2021/12/13 - 2021/12/13
95位(同エリア463件中)
玄白さん
ようやくコロナ禍が落ち着きつつあるので、半ば思いつきで冬の日本海のうまいモン(寒ブリ、のどぐろ、紅ズワイガニなど)が食べたいと思い、富山県まで遠征。好きな風景写真撮影スポットも欠かせないので、選んだ行先は、雨晴海岸と五箇山の合掌造り集落だ。雨晴海岸の狙いは、初冬の気嵐と海越しの雪を被った立山連峰の撮影だが、そうそうそんな絶景にはお目にかかれないだろうと、2泊の計画を立てた。ところが旅行数日前の天気予報では、旅行中はずっと雨か曇りという。それでは2日間も雨晴にいてもしようがないということで1泊は金沢に変更したのだった。ところが旅行3日目は予報が変わって快晴! 初日の雨晴海岸での撮影ができなかったので、急遽、金沢から車を飛ばして、早朝の雨晴海岸の撮影へ。
ともかく、今回の旅は、天気予報に振り回された旅行だった。
富山の旅2日目も昨日から雨が止まず、雨晴海岸での撮影は断念。やむを得ず、五箇山と白川郷の合掌造り集落の見学に出かけた。雨の中で集落を散策するのは、いささかうっとうしいと思いながら車を進めると、五箇山がある山間部に入るとなんと雪に変わってきた。思いがけず、雪景色の合掌集落というフォトジェニックな風景に巡り合えた。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
雨晴の民宿「女岩荘」を8時半にチェックアウトし、一般道(県道243号→国道304号)を五箇山に向かう。東海北陸道を使えば20分ほどの時間短縮になるが、急ぐ旅ではないので、高速料金を節約してのんびり向かう。
平野部では雨だったが、山間部に入ると雪になった。10時に五箇山相倉集落のはずれにある駐車場に到着。駐車場には他に一台の車が止まっているだけ。
辺りの木々はあたかも霧氷のような雪がついている。 -
イチオシ
駐車場脇から段々畑を5分ほど登っていくと集落全体を見下ろす展望台がある。
-
モノトーンの世界なので、モノクロモードでも撮影してみた。
-
時折、雪の降り方が激しくなる。
-
葉を落とした木々は霧氷のような雪が付着し、白い花をつけたよう。
-
展望台を降りて、集落の中を散策。家々は雪囲いをしてこれから豪雪の冬を迎える準備ができている。背後の山は霧のような雪雲が漂っている。
-
集落の所々にある残り柿が、モノクロの世界のなかで彩りを添えている。
-
イチオシ
柿は茅葺屋根の古民家によく似合う。これぞ日本昔話で語られるような日本の原風景と言える。
-
しつこく、残り柿を狙う。ヘタの部分が雪を被った残り柿をアップで撮りたかったが、私有地の中なので近づくことができない。
-
相倉集落には20軒の合掌造り民家が残っている。いずれも江戸時代末期から明治にかけて作られた家である。この家の前にわずかな水田があるが、集落の中の水田もまたわずかしかない。そのため、米作での生計は成り立たず、主な生業としては養蚕であった。
-
もう一つ、五箇山の集落の特殊な生業として、煙硝作りがあった。煙硝とは黒色火薬の原料である。黒色火薬は、硝石(硝酸カリウム)、硫黄、木炭を混ぜた最も古い火薬で、中国で6,7世紀に発明されたという。19世紀にダイナマイト、無煙火薬が発明されるまで、長い間唯一の爆薬、銃の弾丸発射薬として利用されてきた。
-
イチオシ
日本では鉱物資源としての硝石がなく、それに代わるものとして煙硝が使われてきた。その作り方は以下のようなものである。
①囲炉裏の炉端の両側に長さ3.6m,幅90cm、深さ1.8mの溝を掘り、その中に蚕や鶏の糞を混ぜた土、そば殻やヨモギなどの山野草、人尿、土を何層にも重ね、囲炉裏の熱で4,5年かけて発酵させる。
②これを水に溶かして濾過し、釜で煮詰める。さらに木灰を加えて濾過し煮詰めて濾過液を結晶化させる。これが煙硝である。
要は、糞や尿中のアンモニアと植物に含まれるカリウムを土中の微生物による発酵を利用して硝酸カリウムを作り出す化学プロセスなのである。
