2021/11/03 - 2021/11/05
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ペコちゃんさん
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旅の3日目は「高野山」の参拝。
高野山は、816年に弘法大師・空海が修行の場として開いた真言密教の聖地で、比叡山・恐山と共に日本三大霊場のひとつに数えられています。
高野山と聞けば一つのお寺か山のように感じますが、実は117ものお寺が集まった宗教都市で、海抜約850mの山々に囲まれた盆地の呼称でもあります。
その中心は「高野山真言宗金剛峯寺」ですが、他にも弘法大師が鎮座する「奥之院」や「壇上伽藍」など、見どころも多く、一度訪れたい場所でした。
また、10月下旬~11月上旬は紅葉の名所として多くの人が訪れます。
そして旅の最後に訪れたのは「丹生都比売(にうつひめ)神社」・・・弘法大師を高野山へ導き、その地を授けた神社として、高野山参詣の前に参拝することが古くからの習わしになっている由緒ある神社です。
写真は、高野山の檀上伽藍と美しい紅葉。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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<3日目>
「ホテル&リゾーツ和歌山みなべ」の部屋から見た紀伊水道の夜明け(6時30分)。 -
フロントロビーから外に出ると、ノンビリ気分になれそうなチェアが並び・・・
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目の前には小島・・・いい眺めです。
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朝食はバイキング。
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ホテルを8時に出発して、高野山に向かう途中、山の上に風力発電機が何基も設置されています・・・この辺りは強い風が吹くことから、関西有数の風力発電所が設置され、53基の風力発電機が稼働中。
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途中の「かつらぎドライブイン」で小休止・・・高野山の麓の参詣ルートでもあるかつらぎ町に、2013年にオープンしたドライブインです。
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店内には柿の葉寿司や産直新鮮野菜などが並んでいますが、お目当ては高野山のゴマ豆腐・・・精進料理の一つとして生まれたゴマ豆腐は、今や和歌山県の名産品です。
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男子トイレにあった面白い張り紙。
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ホテルを出発して2時間、ここから高野山への山道が始まります。
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高野山は、周囲を1,000m級の山々に囲まれた標高約800mの山上盆地・・・この地点は東京スカイツリーと同じ634m。
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『 ようこそご参拝下さいました 』の標柱が歓迎してくれます。
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10時半に奥之院の駐車場に到着。
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平成27年の『高野山開創1200年記念大法会』のイメージキャラクターとして誕生した『こうやくん』もコロナ防止のマスク。
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戦国武将や企業などの墓碑・供養塔が並ぶ「奥之院」・・・これは、弘法大師の足元に眠れば極楽住生できるという信仰によるもので、その総数は20万基以上あるそうです。
奥之院の一番奥にあるのが「弘法大師御廟」。 -
「中の橋」から参道に入ります。
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奉納された石灯篭が続きます。
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次々と並ぶ企業の供養塔・・・これは新明和工業の慰霊碑。
全長4mはあろうかという巨大なロケット・・・戦前は戦闘機などを製造した川西航空機でしたが、戦後、明和自動車工業(現・ダイハツ工業)と汎用機械部門の新明和興業に分割され、現在は飛行艇や産業機械などを製造しています。
弔われているのは、かつて会社で働いていた社員ですが、企業と人とのつながりの強さを実感させられます。 -
このユニークな墓は「日本しろあり対策協会」が建てたもの・・・何と、駆除されたシロアリが葬られているのです。
「やすらかにねむれ」とありますが、逆に元気だとこっちが困ります。 -
こちらは元首相・海部俊樹さんのお墓です。
高野山は誰でもお墓が作れ、座布団ほどの大きさで約100万円とのこと。 -
ヤクルト本社の企業墓・・・巨大なヤクルトと、「ヤクルト」の4文字が墓地の中で妙に目立ちます。
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100社を超す企業の供養塔や慰霊碑が並ぶ奥之院の参道・・・紅葉が綺麗です。
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シャープ供養廟・・・シャープのロゴマークが現在のものと異なっていますが、この楕円形の中にSharpと書かれた字体は、現在でも社員章として使われているそうです。
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作業員の銅像が建つ日産自動車の物故従業員慰霊碑・・・亡くなられた社員に対する敬意が感じられます。
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缶コーヒーなどで知られるUCC上島珈琲のお墓には石造りのコーヒーカップ・・・ 赤石で中身まで再現されているという作り込みの凄さには、もはや脱帽。
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これは「東日本大震災物故者慰霊碑」・・・今年の3月時点で震災で亡くなった方は15,900人、行方不明者は2,525人。
2013年に建てられた慰霊碑の前で、毎年3月11日には金剛峯寺による追悼法会が続けられています。
奥之院には関東大震災や阪神淡路大震災の供養塔もあります。 -
英霊殿に続く参道は、紅葉の真っ盛り!
