2019/03/09 - 2019/03/09
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ローマ人さん
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名古屋ウイメンズマラソンは、日本で唯一の女性限定の市民参加型マラソン大会で、新型コロナウイルス禍の中にあっても2020年こそは一般ランナーは参加できなかったものの2021年は感染対策をして開催、2022年は3月13日(日)に開催予定のようです。
私の妻は、現在の大会名に変わった2012年からほぼ毎年参加していましたが、加齢もあってか、もうフルマラソンを完走するのは難しいと弱音を吐いています。
今年は申し込みをしなかったようですが、再び参加する機会が訪れるのでしょうか。
この旅行記は、まだ新型コロナウイルス感染症の流行など想像だにしていなかった2019年の大会に参加する妻に同行して名古屋の寺社巡りをした時のものです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 新幹線 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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今回は東京駅から出発。
のぞみ207号8:00発新大阪行きに乗車して名古屋駅に向かいます。東京駅 駅
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乗車する車両が入線してきました。
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天気が良くて富士山がきれいに見えました。
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名古屋駅に到着。
ホテルに荷物を預けて寺社巡りに出かけます。
先ずは大須観音にお参りします。名古屋駅 駅
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地下鉄東山線から伏見駅で鶴舞線に乗り換えて大須駅で下車。
名古屋駅からわずかに2駅です。
2番出入口から地上に上がると直ぐに大須観音です。 -
西門から境内に入りました。
中央に見えるのが、大須観音の本堂「大悲殿」です。
御本尊の聖観世音菩薩をお奉りしています。 -
正式名称を「北野山真福寺寶生院(きたのさんしんぷくじほうしょういん)という真言宗智山派の別格本山の寺院ですが、一般には大須観音の俗称で知られています。
東京の浅草観音(金龍山浅草寺)、三重の津観音(恵日山観音寺)と並んで日本三大観音といわれているそうです。
歴史は古く、元弘3(1333)年に能信上人が創建した真福寺が前身で、もとは岐阜県に建てられていましたが、徳川家康によって現在地に移され大須という地名の由来にもなったそうです。
現在の建物は昭和45(1970)年に再建されたものです。大須観音(寶生院) 寺・神社・教会
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鐘楼です。
昭和41(1966)年、よい子たちの成長を祈る「母の愛」の鐘として、地元婦人会を中心に女人のみの寄進で鋳造された「華精の鐘(女人梵鐘)」と呼ばれる鐘が吊られています。 -
仁王門です。
門の左右に仁王像が奉安されています。 -
御朱印をいただきました。
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次は、織田家の菩提寺の萬松寺にお参りします。
大須観音脇にある大須観音通りを進みます。 -
名古屋駅からそれほど離れていない場所ですが、いかにも下町といった風情のレトロな商店街です。
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大須観音通りです。
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大須観音通りです。
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ここが亀岳林萬松寺(きがくりんばんしょうじ)です。
ビルの中に寺が入っているという斬新なスタイルのお寺です。
手前の白龍が印象的です。万松寺(萬松寺) 寺・神社・教会
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本堂です。
ご本尊の十一面観世音菩薩がお奉りされています。 -
萬松寺は、天文9(1540)年に尾張(現在の愛知県付近)一円を支配していた戦国武将で織田信長の父、織田信秀が織田家の菩提寺として創建しました。
創建当時は、現在の名古屋市中区錦と丸の内2・3丁目にまたがった場所にあり、敷地が約5万5千坪もあったそうですが、慶長15(1610)年、名古屋築城にあたって現在の地に移転しました。
移転当時は、約2万2千坪の敷地があったそうですが、現在はその面影は全く残っていません。 -
不動明王が祀られている不動堂です。
織田信長が鉄砲で撃たれたが、萬松寺の住職からもらい受けた干し餅に当たり難を逃れたので、信長は日ごろから深く信仰している萬松寺の不動明王の加護のおかげと深く感謝したということです。
この逸話に因んで、信長が亡くなった後に、加藤清正が萬松寺の不動明王を「身代不動明王」と名付けたそうです。 -
身代不動明王の御朱印です。
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仏足の見開きの御朱印です。
