ペトロパブロフスクカムチャッカ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2022年2月24日。<br /><br />この日付は後に歴史を振り返ることになっても、忘れられない日付となることだろう。<br /><br />北京冬季五輪のドーピング問題などで、世界から叩かれていたロシアが、それを上書きするような暴挙を始めてしまったこの日。<br /><br />ロシアに色々な思いを持つ身としては、正直今でも心の整理が出来ていない。<br />勿論、今回のロシアの暴挙は、この時代において国際的に許されるべき筈はなく、欧米各国や日本の制裁対策などは至極当然、と思う一方で、ウクライナ応援の世界的世論が百花繚乱の中で、私が危惧しているのはロシア国民のことである。<br /><br />言わずと知れたロシアは、元々は帝国として世界の列強と渡り合ってきた歴史を有している大国だが、20世紀の大部分は”ソ連”の時代でもあり、この闇の中で築かれた社会システムというものは、たとえ見せかけの国家としてのソ連が崩壊したとしても、今も尚根強く残っている。<br /><br />一見資本主義国のような体をした新生ロシアには、恐らく多くの方々がその幻想に騙されてきたのだと思う。しかし結局この国は今も尚、悪い意味での”監視国家”なのであり、その体制の中で怯えて暮らしているロシア国民は沢山いらっしゃるのだ…。<br /><br />現在進行形の段階でウクライナ情勢を語ることはここでは差し控えたいと思うが、一つだけ申し上げたいのは、経済制裁を仕掛けたところで、苦しむのは通貨暴落のインフレの影響を直撃するロシア庶民なのであり、人民元決済システムなどの”友好国”逃げ込める上層部に対しては、これらの友好関係が維持される以上は、案外軽微なもので終わってしまう可能性がある。<br /><br />1990年代、ソ連崩壊後のロシアは、それこそ経済混乱のどん底にあり、庶民は日常的にインフレに苦しんでいて、誰もがルーブルよりもドルを欲しがっていた。自国の通貨を信頼できない虚しさは、我々日本のように国際的信頼が高い通貨(だんだん失墜してきているけど…)で暮らす人間には、なかなか理解し辛いものであり、自分も含めてこの立場で生活している人間からすると、何かを物申すことはそれこそ傲慢の極み、なのであるが…。<br /><br />ここではこのご時世下、なんとなく綴りたくなってしまった、そんなロシアの経済混乱期に、約1か月滞在したときの様子を、現在残る僅かな当時の物品などを提示しながら…。(色々あって当時の写真は全て紛失してしまったので、残された物品のみのUPですが…。)<br /><br />くれぐれも私は、ロシア上層部を支持している訳ではなく、ウクライナで過酷な環境下に置かれている方々に対しては、申し訳なさ以外の何物の気持ちもないのだけれど、幸いにも国際社会の多数派は色々な意味でウクライナを支援していかれると思うので、ウクライナ支援に関してはその方々にご尽力頂きたいと願っている。<br /><br />で、昨今の情勢を見ていると、国際的なロシア叩きが狭義な意味での戦争犯罪人達であるロシア上層部でなく、広義な意味での一般の無垢なロシア人を含めた全体を叩く風潮になってきていることに非常に危惧している訳で、この流れは、一日本人的には、満州事変の時代の日本を思い出さずにはいられないのである。<br /><br />もしこのまま、ロシアが孤立し、国連を脱退するような流れになり、友好国同士との軍事同盟が築かれ、現在の国際秩序に真っ向から対立するような勢力になってしまうと、と思うとゾッとしたりもする訳で…。<br /><br />現在のロシア人は、ソ連時代そのままの国家からの圧力と、国際的なロシア批判への贖罪から、二重苦に喘いでいらっしゃる方が沢山いらっしゃるし、殆どのロシア人はウクライナのことを心配しているし、戦争も支持していない。上層部や戦争を支持しているのは、国からの庇護で甘い汁を吸っている連中だけなのである。(血を流す側のロシア兵でさえ、多くは戦争は支持していない。だから圧勝と言われた本戦争でも、ロシアは停滞しているのであるが…。)<br /><br />そのことをご理解の上、どうかロシア上層部は非難しても、ロシア人は非難しないであげて欲しい、という思いから、この旅行記を綴らせて頂くことにした。<br /><br />(表紙:1990年代半ば、混乱期のロシアで製造されていたウォッカの化粧箱。今でも部屋に大切に飾っている。)

ロシアへの思い…、敢えてこの時代に…。

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1996/07/10 - 1996/08/05

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ケロケロマニア

ケロケロマニアさん

2022年2月24日。

この日付は後に歴史を振り返ることになっても、忘れられない日付となることだろう。

北京冬季五輪のドーピング問題などで、世界から叩かれていたロシアが、それを上書きするような暴挙を始めてしまったこの日。

ロシアに色々な思いを持つ身としては、正直今でも心の整理が出来ていない。
勿論、今回のロシアの暴挙は、この時代において国際的に許されるべき筈はなく、欧米各国や日本の制裁対策などは至極当然、と思う一方で、ウクライナ応援の世界的世論が百花繚乱の中で、私が危惧しているのはロシア国民のことである。

言わずと知れたロシアは、元々は帝国として世界の列強と渡り合ってきた歴史を有している大国だが、20世紀の大部分は”ソ連”の時代でもあり、この闇の中で築かれた社会システムというものは、たとえ見せかけの国家としてのソ連が崩壊したとしても、今も尚根強く残っている。

一見資本主義国のような体をした新生ロシアには、恐らく多くの方々がその幻想に騙されてきたのだと思う。しかし結局この国は今も尚、悪い意味での”監視国家”なのであり、その体制の中で怯えて暮らしているロシア国民は沢山いらっしゃるのだ…。

現在進行形の段階でウクライナ情勢を語ることはここでは差し控えたいと思うが、一つだけ申し上げたいのは、経済制裁を仕掛けたところで、苦しむのは通貨暴落のインフレの影響を直撃するロシア庶民なのであり、人民元決済システムなどの”友好国”逃げ込める上層部に対しては、これらの友好関係が維持される以上は、案外軽微なもので終わってしまう可能性がある。

