1999/08/06 - 1999/08/09
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mugifumiさん
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韓国には、最初に1999年(平成11年)8月に「ソウル」、2回目・2003年8月に「ソウル」、3回目・2005年12月に「プサン」、4回目・2006年12月に「ソウル」を訪問しています。
なぜ韓国に行くのか?ですが、近い、文化が似ている、日本との深い歴史があるなどでしょうか。
中でも旅費が安い上に近いというのが大きな理由だと思います。
そしてキムチ、焼き肉などの韓国料理とヨン様をはじめとした日本女性憧れの韓流スターがいることも魅力になっていると思います。
この旅行記では、こうした韓国旅行での懐かしい思い出などを4つほど記事にしたいと思います。
① 免税店での出来事 (第2回目、ソウルにて)
② アカスリ体験(同じく第2回目、ソウルにて)
③ 4回目の訪問 大長今テーマパークやソウル周辺の観光旅行記
④ 3回目の訪問 釜山、大邱、慶州の旅行記
<巻頭写真は、1999年に訪れた際に撮影した「景福宮」です。>
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
<2回目の訪問時の韓国料理>
この画像は、2回目の韓国訪問時にソウルでいただいた昼食です。
◆◇◆ 免税店での出来事 ◆◇◆
一つ目の思い出「①免税店での出来事」は、この時の買い物で体験したチョッピリ驚いたことです。
ソウルの免税店に入り、小生は、少々飽きてしまったものですから一人で外に出て道路の一部に腰をかけてタバコを吸っていました。
すると、突然、後ろから大きな声で呼びかけてきた女性が現れたのです。
そして小生と目が合った瞬間、狼狽したように何かいいながら早足に去って行きました。
たぶん、女性の知っている男性と間違えたのだと思いますが、何が何だか分からない小生は、ただただ「唖然」としたものでした。
この免税店には、最初の訪問時に続いて2度目の案内でした。
最初に訪問したときにブランド品の偽物を別な部屋に案内して販売していたので「ビックリ」したのですが、またまた「ビックリ」するとは思いもしませんでした。 -
<2回目のソウル、新羅ホテル>
◆◇◆ アカスリ体験 ◆◇◆
思い出の二つ目は、2回目(2003年8月)に訪れたときに体験した「②アカスリ体験」です。
最初に訪問した1999年8月にも、女性軍がアカスリに挑戦していますが、小生と義理の兄は遠慮しました。
この時、ホテルに帰ってきた女性軍を見て肌が美しく磨かれているものですから驚いてしまいした。
こういうことがあったからでしょうか?男性群(3人)も恐怖のアカスリを体験することにしました。
まず、店の入口で一通りの説明と足裏の脂を取るサービスへの強い勧誘がありました。
その後、廊下を歩いて更衣室に行き、用意してあった大柄のパンツに履き替えました。
そして指示に従い2階に行くと、そのパンツをぶら下げる場所を指定してきます。
2階でパンツをぶら下げる場所にいった時に感じたのですが、客に有無を言わせぬ雰囲気がありましたので、「何なんだ、ここは?!」という記憶が蘇ってきました。
この後、お風呂に入ることになりますが、草津温泉の角市旅館にあるような小さな湯船がいくつかあるほかサウナ風呂もありました。
そしてお風呂に入ってアカスリの順番を待つことになります。
アカスリ人のところでは、丸裸の身体を隅々まで擦すってもらうことになりますが、その姿を見ますと、顔が赤らむのを禁じ得ませんでした。
ここを利用する外国人は、日本人が多いようで、風呂上がりに缶ビール500円を払って静かに飲んでいました。
ところが、小生は、かみさんの財布を預けていましたので、500百円が払えず飲めませんでした。
顔が赤らむ!という誠に恥ずかしい体験をした韓国のアカスリ体験でした。 -
<水原華城(すいげんかじょう)>
◆◇◆ 大長今テーマパークなど ◆◇◆
次は、「③4回目の訪問」の記録です。
4回目の韓国訪問は、2006年の12月の月末から2007年の年始にかけての旅ですが、目的地はソウルでした。
この問の観光としては、水原華城、韓国民族村、大長今テーマパーク(12月31日)宗廟、昌徳宮(1月1日)というものでした。
水原華城は、18世紀末に李氏朝鮮第22代王・正祖が、老論派の陰謀により横死した父思?世子の墓を揚州から水原の顕隆園(隆陵)に移して、その周囲に城壁や塔、楼閣、城門を築いて防護を固めたものが、水原華城だそうです。 -
