2022/04/02 - 2022/04/02
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kojikojiさん
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この春は4月上旬に「高野山と吉野山の桜」と「松本城と上田城と高遠の桜」というツアーを申し込んでいたので、東京での桜は特にどこへ見に行こうとか考えていませんでした。もっとも家の近くの通りには数キロにわたって桜並木になっています。そして子供の頃にはかなり歩きますが父に連れられて中野区の「哲学堂公園」まで桜を観に行っていました。そんな話をしていて、妻が「お父さんの命日忘れていた。」と声をあげます。そうでした。お葬式の後に火葬場まで美しい桜並木の下を走ってもらったことを思い出しました。そうすると過日の奥能登の旅で帰路が迷走したのは父の怒りだったのだろうかなんて考えてしまいます。これは霊を沈めなければと思い、妻と一緒に「哲学堂公園」に行くことにしました。生前は車椅子を押して中野通りまで桜を観に行ったこともあるので、哲学堂に入った後に少し歩いてみることにします。子供の頃には散々遊びに来ていた「哲学堂」ですが、園内には全く記憶がありません。さらには近くの幼稚園の油絵の教室にも通っていたのですが。余談ですがあさま山荘事件の突入はこの幼稚園のテレビで生中継を見ていました。「哲学堂は東洋大学の創立者である井上円了氏によって精神修養の場として創設された、世界でも例を見ない公園です。園内の古建築物や施設は哲学世界を視覚的に表現したもので、哲学に由来する形や言葉を付した建築物、石造物、池や道などをじっくり見学しました。公園を抜けた先にある中野通も美しい桜並木なのでしばらく散歩してからバスに乗って帰りましたが、途中にある菩提寺を通過する際にはバスから手を合わせて父に謝ることを忘れませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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哲学堂公園は明治37年に哲学者で東洋大学の創立者である井上円了によって精神修養の場として創設された、世界でも例を見ない個性的な公園です。
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園内には「七十七場」に分かれたポイントがあり、それを巡ることが出来ます。1つ1つ見ていくと1日掛かると思います。また、建物の中は年に2回の開放時期以外は見ることが出来ないので、その中に納められた仏像などは普段見るとこは出来ません。
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「哲学堂公園」哲学館大学(現在の東洋大学)の創始者である井上円了が文部省より大学公称の許可を得たのを記念し「四聖堂」を建立したことから始まります。
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その後自らの退隠所と一般人に対する「精神修養的公園」として私費を投じて整備します。
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対になった石柱には「哲学開」の文字があります。円了は「諸学の基礎は哲学にあり。」と説きこの公園を様々な理由で教育を受けられない「余資なく、優暇なき者」が学べる「精神修養的公園」と考えました。
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石柱には「眞理界」の文字が読みとれます。円了の目指した、多様な価値観を理解し、先入観や偏見にとらわれない論理的、体系的に深く考えるという「問う」という「真理の追求」を願いました。
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園内の七十七場の多くにはこのような石柱が添えられていますが、元々全部見ようとは思っていません。
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「哲理門」から園内に入ります。哲学堂の本堂でもある「四聖堂」の正面にあたる正門です。瓦には哲学の「哲」の文字が書かれてあります。この門は「妖怪門」とも呼ばれます。
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通常仁王尊が納められる門の両側には幽霊と天狗が納められています。哲学者として著名な円了ですが、いわゆる妖怪研究を批判的に行った人物としても知られます。
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「妖怪学」「妖怪学講義」などでそれぞれの妖怪についての考察を深め、当時の科学では解明できない妖怪を「真怪」、自然現象によって実際に発生する妖怪を「仮怪」、誤認や恐怖感など心理的要因によって生まれてくる妖怪を「誤怪」、人が人為的に引き起こした妖怪を「偽怪」と分類します。
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仮怪を研究することは自然科学を解明することであると考え、妖怪研究は人類の科学の発展に寄与するものという考えに至ります。こうした研究から「お化け博士」「妖怪博士」などと呼ばれました。後の体系的な妖怪研究は江馬務や柳田國男の登場を待つこととなります。
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円了によれば妖怪は「実怪」と「虚怪」に分類され、実怪はさらに「真怪」と「仮怪」に、「虚怪」はさらに「偽怪」と「誤怪」にそれぞれ分けられると解きます。すなわち「真怪」は超理的妖怪であり、宇宙の万物で妖怪でないものは無く、水も小石も火も水も妖怪であると考えました。
