2022/03/28 - 2022/03/28
823位(同エリア7301件中)
愛吉さん
鎌倉へ花見を兼ねた史跡巡りに出掛けます、今回は友人が同行。
スタートは本覚寺から。
本覚寺は駅から7分程の日蓮宗の名刹で日蓮の分骨を守ります、枝垂れ桜が有名です。
次は妙法寺、妙法寺は鎌倉殿の13人の1人で、既にドラマに登場している比企一族の屋敷跡、2代将軍頼家の乳父、北条氏の焼打ちにより滅亡、その折共に死去した頼家の嫡男一幡の袖塚があります、花の寺としても有名です。
その後は八幡宮から鎌倉宮迄、桜の下を散策。
桜は満開、人出も満開でしたが爽やかな鎌倉の空気に触れる小さな旅でした。
表紙は妙本寺本堂
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 友人
- 交通手段
- JRローカル
-
偲ぶ旅のスタートは本覚寺。
枝垂れ桜が有名、寄ってみましょう。 -
本覚寺の枝垂れ桜です。
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日蓮上人が佐渡流罪を許され鎌倉に戻った直後、この地にあった夷堂に身を寄せて布教を再開します。
後年足利持氏がその址に一寺を建立、日蓮宗本山に寄進したのが本寺の始まり。
その後近隣の信者の為にと日蓮上人の分骨を要請、認められ東身延となります。
後方に写るのが御分骨堂。
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御分骨堂の前に”しあわせ地蔵”
お参りする人が絶えません。 -
境内にある夷尊堂。
こちらが本家かも。 ? -
中を覗くと小さな夷様が祀られています。
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妙本寺に到着、山門です。
悲劇の人、比企氏の屋敷跡になります。 -
ここは方丈門。
比企氏は”鎌倉殿の13人”の一人で、流人時代の頼朝を支え続けた比企尼の一族。
政子は2代将軍頼家を比企邸で出産、当主の比企能員が頼家の乳父に選任され、頼家が将軍になると娘を側室(若狭の局)とし嫡男一幡をもうけます。
これに不安を感じた北条氏が、将軍頼家が大病で寝込んだ隙に能員を法事に託けて自宅に呼寄せ暗殺、同時に比企邸に軍勢を差し向けて一族(一幡、若狭の局も)を誅殺します。(比企の乱)
当時2歳で京都にいた比企氏の末子が生き残り、成人後鎌倉に戻って建てたのが本寺。
又当寺は日蓮上人が生前監修して建てた二寺の一つで日蓮の宗教思想を具現化した寺としても有名。(もう一つは身延山久遠寺)妙本寺は日蓮上人の命名です。 -
石段を登ると本堂。
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二天門。
多聞天と持国天が門を守ります。 -
二天門の先は祖師堂。
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祖師堂。
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横には日蓮像、平成14年の建立。
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祖師堂前の海棠。
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横には竹矢来に囲まれた源氏の嫡男一幡の袖塚。
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袖塚に近寄りましょう。
遺体は建物と共に焼失、一幡着衣の袖を埋め墓としました。
何時も新しい花が供えられています。 -
こちらは怨念の籠る比企氏の墓。(中央の4基)
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愁いを含む妙本寺の桜と海棠の脇を通り裏山の墓地へ向かいます。
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墓地の奥、一段高い処に源よし(女編に美)子の墓。
2代将軍頼家と比企氏の女若狭局との間に生まれた女子、4代将軍(皇族からの養子)の妻となりますが若死。
比企氏の菩提寺で眠りますが、生前はどんな思いで過ごしたのでしょうか。 -
境内の一番外れ、小高い丘の上に蛇苦止明神社があります。
ここは当時源氏の嫡男一幡と若狭局が暮らした小御所の跡。
何となく寂しげで愁いを帯びた場所、妙本寺参拝者でもここ迄足を延ばす人は多くありません。 -
吾妻鑑によると、1260年七代執権北条正村の娘が若狭局に祟られ、蛇の様な狂態を見せるようになります、鶴岡八幡宮の加持祈祷によりなんとか回復しますが、正村が若狭局を慰める為、跡地に建立したのがこの蛇苦止明神なのです。
名は体を表す明神様です。 -
境内の一隅に小さな祠が建っています。
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若狭局が一幡が源氏の嫡流を表す宝物を抱いて身を投げた井戸です。
御神体として祀られています、竹を編んだ蓋がされ内部は見れません。 -
井戸の周りには朽ち掛けた供養塔が並びます。
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鶴ヶ岡八幡宮二の鳥居に到着、ここから段蔓が始まります。
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段蔓の桜も7~8分咲き。
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三の鳥居。
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鶴ヶ岡八幡宮、舞殿の後方に拝殿。
舞殿は静御前が頼朝の前で舞を披露した処。 -
社殿の前に源平池、こちらは源氏池。
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源氏池に浮かぶ旗上弁財天。
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旗上弁財天、花に埋もれています。
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拝殿に向う階段下に到着。
1219年2月13日、雪の降る夜、鎌倉3代将軍実朝が暗殺された事件の現場です。 -
階段を登り拝殿前から参道を振返ります。
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八幡宮の一角に白旗神社、頼朝と実朝を祀ります。
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手水舎には綺麗な生け花が。
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次は宝戒寺、源氏池の畔を抜けて行きます。
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境内を抜け桜の小道に入ります。
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宝戒寺、鎌倉幕府執権北条氏の屋敷跡。
新田義貞による鎌倉攻めの時、執権北条高時と一族がここで自害、鎌倉幕府滅亡の地です。 -
境内は桜が満開。
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次は頼朝の墓、桜の小径が続きます。
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頼朝の墓処。
墓は正面の石段を登った処にあります。
当初は左に写る鳥居の場所に法華堂(位牌所)がありましたが、戦乱により早い時期に失われました。 -
頼朝の墓。
江戸末期、薩摩の島津氏により造られました。
島津氏は頼朝の末裔を名乗ります。 -
山裾を辿り隣の山に来ました。
鎌倉殿の13人の筆頭北条義時の法華堂跡(位牌所)です。
桜の下、白い枠で囲まれた処。 -
道は荏柄天神社へ、日本三天神の一つ。(他は大宰府と京都北野)
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人力車で回る人がいます。
古都鎌倉、桜の下を人力車で走る、爽快でしょう。 -
鎌倉宮に到着、本日の終点になります。
春の一日、桜の下を歩き鎌倉の歴史を偲ぶ良い思い出旅となりました。
バスで鎌倉駅に戻ります。
終
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