2021/10/29 - 2021/10/29
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夏子の探検さん
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伊勢志摩は伊勢湾にも多くの島が存在する。無人島も有るようだが、有人の島も多いらしい。
神島は三浦百恵さん主演の映画「潮騒」の舞台に成った島らしい。私は行った事が無いが、夫は子供時代に行ったらしい。その夫が、何を思ったか、行った事が無い答志島に行こうと言い出した。
歴史物が好きだったからだとは知らなかったが、戦国時代に活躍した九鬼水軍の武将・九鬼嘉隆にまつわる遺跡が残って居ました。
此処は鳥羽港から2,5Km沖合に浮かぶ東西6Km南北1,5kmの伊勢湾最大の島で、北東側に答志、南東側に和具、北西に桃取という3つの集落が有り、3との港も持ちます。人口約2000人の島です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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鳥羽市のフェリー乗り場です。
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以前も此処には来ましたが、この時はこの垂れ幕は有りませんでした。
おめでとうございます♪ -
この港から向かうのは・・・
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珍しく、私「ねぇ~どこ行くの?」の夫任せの旅です。
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切符の自販機~片道¥550
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島に住む人々の唯一の交通手段です。
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これから行く、答志島のポスター
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他の島々
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フェリー乗り場
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これに乗る???
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時間に成ったら、待合室には放送が流れて、乗船を促します。
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この子に乗るのね!
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意外と大型です。
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船内(多くの座席が有りますが、この時期は、ほぼ少ない乗客でした)
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船内
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フェリーターミナルをあとにして・・・
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青空と青い海
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この島かな?
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20分くらい快適な船旅
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ここです!答志島!
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船着き場は3つもあるんだ~!
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さて下船
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ここは和具漁港
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お魚の倉庫???
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和具サンシャインビーチ・・・今度此処で海水浴したいなぁ~
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美しい海岸です。来年は此処に来たいなぁ~☆彡
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水質も透明度高そう・・・
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漁港
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小舟も多いね
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首塚って・・・気持ちの悪い名前だけど・・・
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ここ・・・戦国武将の九鬼嘉隆の首塚なのです・・・
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少し山登りに成ります
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家々が並ぶ小径を通過し
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先ず首塚方面に向かいます。
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すっかり森の中に・・・
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意外と急斜面を登ります。
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九鬼嘉隆の墓です。
九鬼氏は、天児屋根命(あめの・こやねのみこと)の末裔にして、古来、神祇伯(じんぎはく)を務めた大中臣氏を祖とされる。 -
熊野を追われ紀伊の九鬼浦に移って九鬼氏を称し、さらに子孫が志摩国・波切の川面氏の養子に入り、勢力を拡大して地頭になり志摩・九鬼氏の祖になったと考えられるが、詳細や出自は不明なところが多い。
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戦国時代になり、九鬼嘉隆 (くき、よしたか 1542年~1600年10月12日)は、九鬼嘉隆は志摩・田代城主である九鬼定隆の次男として波切城にて生まれた。母は甲賀(志摩市阿児町甲賀)の出身と言われる
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九鬼氏は伊勢国司の北畠氏に属し「志摩海賊七人衆」のひとりに数えられていた。
1551年に父・九鬼定隆が死去すると、家督は兄の九鬼浄隆が継いだ。
この頃の鳥羽・志摩には多くの地頭いた。 -
橘宗忠(たちばなむねただ)の鳥羽衆を筆頭に、小浜民部の小浜衆、荒島左門の安楽島衆(あらしま)、浦豊後の浦衆、千賀志摩の千賀衆、国府大膳(こうだいぜん)の国府衆、甲賀雅楽(こうかうた)の甲賀衆、三浦新助の安乗衆(あのり)、青山豊前の志摩・和具衆、越賀隼人の越賀衆、的矢美作の的矢衆。そして、九鬼浄隆の田城衆、九鬼嘉隆の波切衆があり、志摩地頭13人衆と呼ぶ。兵力は九鬼氏が断然多く、他の地頭達は九鬼氏の勢力拡大を危惧していた。
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九鬼嘉隆はこのようにの波切城主として兄・九鬼浄隆を助けていたが、九鬼嘉隆が19歳のとき、伊勢から追われる事になる。
1560年、以前から不仲だった志摩海賊衆仲間の掟に背いたとして、志摩の地頭12人衆が連合軍を起こし、伊勢国司・北畠具教の援助を受けて田城城を攻めた。
これに対して九鬼浄隆と九鬼嘉隆の2人は田城城に篭城するが、篭城中に九鬼浄隆が病死(戦死とも?)してしまう。 -
