2022/03/25 - 2022/03/25
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たびたびさん
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二日目は、佐賀市内。佐賀市なんて私としてはもう何回か散策していて、かなり回り尽くしたつもりでいたんですけどね。ただ、これまでの私の興味の中心は幕末の佐賀藩であり、薩長土肥の肥というのはどういうことだったのかという点。つまり、佐賀藩は当時、長崎に近く長崎警護の役目等から海外の新しい情報に接していたし、鍋島閑叟という英邁な藩主。反射炉の建設は国内では一番早く、最新式のアームストロング砲を作るだけでもすごいのですが、さらには三重津海軍所を設置し、蒸気船(凌風丸)まで完成させるという驚愕の実力がありました。司馬遼太郎も指摘していますが、薩長土肥の中でも最新の兵器を装備していて、明治維新政府への参加は何より軍事力としての貢献が大きかったのだとか。戊辰戦争において、例えば本間家の支援によって最新式のスナイドル銃、スペンサー銃を備え奥羽列藩同盟最強と言われていた庄内藩に対抗できたのは佐賀藩。佐賀藩は、明治維新政府でも切り札的な存在だったのですね。
これまでの旅では、佐賀城本丸歴史館始め、閑叟を祀る佐嘉神社、徴古館や長崎街道沿いの佐賀市歴史民俗館の旧家など。その威風を感じる場所がいくつもあって、佐賀の旅の醍醐味はやっぱりこういうところだなと感じ入っていたものです。
そこが終われば本来であれば、次のターゲットは吉野ヶ里遺跡。邪馬台国が九州か大和かは別として、稲作が日本に伝わった最初が九州北部であることは明らかで、それに関連する最大の遺跡がこの吉野ヶ里ですからね。
今回も当初は吉野ケ里遺跡に行くつもりでしたが、吉野ケ里遺跡だけでは一日は余ります。なので、プラスアルファとしてこれまで手を付けていなかった佐賀駅の北部辺りを調べ始めると。。肥前国庁跡や肥前国一の宮の與止日女神社。その名物、白玉饅頭や砂糖街道とも呼ばれた長崎街道の伝統からでしょうか。スイーツ店の多さやまだ未体験だったシシリアンライスのことも気にかかるし、そんな情報を目にするとどうしても放ってはおけない気持ちになってしまいました。結局、吉野ヶ里遺跡はまたの機会かなと気持ちが傾いてしまって、佐賀市周辺の旅だけにまとめることにした次第。そんなことから予定変更になったまたまたのこまごま旅ですが、もう少しお付き合いいただければと思います。
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早朝のホテルを出発して、佐賀駅前から市街の西方面へ。
佐賀市の北部はレンタサイクルを使いますが、お店が開くのはまだなのでそれまでは歩いて回るしかないんですよね~
始めにやってきた佐賀 偉人モニュメントは、市街中心部の中央通り沿い。 -
名君・鍋島直正と直正を支えた賢人たち 鍋島直正、古賀穀堂、鍋島茂義
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弘道館で学んだ若き日の賢人たち 枝吉神陽、島義勇、佐野常民
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弘道館で学んだ若き日の賢人たち 大隈重信、副島種臣
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イチオシ
弘道館で学んだ若き日の賢人たち 江藤新平、大木喬任
日本の近代建築の先駆者 辰野金吾、曾禰達蔵 などなど
薩長土肥と言われた佐賀ですが、こんなにも多士済々で負けていないよという強烈アピールかな。
それはそれとして。。冒頭にも触れた通り、最新の兵器を備えた軍事力は実は薩長土肥でも最強だったというのはそれなりに有名な話。それを主導した鍋島閑叟こと鍋島直正についてはもっともっと評価されていいのではないかと思います。 -
偉人モニュメントの通りを挟んだ西側にあるのが黙行の像。
佐賀市出身の彫刻家、古賀忠雄の作で、筋肉隆々の男性の像。佐賀城公園にも「古賀忠雄 彫刻の森」というのがあって、氏の作品が常設展示されているよう。地元での扱いは特別です。 -
イチオシ
ここから佐賀駅前の大通りを西に進むと見えてくるのがどんどんどんの森。かつての大和紡績佐賀工場跡地を整備したもので佐賀市立図書館や佐賀県立生涯学習センターが建っていますが、何といっても公園のように緑に囲まれた敷地の広々感が素晴らしいと思います。
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どんどんどんの森を南に進むと浄土寺の巨大壁画。
寺を囲む延々と長い塀に水墨画を描いたもので、遠くからでもその少し異様な姿はすぐに分かります。巻物のように山水が展開していて雰囲気がありますが、 -
近くで見るとやっぱり粗も目立たないことはない。細かくではなくて、ざっとした鑑賞でいいのではないかと思います。
