2022/04/01 - 2022/04/01
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ムッシュさん
歴史編:源頼朝と九郎義経と木曽義仲の史跡巡りです。
マイ旅行記より、源頼朝と九郎義経、木曽義仲等の史跡をピックアップして巡ります。
旅行日は、本年新年度に因み設定。
幾つかのマイ4トラブル旅行記からのフォト抜粋編集中です。
2022年大河ドラマ、源氏、鎌倉幕府繋がりを纏めています。
(編集中、編集中です)
表紙のフォトは、源氏の守り神【鶴岡八幡宮】、地域は代表で神奈川県です
「その歴史は康平6年(1063年)、源頼義が源氏の守り神として由比郷鶴岡(現在の材木座)に京都の石清水八幡宮を勧請したことから始まります。 後に源頼朝が現在の地へ遷し、鶴岡若宮と称したのが現在の鶴岡八幡宮。
鎌倉幕府から篤く信仰された鶴岡八幡宮は、広く武門の神、勝利の神として崇敬を集めることとなった。」
【新情報】
2022年の三嶋大祭りの頼朝公旗挙げ行列(8/16)の頼朝役は、NHKの大河ドラマに出演者が参加。
源頼朝役:大泉洋さん、安達盛長役:野添義弘さん、源範頼役:迫田孝也さん、仁田忠常役:高岸宏行さんと、「鎌倉殿の13人」放送中のこの時期に、大河ドラマと同じ役柄・衣装も大河の衣装で、ご参加。
開催日時: 令和4年8月16日(火)15:30~16:30 三島ニュースより
順次情報を集約します。
- 旅行の満足度
- 5.0
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【鶴岡八幡宮】鎌倉市
鎌倉の飛切りの名所は、この神宮です。 -
【鎌倉 鶴岡八幡宮 舞殿】
手前が鶴岡八幡宮の舞殿で、後方石段の上に立つ鶴岡八幡宮です。
舞殿では、「静の舞」が催されました。毎年行なわれます。
1186年(文治2)義経と同行していた静は鎌倉に捕らわれの身になっていましたが、舞の名手だということで頼朝の命をうけ、鶴岡八幡宮で義経との別れの悲しみを訴えて舞いました。
静の心をうちしのんで、毎年、舞の上手な女性がひとり選ばれて舞を奉納します。 -
【鶴岡八幡宮の舞殿】
鶴岡八幡宮の仁大門を入ると舞殿の広場がある。舞殿は、本宮への石段の前に建つ、入母屋造りの建物。ここは、かって舞いの名手で、源義経の愛人であった、静御前の悲しい逸話が残っています。
吉野山で捕らえられた静御前は、源頼朝に舞を命ぜられ、
「吉野山みねのしら雪踏み分けていりにし人のあとぞ悲しき」と義経を慕う歌を詠み舞った。これが頼朝の怒りをかい、義経の子と、自らの命を失う悲劇が生まれた。 -
【六郷神社】大田区六郷、旧東海道沿い、多摩川土手近く、多摩川の川向こうは川崎宿
六郷神社の祭神は応神天皇。源頼朝が安房(千葉)から鎌倉入りの途中に立ち寄った所と伝えられている。六郷一円の総鎮守で、江戸時代は六郷八幡宮と呼ばれていた。
鎌倉時代から伝わる子供流鏑馬(やぶさめ)は、都の無形文化財指定。 -
鎌倉市の【源氏山に立つ(座像)源頼朝】さん
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【源頼朝の墓への参道】鎌倉市
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【源頼朝の墓】鎌倉市
鶴岡八幡宮の隣接地、法華堂跡地にあります。。五輪形式のお墓。 -
【源頼朝の墓】鎌倉市
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【史跡法華堂跡】鎌倉市
源頼朝、北条義時の墓あり -
法華堂跡碑
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横浜【洲崎大神】
「鎌倉初代将軍源頼朝が、安房国の安房神社の神をこの地に招いたのが、洲崎大神の始まりという。昔、この神社にあった御神水のアハキがなまり、青木町の町名になった。『江戸名所図会』に描かれた雰囲気は、今も石鳥居や周囲の地形などに残っています。神社前の通を海側へ、第一京浜に出るあたりが舟着き場でした。」
「洲崎大神は建久2年(1191年)に源頼朝が安房神社を勧進して創建したと伝えられている。その後、幕府直轄の神社として、代々お祭りしてきた。
「源頼朝公は石橋山の合戦(小田原)に敗れ、相州真鶴より海路安房に渡り、安房洲崎の安房神社に参籠、再起を祈願した後、遂に天下を平定して鎌倉幕府を開かれた。公はその神恩を忘れず、その後すぐに、この地を撰定して安房神社の御分霊を勧請、一祠を創建し、幕府直轄の神社として代々祭典を厳修させた。」 -
