、奥に見えるのが正法寺ですね
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こちらは正覚寺
これまでも旧宿場町となればそれなりに寺院が建ち並ぶ光景を見ましたが、塚崎宿における宮野町の密集具合は群を抜いていると思います。 -
さらに歩くと長崎街道物語公園として整備された公園があります。
白壁の建物を再現したオブジェには長崎街道の全宿場が描かれています。夢本陣 名所・史跡
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小倉の常磐橋を出発して黒崎、木屋瀬、飯塚と筆者には馴染みの深い北九州・筑豊路を駆け抜けました。内野を過ぎれば西の箱根と称される冷水峠、これを越えて山家、原田。
筑紫野市内は郊外化が著しかったですが、藪まみれの旧道に突入したりもしましたね。
そして佐賀県に入ってサロンパスのお膝元である田代を通り、轟木へ。 -
鳥栖市内を抜けてみやき町に入り中原へ。そして神埼、境原、佐賀城下。佐賀平野特有のクリークが張り巡らされた風景を見て、随分と遠くまで来たなと感じたものです。
佐賀は今でこそ田舎だなんだとバカにされがちですが、佐賀城下の規模の大きさには圧倒されましたね。
江戸時代当時に街道を歩いていた人々にとっては、今の福岡市並みの大都市に感じたのではないでしょうか。
隣の牛津もかつては九州の浪速と呼ばれるほど商都として繁栄を極めていました。そして小田、北方を経由してついに塚崎の地を踏んでいます。 -
ここから先も嬉野、彼杵、松原、大村、永昌(諫早)、矢上、日見と長崎へ辿り着くまでには7つの宿場が控えています。
長崎県に入れば起伏の激しい峠道も増えてくると聞いています。体調は万全にして臨みたいところですね。 -
公園内にあったシーボルトの椅子と武蔵の椅子
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恒例となった明治の黒ポストはここ武雄にもありました。
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長崎街道の全宿場と距離を記載した案内板。
北方宿からここまでが4kmなのに対して、今日の目的地である嬉野温泉まではあと12kmもあります。
この時点で既に13:30。
嬉野で温泉に入る時間などを考えると、ちょっとペースを上げていく必要がありますね。 -
有名な武雄温泉の楼門
国の重要文化財にも指定されています。
楼門を入ると蓬来湯がありますが、宿場のあった頃はこの地に本陣が建っていました。武雄温泉楼門 名所・史跡
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こちらは脇本陣跡である東洋館。
脇本陣には宮本武蔵も宿泊しており、かつて武蔵が使ったとされる井戸も残されています。湯元荘東洋館 宿・ホテル
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脇本陣の反対側には代官所跡があります。
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札の辻跡
幕府や藩からの通達などが掲示される場所で、交通量が多く人が見やすい場所が選定されています。 -
暫く進むとちょっと夜の街の雰囲気がするエリアがあります。
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しかし、そんな中にも古くからのお菓子屋さんもしっかり構えており、流石はシュガーロードだなと感じます。。
山里屋菓子老舗 グルメ・レストラン
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佐賀市内などに比べると数は少ないですが、恵比須さんの姿もあります。
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再び鍵形道路の残る区画があります。
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案内板には長崎街道新町通りと記載されています
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牛鼻山善念寺
源為朝が領主の命を受けて大蛇退治を行った後、太宰府へ向かう途中に牛が鼻を突いて動かなくなった事からこの辺りを「牛の鼻町」と呼ぶようになったと伝えられています。 -
中村涼庵旧宅
長崎でシーボルト直伝の最新医学を習得した後、武雄に戻って医師として開業。
当時の領主である鍋島茂義の侍医としても活躍し、日本で最初の種痘を成功させるなど多大な功績を残しました。
地元武雄では彼を西洋医学の開祖としているそうです。中村涼庵旧宅 名所・史跡
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奥に見えるのが西福寺です
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塚崎宿を抜け、次はいよいよ佐賀県最後の宿場となる嬉野へ向けて進んでいきます。
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趣のある酒屋さん
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工事中のためやむ無く迂回します
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迂回中
佐世保線の円満寺踏切を渡ります -
踏切から見た佐賀方面
武雄温泉駅に向けての高架はここから始まっています。 -
一旦国道へ迂回します
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わくわく墓石パークの看板を右折します
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正面を横切っている道が旧街道です
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旧街道へ復帰しましたが、この後すぐに行き止まりになってしまいます。。
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佐世保線に残る煉瓦積みの鉄橋
開業当初からのものでしょうか。 -
ここで旧街道は行き止まり。
かつては線路の向こう側へ繋がっていたと思われます。 -
来た道を引き返して迂回します。
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藁葺き屋根の住宅がありました
遠目から見る限りかなり綺麗に手入れされているようです。 -
旧街道らしい細い道を進みます