1990年代、ソ連崩壊後のロシアは、それこそ経済混乱のどん底にあり、庶民は日常的にインフレに苦しんでいて、誰もがルーブルよりもドルを欲しがっていた。自国の通貨を信頼できない虚しさは、我々日本のように国際的信頼が高い通貨(だんだん失墜してきているけど…)で暮らす人間には、なかなか理解し辛いものであり、自分も含めてこの立場で生活している人間からすると、何かを物申すことはそれこそ傲慢の極み、なのであるが…。

ここではこのご時世下、なんとなく綴りたくなってしまった、そんなロシアの経済混乱期に、約1か月滞在したときの様子を、現在残る僅かな当時の物品などを提示しながら…。(色々あって当時の写真は全て紛失してしまったので、残された物品のみのUPですが…。)

くれぐれも私は、ロシア上層部を支持している訳ではなく、ウクライナで過酷な環境下に置かれている方々に対しては、申し訳なさ以外の何物の気持ちもないのだけれど、幸いにも国際社会の多数派は色々な意味でウクライナを支援していかれると思うので、ウクライナ支援に関してはその方々にご尽力頂きたいと願っている。

で、昨今の情勢を見ていると、国際的なロシア叩きが狭義な意味での戦争犯罪人達であるロシア上層部でなく、広義な意味での一般の無垢なロシア人を含めた全体を叩く風潮になってきていることに非常に危惧している訳で、この流れは、一日本人的には、満州事変の時代の日本を思い出さずにはいられないのである。

もしこのまま、ロシアが孤立し、国連を脱退するような流れになり、友好国同士との軍事同盟が築かれ、現在の国際秩序に真っ向から対立するような勢力になってしまうと、と思うとゾッとしたりもする訳で…。

現在のロシア人は、ソ連時代そのままの国家からの圧力と、国際的なロシア批判への贖罪から、二重苦に喘いでいらっしゃる方が沢山いらっしゃるし、殆どのロシア人はウクライナのことを心配しているし、戦争も支持していない。上層部や戦争を支持しているのは、国からの庇護で甘い汁を吸っている連中だけなのである。(血を流す側のロシア兵でさえ、多くは戦争は支持していない。だから圧勝と言われた本戦争でも、ロシアは停滞しているのであるが…。)

そのことをご理解の上、どうかロシア上層部は非難しても、ロシア人は非難しないであげて欲しい、という思いから、この旅行記を綴らせて頂くことにした。

(表紙:1990年代半ば、混乱期のロシアで製造されていたウォッカの化粧箱。今でも部屋に大切に飾っている。)

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
5.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
交通手段
高速・路線バス 自転車 タクシー ヒッチハイク 徒歩 飛行機
航空会社
アエロフロート・ロシア航空
旅行の手配内容
個別手配
  • 1996年のアエロフロート時刻表。<br />昔は各航空会社がこのような長方形型の冊子タイプの時刻表を発行していたな…。<br /><br />ちょっと中を覗いてみましょう。

    1996年のアエロフロート時刻表。
    昔は各航空会社がこのような長方形型の冊子タイプの時刻表を発行していたな…。

    ちょっと中を覗いてみましょう。

  • ハバロフスクから(へ)もSU便として日本各都市へ(から)路線が運航されていたんですね。

    ハバロフスクから(へ)もSU便として日本各都市へ(から)路線が運航されていたんですね。

  • 当時私が、初めての訪露で利用したのがこちらの青森便でした。<br />青森=ハバロフスク線なんで 。、今後二度と復活することはないだろうな…。<br /><br />因みに帰路は、ハバロフスクから新潟便で帰国しましたが…。

    当時私が、初めての訪露で利用したのがこちらの青森便でした。
    青森=ハバロフスク線なんで 。、今後二度と復活することはないだろうな…。

    因みに帰路は、ハバロフスクから新潟便で帰国しましたが…。

  • 座席配置図も、イリューシンとか…。

    座席配置図も、イリューシンとか…。

  • ツポレフとかが掲載されていますね。

    ツポレフとかが掲載されていますね。

  • はっきり記憶にはないのですが、恐らく当時はこの機材でロシア入りしたように思う。

    はっきり記憶にはないのですが、恐らく当時はこの機材でロシア入りしたように思う。

  • 一応、ソ連崩壊後の時代でしたので、エアバス機やボーイング機も保有していたようです。A310といえば、1994年のSU593便の墜落事故を思い出しますね。<br /><br />墜落事故の原因として挙げられたのが、リリーフパイロットが自分の子供に操縦桿を握らせたことにあったそうな…。ある意味恐ろしい時代だった訳で…。

    一応、ソ連崩壊後の時代でしたので、エアバス機やボーイング機も保有していたようです。A310といえば、1994年のSU593便の墜落事故を思い出しますね。

    墜落事故の原因として挙げられたのが、リリーフパイロットが自分の子供に操縦桿を握らせたことにあったそうな…。ある意味恐ろしい時代だった訳で…。

  • で、当時の航空券。<br /><br />まだカーボン式のタイプのやつでしたね。

    で、当時の航空券。

    まだカーボン式のタイプのやつでしたね。

  • 切り取り式なので、カーボン裏の最終頁しか残っていませんが、ここにうっすらとペトロパブロフスク(カムチャツカ最大の都市)の文字が見られます。

    切り取り式なので、カーボン裏の最終頁しか残っていませんが、ここにうっすらとペトロパブロフスク(カムチャツカ最大の都市)の文字が見られます。

  • 空港税が40000ルーブルと書かれていますね。<br />インフレ進行中の時代でしたので、現在の感覚からすると幾ら位だったのか、さっぱり見当がつきません。

    空港税が40000ルーブルと書かれていますね。
    インフレ進行中の時代でしたので、現在の感覚からすると幾ら位だったのか、さっぱり見当がつきません。

  • AOJ→KHVの最初の国際線フライトでは、機内食のメニューが殆ど韓国製と思われる外国産食材が並んでいて、経済の混乱を感じたものですが、唯一ロシア製品として添えられていたのが、こちらの小さなシャカラド(チョコレート)です。<br /><br />余りにも愛おしくて、持ち帰って暫く飾っていたことを思い出します。<br />結局は中身だけ食べて、この包み紙だけ保存しているんですが…。

