2022/09/24 - 2022/09/24
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otayahikoさん
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長崎街道の脇街道として福岡藩や唐津藩の参勤交代などに利用された唐津街道。
北九州から唐津・名護屋城跡を目指した街道歩きの記録です。
今回は導入部として長崎街道との分岐点である木屋瀬と赤間宿を結ぶ中筋往還と呼ばれる区間を辿りました。
本来、唐津街道の起点は小倉城下の常盤橋ですが、江戸時代以降は黒田藩によって猿田峠越えのルートが整備され、実際にはこちらがメインに利用されていたようです。
※唐津街道はGoogleマップ上に経路が表示されないため、本シリーズは以下の参考資料をもとにルートを設定しています。
九州文化図録選書vol.5 唐津街道豊前筑前福岡路
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今回は筑豊電鉄の木屋瀬駅からスタートです!
木屋瀬駅 駅
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木屋瀬は長崎街道の宿場町ですが、同時に唐津街道の赤間宿とを結ぶ「中筋往還」との分岐点でもあります。
まずは旧長崎街道に合流して唐津街道との分岐地点に向かいます。 -
暫く歩くと長崎街道と唐津街道の分岐点を示す追分石があります。
長崎街道編でも触れましたがこちらはレプリカで、本物は近隣のみちの郷土史料館に展示されています。 -
赤間方面の唐津街道は追分石の所から右折して、まっすぐ進みます。
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右手には興玉神社があります。
旅の安全を守る神様である猿田彦大神を祀っており、正しくは猿田彦神社になるそうですが、鳥居には「興玉社」の文字が刻まれています。 -
興玉神社の先はそのまま県道に突き当たり、その奥は遠賀川の河川敷となっています。
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対岸の植木へは現在は中島橋を渡れば良いですが、江戸時代当時は渡し船で遠賀川を渡り、さらに中ノ島を歩いてこの先の犬鳴川も船で渡る必要がありました。
木屋瀬や植木の人々にとって中島橋が完成した時の喜びは凄まじかったのではないでしょうか。 -
その中島橋へと向かうため、来た道を引き返して長崎街道へ戻ります。
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こちらが現在の中島橋。
遠賀川と犬鳴川が合流する地点の直前にあり、直方市植木地区と北九州市八幡西区を結ぶ重要な交通路です。 -
橋の袂にはかつての木屋瀬宿の様子が描かれています。
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こちらが旅人が歩いて渡ったとされる中ノ島。
左手が遠賀川、右手が犬鳴川です。 -
遠賀川の向こう岸に見える大銀杏のあたりが興玉神社です。
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犬鳴川には直方北九州自転車道の橋が架けられており、中ノ島から直方方面へ直接向かう事ができます。
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橋を渡って直方市へと入りました
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植木小学校の校門のとこを右へ入ります
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山田川に架かる町屋敷橋を渡ります。
ちょうどこの辺りに植木宿の東構口が設けられていたようです。 -
一見すると何の変哲もない街並みですが、30年くらい前までは昔ながらの古い家屋も結構残っていたようです。
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ガソリンスタンドの廃墟
これも30年前は現役だったのでしょう -
浄土宗聖福寺
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街道時代からの蛭子宮
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舌間米穀店の右手にある小道を入ります
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県道29号線を横断して直進します
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JR福北ゆたか線の踏切を渡ります
植木踏切という名前のバス停が近隣にあるので、てっきりこの踏切も同じ名前だと思ってましたが、正しくは「中学校前踏切」でした。。 -
大きめの道を横切って進みます
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奥に牟田池が見えてきたら右折します
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左手に日蓮宗代行寺、右手にはかわかりづらいですが日吉神社が見えます。
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直方と宗像を結ぶ県道29号線に沿って進みます。
ここから先は概ね中筋往還の経路を踏襲しています。 -
大量のお地蔵様が祀られている一角がありました。
ググっても特に情報がなく、参考資料にも記載は見当たりませんでした。。 -
所々このような脇道がありますが、一部は旧街道の頃に使用されていたのでしょう。
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龍青山善覚寺への入口
植木宿からこの辺りまでは古くからの寺院が多く連なっています。 -
奥に見えるのは直鞍産業振興センター(ADOX)です。
現在は廃止されてしまいましたが、かつては「コスワエ」という変わった名前のバス停がありました。 -
ADOXの近くには植木メカトロタウンという工業団地もあります。
その中には現在のJR日田彦山線を敷設し経営していた「小倉鉄道」の工場が立地しています。
戦時中に鉄道省に買収されて鉄道事業からは撤退しましたが、現在でも自動車や産業機械向けの歯車の生産で命脈を保っています。 -
直方市と鞍手町との境界
鞍手町はぶどう栽培が盛んでカントリーサインもぶどうを模したものになっています。 -
右手には山陽新幹線の高架も見えます
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京の上交差点