写真を撮り忘れましたが、名古屋城築城の際に、天守閣の石垣として集められた石材の中から加藤清正が発見したという仏足石が境内に置かれています。 -
大須商店街の中にある「ふれあい広場」に、大きな招き猫が飾られていました。
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東仁王門通りを進みます。
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大須名物?鶏の丸焼き。
美味しそうに焼けています。
ここはブラジル料理店です。オッソ・ブラジル グルメ・レストラン
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この通りは、エスニックな雰囲気が漂っています。
フオーやバインミーのベトナム料理店。ベトナムキッチン 大須店 グルメ・レストラン
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こちらはケバブ屋です。
トルコアイスを売っているのでトルコ料理屋でしょうか。メガ ケバブ 大須 3号店 グルメ・レストラン
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東仁王門通りを抜けて大須通り側に左折したところに「七寺(ななつでら)」があります。
正式には稲園山正覚院長福寺(とうえんざんしょうがいんちょうふくじ)という真言宗智山派の寺院です。
奈良時代の天平7(735)年にて尾張国海東郡萱津(現在の愛知県あま市)に行基菩薩を開山として建立されました。
延暦6(787)年に7つの仏閣と12の僧坊からなる七堂伽藍が建立されたことから、以後、これに因んで七寺と呼ばれるようになったそうです。
その後現在地に再建され広大な敷地を誇る大寺院でしたが、残念ながら、太平洋戦争中の昭和20(1945)年3月19日の名古屋大空襲により経蔵以外の七堂伽藍全てが焼失したのだそうです。七寺 寺・神社・教会
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本堂です。
御本尊は、聖観音菩薩と大勢至菩薩です。
手前に露仏で高さ2.7mの大日如来坐像があります。 -
寺の南側に、かつての大寺院の姿を偲ばせる大きな燈篭が残っていました。
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聖観音菩薩と大勢至菩薩の御朱印です。
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不動明王の御朱印です。
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鶴舞線で大須駅から上前津駅へ、そして名城線左回りに乗り換えて伝馬駅で下車。
お昼に名古屋名物「鰻のひつまぶし」を食べようと老舗の「あつた蓬莱軒」神宮店に向かいましたが、出遅れたために入店待ちの人たちで既に長蛇の列でした。
とりあえず名前を書いて順番待ちすることにして、その間に近くにある圓通寺にお参りしました。
圓通寺は、山号を補陀山(ほださん)という曹洞宗の寺院で、ご本尊は釈迦如来です。
一般的には秋葉山圓通寺(あきはさんえんつうじ)の名で、日本最古唯一の「秋葉大権現」ご出現の霊場として知られ、毎年12月には「火渡り神事」が行われています。
「秋葉大権現」は火の神様として敬われ、「火防守護」その他の七難を除き、除災開運、家内安全、授福繁栄の神様でもあるそうです。円通寺 (名古屋市) 寺・神社・教会
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この場所で「火渡り神事」が行われるようです。
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秋葉出現道場の石碑です。
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御朱印をいただきました。
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圓通寺から戻っても「あつた蓬莱軒」の待ち時間が解消していなかったので、ひつまぶしを食べるのを断念。
正門(南門)から熱田神宮に入りました。
熱田神宮は、創祀(三種の神器の一つ「草薙剣(くさなぎのつるぎ)」が祀られた時)が景行天皇43(113)年、創建が仲哀天皇元(192)年または大化2(646)年と伝わる長い歴史と格式がある神社です。 -
幅が広い参道を真っ直ぐ進みます。
境内の敷地は約6万坪あるそうです。 -
参道の傍らに「佐久間燈籠」がありました。
高さ約10mの大石燈籠です。
京都南禅寺、東京上野東照宮の大燈籠と並んで三大燈籠の一つに数えられているそうです。 -
お昼を境内にある「宮きしめん」でとることにしました。
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入店待ちの列が参道近くまで並ぶ大盛況で入店まで30分くらい待ちました。
店内はかなり混んでました。宮きしめん 神宮店 グルメ・レストラン
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いただいた「きしめん」です。
美味しかったですが、もう少しボリュームがあればなお良いです。 -
お昼を食べたらお詣り続行です。
2つ目の鳥居を潜って進みます。 -
参道の傍らに大きな木が祀られていました。
これは、弘法大師のお手植えと伝えられている楠で、樹齢千年以上といわれているそうです。 -