(参考文献 室屋長兵衛 発酵王国ほくりく https://www.yamagen-jouzou.com/murocho/hakkou/hakkou11.html) -
合掌造りの屋根の葺き替えで出た萱は蚕のエサの桑の肥料となり、蚕の繭から作られる生糸だけでなく、蚕の糞が煙硝作りに利用される。資源を浪費する大量消費社会からSDGsに代表される循環型社会への転換が叫ばれているが、はるか昔からそれを実践し、しかも鉱物の硝石の代替として発酵技術により生産するという化学の知識を持った五箇山の人々に感嘆、脱帽せざるを得ない。
-
煙硝生産は加賀藩直轄の事業として徳川幕府に内密にして300年間続いた極秘プロジェクトだった。人里離れた秘境の五箇山は、格好の煙硝生産拠点だったのである。なお、加賀藩では煙硝ではなく、塩硝と記していた。これも幕府を欺くためだったのかもしれない。
煙硝は人力あるいは牛によって、険しい山道を通って金沢に運ばれ黒色火薬が製造された。その運搬ルートは、地図に記載されることなく限られた人間しか知らない道だった。
しかし、明治中頃にチリ硝石が輸入されるようになって、五箇山の煙硝作りは廃れてしまった。 -
昔懐かしい赤い郵便ポスト。モノトーンの風景の中で鮮やかな色彩が際立っている
-
もう一枚
-
刈り取られた稲に生えてきたヒコバエ。これも若々しいグリーンの色彩のアクセントになっている
-
ストロボを光らせると雪をもっと目立たせることができるのだが、今回は内蔵ストロボがあるカメラは持ってこなかったし、外付けストロボは持っていない。まさか、雪景色に出会えるとは思っていなかったのである。
-
五箇山の合掌造り集落は白川郷とともに世界文化遺産に登録されている。また国指定の史跡でもある。ただ、白川郷に比べると知名度が低いせいか、この日訪れている観光客は数えるほどだった。このあと、白川郷も訪れたのだが、そちらは大勢の観光客がいた。観光バスで来た団体客もいるほど。逆に言えば、白川郷はすっかり観光地してしまっているが、五箇山は素朴な日本の原風景が守られているともいえる。
-
2階部分の明かり取りの窓。合掌造り家屋は2階以上が養蚕の場となっている。
養蚕と煙硝作りという生産工場でもあり、居住空間でもある合掌造り住居だ。 -
またまた残り柿と雪の綿帽子を被った街灯をアクセントに、合掌造りの屋根をパチリ
-
雪はしんしんと降っているが、昨夜から今期初めて降ったらしく、根雪になるほどの降雪量ではない。明日、天気が良ければ、おそらく消えてしまう雪だろう。
雨晴海岸での撮影を台無しにした雨が、ここでは思いがけずの素晴らしい風景を見せてくれたのである。 -
わずかばかりの段々畑。畑の脇にも残り柿
-
最大限にズームアップして雪を被った柿をアップで
五箇山には相倉集落のほかに菅沼という合掌造り民家がある集落がある。そちらは合掌造り民家は8軒なのでパスして白川郷に向かう。およそ30km、国道156号を40分ほののドライブである。
岐阜県に入ると道路の雪は消えていた。 -
白川郷の集落入り口に脇本という蕎麦屋が、客引きをやっていた。”うちの店で蕎麦を食べれば、店の駐車場にただで車を停めて、集落内を見学できるよ”という誘いに乗って、ここで昼食をとることになった。もっと先に、集落を見学する観光客向けに広い駐車場があるのだが、駐車料金¥500が必要なので、ついけちけち根性丸出しで誘いにのってしまったのである。だが、冷静に考えると蕎麦の値段に駐車料金が含まれているような値付けではあったが、特に決めていた食事処はないので、まあいいか。
蕎麦は、皮まで引いた藪蕎麦だが、通常の藪蕎麦よりさらに黒い。店では玄蕎麦と言っている。皮が黒い品種の蕎麦を使っているのかもしれない。 -
観光案内所が併設された広い駐車場が庄川をはさんで集落の反対側にある。そこから吊り橋を渡って合掌造り集落に入る。この橋、であい橋と名付けられている。
-
周囲の山の中腹まで積雪があるが、集落には積雪はない。雪の有無で、五箇山とは風情が全く違う。
-