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左手に濁池を見ながら進みます
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中山口交差点
鞍手町の中心部へはここを右折する事になります。 -
山陽新幹線の高架と交差する直前で旧街道との分岐があります。
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本来は線路の反対側まで繋がっていたと思われますが、新幹線の築堤によって完全に分断されてしまっています。
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新幹線の高架を抜けた先には山陽新幹線の鞍手保守基地があります。
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左手に意味深な分かれ道があるので入ってみます。
参考資料の地図もこの辺りで少し左手に逸れてるので、恐らく旧街道ではないでしょうか。 -
あまりに不気味だったので画像は載せませんが、分岐を入ってすぐの所に大きなクマのぬいぐるみが木に縛り付けられていて、めちゃくちゃ怖かったです。。
何とか反対側に抜けられる事を期待しましたが、結局は行き止まりだったので泣く泣く引き返して県道まで戻りました。 -
九州自動車道の高架を潜る直前で旧街道は右手の脇道に入ります。
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ずっと交通量の多い県道を歩いてきたためか、旧道らしい区間に入るとほっとしますね。
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左手に見える大日池をぐるりと回り込むようにして進みます。
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ここの分岐を左へ
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新北交差点で再び県道29号と交差します。
旧街道はこちらを直進です。 -
かなり腹が減ってきたのでここで昼食とします。
くらて名物と書かれた四五久うどんです。
店内は地元の工場で働いているような方が多く、それなりに賑わっていました。
街おこしの一環で鞍手町では皮ごと食べられるバナナの栽培が行われており、町で収穫したバナナを使ったジュースなんかも飲めるそうです。
また、鞍手町に山陽新幹線の駅を誘致するための取り組みや構想が書かれた案内も貼られていて、地元の情熱を感じましたね。
実際、鞍手町内に新幹線駅ができれば博多や小倉には10~15分程度で出れるようになるので凄まじい利便性の向上が期待できます。
こだましか止まらないとは思いますが、需要もそこそこありそうなんですけどね。。四五久うどん グルメ・レストラン
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今回食べたのはこちらのどんたく饂飩(800円)
ちゃんぽんの具材とスープなのに麺はうどんという不思議な組み合わせ。讃岐うどんのようなコシのある麺は筆者好みですが、やっぱりこのスープだとちゃんぽん麺の方が良いかなというのが正直な感想。
次回来た時は普通のうどんを食べてみようと思います。 -
再び旧街道へ戻って進んでいきます。
左手に見えるのは古民家を改装したカフェで、くらてバーガーなるものも提供されているそうです。
全体的に見て鞍手町は街起こしの分野で努力しているのを感じますし、好感が持てます。
同じ鞍手郡の自治体として、我が地元の小竹町も大いに見習ってほしいものです。 -
徳永酒店の所で旧街道は90度にカーブしています。
宿場町によくある構造ですね。 -
さらに先に進んだ所にも90度カーブがあります。
参考資料にも記載はなかったですが、この辺り間宿的なのがあったのでしょうか? -
文字が掠れて全く読めませんでしたが、参考資料を見る限り興玉神の碑だと思われます。
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大きな通りに合流して右へ
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再び県道29号と合流。
旧街道はここを直進ですが、太陽光パネルに行く手を阻まれているため迂回します。 -
西川沿いを北上。
ちなみに対岸を走る道路は旧国鉄室木線の廃線跡です。 -
右手には鞍手町を代表する山である剣岳が見えます
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西川に架かる下小木橋を渡ります
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旧国鉄室木線の廃線跡を横切って奥の小道へ
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そして再び県道29号へ合流します
奥には大和ハウスの九州工場があります。 -
大和ハウスを過ぎた所で再び旧街道が左手に分岐します。
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突き当たりを左へ
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参考資料にも載っていた新延のお地蔵様
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古くからの白壁造りの民家も若干残っています。
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ぶどう農園が広がる鞍手町らしい風景
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田園風景の中を進んでいきます
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大きな通りを横切って奥の未舗装の道へと入ります
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草が茂って分かりにくいですが、左手に見えるのが新延大塚古墳です。
6世紀後半に造られた遠賀川流域では最大規模となる横穴式石室を持つ円墳です。新延大塚古墳 名所・史跡
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新延の猿田彦太神の石塔
天明2年の建立と伝えられています。 -
旧街道沿いでよく見かける小さな祠
地元の方から大事にされている事がよく伝わります -
風情の残る街並みを楽しみつつ歩いていたのですが、ここで重大な問題が発覚!!
