2021/12/06 - 2021/12/06
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たびたびさん
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呉は、明治22年に港が整備され、呉海軍鎮守府が置かれると以降は旧日本海軍の軍港の街として急速に発展します。どんぶかの地形で大型船が接岸できるといった条件や瀬戸内海にあって海外からの攻撃にはさらされにくいとかの条件が軍港にぴったりだったんですね。昭和15年、世界最大の戦艦大和を建造するに至った呉海軍工廠の下には、造船所、兵器製造所や製鋼所が集約され、それに連なる企業群も含めて一帯は一大軍需産業都市の様相。もともとは人口1万5千人の静かな漁村に過ぎなかった呉ですが、昭和18年には人口40万人を超えて、まさに日本一の軍港の街となったわけです。
ここで余談ですが、ふと浮かんだのは瀬戸内海の港や海運の歴史と日本の近代化。明治以前の藩政時代なら、瀬戸内海で賑わっていた港と言えば、下関とか鞆の浦とか風待ち潮待ちの港町。呉はそういった港町とは無縁の街だったし、ましてや軍港として脚光を浴びたのはたぶん青天の霹靂。突然に降ってわいたことだったに違いありません。ただ、呉に限らず、明治の前半、日本の海運は鉄道の敷設や船舶の進歩とともに大きな変動があった時期。北前船は鉄道に取って代わられてしまいますし、それと同じように、瀬戸内海でもかつての風待ち潮待ちの港町はその条件だけでは生き残ることはできない。広島県内だと鞆の浦はじめ、御手洗、三之瀬、鹿老渡、木江とか衰退の一途を辿った港町がほとんどだったと思います。変わって発展する広島港や福山港は商業港、工業港として整備された結果ですが、例えば干拓や鉄道の敷設でそれまでの制約条件を解消した広島港は圧倒的な近代の技術力があったればこそのものでした。
一方で、明治維新からの日本の近代化は産業の発展と軍事の強化が一体であったことを考えれば、産業の基盤を整備しながら発展した呉の街は、単に軍港としてという以上に街全体がデザインされた日本の近代化を象徴する存在だったはず。やっぱり異質というか特殊な任務を帯びた街だったのかな。そういう意味では、世界遺産の明治日本の産業革命遺産にも何かが選定されていてもおかしくないと思うのですが、まあ、さすがにそこは軍事的な側面が強すぎますかね。ちょっと残念なところではあります。
それはそれとして。いずれにしても、今でも呉には海上自衛隊の呉地方隊があって、明治以降の輝かしい歴史は途絶えていない。造船業が斜陽化したり、つい先般は日本製鉄の高炉が消えたりとなかなか厳しい面はありますが、日本の平和を守る重要拠点としての役割は引き続き担っているし、大和ミュージアムや海自カレーに象徴される町興しもそれなりに成功しているように思います。
さて、呉艦船めぐりの方ですが、料金は1500円で所要時間は35分。呉港から出発して、付近に停泊している海上自衛隊の艦船を海上から見学します。艦船はその日によっても違うし、出たり入ったりしているので、海上自衛隊自衛官OBによる案内はそれを常に把握してのもの。護衛艦、輸送艦、各種補助艦艇に目玉の潜水艦とかを順々に、微に入り細に入りの情報を交えつつ、流れるような説明もさすがです。ただ、そうは言っても受け止める方にはほとんど基礎知識もないので、なんとなくそれなりにすごいんだなという感じくらいかな。それでも、かつての大砲ずらりの戦艦よりもはるかに的確な破壊力や防御のシステムを持っているというのは想像に難くないでしょう。また、それぞれの船に役割があって、艦隊となって任務を果たしているという側面も感じられたように思います。
ところで、ウクライナの件始め安全保障の環境は、ますます厳しくなっていく一方のような気もしますが、少なくともそうしたことにちゃんと関心を持って理解を深めていく努力を忘れないこと。ささやかなことかもしれませんが、一般国民にできることは、やっぱりそんなことかと思います。
それと日を改めて倉橋島にも足を延ばしてみましたので、そちらも加えます。ちなみに、倉橋島は呉側の本土と平清盛ゆかりの音戸の瀬戸をまたぐ音戸大橋で結ばれた島。観光的には、その音戸の瀬戸くらいで倉橋島は終わりかと思っていましたが、もう少し視野を広げると万葉集ゆかりの桂浜とか瀬戸内海の航路で賑わったという鹿老渡とか。歴史的には江田島や能美島よりもむしろ表舞台だった時代もあったようで、冒頭に少し触れた瀬戸内海の海運の歴史がこんなところにも眠っていることを知りました。広島の歴史は島の歴史も知らないと分からない。そんな意味でも、是非ご紹介したいなと思います。
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呉駅に到着して、まずは腹ごしらえということで海自カレー。
呉には海自カレーを出す店が30軒くらいあるのですが、ハイカラ食堂はその中でも1・2を争う人気店なんですよね~ -
戦艦大和の模型に
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これは映画「男たちの大和」。
大和のほかにも海上自衛隊の関係や昭和レトロな店構えなどワクワク感が半端ではないですね。 -
この小上がりも濃紺と赤は潜水艦の色調ですよね。
