2021/12/18 - 2021/12/18
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アルプ・グリュムさん
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夢見ケ崎動物公園を検索するとレッサーパンダばかりがヒットしますが古墳の宝庫でもあり4つの寺社もあるのです。
4トラのクチコミを拝見しても動物ばかりで古墳については殆んど記述がありません。
夢見ヶ崎動物公園の台地上には加瀬台古墳群と称して11基もの古墳や古墳と考えられる塚が築かれていましたが残念な事に加瀬台第3墳以外は川崎市の案内板、標が設置されていません。
よって、ほとんどの方は古墳とは分からずに通り過ぎているのが事実でとても残念です。
川崎市のHPを見ても既に消滅した白山古墳、第六天古墳と現存する第3号墳のみが説明されていますが他は全く記されていません。
私は加瀬台9号墳の前に設置されてある「夢見が崎動物公園周辺の古墳群」の案内板を頼りに周り、概要についてはWikを頼りました。
1号墳:消滅。台地の東端にあった。
2号墳:円墳?。
3号墳:7世紀後半。台地の南斜面に築かれて明確な墳丘を持たないが、複
室構造の胴張り横穴式石室がある。1951年(昭和26年)の発掘で
は木棺の釘や麻織物片・男性人骨片が出土[1]。
4号墳(了源寺古墳):5世紀前半。円墳。了源寺境内にある。1910年
(明治43年)に獣身鏡2面と鉄斧が出土。
5号墳:消滅。ラマ舎あたりにあった。
6号墳:円墳形だが、常滑焼の壺などが出土したので、古墳ではなく中世の
経塚と考えられている。上に浅間神社が鎮座する。
7号墳:円墳。墳丘上に天照皇大神が鎮座する。
8号墳:5世紀中頃。1991年(平成3年)から1994年(平成6年)にかけて
の発掘で1辺24メートルの方墳と判明。
9号墳:6世紀後半。円墳。石室がある。墳丘に太田道灌の碑がある。
白山古墳:消滅。4世紀後半頃に築かれた大形前方後円墳。全長87メート
ル。1937年(昭和12年)に発掘され、三角縁神獣鏡や玉、鉄などが
出土した。
第六天古墳:消滅。7世紀後半。円墳。1937年(昭和12年)に発掘され、
石室から勾玉や金銅製鈴、11体分の人骨が出土した。
以上はWikを引用
私は残されている7基の古墳を確認できましたが下調べを行わないで訪れると 3号墳しか確認できないと思います。
川崎市は個別の古墳に対しては案内板、標を設置していないのです。
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-
川崎駅西口から乗車したバスは夢見が崎動物公園で下車します。
-
夢見が崎公園までの道路に表示されています。
夢見が崎動物公園は以前は夢見が崎公園と呼ばれていましたが動物園が完成すると名称も夢見が崎動物公園と改称されました。
よって動物公園内の中に古墳が存在することになるのです。 -
夢見が崎動物公園の案内板にはレッサーパンダとペンギンが
-
少しずつ勾配に差し掛かる辺りのこのマンションには加瀬台1号墳がありました。
1号墳:消滅。台地の東端にあった。(Wikより)
理由は工場建設のための盛土用だそうですがこの辺りは旧国鉄の新鶴見操車場の職員住宅があったそうです。 -
その先の幸区日吉合同庁舎には南加瀬横穴墓群があった場所で、既に消失してしまいました。
加瀬台3号墳だけは案内板があるのですが他の古墳については一切案内板が
ありません。
折角川崎市の庁舎ですので「南加瀬横穴墓群」がここに案内板を設置してもおかしくないのですが? -
南加瀬貝塚
関東地方では珍しい弥生時代の貝塚だそうで、明治末期にはこの地から工場埋め立て用の土砂がここから使われました。(川崎市が設置した案内板より)
奥に貝を祀った祠が見えます。 -
祠の名は大清水権現堂
-
隣には祠がありましたが案内板の文字は擦れて読めませんでした。
歴史的な事項が記載されていたと思います。 -
夢見が崎動物公園の案内
古墳は夢見が崎動物公園の広範囲にあり、動物公園はその一角にあるのです。夢見ケ崎動物公園 動物園・水族館
-
広場に到着すると古墳に関する案内板を見つけました。
白山古墳 加瀬台7号古墳の案内板です!