横浜【洲崎大神】 江戸名所絵図より
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【八幡神社】横浜市と鎌倉市の境辺り
源頼朝が鎌倉の鬼門に当たるこの地に、朝比奈切通の整備に際し、守護神として熊野三社大明神を勧請したといわれている朝比奈熊野神社(神奈川県横浜市) -
【沼津 八幡神社 対面石】静岡県駿東郡清水町
富士川の合戦時に、頼朝と義経が出会った場所です。東北から馳せ参じたのが義経。感動的な兄弟の 対面が実現したところです。 -
【沼津 八幡神社 対面石】
この二つの石に、頼朝、義経の兄弟が座ったとの言われ。 -
【沼津 八幡神社】
旧街道に面する八幡神社の参道入口。 -
【沼津 八幡神社本堂」
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香川 【屋島 駒立て岩】
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【茅ケ崎市 鶴嶺神宮】
源氏の氏神。旧東海道より数百メートルの参道を北に歩くと着きます。 -
【茅ケ崎 鶴嶺神社の大銀杏」神奈川県茅ケ崎市
*源義家が、戦勝を祈願して自ら植えたという大銀杏です -
【源頼朝三社詣」静岡県、神奈川県
伊豆山神社、三嶋大社、箱根神社の三社 -
【三島大社 源頼朝旗揚げの碑】(静岡県三島市 三嶋大社)
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「三島大社本堂】静岡県三島市
旧東海道沿いの三島宿の江戸口あたりです。
2022年の三嶋大祭りの頼朝公旗挙げ行列(8/16)の頼朝役は、NHKの大河ドラマに出演者が参加。
源頼朝役:大泉洋さん、安達盛長役:野添義弘さん、源範頼役:迫田孝也さん、仁田忠常役:高岸宏行さんと、「鎌倉殿の13人」放送中のこの時期に、大河ドラマと同じ役柄・衣装も大河の衣装で、ご参加。
開催日時: 令和4年8月16日(火)15:30~16:30 三島ニュースより -
「三島大社 頼朝と北条政子の座席石】静岡県三島市
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【箱根神社参道口】神奈川県箱根町元箱根の芦ノ湖岸付近です
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【箱根神社】神奈川県箱根
山門から、その奥に神社です -
【旧相模川の橋脚】 神奈川県茅ケ崎市
木製のままでは朽ちるので、コンクリート製の複製のようです。
国指定史跡旧相模川橋脚があります、往時はここが相模川の流れでした。
鎌倉時代の武蔵国稲毛(川崎)の源頼朝の重臣領主稲毛三郎重成が亡妻の冥福を願い相模川に橋を架けました。
この橋の完成を祝し行われた祝賀儀式に、源頼朝が出席した。その後の鎌倉への帰り路に、突然、落馬して帰らぬ人となったという伝えがある。(2022年6月26日NHK大河ドラマ鎌倉殿の13人で放映される)
この橋脚は、大正12年9月の関東大震災で突如水田が隆起し、旧橋脚が出現した。中世当時の橋脚のみ、この様に再現されたものです。 -
【藤沢 白旗神社】神奈川県藤沢市
白旗神社の本堂。源氏戦勝の祈願が行われた。源氏の旗印は白色 -
【藤沢 白旗神社本堂】神奈川県藤沢市
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【富士川の合戦跡碑】(富士市吉原)
源平合戦の地 -
【源義経元服の池】 旧中山道の武佐宿 鏡の近く
源義経が鞍馬山を出て奥州に向かう途中、ここで元服した。ここで前髪を落とした。この元服式は、謡曲「烏帽子折」の前半部分で謡われた。
右手に源義経元服池があります、池の奥には九郎判官源義経元服之池碑があります。
鞍馬寺を脱け出した牛若丸は鏡宿の沢弥伝館に投宿しました、すると平氏の追手が稚児姿の牛若丸を捜していると聞き、ならばと元服を決意しました。
そこで鏡宿の烏帽子屋五郎大夫に源氏の左折れの烏帽子を仕立てさせ、鏡池の石清水を使って前髪を落とし、己の姿を池の水に映したといいます。
鏡神社は義経が元服に使用した源義経元服の盥(たらい)を所蔵しています。 -
中山道 武佐宿 鏡【源義経宿泊の館】
沢弥伝と称し旧駅長で屋号を白木屋と呼んでいた
牛若丸はこの白木屋に投宿した。 義経元服の際使用した盥は代々秘蔵して居たが現在では鏡神社宮司林氏が保存している
この地の西隣は、所謂本陣で 元祖を林惣右衛門則之と称し新羅三郎義光の後裔である。その前方国道を隔てて脇本陣白井弥惣兵衛である