    AOJ→KHVの最初の国際線フライトでは、機内食のメニューが殆ど韓国製と思われる外国産食材が並んでいて、経済の混乱を感じたものですが、唯一ロシア製品として添えられていたのが、こちらの小さなシャカラド(チョコレート)です。

    余りにも愛おしくて、持ち帰って暫く飾っていたことを思い出します。
    結局は中身だけ食べて、この包み紙だけ保存しているんですが…。

  • 製造元はサマーラ、ボルガ川東岸の都市のチョコレート工場のようですね。<br /><br />私個人としてもまだ3度目の海外旅行(その前の二回は何れも韓国)だったので、韓国籍品のオンパレードの機内食にガッカリしていたと同時に、このチョコレートだけにヨーロッパテイストを感じておりました。

    製造元はサマーラ、ボルガ川東岸の都市のチョコレート工場のようですね。

    私個人としてもまだ3度目の海外旅行(その前の二回は何れも韓国)だったので、韓国籍品のオンパレードの機内食にガッカリしていたと同時に、このチョコレートだけにヨーロッパテイストを感じておりました。

  • ハバロフスクで貰った小さなカード。<br />当時のロシアではこの程度の綺麗さのデザインでも、こんなの作ってて大丈夫なのか、と不安になったものでした。

    ハバロフスクで貰った小さなカード。
    当時のロシアではこの程度の綺麗さのデザインでも、こんなの作ってて大丈夫なのか、と不安になったものでした。

  • 裏側が翌年のカレンダーになっていました。

    裏側が翌年のカレンダーになっていました。

  • ハバロフスクで購入したチョコレート。<br /><br />ロシア語記載なので、ロシア製品だと思って喜んで購入したのですが…。

    ハバロフスクで購入したチョコレート。

    ロシア語記載なので、ロシア製品だと思って喜んで購入したのですが…。

  • 裏面下の方に、UNITED KINGDOMの文字が…(;´Д`)。<br /><br />そりゃそうよね。当時のロシアでこんな綺麗な包装紙は作れないよ。

    裏面下の方に、UNITED KINGDOMの文字が…(;´Д`)。

    そりゃそうよね。当時のロシアでこんな綺麗な包装紙は作れないよ。

  • KHV→PKC(ペトロパブロフスク=カムチャッツキー)のボーディングパス。<br /><br />こんなチープなデザインだったんですよね…(;´Д`)。勿論手書きだし。

    KHV→PKC(ペトロパブロフスク=カムチャッツキー)のボーディングパス。

    こんなチープなデザインだったんですよね…(;´Д`)。勿論手書きだし。

  • なんらかのレシートが挟まっていたので確かめてみると…。

    なんらかのレシートが挟まっていたので確かめてみると…。

  • 何やら15000ルーブル徴収されてる。<br /><br />はっきり記憶にないんだけど、恐らく、自転車の運搬料か何かだったと思う。

    何やら15000ルーブル徴収されてる。

    はっきり記憶にないんだけど、恐らく、自転車の運搬料か何かだったと思う。

  • KHV内に置かれていた当時の税関申告書。<br /><br />紙質も粗悪なタイプで、いかにも当時のロシアらしい。

    KHV内に置かれていた当時の税関申告書。

    紙質も粗悪なタイプで、いかにも当時のロシアらしい。

  • 裏面はこんな感じ。<br /><br />こういう用紙ですら、殆ど置かれていなかったので、珍しがって余計に貰ったように記憶している。

    裏面はこんな感じ。

    こういう用紙ですら、殆ど置かれていなかったので、珍しがって余計に貰ったように記憶している。

  • カムチャッカ滞在時に、本屋さんで購入したのがカムチャッカのガイドブックみたいなやつ。これ、当時としては珍しくカラーバージョンで、ちょっと高いなと思ったけど、カムチャッカを離れる前に記念に購入した記憶があります。<br /><br />30000ルーブルとなっていますね。今の相場だと、恐らく500円位の感覚。

    カムチャッカ滞在時に、本屋さんで購入したのがカムチャッカのガイドブックみたいなやつ。これ、当時としては珍しくカラーバージョンで、ちょっと高いなと思ったけど、カムチャッカを離れる前に記念に購入した記憶があります。

    30000ルーブルとなっていますね。今の相場だと、恐らく500円位の感覚。

  • で、カムチャッカでは殆ど白タクばっかりしか乗っていなかったので、貰う機会がなかった市内バスの領収書みたいなやつ。帰路のハバロフスク滞在中に一度だけ乗車して車掌さんからもらった記憶があります。<br /><br />このバスに乗車した時の思い出として、車内で聴きなれた音楽が!!!<br />なんと、ドリカムの曲(曲名は忘れた、♪行きたいのはマウンーテンマウンテン、ってやつ。)だったんですよ。あれはびっくりしたな~。<br /><br />因みに、画像上では10カペイカと記されていますが、当時のロシアではルーブルの補助貨幣としてのカペイカは有名無実の存在でしたので、支払ったのは200ルーブル位だったと思います。

    で、カムチャッカでは殆ど白タクばっかりしか乗っていなかったので、貰う機会がなかった市内バスの領収書みたいなやつ。帰路のハバロフスク滞在中に一度だけ乗車して車掌さんからもらった記憶があります。

    このバスに乗車した時の思い出として、車内で聴きなれた音楽が!!!
    なんと、ドリカムの曲(曲名は忘れた、♪行きたいのはマウンーテンマウンテン、ってやつ。)だったんですよ。あれはびっくりしたな~。

    因みに、画像上では10カペイカと記されていますが、当時のロシアではルーブルの補助貨幣としてのカペイカは有名無実の存在でしたので、支払ったのは200ルーブル位だったと思います。

  • 当時、ペトロパブロフスクの日常品の売買は、殆どが市街地の自由市場みたいなところで行われていた印象がありますが、唯一、オランダ資本のスーパーマーケット、「ホルカム」というお店がありました。<br /><br />何を買ったか記憶がないのですが、市場と比較して物凄く高く感じて、結局二品、6000ルーブル弱だけの買物で済ませていたようです。<br /><br />勿論、市場での売買ではレシートなんて出ませんので、このスーパーでレシートを貰ったことが凄く新鮮に感じたものでした。<br /><br />因みに、ズダーチャ(おつり)が594ルーブルとなっていますが、当時のインフレロシアでは、そもそも100ルーブル未満の少額貨幣のやり取りが無視されていましたので、この時もお釣りとして600ルーブル頂いた記憶があります。