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世間でいう妖怪の5割は「偽怪」で3割が「誤怪」、2割が「仮怪」で、この3種は科学的説明ができ、「真怪」の研究によって宇宙絶対の秘密が悟得できると考えたようです。門に幽霊と天狗が納められた理由は元々この地に「天狗松」と「幽霊梅」があったからだそうです。
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キリスト教の教会では文盲の人々に聖書の物語を知らしめるために像やステンドグラスやフレスコ画やモザイクで表現しますが、円了は同じようなことを考えたのでしょうか。
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ここまで来て思い出しましたが、子供の頃にここへ来て怖い思いをしたことが思い出されてきました。その当時の幽霊はこんな「シソンヌ」のじろうみたいなものではなく、もっと不気味でした。哲学堂から足が遠のいたのはそんな理由だったのかもしれません。
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「哲理門」をくぐった先にそびえるのが「六賢臺」です。三層六角形のこの建物は、哲学堂公園のシンボル的な建物です。
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東洋の六賢人として、中国から道教の代表者として荘子、朱子学の創始者である朱子、印度から仏教を体系化した龍樹、バラモン教の数論哲学の開祖である迦比羅仙、日本から仏教の普及に寄与した聖徳太子、中世の学識者として菅原道真が祀られています。
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円了は僧侶出身の仏教哲学者ですが、国粋主義者でもあってキリスト教を排斥していたので、そのような立場が感ぜられます。聖人などの分類は必ずしも一般的とは言えないようです。
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かつては最上階の天井の六面に六賢の肖像を描いた扁額が掛けられ、その中心の各面に六賢の名前が刻まれた小鐘が吊るされていたそうです。屋根の中央には相輪と九つの法輪があり、最上部に宝珠を付けて屋根の棟瓦の一端には、近接してあった天狗松に因んで火伏せのための「天狗」の瓦がついています。
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本堂にあたる「四聖堂」です。ここには東洋哲学の孔子と釈迦、西洋哲学のソクラテスとカントを祀っています。
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「孔子」は中国の春秋時代の人物で儒家の開祖です。儒教として中国や日本や朝鮮半島などに大きな影響を与えました。「釈迦」は仏教の開祖で、インドから始まり、中国や東南アジアや東アジアなど広く信仰されています。「ソクラテス」は古代ギリシアの哲学者で、「汝(なんじ)自身を知れ」は有名な言葉です。「カント」はドイツの哲学者で、独断を避ける批判哲学の創始者です。
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「孔子」とか「釈迦」という言葉が出てくると諸星大二郎が哲学堂の「秘密」を題材に漫画を描いてくれないだろうかと考えてしまいます。
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「宇宙館」
哲学上の講話や講習会を開催するための講義室です。内部には横斜めに皇国殿という八畳敷の1室を世界の中の日本を表すものとして設け、哲学は社会と国家の原理をも考究する学とし、世界で最も美しい国が日本としています。 -
内部を公開しているときにもう一度来てみたいと思います。入り口には一対の聯(れん)が掲げられています。
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「宇宙万類中人類為最尊」で意味は「宇宙万類の中、人類を最も尊しとなす」です。
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「世界万国内皇国為最美」で「世界万国の内、皇国をもっとも美しとなす」
井上円了は明治から大正にかけての方なので、その当時の時代の思想を感じます。 -
雪柳の白い花と真っ赤な椿の花がきれいです。
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幽霊梅の木の下に妻に立ってほしいとお願いしましたが、断られてしまいました。
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「絶対城」
万巻の書を哲学界の万象とみたて、それを読み尽くせば「絶対の妙境」に到達できるという道理を示して、図書館機能を有する建物を絶対城と名づけました。当初より円了の蔵書を中心とした書籍を公開する図書館として設置されて、1階右側の書棚に国書や漢書を、左側に仏書を収蔵していましたが、現在は蔵書が他所で保管されています。 -
2階には観念脚と呼ばれる閲覧室があり、天窓からの光を受ける位置に畳が敷かれ、落ち着いた雰囲気を持つ空間となっているそうです。婦人専用の閲覧室も設けられ、屋上には読書後の休憩場所として観察境(観望台)が置かれ、かつては富士山を望遠することができたようです。
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大きな山吹がきれいに咲いていました。中学生の頃に都電の荒川線に沿って旧跡を訪ねたことがあります。残っている都電の写真も今となっては貴重かもしれませんが、早稲田の面影橋で「山吹の里の碑」に行ったら山吹がきれいに咲いていたことを思い出しました。
