2021/09/28 - 2021/09/29
20516位(同エリア29585件中)
Yasoさん
徳川家康が九十九里方面での鷹狩のために,佐倉藩主土井利勝に命じて造らせた,という東金御成街道を歩いてみます。
千葉市花見川区に入りますが,県庁所在地なのに景色がどんどん淋しくなっていく様な。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
-
写真=「長作町停留所」です
この辺りに浅間山があり,そこで家康が昼食をとったという話があるそうです。 -
写真=「三島神社」です
この先で中学生(かな?)がたくさんいました。 -
写真=「古木椎ノ木」です
かなり古そうですが「樹齢が相当経った」とあるだけで,具体的な年代は分からない様です。 -
写真=「花島山正観世音」です
ここを北に行くと花島観音に着く様で。道標の役割をしてた石塔の様です。「江戸時代中期より明治時代にかけて観音信仰が盛んであった名残」だそうです。
ちなみにここは「東金御成街道」と「検見川道」が交差してる地点でもあるとか。昔々からあった交差点なんですね。 -
こんな感じで,ちと淋しい景色になってきてます。
-
写真=「如意輪観音」です
「観音菩薩の変化身の一つ」だとか。 -
そこからすぐに,
写真=「天戸大橋」を渡ります
下を流れるのは花見川,正式名称は「印旛放水路」だとか?水害を避けるため東京湾に水を流すって事で人工的に造られた川なんですね。
しかも,皮肉なことに「江戸の町を利根川の氾濫による水害から守るため行われた利根川東遷事業によって利根川の下流となり,周辺の村々は水害により大きな被害を受けるようになった」ために造る必要があったと。
江戸時代に事業が行われたものの,3度も失敗して,300年以上かかって1960年代末にようやく完成したそうです(!)。いや~,すごくドラマチックですね。 -
写真=「猿田彦大神」と「庚申塔」です
猿田彦は日本の神話に登場する神ですが「道祖神と同一視され」るそうで。 -
写真=「広尾十字路」です
ここでまた「鉄道連隊演習線」の習志野線跡と交差している様です。余程くねくね曲がってるのでしょう。御成街道が直線なのに対して。 -
写真=「子安観音」や「如意輪観音」などが並んでます
子安観音は「安産や幼児の成長を守護するという観世音菩薩」との事。 -
この辺りは犢橋(こてはし)宿になる様です。
「油作の坂」と呼ばれる坂だそうですが,御成街道で重要な地点というか,ユニークな場所となっている様で。
写真=そこの信号を左に入ると・・・
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写真=ただの旧道やないか~い!
って見えますが,実はこの地点は御成街道の道路工事(道普請【みちぶしん】というそうです)の時,東側と西側から進めてきた道がうまく合わず,ずれてしまったそうで結果として街道が曲がってしまったとの事。
東側と西側の人達,あまり仲良くなかったんでしょうね(苦笑)。
その名残で今でも,
写真=旧道がグルっと曲がって残っているという事らしいです -
旧道はすぐに今の御成街道と合流します。
写真=合流地点に「地蔵堂」があります -
東関東自動車道の少し手前で,
写真=こんな景色になっちゃいました
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東関東自動車道を越えます。この辺りは1971年に開通した様です。
写真=千葉北IC方面です
そしてこの辺に2つ目の一里塚「向山の一里塚」があったらしいですが,特に何も見つかりませんでした。 -
お!スーパーカーらしきものが並んでます。スーパーカーって死語じゃないですよね・・・?
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花見川区と稲毛区の境の所に,
写真=古い「庚申塔」と新しい「道祖神」があります
古い方は天和3年(1683年)のものだそうです。古い方が価値ありそうですが,お供えは新しい方に・・・。 -
ここで右に曲がり寄り道です。区の境を歩いて行きます。
その昔,この辺りにちょっとした滝があり,その水を徳川家康が飲んだって話があるそうな。
写真=その場所辺りに今は「御瀧神社」があります -
更に進むと千葉北高校の裏辺りに,
写真=「駒形観音奥ノ院馬頭観世音」があります
馬頭観世音(=馬頭観音)は「観音菩薩の変化身の1つ」だそうです。「馬頭」という名称から「民間信仰では馬の守護仏としても祀られる」そうな。
ここが馬とどういう関係があるのかというと・・・ -
3代将軍徳川家光が鷹狩りの際,愛馬が傷つき亡くなったそうで,その亡骸を葬った場所がここだとの事。へぇ~。
写真=石絵馬がズラ~っと並んでおりますが,こんなの初めて見ました -
写真=更に「馬頭観音」の石塔や石碑が集合してます
さながら馬尽くしです。
さて,コンビニでペットボトル購入。冷たくて生き返る!
