2021/11/03 - 2021/11/05
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ペコちゃんさん
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今年は結婚50年目・・・本来ならば金婚式の記念にヨーロッパ旅行に出かけたいところですが、コロナ禍の中で選んだのは《 伊勢神宮~熊野三山・熊野古道~高野山 》を巡る2泊3日の南紀ツアー。
1日目は、昔から「せめて一生に一度でも」と人々を惹きつける日本人の心のふるさと「伊勢神宮」を参拝・・・伊勢神宮は全国約8万社の神社の中でも格別のお宮として崇敬を集めています。
江戸時代、庶民の間でブームとなった「お伊勢参り」は最初の頃、村ごとに皆で積み立てたお金で代表者が参拝に行く “ 伊勢講 ” が中心でしたが、その後、個人でも出かけるようになり、1830年には約428万人(当時の日本人の人口は約3,220万人)がお参りしたと言われています。
しかし、当時は江戸から歩くと片道約15日間の大旅行・・・現在は新幹線などで簡単に行けますので、有難い世の中になったものです。
そして1日目の宿泊は、一度泊まってみたかった那智勝浦温泉・ホテル浦島・・・洞窟温泉「忘帰洞」をはじめ、4か所の温泉巡りで旅の疲れも癒されました。
写真は、多くの参拝者で溢れかえる伊勢神宮・内宮の正宮。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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今回の旅行は < 1日目:伊勢神宮、2日目:熊野三山と熊野古道、3日目:高野山 > と、三重県~和歌山県の観光名所を周遊する長丁場の3日間です。
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<1日目>
6時57分の東京駅発「こだま703号」に品川駅から乗車(7時4分)。
まだ暗いうちに起きて朝食を済ませ、バタバタと出かけました。 -
コロナ禍のおかげで、およそ2年振りの宿泊旅行・・・新幹線も久し振りです。
新富士駅が近づくと、美しい富士山が! -
新幹線・豊橋駅と名古屋駅の間にある「三河安城駅」・・・下車するのは初めてです。
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ホームから見えた南口のオブジェ・・・左側に進むと150m先に東海道線の駅があります。
新幹線の三河安城駅は地元の要望による請願駅として、在来線駅の近くに1988年に開業・・・総事業費約137億円は愛知県や地元が負担しました。
当時、「ひかり」の本数を増やすために「こだま」を追い抜くための待避線が必要だった国鉄は、タダ同然で待避線の新駅を手に入れた訳です。 -
新幹線の駅舎はデンマークの農家を模したデザイン。
北口から観光バスに乗り、南紀周遊の旅に出発! -
伊勢湾岸自動車道・豊明ICから高速に入り、伊勢神宮を目指します。
名古屋港に差しかかると、名古屋駅前の高層ビル群や、高さ85mを誇る名古屋港のランドマーク・大観覧車が見えました。 -
木曽川に架かる双子の橋「木曽川橋」と「揖斐川橋」・・・愛称は「トゥインクル 」です。
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絶叫マシン愛好家から「東の富士急、西のナガシマ」と呼ばれる「ナガシマスパーランド」が見えてきました。
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ジェットコースターが登っていきます。
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1966年に営業開始した「ナガシマスパーランド」の年間入場者数は約1,500万人・・・ディズニーランド・ユニバーサルスタジオに次いで、国内三番目。
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隣接する「なばなの里」はイルミネーションを見に行ったことがありますが、こんなアトラクションは高齢者には無理ですね。
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三河安城を出発して1時間半、11時に伊勢関ICを降りて「関ドライブイン」で休憩。
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三重県亀山市にある江戸時代の宿場町「関宿」・・・東海道五十三次で江戸から数えて47番目にあたり、参勤交代やお伊勢参りの人々で賑わったこの宿場町は、今も歴史的な建物が残っています。
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ドライブインの大きな建物も宿場町風。
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店内には土産物などがズラリ・・・帰りにもここに寄るとのことで、3日目の夕食オプションに「松阪牛弁当(1,200円)」をバスの中で予約しました。
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少し早いのですが、ここで自由昼食・・・建物の左側にある「れすとらん 関亭」に入りました。
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上:「味重』(1,320円)手こね寿司とエビフライ・唐揚げ・焼売
下:「伊勢路」(1,100円)伊勢うどんと手こね寿司のセット
・・・手こね寿司は美味でした。 -
12時半に伊勢神宮・外宮に到着。