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イチオシ
さて、いただいたのは潜水艦そうりゅうのカレー。鉄板カレーと呼ばれていましたが、食器は学校の給食のプレートみたい。牛乳が付いているので、いっそうそんな感じかな。
ただ、ここのカレーの味は意外にもかなりオーソドックス。変な話、ここのを食べると海自カレーってこんなもんかと思ってしまって、他の店でも食べてみようという気持ちにはならないかも。いやいや、そこはそうではないんですけどね。個性的なカレーは多いのでぜひいろいろ挑戦してみることをお勧めします。まあ、私もまだまだこれからなんですけどね。 -
大和ミュージアムのところから
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呉中央桟橋ターミナルへ。
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艦船巡りの予約をしておきます。
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待ち時間があるので、その間にお隣の大和波止場へぶらぶら。
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これも大和の何かを模したものだと思いますけど
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イチオシ
やっぱり大和波止場の見どころは、この気持ちの良い木製のデッキ。戦艦大和の前甲板の左半分が実寸大で再現してあって、そういうことなんですよね~
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先端のへさきの方には巨大な碇も置いてありました。
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中央桟橋ターミナルを見ながら
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海沿いに戻ります。
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イチオシ
大和ミュージアムも海側から見るとまた立派。例の大和の模型はこのガラス窓のすぐ向こうに見えています。
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では、いよいよ艦船巡りへ。
乗るのはこの船。 -
入ってすぐに
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屋上に上がると、デッキはこんな具合。
どこに座っていてもこれなら視界良好です。 -
天気もいいし、条件は最高。
さっそく自衛官OBの説明が始まりました。 -
海岸ぶちに並んだクレーン。
その右端に見えるのは、戦艦大和を建造したドック、旧呉海軍工廠造船部造船船渠です。 -
なっか面白い形の船が見えてきましたけど
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イチオシ
これは、洋上風力発電を設置するための作業船。
脱炭素が叫ばれる中、原子力発電所も止まっていて、日本のエネルギー事情はかなり危うい状況。洋上風力発電はそれをカバーする手段の一つなんですが、欧州と違って、日本は遠浅の海岸が少ないことから独自の技術が必要とされているとか聞いたことがありますね。 -
ちなみに、作業船は清水建設の注文で作られ、全長142mは世界でも最大級。しかし、こんな船ができるまでの段階になっていたとは。。世の中意外に進んでいますね~
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少し進んで、これはタンカー。
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メンテのために停泊しているんですが、新造船の方はどうなんでしょうね。
韓国や中国に追い越されて久しいように思いますけど、それはコスト競争力の問題だけでもないような。若い労働力が向かう先としての人気度とか。少子高齢化が進む中でいろんな問題がますます表面化してくるのかなと思います。 -
そろそろ自衛隊の艦船です。
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輸送艦おおすみ
全長178m、排水量8900t -
護衛艦さざなみ
全長165m、排水量4650t -
護衛艦は、いわゆる駆逐艦。
敵艦隊への水雷攻撃や対潜、対空能力も備えますから、戦時には主力となる船。高くそそり立つような上部構造はいかにも戦艦をイメージするものですよね。 -
この辺りになってくると、説明もちょっと熱を帯びてきた感じですね
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奥に進んで
護衛艦はたかぜとしまかぜ -
イチオシ
はたかぜ型護衛艦の1番艦と2番艦で、全長150m、排水量4600t
73式54口径5インチ単装速射砲 × 2門
Mk.15 高性能20mm機関砲 × 2基