白川郷には大小100軒ほど合掌造りがあり、集落の規模としては五箇山よりずっと大きい。住居以外の土地はほとんど水田になっている。
-
合掌造りの特徴は、急勾配の茅葺の屋根と2階、3階建てで、一階が住居、2階より上が養蚕のスペースになっていることである。ただ、窓の配置は家の大小によっても異なる。
-
集落は南北に細長い土地である。東側に明善寺という浄土真宗の寺がある。その鐘楼門である。1801年築造だという。
-
鐘楼の奥の本堂。本尊は阿弥陀如来だが、扉が占められており、拝観はできなかった。1827年建立だという。
鐘楼門も本堂も合掌造りというのが面白い。 -
大きな合掌造り。地酒と民芸品を売る土産物屋である。白川郷では、全部ではないが、かなりの家が土産物屋、民宿、食事処を営んでいる。五箇山相倉集落は2軒の土産物屋しかないのと対照的である。かつては稲作と養蚕が生業だったのだろうが、現在では観光業もかなりの割合になっているのだろう。世界文化遺産に登録されてからますます観光業のウェイトが大きくなっているものと想像する。
-
水田越しの合掌造り民家
-
またまた残り柿登場(笑)
-
イチオシ
たわわに実った柿。今年は全国的に柿は豊作だったらしい。
-
別の家の庭にも柿木
-
茅葺屋根をバックにして
-
集落のはずれの林の中にも道が付けられている、道端には拾われることもなく、転がっている栗の実。
-
ちょっと枝ぶりが変わった柿
-
水田への映り込み
-
集落の北のはずれに和田家という合掌造りの家がある。この家は、入場料\300を払って家の内部を見学できる。1573年から続く名家で、現在国指定重要文化財に指定されている。江戸時代には庄屋として名字帯刀も許されていたという。五箇山と同じく白川郷でも煙硝を作っており、その取引きで蓄財したらしい。いつの時代も経済格差は存在していた。
写真は、和田家の仏壇。豪華な仏壇が、豪農であったことの証である。 -
2階の隅には、味噌樽、桶などかつての生活道具が保管・展示されている。
-
2階の窓から集落の南側を望む
-
合掌造りの屋根を内部から見たところ。釘を全く使わずに作られている。屋根の葺き替えの時は、村人総出で作業が行われる。いつぞや、TVで屋根の葺き替えの様子を放映していたが、なかなか壮観だったことを記憶している。ただ、最近では葺き替え用の萱を集めるのに苦労しているというような問題提起もあった。
-
イチオシ
またまた田んぼへの映り込みをパチリ。傘をさして歩いているのは連れ合いである。
和田家の近くにバス停があって、展望台まで連れてってくれるバスが出ているので、展望台に行ってみた。(バス代\200)
歩いても20分ほどで行けるのだが、急坂を上らなくてはならない。 -
イチオシ
展望台からの眺め。ポスターやパンフレットに使われる定番の構図である。一番手前の大きな合掌造りが先ほど見学した和田家である。
-
田んぼの中にポツンの一棟の合掌造り。農機具の保管小屋かな?
-
集落全体と周辺の山裾まで入れて撮影。
帰りは徒歩で坂道下って再び集落の中へ。 -
柿を見るとつい、シャッターを押してしまう。
-
小さな納屋も合掌造り
-
なにか云われがありそうな3つの石碑
-
ほぼ、見学を終わり蕎麦屋の駐車場に戻る時間になったが、最後に集落の最南端に、風景写真家が好んで撮影する、通称三つ子の合掌造りまで行ってみた。雪が積もり、暗くなって窓に明かりが灯ると幻想的な写真になるのである。
-
三つ子の合掌造りを斜めから背後の雪煙が舞う山を入れて。
この後は東海北陸道で急遽予定変更した金沢の宿に向かう。
白川郷は集落の規模が大きく観光客も多く見どころもたくさんあるのだが、偶然にも雪が降るなかで散策した五箇山相倉集落の方が観光ずれしていなく、印象深かった。
続く
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
五箇山周辺(富山) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
53