2021/08/04 - 2021/08/08
92位(同エリア98件中)
ちゃおさん
万葉の時代から和歌の歌枕にある和歌の浦。紀三井寺からこんな近い場所にあったとは、このお寺の高台にある境内から眺めるまでは分からなかった。本当に指呼の間。目と鼻の先だ。和歌の浦がどれ程風光明媚な場所かは、万葉以来多くの文人、歌人が愛でている。別名、片男波。細長く伸びた砂州に外海からの波が押し寄せ、砂州の内側は波静か。波は片方の側にしか立っていない。この寺が創建されて1250年。今見ている情景は、当時とそれ程変わらないだろう。ただ今日は波静かな海ではあるが・・。
今から1000年程前、藤原道長が権勢を誇った頃の天皇に花山天皇がいるが、若くして出家し法皇になった。その出家の理由は定かでないが、寵愛していた后が懐妊中に急死したこともあり、法皇になってから熊野三山を参詣し、その後、西国三十三観音霊場を巡礼することなった。一度絶えていた観音霊場巡りは彼が復活したと言われ、観音霊場中興の祖とも言われている。
熊野権現霊場第一番青岸渡寺から大辺路の山坂を越えて、この霊場第二番紀三井寺に漸く到着した。今朝参拝した藤白神社の前を通り、神社にもお参りした筈だ。そこからは僅かに1時間程の距離。海はもう既に目の前だ。花山法皇がこの寺にやって来て詠んだ歌が残されている。「古里を はるばるここに 紀三井寺 花の都も 近くなるらん」。歌の良し悪しは自分には判断できないが、長い辺路を踏み越え、漸く京の都に近づいた情感が歌に込められているようだ。
もう一人忘れてならない万葉歌人がいる。それは山部赤人で、後の西行同様に全国を行脚し、情景を歌にした。彼の和歌で「若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る」という万葉集にも掲載されている歌がある。彼がこの場所へ来た時代は、丁度紀三井寺の創建時期に当たり、彼がこの寺に参詣したのかどうかは自分には不明だが、今自分が立っている寺の境内からの眺めは、この歌の情景にぴったりだ。自分は矢張り、赤人はこの境内から和歌の浦を眺め、この和歌を詠じたものと思いたい。
- 旅行の満足度
- 5.0
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