Mk.13 Mod4 スタンダードミサイル単装発射機 × 1基
現在は、新型艦の就航により、ともに練習船となっています -
少し沖に出て
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回り込みます。
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桟橋を挟んで、補給艦とわだ
全長167m、排水量8100t
補給艦は、他の艦船に対して燃料や食料・弾薬などを補給するための艦艇です -
荷物を大量に積みますから、護衛艦より補給艦の方が一回り以上大きいですね。
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訓練支援艦てんりゅう
全長106m、排水量2450t -
訓練支援艦は、対空射撃訓練支援用に無人標的機を管制する艦艇です。
標的のための船と言っても、けっこう立派です。 -
イチオシ
前方から見た姿もなかなかですよね。
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そして、最後に見えてきたのは潜水艦
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呉には第一潜水隊群が所属していて、第二潜水隊群の横須賀と並んで海上自衛隊の懐刀的な存在でしょう。
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イチオシ
停泊している潜水艦に寄り添うように二隻の船
YO44油船です。 -
ここからUターンして
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隣りに停泊している護衛艦あぶくま
全長109m、排水量2000t
62口径76mm単装速射砲 × 1基
ハープーンSSM4連装発射筒 × 2基
74式アスロックSUM8連装発射機 × 1基ほか -
ちょっと船体の錆が気になりますけど
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上部のレーダーミサイルの構造物はピカピカです。
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と
潜水艦の方で動きがあるよう -
岸壁を離れて沖合に向かうようです。
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説明によると
こんなのめったに見られないすごいことなんだとか。 -
イチオシ
これはスクリューを反対に回してうしろ向きに進んでいるところ
説明者も大興奮といった感じです -
甲板に立つ大勢の乗組員の姿もよく見えて
しっかり撮っておいてくださいね~の声に押されて -
撮ったベストショットは、支援船が寄り添う姿もセットになったこの一枚かな
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さて、うしろ向きに進んでいた潜水艦ですが、ここで切り替え。
勢いを増して、沖の方に進んでいきました。 -
ほとんど呉港の方に戻ってきて
気が付くとこちらにも小さな艦艇が何隻か。説明はありませんでしたが、これもいろんな役割があるんでしょうね。
それぞれいろんな役割があって、全体として任務を果たしていく。そんなところもよく分かったような気がします。 -
中央桟橋ターミナルに帰ってきて、ちょっとほっとしましたが
ただ、艦船巡り。なかなかいいですね。一種緊張感があるし、期待以上に心に残るものもありました。 -
ここから後半は呉市内の街歩きと例によってB級グルメチェックです。
始めに両城の200階段に向かったのですが、その途中
有崎城址というのがありまして -
しばらく石段を上ると
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金比羅山公園。
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子規の句碑があったり
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もう一段上がると大歳神社
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野間氏というかつては地元の水軍の城。大内氏についていたのですが、毛利氏と争い滅ぼされた一族のようです。
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回り道になりましたが、近道があるようなので、それを進みます。
崖の上を行く細道。呉はこんなところが多いんですよね。 -
両城の200階段に到着。ここが入口ですね。
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細道を入って行きますが、
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な、な、なんですかあ。