参考資料は広げるとA3サイズになり持ち歩くには適さないので、事前に地図のページだけコピーしていたのですが・・
なんと、ここ新延から赤間宿までの地図が記載されたページをコピーするのを忘れていました\(^o^)/
赤間の次の畦町宿やら福岡市内の地図はバッチリコピーしてたのに肝心な所を忘れてしまうという。。 -
仕方がないのでGoogleマップも参考にしつつ、旧街道とおぼしき道を辿る事にします。
帰ったら答え合わせしないとですね。 -
峠越えが近い事を示す道路情報の案内板。
この付近からは中間市の底井野地区を経由して長崎街道と接続する「底井野往還」が分岐しており、福岡藩の参勤交代にはこちらのルートが用いられていたようです。
黒崎へ向かうなら確かに木屋瀬経由よりも早そうですね。
とりあえず左が旧道っぽいのでこちらへ入ります。 -
いかにも旧街道にありがちな道幅ではあります
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かなり古い橋が架かっているのを見ると恐らくは間違いなさそうです。
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町営住宅が密集した通りに入ります。
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再び県道へ合流
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七ヶ谷交差点
ここから右手に入って永谷の集落へと進みます。 -
いつも県道沿いを通ってたのでわかりませんでしたが、思った以上に家も多く人通りもありました。
山間部としてはそれなりの人口集積かと思います。 -
永谷公民館の敷地内に江戸時代の博多の豪商であった白水幽心の墓があります。
案内板の文字は掠れててよく読めませんでしたが、
鞍手町のホームページにはこの地域が飢餓に見舞われ惨状を呈していた時に私財を投じて人々を救済した方だと記載がありました。
幽心の死後、永谷地区ではその恩恵を忘れず先祖の菩提に供えるためにも万年願をかけた盆綱引きが行われるようになったと伝えられています。
現在も毎年8月14日の夜には上組と下組に分かれて籐かずらで作った大綱引きが盛大に行われています。 -
永谷集落の町並み
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永谷天満宮
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永谷の集落を抜けて県道と合流します
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ここから猿田峠までは街道も消失しているので県道を進んでいきます。
猿田峠は福岡都市圏と筑豊を結ぶ峠道の中では最もなだらかな部類で自転車でも容易に越える事は可能です。
ただ、交通量は多いので十分に注意が必要なのは言うまでもありません。 -
鞍手町のモニュメント
これが見えたら峠まではあと一息です。 -
峠の頂上に到達しました。
これより先は宗像市となります -
峠を越えた所に旧道への分岐があります
古い神社もあるのできっと旧街道で間違いないはず(笑) -
豊日神社
参考資料によると猿田峠の猿田彦大神もこちらに祀られているそうです。 -
なだらかな峠道を下っていきます
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高六交差点
県道を横切って直進し坂を上るとグローバルアリーナへ行く事ができます。
正直言ってグローバルアリーナへ向かう坂の方が猿田峠より何倍もキツイですwグローバルアリーナ 宿・ホテル
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恐らく右手が旧街道と思われます
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遠くに城山が見えてきました。
手前に見えるのは宗像市民の母なる川である釣川です。
一見用水路のようですが、徐々に川幅が広くなってきます。 -
一旦県道へ合流します
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セブンの案内看板から左手の小道に入ります
思った以上に急な登りです -
坂を上り切った所に水神社があります。
昼間でも境内はかなり暗くちょっと近寄りがたい雰囲気です。 -
旧唐津街道を示す案内板がやっと登場しました。
やはり知名度が低いせいか、長崎街道に比べてこの手の案内が格段に少ないと感じますね。 -
水神社を過ぎると下り坂になります
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吉留地区の旧街道には白壁造りの古い家屋が今もなお残ります。
参考資料にも同じ場所の写真が掲載されていますが、それよりも綺麗に見えますね。 -
唐津街道の解説が書かれた案内板
