2021/11/19 - 2021/11/19
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gianiさん
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西暦1200年には、歴史に登場する吉川氏。
安芸入府800年超、周防岩国入府400年超の歴史を持つ名門。
関ヶ原の戦いや明治維新に深く関わった当主たちの片鱗に触れる旅。
- 旅行の満足度
- 5.0
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岩国へのゲートは2か所。
一つは、JR岩国駅。ここからバスで20分ほど。いわくにバス 乗り物
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座席には都営バスのキャラクターみんくるがプリント。
こんな遠くへ払い下げられたみたいです(笑)。 -
終点のバスターミナル着
広島からの直行便も発着します。 -
住所岩国市岩国は、駅周辺ではなく
錦帯橋周辺の長閑なエリアでした。
江戸時代は、町人と中・下級武士の住むエリアでした。 -
錦帯橋の手前にある観光案内所。
松の根から採取した油を原料とした鬢付け油「松金油」を製造販売していた商家です。
松金屋最後の当主は福松銀行を創設しましたが、広島恐慌で没落しました。岩国市観光交流所 本家 松がね 名所・史跡
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錦帯橋を渡ります。
かなり急な太鼓橋です。
2020年には、400ccバイクで渡って逮捕される強者が現れます。錦帯橋 名所・史跡
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岩国城天守閣で展示されていた絵図。
1673年架橋、戦争中のメンテナンス難が祟って、
昭和25年の台風でノックアウト。
日本三奇矯の一つです。 -
槍倒しの松
大名行列が他藩の城下を通過する際は、
槍を立てずに下ろす(横向きにする)のがマナーでしたが、
岩国は小藩なので馬鹿にされ、槍を下ろしてもらえなかった。
それで、松で低いアーチを作り、強制的に槍を下ろさせた。
岩国を通過する九州の大名は、石高が多かった事情を反映しています。槍倒し松 自然・景勝地
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周辺は鵜飼の名所。
鵜匠がお世話しています。鵜飼 (錦帯橋) 名所・史跡
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けっこうかわいいです。
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ロープウェイで岩国城へ。
凄い高低差です。岩国城ロープウエー 乗り物
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天守閣は戦後再建。
錦帯橋からの景観を配慮して、オリジナルより50m南側に設置。
内部は博物館になっています。 -
岩国は吉川家が統治。
きっかわと読みます。
元々は駿河の清水出身ですが、承久の乱の戦功で安芸の地頭に栄転。
吉川晃司が広島出身なのもうなずけます。
12代の国経は隣接する尼子氏に妹、毛利氏に娘を嫁がせる。
14代の興経は尼子氏側に立場を定めるが、叔父の経世は毛利元就の次男を婿養子として迎え、対抗馬とする。
後者が勝利し、吉川家は毛利元就の血筋となる。 -
三本の矢で有名な毛利元就の息子3人は、毛利・吉川・小早川家(後者は婿入り)の当主となります。見事な政略結婚です。
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毛利元就の次男吉川元春は、尼子氏の領地を引き継ぎ、
富田城や米子城を建設します。 -
関ヶ原の戦いにおいて、毛利輝元は西軍の名目上の総大将。
元春の息子吉川広家は毛利のブレーンとして、決戦前夜に中立と引き換えに、毛利所領の保障を取り付ける密約を家康と結ぶ。
密約は反故にされたが、冷静な戦略家である。
小早川秀秋の裏切りで勝利が決まるなど、毛利勢の動向が戦いの鍵だった。 -
領地の7割以上をカットされた毛利家は30万石の大名に格落ち。
そのうちの3万石を吉川家がシェアした。
岩国は毛利領の東の境界線にして、山陽道が走る要衝。
一番信頼のおける吉川家を配置する盤石体制。 -
1608年に岩国城は完成。なかなかの名城です。
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写真は空堀跡。
山城に空堀を設ける鉄壁の守りは、江戸時代にしては珍しいそう。
幅20m深さ10mという規格外のスケールは鉄砲による攻撃を想定。
豊臣氏が現存するピリピリした世相を感じさせます。 -
豊臣氏が滅亡した1615年には一国一城令が定められ、
岩国城は僅か7年で破却!