九鬼浄隆の子・九鬼澄隆が九鬼氏本家を相続したがまだ幼かったようで、九鬼嘉隆が補佐した。しかし、幼い当主に不安を持ち、戦意が上がらない九鬼勢は惨敗。
九鬼嘉隆と九鬼澄隆ら残党は鳥羽の朝熊山へ逃亡した。 -
関が原で西軍が敗走し、答志島に逃れていた九鬼嘉隆は潮音寺に隠れ得度した。そして、九鬼氏の故地・紀州熊野に更に逃れたが、熊野の人々は徳川の仕返しを恐れた為、九鬼嘉隆は再び答志島の和具にある、娘の嫁ぎ先でもある青山豊前邸に戻った。
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九鬼嘉隆も九鬼家存続の為、西軍に加担したのであり、自分のせいで子の九鬼守隆に累が及ぶのは本意ではない。1600年10月12日、九鬼嘉隆は自刃を決意する。享年59。
和具の洞仙庵(どうせんあん)にて自決の際「自分の首は山頂に掲げよ。死後も徳川を恨める。」と言い残したと言われ、九鬼嘉隆の首塚は今も和具の築上山頂にある。 -
どこまでも山の中です。
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とうとう道なき道を歩くように・・・
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九鬼嘉隆の墓
九鬼守隆は、父の胴体が葬られた洞仙庵近くに胴塚を建て供養し、首級は徳川家康の首実検の後に答志島へ戻し、遺言通り築上(つかげ)山頂に埋葬し、首塚を建てた。のちの1669年に孫の九鬼隆季が胴塚を再建し、胴塚と首塚は今でも答志島の和具にある。 -
かなり長い説明が付くので、ご興味のある方は
https://senjp.com/kuki/をご参照下さい。 -
長い戦国時代を生きて、頑張っていた武将だったのね。
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首塚と見晴台(実は見晴らせなかった草ボーボーで)胴塚も見てきて、今ここ・・・
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この島の住宅街は、ごく細道が多く、情緒も有る感じ
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此処は答志小学校~この前の道は、少し広かったけど、この島のお年寄りは、50CCバイク運転者が多く、ヘルメットは被らない・・・島のルール
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神社発見!美多羅志神社
答志と和具の氏神様=後から知った境内に龍の形の木が有るらしく、地元では龍神さんと呼ばれてる様子 -
伊勢神宮の分院?!
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白浜海水浴場と神社の道分かれ目
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高台から釣り場が見える
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答志漁港に到着
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船着き場(此処から伊勢志摩の鳥羽に帰るのだが)
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ここ船の待合室~
着いた時は、既に5分前に出航してたので、次の便まで待ち時間長し・・・ -
答志港災害復興記念碑のようだが・・・調べたけど解らなかった
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その記念碑?
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こっちも何かの記念碑
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向こうの島はどこだろう?
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一艘しか止まれない定期船乗り場
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海が青い
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赤い橋は???
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八幡神社だそうです。
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とんびが気持ち良さそうに飛んでますね・・・
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綺麗な橋ですね
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八幡橋
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奥に小さな灯台も見える
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此処って神社だけの島なの?
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夕日が落ちて来る
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八幡神社
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やっと帰りの船が来た
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意外と広い島でした。伊勢湾内で一番大きい島だそうです。
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定期船
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船内
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操縦席
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操縦席
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来た時とは違う船内
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無事鳥羽港に戻りました。
なにかと忙しく、旅行記も更新出来ないで居ましたが、皆さまお元気でお過ごしでしょうか?
あけましておめでとうございます(記号が文字化しないので訂正しました)
今年こそ、海外でも自由に行き来出来る年に成ると良いですね。
拙い旅行記で恐縮ですが、見に来て下さった方、ありがとうございます。
今年も宜しくお願い致します。
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この旅行記へのコメント (1)
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- くわさん 2022/01/04 16:55:37
- 元対岸の田原市民でした
- 夏子の探検隊さん、あけましておめでとうございます。
今年も旅行記、楽しみにしています。
ところで今から数年前、鳥羽の対岸の渥美半島の田原市民でした。時々は伊良湖岬に出かけては対岸の神島や行かれた答志島に思いを馳せていましたが、結局は訪問ならず。
夏子の探検隊さんが撮られた写真にも何枚か伊良湖岬が写っていますね。懐かしいです。
↓伊良湖岬から見た神島と答志島です。あまりにも地元だったので裏ブログです。
http://kuwa72.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-aa63.html
↓夕焼けの神島と答志島です。
http://kuwa72.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-3dca.html
本当は伊良湖岬からフェリーに乗ってお伊勢さんへ行ったのですが、写真の撮りすぎで旅行記ができていません。その時、答志島の写真も撮っているはずなのですが・・・そのうちに。
くわ
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