実際にこの場所に古墳があった訳ではなく原寸大で表現されているだけですが多くの方が実際にここにあったと勘違いされているようで問題がある案内板です。
設置者の名が記されていないのも問題です。
白山古墳は後円墳で全長87m、後円部直径42m
加瀬台7号古墳は円形古墳で直径30m -
案内板の小さい文字を見ると
白山古墳 加瀬台7号古墳は公園周辺に築造れていたものです。
広場内に原寸大で表現されています。
本当に紛らわしい文章です。 -
丁寧に白山古墳の大きさを示す標を周囲に設置しているのですが実際にここに古墳があったと勘違いさせる標なのです。
Webで白山古墳を見ると多くの方が勘違いしているのが確認できます、 -
周囲にいろはにの順で標が設置されていますがこんな手間暇かけるのであれば加瀬台3号墳以外の古墳にも標を設置して頂きたい。
-
案内板に示されてあった加瀬台7号古墳を示す表示
加瀬台7号古墳(天照皇大神が建っている)は実際に夢見が崎動物公園内に実在する古墳ですが何故ここに改めて示す必要があるのでしょうか?
実在する加瀬台7号古墳には何の案内板も標もありません。 -
こんもりとした小高い山の前には幾つかの案内板が設置されています。
実はこの小高い山は加瀬台9号墳でなのですがこの古墳の標、案内板はありません。 -
大田道灌公碑と案内板
「此の地加瀬山にて江戸城を築かんと思索するが完成を見ず」
本来はこの地に江戸城を築く予定でしたが悪夢を見たため現在の東京に場所を変えたそうです。 -
夢見が崎動物公園周辺の古墳群
私はこの地図を見るまで標の場所に白山古墳が存在していると思っていました。
白山古墳が図示されていますが白山古墳は消失してしまったために点線で記されていいて場所も全く違う場所でした。
この場所もこの地図を見てこの小高い山が加瀬台9号墳であることが分かったのです。 -
加瀬台古墳群
歴史と発掘の様子が写真と共に説明されていますが白山古墳と第六天古墳についてのみです。 -
加瀬台9号墳全景
6世紀後半。円墳。石室がある(Wikより)
加瀬台9号墳はしっかりと全貌が残されています。 -
加瀬台9号墳
階段を登った頂上には祠がありますが発掘調査を行っているので先人に敬意を表して設置されたのだと思います -
加瀬台9号墳の標、案内板だと思いましたが違いました。
ここに加瀬台9号墳の標だけでも設置してください。 -
川崎市の慰霊塔
慰霊塔は古墳の様に人骨は葬れていませんが気持ちを表しています。 -
慰霊塔記
この慰霊塔は明治以降
幾多の戦争において護国
のために散萃された
戦没者並びに戦災死者
の霊を慰め かつその
冥福を祈るため建て
られたものである
われらは 諸霊のみ前
において戦争を阻止し
国際平和の実現と福祉
社會の建設に努力する
ことをお誓いする
昭和三十五年七月
川崎市長金刺不二太郎 -
川崎市の慰霊塔の裏側には加瀬台2号墳がありますが標示はありません。
-
加瀬台2号墳
7世紀後半。台地の南斜面に築かれて明確な墳丘を持たないが、複室構造の胴張り横穴式石室がある。1951年(昭和26年)の発掘では木棺の釘や麻織物片・男性人骨片が出土(Wikより) -
加瀬台2号墳
鹿島田のタワーマンションが見えます。 -
加瀬台2号墳
慰霊塔の裏側にあります。 -
次は加瀬台3号墳
個別の古墳に案内板が設置されてあるのは加瀬台3号墳だけです。
この案内板は「加瀬台」ではなく「加瀬山」となっています。 -
加瀬山第3号墳
夢見ヶ崎動物公園内に存在する加瀬山古墳群は、矢上川の東方、標高28m~32mの細長い独立台地上に位置しています。
昭和45年、神奈川県教育委員会が実施した墳丘調査では、円墳9基が確認されました。
そのなかの第3号墳は、7世紀後半に築かれた南方に入口をもつ横穴式石室墳です。昭和28年の発掘調査では、鉄釘、麻織断片、成人男子人骨片が発見されています。現在、石室は内部を補強し、保存してあります。
川崎市教育委員会 -
斜面の階段を下っていくと川崎市・日吉郷土史会の案内板と古墳が見えてききました。
こちらは「加瀬台」となっています。 -
加瀬台第3号墳
この古墳は7世紀中頃に築かれました。主体部は南側に入口をもち、玄室のまえに前室をもつ特異な構造で、複室構造の「横穴式石室」とよばれます。石室の石組みは、石に面取りの加工を施して積み重ねたもので、切石切組の手法によるものです。これは仏教の伝来にともなってあらわれた寺院建築の技術を取り入れたものでした。