    当時、ペトロパブロフスクの日常品の売買は、殆どが市街地の自由市場みたいなところで行われていた印象がありますが、唯一、オランダ資本のスーパーマーケット、「ホルカム」というお店がありました。

    何を買ったか記憶がないのですが、市場と比較して物凄く高く感じて、結局二品、6000ルーブル弱だけの買物で済ませていたようです。

    勿論、市場での売買ではレシートなんて出ませんので、このスーパーでレシートを貰ったことが凄く新鮮に感じたものでした。

    因みに、ズダーチャ(おつり)が594ルーブルとなっていますが、当時のインフレロシアでは、そもそも100ルーブル未満の少額貨幣のやり取りが無視されていましたので、この時もお釣りとして600ルーブル頂いた記憶があります。

  • 両替レシート(?)の様子。<br />今はどうか知らないけど、当時は外国人はパスポートがないと両替できなかったな。

    両替レシート(?)の様子。
    今はどうか知らないけど、当時は外国人はパスポートがないと両替できなかったな。

  • サッポロの文字が…。<br /><br />ホテルで両替したんだっけかな?<br />記憶にない…(;´Д`)。

    サッポロの文字が…。

    ホテルで両替したんだっけかな?
    記憶にない…(;´Д`)。

  • 両替レシートがもう一枚。<br /><br />この雑な破り方がいかにもロシア的…。

    両替レシートがもう一枚。

    この雑な破り方がいかにもロシア的…。

  • ハバロフスク滞在中に、頂いたソ連の切手。<br /><br />CCCP(キリルでエスエスエスエル)の文字は、旧ソ連の切手に必ず記されていますね。因みに、旧東ドイツの切手にはDDRってのが記されていましたね。

    ハバロフスク滞在中に、頂いたソ連の切手。

    CCCP(キリルでエスエスエスエル)の文字は、旧ソ連の切手に必ず記されていますね。因みに、旧東ドイツの切手にはDDRってのが記されていましたね。

  • ソ連時代は、宇宙関連のデザインの切手も異常に多かったな…。<br />国威発揚したがるロシア(ソ連)らしい。

    ソ連時代は、宇宙関連のデザインの切手も異常に多かったな…。
    国威発揚したがるロシア(ソ連)らしい。

  • そんなロシアを離れる最後の夜。<br /><br />別れの盃的に頂いたウォッカ(中身は当日に一緒に飲んじゃったけど…)の外箱。<br /><br />これだけは、ずっと大切に今でも保管しています。<br />(表紙のが180度回転させた側のデザイン)

    そんなロシアを離れる最後の夜。

    別れの盃的に頂いたウォッカ(中身は当日に一緒に飲んじゃったけど…)の外箱。

    これだけは、ずっと大切に今でも保管しています。
    (表紙のが180度回転させた側のデザイン)

  • 箱の頂部にはこのデザイン。<br />ハバロフスクの工場で作られていたらしい…。

    箱の頂部にはこのデザイン。
    ハバロフスクの工場で作られていたらしい…。

  • 時は流れて2017年。<br /><br />1990年代の約1か月間のロシア滞在の後、色々なトラウマから再訪できずじまいだったロシアに、20年以上の時を経て漸く再訪してみることにしました。<br /><br />札幌のロシア領事館に足を運んで、自分でビザを申請しましたが、20年余年前は5000円も支払ったビザ代が無料だったことに驚かされます。<br /><br />更に、こんな美しいポストカードまで頂きました。<br /><br />あのソ連を引き摺っていた新生ロシアは、もう完全に過去の遺物になってしまったのか???<br /><br />嬉しくもあり、寂しくもあり、何だか複雑な気持ちでビザを手にしたことを思い出します。<br /><br />でも結局、根っこの部分は変わってなかったんだよね…(;´Д`)。

    時は流れて2017年。

    1990年代の約1か月間のロシア滞在の後、色々なトラウマから再訪できずじまいだったロシアに、20年以上の時を経て漸く再訪してみることにしました。

    札幌のロシア領事館に足を運んで、自分でビザを申請しましたが、20年余年前は5000円も支払ったビザ代が無料だったことに驚かされます。

    更に、こんな美しいポストカードまで頂きました。

    あのソ連を引き摺っていた新生ロシアは、もう完全に過去の遺物になってしまったのか???

    嬉しくもあり、寂しくもあり、何だか複雑な気持ちでビザを手にしたことを思い出します。

    でも結局、根っこの部分は変わってなかったんだよね…(;´Д`)。

  • ポストカードの裏面の様子。<br /><br />そういえば、コロナが始まる前の時期は、空前の極東ロシア観光ブームが到来していたように、今となっては思い出すのですが、今回の侵攻の件で、たとえコロナが収まっても、ロシアに行きたいと思うような方は少数派に逆戻り、の時代になるかと思われます。<br /><br />ただ、私としては、善良なロシアの人々達とは、どんどん交流して欲しいと願っているので、万が一、また海外旅行に気軽に行けるようになった時代が戻って来たとして、今後のロシア旅に向けてのアドバイスを一つ…。<br /><br />決して、ロシア国内では、日本人の金銭感覚でもちょっと高めに感じるようなお店やホテルなどは利用しないことです。あまり公言はできませんが、そういうところの多くは”みかじめ料”を国家に支払わされているか、黒い組織にお金が流れるか、のどちらかです。<br /><br />だから、旅人ととしてロシアでやるべきスタイルは、”貧乏旅行”に限ります。ロシアでも探せば普通の安宿はいくらでもありますし、こういう所なら、地元のロシア人も多く使うような、悪く言えば貧乏くさいけど、変な所にお金が流れていない可能性が大きい安全なところが多いですから…。(もし、現地で信頼に足るロシア人と仲良くなる機会を持てたなら、それを尋ねてみるのも良いでしょうけど、なかなか危険が伴う行動であることは否めません。敵と味方が混在する難しい社会なのです。)<br /><br />ただ、こういうところは、殆ど英語すら通じないことが多いので、是非、旅に必要な最低限のロシア語位は勉強してから行くようにして下さいね。(残念ながら、英語が話せるようなお店やホテルは、胡散臭い所が多いです。<br /><br />2000年代から2010年代後半にかけて、ロシアは国力を増大させたと勘違いしている方が多いですが、実はこれは原油価格の高騰が幸いしただけの話で、根本的なロシアは何も変わっていません。まず、変な所にお金を流さないような行動が、今後のこの国との交流においては、重要だと思います。<br /><br />現状においては、今回のウクライナ侵攻でロシアを批判する日本人が大半だと思いますが、それを可能にするだけの外貨準備高を蓄えさせてしまった遠因に対する原罪を、あの極東ロシア旅ブームの時代に旅されて、胡散臭いお店やホテルなどにお金を落とされてしまった方には、少しでも感じて頂けましたら幸いです。<br /><br />うがった見方をすれば、今回の経済制裁でダメージを被っているのはその多くがオリガルヒと呼ばれる新興財閥であり、ロシア上層部は、事前に制裁を覚悟していたでしょうから、国際決済システムも中国のCIPS側に多くをシフトしていると思われるので(それをしていなかったらロシア上層部のミスでしょう)、そこでどれだけ戦費を捻出し続けられるかどうか、が今後のロシアの生命線だとは思いますが…。<br /><br />それか、オリガルヒ達の反乱に期待するか、ルーブル暴落の生活苦による庶民の怒りの暴動に期待するか、でしょうが、背後には中国がついている、ということも忘れてはならないでしょうね。