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碑文には大正4年(1915年)11月10日から17日にかけて京都で行われた大正の即位礼の喜びと同じくして姿を表した哲学堂図書館と築堂にあたってのことが書かれてあります。孔子と釈迦と瑣克刺底(ソクラテス)と韓図(カント)を祀る「四聖堂」、聖徳太子と菅公(菅原道真)と荘子と朱子、龍樹大士と迦楼羅仙を祀る「六賢臺」、平田篤胤と林羅山と釈擬然を祀る「三学亭」。
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和漢の旧籍およそ六千七百九十二種四万一千五百八十五巻二万一千百九十三冊を収蔵する図書館の完成を祝い、その道には古今の教えに変わりは無く、東西の違いだけだと説いています。円了が世界の様々な所を見てまわり、既に東西の西洋の足跡を極め、なお国内を歩き回る活動では風を食べ屋外で寝て民を導いて休息することも無いと讃えています。
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理想橋を渡って「菖蒲池」の方へ下ってみます。斜面に沿って大きく枝を伸ばした桜が満開でした。
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この辺りは人の姿も少なくじっくり桜を楽しめました。
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桜が終わるとつつじが咲くのだと思います。斜面に沿って桜の枝が伸びているので接写がしやすい場所です。
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「菖蒲池」まで降りてしまうと俗っぽい世界なので、この辺りで戻ることにします。
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このつつじ園には小さな滝もあるので歩いていても楽しいです。
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「三學亭(さんがくてい)」に登ってみます。「三學亭」は三學と三角の発音が似ていることに因み、三角錐の築山の頂上部分に三角錐の屋根を三本の柱で支える構造の小亭として建てられています。
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「三學亭」には神道の平田篤胤(あつたね)と儒教の林羅山(らざん)、仏教の釈擬然(しゃく ぎょうねん)の三碩学(さんせきがく)の石額が掲げられています。
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「平田篤胤(あつたね)」は江戸後期の国学者で、尊王運動に大きな影響を与えた人物です。37歳のときに相思相愛で結ばれた妻の織瀬を亡くし、篤胤は深い悲しみのなか「天地の 神はなきかも おはすかも この禍を 見つつますらむ」と歌を詠みます。愛妻の死は死後の霊や幽冥への関心を促し、本格的な幽界研究へとつながっていきます。天主教(キリスト教)的天地創造神話と旧約聖書的な歴史展開を強く意識しながら、天御中主神を創造主とする首尾一貫した、儒教的・仏教的色彩を完全に排除した復古神道神学を樹立しています。(ウィキペディア)
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「林羅山」は徳川家の家康と秀忠と家光と家綱の将軍4代に仕え、初期の江戸幕府の土台作りに大きく関わり、様々な制度や儀礼などのルールを定めていきます。学問上では儒学と神道以外の全てを排し、朱子学の発展と儒学の官学化に貢献します。博識で学問書だけでなく紀行書を著すなど文人としての活躍ぶりも多彩で、幕府に対しては僧侶の資格で仕えながら仏教批判をおこなっています。(ウィキペディア)
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「釈擬然」は鎌倉時代の人物で、「八宗綱要」を残しています。八宗とは倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論集・天台宗・華厳宗・真言宗で、その教理が簡潔に説明されています。
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妻は下界で地元の友人たちにLINEで写真を送っています。この日は東京都内の桜が満開とされた日ですが、哲学堂は空いていました。
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下から見上げる「三学亭」は「三柱鳥居(みはしらとりい)」のようにも見えます。諸説ありますが、この三柱鳥居の中心部は「宇宙の中心」と考えられていたという説もあります。京都の太秦の蚕ノ社には元糺の池(もとただすのいけ)だった場所にこの鳥居が立てられています。星野之宣の「宗像教授異考録」という作品の中で三柱鳥居が題材になっていたことを思い出しました。
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「硯塚」は井上円了が全国を巡遊中に求めに応じて各地で揮毫した際に用いた硯を休養した記念碑です。「筆塚」を探してくるのを忘れてしまいました。
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園内には既に筆塚がある。どうして硯をモチーフとした塚が無いことが許されるだろうか。諸々の人が「筆が男であれば硯が女である。」「筆が夫であれば、硯は妻である」と喩えている。二つのものはお互いに頼りにしあって字を生み出し、文を育み、哲学が完成した。だから私はこれらの媒酌をするのである。これが硯塚を築く理由である。