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ここから西に向かって、旧長崎街道へ合流しますと。。
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肥前忠吉屋敷跡は、慶長年間に活躍した鍛冶職人の屋敷跡。なんでもない住宅地の一角に碑と説明板が建っていました。
ちなみに、忠吉は、藩主鍋島直茂の命により京都で刀鍛冶の技術を学び、その一門は備前刀の伝統を守り9代まで続いたとか。
幕末、佐賀藩が西洋の近代技術を取り入れる際の原動力にもなったということですから、その功績は小さくないと思います。 -
ここから、近くの日新小学校へ。
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小学校の敷地内に築地反射炉跡があって、小さな模造の反射炉や大砲のモニュメントに説明版などが置かれています。
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反射炉は、佐賀藩10代藩主、鍋島直正が命じて作らせた日本初の実用反射炉。嘉永3年(1850年)に完成。鉄製大砲を鋳造したことは日本の近代化の第一歩。長州藩でも反射炉は作られたのですが、そちらは実用とはならず。薩摩藩でも翌年から建造に着手とありますので、佐賀藩はかなり先進です。ちなみに、島津斉彬は閑叟の母方の従弟という関係。佐賀藩からは情報や技術がもたらされ、斉彬を大いに刺激したことは想像に難くないと思います。
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長崎街道に戻って、さらに西。江藤新平誕生地を目指しますが、まだまだ先ですね。
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これは、長崎街道沿いに残るのこぎりの歯型のような家並み。八戸町から長瀬町にかけてのエリアです。戦いが起きればこのカギ形の部分に隠れ敵を防ぐというためのものとも言われているようですが、今でもそれをかたくなに守っているのがすごいところ。住み慣れてしまうとこれもまたよしということなのかもしれません。
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佐賀城下から西に向かう長崎街道にはいくつも曲がり角があって、その間に三つの宿場町があったとか。ここでは、のこぎりの歯型のような家並みの由来は、斜めに伸びる長崎街道と与えられた敷地にギャップがあっただけという説明です。
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さらに進んで、長安寺は、肥前刀の伝統を守った肥前忠吉一門の菩提寺。佐賀藩酒、鍋島直茂の命を受けて京都で刀鍛冶の技術を習得。以来、9代に渡って、その伝統を守った一族。寺は小ぶりですが、よく整備されて清潔感のある姿。こちらも佐賀の小さな歴史を留めています。
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やっと江藤新平誕生地に到着。旧長崎街道を辿って歩くと案内の道しるべがあって、それを北に入ったところ。けっこう遠いです。
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生垣の隅にプレートが建っているだけでしたが、家が貧しく苦学したと書かれていますから、粗末な家ではなかったかと思います。
ところで、明治維新後の氏の動きは激烈で、佐賀を語るにはやっぱり外せない人物でしょう。初代司法卿を務め、長州閥の山縣有朋が関与した汚職事件の山城屋事件や井上馨の尾去沢銅山事件を追及し、一時は二人を辞任にまで追い込んだりもしています。ただ、西郷隆盛と志を同じくして佐賀の乱を起こし最期は晒首となる。結果として、薩長閥に潰された感もあって、私としては明治維新の暗部を象徴しているようなところもあるのではないかと思っています。
ここからは、バスで佐賀駅に帰りまして。 -
ここからはレンタサイクルの旅。
サイクルセンター七田は、佐賀駅からは少し離れますが、観光案内所が取り扱いを止めたので、駅から一番近いレンタサイクルはここになります。
佐賀市の北部、興止日女神社とかを目指して、出発です。 -
イチオシ
まず立ち寄ったのは、石窯パン工房くすくす。こちらは、1954年創業という老舗のパン屋さんなんですよね。
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ただ、店内は老舗というだけではなくて、レトロ感の中にもなにかアメリカンなスマートさを感じる雰囲気があっていいじゃないですか。
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それに客を喜ばす斬新さも感じられるラインナップ。ミルク棒というのをいただきましたが、このふかふか感と優しい甘さはちょっと体験をしたことがないような新鮮な味わい。奥のカウンターでお茶のサービスをいただいたり、表のウッドデッキで少し寛いだり。腰を落ち着けたくなるようなパン屋さんです。