    ポストカードの裏面の様子。

    そういえば、コロナが始まる前の時期は、空前の極東ロシア観光ブームが到来していたように、今となっては思い出すのですが、今回の侵攻の件で、たとえコロナが収まっても、ロシアに行きたいと思うような方は少数派に逆戻り、の時代になるかと思われます。

    ただ、私としては、善良なロシアの人々達とは、どんどん交流して欲しいと願っているので、万が一、また海外旅行に気軽に行けるようになった時代が戻って来たとして、今後のロシア旅に向けてのアドバイスを一つ…。

    決して、ロシア国内では、日本人の金銭感覚でもちょっと高めに感じるようなお店やホテルなどは利用しないことです。あまり公言はできませんが、そういうところの多くは”みかじめ料”を国家に支払わされているか、黒い組織にお金が流れるか、のどちらかです。

    だから、旅人ととしてロシアでやるべきスタイルは、”貧乏旅行”に限ります。ロシアでも探せば普通の安宿はいくらでもありますし、こういう所なら、地元のロシア人も多く使うような、悪く言えば貧乏くさいけど、変な所にお金が流れていない可能性が大きい安全なところが多いですから…。(もし、現地で信頼に足るロシア人と仲良くなる機会を持てたなら、それを尋ねてみるのも良いでしょうけど、なかなか危険が伴う行動であることは否めません。敵と味方が混在する難しい社会なのです。)

    ただ、こういうところは、殆ど英語すら通じないことが多いので、是非、旅に必要な最低限のロシア語位は勉強してから行くようにして下さいね。(残念ながら、英語が話せるようなお店やホテルは、胡散臭い所が多いです。

    2000年代から2010年代後半にかけて、ロシアは国力を増大させたと勘違いしている方が多いですが、実はこれは原油価格の高騰が幸いしただけの話で、根本的なロシアは何も変わっていません。まず、変な所にお金を流さないような行動が、今後のこの国との交流においては、重要だと思います。

    現状においては、今回のウクライナ侵攻でロシアを批判する日本人が大半だと思いますが、それを可能にするだけの外貨準備高を蓄えさせてしまった遠因に対する原罪を、あの極東ロシア旅ブームの時代に旅されて、胡散臭いお店やホテルなどにお金を落とされてしまった方には、少しでも感じて頂けましたら幸いです。

    うがった見方をすれば、今回の経済制裁でダメージを被っているのはその多くがオリガルヒと呼ばれる新興財閥であり、ロシア上層部は、事前に制裁を覚悟していたでしょうから、国際決済システムも中国のCIPS側に多くをシフトしていると思われるので(それをしていなかったらロシア上層部のミスでしょう)、そこでどれだけ戦費を捻出し続けられるかどうか、が今後のロシアの生命線だとは思いますが…。

    それか、オリガルヒ達の反乱に期待するか、ルーブル暴落の生活苦による庶民の怒りの暴動に期待するか、でしょうが、背後には中国がついている、ということも忘れてはならないでしょうね。

  • 2017年のロシアビザ申請の際に頂いた引換証の様子。<br /><br />正直、この時はパスポートを預けなければいけなかったので、昔の行動履歴が調査されてビザ発給がストップされないか、とかも心配してた位、私にとってのロシアはとっても怖い国だったんです…(;´Д`)。<br /><br />結局、何事もなく、そして何を問い詰められることもなくビザが発給されたことには、ある意味驚きだったのですが…。

    2017年のロシアビザ申請の際に頂いた引換証の様子。

    正直、この時はパスポートを預けなければいけなかったので、昔の行動履歴が調査されてビザ発給がストップされないか、とかも心配してた位、私にとってのロシアはとっても怖い国だったんです…(;´Д`)。

    結局、何事もなく、そして何を問い詰められることもなくビザが発給されたことには、ある意味驚きだったのですが…。

  • 因みに、初代のパスポートを振り返っていると、たまたま最初の訪露の時に発給してもらったビザの領収書が出てきました。<br /><br />ほら、5000円支払ってるでしょ( ´∀` )。この札幌領事館のスタンプだけは20年以上変わっていなかったみたいですね。<br /><br />因みに当時のビザは、現在のようにパスポートに残るタイプではなく、最初の入国時に回収されてしまうタイプだったので、パスポートにビザの軌跡が残されていないのは残念ですが…。(2017年訪露時のビザはちゃんとパスポートに残るタイプでした。)

    因みに、初代のパスポートを振り返っていると、たまたま最初の訪露の時に発給してもらったビザの領収書が出てきました。

    ほら、5000円支払ってるでしょ( ´∀` )。この札幌領事館のスタンプだけは20年以上変わっていなかったみたいですね。

    因みに当時のビザは、現在のようにパスポートに残るタイプではなく、最初の入国時に回収されてしまうタイプだったので、パスポートにビザの軌跡が残されていないのは残念ですが…。(2017年訪露時のビザはちゃんとパスポートに残るタイプでした。)

