2021/10/19 - 2021/11/04
69位(同エリア518件中)
Marieさん
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ほぼ半日使って、ポンペイ遺跡観光
約2000年前の紀元79年、ヴェスヴィオ火山の噴火によって発生した火砕流によって一瞬にして地中に埋まり、18世紀に発掘されるまで火山灰に埋もれていた場所。
ちなみにどうでもいいことなのですが、イタリアではマスクは腕に通して食事をするらしいです。笑
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
ポンペイ遺跡を歩き回るので、朝からしっかり食べます。
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いいお天気です(*^^)
近くには教会もありました。これも位置情報が登録できない~
ポンペイのロザリオの聖母の巡礼聖堂(どんな名前やねん笑)です。 -
ポンペイ遺跡まで徒歩圏内なので、てくてく歩きます
朝9時頃です。
旅行代理店の方たちがポンペイ遺跡ツアーの呼び込みをめちゃくちゃやってて、誰もいないせいで声かけられまくりでめんどくさい(-_-;) -
ポンペイ遺跡入口
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まず手荷物検査がありました。
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その後チケット購入
空いていてすぐ購入できました。 -
地図がもらえず、QRコードを読み込んでポンペイガイドを見る感じでした。いくつかのページに区切られていて見にくく、googlemapを頼りに中をまわりました。
アナログ人間なので、地図は置いておいてほしい(;O;)コロナ前は地図も置いてあったのかな~? -
綺麗なフレスコ画
2000年前に描かれたって信じられません。 -
大運動場
“大運動場”は屋根のない大きな長方形の広場からなり、大きさはおよそ140m×140m、回廊に囲まれて外側とは狭間胸壁のついた高い壁で遮断され、壁には10の門が取り付けられていたとのこと。
プールもあったようです。
発掘の際には、ここに避難したりここから逃げようとした多くの犠牲者たちも見つかったそうです。 -
円形劇場
わんちゃんが気持ち良さそうに寝てる(*'ω'*) -
中に入っていきます。全然写真がないのですが(笑)この円形劇場は、古代ローマ世界で知られたもののうちで最古の劇場。
劇場にはポンペイの住人だけでなく周辺の沿岸地域からやってくる観客2万人を収容することができたそう。 -
置いてあったノートに落書き
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コンサートが行われた時の写真がいくつも飾ってありました。これは誰だったかな汗
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円形劇場を後にします。
奥に見えるのがヴェスヴィオ火山です。 -
綺麗に舗装されています。
両側が歩行者、真ん中は馬車が通る道だったようです。 -
ここはキッチンとして使われていたそうです。ポンペイ遺跡には居酒屋、レストラン、高級住宅など様々な建物があり、キッチンを備えたものも数多く存在します。凹型の中央に料理人が立ち、スープなどを振舞ったと言われているそうです。
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これは確かオクタヴィウス・クアルティオの家だったと思います。違ったらすみません。
この家は、当時町の外の田舎に点在していた貴族階級の壮大な館の“ミニチュア版”で、噴火の直前にはポンペイのエリート階級の人物の住まいでした。 -
庭園は二つの高さの違うエリアに分けられ、それらを繋ぐように2本の水の流れが造られて、小さな滝や噴水が設えられている...のですが肝心の写真がない(笑)
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立派なお庭でした。
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壺がたくさん
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玄関かな?