街道に戻ります。 -
千葉市稲毛区に入り少し行くと,
写真=国道16号線の下をくぐります -
16号線を渡ったところに,
写真=地蔵さんがいました -
先に奥ノ院に行きましたが,
写真=「駒形観音」です
ここ長沼地域は「街道に面して列状に並ぶ屋敷と,その背後の短冊状の農地という,江戸時代の新田開発期に特有の景観が現在でも残って」いるそうな。
境内を進むと右側に・・・ -
イチオシ
写真=「長沼の駒形大仏」がいます
元禄16年(1703年)に作られ「像高約2.4m」だそうです。もとは奥ノ院の近くにあったそうで「江戸時代の大規模鋳銅像として有数の像」だとか。
木下街道の時も2つ見ましたが,千葉って意外と大仏さんが多いんですね。全然知らなかった。 -
国道16号線を越えてから「県道66号線」になった様です。
-
写真=「子安観音」です
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さて,長沼原町交差点を少し行った先から御成街道は2km強程,消滅します。
写真=この先,街道が左に曲がって行きます
かつて東金御成街道だった所は,今は主に「北部工業団地」と「陸上自衛隊下志津駐屯地」になっています。
御成街道がいつ無くなったのかは,ちょっと調べても分かりませんでした。恐らく明治時代以降とは思いますが。江戸時代は「権現様の道」に手を付ける事は出来なかったのでは? -
写真=「住友重機械工業千葉製造所」「住友建機千葉工場」です
この敷地内をかつて御成街道が通っていたと思われます。
住友機械工業が1965年に作った様で,その後1969年に住友重機械工業になったみたいです。
住友建機の方は1975年に出来た模様。
この後,ひたすら歩きます。「渋滞とデカい工場と飲食店」が目立ちます。 -
六方五差路を右斜め前に入って行きます。県道64号線に入り,千葉市若葉区に入りました。自衛隊の敷地を迂回するような感じで歩きます。
写真=「出羽三山碑」などです
出羽三山碑は「山形県の出羽三山(月山・羽黒山・湯殿山)参拝の記念」に作られるそうです。「千葉県は全国的に見てもとりわけ出羽三山への信仰が盛んな地域として知られて」いるとか?全然知らなかった! -
鎌池交差点を右に行くとすぐに,
写真=「陸上自衛隊下志津駐屯地」です
1921年(大正10年)「陸軍航空学校下志津分校として開校」して,戦後の1955年(昭和30年)に陸上自衛隊下志津駐屯地になった様です。
「下志津」はここから北へ4~5km行った所にある佐倉市の地名ですが,昔はこの辺一帯が「下志津原」という広大な原野だったとか。そのエリアは今の佐倉市だけでなく八千代市,四街道市も含んでいた様です。
ここで後ろを振り向くと・・・ -
写真=東金御成街道が復活します!奥まで,ずっと真っ直ぐ続いてます(すぐ最初の交差点が「鎌池交差点」です)
また街道を歩いて行きます。 -
写真=総武本線を渡ります
-
写真=3つめの一里塚である「焼塚」です
-
しばらく歩き,若松小学校の手前の店に売ってる和菓子を「これは買わねば!」と購入。なぜなら・・・
写真=「御成街道」だからです!