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こちらを左折します
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左手の砂利道へと入ります
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再び国道が現れるので突っ切って反対側の細い道へ。
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この先の石橋を渡るのですが、令和元年豪雨の際に破損したため現在は通行止めになっています。
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仕方がないので、迂回して少し先にある橋を渡ります
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川を渡ると渕の尾ダムに向けて坂を登っていきます。
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渕の尾ダム
武雄市の水がめとして市民の生活を支えています。
旧街道は今ではダムの底ですが、かつては川沿いに道があったようです。 -
ダムの脇を通り抜けて下り坂へと入ります。
交通量は少ないですが、工事のトラックやらが走ったりしているので注意して歩きましょう。 -
暫く進むと渕の尾峠へ向かう旧道への分岐があります。
旧長崎街道の石柱もあるので分かりやすいですね。
松尾卓次さんの著書によると明治に入って新しく官道を整備した際には東側の平尾峠を経由する事になったので、こちらの道は昔のまま残されたそうです。 -
未舗装の山道を上っていきます。
冷水峠以来となる本格的な峠道ですが、よく整備されているので歩きやすかったですね。 -
峠の頂上には「渕の尾峠」と書かれた看板があります。
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峠を越えて下り坂に入ります
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長崎街道の看板にしたがって進みます
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ようやく開けた所に出た、と思ったら柵が張られていて愕然としました。
まさか、ここまで来て行き止まりなのか!?と焦りましたが、よく見るとイノシシ避けで柵をしているので、歩く人は都度開け閉めするようになっていました。 -
柵を過ぎた所にもさらにもう1つ柵があります。
それだけイノシシによる被害が酷いのでしょうね。。 -
舗装された道を下っていきます
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西九州新幹線の高架が見えてきました。
武雄から嬉野まで、歩くと何時間も掛かるこの道も新幹線だと6分で駆け抜けてしまいます。 -
丁度この地点は武雄トンネルの出口にあたるようです。
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高架を抜けてさらに進んでいきます
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きゅうりの無人生産者直売所がありました。
筆者はきゅうりが大の苦手なのですが、何を血迷ったのか気がついた時には100円投入して袋を手にしてしまってました。。
お土産として家族に食べてもらう事にしますw -
国道へ突き当たったら正面右の小道へと入ります。
ちょうど車が通っている位置になります。 -
この辺りは正確な旧道は残ってない箇所が多いようです。
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黄金色に輝く麦畑を左手に見ながら進みます
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東川登公民館
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公民館の所にあった東川登町の地図。
各時代における交通の変遷が分かるように描かれています。
江戸時代・・長崎街道
明治~昭和の街道・・国道34号線
平成の街道・・長崎自動車道
令和の街道・・西九州新幹線
こうして考えると、武雄と嬉野を結ぶ道筋はどの時代も長崎へのメインルートを担って来た事がわかりますね。
唯一、在来線の長崎本線は嬉野を経由しませんが、これは建設時の技術的な問題でもあったのでしょうか。。 -
国道を跨いで信号の反対側の道へと入ります
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ひときわ目を引く古い家屋。ニビシみその看板が良い味出しています。
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脇に旧道っぽい道があったのでそちらを進みます
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突き当たりを右折して国道へ合流します。
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国道をまっすぐ進みます
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地元質店の看板
イオンの看板が100km以上手前から出現したりする北海道には到底及びませんが、それでもここから25kmというのは結構な距離に思えます。
実際にこれで伊万里まで行って見ようという方は居るのでしょうか。 -
貴船神社
武雄の領主であった後藤高明が元亨元年(1321)に京都・山城の貴船神社から勧請したとされる由緒ある神社です。 -
JRバスの袴野バス停前
奥に西九州新幹線と西九州自動車道の高架が見えます -
新幹線が開通してもお地蔵様は変わらず見守ってくれる事でしょう。
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昔ながらのヤマザキデイリーストアでトイレをお借りしました。
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これまたかなりの年代物と思われる看板。
筆者が小学生くらいの頃によく見かけてた様式だと思います。
KDDとDDIが合併してKDDIが発足する前の話ですもんね。。 -
道路標識に表示される地名も大村に川棚に波佐見と、長崎県内のものばかりになってきましたね。
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いよいよ嬉野市に入ります!