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階段というかこれは崖みたいな急階段。両側には家屋が建っていますが、こんなところに住んでいたら、まさに崖の上のポニョといったところかも。本当に暮らせるんでしょうか。うちの外に出た途端、ちょっとでも油断をしたら、足を踏み外して大けがをしてしまいますよ。呉にはあちこちにそれなりに急な石段がありますが、ここは特別。見るだけでも怖い恐怖の階段です。
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いやあ、びっくりしましたけど、これは見ておいた方がいいものでした。
気を取り直して、今度はレンガ通りの方に向かいます。
その途中で見つけたシャルロット。店構えはちょっとレトロな雰囲気も漂います。 -
品数もまずまずですが、
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いただいたのは、広島だとあちこちで見かけるレモンケーキ。
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ただ、このレモンケーキはまん丸い形が珍しい。私も初めてかな。そして、しっかりとレモンの味と香りがして、それが全く違和感なし。エッセンスを使っているのかもしれませんが、ここまでレモンの味を出して、馴染ませるってなかなかできない技。なかなかのお店だと思います。
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さらに戻って、これはスールシエル。今西通りにあるおしゃれなパン屋さんです。
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パンデショコラをいただきました。普通、パンデショコラは、表面がテカテカで艶があったり、パイ生地みたいにパリパリ感があったりするものなんですが、ここはそんなことがなくて、見た目は地味。しかし、どうなのかなと思いつついただくと、これもありですねえ。しっくりとした食感にチョコのバーがいい感じで絡みます。個性のあるおいしいパンデショコラでした。
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レンガ通りに着いて
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これは高砂餅。
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で、呉名物といういが餅をいただきました。まあ、いが餅は、伊賀餅。伊賀地方から出たものだと思いますけど、まあけっこう全国あちこちに広まっていて、呉に限らずそれぞれけっこう地元に馴染んでいるんですけどね。
赤、黄色、緑の三種類のトッピング。餡子のお餅もちにはこのモチ米がちょっとしたアクセント。で、お餅と餡子のベーシックなところはまあ普通。素朴な感じでやってます。 -
ヤマトギャラリー零もレンガ通り。街かど市民ギャラリーのビルの最上階にあって、「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」の生みの親、松本零士のミュージアム。
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市民ギャラリーを抜けて上へ上へ。
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ただ、作品に因んだ展示はありますが、ちょっと限られた感じかな。
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むしろ、氏の宇宙への憧れとか強い思いとかをアピールしているところが印象に残りました。
それに、そもそもこのビルは吹き抜けの開放的な構造が面白いし、市民ギャラリーの方も意外にちゃんとしていて見ごたえがあるように思いました。 -
ゾネは、レンガ通りから少し脇道に入ったところ。地元ではなかなか人気の洋菓子屋さん。この日も何組か常連さんがやってきてました。
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私は、手早くマドレーヌをいただきましたが、カップ式のマドレーヌ。カップ式はあんまり好きじゃないんですが、香りも味も普通においしいですね。この普通さがあれば応用した変化のあるケーキもきっとおいしいんだろうなと思わせる味わいです。
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もう一軒の椿庵博美屋は、呉市の花、椿を冠したちょっと本格的な和菓子屋さん。
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看板商品は、椿まんじゅうです。まあ、いわゆるじょうよ饅頭。じょうよ饅頭は饅頭の中では王様ですからね。ただ、白餡のタイプもあって、これは比較的珍しいかな。いずれも、しっかり甘さがあって上質な饅頭です。
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ここから亀山神社の方に向かいますが、
その途中の鶴屋安芸。強烈な甘さの白餡のお饅頭はインパクトあり。広島市内にもお店があって、知る人ぞ知るの名店です。 -