鏡景勝会建立の石碑 -
福島県白河の関 【金売吉次三兄弟の墓】
義経が東北に行く時、立寄りの墓 -
【医王寺】福島県飯坂 奥州街道歩きからの立寄り先
平安時代天長3年の開基以来1,200年。弘法大師作の薬師如来が祀られている『医王寺』。源義経に仕えた武将・佐藤一族の菩提寺である。
奥の院「薬師堂」後方には、源平合戦で義経の身代わりとなって壮絶な死を遂げた佐藤継信・忠信兄弟と父・基治公、母・乙和の墓碑がある。
このフォト立像は、中央が義経、左右が佐藤継信・忠信兄弟である
福島市飯坂町
「笈(おひ)も太刀(たち)も 五月(さつき)に飾(かざ)れ 紙(かみ)幟(のぼり)」
松尾芭蕉は奥の細道の途上、福島市飯坂町にある医王寺を訪ねました。旧暦の五月朔日のこと。
医王寺は山号を瑠璃光山といい、平安時代の天長3年(西暦826年)に開基。
弘法大師御作の薬師如来をおまつりし、霊験あらたかで数多くの人々の信仰を集め、鯖野の薬師と呼ばれて親しまれているところです。
医王寺は信夫の荘司、佐藤家の菩提寺でした。
源氏と平氏が争っている時代に、佐藤基治は息子継信と忠信を源義経へ遣わしました。兄弟は義経の家来の四天王にかぞえられていましたが、兄の継信は屋島の合戦で義経の盾となって戦死しました。
また、弟の忠信は、頼朝と和を失った義経が京都の堀川の館で苦境に陥った時、義経を脱出させるため、主君を装って応戦し討ち死にしました。
その後、義経主従は平泉へ向かう途中、医王寺に立ち寄り、兄弟の追悼の法要を営みました。その際に、弁慶が背負っていた笈や義経の直垂が宝物として現存しています。 -
【源義経堂】宮城県平泉市
奥州街道歩きで、仙台にゴーした時、近隣訪問で平泉に立ち寄った。 -
【源義経堂】宮城県平泉市
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【源義経堂】宮城県平泉市
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【源義経堂からの北上川風景】 宮城県平泉市
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【旧東海道の藤沢宿 源義経義経首洗い井戸】神奈川県藤沢市
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【旧東海道の藤沢宿 源義経首洗い井戸】神奈川県藤沢市
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【旧東海道の藤沢宿 源義経の墓】
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【旧東海道の藤沢宿 白旗神社】神奈川県藤沢市
白旗神社入口に立つ鳥居 -
旧東海道の藤沢宿 白旗神社 義経像
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【旧東海道の藤沢宿 源義経の墓碑】(神奈川県藤沢市)
義経死後、幕府から捨てられた義経の首が、藤沢の地に流れ着いたのを、首洗い後、手厚く葬られた地です。
首洗い井戸に隣接して立つ石碑 -
【吉野の千本桜」奈良県
義経が身を隠した吉野山 -
【日光街道 栗橋宿の静御前の墓】
静御前は源義経の妻であるが、ここの伝説は奥州平泉の義経を追っていき、
義経の死を途中で聞き、戻るところで、力つき亡くなったというもの。
日光街道ウォークキングに立ち寄った。 -
【義経との悲恋の浄瑠璃姫伝説】蒲原宿伝説
浄瑠璃姫伝説は、源義経と三河・矢矧(現岡崎市)の長者の姫・浄瑠璃姫との悲恋の物語て?す。義経か?源氏再興を果たすため、京から奥州へ向かう途中浄瑠璃姫と恋に落ちますか?、奥州へ旅立つため、「薄墨」の名笛を姫に残し、別れてしまいます。矢矧に伝わる浄瑠璃姫伝説は、その後姫か?別れを悲しみ、とうとう乙川に身を投け?てしまう。
蒲原に伝わる伝説は少し異なります。
義経は奥州への旅の途中、蒲原て?病に倒れてしまい、息絶えてしまいます。その知らせを受けた浄瑠璃姫は、急き?蒲原に向かい、義経の亡骸にすか?って泣くと、その涙か?義経の口の中へ流れ、息を吹き返します。そして義経は再ひ?奥州へ旅立っていきます。姫は義経との別れを悲しむあまり、三河へ帰ることか?て?きす?、そのまま蒲原の地て?息絶えてしまいます。姫の死と恋心を哀れみ、蒲原の人たちか?塚を築き供養しました。塚には6本の松の苗木か?植えられ、後に旅人の道しるへ?となったそうて?す。(しずおか東海道まちあるき情報より) -
【誓願寺(十王堂)】岡崎宿
少し先の右手にある。義経の愛妾、浄瑠璃姫ゆかりの寺
