2021/12/12 - 2021/12/12
23位(同エリア118件中)
玄白さん
ようやくコロナ禍が落ち着きつつあるので、半ば思いつきで冬の日本海のうまいモン(寒ブリ、のどぐろ、紅ズワイガニなど)が食べたいと思い、富山県まで遠征。好きな風景写真撮影スポットも欠かせないので、選んだ行先は、雨晴海岸と五箇山の合掌造り集落だ。雨晴海岸の狙いは、初冬の気嵐と海越しの雪を被った立山連峰の撮影だが、そうそうそんな絶景にはお目にかかれないだろうと、2泊の計画を立てた。ところが旅行数日前の天気予報では、旅行中はずっと雨か曇りという。それでは2日間も雨晴にいてもしようがないということで1泊は金沢に変更したのだった。ところが旅行3日目は予報が変わって快晴! 初日の雨晴海岸での撮影ができなかったので、急遽、金沢から車を飛ばして、早朝の雨晴海岸の撮影へ。
ともかく、今回の旅は、天気予報に振り回された旅行だった。
まずは、プロローグとして、初日の移動日の午後、雨晴海岸に行く前に立ち寄った射水市の海王丸パークの紹介から。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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イチオシ
我が家から最初の目的地、射水市海王丸パークまでは東北道、北関東道、関越道、上信越道、北陸道と乗り継いで440km、途中の休憩時間を含めれば6時間超のロングドライブである。移動だけで一日を費やしたくないので、自宅を早朝五時に出発。
途中、佐久平PAで休憩。早朝、佐久の盆地に朝霧が漂い、彼方の北アルプスは朝日に照らされてモルゲンロート! -
長距離運転でいささかくたびれたので北陸道に入ってから最初のSA、名立谷浜SAで、連れ合いと運転を交代。しばし、助手席でくつろぎながら、やがて左手に見えてきた冠雪の立山連峰を撮影。
天気予報では曇りとなっていたが、まだ立山連峰上空は晴れている。 -
イチオシ
小杉ICを降りたところで、再び運転手交代。
11時前に射水市にある海王丸パークに到着。昭和5年から商船学校の練習船として活躍してきた帆船、海王丸が現役引退後、この地で停泊させ歴史海洋博物館として余生を送っている。近現代の船は石炭による蒸気船から重油のエンジンによる操船と機械化されているにも関わらず、練習船が帆船であるというのは、風や波といった自然の力、ある時はその脅威を身をもって体感し、操船の勘を養うことが重要だということだという。 -
白い船体と朱色のマストが優美な帆船、彼方には北アルプス立山連峰がそびえるという一幅の絵画のような景色が広がっている。
あいにく天気予報通り、上空の雲が分厚くなってきたが、かろうじてまだ立山連峰は見えている。 -
すぐ近くには、富山新港に架かる新湊大橋が望める。
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入場料\400で、海洋博物館としての海王丸に乗船してみた。
自由に回れるわけではなく、順路が決められている。最初は、練習生の居室入り口のドア。豪華客船というわけにはいかないが、趣のある木造の内装である。 -
帆船とはいえ、現代の船なので当然エンジンも搭載している。ここはエンジン走行の際に使われる操舵室。
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船の操舵に重要なコンパス
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4本のマストに29枚の帆を張って帆走する船である。帆の総面積は畳1245畳分、メインマストの高さは海面から46mあるという。年に10回、総帆展帆が行われる。総帆展帆では、さぞ見ごたえがある優美な船の姿が出現するだろう。
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重さ30tの巨大な錨。甲板前方左右に一つずつ設置されている。これほどの重量でも台風のような強風の時は引きずられて船を停泊させることはできないのだそうだ。実際、2004年10月には、富山湾を襲った台風で、海王丸は流され、富山新港の防波堤の消波ブロックに座礁するという事故が起きている。
余談だが、錨は碇とも書く。これは古代の船では碇は穴をあけた石にロープを通したものを錨として使っていた。石で船を定着させることから碇という文字が生まれたという。 -
船首に突き出たバウスプリットというマスト。前部のフォアマストをワイヤーロープで支え、帆走時のバランスをとるヘッドセイルを張るマストである。海王丸では安全ネットが張られているが、一般にはネットはなく、船員はバウスプリット上で危険な作業を伴うので、Widow Maker(未亡人製造装置)と揶揄されているらしい。
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実習生の居室。狭い空間の2段ベッドである
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上甲板から最上甲板に上がる階段。映画「タイタニック」の一シーンを思い出す。そんな豪華な階段ではないが・・・