伊勢神宮には「天照大御神」を祀る「内宮」と「豊受大御神」を祀る「外宮」がありますが、内宮より先に外宮をお参りするのが「習わし」とされています。
それは、豊受大御神が天照大御神の食事のお世話をする神様であり、お供えが必要なあらゆる儀式は外宮から始まる、ということのようです。 -
駐車場の周りには「伊勢神宮新穀感謝祭」の幟が・・・五穀豊穣の感謝を神様に捧げるものでしょう。
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伊勢神宮は約2,000年前に内宮が建てられ、その500年後に建てられたのが外宮・・・外宮では天照大御神の食事をお供えする「日別朝夕大御饌祭」という祭りが毎日行われており、外宮が誕生して以来、1500年もの間、1日として欠かすことなく続けられています。
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「火除橋」・・・ここから神域で、外宮は左側通行。(内宮は右側通行)
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火除橋を渡った左側にある手水舎。
外宮が左側通行の理由は、手水舎が進行方向の左にあり、また外宮の正宮が右側にあることから神様に近いほうを歩かないようにした、とも考えられています。 -
参道に飾られた国華会による菊の奉納展示。
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春にはサツキ・盆栽・花菖蒲、秋には菊の花が国華会により奉納展示され、参拝者を楽しませてくれます。
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第一鳥居をくぐり、森のような参道を進みます。
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「外宮神楽殿」は、正宮に至る参道の途中の右側にある銅板葺の建物。
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神楽殿棟続きの社務所で、ご祈祷やお神札・お守り・御朱印などを受けることが出来ます。
ここで孫達のためにお守りを購入・・・外宮は勾玉型の開運鈴守。(内宮は巾着型の開運鈴守)
因みに「おみくじ」は昔から伊勢神宮にはなし・・・おみくじは日頃からお参りできる身近な神社で引くもの・・・「一生に一度」と憧れたお伊勢参り自体が大吉なので、おみくじを引く必要がないとか。 -
参道を進み、右側に見えてきた「古殿地」・・・正宮と同じ広さで、2013年の式年遷宮まで旧正宮があった場所です。
式年遷宮には、65の社殿などを造り替えるだけではなく、約1,600点にも及ぶ御装束神宝も新調されます。
この社殿を新しく建て替える技術の伝承だけではなく、神の衣装や正殿を飾る装飾や器物等を製作とその人の伝承によって、文化の継続と伝承にかかせないものです。 -
第1回の式年遷宮が内宮で行われたのは持統天皇の4年(690年)のことで、戦国時代の一時期には出来なかったこともありましたが、それから1,300年以上に亘り続けられてきました。
式年遷宮は約550億円かかるそうで、全てが神宮の資金や寄付などで賄われます。
上空からの写真で見ると、新旧正宮の対比がよく分かります。(写真はHPより) -
豊受大神宮と言われる外宮の「正宮(しょうぐう)」・・・主祭神は衣食住の恵みを与えてくれる、産業の守護神である「豊受大御神」。
伊勢神宮は「私幣(しへい)禁断」とされており、個人的なお供え物は禁じられていました。(私幣:天皇以外の人々が神社に献げるお供え物)
従って、お賽銭は私幣にあたるため、正宮には賽銭箱がありません。 -
古殿地の南側にある三個の石を重ねた「三つ石」・・・この前で御装束神宝や奉仕員を祓い清める式年遷宮の川原大祓が行われます。
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「亀石」・・・別宮である多賀宮・風宮・土宮に進む参道の途中、中の御池に架けられている1枚の大石の橋・・・石の左側を見ると確かに亀に似ています。
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亀石を渡って進むと、右側にあるのが「土宮(つちのみや)」・・・土地の守り神で、他の別宮は南向きですが、この土宮だけが東向き。
こちらも式年遷宮がされており、同じ大きさの古殿地があります。 -
「風宮(かぜのみや)」・・・農業に関係の深い風と雨が順調であることを祈る宮。
かつては航海安全の守護神としても崇められ、1281年の蒙古襲来の際、神風を吹かせて国を護ったとされ、これにより末社から別宮に昇格しました。 -
「多賀宮(たかのみや)」・・・外宮にある四別宮の中で、最も格式が高い別宮。
伊勢神宮は外宮・内宮ともに正宮ではお願い事が出来ませんが、この多賀宮では個人的なお願い事が出来ます。 -
勾玉(まがたま)池のほとりに建つ「せんぐう館」・・・2013年の第62回式年遷宮を記念して建設されました。
館内には20年に一度行われてきた式年遷宮の工事に使われた道具、神事や装束、神宝などの一部が展示され、勾玉池に浮かぶ 「奉納舞台」では舞楽や中秋の名月の観月会も開催されます。 -
外宮を参拝した後は、真珠のお店「パールファルコ」へ立ち寄り。
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今回のツアーでお世話になった名阪近鉄バスの観光バス。
1日目は前から3番目の席で、通常は毎日変わる席が今回はコロナ対応で3日間同じ席・・・車に弱い家内は喜んでいました。 -