昭和25年(1950)の調査では、人骨・鉄釘・麻織断片・須恵器小片が発見されました。
平成23年3月 川崎市・日吉郷土史会 -
加瀬山第3号墳
横穴式石室は頑固な鉄製の扉で中に入れないようになっていました。 -
中を覗くことは辛うじてできますが檻の中を撮影するのは大変です。
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石室の石組みは、石に面取りの加工を施して積み重ねたもので、切石切組の手法によるものだそうです。
実際の石室が見られるのは素晴らしいと思います。 -
次は日蓮宗の寺院の了源寺へ
了源寺の裏手には加瀬台4号墳があります。 -
4号墳(了源寺古墳):5世紀前半。円墳。了源寺境内にある。1910年(明治43年)に獣身鏡2面と鉄斧が出土。(Wikより)
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了源寺のここに古墳があることは本堂と社務所の裏側にあり墓地の横を通らねばならず下調べしないと辿り着けません。
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加瀬台4号墳の麓には多くの墓石が見られます。
多分無縁仏だと思いますが古墳そのものも多くは無縁仏の墓だと思います。 -
折角草を刈って手入れをされていますが外から簡単に見られないのが残念です。
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5号墳:消滅。ラマ舎あたりにあった。(Wikより)
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加瀬台5号墳はここにあったのかと思うと残念です。
ここに標だけでも設置して頂ければ大和時代、飛鳥時代の先人たちの息吹が聞こえてくる様でロマンを感じることが出来るのです。
そして、動物だけでなく古墳にも興味を持ってくれる方がいるはずです。 -
熊野神社の横にあるのが加瀬台6号墳です。
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加瀬台6号墳を横から見ると古墳だと分りません。
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加瀬台6号墳
円墳形だが、常滑焼の壺などが出土したので、古墳ではなく中世の経塚と考えられている。上に浅間神社が鎮座する(Wikより) -
加瀬台6号墳の浅間神社
初詣安産の神様 富士浅間神社 -
加瀬台6号墳を上から臨んでいます。
道路を挟んだところには動物園の鹿がいます。 -
次は加瀬台7号墳
円墳。墳丘上に天照皇大神が鎮座する。(Wikより) -
加瀬台7号墳
天照皇大神が鎮座しているので円墳だと理解できます。 -
加瀬台7号墳
横から見ています。
ところで先ほどの広場で実物大の大きさが表現されていましたが実際に実在する古墳がここにあるのに何故敢えて無意味なことをしているのでしょうか理解できません。
この場所に標、案内板を設置すれば全く問題がないのに! -
次は加瀬台8号墳
5世紀中頃。1991年(平成3年)から1994年(平成6年)にかけての発掘で1辺24メートルの方墳と判明(Wikより)
ですが場所が分かりません! -
加瀬台8号墳
1辺24メートルの方墳であればすぐに分かりそうですがさっぱり分りません? -
加瀬台8号墳
方墳であればピラミッドを想像するのですが? -
加瀬台8号墳
案内標だと思いましたが全く別物で川崎市は何故こんな紛らわしいことをするのか理解できません。
結局加瀬台8号墳に関しては確認できませんでした。 -
最後は夢見ケ崎動物公園の唯一の展望台へ
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展望台には二つの案内板が設置されていて一つが展望風景、もう一つが白山古墳に関する案内板です。
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展望台からは富士山が良く見えました。