  • 初代パスポートに残る、最初の訪露の入国・出国スタンプの様子。<br /><br />何れもハバロフスクからでした。<br />

    初代パスポートに残る、最初の訪露の入国・出国スタンプの様子。

    何れもハバロフスクからでした。

  • そしてその時の日本側の出国(青森)、帰国(新潟)スタンプの様子。<br /><br />今のところ、青森も新潟も、これが最初で最後の出国(帰国)スタンプとなっています。<br /><br />という訳で、急遽ではありましたが、現在のロシアのウクライナ侵攻に対する、クソロシア上層部への非難と共に、無垢なロシア人達を責めないで、に関する本旅行記はこれにて終了となります。<br /><br />最後までご閲覧有難うございました。<br /><br />そして勿論、ウクライナの方々へは、一日も早い平和な日常が戻ってまいりますことを願いつつ…。

    そしてその時の日本側の出国(青森)、帰国(新潟)スタンプの様子。

    今のところ、青森も新潟も、これが最初で最後の出国(帰国)スタンプとなっています。

    という訳で、急遽ではありましたが、現在のロシアのウクライナ侵攻に対する、クソロシア上層部への非難と共に、無垢なロシア人達を責めないで、に関する本旅行記はこれにて終了となります。

    最後までご閲覧有難うございました。

    そして勿論、ウクライナの方々へは、一日も早い平和な日常が戻ってまいりますことを願いつつ…。

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この旅行記へのコメント (6)

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  • まるきゅーさん 2022/03/07 18:32:42
    この状況他人事にはとても思えません
    ケロケロマニア様、こんにちは。
    ウクライナ情勢は日に日に厳しくなっていますね。
    実は僕の学校は(僕のクラスだけ)海外出身者も多く居てその中に一人だけウクライナから来た人が居ます。
    その人もロシアのことを(プーチン大統領のこと)許せないらしくて早く侵攻を止めてプーチンは辞めてほしいと言っていました。(英語が堪能ではないのでこういう訳しか出来なくてすみません)
    自分は旭川より北のほうには行ったことはないですし(更に最近だと福島県富岡だし)
    今は赤道越えてフィジーで生活していますが他人事のようには思えなくなります。
    北方四島(なんか領土という言い方は疑問なのでこっちで)もそうですがロシアの上層部は何の目的でしているのかを知りたいなと思います。少しでも温かいところがほしいのもわからなくはないですがもう少し平和にいってほしいと思います。
    中国の香港侵攻もそうですが何も目的がないのにやるわけはないと思いますがこの状況が続いてしまうと世界から孤立してしまいそうですね。
    ソ連時代は生まれていないのでわかりませんが(そしてなぜかは知りませんが今若者ではソ連国歌ブームらしいですが)ソ連崩壊のニュース(当時の映像がYoutubeにありました)を見て当時は夢を持っていたのだなあと感じました。
    北朝鮮、中国、ロシアの国民には罪はないので幸せになって欲しいと思って筆を置かせていただきます。 まるきゅー

    ケロケロマニア

    ケロケロマニアさん からの返信 2022/03/08 11:45:33
    RE: この状況他人事にはとても思えません
    まるきゅーさん、こんにちは。
    メッセージを有難うございます。

    まるきゅーさんも、そちらでは勿論外国人のお立場でしょうから、他の外国の方々とのご交流も色々とおありだったことでしょうね。そうですか、ウクライナの方もいらしたんですね。このご時世下では、周囲の方々も接し方が難しいのかもしれないですね。

    今回の戦争を見ていて思うのですが、勿論、何の罪もないウクライナの方々に対しては、言葉が見つからない一方で、なにやらどさくさ紛れにウクライナ称賛や援助をする部外者が多いのが、最近では特に気掛りになってきました。


    戦争というのは、当事者達は大変なダメージを被る一方で、その周辺では、惨禍に乗じて私腹や国家財政を潤すような”戦争特需”で潤う団体や個人も存在します。

    我が国が戦後復興を遂げた大きな一因は、第二次世界大戦後の朝鮮戦争でしたし、その朝鮮(というか韓国)が朝鮮戦争から復興できたのはベトナム戦争の特需に拠るものが大きかった訳でして…。


    現状を見ている限りでは、ウクライナ側を批判する立場、ロシア側を称賛する立場の発言が悉く袋叩きにされているのが、逆に心配で危険な時代に入ってきているなとも感じますね。そんな中で、唯一、必ず損をしていると断言できるのが、両国内に住んでいる国民の皆様方、ということでしょうね。

    戦争がどのような結果に終わるのか、まだまだ予断は許さない状況下ではありますが、まるきゅーさんのように、若い頃から世界を見る経験を得られた方には、広い視野でこの現実を見つめていって頂けたらな、と願っています。

    若い方のソ連称賛(?)も、私にはなんとなくわかります。満ち足りた社会の中でも、閉塞感が続く状況下では、やはり違った世界には憧れてしまうものです。ただ、ソ連に関しては、結局どこも良いところはなかった、という現実は後の歴史が証明してしまいましたけどね…。

    今はウクライナばかりが被害者の立場で注目されていますが、某ハリウッド女優さんが重要な発言をされていましたね。紛争は今までにもあったじゃん、その難民達に関しては、今回の時ほど、大国も大騒ぎしてなかったじゃん、みたいな…。

    ミャンマー・シリア・アフガニスタン・北朝鮮・エリトリア…、など、世界中にはまだまだ色々な問題を抱えて、その中で日々苦しんでいる国民が、このウクライナ騒ぎの中で、取り残された状態で惨禍のままに置かれている悲しい現実にも、もっと世界は目を向けなくてはならないな、と思います。



    それでは、また!


