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夢見ケ崎動物公園を検索するとレッサーパンダばかりがヒットしますが古墳の宝庫でもあり4つの寺社もあるのです。<br />ここには了源寺、熊野神社、浅間神社、天照皇大神があり、それぞれ歴史もあり興味深いものがあります。<br /><br />

夢崎ヶ動物公園 - 寺社 -

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2021/12/18 - 2021/12/18

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旅行記グループ 夢見が崎動物公園

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アルプ・グリュム

アルプ・グリュムさん

夢見ケ崎動物公園を検索するとレッサーパンダばかりがヒットしますが古墳の宝庫でもあり4つの寺社もあるのです。
ここには了源寺、熊野神社、浅間神社、天照皇大神があり、それぞれ歴史もあり興味深いものがあります。

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  • 了源寺<br />立派な山門にはしめ縄と紙垂がありますが日蓮宗の寺院にはよく見かけます。

    了源寺
    立派な山門にはしめ縄と紙垂がありますが日蓮宗の寺院にはよく見かけます。

  • 日蓮宗 了源寺

    日蓮宗 了源寺

  • 了源寺<br />日蓮宗なので南無妙法蓮華経のお題目

    了源寺
    日蓮宗なので南無妙法蓮華経のお題目

  • 了源寺本堂<br />現在の本堂等は1752年(宝暦2年)に再建されたものである。

    了源寺本堂
    現在の本堂等は1752年(宝暦2年)に再建されたものである。

  • 了源寺の本堂前には水子地蔵尊と妙法福徳稲荷

    了源寺の本堂前には水子地蔵尊と妙法福徳稲荷

  • 了源寺<br />妙法福徳稲荷は鬼子母神の神を祀っているのです。<br />毎年2月28日には鬼子母神大祭大祈祷会が行われます。

    了源寺
    妙法福徳稲荷は鬼子母神の神を祀っているのです。
    毎年2月28日には鬼子母神大祭大祈祷会が行われます。

  • 了源寺<br />水子地蔵尊<br /><br />

    了源寺
    水子地蔵尊

  • 了源寺<br />水子地蔵尊の3人の子供さんがかわいい!

    了源寺
    水子地蔵尊の3人の子供さんがかわいい!

  • 了源寺の本堂前にもしめ縄と紙垂<br />しめ縄と紙垂は神社ではお決まりのアイテムですが日蓮宗の寺院寺院ではよく見ます。<br />紙垂の数について偶数は神社、奇数は日蓮宗だそうです。

    了源寺の本堂前にもしめ縄と紙垂
    しめ縄と紙垂は神社ではお決まりのアイテムですが日蓮宗の寺院寺院ではよく見ます。
    紙垂の数について偶数は神社、奇数は日蓮宗だそうです。

  • 了源寺本堂横からなの写真<br />寺院らしく日本の寺のイメージ通りの素晴らしい建築物です。

    了源寺本堂横からなの写真
    寺院らしく日本の寺のイメージ通りの素晴らしい建築物です。

  • 了源寺<br />裏手にある古墳(墳加瀬台4号墳)の横には無縁仏と思われる墓石が並べられています。<br /><br />古墳については別途編集しています。

    了源寺
    裏手にある古墳(墳加瀬台4号墳)の横には無縁仏と思われる墓石が並べられています。

    古墳については別途編集しています。

  • 了源寺<br />無縁仏と思われる墓石には寛文元年と読み取れます。西暦1661年

    了源寺
    無縁仏と思われる墓石には寛文元年と読み取れます。西暦1661年

  • 了源寺<br />無縁仏と思われる墓石

    了源寺
    無縁仏と思われる墓石

  • 了源寺<br />無縁仏と思われる墓石

    了源寺
    無縁仏と思われる墓石

  • 了源寺<br />無縁仏と思われる墓石には寛政元年 西暦1789年 です。<br /><br />無縁仏と思われる墓石も古墳も先人たちの墓なのです。

    了源寺
    無縁仏と思われる墓石には寛政元年 西暦1789年 です。

    無縁仏と思われる墓石も古墳も先人たちの墓なのです。

  • 次は了源寺の隣にある熊野神社

    次は了源寺の隣にある熊野神社

  • 熊野神社<br />浅間神社は,富士山麓のほか全国数多く散在する神社で、総本社は静岡県富士宮市宮町にあり平安時代の初期、大同元年(806年)に創建された。<br />当北加瀬浅間神社は、江戸時代文化元年(1804)に建立,広く当地周辺住民が安産の神として信仰を集めている。<br />社殿が老朽破損したため、現在の社殿は、昭和四十七年九月北加瀬氏子の方々の寄付金により再建されたものである。<br />新編武蔵風土記稿,熊野社の記述に続いて「この社に並びて富士浅間の社あり。<br />その処は小高くして富士山の形をなせり。<br />前に鳥居を立つ。<br />村内寿福寺の持」と記されている。<br />社殿に向かって左側に石塔が現存する。<br />石塔に向かって左側面には『寿福寺』右側面には、『文化元甲子年十一月吉日』<br />