実は毛利家は長門国、吉川家は周防国なので抵触しなかったのですが、長門の長府支藩は城を取り壊さなければならず、関ヶ原以降家臣の調和が乱れていたために、譲歩して足並みを揃えたお家事情があります。 -
お城の麓(東側)には、堀に囲まれた御土居というスペースが。
さすがに山城は不便ということで、こちらが城主の居館兼政務の場でした。
一般には、陣屋と呼ばれます。 -
当時の様子。
1602年に建設、廃藩置県まで機能しました。
岩国城は要塞という位置づけです。 -
代々城主を祀った吉香神社が鎮座します。
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錦帯橋とお城を結ぶエリアは武家町。
家老をはじめとする上級武士が居住しました。
現在は吉香公園として整備されています。 -
歴代当主の墓所もあります。
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麓西側の谷は寺町。
紅葉がきれいでした。
写真は1309年開山の永興(ようこう)寺境内。 -
東側に転じて、徴古館という博物館へ。
吉川家が、郷土に博物館を!と願って建設。
物資が不足した戦時中の建築とは思えない意匠に富んだ建築。 -
まずは、1673年に架けられたオリジナルの錦帯橋の部品。
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企画展「近世岩国のメディア」
まずは、飛脚のお仕事。
1806年に大坂の蔵屋敷に関する記録。
当時、大坂~岩国は5日を要した。 -
文書を保管する木箱。道中での紛失・虫害・水没のリスクから守る働きがあった。
中身は江戸家老からの問い合わせ。
当時、江戸~大坂は5日を要した。
飛脚は幕府公用の継飛脚、大藩は大名飛脚、
岩国のような小藩が利用した町飛脚が存在した。 -
あらゆる海外からの情報は、長崎からもたらされた。
黒船来航も、浦賀に突如として現れたのではなく、
幕閣は長崎経由で予め察知していた。 -
鳥羽伏見の戦い(戊辰戦争)の速報
淀川(伏見)・大坂・堺大火細見(1868年)
戊辰戦争は長州藩が先頭に立っていたため、
岩国の住民にとっても気がかりな内容だった。 -
上記と同じ事件の別のソース
伏見・大坂出火絵図(1868)
被災者数が微妙に異なっている。 -
1813年の象渡来の一報。
長崎から江戸へ陸路を移動。
オランダ船で渡来と書かれているが、正確にはイギリス船。
象の高さや足の長さの記述は、他の史料と一致しない。
コロナ禍で様々な情報が錯綜したので、他人事とは思えません。 -
常設展。
岩国の豪族岩国氏は、記録に登場する最初の支配者。
1185年の壇ノ浦の戦いで平家方について滅亡。
その後、周防国の守護大内氏の影響下に。1309年に開かれた永興寺は、歴代住職として高僧が招聘され、岩国の文教拠点として機能する。
1555年の厳島の戦いで大内家を滅びると、毛利元就の影響下に入る。 -
関ヶ原の敗戦後、
吉川家は出雲国富田12万石から、周防国3万石へ減俸。
吉川広家が主導した密約は、戦わずして負けたと毛利家臣の不満を一心に集め、軋轢が残る。 -
城下町の真ん中には暴れ川の錦川が流れ、橋を架けるたびに流される有様。
領主と上級武士が住む城山エリアと、中下級武士と町人が住む錦見エリアは物理的に遮断されていた。特に、家臣団が物理的に分断されることは望ましくなく、
三代藩主吉川広嘉は、長崎に亡命していた明の高僧独立(どくりゅう)の助言を得て、1673年に錦帯橋を架ける。大陸ではアーチ石橋、錦帯橋は木造アーチというところが、特筆点。 -
初代領主吉川広家は、干拓事業や法整備を進めるも、萩本藩からは支藩として認められず、代々大きなコンプレックスとなった。実に明治2年まで、萩藩毛利家の家臣という扱いだった。参勤交代が課される等、幕府からは大名扱いされるも毛利氏の意向がネックで官職は与えらなかった。
山陽道を通過する朝鮮通信使の接待は費用も掛かるが、多くの知識や文化を吸収する機会ともなった。 -
幕末の長州藩
毛利敬親は有能な家臣を登用し、明治維新を実現させる。
吉田松陰や岩国代官を務めた杉梅太郎(実兄)も含まれる。 -
吉川経幹は、毛利敬親から幕府・朝廷との外交を一任される。
特に、第一次長州征伐では、幕府府側との交渉で一戦も交えずして退却させる「救国」の功績も。
岩国三士を輩出した。 -
吉川史料館へ。
国宝等の史料は撮影禁止なので、撮影OKのもののみアップします。
写真は、吉川元春像。 -
吉川広家の具足。実戦着用アリ。
兜の前に付いているのは、「貝の息」。貝から吐き出される妖気をデザイン。
兜蓑はヤク(南米の駄獣)の毛。防寒と日除けの実用性も兼ねた。 -
国宝 狐ヶ崎の太刀
二代将軍の源頼家から梶原景時征伐を命じられた吉香友兼(吉川家二代目)が、
狐ヶ崎で景時の三男を討った(1200年)際に使用した太刀。 -
徳川家から下賜された
三つ葉葵御紋入りのアクセサリー(写真中央)。
唯一撮影OKの史料。 -
史料館の男子トイレのサイン。
お洒落です。 -
こちらは女子トイレのサイン。
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明治政府では華族に列せられ、天皇家と共に吉川家も東京へ移住。
御土居は、吉川家の岩国事務所(出先機関)に。現在に至ります。 -
錦帯橋を渡って、再び錦見エリアへ。
この場所で、若き日の佐々木小次郎は柳の葉や燕を斬って、剣術の腕を磨きました。
今でもヤクルトスワローズの天敵です。 -
藩校の流れをくむ岩国小学校の旧校舎。
藩校養老館卒の藤岡市助に関するコーナーが印象的でした。
工部大学校(東大工学部の前身)を卒業した藤岡は、母校の教授を務めた後、日本初の電力会社「東京電燈」を設立します。「電力の父」と呼ばれる所以です。 -
電球の国産化を目指してイギリス製の製造機を購入し、
白熱舎を設立します。 -
国産化を促進すべく東京電気㈱を設立し、社長に就任。
GEを筆頭株主にして、業務提携も結びました。
因みにGE創業者は、発明王エジソンです。彼には事業家としての一面もありました。 -
時代は遡りますが、1881年以降は芝浦製作所を設立した田中大吉(2代目久重)とも交流があります。
1939年に東京電気は芝浦製作所に合併。東京芝浦電気(東芝)が誕生。 -
白熱舎を設立した年には、日本初のエレベータを製造。
浅草の凌雲閣に設置されます。
東芝エレベータ㈱の前身。 -
同年には、日本初の電車も誕生。
最初に走らせたのは京都市です。
※写真は岩国電気軌道のもの。 -
1909年には、郷土岩国に、岩国電気軌道を設立。
1929年に役目を終えます。 -
東京電気の白熱球および真空管は、「マツダ(MAZDA)」ブランドで展開します。GE社のブランドで、ゾロアスター教の最高神アフラ・マズダーに由来するネーミング。東芝時代も継続し、1974年まで使用されました。
※自動車のブランドのマツダ(MAZDA 創業者の松田に由来)とは、無関係です。
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