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これは昭和43年に落語家・柳家金語楼が建てた「落書塚」・・・何と、中央に落書き用の石版が設けられています。
左の石碑には、次のように刻されています。
『らくがきは即ち良久加幾で好いこと 長く更に活力を増すものまた落我鬼であるから 自分の胸より怪しからぬ思いを去ってしまうもの 清川虹子』
『楽しく落がきの出来る場所を作りました 大切な場所にむやみに落がきをしないで下さい 柳家金語楼』
右側には花菱アチャコ句碑・・・上部の扇形の石碑に次の句が刻まれています。『笑われて 浮世をおくる 顔にで来』 -
大杉林が広がる奥之院・・・これはひときわ大きい大木で、幹周り:7. 9m、樹高:48m、樹齢:840年。
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一の橋から奥之院御廟に向う2kmほどの道に、約1300本の杉が林立する奥之院の大杉林・・・その多くは、江戸時代に全国各地の大名から苗木の寄進を受けたもので、優良な種子・穗木を確保するために国から特別母樹林に指定されたものが約700本があります。
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加賀前田家墓所・・・前田利長(二代藩主)の五輪塔は、奥之院で3番目に大きい三番石塔。
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法然上人の墓・・・法然(1133~1212)は、比叡山で天台宗の教学を学び、1175年に「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説き、のちに浄土宗の開祖と仰がれました。
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結城秀康(左側)とその母・長勝院(右側)の石廟の前で説明するガイドさん。
徳川家康の次男として生まれた秀康は豊臣秀吉の養子となりますが、秀吉に鶴松が生まれたため結城家の婿養子となりましたが、1607年に死去。 -
豊臣家墓所への階段・・・墓は一段高い所にあります。
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中央の大きいのが豊臣秀吉・・・淀君と秀頼の墓はここにはありません。
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「御廟橋」は弘法大師御廟に一番近い橋・・・36枚の橋板と橋全体を1と数え、金剛界(真言密教における大日如来の知恵の世界)の37尊を表しています。
御廟橋より先は聖域であり、写真撮影は禁止・・・衣服を正し、一礼して渡ります。 -
橋の先にある「燈籠堂」・・・弘法大師が835年に62才で入定(瞑想して生きたまま仏になること)し、弟子達が建てた「弘法大師御廟」はこの裏にあり、今もここで瞑想を続けていると言われ、高野山では現在も食事として、一日に二回の生身供(しょうじんく:大師に食事を運ぶ慣習)が続けられています。
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弘法大師御廟から御廟橋に戻ると、綺麗な紅葉が目の前に・・・玉川のほとりには立ち並ぶ「水向け地蔵」は、御供所で求めた経木をここで奉納し、水を手向けて先祖の供養をします。
右の建物は「護摩堂」。 -
護摩堂の隣にある「御供所(ごくしょ)」・・・御廟で入定している弘法大師の食事を作る所です。
御供所の前には大きな手水舎が。 -
無縁塚・・・高野山の敷地内には、誰を供養したのか分らなくなった墓石が無数に埋もれており、それらを集めて供養しているそうです。
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英霊殿近くの美しい紅葉。
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松下家墓所・・・石像の松下幸之助はナショナルをパナソニックに変えられ怒っているかも。
因みに、奥之院で最初の企業墓を建立したのは幸之助さんで、1938年のことでした。 -
紅葉だけでなく、黄色に色づいた銀杏も青空とのコントラストが見事!