    非暴力なカエルさんの偉大さを今だからこそ感じて欲しい(←ダリルお姉さま風)
    ケロケロマニア



    > ケロケロマニア様、こんにちは。
    > ウクライナ情勢は日に日に厳しくなっていますね。
    > 実は僕の学校は(僕のクラスだけ)海外出身者も多く居てその中に一人だけウクライナから来た人が居ます。
    > その人もロシアのことを(プーチン大統領のこと)許せないらしくて早く侵攻を止めてプーチンは辞めてほしいと言っていました。(英語が堪能ではないのでこういう訳しか出来なくてすみません)
    > 自分は旭川より北のほうには行ったことはないですし(更に最近だと福島県富岡だし)
    > 今は赤道越えてフィジーで生活していますが他人事のようには思えなくなります。
    > 北方四島(なんか領土という言い方は疑問なのでこっちで)もそうですがロシアの上層部は何の目的でしているのかを知りたいなと思います。少しでも温かいところがほしいのもわからなくはないですがもう少し平和にいってほしいと思います。
    > 中国の香港侵攻もそうですが何も目的がないのにやるわけはないと思いますがこの状況が続いてしまうと世界から孤立してしまいそうですね。
    > ソ連時代は生まれていないのでわかりませんが(そしてなぜかは知りませんが今若者ではソ連国歌ブームらしいですが)ソ連崩壊のニュース(当時の映像がYoutubeにありました)を見て当時は夢を持っていたのだなあと感じました。
    > 北朝鮮、中国、ロシアの国民には罪はないので幸せになって欲しいと思って筆を置かせていただきます。 まるきゅー
  • Tagucyanさん 2022/03/06 22:21:34
    なつかしいものを拝見しました
    ケロケロマニアさま
    こんばんは

    この時期にあえてロシアを出してきましたか。あの出来事は、ロシアという国というより、「あの人」とそれを取り巻く上層部の意向だけのような気がしてならないですけどね。

    さてさて、なつかしいものをいろいろ拝見しました。私もちょうどその時(かぶってます)同じロシア極東のサハリンに行っていましたので、雰囲気を思い出しました。

    青森→ハバロフスクという航路があったんですね。新潟については、当時極東ロシアに行く場合は成田よりも新潟の方が便利だった記憶があります。この3年後、私も新潟からイルクーツクに飛びましたので。

    イリューシン、ツポレフの名前も久しぶりに聞きました。もう一つ、アントノフというのもありますね。私はイリューシンはないですけど、ツポレフTu-154とアントノフAn-24は乗ったことあります。あのマイクロバスの補助席のような座席はよく覚えています(笑)

    パスポートに押されるスタンプのかすれ具合や、書類などの紙質の悪さなどは私の手元にも残っているのでわかりますが、こういうところを見ても、当時はまだ旧ソ連時代の名残がありましたよね。さすがに今はそうじゃないんでしょうけど。
    ビザも現地で取られてしまうタイプでしたねえ。出発前、カラーコピーをとっておいたものです。あと、バウチャー。これがあるので、宿のチェックイン時などは逆に楽でしたが(笑) でも、チェックイン時に「パスポートチェック」とか言ってパスポートを預けなきゃいけなかったんですよね。あれは不安でしたねえ。

    すみません、つい昔を思い出して書き込んでしまいました。

    ---
    Tagucyan

    ケロケロマニア

    ケロケロマニアさん からの返信 2022/03/07 15:32:07
    RE: なつかしいものを拝見しました
    Tagucyanさん、こんにちは。
    メッセージを有難うございます。

    先月末のウクライナ侵攻以後、色々と悩み多き日々でして、なかなか西日本国盗り(←この表現自体が時節柄使い辛く感じるし…(;´Д`))旅行記の執筆が進まない状況でございます。

    仰る通り、今回の戦争は、”大ロシア”思想に心奪われた暴君の独り相撲感が半端ないですが、それに付き合わされる両国民はたまったものではありませんよね。私はこれからも民衆レベルでのウクライナもロシアも応援していきたいと思っています。

    そういえば、Tagucyanさんもあの時代のロシアのことをご存じでしたね。極東の中では当時のサハリンはある意味モスクワから目をかけられた”優等生”でしたので、ある意味、その後にイルクーツクに足を運ばれた際には、より違和感を感じられたのでないかな、と察しております(まあ、自分は当時どころか、そもそもサハリンにもイルクーツクにも行ったことがないので、実体験から語ることは出来ないのですが…)。

    青森=ハバロフスク線に関しては、当時の青森県の政治家やみちのく銀行が色々とロシアに注目されたご縁で開設されたように記憶していますが、やはり、基本的に自由競争の資本主義経済を知らない国とのやり取りは悉く失敗していて、結局ロシアに投資する事業者も激減して、わずか数年で路線撤退してしまったように記憶しています。


    アントノフというのも懐かしい響きですね。ご搭乗経験がおありとは凄いですね。ロシア国内線の思い出としては、当時のロシア人にはあまり座席指定の感覚がなくて、私の指定席に既に別な方が座られていて、番号を示して私がここ、といっても、そこ空いてるよ、みたいな感じで、全く意に介さず、という風情だったことが印象に残っています。

    昔はパスポートのスタンプに関しても、旧東側陣営の国の場合は、後ろの方に押されていた印象も残っていて、私にとっての初代パスポートは、あまりスタンプが押されぬまま5年(青い方)が経過してしまったので、ロシアのスタンプはすぐに見つけることが出来ます( ´∀` )。

    ビザのコピー。私もどこかにとったのを保存している筈なのですが、旅行記UPまでに見つけることが出来ませんでした。私は白黒でしかコピーしませんでしたが、あの時代にカラーコピーまで取られていたとは、頭が下がります('◇')ゞ。

    バウチャーという響きも懐かしいですね。ただ実は私はこれを使ったことがないんです。当時のビザも観光ビザではなく、卒論研究目的、という胡散臭い目的で、カムチャッカのお偉いさんが釧路にいらしたときに、招待状をお願いして(これがあれば、バウチャーに縛られない普通ビザが発給してもらえる時代でした)、これをファックスで送信してもらったのと5000円を携えて、札幌の領事館に足を運びました。ただ、普通ビザ入国の場合は、現地でその都度オビールという機関に出向いて、滞在登録っというのをしなければならない、というルールだったため、このことを知らなかった当時の私は、色々と尋問されたりもしました…(;´Д`)。

    カムチャッカで2週間ほど滞在した時も、別の水産系学部の研究グループが間借りしていた施設を、家賃分担でお借りしていたので、ホテルに泊まったこともなかった最初の訪露だったんですね。でもこの共同生活中、私があまりにも勝手に動き回るので、このグループの人々からはかなり迷惑がられていたんですが…(-_-;)。