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診察室&病室。長期の実習航海では、ケガや体調不良を訴える乗組員や実習生は必ず出るので、必須の設備である。
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「愛むすび・愛鍵」の部屋。海王丸パークが「恋人の聖地」に選ばれた記念に何かの部屋を改造してカップル観光客寄せにしつらえられたようだ。
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乗船記念にカップルに鍵をぶら下げてもらうという、よくありがちな仕掛けであるが、船乗りを鍛えるための厳しくも崇高な使命を帯びた練習船には、ふさわしくなく、違和感をおぼえるのだが・・・・
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調理室。実習生182名、船長、航海士、機関士など乗組員17名、最大199人分の3食を、ここで賄う。
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献立表。昭和9年と48年の比較。昭和9年当時の朝食は味噌汁と梅干、たくあんというワンパターンだが、昼食、夕食まで含めれば当時の一般家庭の食事よりずいぶん恵まれたメニューではなかろうか。
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船長公室。航海士からの報告を受けたり、来客との面談に使われた部屋である。
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士官サロン。乗組員たちの食事や会議の部屋として使われていた。テーブルの枠は上下に可動できて、海が荒れたとき食器が落下しないようになっている。
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救命ボート。当然だが、最大の乗員人数が乗れるだけの数が用意されている。タイタニックとは違う。
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海王丸は優美な姿から海の貴婦人と呼ばれている。毎日夕方から夜10時までライトアップされ、昼間とは違う美しさが見られるのだが、今回は計画上、夜の撮影をするチャンスはない。
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海王丸の見学を終えてから、近くの海鮮市場「きっときと市場」をのぞいてみた。富山を代表する海鮮の一つ、紅ズワイガニを昼間にセリを行う昼セリを見学しようというのである。ところが、あいにくこの日は日曜日でセリは行われない。残念!
「きっときと」或いは「きときと」というのは、富山の方言で、新鮮な、とか精力的、元気なという意味で使われる。海鮮料理の店の名前に使われたりすることが多い。富山の空港名も「富山きときと空港」である。 -
紅ズワイガニの昼セリが見学できなかったので、きっときと市場内のシーフードの店のカニを一枚パチリ
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海鮮料理のレストラン、すし店などが入っているのだが、どうもこれといった店がない。事前にチェックしておいた道の駅カモンパーク新湊に入っているレストランが良さそうなので、そちらに移動。車で10分ほどのところにある。
人気が高く地元の人も多い。20分ほどの待ち行列だった。
オーダーしたのは、「富山湾御膳」。カニわっぱめしをメインに、かにの天ぷら、茶碗蒸し、かにの味噌汁、カニみそ、茹でカニと、カニ尽くしのランチ。
紅ズワイガニはズワイガニより味が落ちるとも言われているが、なかなかどうして、本場で味わう紅ズワイガニは美味である。 -
イチオシ
雨晴海岸は、ここからさほど時間はかからない。午後の時間はたっぷりあるので、海王丸パークの近くの新湊大橋に行ってみた。
富山新港に架かる総延長はアプローチ部分も含めて3.6km、海上にかかる主橋梁部分が600m、主塔の高さは127mとい日本海側最大級の斜張橋である。 -
車道の下に歩行者、自転車用の通路があり、橋の上から立山連峰、能登半島を望む雄大な眺望が楽しめる。あいにく雨が降りはじめ、そんな眺望は見えないが、ここまで来たので橋の上に登ってみる。
「あいの風プロムナード」いう愛称の歩行者通路の入り口で、エレベータで橋の上に上がれる。駐車場がすぐそばにあるので、雨に降られても大丈夫である。
ちなみに「あいの風」とは、夏の日本海の沖から吹く穏やかな風のことである。 -
あいの風プロムナード。こんな天気のせいか観光客はいないが、地元の人が犬の散歩をさせていた。
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晴れて立山連峰が見えれば、パネルに書かれた山の名前と見比べて山座同定が楽しめるのだが、あいにく雲に隠れて見えない。