この先,国道51号線を横切る手前辺りで,警察に注意されている車が・・・。ほとんど目の前だったので,ちょっとビックリしました。 -
国道51号線を越えて少し行った所を左に入ると,
写真=「鹿嶋神社」があります
妙に参道が長いです。創建の年代は寛永2年(1625年)だそうで。昭和5年(1930年)には「陸軍の演習場として買収された為」現在の地へ移転したとか。
蚊やハエなどが気になりました(苦笑)。 -
しばらく歩くと一時的に(1km弱か)四街道市になります。
写真=「馬頭観音」です -
イチオシ
街道右側に突如現る謎の塔!住宅街にそびえる異質な建造物。嫌でも目立ちます。SF映画かと思いましたよ(笑)。その正体は・・・
写真=「坂月高架水槽」という名の給水塔だそうです
ユニークな給水塔がいろいろあると知ってはいましたが,これはその中でもレベルの高い(?)逸品の様です。僕も歩きつつ,目が釘付け状態に。
1971年完成で高さ33.7mとの事。 -
写真=「春日神社」です
鳥居が石造りではなく銅製みたいです。初めて見たかもしれないです。 -
千葉市若葉区に再び入り,本日はここまで。千城台駅から帰ります。
写真=「千葉都市モノレール(タウンライナー)」の終点地です
千城台駅の辺りは1988年に開業し,1999年に全線開通したそうです。 -
懸垂式モノレールに乗るのは生まれて初めてかもしれません。
写真=千城台駅です
モノレール,眺めは良かったです(坂月高架水槽が異様な存在感・笑)。
本日,45989歩。結構歩きました。久々に顔がザラザラ,塩が生成されちゃってます(笑)。 -
9月29日。昨日の地点からスタート。
写真=最初は歩道がありますが・・・ -
写真=すぐに道幅狭くなり,歩道が無くなります
しかも結構車が通る!一気に緊張感が。なるべく右側に張り付いてしずしずと歩きます。
ここを「鼻付き坂」というそうです。 -
右側に公園があるので,逃げ込むように入ります。
写真=「御成公園」です
名前からして古くからある公園なのか,歴史があるのかと思いましたが,そういうわけではなさそう。ただ・・・ -
「御成公園」の端っこに,
写真=4つ目の一里塚「提灯塚」があります
この塚は「起伏のある下総台地の高所」に作られ「道筋を決めるのに灯りをともし直線を定めた」と言われているらしいです。
ちなみに「将軍の御成りは,家康2回,秀忠8回,家光1回の計11回」が記録に残っているそう。 -
歩道が復活し,少し行くと,
写真=車道は右に曲がりますが「御成街道」は左の狭い道に入ります -
そうすると,昔の雰囲気が残ったいい感じの道に!
写真=この辺りは「金親宿」だったみたいです -
写真=「田野家の長屋門」です
結構劣化が進んじゃってますね。 -
金親宿跡はメインの車道,バス通りから隔離されている様なエリアになってます。なので,昔の雰囲気が残っている,というか残すためにここを隔離するような形にしているのかも?
でも歩道は狭く,結局車もよく通るので,歩きづらいってのはあり,その雰囲気を落ち着いて楽しむわけにはいかなそうです。
写真=この辺りは「高札場跡」だそうで -
イチオシ
写真=「石井家の長屋門」です
こちらはいい感じで残ってます。ここから向かいが「大宮神社」への裏道になっています。 -
写真=「大宮神社」です
ふと思ったのですが,街道沿いにありながら,街道からは裏口になるって珍しいのでは? -
写真=「大宮神社」の杉の御神木です
「推定約400年」だそう。 -
写真=三度「長屋門」です
-
イチオシ
県道53号線と合流して,ちゃんとした歩道が復活します。すぐ左に入ると「金光院」があります。
写真=「金光院」の山門です
この山門は「御茶屋御殿の裏門」が移築されたものと伝えられるとか。へぇ~。
しかも,ここは徳川家康が鷹狩りの際に宿泊した所だそうです。この先に御茶屋御殿があるのに?どうも抜け出してここに来たそうですが。 -
写真=「金光院」の本堂です
正応2年(1289年)にこの辺の別の場所に創建されるも,天文20年(1551年)に「火災のため焼失した」ので現在地に再建されたとか。
本堂前には,家康が褒め称えたという「御手掛の桜」がある様ですが「現在は古い切り株のみ」だそう。
家康が使用した衣服などもあるとの事。 -
「弘法大師作と伝えられる薬師如来」が本尊だそうで,いろいろすごいですねここは。
写真=「金光院」の鐘楼堂です
結構広い敷地でした。 -
写真=麦わらの小僧がいました(笑)
-
さて,街道を進みます。
写真=「バンカーアプローチ練習場」なんてのを発見
別にゴルフ好きではないんですが,だからこそバンカーアプローチに特化した練習場が珍しかったので。 -
写真=県道53号線は左に曲がりますが,東金御成街道はあくまでも真っ直ぐです
右の狭い道を行きます。8時頃ですが,早くも陽射しが強くなってきました。暑い。 -
少し行くと,東金御成街道のハイライトの1つ,2つめの御殿跡「御茶屋御殿跡」に着きます。
写真=「御茶屋御殿跡」の入口です,この先しばらく歩くと御殿跡になります
御茶屋御殿は寛文年間(1661年~72年)に取り払われたと考えられているそうで,建物は残ってませんが,敷地はほぼ完全に残ってるのでしょうか。「大変価値の高い遺跡といわれて」いるとか。 -
