2022/03/22 - 2022/03/22
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chiaki-kさん
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実を言うと今回の会津旅行の目的地は喜多方市美術館で開催中の「第27回ふるさとの風景展in喜多方」を鑑賞することだった。理由は後述するが、3月27日で終了してしまうので、この日を選んだのだが、まさかの春の雪に見舞われたのにはまいった。
表紙の写真は会津市飯盛山にある「さざえ堂」。ご覧のとおりの大雪となり、帰路に選んだ東北横断自動車道では除雪車が入る状況となった。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
-
3/22
「庄助の宿・滝の湯」の朝食は昨晩と同じ大広間で個別配膳方式。ご覧の通りの純和食。 -
左のオレンジ色の器にあるのは「ずんだ餅」。「餅バイキング」とやらで、出来たての餅をその場で盛ってくれるのだが、フワフワで柔らかい餅が美味しかった。
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ペロリでございます。(*´∀`*)
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9:00 「庄助の宿・滝の湯」チェックアウト。建物は古いが貸切風呂が最高の良い温泉ホテルだった。
写真はホテル前のコンコースから眺めた「伏見ケ滝」。まさにミニ・ナイヤガラの滝だった。 -
ホテルから山沿いに10分ほど走って、着いたのは飯盛山市営駐車場。
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周囲は有料駐車場だらけなので、この無料市営駐車場はお勧め。(トイレもあります)
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連休も終わり、こんな天気なので観光客の姿はほとんど無し。
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「飯盛山スロープコンベア」なるエスカレーターがあったので利用する。料金は大人一人250円。
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楽ちん楽ちん
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到着したのは、白虎隊士の墓地。
白虎隊は、戊辰戦争の一環である会津戦争に際して、会津藩が組織した、16才から17才の武家男子約340名を集めた部隊だが、中には幼少組として13歳の少年も加わっていた。
なお、白虎隊の他に朱雀隊(18~35才)、青龍隊(36~49才)、玄武隊(50才以上)も組織されている。また、それぞれの隊の中でも身分によって士中隊、寄合隊、足軽隊に分かれていた。 -
本来、白虎隊は玄武隊と同様、予備兵力とみなされ前線には立たないはずだったが、戦局が厳しくなり、ついに白虎隊も各防衛拠点へと投入されることになった。
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戸ノ口原の戦いで破れ、逃げる途中でバラバラになった士中二番隊のうち7名は、郊外の飯盛山へと落ち延びたが、これ以上はもはや戦えないと悟り、自刃を決行し、6名が死亡する。
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こちらが白虎隊19士の墓。飯盛山で自刃したのは6名なのだが、出陣した隊士37人のうち戦死を含む19人全員を自刃として扱い、一人ずつの銘々碑を建立したらしい。
これは、白虎隊を忠君の鑑として顕彰することが明治の国民教育に合致していたためと推測されている。 -
少年武士慰霊碑は白虎隊では無い14才から17才の少年武士62名の慰霊碑。
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会津藩殉難烈婦碑は戦争時に自刃した武家女性や討ち死にした婦女子約200名の霊を慰める石碑。
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こちらの外国っぽい碑は「ローマ市寄贈の碑」だが、1928年にイタリアの最高指導者ムッソリーニが寄贈した記念碑だと言われている。
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飯盛山で自刃した隊士7名のうち、奇跡的に助かった飯沼貞吉(飯沼貞雄)の墓があった。飯沼定吉(飯沼貞雄)は、その後長州藩士に引き取られ、猛勉強のすえ逓信省の技師となり、日清戦争にも陸軍大尉として出征するなど数奇な運命をたどったが1931年、仙台で永眠する。
1957年、遺言により貞雄の髪と歯が飯盛山に運ばれ、19士の墓とは少し離れたところに葬られた。 -
隊士が自刃した場所は墓とは少し離れたところにある。
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UPするとこんな感じ。一般的には鶴ヶ城が燃えているのを見て自刃したとなっているが、本当は口論の結果、このまま敵陣に切り込んでも捕まって、生き恥をさらすくらいなら死んだ方が良いとなったらしい。
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白虎隊の墓から少し降りた右手に「さざえ堂」はある。
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通称「会津さざえ堂」、正式名称は「円通三匝堂」(重要文化財指定名称は「旧正宗寺三匝堂」)。二重らせん構造の斜路をもつ特異な建物として知られる。
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イチオシ
かつてこの地にあった正宗寺の仏堂として、江戸時代後期の寛政8年(1796年)に当時の住職が建立したものである。当時は阿弥陀如来を本尊とし、斜路には三十三観音像が安置されていたという。
