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蒼海伯副島種臣誕生地

名所・史跡

蒼海伯副島種臣誕生地 クチコミ・アクセス・周辺情報

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  • 満足度の高いクチコミ

    ここでお生まれになったのね

    4.0

    「蒼海伯副島種臣」は、文政11年(1828年)ここ佐賀城南堀にて佐賀藩士枝吉南濠の次男として生まれました。といっても当時の...  続きを読む名前は二郎と名乗っていたようです。32歳で副島家の養子となり副島家の姓に。内務大臣や外務事務総裁などを務め日本の政治家として活躍しています。現在、生家はありませんが佐賀県社会福祉会館の敷地内に「蒼海伯副島種臣誕生地」と刻まれた大きな碑が建っています。その偉大さがわかりますね。  閉じる

クチコミ・評判

3.26

(3件のクチコミ)
アクセス:
3.67
人混みの少なさ:
4.00
バリアフリー:
3.50
見ごたえ:
4.00

1~2件(全3件中)

  • 蒼海伯副島種臣誕生地は、佐賀城南側のお堀端。お経の文字のような金字の石碑が建っていました。種臣は書の達人としても知られてい...  続きを読むるようです。
    ところで、佐賀藩から新明治政府の参与となったのは、大木喬任、大隈重信、副島種臣。副島は特に対清等の外交で活躍したイメージがありますが、私的には佐賀の乱の首謀者となった江藤新平の激烈さと比較しても負けてはいないかな。明治の重鎮らしい怪物の一人ではないかと思います。  閉じる

    投稿日:2022/07/14

  • 佐賀の七賢人

    • 4.5
    • 旅行時期:2014/04(約12年前)
    • 0

    1828年、佐賀藩士枝吉南濠の二男として生まれる。1859年父の死により、副島利忠の養子となる。
    1864年長崎の致遠館...  続きを読むで英語を学び、1867年には大隈重信とともに脱藩するが、捕らえられ謹慎処分を受けた。
    1871年に外務卿、1892年に内務大臣となった。  閉じる

    投稿日:2015/06/29

1件目~2件目を表示(全3件中)

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基本情報(地図・住所)

施設名
蒼海伯副島種臣誕生地
住所
  • 佐賀県佐賀市鬼丸町
公式ページ
詳細情報
カテゴリ
  1. 観光・遊ぶ
  2. 名所・史跡
登録者
bluejays さん

※施設情報については、時間の経過による変化などにより、必ずしも正確でない情報が当サイトに掲載されている可能性があります。

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