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続いては東名遺跡を目指しますが、森饅頭本舗は、その途中。
地元密着の小さなお店で肉まんとかもあるようですが、そこは基本の酒まんじゅうをいただきました。ただ、この酒まんじゅうはなんちゃって酒まんじゅうかな。ふくらし粉で膨らませただけの餡子の饅頭でした。 -
田んぼの中をしばらく走って、ここが東名遺跡。
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立派な東名縄文館が建っていて、一部が発掘品の展示室になっています。
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東名遺跡は、8,000年前の縄文時代早期の遺跡で国の史跡。
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発見されたのは集落遺跡と貝塚なのですが、低湿地帯で腐敗が進まなかったことで、食料の残滓や木製の道具類が良好な保存状態で発見されたのがポイントです。
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発掘品にある編みかごとかはかなり丁寧に作られていて、縄文人の技術水準がリアルに感じられました。
ところで、吉野ヶ里遺跡は弥生時代の遺跡ですから、この東名遺跡は5千年以上古いことになります。日本に人類がやってきたのは日本列島が大陸とつながっていた5万年くらい前。少なくとも2万年前には複数のグループがやってきていて、その後の縄文時代につながります。そして、3千年前にまた新たに大陸から稲作文化を持った弥生人がやってきて弥生時代が始まるのですが、人種的には縄文人と弥生人は混血して今の日本人のルーツとなったことが分かっています。つまり、種族淘汰は行われず、ある意味平和的に混血したんですね。三内丸山遺跡の出土品からすると縄文人は北海道や大陸まで交易の範囲を広げていて、ある意味、異種文化にも親和性があったような気がします。漢民族や朝鮮族ではこのような混血は起きていませんので、日本人の発生の経緯はかなり特徴があるのです。
であれば、弥生時代の遺跡であっても、純粋な弥生時代遺跡と縄文時代の影響が色濃い弥生時代遺跡とかあってもおかしくはないかもしれませんが、そのあたりはどうなんでしょうか。いずれにしても、九州北部は先住民の縄文人と大陸からやってきた弥生人が初めて接触した地域のはず。どんなドラマがあったんでしょうね。そんなことを想像するとまた楽しさが増すように思います。 -
続いて、肥前国庁跡を目指しますが、その途中、いろんなグルメチェックも予定していますよ~
ヒデシマは、田んぼの中を走る幹線沿いにぽつんと立つ洋菓子店。 -
ちょっとどうなのかなと思いましたが、まるで問題なし。
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ここのドーナツはアーモンドプードルが入っていて、フィナンシェみたいな味ですね。しっとり感もすごいし、ちょっと反則気味ですが、おいしさは抜群。ちょっとサプライズのドーナツです。
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続いては、アンナの贈り物。與止日女神社に向かう幹線沿いにあるしゃれた洋菓子店です。
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こちらでもドーナツをいただきましたが、
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しっとり感やバターの香りがしっかりありますね。ドーナツの品数は少なめでしたが、これなら十分。手堅い正統派のお店だと思います。
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そして、こちらサンドーレは一番楽しみにしていたお店。
駐車場も広いサンドイッチの専門店ですが、 -
お客さんが次々やってきて、皆さん爆買いしていくのにはちょっとびっくり。
私はフレンチパンをいただきましたが、分厚いチーズの板がけっこうなアクセントになっていて、なかなかインパクトあり。確かに大人気の片鱗が感じれたように思います。 -
さて、肥前国庁跡に到着です。
国道からの入口があってすぐ。開けた場所ですね。 -
国庁跡は、南北104.5m、東西77.2mの規模。
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イチオシ
復元された南門がまずはシンボルかな。
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そこから前殿、正殿、後殿が並び、
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前殿の東西には2軒の脇殿が配置される構造。
