1997/03/04 - 1997/03/19
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ケロケロマニアさん
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若き日々の海外旅を50代最初の年末に振り返るシリーズの第2弾は1997年の台湾です(海外旅としては前年の1996年のロシアが挟まっておりますが、この旅に関しては、既に大分前に旅行記を綴らせて頂いたことがあるので…)。
この旅から、旅の会計などに関するメモを付け始める習慣がついており、今でもその旅ノートは32冊目(2023年末現在、途中、一冊紛失)となっておりますが、その記録に残る記念すべき最初の旅が本旅でした。
3月初めにまだまだ冬景色の札幌を出発し、フェリーとJRとを乗り継いで成田へ。
そこからは、当時就航していたシンガポール航空の片道航空券を利用しての初台湾入り、ということになりました。
台北の国際空港も、当時はまだ、今の桃園ではなく中正国際空港と称しておりましたね。今からハムの若きロマン砲みたいな名前やな~(そのままの名前やったら、台湾でも人気出てたんかな?)。
この時の旅も、若気の何とやらのメチャメチャな旅で、現地にて自転車を購入して、そのまま台湾をサイクリングしつつ、途中、夜明かしのための夜行列車輪行(?)なども経て台東まで走り、最後は離島の蘭嶼島にも渡り、現地の人のお家にまで泊めてもらったりしつつ、高雄に戻って今は無き有村産業の国際フェリーにて、那覇に帰国したという旅でした…。(地域登録はどこでも良かったのですが、せっかくなので、まだまだ訪問者が少ない蘭嶼島でしておきます。)
(表紙:蘭嶼島に渡る際利用した國華航空の航空券(台東→蘭嶼、蘭嶼→高雄))
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 自転車 徒歩 飛行機
- 航空会社
- シンガポール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
冒頭で綴らせて頂いた旅の旅程、会計などを記した旅ノート。
記念すべきNo1がこちらとなります。
この旅からは、旅のルートや収支が残っておりますので、この旅に関してもざっと記しておきましょう。
3/4:札幌→小樽(JR)→(新日本海F)→
3/5:新潟→(JR)→東京(白ゆり泊)
3/6:→(JR)→成田空港→(SQ)→台北
3/7:→(台鉄)→万華(自転車購入、ここからは特記ない場合自転車)→台北
3/8:→故宮博物館→陽明山→金山
3/9:→基隆→(台鉄)→(車中泊)
3/10:→花蓮→(ここから再び自転車)→長濱→成功
3/11:→都蘭→台東
3/12:→(国華航空)→蘭嶼→蘇さんのお家
3/13:蘇さんのお家連泊(島内サイクリング)
3/14:→高雄→湖内→台南
3/15:→月世界→仏光山→高雄
3/16:→(有村産業フェリー)→
3/17:→那覇
3/18:那覇近郊サイクリング→那覇
3/19:→(日本航空)→名古屋(小牧)
携帯もネットも今ほどは普及していなかった時代、そうした機器を使わずによくもまあ、これだけ動いていたものだと、自分でも感心します。
逆に今だと、色々調べてしまって、お財布的に止めちゃうみたいなことも多いだろうな。お金よりも経験、と思って、とにかく散財ばかりしていた若き日々でございました…。
旅の会計報告に関しては、後程…。
注:前半の東京での夜明かしにおける「白ゆり」というのは、当時、W大に通っていた高校時代の悪友に教えてもらった、高田馬場にあった”深夜も居座れる”喫茶店です。まだこの頃は、”ネットカフェ”というものが普及していなかったんですね~('◇')ゞ。(勿論、超高級オレンジホテルもない。) -
当時の記念の品々は常にファイリング完了しております。
カーボン式航空券から、SQ搭乗券、ラゲージタグ、下の2つのは自転車運搬の際の國華航空のタグですね。 -
まだネットの普及もイマイチな時代。
航空券も大学生協で手配したりしておりましたね~。
こういうアナログ感も、今となっては懐かしい…。 -
そして、これが今となっては貴重な、帰国の際に利用した、有村産業の国際フェリー申込書。
あの時は、高雄港の飛龍21の乗り場が解らなくて、泣きそうになりながら自転車で探し回った記憶があります。
そしてようやく見つけ、現地のおっさん達に珈琲とかご馳走になりながら、フェリーに入れる時間帯を待っていると、優雅に日本人の団体がバスで直接やって来て、何の不自由もなくフェリーに乗り込んでいった姿を、呆気にとられつつ眺めておりましたな。いやはや、懐かしい。 -
当時の両替伝票などもファイリング。
初台湾は上述の通り2週間近く滞在しておりました(今だと台湾は身近過ぎて、ここまで長く滞在する日本人は少ないだろうな…)ので、何回かに分けて両替しておりました。
下のは最初にSQ便やら有村産業便やらを生協で手配した時の、前金として10000円だけ入金しましたよ、というやつ。
そういや当時は、クレジットカード決済とかも一切してなかったしな~。勿論、ポイント利用やマイル利用なんてのも一切なし。
SQ搭乗分のマイルなんてのも、積算してないんだよな~、勿体ない…。
ただ、丁度この頃にようやく航空アライアンスなんて登場(この年後半にスターアライアンスが最初のグローバル航空連合として生まれた)していますし、当時はまだSQもスターアライアンスに加盟しておりませんし、貯めるとしても自社FFP(クリスフライヤー?)とかに付けるしかなかったんだろうけど…。 -
両替伝票その他。
左側のは故宮博物館の入場券ですね~。
左下のは往路の最初に利用した新日本海フェリーの乗船券。
学割利用で4000円ちょっとで小樽から新潟まで行けた時代でした…。 -
そして、当時の台湾で一番驚いていたのは、レシートに付属していた宝くじ。
これは今でもお馴染みなんでしょうね。
今ならネットで簡単に当選を確認できますが、当時はそれが出来ず、こうして沢山もらったレシート宝くじの当落も判らずじまいでした。
もしかしたら、大金が当選してたかも~('◇')ゞ -
これは、表紙にアップした台湾国内線、國華航空の航空券内部です。
こういう手書きの航空券も、すっかり見なくなってしまいましたね…。
という訳で、最後にこの旅の会計報告を上述のノートから。
(総額には、最後、名古屋の実家で数日過ごした後、北海道に戻るまでの分も含まれております。台湾ドル利用分は1NT$=¥4.442で計算、と記されておりました。)
交通費:105,328円
宿泊費:12,882円
食費:19,271円
自転車関係費:27,763円
その他:11,182円
合計:176,426円
となっておりました。
まあ、北海道から往復してて、自転車も買って、2週間近く台湾に滞在していたり、沖縄観光の分も入っていたりすることを考えたら、無茶苦茶無駄遣い、という感じでもない(特に宿代の節約に関しては昔から徹底していた感あるわな)ですが、マイルもポイントも貯めず使わずでこの金額なので、やはり、旅のお財布的な技術力としては、自分自身の未熟さを感じたりもしますね。
という訳で、1997年の初台湾旅に関する本旅行記はこれにて終了となります。
最後までご閲覧下さり、どうも有難うございました。
2023年中に、あと10冊、書けるかな~(^_^;)。
(↑本旅行記完成させたのが同年12月26日。)
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