これは本宮一帯を囲っている「信長塀」です。
永禄3(1560)年、織田信長が「桶狭間の戦い」に際してこの神宮に戦勝を祈願し見事に大勝利を収めたので、そのお礼としてこの塀を奉納したのだそうです。
多数の瓦を間に挟みながら積み重ね、石灰を油で練り固めて丈夫に造られています。
京都三十三間堂太閤塀、兵庫西宮神社の大練塀と並んで日本三大練塀の一つに数えられているそうです。 -
3つ目の鳥居を潜ると・・・。
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本宮です。
「草薙剣」を奉斎するお社で、社殿は伊勢神宮とほぼ同じ神明造になっています。 -
拝殿です。
御祭神は、主祭神が熱田大神(あつたのおおかみ)で、相殿神(あいどのしん)が、天照大神(あまてらすおおみかみ)、素盞嗚尊(すさのうのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、宮簀命(みやずひめのみこよ)、建稲種命(たけいなだねのみこと)の5神です。熱田神宮 寺・神社・教会
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本宮にお参りした帰り道に、正門の直ぐ脇に鎮座している上知我麻神社(かみちかまじんじゃ)にお詣りしました。
祭神は、乎止與命(おとよのみこと)です。上知我麻神社 (熱田神宮) 名所・史跡
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これは、別宮の八剣宮(はっけんぐう)です。
上知我麻神社と同じ敷地内に鎮座しています。
御祭神を始め、建築様式、神事にいたるまで本宮に準じているそうで、戦国時代には「戦いの神」として武家の厚い崇拝を受けていたそうです。別宮八剣宮 (熱田神宮) 寺・神社・教会
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熱田神宮の御朱印です。
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上知我麻神社の御朱印です。
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別宮八剣宮の御朱印です。
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熱田神宮からは、名古屋ウイメンズマラソンのエントリーに行く妻とそれに同行する息子とは別行動で寺社巡りを続行。
伝馬駅から地下鉄名城線右回りに乗車して久屋大通駅で下車しました。
次にお詣りする桜天神社に向かう途中、「長者町繊維街」の看板がありました。長者町繊維問屋街 名所・史跡
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オフィス街のど真ん中で、三方を高いビルに囲まれた場所にあるのがその神社のようです。
左側にある櫓のようなものは「時分鐘」です。
説明文に拠れば、寛文元(1661)年、終わり徳川家2代藩主徳川光友の命により鐘楼を作り、城下に時を告げるため昼夜12時に鐘を鳴らしたのだそうです。
現在のものはレプリカだそうです。 -
名古屋三大天神の一つ、桜天神社です。
小田信秀が京都北野天満宮から菅原道真公の木像を勧請して名古屋城に設けた祠に祀ったのが始まりとされ、天文7(1537)年に現在地に移されたのだそうです。
この地には当時は多くの桜の大樹があり桜の名所であったことから、この名で呼ばれるようになったそうです。桜天神社 寺・神社・教会
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拝殿です。
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「撫で牛」です。
頭をなでると頭が良くなり、自分の体の悪い所をなでたあとに「撫で牛」の同じ場所をなでると、その悪い場所が治るといわれているそうです。 -
鷽(うそ)の形をした燈籠があります。
鷽は、菅原道真公が好んだ梅の木の実を好んで飛来すること、また、道真公が大宰府に流される途中の海上で遭難しかかった時に船の舳先で先導して、危難を逃れたという伝説から、海運縁起の鳥として石像があります。
鷽という鳥は天神様が愛した梅の木の実を好んで来ること、又、道真公が大宰府へ流される海上で遭難しかかった時、鷽が船の舳先で先導して、危難を逃れたという伝説から、開運縁起の鳥として、天神社では梅と牛と共に欠かせないものだそうです。 -
これは「桜の井戸」といわれているそうです。
慶長年間(1610年頃)、加藤清正が名古屋城の築城を指揮した時に境内に普請場を置き、飲料水を得るために彫った井戸だと伝えられているそうです。 -
御朱印をいただきました。
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次は、那古野(なごの)神社です。
名古屋城の南側にあります。
この神社の前身となる天王社が創建されたのは、平安時代中期の延喜11(911)年で、醍醐天皇の勅命によるものと伝わっているそうです。那古野神社 寺・神社・教会
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手水舎の龍が勇ましい。
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御祭神は、須佐之男命(すさのおのみこと)、奇稲田姫神(くしいなだひめのかみ)、兵主神(ひょうすのかみ)、八柱神です。
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境内にある末社の福壽稲荷社です。