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しっかりした基盤に
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礎石が並んだ姿とかもくっきり確認できるし、よく保存整備されていますね。
ちなみに、肥前国は今の佐賀県と長崎県。吉備真備も国司を勤めたというのもロマンが広がると思います。 -
敷地内には肥前国庁跡資料館がありまして。
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肥前風土記の紹介では、日本武尊が巡幸した際、楠木が茂り栄える様を見て、この国は栄(さか)の国と言うがよいといったとか。佐賀は「栄(さか)」から来ているんですね。
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ほか、古代山城のパネルや仏の線刻とかもまあまあ見どころです。
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国庁跡から與止日女神社はもう少し。
で、この辺りには、白玉饅頭のお店がいくつかあって、與止日女神社の名物。この本家池の家と元祖吉野屋が双璧だと思います。駐車場も広くて堂々とした店構えだし、 -
店内もきれいで悠々です。
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イチオシ
初めていただいた白玉饅頭ですが、これは米粉の饅頭というか団子といった方が感じは伝わるでしょう。それに餡子が包まれているので、組み合わせとしては串団子に餡子を塗ったものと同じかな。ただ、まずは米粉のだんごのツルツルした舌触りを感じることになるので、その印象が大きいですよね。弾力のある米粉の皮がけっこうポイントだと思います。
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少し進んで、今度は元祖吉野屋。
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本家池の家に比べると少し小ぶりな店構えですが、イートインコーナーも力を入れている感じです。
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こちらの白玉饅頭は、これ。
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イチオシ
本家池の家と食べ比べしてみましたが、ほとんど同じですよね。特段の差はないですが、それでもあえて言えば、こちらの元祖吉野屋の方がモチモチ感や餡子の甘さにもう少しメリハリ感があるような気もします。
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イチオシ
お店の前の川は川上峡。その向こうに見えているのが、肥前国の一宮、興止日女神社です。
ちょうど川上峡春まつりの時期で、鯉のぼりの吹き流しをやっていました。 -
数はそれなりに多いと思いますが、こうしたイベントは意外にあちこちで行われていて、そういう意味だとレア感が弱くなってきているかなあ。まあ、ここでもやっていましたかくらいの感じです。
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ちなみに、川上峡は古くから九州の嵐山とも呼ばれる景勝地なんだそう。ただ、興止日女神社に行くのに赤い橋を渡って眺めたりもしましたが、そこまでの特別感はないような。もっと奥の方に行かないとその美しさはよく分からないのかな。ちょっと印象は弱いです。
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橋を渡ってすぐのところにあるときわ家も白玉饅頭のお店。歴史があるんでしょうか。立派な店構えです。
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ご主人が白玉饅頭はその日のうちに食べないといけないのでたくさん買っても駄目ですよのアドバイスもいただいて、バラでいただきました。
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つるんとした食感と穏やかな甘さの餡子。ここの白玉饅頭もさすがのおいしさです。
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その隣りに入り口があるのは実相院。寺伝によれば和銅5年(712)、行基が岩屋山に草庵を建て神宮寺と称したのが始まりとか。その後、寛治3年(1089)、興止日女神社の僧、円尋が御堂を建て、薬師、弥陀二仏を本尊としました。いわゆる興止日女神社の別当寺という位置づけかと思います。
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仁王門から