<韓国民族村の大観門>
この画像は、「韓国民族村」の入口のように見えますが、「大観門」という表札がありました。
韓国民族村は、ソウルに隣接する京畿道(キョンギド)龍仁(ヨンイン)市にあります。
朝鮮半島古来の生活様式や伝統文化を見学、体験できる野外博物館で各地方の家屋などが展示されていました。 -
<同じく韓国民族村>
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<韓国民族村の百源門>
親孝行がいる家に建てられたという百源門です。 -
<瓦葺きの屋根>
軒先が低い瓦葺きの屋根ですが、寒い北部地方の民家でしょうか? -
<両班の家?>
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<韓国民族村>
「観風軒」という標示があります。
裁判所のようです。
次はチャングムの撮影所である大長今テーマパークです。 -
<大長今テーマパーク>
大長今テーマパークは、「チャングム」を制作したテレビ局のスタジオを一般公開用に整備したものだそうです。
わが家でもチャングムのドラマをテレビで見ていましたので、「ああ、このシーンは!?」とか、イヨンエさんなどの出演者の看板と記念撮影したりして楽しみました。
以下、その懐かしい画像をいくつかご覧ください。 -
<テーマパークの建物>
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<調理道具?>
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<この人は?>
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<建物のセット>
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<食べ物>
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<スラッカン?>
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<人物像>
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<鶏小屋>
さて、次は翌日(1月1日)に見学した「宗廟」です。 -
<宗廟の「望廟楼」>
宗廟は、世界文化遺産に指定されている朝鮮時代の霊廟です。
韓国語の読み方は、「チョンミョ」だそうです。
宗廟は、朝鮮王室の歴代の王と王妃を祀った霊廟で儒教の思想に基づいて建てられました。
この建物は、「望廟楼」という建物で、王の休憩所だそうです。 -
<宗廟の通路>
この通路を「三道(サムロ)」といい、「神道、御路、世子路」の三道になっているそうです。
その意味は、中央と左右に石が置かれていますが、中央が神のための路(神道)、右(東側)が王が通る道(御路)、左(西側)が皇太子が通る道(世子路)ということのようです。 -
<正殿の門>
正殿(チョンジョン)には、19室49位、別館にあたる「永寧殿(ヨンニョンジョン)」には、16室34位が安置されているそうです。 -
<宗廟の正殿>
19室49位とは何かですが、建物の最も西側に安置された太祖をはじめ、道徳に適った政治を行ったとされる19人の王とその妃の位牌49位が安置されているということだそうです。
永寧殿(ヨンニョンジョン)は、1421年、第2代国王の定宗(チョンジョン)に位牌を祀る際に建てられた別廟で、没後に国王の位を贈られたり、正殿から移されたりした王と王妃の位牌34位が安置されているそうです。
このほかに、李氏朝鮮の功臣83人を祀る「功臣堂」があるそうです。
すぐれた建築様式と歴史からユネスコの世界文化遺産に指定されています。
次は、昼食後に訪れた「昌徳宮」です。 -
<昌徳宮の敦化門>
昌徳宮(しょうとくきゅう)は、正宮である景福宮の離宮として創建されました。
韓国内の宮殿のうち、最も創建時の面影を残している宮殿といわれていて、日本の梨本宮家から嫁ぎ、大韓民帝国最後の皇太子李垠の妃となった李方子もこの宮殿で過ごしたそうです。
この敦化門は、大韓民国最古の門といわれています。 -
<進善門>
-
<仁政殿>
昌徳宮の中心的な場所で、内外の公式行事が執り行われた。 -
<宣政殿>
王と臣下が議論したり、儒生の試験会場や宴会の場となるなど公式の執務の場である。 -
<大造殿>
王妃の生活空間で、王と王妃の寝殿だった大造殿。
昌徳宮には、このような木造建築が13棟現存しているそうです。