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「無尽蔵」
井上円了が22年間に行った3回の世界旅行と、30年に渡る5,291回延べ130万人におよぶ人々に行った全国巡講したに蒐集した各地の品々を展示している建物で、博物館の機能を担っています。1階は「万象庫」2階は「向上摟」と名づけられています。 -
その東には「髑髏庵」が隣接しています。髑髏庵の髑髏は「精神上の死」を表しています。ここでの「精神上の死」とは、来観者の世俗にまみれた心を消滅させることです。
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「髑髏庵」で死んだ来観者の精神は、「復活廊(ふっかつろう)」を通ることでよみがえり、世俗を離れた天地万物の霊魂(鬼神)の世界である「鬼神窟」へと到達します。
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園内から見ると1つに見える建物ですが、表から見ると廊下でつながっていることが分かります。建物の内部は通常は公開されていません。
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「鬼神窟」
鬼神窟の1階は「接神室」と呼ばれ、2階は「霊明閣」と呼ばれます。 -
こちらも雨戸が固く閉ざされています。たいそうな名前が付いていますが、昭和40年代ではこのような木造の家屋はたくさんありました。
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表に出ると小さな門柱と垣根があります。この門は「常識門」と名付けられ、正門の「哲理門」に対して普通の出入り口の意味で名づけられています。聯(連)に至ってはもう読むことは出来ません。
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子供の頃に近所にあったような竹の垣根も「一元牆」です。牆は垣根という意味です。
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古い井戸が残されていましたが、使われていないようです。やはり子供の頃にはこんな組み上げ式の井戸が近所にたくさんありました。今でも防災用に残されています。
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「宇宙館」の烏帽子瓦が無造作に置かれてあります。3段に分かれているようで上から烏帽子瓦、伏鉢、四角いのが露盤です。
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「四聖堂」の宝珠も現在のものは3代目で、それ以前に使われていたものです。
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「髑髏庵」も名前を聞かなければ普通の民家の設えです。
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結界のような「一元牆」の表に出るとホッとした気分になります。
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ここから妙正寺川に向かって下っていくと石碑が建っていました。これは「三祖苑」と名付けられたもので中国の黄帝と印度の足目(アクシャ・パーダ)とギリシャの「多礼須(ターレス)」の3人が刻まれています。
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井上円了によると「黄帝」は霊長の神であり、聡明で五気を察し、五運を立てる。天地の決まりごとに従順で、幽明の占めるところを決定する。黄帝が岐伯に与えたものは上には天地の規則を究めて、下には地の道理を極め、遠くには諸物を取得し、近くには諸身を取得する。大経を作り中国哲学が発する源になりその祖先で始まりと残しています。
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「足目仙人(アクシャ・パーダ)」については今の宇宙の始まりに大梵天主がこの仙人を作り上げ、その人は即ち帝釈天であると言われるが荒唐無稽で信じられない。この仙人は遠く釈迦以前にあって始めて因明(正邪を見極める論理)の法を説き、九句(正邪の判断基準)の大本を立て、十四過の類に及ぶ。故にアクジャ・パーダは印度哲学の鼻祖に推す。
「多礼須(ターレス)」はギリシャに七賢人があり、多礼須がその最初の位にいて、早くから数学を究め星学(天文学)も修めた。神話を破り物理原則に依ることを進め、天地の太初に遡って原初の存在を水とした。世界の真、森羅万象の元はみな水から生じた。これより諸家が輩出して甲論乙駁してついに西洋哲学の大観を成した。と書かれてあります。 -
黄帝の名前や五行思想について書かれたと思われる碑文を読んでいると諸星大二郎の「孔子暗黒伝」という作品が思い出されます。家に帰って久しぶりに読み直してみようかと思います。
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「唯物園」は唯物論的寓意を持つこの川沿い一帯を呼び、下流河畔の唯心庭と共に哲学的名勝としています。これは「狸燈(りとう)」と名付けられています。人間の心情は狸に類するものがあり、時には光輝ある霊性を発することもあるとして腹中に燈籠を仕込んであります。
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最初の「哲理門」の石柱を見た時から感じた雰囲気がシチリア島のバゲリアのヴィッラ パラゴニア(Villa Palagonia)の怪物たちを感じました。