    熊野神社
    浅間神社は,富士山麓のほか全国数多く散在する神社で、総本社は静岡県富士宮市宮町にあり平安時代の初期、大同元年(806年)に創建された。
    当北加瀬浅間神社は、江戸時代文化元年(1804)に建立,広く当地周辺住民が安産の神として信仰を集めている。
    社殿が老朽破損したため、現在の社殿は、昭和四十七年九月北加瀬氏子の方々の寄付金により再建されたものである。
    新編武蔵風土記稿,熊野社の記述に続いて「この社に並びて富士浅間の社あり。
    その処は小高くして富士山の形をなせり。
    前に鳥居を立つ。
    村内寿福寺の持」と記されている。
    社殿に向かって左側に石塔が現存する。
    石塔に向かって左側面には『寿福寺』右側面には、『文化元甲子年十一月吉日』

  • 熊野神社の拝殿

    熊野神社の拝殿

  • 熊野神社<br />拝殿の両サイドに社殿の両サイドに随身石像<br />結構男前に見えます。がありますが結構男前に見えます。

    熊野神社
    拝殿の両サイドに社殿の両サイドに随身石像
    結構男前に見えます。がありますが結構男前に見えます。

  • 熊野神社 随身社石像<br />

    熊野神社 随身社石像

  • 熊野神社<br />何の標でしょうか 大正15年の文字が見えます。

    熊野神社
    何の標でしょうか 大正15年の文字が見えます。

  • 熊野神社の本殿と拝殿

    熊野神社の本殿と拝殿

  • その横には熊野神社の社務所兼住居のようです。

    その横には熊野神社の社務所兼住居のようです。

  • 熊野神社の隣には浅間神社

    熊野神社の隣には浅間神社

  • 浅間神社<br />鳥居前で一礼して階段を上った頂に社があります。

    浅間神社
    鳥居前で一礼して階段を上った頂に社があります。

  • 浅間神社<br />何の案内もありませんが浅間神社は古墳(加瀬台6号墳)なのです。<br /><br />古墳については別途編集していますが案内版も標もないので敢えてここに記します。<br />少しで古墳に興味を持って頂くように敢えて記した次第です。

    浅間神社
    何の案内もありませんが浅間神社は古墳(加瀬台6号墳)なのです。

    古墳については別途編集していますが案内版も標もないので敢えてここに記します。
    少しで古墳に興味を持って頂くように敢えて記した次第です。

  • 浅間神社<br />頂部には祠の様な浅間神社

    浅間神社
    頂部には祠の様な浅間神社

  • 浅間神社由来<br />木花之佐久夜毘売命<br /><br />浅間神社は,富士山麓のほか全国数多く散在する神社で、総本社は静岡県富士宮市宮町にあり平安時代の初期、大同元年(806年)に創建された。<br />当北加瀬浅間神社は、江戸時代文化元年(1804)に建立,広く当地周辺住民が安産の神として信仰を集めている。<br />社殿が老朽破損したため、現在の社殿は、昭和四十七年九月北加瀬氏子の方々の寄付金により再建されたものである。<br />新編武蔵風土記稿,熊野社の記述に続いて「この社に並びて富士浅間の社あり。<br />その処は小高くして富士山の形をなせり。<br />前に鳥居を立つ。<br />村内寿福寺の持」と記されている。<br />社殿に向かって左側に石塔が現存する。<br />石塔に向かって左側面には『寿福寺』右側面には、『文化元甲子年十一月吉日』<br />

    浅間神社由来
    木花之佐久夜毘売命

    浅間神社は,富士山麓のほか全国数多く散在する神社で、総本社は静岡県富士宮市宮町にあり平安時代の初期、大同元年(806年)に創建された。
    当北加瀬浅間神社は、江戸時代文化元年(1804)に建立,広く当地周辺住民が安産の神として信仰を集めている。
    社殿が老朽破損したため、現在の社殿は、昭和四十七年九月北加瀬氏子の方々の寄付金により再建されたものである。
    新編武蔵風土記稿,熊野社の記述に続いて「この社に並びて富士浅間の社あり。
    その処は小高くして富士山の形をなせり。
    前に鳥居を立つ。
    村内寿福寺の持」と記されている。
    社殿に向かって左側に石塔が現存する。
    石塔に向かって左側面には『寿福寺』右側面には、『文化元甲子年十一月吉日』

  • 浅間神社の拝殿

    浅間神社の拝殿

  • その拝殿にはお母さんが子供を抱いているように見えます。<br />鳥居の前には安産祈願の神様と書いてある看板がありました。

    その拝殿にはお母さんが子供を抱いているように見えます。
    鳥居の前には安産祈願の神様と書いてある看板がありました。

  • 浅間神社<br />横には石塔があり『寿福寺』右側面には、『文化元甲子年十一月吉日』と記されています。

    浅間神社
    横には石塔があり『寿福寺』右側面には、『文化元甲子年十一月吉日』と記されています。

  • 富士浅間神社<br />先ほどは参道にいた猫<br />夢見ヶ崎動物公園にはネコ科の動物は飼育されていません。<br />爬虫類も飼育されてませんが動物たちがいエリアの外周に柵がないのでネコ科、爬虫類は万が一逃げてしまった場合のことを考えたのでしょう!<br />普通は動物たちがいるエリアは動物園と称されるのですが川崎市のHPでは一切動物園の文字はありません。<br />