神仏混交の信仰形態をもっていた正宗寺は、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、以後、栄螺堂は個人の所有となっているそうだ。 -
同名の堂は他所にもあるが、このような特異な内部構造をもった堂は他に知られず、稀有な例として1995年に国の重要文化財に指定された。
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入館料400円を払って内部へ入ると一瞬ミイラかと思うこんな像がお出迎え。
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そして、こんな螺旋階段を上る。滑り止めに張ったと思われる木の棒だが、角が丸まっており、かえって滑り易いので要注意。
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なお、二重螺旋構造を有する近代以前の建築物としては、世界では他にフランスの世界遺産であるシャンボール城内部の、レオナルド・ダ・ヴィンチの設計とも伝えられる二重螺旋階段が知られている。
これが蘭書に掲載され、めぐりめぐって会津地方まで伝わったのではないかという説もあるが、物証は無く定かではない。 -
お堂の天井には千枚札(せんじゃふだ)がびっしりと貼り付けられている。
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下りも要注意
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ところどころに有る隙間から反対側が見える。
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出口は上り階段の反対側にあった。
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さざえ堂を出て、写真とは違う緩い階段を下る。
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雪はますます強く降ってきた。
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途中にこんな用水が流れている。
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戸ノ口原の戦いで破れ、敵兵だらけの道を通らず、白虎隊の隊士はこの戸ノ口堰洞穴を抜けたといわれている。
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駐車場まで戻ってきたが、相変わらず雪は強く降っている。
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会津若松市を後に、R121バイパスを北上、喜多方市に入る。
写真は今回の目的地である喜多方市美術館。3月5日から27日まで公募展「第27回ふるさとの風景展in喜多方」を開催中だが、これに応募し、入選した娘の画が飾ってあるので、はるばる見に来た次第。 -
館内は撮影禁止なので写真は無いが、どこにでもある、ふるさとの風景などがときに細密に、ときに大胆に描かれており、なかなか良かった。興味のある方はググッて見てください。
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絵画鑑賞のあとは、おまちかねのランチタイム。喜多方市役所手前にある坂内専用駐車場にクルマを駐めて5分ほど歩いた場所にあったのは・・・
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坂内食堂本店。喜多方と言えば喜多方ラーメン。
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私が頼んだのはネギ・チャーシューメン。これでもかというチャーシューと線切りネギが、あっさりスープとマッチして美味しかった。
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妻が頼んだのは普通の支那ソバ。700円とリーズナブルなのにチャーシュー4枚乗せと太っ腹。あっさりしたスープで、ふだん小食の妻でも全部食べられたそうだ。
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このあと市役所の近くにあった土産物屋「喜多方ラーメン館」でお買い物を楽しんだあと、R121バイパスを南下、会津若松ICから東北横断自動車道に入る。
磐梯河東ICを過ぎたあたりから雪は益々強くなりシャーベット状ではあるが轍も着き始めてきた。すると前方に黄色い回転灯の車列が固まって50km/hほどで除雪作業中。作業車の後ろには見る見る間に数十台のクルマが繋がってしまった為何も出来ない状態が20分ほど続く。
猪苗代磐梯高原ICを過ぎても除雪車軍団は消えず、結局、磐梯熱海ICまでこのままだった。ちなみにスティングレーは夏タイヤのままで乗り切ってしまったが、良い子は絶対マネしないでね。 -
郡山JCで東北自動車道へ入ると雪は止み、雨になった。そのまま南下して上河内SAで休憩。今日は平日でもあったので普通のレモン牛乳ゲット。そして、途中で一回だけトイレ休憩してから17:30に帰宅する。走行距離は746.9km、消費したガソリンが41.38L、燃費は約18km/Lというリザルトだった。
なお、今回チェーン規制に備えて冬タイヤを4本、電動ジャッキに作業着一式などを車に積んだが、その分燃費が悪かったのかも知れない。でも出番が無くてホットしたのはナイショです。
これで「2022年 会津旅行記2:飯盛山・喜多方&東北横断自動車道」及び会津の旅は終了です。本日も最後までご覧いただきありがとうございました。 -
OMAKE1
今回のお土産はこんなところです。 -
OMAKE2
喜多方ラーメン各種と大内宿の青葉豆せんべい、会津ほまれと桜にごり酒。 -
OMAKE LAST
喜多方ラーメン館の特製レンゲと宮津焼ぐい飲みです。翌日さっそく「ごま味噌ラーメン」を造りましたが、特製レンゲがとても良い感じでした。
おしまい
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