奥には長崎自動車道の高架が見えます。 -
今回は武雄市内であれこれ寄り道したせいか、歩数も普段より多くこの時点で既に足はパンパンになってました。。
嬉野の温泉街まではあと5キロ程なので、何とか頑張っていきます! -
早速、嬉野らしいお茶の店がありました
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旧街道は小田志口バス停右手の小道へ入ります
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草蒸した道を進んでいきます。
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川の縁を進みます。この先にある橋を渡って対岸へ進んでいたようですが、現在は橋が残っておらず迂回が必要となります。
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昔はここから対岸に渡っていたものと思われます
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道がないので再び国道へ戻って迂回します
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橋を渡った所で右折します
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旧道へと復帰しました。
長崎街道の看板にしたがって左折します。 -
民家の脇にある坂を登ります
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西九州新幹線の高架と並走します
新幹線の工事が始まる前はもっと昔の雰囲気を残していたのではないでしょうか。 -
再び長崎街道の看板が現れたら右折します
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Googleマップでもこの道は長崎街道として表記されていますが、暫く進むと地図上では行き止まりになってしまいます。
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これはどういう事かと言うと、再び渕の尾峠のような未舗装の峠道を抜けていく事を示しています。
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この道は三つの坂があった事から「三坂峠」と呼ばれています。
このような昔ながらの道を自力で歩く事こそが街道歩きの醍醐味だと感じます。 -
嬉野らしい茶畑が広がる風景を見ながら進みます。
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不法投棄に対する警告文なのですが、「武雄市長」との記載があります。
峠の一部は武雄市域にも被っているようです。 -
峠の頂上付近。
こちらもよく整備されているので歩きやすく、気持ちの良い森林浴を楽しめました。 -
嬉野の街へ向けて峠を下っていきます。
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直進すると少し大きめの道路に合流するのでこれで終わりかと思ったのですが、そうは問屋が卸しません。
旧街道は写真左手の藪の方へと進みます。 -
藪を掻き分けながら進みます。
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暫く進むと下宿水辺公園の遊歩道へと合流します
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溜池を右手に見ながら進みます。
地元の方の散歩やランニングにも活用されてるみたいですね。
Googleマップ上でもこの辺りから長崎街道の表記が復活します。 -
公園を出て大きな通りに合流して直進、突き当たりを右折します。
ここで北方で分岐した塩田経由の長崎街道と再び合流します。 -
塩田方面との追分である事を記した石柱もあります。
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写真前方が塩田方面への道になります。
塩田宿の街並みはとても趣があると聞いていますし、いつかこちらのルートも番外編として歩いてみたいと思います。 -
嬉野市のマンホール
茶畑をイメージしたデザインです -
旧道らしい道を進んでいきます。
だいぶ住宅の数も増えてきましたね。 -
美城山明元寺
写真では切れてしまっていますが、嬉野宿の上使屋で使われていた門が移設されています。 -
こちらの分岐を左折します
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大定寺坂と呼ばれる坂を下り、国道と合流したら右折します。