江戸時代は基本的に福岡藩と唐津藩が参勤交代に用いていましたが、文政7(1824)年以降は薩摩藩も従来の長崎街道経由からこちらにシフトしたようです。
ただ、長崎街道に比べると宿場のキャパシティが少ないため、赤間宿では薩摩藩の通行を控えるようにお願いされた事もあるのだとか。 -
朱色に塗られた橋を渡ります
釣りを楽しむ地元の中学生の姿もありました。 -
再び県道へ合流。
享保2(1717)年創業の伊豆本店の酒蔵が見えます
主力商品である「カメノオ」の文字が煙突にも刻まれています。伊豆本店 専門店
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ここから先は赤間宿まで県道沿いをひたすら進みます。
合っているか不安でしたが、帰宅後に答え合わせしたところ新延以降も概ね正しいルートを進んだみたいです。 -
先日福岡を直撃した台風14号の影響で、収穫前の稲が根こそぎ倒されてしまってました。。
ここまで成長を見守ってきた農家の方の苦労を思うと胸の痛む光景です。 -
太郎坊橋交差点
数年前まで西鉄バスのバス停もあり、赤間営業所と直方を結ぶ75番が停車していました。
折尾で乗り換えなくて済むので筆者もたまに使っていたのですが、今思えば中筋往還に沿った路線だったのですね。 -
天下の国道3号線が見えてきました。
国道の高架を潜って宗像市の市街地へと入っていきます。 -
七社宮
その名の通り7つの神様が祀られている事が由来です。
赤間は古代から神聖な地として人々から崇められており、こちらの神社は飛鳥時代に建立されたものと伝えられています。 -
熊越池公園
ここから眺める城山が個人的にはかなり好きですね。
春は桜の名所としても知られています。熊越池公園 公園・植物園
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赤間宿の氏神社である須賀神社
江戸時代は祇園社と呼ばれていましたが、明治に入って現在の名前に改称されました。 -
中筋往還と旧来の唐津街道の分岐点に設置された追分石。
次回以降は小倉から旧来のルートを辿ってこの赤間宿を目指す事になります。 -
赤間上町交差点
ようやく今回のゴール、赤間宿に到着です!!
出光家の菩提寺である法然寺があります。法然寺 寺・神社・教会
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法然寺の隣には五卿西遷の碑があります。
八月十八日の政変で京都から長州へ脱出していた、三条実美ら7名の攘夷派公卿のうち5名は後に太宰府へと向かうのですが、その際に赤間宿の本陣に滞在する事になりました。
吉留村出身の維新志士であった早川勇は黒田藩の指示で随行を命じられており、五卿とともに滞在した記録が残っています。 -
赤間宿の街並みを歩きます
所々に古くからの建物も残っていますが、車通りが多いのであまりのんびりとした気持ちにはなれませんでした。
長崎街道で例えると田代宿レベルの交通量なので、十分注意してください。唐津街道 赤間宿 名所・史跡
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出光興産のルーツの地であるためか、出光不動産や出光スポーツなど「出光」を冠した店舗が多数あります。
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出光興産の創業者である出光佐三氏の生家
近くには出光佐三展示室もありますが、残念ながら訪問した時にはクローズしていました。。 -
かなり味のある居酒屋もあります。
時間とお金に余裕があれば、こういう所でしっぽりと飲んでみたいものですね。 -
宿場の中心に位置する街道の駅赤馬館
観光案内やお土産は勿論、館内で食事を楽しむ事もできます。 -
勝屋酒造
寛政2(1790)年創業の歴史ある酒蔵で、江戸時代当時からの建物がそのまま使われています。
宗像大社の御神酒である「楢の露」や「沖ノ島」といった銘柄を造り続けている事でも有名です。
館内では16時まで角打ちを行っており、時間ギリギリに来たにも関わらずおつまみやおすすめの銘柄を1杯サービスしてもらえたりと至れり尽くせりで、本当にありがとうございました。
次回は2月の酒蔵開きの時に是非行きたいですね! -
道路の反対側にも酒造の建屋がありますが、こちらはかつての脇本陣跡になります
勝屋酒造 グルメ・レストラン
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良さげな雰囲気のコーヒーショップ。
何故か入口には「アレ」の自販機とサトちゃん人形がありましたが。。
元は薬局だったんでしょうかね? -
旅人に水を提供していた辻井戸
赤間宿ではここと須賀神社の2ヵ所に残っています。 -
宿場の西端にあたる構口跡までやって来ました。
今回の旅はここまでです。
次回は小倉城下をスタートして、従来の唐津街道を芦屋まで歩く予定です!
Part1へ続く
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