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澁澤龍彦夫妻が旅したことで知り、27年ほど前に訪ねたことがありました。
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哲学堂に来てじっくり建築や彫刻を見ていたら、そんなことをさらに強く思いました。
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建物の公開される4月末にでももう一度来てじっくり見学し直してみようかと思いました。
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「鬼燈」と「筆塚」以外にも面白そうなものがまだありそうです。
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川の対岸には「哲学の庭」がありました。以前は無かったところなので初めて見ることになります。「哲学の庭」は宗教・哲学・法を代表する人が円上に配置されて、世界の異なった場所の人々が、お互いに近づくことが出来るようにという作者の思いが表されているそうです。
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思想を作り世界の大きな宗教の祖となった人物たちが配置されています。ここには道家の祖である老子(ろうし)とキリスト教の基礎を築いたイエス・キリスト、仏教の開祖の釈迦、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典の始祖アブラハム、アモン信仰を捨てアトン崇拝を開始した第18王朝10代の王エクナトンの姿があります。
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バビロン第1王朝第6代の王で慣習法を成文化した「ハムラビ法典」を制定したハムラビ。
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冠位十二階や憲法十七条を制定し、仏教の興隆に力を尽くした聖徳太子の姿もあります。
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ローマ法大全を編纂し集大成した東ローマ皇帝のユスチニアヌスにはびっくり。初めて姿を観たのはイタリアのラヴェンナでしたが、今年の2月にも鳴門の大塚国際美術館でも再会したばかりでした。
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フランシスコ修道会の創設者でカトリック修道士び聖フランチェスコ。アッシジまで訪ねたことがあります。
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禅宗の開祖とされる達磨大師も数日前に奥能登の總持寺祖院でお会いしたばかりです。
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インド独立の父と呼ばれ、弁護士で宗教家で政治指導者だったガンジーの姿もあります。
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印度にも行きたいと思いながらまだ行くことが叶っていません。何年もかけて妻を東南アジアの西まで連れて旅をつづけ、ミャンマーからスリランカまで行ったところでコロナ禍になってしまいました。
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50年振りに訪ねた哲学堂は川蔵はきれいに整備されていると感じました。両親のいるお寺も近いのでまた来たいと思います。
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桜林はたくさんの人がマスクもしないで宴会をしていました。ちょっと怖いので近くには行きませんでした。
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川沿いはきれいに花が植えられていました。
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土佐水木(トサミズキ)の花がきれいに咲いています。マンサク科の花だと初めて知りました。
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中野通りに出て桜並木を少し歩いてみます。
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通りを歩いていてなんか寂しいなと思ったらピンクの提灯が吊られていません。まぁその分シンプルに桜の花の美しさを感じられますが、夜は寂しいでしょうね。
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過去の写真を見ていると母と車椅子の父を連れて中野通りを花見したのは2009年が最後でした。江古田から哲学堂を通り、新井薬師まで車椅子を押して往復して疲れたことも覚えています。
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父の葬儀の際は桜並木の下を走ってもらったのも思い出しました。
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そして父の命日を忘れていたことも思い出しました。ちょうどそのタイミングで奥能登を旅していました。最終日に低気圧で予定が狂って、ツアーが迷走したのは父の怒りだったのかもしれません。バスでの帰り道にお墓のある寺の近くを通過したので手を合わせて謝っておきました。
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