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奥の石垣とその上に建つ伽藍とか山岳仏教らしい構えがしっかりと残っていると思います。
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さて、肥前国一宮の興止日女神社。
佐賀駅から北へ約8キロくらい。やっぱり、レンタサイクルじゃないと無理ですね。
神社の通称は「淀姫さん」。與止旦女(よどひめ)は神功皇后の妹とされますが、神武天皇の祖母に当たる豊玉姫という説もあるようです。そこまで大きな規模ではないですが、境内は清々しい雰囲気を感じます。 -
鳥居を入ってすぐの川上峡を望む場所には巨大なクスノキ。
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イチオシ
さらにまっすぐと参道を進むと本殿です。
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白玉饅頭は、神功皇后が神社のあたりを通った折に、妹の與止日女様に献上したところ「かくの如く、色あくまでも白く、きめ細やかにして、玉のごとき子供のほしまくも」と喜ばれたといういわれのあるもの。
いろんな意味で地元に根付いた神社だと思います。 -
ここからは、また佐賀市内に向けて帰りがてら、いくつかのスポットをチェックします。
春日御墓所は、幕末の10代佐賀藩主で、名君と呼ばれた鍋島閑叟こと鍋島直正の墓所。 -
山の中をしばらく上って行くと
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この先ですね。
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一族も含めたいくつかの墓が並んだ場所。
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その一番奥に土饅頭と大きな墓碑があって、原肥前国主累遷従二位大納言 贈正二位藤原朝臣直正卿之墓 明治四年辛未正月十八日薨とありました。
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佐幕、尊王、公武合体派のいずれとも均等に距離を置いたことから警戒もされ、中央での発言力は弱かったとされますが、西洋の技術を積極的に学び、また藩内から多くの人材を輩出したことは、閑叟の碧眼があったればこそ。
英傑は静かに眠っています。 -
肥前国庁跡から少し離れた場所ですが、これは肥前国国分尼寺跡。
ここは説明板と石地蔵とか。 -
さらに進むと肥前国分寺跡。
こちらも肥前国分寺跡という案内板はありますが、 -
その先に入って行くとなんだか何も手を加えていない荒地があって、そこなんでしょうね。見ごたえとしてはさっぱりなんですが、まあここが跡地なのでそれはそれかもしれません。
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と、ここでも中島屋というお菓子屋さん。
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看板商品、佐賀カスター えんをいただきました。ふわふわのカステラ生地でカスタードクリームを挟んだもの。カステラ生地の方はカットしたものなのかな。焼いた面が全然ないので、ふわふわが余計強調されているような気がします。熱いお茶のサービスもいただきまして、お世話になりました。
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佐賀市街に戻ってきて、お昼はこちら。
ビルの地下の喫茶店。 -
アリユメで、佐賀の名物、シシリアンライスをいただきます。
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店内はこんな感じ。長いカウンター席とか。シックな内装もいいですね。
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イチオシ
さて、シシリアンライスは
新鮮なトマトやレタス、玉ねぎのシャキシャキ感が薄味の酸味や豚肉の甘みなんかとコラボして、爽やかな仕上がり。おいしくいただきました。佐賀の食材を使えばシシリアンライスです!みたいな大雑把なもののようですが、この軽い洋食の感じは独特かな。
長崎のトルコライスも緩い縛りですけど、伝わりますからね。 -
ここからは、佐賀市内の中心部。落ち着いて回れます。
まずは、佐賀バルーンミュージアム。 -
佐賀バルーンフェスタを紹介する施設なんですが、けっこう本格的な施設ですね~
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有料エリアに入ると、すぐにバルーンフェスタの上映が始まりました。
そうそうこれですよね~