本日のゴール、嬉野宿はもうすぐです。 -
国道との合流地点には長崎街道の案内板もあります。
嬉野宿は別名「湯宿」とも呼ばれ、佐賀藩の支藩であった蓮池藩の運営する公共浴場もあったそうです。
長崎街道の沿線は温泉地が少ないので、旅人達にとって嬉野の湯はオアシスのように感じたのではないでしょうか。 -
温泉四区交差点で国道と分かれます。
旧街道は左手の道へと入ります。 -
JR九州バスの車庫がありました。
車両のデザインは福岡市や筑豊で走っているものと同じなので、何処となく見ると安心しますね。 -
流石はシュガーロード、ここ嬉野にもしっかりと老舗のお菓子屋さんが営業しています。
御歌屋菓子舗 グルメ・レストラン
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ちょっと夜の街の雰囲気がする所を抜けていきます。
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嬉野一帯は佐賀藩の本藩と蓮池支藩の領地が混在していたため、このような番号が書かれた石を各地に設置して藩境を明確にしていました。
その数は約2,000個とも言われています。 -
嬉野宿東構口跡の石柱
いよいよここから嬉野宿へと入っていきます。
隣には案内板もあり、それによると平時は木戸が設置してあるだけで普段は監視役も扉も無かったそうですが、有事の際には防衛拠点として機能できるようになっていたそうです。
確かに温泉地にあるためか他の宿場と比べても何処か開放的な雰囲気が漂っていると感じます。 -
著名な温泉地だけあって足湯も至る所に設置されています。
筆者も写真の湯ったり広場で疲れきった足を癒しました。
この後また温泉に入るんですけどねw -
ロマンシング佐賀の嬉野温泉バージョンの看板もありました。
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種田山頭火の石碑
大正から昭和初期にかけて活躍した俳人で、無一文の乞食となってからは各地を旅していたそうですが、そんな彼も絶賛したのが嬉野の地でした。
石碑には彼が日記に綴った内容が記されています。 -
日帰り温泉施設として人気の高いシーボルトの湯。
かつてこの地には藩営浴場が設けられており、大正時代には古湯温泉としてドイツ人設計のモダンな建物が建築され、長らく嬉野のシンボルとして親しまれていました。
残念ながら老朽化のため現在は取り壊されていますが、地元の要望を受けて平成22年(2010)に当時を再現したシーボルトの湯として再オープンして現在に至っています。シーボルトの湯 温泉
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なお、筆者は「シーボルトの湯」ではなく、こちらの大村屋の日帰り入浴を選択しました。
佐賀県公式のウォーキングアプリ「SAGATOCO」のポイントを使えば半額で入る事ができます。
歩数に応じて獲得したポイントで、県内各地の店舗等で特典を受けられるのですが、まさに長崎街道歩きにはピッタリのアプリだと思います。
↓気になった方はこちらから
https://saga.karada.live/嬉野温泉 旅館大村屋 宿・ホテル
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風呂は大浴場のみで掛け流しでもありませんが、泉質はかなり良く嬉野特有のしっとりぬるぬるしたお湯を楽しむ事ができます。
ここまでの街道歩きでかなり疲労も溜まっていたので、ここでの温泉は至福の時間でしたね。
館内にはラウンジなんかもあるので立ち寄ってみたかったですが、長居してバスに間に合わなくなると辛いのでパスしました。。 -
そして風呂上がりの食事ですが、せっかくだから名物の湯豆腐を食べようとこちらのお店にお邪魔しました。
宗庵 よこ長 グルメ・レストラン
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こちらが湯どうふ定食(950円)
豆腐以外にもかまぼこや野菜など幾つか具が入っています。
汁にもしっかりと味が付いていますし、素朴な味わいでこちらも疲れた身体には良い癒しになりました。
魚介系の具が多めに入った特選湯どうふ定食もありますが、素朴な美味しさが売りだと思うので、個人的にはこちらの方が良いかなと感じます。 -
おからコロッケ
こちらもアプリ「SAGATOCO」のポイントを使って無料でいただきました。 -
この後は徒歩で嬉野インターへ向かい、高速バスで福岡へと帰宅しました。
徐々に往復の交通費がえげつない事になってきてますw
次回は嬉野温泉から大村市の松原宿まで歩く予定です!
Part10へ続く
※諸事情でPart8より先の公開となってしまいましたが、完成次第こちらも公開予定です。
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