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英霊殿前の紅葉。
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英霊殿は第二次世界大戦の戦死者供養のため、昭和27年に建立されたお堂。
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英霊殿の前に架かる朱塗りの平和橋は、平和の祈りを世界に伝える架け橋と言われています。
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英霊殿周辺の紅葉は、本当に見事でした。
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墓所巡りの最後は「喜多川家之墓」と「藤島家之墓」・・・ここは、新しいジャニーズの聖地。
向かって右はジャニー喜多川(1931~2019)の墓で、左に建つ同じ形の墓はジャニーが寂しくないようにと、姉のメリーさんが自身の墓を建てました。
姉弟の二人三脚でジャニーズ事務所をここまで大きく育ててきたので、そのうち彼女もこちらの墓に入る、という思いがあるようです。
因みに、2人の父は高野山で修業し、アメリカ・ロサンゼルスにある高野山真言宗米国別院の主監を務めていたこともあります。 -
昼食は駐車場のそばにあるレストラン「楊柳」で。
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和室の部屋で椅子がなかったので、高齢者にはちょっとキツイ・・・食事はマ~マ~でしたが、ゴマ豆腐は美味しかった
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「壇上伽藍」・・・弘法大師・空海が高野山を開山した際、真っ先に造営に取り組んだ場所で、奥之院とともに高野山の二大聖地の一つです。
密教思想に基づく曼荼羅の世界観を具現化したものと言われ、高野山全体の総本堂である「金堂」や高野山のシンボルともいえる「根本大塔」など19もの諸堂が建ち並び、右側は紅葉名所の蛇腹路。 -
「中門(ちゅうもん)」・・・819年創建の伽藍の正門で、1843年の大火で焼失したままの状態でしたが、2015年の高野山開創1200年を記念して172年ぶりに再建されました。
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両側には、焼失を免れた多聞天(上)と持国天(下)・・・かつて中門に安置されていた立像で、1819年に作られたものです。
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境内から見た中門。
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境内側には、中門再建に合わせて新たに造られた増長天(上)と広目天(下)・・・よく見ると、胸元に「トンボ」と「セミ」が・・・トンボは「後ろにしりぞかない」という強い姿勢を、セミは「威嚇」の姿勢を表しているそうです。
これで中門に四天王が初めて揃いました。 -
壇上伽藍の中央にある「金堂」は高野山全体の総本堂で、高野山での主な宗教行事が執り行なわれる建物。
819年に創建後、何度も焼失し、現在のお堂は1932年に鉄骨鉄筋コンクリート構造で再建されました。 -
拝観料200円を払って堂内へ。
金堂の本尊は、高村光雲が1931年に彫り上げた薬師如来像・・・中央の厨子に安置されています。
1925年の火災で焼失した本尊の再作製を当時76歳だった光雲に依頼し、一度は断られますが、高野山側は「彫刻が終わるまで息災延命の祈祷をして死なないようにするから」という強引さで口説き落とし、そこから約4年もの時間をかけて素晴らしい本尊が完成しました。 -
堂内から境内を見ると、燃えるような紅葉が・・・
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金堂の右側にある「大塔の鐘」・・・直径2.12mは日本で4番目に大きいことから
「高野四郎」と呼ばれます。
鐘楼が度々焼失して3度ほど改鋳され、現在の銅鐘は1547年に完成したもの。
現在でも毎日、午前4時・午後1時・午後5時・午後9時・午後11時の5回に分けて時刻を高野山内に知らせており、ちょうど午後1時だったので ” ゴ~ン、ゴ~ン ” と響き渡る鐘の音を聞くことが出来ました。 -