また、宮殿の北側に広がる李朝時代の王宮庭園、後苑(秘苑)には、多くのあずまや人工池などがあるそうです。
次は、2005年12月に訪れた第3回目の韓国旅行で、釜山、大邱、慶州を巡りました。 -
◆◇◆ 釜山、大邱、慶州 ◆◇◆
この画像は、韓国南部(慶尚南道)にある海印寺の山門です。
海印寺にある大蔵経板殿(だいぞうきょうはんでん)が世界文化遺産に登録されています。 -
<大寂光院>
海印寺(ヘインサ)は、新羅時代(800年代)に伽耶(かや)山に建立された寺です。
「海印」というのは3度たたけば願う品物が出る竜王の印を意味するそうです。
主な建築物としては、画像の「大寂光院(本殿)と高麗八万大蔵経版木を収蔵する建物である「蔵経板殿(大蔵経経版閣)」があります。 -
<八万大蔵経版殿の入口の門>
高麗八万大蔵経は、仏教経典の総集のことで、現存する大蔵経の最高のものと言われているそうです。
モンゴルの侵攻があった時代に版木制作に着手し、15年の歳月をかけて1251年に当時の都であった江華島で完成、1398年に海印寺に移されたものです。
次は、「石窟庵と仏国寺」として世界文化遺産に登録されている「石窟庵」です。 -
<吐含山石窟庵>
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<石窟庵の内部図>
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<寿光殿>
石窟庵は、大韓民国慶尚北道慶州市にある仏教遺跡です。
1995年に約4㎞ほど離れた仏国寺とともに「石窟庵と仏国寺」として世界文化遺産に登録されています。
その概要については、ウィキペディアに次のように記されています。
【建立と放置】
新羅の宰相だった金大城(700年~774年)が自分の父母のために「石仏社」を建立したと高麗時代の「三国遺事」に記されており、石仏社が仏国寺の位置に近いことから石窟庵のことであると考えられている。
751年から建立が開始され、774年に完成した。
その後、1392年から儒教を中心とした朝鮮時代が500年以上続き、朝鮮の仏教は弾圧されたため、長らく放置されていた。
これがどう発見され補修されたのかですが、
【発見と日本による補修】
1909年、郵便配達員が配達のために吐含山の峠を越えようとしたところ、突然豪雨に見舞われ山中の洞窟に逃げ込んだ。その洞窟の中に偶然仏像を発見した。当時の石窟庵は崩壊寸前で、倒壊の恐れがあった。天井が抜け落ち、仏像に直接雨が当たり、周囲の仏像の配置もすでに不明で、全体の半分以上が土に埋もれていた。そのため日本統治時代の1913年から1915年にかけ、日本により三度にわたる大規模な修復工事が行われた。工事には当時としては最新技術であるセメントが使われた。
その後、韓国による修復があり、現在に至っているのですが、これらの記事を読んでいますと、この石窟に関しても韓国がいかに反日的かが分かります。
さて、次は仏国寺です。 -
<仏国寺の入口>
仏国寺は、大韓民国慶州市にある仏教寺院です。
石窟庵と同じ吐含山の麓にあり、「石窟庵と仏国寺」として世界文化遺産に登録されています。
また、寺内の釈迦塔などが韓国の国宝に指定されています。 -
<天王門>
-
<天安門の中の像>
天安門には、四天王像がありました。
この像は、そのうちの持国天像と増長天像ですが、これらの神は、もともとはインドの雷神(帝釈天)の配下の神だったそうです。
後に、仏教の守護神になったということでしょうか? -
<仏国寺正面の紫霞門>
正面の紫雲門にかかる石橋は、751年の時から存在しているそうです。
その上段の18段が「白雲橋」、下段の17段が「青雲橋」といい、国宝になっているそうです。 -
<大雄殿>
大雄殿は、仏国寺の本殿にあたり、681年頃創建された建物です。
現在の建物は、1765年に再建されたものだそうです。 -
<安養門>
最後は金冠も出土した慶州の「古墳公園」です。 -
<大陵苑>
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<天馬塚古墳>
大陵苑(でぬんうぉん)は、慶州(きょんじゅ)市中心部にある古墳公園です。
新羅時代の古墳が23基あり、中でも有名なのが内部に入れる「天馬塚古墳」で国宝にも指定されている金冠などが出土しています。
◆◇◆ 韓国の旅の終了 ◆◇◆
これにて、4回にわたる訪韓での体験を記した旅行記の終了です。
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