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立山連峰や能登半島は見えないが、となりの海王丸パークは見える。
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全長480mのあいの風プロムナードの中間点。2つの主塔の両側にエレベータが設置されている。東京港のレインボーブリッジも歩行者が歩けるようになっているが、ただただ観光のためだけであるが、こちらは富山新港を歩いて横断できる生活道路の役割も担っているのがGoodである。
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近くの越の潟に行ってみた。ここは、富山新港の対岸に渡る県営の渡し船の発着所がある。富山新港開設により、対岸の堀岡地区と越の潟を結ぶ道路と市電富山地方鉄道射水線が寸断されたため、住民の足として、昭和42年に県営渡し船の運航が始まった。当初は地元住民の足として地元住民無料優待券があったが、今では誰でも無料で乗船できるようになった。対岸まで5分の船旅で一日13時間45分、69便が運航されている。
新湊大橋の歩行者通路が開設されても、この渡し船の役割は終わっていない。新湊大橋は歩行者と自転車に限られるが、渡し船は原付も乗船できるという。 -
ちょうど、かつての射水線、今は高岡側の地方鉄道として万葉線という名前を変えた路線の電車が入ってきた。
高岡は奈良時代、万葉集の歌人、大伴家持が5年間、越中国守という役人として高岡に滞在し、その間に詠んだ歌が、家持の473首のうち半数近くを高岡滞在中に詠んだものとされている。そのため、高岡は万葉集との縁が深く、鉄道の名前にも使われているのである。 -
イチオシ
電車はこの付近は専用の線路を走っているが、高岡市内に入ると道路の中を走る路面電車となる。所々に電車の停留所が道路上に設けられているので、片側2車線の道路も実質1車線しか使われず、交通渋滞の原因にもなりかねない。そんなことから昔はちょっと大きな都市には必ずあった路面電車は、モータリゼーション発展とともに次々と廃止になり、今では鹿児島、長崎、広島、松山、札幌、函館など17都市にしか残っていない。玄白が学生時代に住んでいた仙台も、当時は路面電車が走っていたが、間もなく廃止された。
ところがである、今玄白が住んでいる宇都宮市は、新たに数百億円を投じて市電を通そうという計画が進行中で2023年に開業予定である。計画にあたっては、富山県の地方鉄道を参考にしたらしいが、富山はもともとあった軌道を再利用して成功しているのであって大金を投資して整備したものではない。いまさら時代に逆行して路面電車を走らせるという愚策に対して多くの市民の反対があり、住民投票を求める請願活動も行われたが、市はそういう声に応えることなく強引に計画を推し進めているのである。 -
車体は、はでなラッピングが施されている
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さて、そろそろ雨晴に向かう。撮影ポイントの雨晴海岸を雨の中、ロケハン。雨で立山連峰は見えず、絵にはならないので、一度もシャッターを切ることなく、今宵の宿「民宿 女岩荘」にチェックイン。
新鮮な魚介料理を安く楽しむのが目的なので、こじゃれたホテルより民宿に限る、これが我が家のポリシーである。 -
富山湾の新鮮なシーフードが満喫できる宿である。雨が降りしきっているのでチェックイン後は外を散策することもなく、ひたすら夕食の時間を待つ。
新鮮な魚介の数々に大満足。刺身は寒ブリ、イカ、ヒラメ、タラのコブじめ、白エビ。白エビの旬は11月で終わりなので、冷凍ものかもしれないが、初めて味わう白エビの刺身は甘エビより甘い味がした。寒ブリの刺身は、身が引き締まっていて、普段スーパーで売っているブリとは別の魚と思わせるほどの美味である。
ほかにもブリ大根、カニ飯、白子の天ぷら、あん肝などなど・・・食べきれないと思うほどの品数だが、2人とも完食した。 -
メインは寒ブリのしゃぶしゃぶ。しゃぶしゃぶにすることで、余分な脂が落ち、いくらでも食べられる。奥の皿は、しゃぶしゃぶ用の氷見牛と締めの氷見うどん。
玄白の生まれ育ったのは焼津、同じく漁業と海鮮料理の町で、シーフード大好き人間である。しかし、日本海の荒波に鍛えられた北陸の魚介は、温暖で軟弱な(?)駿河湾の魚介を凌ぐ味であった。 -
朝食の御膳。イカのみそ焼きのような料理がなんとも不思議な良い味がした。どんな調味料をつかっているのか宿の主人に聞いたが教えられないと断られてしまった。レシピが分かれば自分でも作ってみようと思ったのだが・・・
氷見の湯豆腐も大豆の味が濃く美味であった。氷見は、豆腐がうまいことでも知られているらしい。
2日目も朝から雨。雨晴海岸での撮影はあきらめ、五箇山と白川郷の合掌造り集落を巡ることにした。
続編「富山、素晴らしき風景とグルメを楽しむ旅その2 ~合掌造り集落を巡る~」に続く
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