で、その先がこれまでけっこう気になっていた呉のメロンパンの本店。中心部からだとけっこう離れていますが、なるほどこの青一色の三階建てビルの建物は一見の価値ありかな。三角形のいびつな土地なのに、それをものともせずに堂々とした店構えで建っていますね。ちょっと個性の強い呉メロンパンのイメージがより鮮明になったような気がしました。
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で、最終目的地の亀山神社がこれ。呉市街中心部からだとけっこう離れた場所ですね。
ただ、通りから高台の境内に至る悠々とした石段は、さすが旧呉市の総氏神という雰囲気があります。 -
祀られているのは、海の神様ではなくて八幡神。
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もともとは入船山公園のところにあったのですが、鎮守府が来たことでこちらに移転したということです。
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亀山神社から呉駅に戻って。
森田食堂は、呉駅の並びのレトロ食堂。緑の看板と白い暖簾には老舗感ありますね。 -
店内もいい感じ。
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湯豆腐が名物とあったので、それをいただきました。うどんの汁のようなひたひたの出汁に浮かんだ豆腐にはねぎととろろ昆布がてんこ盛り。少しづつ豆腐を崩しながら食べ進めます。インパクトはないんですが、腹に収まると満足感がじわり。まあ、こんなのもありかなという名物です。
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艦船巡りをして、ここで呉は一区切りにしようかと思ったのですが、呉の周辺まで考えると。。上蒲刈島・下蒲刈島・大崎下島に江田島・能美島のラインは押さえたのですが、倉橋島がまだ残っているんですよね~
ということで、ここからは日を改めて、倉橋島へ続き旅。
呉駅からバスで音戸経由、倉橋島の桂浜温泉館に向かいます。
途中の音戸にある音戸渡船は、音戸の瀬戸の渡し船。日本一短い航路として知られていたのですが、令和3年10月末をもって廃止となりました。今ではバス停に「音戸渡船」の名前が残るだけ。廃止されてしまって、対岸へ渡るのはどうなったんでしょうか。手間でもバスを利用することになるのかなとかけっこう心配です。 -
そして、すぐに見えてきたのは、第二音戸大橋の方ですね。
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平安時代、平清盛が開削したと伝わる音戸の瀬戸。その音戸の瀬戸に架かる音戸大橋に続いて、平成になってから架けられたのが第二音戸大橋。音戸大橋の隣りにあって、音戸大橋ようなループ構造はないんですが、その分、海峡を悠々とすっきりまたぐ姿。それなりに技術が進んだということなんだと思います。
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で、バスが渡るのは昔ながらの音戸大橋の方。
ぐるぐると何度も回転して上昇するループの構造が独特です。 -
まあ、慣れている人には何でもないと思いますが、私はちょっと緊張してしまいます。
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倉橋島の南側、桂浜温泉館に到着。呉駅からの路線バスはここが終点となります。
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けっこう本格的な天然温泉の施設で、倉橋まちづくり公社という公共団体が運営しているよう。一階は道の駅みたいなショップもあるし、まあ、街の拠点的な施設でもあるでしょう。
倉橋島の主要な観光スポットである倉橋歴史民俗資料館、桂濱神社、長門の造船歴史館とかもここから歩ける範囲。順次回って行きますよ~ -
最初の倉橋歴史民俗資料館は、桂浜温泉館の奥。同じ敷地内に建っています。
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入り口の手前には
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「倉橋島の遺跡紹介地図」
古墳の遺跡なんかもあるし、古代から中世、近世とバランスよく遺跡があって
瀬戸内海の歴史や文化で言えば、本土よりもこちらの方が表通りだったような印象です。 -
展示は、島の各所で発掘された古墳や藩政時代の活発な瀬戸内海の海運を彷彿とさせる千石船の模型に
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長門島と言われていた頃、万葉集で詠われた歌の紹介から、
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遣新羅使、朝鮮通信使のルート
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今の国会議事堂にも使われた倉橋島の石のこととか。