以前、列車の中から遠目でしか見たことないんですが、それでもかなりのインパクトがありました。その後、一関・平泉バルーンフェスティバルやおぢや風船一揆は拝見しましたが、やっぱり佐賀のバルーンフェスタが最高でしょう。他の会場では、佐賀のような圧倒的な視界の広さはありませんからね。 -
イチオシ
形も色も様々ですが、互いに我こそは一番みたいなところもいいですよね。
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ほか、佐賀バルーンフェスタだけじゃなくて、
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全国のフェスタも紹介しているし、フェスタの歴史なんかも。
そういう意味では、バルーンの殿堂といった感じ。佐賀バルーンフェスタの地元として面目躍如といったところでしょう。 -
バルーンミュージアムを出てすぐ南側の水の郷まちかど広場は、松原川に面した親水公園。
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通りに沿って、けっこう長く続いているし、川面に飛び石の橋が架かっていたりして子供が喜んで遊べる感じもあって、雰囲気はあるのですが、古くからのものなんでしょうか。佐賀市民にとって懐かしい場所なのかとか。その辺りもちょっと気になります。
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旧久富家住宅は、佐賀市内中心部の旧家が集まる通り沿い。大正時代に移転してきた履物問屋久富商店の建物。
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二階の方にあがると屋根の梁がそのまま見えるような空間に古着屋さんとかいくつかのテナントが入っていて、ちょっと面白い雰囲気。
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イノベーションで新しい賑わいを造ろうとする試みはほかの旧家とは違います。
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こちらは、「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言で有名な葉隠の口述者、山本常朝の誕生地。細い路地の住宅地の一角に石碑が建っていました。
常朝は、万治2年(1659)、中野神右衛門重澄の三男として誕生。重澄70歳の子であり、幼少の頃は虚弱体質だったということですが、それとこの死に狂えとかの激烈な言葉は関係があるのかないのか。忠義の覚悟として一つの極致なのでしょうが、ある意味で言えば武士が死を意識しながら生きていくのは当たり前のことのような気もしますけどね。ただ、そのことに主体的な意味があると説いたのはインパクトがあったわけで。そのため、後世、死を礼賛する思想と解釈されたこともあるようですが、その点については、まあ、死んだ気になって頑張るとかくらいで受け止めればいいのかなと思います。 -
万部島は、佐賀市街の中に奇妙に存在する周りをお堀に囲まれた島。
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石塔が整然と並んでいて、これは佐賀藩代々の藩主が建立した法華経一万部読誦の記念の石塔。法華経一万部を読誦して、国家安泰と万民安楽を祈願するとした習わしによるもの。
龍造寺家の時代から引き継いだ習わしのようですが、非常な決意のような気概も感じます。
葉隠と万部島を併せれば、武士は武士らしく。藩主は藩主らしく。あくまで想像の世界ですが、佐賀藩には龍造寺氏の家督を譲り受けた鍋島氏の正当性をどこかで常に意識していたような空気もあったかもしれません。 -
佐賀県立美術館も初めての訪問です。
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常設展を拝見ということで
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奥の岡田三郎助ルームへ。
岡田三郎助は、佐賀市の出身で明治から昭和にかけて活躍した洋画家。女性像を得意として、横山大観、竹内栖鳳、藤島武二らとともに第1回文化勲章を受章しています。そう考えるとかなりの大物なんですが、比較すると正直印象は薄いですね。大作の風景画ですが、海の青さとか色が鮮やかでどうかすると写真のような印象。しかし、逆にリアル過ぎて個性という面ではあまりアピールできないような気もしなくはない。印象が薄いのはそんなところも影響しているのかなあと勝手に想像してしまいました。 -
お隣は佐賀県立博物館。
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他県の博物館と同様に動植物などの自然関係や恐竜とかの太古にさかのぼるコーナーから始まって
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佐賀の自然とか広い範囲を対象としています。