発掘調査で「主殿と思われる基壇部分のほか,長大な掘立柱建物跡群や井戸跡の他,17世紀中葉の陶器などの遺物も発見されて」いるそうな。
写真=この建物は・・・とりあえず当時のものではないですね -
「南北2ヶ所に出入口があって,その内側に桝形土塁が構築されて」いたとの事。
写真=南側の入口ですね,左右に土塁らしきものがあります
さあ,中に入ります。 -
「周囲に幅約5mの薬研堀の空堀と高さ約2.5mの土塁をめぐらし」とあります。
写真=ちょっと分かりにくいですが,薬研堀と土塁ですね -
イチオシ
中に入ると,うっ!結構雑草伸びてます。伸び伸び歩き回れる状態じゃないですね。
ネットで他の方の画像を見ると,きれいに芝刈りされたのも出てきますので,コロナ禍で手入れが出来てないのか?それとも夏の間に一気に伸びたのか。
いずれにしても,伸び伸び散策をあきらめます。一部刈り取られてる部分が道の様になっていたので,それに沿って歩いてみました。
写真=南側から見た「御茶屋御殿跡」です
「御殿跡は一辺約110mの方形」だそうです。なかなか広大な敷地。家康のために造られた御殿(茶屋)は全国に38ヶ所もあるらしいですが,これだけ敷地が完璧なまでに残っているのは,ここだけとか?へぇ~。 -
御成街道はただでさえこの辺は,車は通るものの歩いてる人などほとんど見かけません。そこから脇に入って行って,どんどん原生林の様になり「人里から離れてる感」がハンパないです(苦笑)。ホントに誰もいません。
写真=南西側から見た「御茶屋御殿跡」です
いかにも意味ありげな正方形の広大な敷地ですが,何もないし誰もいない・・・。ちょっと不思議な感じがしますね。
そのうちにきちんと整備されて,ちゃんとした観光スポットになればいいな。と思いつつも「ある意味,このままの方が面白いかもしれない」ですねぇ。 -
街道を歩きますが,
写真=こんな景色の道です
飲み物買っておけば良かった。もう,お店どころか自販機も見つからないかもしれない。と思ったら,御殿交差点の辺りで自販機発見!ペットボトル購入します。 -
飲み物は入手したし,歩道も広くなりました。まだお腹もすいてないし,眠くない。昨日の疲れも残ってないので足も痛くない。我ながら「最高の状態だ」とか思いつつで歩きます。
写真=ビニールハウスで何か作ってます
「予約制いちご狩り観光農園」だそうです。「完全インターネット予約制,キャッシュレス決済」だとか。へぇ~。 -
写真=右の細い道を下る様に入って行きます
-
写真=すごく見通しが良くなり,ちょっとした感動
県庁所在地もこんな田舎なんだ~,という感じです。歩いてる人はホントにレア。遠くに走ってる車が見えます。 -
県道66号線を渡ると,また歩道ない道で車が通ります。富田入口交差点を左に入ると左側に,
写真=「大六天神社」があります
「第六天」という表記の方がメジャーらしいですが,第六天といえば「第六天魔王」か?でも魔王を祀るわけないよな,と思ったら元々は「第六天魔王を祀る神社として創建されたもの」だそうです!ビックリしました。
第六天魔王といえば織田信長が思いつきますが,ここは千葉だし信長を祀るってのはないですよね。
明治時代の神仏分離の際に,多くの第六天神社が第六代の神「淤母陀琉神(おもだるのかみ)・阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)」に祭神を変更したそうです。 -
少し行った辺りは,かつて中田宿だったみたいです。左に,
写真=「真光寺」があります
寛永15年(1638年)創建だとか。
-
しばらく歩道があるかないかの道を歩きます。右側に,
写真=5つ目の一里塚「椎の古木」があります
今は民家になってる様です。
-
写真=こんな感じの道をずっと行きます
金親の辺りより車の数が少ないので,そんなに危険性はないですが。
この後,ゴルフ場入口辺りに何かあるぞと思ったら,犬の死骸!?しかも腸がとび出してる!初めて見てしまいました・・・。
閲覧注意なので画像なしです。 -
この先また街道が消滅します。「風景谷(ふがさく)の険」という急勾配の道を避ける様に,左に曲がって行きます。
写真=「左カーブ注意」の表示が
徳川家康が通る際,勾配が急すぎて籠で通れなかったので,馬に乗り換えたとか。馬で坂の上に着いた家康が「う~む,素晴らしい風景じゃのう!」と言ったかどうかは分かりませんが,とにかくこのエピソードから「風景谷」と呼ばれる様になったそうです。
ちなみに「風景谷」はバス停の名前にもなってますね。 -
道は左に曲がっていますが,
写真=真っ直ぐ行くと「風景谷の険」になります
御成街道は「現在は殆どが舗装され,旧道の面影を残している部分は八街市沖地区と東金市滝地区のごく一部となってしまった」そうです。
八街市沖地区はまさに写真のこの先で,山林中に僅かに昔の面影が残っているとの事です。
そしてここから,ついに千葉市が終わり八街市に入ります。
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