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その一つは白山古墳と秋草文壺についても案内です。
秋草文壺は白山古墳の後円部下側から、昭和17(1942)年の土取り工事中に偶然発見されました。完全な形で掘り出された壺です。
この白山古墳と秋草文壺(だけは)は川崎市のHPで詳しく説明されています。 -
展望台のこのベンチは円墳と方墳を模したものだそうです。
知らない方はだだの正方形、円形のベンチだと思います、私も案内板がに記述されてあったのでそうかと納得しましたが。 -
夢見ケ崎動物公園案内図
当たり前ですが古墳に関する地図は記されていません。
(本当は古墳も表記して頂きたい) -
加瀬台9号墳の前に設置されてあった「夢見が崎動物公園周辺の古墳群」の案内板をの地図を頼りに斜面を降りましたが夢見が崎横穴群(現存)は見つかりませんでした。
Wikにもこの現存する夢見が崎横穴群は記載されていいませんでした。
現存と分かっているならば何か参考になる資料があったはずですで図書館で調べるしかないかな! -
加瀬山第3号墳と同じように入口に鉄製の扉があると思っていましたが残念です。
改めて川崎市に各古墳毎の案内板を設置してほしいと思います、動物にしか興味がなかった方も古墳に興味を持つかも知れません。 -
折角夢見ケ崎動物公園を下りたので西側にある白山古墳があった場所へ向かいます。
-
場所は北加瀬熊野台公園
-
この公園入口には秋草文壺
「近くから秋草文壺が出土されました」と記されています。 -
そして白山古墳があった場所へ
樹木が案内板を囲んでいたので手でどかしました。 -
この近くに市内前方後円墳の白山古墳があった。
昭和12年の発掘調査で三角縁神獣鏡などの副葬品が出土した。
戦前川崎に進出した工場用地の盛土用と削られほぼ全滅した。 -
加瀬山は、鶴見(矢上)川と多摩川の沃野に浮かぶ独立丘陵である。山裾にあった前方後円墳は、県下最大規模の古墳であり、その後山腹の随所に円墳や横穴墓が築かれ、また、国宝となった秋草文壺の蔵骨器や、来世往生を願う経塚や社寺が造営され、一山は地域の人々に「聖なる山」として畏敬された。
北加瀬熊野神社は社伝によれば、1582年戦国大名北条氏直により、この聖地に創建された。
紀州半島(和歌山県)に鎮座の熊野三山は、御師や比丘尼など布教師の活躍で、東国各地に分霊が勧請され、神の死と復活のドラマは大衆に歓迎された。
加瀬山が熊野台と称されるのは、当社に由来するのである。 -
実際この公園よりもう少し西側に白山古墳があったはずですが案内板の設置する場所がこの場所しかなかったと察します。
多少場所が違っても案内板があったので良しとします。
消滅。4世紀後半頃に築かれた大形前方後円墳。全長87メートル。1937年(昭和12年)に発掘され、三角縁神獣鏡や玉、鉄などが出土した(Wikより)
更に西側には第六天古墳がありましたが既に消失してしまいました。
消滅。7世紀後半。円墳。1937年(昭和12年)に発掘され、石室から勾玉や金銅製鈴、11体分の人骨が出土した(Wikより) -
新川崎駅から見た夢見ケ崎動物公園
古墳めぐり?を堪能したので新川崎駅へ向かいます。
新川崎駅から見た夢見が崎動物公園全景ですが、もし大田道灌が夢を見なかったら今頃は江戸城ならぬ加瀬城が築城されていたかもしれません。
夢と浪漫に満ち溢れた夢見が崎動物公園でした。 -
新川崎駅
私は古墳の虜になってしまったので新川崎駅から武蔵小杉経由で東急東横線に乗り換て多摩川駅へ向かいます。
多摩川駅周辺には亀甲山古墳、多摩川台古墳群、宝萊山古墳があるので楽しみです。 -
最後に川崎市への要望です(私のひとり言)
この写真は大田区の多摩川台古墳群の標ですが各古墳に設置してあります。川崎市も同様な標の設置を強く要望すると同時に古墳展示室の設置も要望します。
大田区が出來て川崎市はできなのでしょうか? 川崎市教育委員会の方も一度多摩川台古墳群、亀甲山古墳、宝莱山古墳と多摩川台公園にある古墳展示室に社会見学をお勧めしたいと思います。
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