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メナンドロの家
身分の高い一族の典型的な住居だそうです。庭も綺麗にされていました。 -
壁画も床のモザイク画の保存状態も中々良いです。
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大劇場。歌劇の舞台。この劇場では伝統的なギリシア-ローマの喜劇や悲劇が上演されていました。5000人収容できるそうです。当時は座席に大理石が敷き詰められていたそう。
こちらの保存状態も良く感動(*''▽'') -
何やら文字が書かれていました。
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大劇場の座席を降りていき、舞台の裏です。
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劇場のクアドリポルティコまたは剣闘士の兵舎
大劇場の舞台裏にはノチェーラ産の灰色の凝灰岩でできた74本のドリス式円柱を巡らせた大きなクアドリポルティコのロビーがあって、休憩時間には観客がくつろげるようになってたとのこと。
紀元62年に起きた地震の後で、この建物の一部を再整備して、剣闘士たちの兵舎として使うようになりました。この場所でもたくさんの犠牲者が発見され、部屋の一つでは18人も亡くなっていて、そのうちの一人は高価な宝石類を身に着けた女性だったそうです。
次はフォロを目指します。 -
着きました♪
ポンペイの大広場
東にマーケット、北にジュピター神殿、西にアポロ神殿、南にバジリカがあり、地理的には遺跡内の西側に位置しています。 -
フォロは市民の日常生活の中心の場で、すべての公共の建物が並び、町の運営、司法による裁き、事業の管理、市場などの商取引が行われたほか、町の信仰の場でもあったそうです。
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後ろににヴェスヴィオ火山が見えます。
この広場を取り囲むように神殿が建てられていたと考えられています。繁栄していたポンペイの街をたった一瞬で飲み込んだ火山の力。地震や津波もそうですが、自然の力のすごさを感じますね。 -
フォロにある像
こちらはレプリカだそうです。 -
疲れたのでジェラートを食べて休憩。
10月中旬を過ぎても、半袖で大丈夫なくらい暑かった...
影に居る時だけ涼しかった^_^;
トリノが寒いこともあり、長袖とニットしか持って来ていなくて死にそうでした。 -
フォロの近くです。
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アーチがありました。
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古代の壺
マーケットの横にある倉庫内に大量の出土品が貯蔵されていて、壺は実際に見ることができます。ワインの生産に使われていたことがわかっており、その数からして一大産地であったと言われているそうです。 -
石膏で復元した遺体
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石膏で復元した遺体2
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テルモポリウム
ポンペイで発掘済みの部分に89のテルモポリウム、飲み物と温かい食べ物を売っていたオステリアが確認されていて、大きな家に住む富裕な市民たちがそこで食事をしたわけではありません。 利用していたのは、社会的地位の比較的低い層の人々だったそうです。 -
歩いていると階段があったので登ってみました。
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ポンペイの街並みが見えました。
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いよいよ秘儀荘へ
離れのような場所にあって、遠かったです。この近くに出口がありましたが、入口の方がホテルまで近かったのでここからは出ずにまた入口に戻りました。
秘儀荘とは部屋数が90個&ワイン製造所まである超お金持ちの別荘だったそうで。
ヴィラの名称は建物内の、海を見晴らす居住部分に残る秘儀の間に由来しているそうです。
2000年前にディオニュソスという公の場では禁止されている宗教がポンペイで流行って、その儀式の様子が壁に書かれている部屋があるからこう呼ばれているんだそう。 -
雨水を溜める水槽を中心に中庭に面していたアトリウム。かつては陽の光が差し込む明るい部屋だったのだろうと思いますが、現在は修復工事の幕がかかっていて、暗い雰囲気でした。部屋に置かれた噴火の犠牲者の石膏像が更に不気味です。
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美しい装飾柱が並ぶ柱廊から秘儀荘に入り、床のモザイクが美しい廊下を進むと最初に現れるのが、この花網装飾のある部屋です。
この部屋は中に入ることもできて、美しいフレスコ画を間近に見ることができます。
神殿の中にいることをイメージして描かれたものなのだそうです。 -
ポンペイレッドの地を背景に描かれた多くの等身大の人物達
まるで絵巻物のように、それぞれの人物が個性的に描かれています。 -
光が反射してしまいました汗
部屋の中には入れず、入口から写真を撮るしかなく(;´Д`)
部屋の入口から見て左から右に物語は進みます。 -
とても美しかったです。
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5時間ほぼぶっ通しで歩いて、足が痛すぎました(^-^;
ジェラートしか食べてなくてお腹も空いたし、とりあえず見れるところで見たいことろは見れたので退散。ただ、ポンペイ遺跡は絶対ツアーで訪れた方がおもしろいだろうなと思いました。タクシーの運転手さんも言ってた。次は日本語話せるガイドさんと来たいです。
悲劇詩人の家、スタビアーネ浴場、娼婦の館、ヴィーナスの家等、見れなかったところがたくさんあるのでまた絶対来たい!ヴィーナスの家に関しては行ってみたけど入れませんでした。ツアーでしか入れないのかも...
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