    そんなこんなで、色々な思い出があるロシアなだけに、今回の件は非常に残念でもあり、コロナが収束してもしばらくはロシアに行けない時代が続くのだろうなと思うと、本当に悲しいです。一日も早く、戦争が終わりますように…。


    それでは、また。


    ケロケロマニア



    > ケロケロマニアさま
    > こんばんは
    >
    > この時期にあえてロシアを出してきましたか。あの出来事は、ロシアという国というより、「あの人」とそれを取り巻く上層部の意向だけのような気がしてならないですけどね。
    >
    > さてさて、なつかしいものをいろいろ拝見しました。私もちょうどその時(かぶってます)同じロシア極東のサハリンに行っていましたので、雰囲気を思い出しました。
    >
    > 青森→ハバロフスクという航路があったんですね。新潟については、当時極東ロシアに行く場合は成田よりも新潟の方が便利だった記憶があります。この3年後、私も新潟からイルクーツクに飛びましたので。
    >
    > イリューシン、ツポレフの名前も久しぶりに聞きました。もう一つ、アントノフというのもありますね。私はイリューシンはないですけど、ツポレフTu-154とアントノフAn-24は乗ったことあります。あのマイクロバスの補助席のような座席はよく覚えています(笑)
    >
    > パスポートに押されるスタンプのかすれ具合や、書類などの紙質の悪さなどは私の手元にも残っているのでわかりますが、こういうところを見ても、当時はまだ旧ソ連時代の名残がありましたよね。さすがに今はそうじゃないんでしょうけど。
    > ビザも現地で取られてしまうタイプでしたねえ。出発前、カラーコピーをとっておいたものです。あと、バウチャー。これがあるので、宿のチェックイン時などは逆に楽でしたが(笑) でも、チェックイン時に「パスポートチェック」とか言ってパスポートを預けなきゃいけなかったんですよね。あれは不安でしたねえ。
    >
    > すみません、つい昔を思い出して書き込んでしまいました。
    >
    > ---
    > Tagucyan
  • アルカロイド ダリルさん 2022/03/06 21:53:17
    ロシアって、、、変わんないのね?

    ケロケロさま! 啓蟄です! 北海道のクマさんは穴から出ると、ふきのとうを食べてデトックスするらしいですが、カエルさんはナニを食べるのかな?

    子どもの頃って東西の対立がスゴい時代だったから、007のジェームス ボンドが活躍する世界でした

    そしてソ連は崩壊して資本主義の世の中になり、人間の欲って大事で、ノルマとスローガンでは経済が回らないのだなぁ~と、子どもながらに思いました

    そして近年、タイのシュノーケルの半数がロシア人で、けっこう金持ちなんじゃない?って不思議に思いました? 資源を切り売りして生きられるカナダと同じやん?

    そしてデジャブ? 権力持つと、こーなんのよ~の歴史書みたいに、プーチンがデブってラクナ梗塞起こしたのか? ドンパチ始まって、歴史は繰り返すって、、、

    そう言えば、ウチのじーさまがそんなコト言ってたなぁ? としみじみ思う夜更けです! 人間ってバカやん? 歴史に学ばないのね?

    ソフィアローレンの映画ひまわりが好きなダリル

    ケロケロマニア

    ケロケロマニアさん からの返信 2022/03/07 15:09:43
    RE: ロシアって、、、変わんないのね?
    ダリルお姉さまこんにちは。
    メッセージを有難うございます。

    そういえば昨日は啓蟄でしたね。熊さんはそろそろの時期だと思いますが、北海道のカエルさんはまだ一月ほどおねんねする予定だケロ( ´∀` )。(←寝てる間は断食してるので、究極のSDGsアニマルなんだケロ!)

    私も子供の頃のソ連の暗い雰囲気はよく記憶にありますね。ブレジネフ・アンドロポフ・チェルネンコなんかの時代でした…。

    そのソ連が崩壊した数年後にロシアに訪問しましたので、当時は色々とまだまだ怖い雰囲気が残っていて、実際に捕まったりもしたことがある(-_-;)ので、やはり、4年前に眺めた”資本主義国化”したロシアには凄く違和感を感じたものです。

    仰る通り、あの国もカナダと同様の資源国として立国しておりますので、オイルマネーにはかなり左右されますね。今後、どのように原油価格が推移していくのか、また欧米列国の経済制裁が、どの程度まで影響を及ぼすのか、国内の国民やオリガルヒの動向も注視してまいりたいと思います。

    最近のプーチンはちょっと病的な異常さを感じますね。最悪を想定して日本も行動していかなければいけないと思います。北海道も危なくなってくるかも、ですね。

    アエロフロートもS7も国際線休止を発表し、完全に鎖国体制に入ってしまいました。暫くはコロナどころでなく、ロシアそのものに行けないんだろうなと思うと、現地で沢山の善良な方々と交流した身にとっては、やはり寂しいです…。


    それでは、また…。


    ソフィアローレンの映画、観てみたいですね

    ケロケロマニア



    >
    > ケロケロさま! 啓蟄です! 北海道のクマさんは穴から出ると、ふきのとうを食べてデトックスするらしいですが、カエルさんはナニを食べるのかな?
    >
    > 子どもの頃って東西の対立がスゴい時代だったから、007のジェームス ボンドが活躍する世界でした
    >
    > そしてソ連は崩壊して資本主義の世の中になり、人間の欲って大事で、ノルマとスローガンでは経済が回らないのだなぁ?と、子どもながらに思いました
    >
    > そして近年、タイのシュノーケルの半数がロシア人で、けっこう金持ちなんじゃない?って不思議に思いました? 資源を切り売りして生きられるカナダと同じやん?
    >
    > そしてデジャブ? 権力持つと、こーなんのよ?の歴史書みたいに、プーチンがデブってラクナ梗塞起こしたのか? ドンパチ始まって、歴史は繰り返すって、、、
    >
    > そう言えば、ウチのじーさまがそんなコト言ってたなぁ? としみじみ思う夜更けです! 人間ってバカやん? 歴史に学ばないのね?
    >
    > ソフィアローレンの映画ひまわりが好きなダリル

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