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御朱印をいただきました。
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名古屋東照宮です。
那古野神社と並んで鎮座しています。 -
徳川家康の九男で尾張徳川家初代藩主の徳川義直が、家康の三回忌(1618年)に大祭を行い、翌元和5(1619)年に名古屋城の三之丸に創建しました。
御祭神は、徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)です。
3千6百坪の境内に極彩色を施した権現造の社殿を始め、楼門、唐門、渡殿、祭文殿など、御三家筆頭の尾張徳川家にふさわしい華麗な建築だったそうですが、昭和20(1945)年の空襲で焼失しました。
現在の本殿は、昭和28(1953)年に徳川義直の正室である高原院の霊廟を移築したものだそうです。 -
境内にある末社の福神社です。
御祭神は、大国主命(おおくにぬしのみこと)、事代主命(ことしろぬしのみこと)です。
天海僧正(慈眼大師)によって彫られた、腰に両刀を差し、両手に球を抱えた姿の大黒様(大国主命)像が祀られているそうです。 -
東照宮と福神社の見開きの御朱印をいただきました。
東照宮創建400年記念です。 -
次に、愛知県護国神社にお詣りします。
名古屋東照宮から外堀通りを歩いて、名古屋城の外堀に架かる本町橋を渡り、名古屋城旧三の丸へ入ります。
橋の傍らに見えるのは、かつては名古屋城三の丸の正門だった本町門跡の立派な石垣です。 -
旧三の丸に入って直ぐ左側に愛知県護国神社があります。
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大きな鳥居を潜ると参道の両側に燈籠がずらりと並んでいて壮観です。
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参道を進行方向右に曲がると神門が見えます。
拝殿が神門の後ろにあるという造りは初めて見ました。
この神社は、尾張藩最後の藩主となった徳川慶勝が明治2(1869)年に創建し、御祭神は、嘉永6(1853)年以降大東亜戦争までの愛知県ゆかりの英霊9万3千余だそうです。 -
神門の前に屹立している柱は、太玉柱太玉柱(ふとたまばしら)と呼ばれる高さ9.3mの杉の真柱で、祖国、同法、家族を護るために命を捧げた英霊に感謝の誠を表しているのだそうです。
愛知県護国神社 寺・神社・教会
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境内にある宮城(皇居)遥拝所。
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境内の忠霊碑。
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境内の戦艦大和記念碑。
他にも沢山の記念碑がありました。 -
御朱印をいただきました。
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愛知県護国神社から歩いて七尾神社(ななおじんじゃ)にやってきました。
名古屋城の東側で近くに名古屋市役所や愛知県庁があります。
創建は、まだ名古屋城が築城されていなかった永正年間(1504~1521年)、御祭神は菅原道真公で、一般的には七尾天神社と呼ばれているそうです。七尾天神社 寺・神社・教会
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創建の謂れは以下の通り。
ある日修行僧が山道を歩いていると、天神池(神社の北側)の方から亀がやってくるのに出会った。
見ると、亀は七つの尾を持っており、甲羅には束帯(公家の正装)を着けた菅原道真公の像を背負っていた。
そして、亀は道真公像を木の下の石の上に置くと、その周囲を7周回って姿を消した。
これを見た修行僧は、道真公の魂が祀れと言っているに違いないと思い、七つの尾を持つ亀の像を彫り、亀が置いていった道真公像を祀る社殿を建てたそうです。 -
境内にある「7尾の亀」像です。
七つの尾を持った亀が、背中に道真公像を乗せてこの地に来たことに因んで、亀がふさわしい場所へ導いてくれるとされているそうで、甲羅の上に願いを書いた紙を置き、七回水を掛けて願掛けをするのだそうです。 -
ズームアップ。
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拝殿です。
参道の両側には、臥牛があります。 -
縁起物の「霊亀乗り天神土鈴」(初穂料1,500円)です。
こんな感じで亀が歩いてきたとしたら少し怖いです。 -
御朱印をいただきました。
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七尾神社最寄りの地下鉄名城線市役所駅から栄駅を経由して名古屋駅へ移動し、妻と息子と合流しました。
夕食は、名古屋駅名鉄百貨店9階にある「まるや本店」で鰻のひつまぶしを食べました。
昼食の無念を少しだけ晴らすことが出来ました。
息子はこの後一人で帰宅しました。まるや本店 名駅店 グルメ・レストラン
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宿泊する名古屋マリオットアソシアホテルに戻ってきました。
最後までご覧いただきありがとうございました。名古屋マリオットアソシアホテル 宿・ホテル
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