境内に、【浄瑠璃姫の菩提所碑】
奥州に向かう源義経は兼高長者の屋敷に宿をとり、娘の浄瑠璃姫と契りを結んだ。義経は名笛「薄墨の笛」を姫に託して旅だった。姫は恋慕のあまり悲嘆にくれ、乙川に入水した。寿永3年(1138年)。 -
【大田原 那須の与一立像】
源平合戦の屋島の戦いで、平家の扇を射落とした弓の名手 那須の与一です。
この合戦では、義経の八双飛びが有名です。 -
旧中山道の宮ノ越宿【木曽義仲と巴御前の像】
宮ノ越は、木曽義仲が、平家を討つために旗揚げした場所です。 -
【巴淵】(長野県旧中山道の宮ノ越宿)
木曽義仲旗揚げの地近傍です。 -
【巴淵】(長野県旧中山道の宮ノ越宿)
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【木曽義仲の硯水】旧中山道の鳥居峠頂上付近、
場所は、奈良井宿と藪原宿の堺、難所鳥居峠です。
義仲の硯水が残っています。 -
【旧東海道の大津宿 義仲寺】滋賀県大津宿
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【木曽義仲の墓】大津市義仲寺
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【巴御前の墓】大津市義仲寺
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【松尾芭蕉の墓】大津市義仲寺
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木曽義仲の”かぶと観音”
「義仲のかぶと観音が祭られており、江戸の参勤交代の大名も必ず足を止めてお参りしたそうです。
木曽義仲が旗挙げした折、妻籠城を築き、その鬼門にあたるここに小祠を建立し、義仲の兜に納めた八幡座の観音像を祀ったのが始りです。
後の天正12年(1584年)小牧長久手の合戦の際、秀吉方の木曽義昌は山村良勝に妻籠城の守備を命じましたが、落城寸前になったところ、義昌がかぶと観音に祈願すると、白鳩が舞い上がり、妻籠城の天守に止まったので瑞兆と戦意が高揚し、ついに徳川軍を退けました。
以来、武家の崇敬が篤く、往来の武士はもとより参勤交代の大名も必ず参拝したといいます。境内に大きな水舟があります、平成21年(2009年)に松喰い虫の被害により伐採された袖振り松です。
木曾義仲が平家追討の兵を挙げ、妻籠城を築いたとき鬼門にあたるこの地に建てたものである。名前の由来は、仏像の体内に義仲の兜の八幡座(兜の一番上)の観音像を納めたことによるとか。
旧中山道は、この境内を抜け、また快適な山道となる。次の妻籠宿までは約4kmの道程である」 -
【中山道今須宿 寝物語の里】
近江と美濃の国境。
平治の乱(1159)後、源義朝を追って来た常盤御前が「夜ふけに隣り宿の話声から家来の江田行義と気付き奇遇を喜んだ」所とも、「源義経を追って来た静御前が江田源蔵と巡り会った」所とも伝えられています。 -
関ケ原 寝物語の里
【寝物語の由来】
近江と美濃の国境は、この碑の東十メートル余にある細い溝でした。この溝を挟んで両国の番所や旅篭があり、壁越しに「寝ながら他国の人と話し合えた」ので寝物語の名が生まれたと言われています。また、平治の乱(1159)後、源義朝を追って来た常盤御前が「夜ふけに隣り宿の話声から家来の江田行義と気付き奇遇を喜んだ」所とも、「源義経を追って来た静御前が江田源蔵と巡り会った」所とも伝えられています。
寝物語は中山道の古跡として名高く、古歌等にもこの名が出ていますし、広重の浮世絵にもここが描かれています。
「ひとり行く 旅ならなくに 秋の夜の 寝物語も しのぶばかりに」太田道潅
平成四年一月 滋賀県米原市 -
【平家終焉の地】野洲市 中山道 守山宿
壇ノ浦の戦いで義経に捕えられ、この地で首を切られた平家最後の総大将平宗盛・清宗父子は鎌倉に向かうが追い返され、この地で義経に斬首された。この二人の銅像が池の側に立つ。
平家最後の総大将平宗盛は清盛の三男です、壇ノ浦の合戦に敗れ、宗盛、清宗親子は捕らわれ、源義経に護送され、鎌倉に向かいました。しかし兄の頼朝は勝手に朝廷から官位を受けた義経に鎌倉の地を踏ませませんでした。
父子は頼朝の引見後、再び京に護送される途中、頼朝の命により、ここで斬首されました、義経は父子の情を想い、二人の胴を一緒に埋葬しました、ゆえにここは平家終焉の地といわれます、宗盛は享年39歳、清宗17歳でした、父子の首は京の六条河原に晒されました。
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