「根本大塔」・・・真言密教の根本道場として空海(774~835)が建立した高さ48.5mの塔で、奥の院と並んで最も神聖な場所です。
空海在世中には完成を見ず、没後(876年頃)に完成した根本大塔は、幾度かの火災と倒壊を繰り返し、現在の大塔は1937年に再建された鉄筋コンクリート造りのもの。 -
根本大塔は多宝塔様式としては日本最初のものと言われ、本尊は胎蔵大日如来。
周りは金剛界の四仏が取り囲み、16本の柱には十六大菩薩、四隅の壁には密教を伝えた八祖像が描かれ、堂内そのものが立体の曼荼羅となっています。(写真はHPより) -
根本大塔の前にある「八角燈籠」・・・東大寺大仏殿の八角燈籠と同じように、8枚の羽目板に ” 音声菩薩 ” の透かし彫りが施されていますが、これは根本大塔の再建を記念して南海電鉄が奉納したもの。
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金堂の北側にある「御影堂(みえどう)」・・・空海は在世中、御堂に如意輪観音を安置し、常に念誦していたので、念誦堂(持仏堂または御庵室)と呼ばれていましたが、空海の入定後に弟子実恵が真如法親王筆の弘法大師御影像を安置したため、御影堂と呼ばれるようになりました。
数度の焼失を経て、現在の建物は1848年に再建されたもの。 -
御影堂の前にある「三鈷の松」・・・空海は31歳の時に唐に渡って密教を修め、日本へ帰る時に「密教を教え広めるのに適した地を示せ」と言って船から投げた三鈷杵(さんこしょ)がこの松に懸ったと伝えられています。
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通常の松は二葉か五葉ですが、三鈷の松は葉が3本に分かれた珍しいもので、この葉を財布に入れておくと御利益があると言われています。
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伽藍の西北隅にある「西塔(さいとう)」・・・空海の遺志によって887年に建立され、5度の消失を経て現存の建物は1834年に再建されたものです。
根本大塔に次ぐ2番目の高さで27.27mあり、内部には金剛界大日如来と胎蔵界四仏が安置されています。 -
西塔の前にある「鐘楼」。
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金堂の左側にある「六角経蔵」・・・六角錐の形をした、お経を収める蔵で、1159年に建てられた後、何回か焼失し、現在の建物は1934年に再建されたものです。
以前の六角経蔵は蔵全体が回転したそうですが、現在は下にある取っ手のついている部分だけが回るようになっており、一回りすれば一切経を一通り読んだのと同じ徳が得られると言われます・・・ただ、なかなか重いので、大人5人がかりでやっと回せるようです。 -
壇上伽藍から紅葉名所の蛇腹路を通って金剛峯寺に向かいます。
根本大堂の先にあるのは「不動堂」・・・高野山内に現存する建物のなかで最古の堂で、現在の建物は14世紀前半に高野山・一心院谷に建立され、1908年に解体修理して現在地に移築されました。 -
不動堂の前に広がる「蓮池」・・・紅葉と蓮池にかかる太鼓橋が見事な景観を演出しています。
中門のすぐ横に位置する蓮池の小島には、雨乞いの仏様・善女竜王が祀られた善女竜王社があります。 -
蓮池の周りも鮮やかな紅葉!
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「大会堂(だいえどう)」・・・鳥羽上皇を祀るために、その娘・五辻斎院(いつつじのさいいん)の発願で建立されたもの。
現在の建物は1848年に再建された五間四面のお堂で、壇上伽藍で大法会が催される際、大人数を収容できるための集会所として大会堂と称するようになりました。
向拝の龍の彫刻も、なかなかのものです。 -
「東塔(とうとう)」・・・1127年、白河上皇の寄進で京・醍醐寺三宝院の勝覚権僧正(かくごんのそうじょう)が建立し、1843年に焼失後、140年も経った1984年に「弘法大師御入定1150年御遠忌」の記念事業でやっと再建されました。
高さは約18mで、根本大塔:48.5m、西塔:27.27mに比べると小振りです。 -
蛇腹路から振り返って見た壇上伽藍・・・東塔・大会堂・根本大塔と続く建物と紅葉のマッチングが素晴らしい!!