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倉橋島の歴史の彩りを感じるもの。
江田島のイメージより華やかだし、大崎下島の歴史より多岐に亘る。また、愛媛県の大島・伯方島・大三島や因島になると村上水軍とか河野水軍とか水軍の関係が多くなるし。。実際の歴史がそこまで違うということではなくて、たまたま残ったものの違いとか、紹介の仕方をどうするかということも大きいのかもしれませんけどね。いずれにしても、あまり知らなかった倉橋島のイメージが変わったし、瀬戸内海の歴史のイメージももう少し幅が広くなったような気がします。 -
続いては桂濱神社。
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桂浜温泉館の並びで桂浜を望む小高い山の上。
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境内奥の拝殿にはいくつもの絵馬が掛けてあってそれなりに迫力あり。
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そして、一番の見どころは、国の重要文化財に指定されている本殿。前室付き三間社流れ造りは、室町時代に建てられたもの。厳かな中にも優雅な印象を与えます。
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そのまま桂浜へ。松原に囲まれた美しい砂浜からは、
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遠くに瀬戸内海の島々が見渡せて、古代には万葉集の歌がここでいくつか詠まれたとくれば、日本の渚百選に選定されているのは至極納得。海岸に沿っては石畳の遊歩道があるので散策もしやすいです。
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イチオシ
で、その万葉集に因むのが、この万葉集遺跡長門島之碑。海沿いの石畳の遊歩道のすぐ脇に立つ石柱ですは、倉橋島が長門島と呼ばれていた時代。ここで詠まれた大石簑麿の歌など八首が万葉集に乗せられていて、碑にはその歌が刻まれています。
万葉集ゆかりの地、倉橋島ですか。なかなか優雅な気分に浸れます。 -
桂浜を東に向かった端っこが
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長門の造船歴史館。
予想以上に立派な建物ですが、 -
復元された遣唐使船の展示があって、それが一番の見どころ。
倉橋島と遣唐使船の関係は、日本書紀に記載があって、遣唐使船の建造を近江、丹波、播磨、備中、安芸に命じたということから。この安芸というのが倉橋島なのかどうかは分かりませんが、倉橋島には百済からの渡来人が住みつき造船技術を持っていたことがあって、関与が推定されるのだとか。いずれにしても、倉橋島には古来より造船技術の蓄積があり、その伝統をもって遣唐使船を再現したということです。 -
それにしても
遣唐使船は想像していた規模をはるかに上回るスケール。 -
最澄や空海がこんな船に乗って唐に渡ったとか想像するだけでワクワクするような気持ちになりますね。
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ちなみに、遣唐使船は4隻。
最澄、空海が渡った時も、第2船の最澄の船は無事でしたが、第1船の空海の乗った船は34日間も漂流して福建省に辿りつく。第3船、第4船は遭難していますから、いかに命がけだったかが分かります。 -
ほか、乗船は120人だったという記述や百済の技術を使っていたので百済船と呼ばれていたとか。
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イチオシ
こうして船が復元されると、いろんなことが実感をもって想像できるのではないかと思います。
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気分が盛り上がったところで、迷っていた鹿老渡にも行ってみます。
広島県で風待ち、潮待ちの港として全国的に有名なのは鞆の浦ですが、その他には、大崎下島の御手洗、大崎上島の木江、下蒲刈島の三之瀬くらいかなと思っていましたが、倉橋島にも鹿老渡があると聞いていたんですよね。
桂浜温泉館から鹿島行きのコミュニティバスがあって20分くらいです。 -
バス停で降りると
鹿老渡の案内図。
小さな集落なんですが、集落の北側すぐには上浦港、南側すぐには下浦港とたぶん風向きに合わせて臨機応変に対応できる構造になっていて、これはすごい。それだけでも良港としての大きな利点になったのではないかと思います。 -
目の前は上浦港ですね。
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では、市街の方へ入って行きましょう。
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細い路地のようですが、港町では珍しく碁盤の目のようになっているのも先進性のひとつなんだとか。地元の人からそういう話も伺いました。
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そして、これがしばらく前まで旅館をやっていたという宮林家。