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ただ、その中でいくつか佐賀県のアピールポイントをいくつか上げるなら、まずは九州北部に覇を唱えた龍蔵寺隆信の時代と幕末の佐賀藩、鍋島閑叟が主導した反射炉等の近代化の動き。
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これは、副島種臣の書ですが
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佐賀藩の成立
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龍造寺孝信とその時代といったところは基本です。
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そして、吉野ヶ里を有する地元としての弥生時代の解説かなと思いましたが、少なくとも2万年前、氷河期で大陸と地続きだった時代に日本列島に人類がやってきて、石器時代や縄文時代が始まる。その辺りから説明しているのは当然といえば当然ですが、バランスがいいんじゃないでしょうか。
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石器時代の展示品もしっかりあるし、弥生時代に至る時代も重要ですからね。
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博物館を出て、今度は蒼海伯副島種臣誕生地へ。佐賀城南側のお堀端にお経の文字のような金字の石碑が建っていました。博物館にもありましたが、種臣は書の達人ですからね。
ところで、佐賀藩から新明治政府の参与となったのは、大木喬任、大隈重信、副島種臣。副島は特に対清等の外交で活躍したイメージかな。江藤新平ほどの激烈さはありませんが、明治の重鎮らしい怪物の一人ではないかと思います。 -
中心部に戻って、佐賀県庁 展望ホールへも。
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ホールからは、周囲360°の視界で佐賀の市街や筑後平野を見渡すことができます。一番高くて匹敵する建物もないので、すべてを見下ろす感じ。佐賀市が築後平野の真ん中に開けた街であることもよく分かります。
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これでほぼ完了。後はお土産かな。
亀屋菓子店は、どんどんどんの森の西隣り。 -
おばあちゃんがやっている小さな和菓子屋さんです。
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いただいたのは、亀もなか。
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基本の餡子は三日間炊くので大変ですみたいなことをおっしゃっていましたが、確かにおくどさんでじっくり炊いたような感じがありますね。ねっちょりした柔らかさもいいと思います。
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駅のそばに戻って。大原松露饅頭は、虹の松原に自生するという松露を模したお饅頭。染み入るような甘さが特徴で、唐津に本店を構える150年の伝統を持つ老舗です。このお店は、佐賀市内にあって佐賀本店。通りからでもよく見える大きな看板と妻入りの独特な店構え。
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唐津が発祥でもそれだけではない。佐賀県を代表する銘菓であることをアピールしています。
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佐賀駅のショッピングゾーン、えきマチ1丁目で、丸ぼうろをあれこれ食べ比べしてみました。同じようでいてもやっぱりそれぞれ。面白いです。
まずは、鶴屋。これまでなんとなく馴染みが薄かったんですが、今回こうして食べ比べしてみると、ここの丸ぼうろはちょっと特別かな。香りも味わいも華があって、丸ぼうろってこんなに積極的なおいしさがあったかなとちょっと認識が改まった感じ。単独で食べるとあまり分からないかもしれませんが、食べ比べると違いがよく分かると思います。 -
続いては、北島。私にとっては、ここの丸ぼうろが馴染みがあって基本です。
改めてですが、北島の丸ぼうろはやっぱり安定の味。芯のところの柔らかさ加減や甘さや香りなど落ち着いていて、あんまりお菓子お菓子していないのがいいと思います。 -
村岡屋は、小城羊羹のイメージが強いのですが、丸ぼうろもあったので買ってみました。口にすると玉子の香りがぷーんとして、それなりにおいしい丸ぼうろに仕上がってますね。ただ、ある意味味が単純なので、やっぱり丸ぼうろとしては代表格の店ではないような気はします。
さて、以上で二日間の旅は終了。お疲れ様でした。
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