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「蛇腹路」は伽藍の入口(金剛峯寺)から壇上伽藍内(東塔)へ向かう小道、そして高野山随一の紅葉名所。
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京都にも負けない素晴らしい紅葉。
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真っ赤に色づいた紅葉のトンネル。
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高野山の紅葉の見頃は10月下旬~11月上旬・・・ベストシーズンに参拝出来て、幸せです。
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この伽藍入口から東塔へ通じる「蛇腹路」・・・弘法大師は壇上伽藍を頭として伽藍から東へ500mにある蓮花院まで、龍が臥している形に例えましたが、ちょうどこの小道が龍のお腹辺りになることから、蛇腹路と呼ばれるようになりました。
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蛇腹路から金剛峰寺の参道へ向かいます。
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金剛峯寺とは、もともと高野山真言宗の総本山としての高野山全体と同義でした。
これは、高野山が「一山境内地」と称し、高野山全体がお寺という考え方に基づいているためです。 -
金剛峯寺の「正門」・・・この門は金剛峯寺の建物の中で最も古い建物で、1593年に再建されもの。
昔は天皇と皇族、高野山の重職だけがくぐることを許された神聖な門でした。 -
「金剛峯寺」は真言宗高野山の中心的な寺院・・・壮大な玄関をもつ建物は、1863年に再建されました。
拝観料(1000円)を払って中に入ると、狩野探幽斎守信などによる壮大な襖絵や、国内で最大級の石庭・蟠龍庭などの見どころがありますが、時間がないのでパス。 -
境内右手にある「鐘楼」・・・金剛峯寺の前身であった青巌寺の鐘楼で、1860年の大火後1864年に再建されたもの。
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境内から見た正門・・・紅葉が見事です。
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金剛峯寺を出て伽藍入口の手前ある「六時の鐘」・・・高い石垣の上にあるこの鐘楼は、今も朝6時から夜22時まで、偶数時に時を知らせています。
尾張で生まれた戦国武将の福島正則が父母の追福菩提を祈って1618年に建立し、現在の鐘楼は、子の福島正利が焼失後の1645年に再建したもの。 -
集合時間が近づいたので、駐車場に向かいます。
途中の紅葉も綺麗ですね。 -
駐車場手前の別格本山・宝城院・・・宿坊にもなっています。
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バスで高野山を下る時、車窓から「大門」が見えました。
1705年に再建された高野山全体の総門で、高さは25.1m、五間三戸の二階二層門の大楼門です。 -
旅の最後は、平安時代から鎌倉時代にかけて、高野参詣の表参道だった和歌山県かつらぎ町天野の里に鎮座する「丹生都比売神社」・・・周りは田んぼがある、のどかな里山です。
約1700年前に創建された弘法大師と高野山との縁が深い神社で、空海が高野山を開く際に、丹生都比売大神の子の高野御子大神が、白と黒の2匹の犬を連れた狩人の姿に変身して高野山に案内したという伝説が残っています。 -
駐車場から「外鳥居」へ・・・両部鳥居の様式で、神仏習合が盛んだった神社によく見られます。
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鏡池に架かる「輪橋」・・・慶長年間(1596~1615)に淀殿の寄進で建立。
神様が渡る神橋ですが、参拝者も渡れます。 -
水面に輪橋の姿を映す美しい「鏡池」。
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「禊橋」を渡り「中鳥居」をくぐります。
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1499年に建立された入母屋造・檜皮葺きの堂々とした「楼門」・・・一般の参拝はこの楼門前から。
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楼門前の石段の左右には花立があって、季節の花が浮かぶ「花手水」。
丹生とは硫化水銀のことで、朱肉の原料となるほど赤く、この周辺には丹生という地名が多いことから、昔は水銀の産地だったそうです。 -
平成5年に寄進された楼門前の狛犬。
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楼門の先には、第一殿から第四殿が並ぶ「本殿」・・・一間社春日造の神社建築様式で建てられた本殿は、日本一の規模と言われています。
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すべての観光が終わり、名古屋に向かいます。
途中、2017年に開業した「御所の郷(ごせのさと)」で休憩・・・ここは京奈和自動車道・御所南PA内にある施設で、フードコートや農産物・特産品販売があるスポット。
奈良県西南部の御所市内に残る「御所まち」は、江戸時代初期に形成された陣屋町で、当時の検地絵図が今でも使えるほど、街の形が残っているそうです。 -
19時前に名古屋駅・新幹線口に到着・・・2010年前後に建てられた高層ビル群が迫ってくる感じです。
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20時31分発の「ひかり664号」に乗車し、1日目に予約した「松阪牛弁当」を食べながら帰路へ。
3日間で伊勢神宮~熊野三山・熊野古道~高野山と回り、歩いた歩数は5万歩以上・・・疲れましたが、金婚式記念の良い旅行となりました。
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