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もともとは日向地方の材木を扱う商家で、日向の藩主もしばしば宿にしたのだとか。
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今は外観を拝見して往時を偲ぶしかありませんが、
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ガラス戸から中を覗くとこんな感じ。佇まいはしっかりとしていて、空き家にしておくのはもったいないくらいですね。
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宮林家から先に進んで
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この空き地は、宮林家と並ぶ旧家だった野村家の跡地。たまに子孫の方が来られたりするそうです。
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こちらは、下浦港。
傍らにひじきが干してあったりして、長閑な港です。
鹿老渡は以上。 -
帰りのコミュニティバスの中から、鹿島と鹿島大橋が見えていました。鹿老渡のもう一つ先。段々畑の島です。
桂浜温泉館まで帰って、そのままバスを乗り換えて呉に戻ります。 -
呉駅まで帰ってもよかったんですが、アレイからすこじまのところでバスを降りて。
海自カレーの人気店、港町珈琲店に寄ってみます。コンビニの二階に構える煉瓦造りの店内は、 -
ちょっとアメリカンな雰囲気でけっこうしゃれた店内。
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目の前の潜水艦をみながら海自カレー「潜水艦くろしお」をいただきました。
説明書には中華風にアレンジとかありましたが、それはよく分からないですね。
まあ、それはそれとして、とろとろの筋に少し苦み?が混じって、これだと疲れが取れそうな心地よい味わい。個性的だし、おいしいです。フリードリンクにピザの食べ放題まで付いて、これもポイントは高いと思います。 -
呉市街に戻って、スイーツで気になっていたお店をあと三つ。
エーデルワイス洋菓子店では、 -
クリームパイをいただきます。
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純白のクリームが美しいですが、このクリームは本当に軽い。爽やかな甘さに口どけがとってもいいですねえ。そして、ちょっとサプライズはその下に分厚く層をなすプリンのような塊り。少しどっしりしていて、軽いクリームとそのプリン系がいい感じでコラボするんですよね。なかなか面白い洋菓子です。
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少し歩いて。
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今度は、呉信用金庫ホールへ。
ここの二階には、蕎麦と甘味処のお店、甘加羅というお店があって、呉のスイーツ探訪では外せないお店のひとつなんです。これまではたまたま休日だったりして、何度か振られていましたからね。 -
これが入口。なかなか渋いです。
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老舗の甘味処と聞いていましたが、メニューを見るとばりばりうどんやそばのお店でもあるんですね。で、そのメニューをひょいとひっくり返すと甘味のメニュー。
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ここは基本のあんみつを注文すると、なんとこの時期なのにかき氷のあんみつじゃないですか。これにはびっくり。しかし、黒蜜のかかったかき氷がかなりうまい。あんみつだと餡子が主役で黒蜜がそれを支える感じになるのが普通なんですが、ここのは黒蜜のかかったかき氷がなにげに餡子とダブルの主役を張っていますね。フルーツや白玉もしっかりしているし、見た目も文句なし。いやいや、これは確かに呉では外せないお店だと思います。
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最後は、8月のカメリアン。意外に大きな店構えでちょっとびっくり。
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店内も悠々。ショーケースにはカラフルで本格的なケーキが並んで、うっとりですね。
で、今回のお目当てはシュークリームだったのですが、あいにく売り切れ。食べ歩きにはケーキは無理なので、マドレーヌをいただきました。こちらは、まあ普通かな。私的にはもう少ししっとりタイプが好みです。
さて、倉橋島編も終了。やっぱり明治以降だけではちょっとね。倉橋島で遣唐使船の時代や藩政時代へもタイムスリップしたことでうまくバランスが取れました。気持ち的に呉の一区切りができたかなと思います。お疲れ様でした。
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