    富士浅間神社
    先ほどは参道にいた猫
    夢見ヶ崎動物公園にはネコ科の動物は飼育されていません。
    爬虫類も飼育されてませんが動物たちがいエリアの外周に柵がないのでネコ科、爬虫類は万が一逃げてしまった場合のことを考えたのでしょう!
    普通は動物たちがいるエリアは動物園と称されるのですが川崎市のHPでは一切動物園の文字はありません。

  • 次は天照皇大神<br />浅間神社から天照皇大神へ向かいましたがこちらは参道の出口に当たる門となります。<br />

    次は天照皇大神
    浅間神社から天照皇大神へ向かいましたがこちらは参道の出口に当たる門となります。

  • 天照皇大神<br />私は知らずに逆行してしまいました。

    天照皇大神
    私は知らずに逆行してしまいました。

  • 天照皇大神<br />頂上部分には幾つかの境内舎がありました。<br />こちらは稲荷社

    天照皇大神
    頂上部分には幾つかの境内舎がありました。
    こちらは稲荷社

  • 天照皇大神<br />一番左がが石神社、弁才天社、浅間社、三峰神社<br />それにしても正月前なのにおみくじはいっぱい結ばれています。

    天照皇大神
    一番左がが石神社、弁才天社、浅間社、三峰神社
    それにしても正月前なのにおみくじはいっぱい結ばれています。

  • 天照皇大神<br />おみくじと絵馬

    天照皇大神
    おみくじと絵馬

  • 天照皇大神<br />左がが石神社、右が弁才天社

    天照皇大神
    左がが石神社、右が弁才天社

  • 天照皇大神<br />左がが浅間社、右が三峰神社

    天照皇大神
    左がが浅間社、右が三峰神社

  • 天照皇大神<br />拝殿はこれが神社の造りですと典型的な神社です。<br />伊勢神宮内宮正殿祭神である天照大神と荒祭宮祭神である撞榊厳魂天疎向津姫命(またの名瀬織津姫)が並祭される極めて希少な神社である。葉山町の神明社にも天照大神と撞榊厳魂天疎向津姫命が並祭されている。<br /><br />

    天照皇大神
    拝殿はこれが神社の造りですと典型的な神社です。
    伊勢神宮内宮正殿祭神である天照大神と荒祭宮祭神である撞榊厳魂天疎向津姫命(またの名瀬織津姫)が並祭される極めて希少な神社である。葉山町の神明社にも天照大神と撞榊厳魂天疎向津姫命が並祭されている。

  • 天照皇大神<br />拝殿前の鳥居

    天照皇大神
    拝殿前の鳥居

  • 天照皇大神<br />ここは社務所がある場所で、加瀬台古墳群7号墳の上に本殿があります。<br />ここも古墳なのですが一切古墳を示す案内板、標もありません。

    天照皇大神
    ここは社務所がある場所で、加瀬台古墳群7号墳の上に本殿があります。
    ここも古墳なのですが一切古墳を示す案内板、標もありません。

  • 天照皇大神<br />道灌・氏政公の由緒<br /> 太田道灌瑞祥の夢見<br />室町時代中期、築城に最適な地を求めてこの丘陵に登った太田道灌公が参篭し、その暁の夢に東北の空に延喜のよい丹頂鶴が舞うのを見て、その地に江戸城を築いたとの言い伝えがある。<br /><br /> 北条氏政公社殿を造営<br />戦国時代、当社は、関東一円に勢力を拡大しようとした小田原北条氏の祈願所となり、北条早雲公の曽孫の君は、当地に荘厳優美な八棟の社殿を造営し、毎月代参を派遣して月次祭を斎行したとのことです。

    天照皇大神
    道灌・氏政公の由緒
     太田道灌瑞祥の夢見
    室町時代中期、築城に最適な地を求めてこの丘陵に登った太田道灌公が参篭し、その暁の夢に東北の空に延喜のよい丹頂鶴が舞うのを見て、その地に江戸城を築いたとの言い伝えがある。

     北条氏政公社殿を造営
    戦国時代、当社は、関東一円に勢力を拡大しようとした小田原北条氏の祈願所となり、北条早雲公の曽孫の君は、当地に荘厳優美な八棟の社殿を造営し、毎月代参を派遣して月次祭を斎行したとのことです。

  • 天照皇大神<br />途中の鳥居

    天照皇大神
    途中の鳥居

  • 天照皇大神<br />真下にある参道入口で拝殿まではまっすぐです。<br />

    天照皇大神
    真下にある参道入口で拝殿まではまっすぐです。

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