真珠養殖発祥の地・伊勢志摩で営業するパールファルコは、お客様から親しまれ(Familiar)愛され(Love)信頼される(Confidence)会社になりたいという願いを込めて ” FALCO ” と命名。
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店内は手ごろな物から高級なアクセサリーまで様々・・・時間があれば、アクセサリーの手作り体験も出来るそうです。
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本真珠以外にも淡水パールや黒真珠など色々あってみるだけでも楽しい!・・・「目の保養」をさせて貰いました。
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その後は、外宮から約4km離れた伊勢神宮・内宮(皇大神宮)にお詣りです。
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伊勢神宮の年間参拝者数内宮は、2018年の統計によると851万人(内宮:562万人、外宮:289万人)・・・本来なら外宮~内宮と回るお伊勢参りですが、約半分の人は内宮のみ・・・外宮とは観光バスの数が違います。
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時間があまりとれない団体さんは、こんな人力車が走り、おはらい町・おかげ横丁が隣接する内宮だけの参拝なのでしょう。
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五十鈴川に架かる内宮の入口「宇治橋」・・・日常の世界から神聖な世界を結ぶ架け橋で、ここから先は神域。
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宇治橋も20年に1度架け替えられます。
橋の上流にある柱は「木除杭」・・・五十鈴川の増水や氾濫の際に、上流から流れてくる流木が宇治橋の橋脚へ当たることを防ぎ、橋を守るための柱です。 -
神苑の木々も紅葉が始まっています。
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掃き清められた参道の砂利道・・・外宮は左側通行でしたが、内宮は右側通行。
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三重県では江戸時代の頃から「お伊勢参り」で伊勢神宮を訪れる多くの参拝者をもてなすため、酒造りが盛んに行われるようになりました。
2018年の日本酒の都道府県別生産量ランキングをみると、1位は兵庫県(110,391kl)で三重県は31位(2,404kl)。 -
外宮と同様、参道に飾られた国華会による菊の奉納展示。
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火除橋を渡り・・・
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右側にある手水舎で清め・・・
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第一鳥居~第二鳥居をくぐると・・・
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左側に神楽殿があり、ここでご祈祷やお神札・お守り・御朱印などを受ける事が出来ます。
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祈祷は御神楽と御饌(みけ)の2種類があり、この建物はお神札と神饌を供え、願い事を神前に奏上する御饌殿。(神饌:米・酒・塩・水など神に供える飲食物)
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正宮に来ましたが・・・
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人・人・人の行列!
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ここには皇室の御祖神であり、国民から総氏神のように崇められる天照大御神がお祀りされています。
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神宮杉の巨木から「気」を貰います。
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これは「御稲御倉(みしねのみくら)」・・・神田から収穫した抜穂(ぬいぼ)の御稲が納められ、祭典に際し大御饌(おおみけ)として神前にお供えされます。
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「外幣殿(げへいでん)」・・・かつて天皇以外のものから奉られた幣帛も納めた建物で、内部には古神宝類が納められています。
外幣殿は外宮にもありますが、板垣の内側にあるため見ることは出来ません。 -
「荒祭宮(あらまつりのみや)」・・・内宮に所属する十所の別宮のうち、天照大御神の「荒御魂」をお祀りする内宮第一の別宮です。
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風日祈宮橋を渡って「風日祈宮(かざひのみのみや)」に向かいます。
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風日祈宮橋の上から眺めた五十鈴川と神宮の森。
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「風日祈宮(かざひのみのみや)」・・・かつては風神社と称し、元寇の際、神風を起こした神威により、外宮の風宮と共に別宮に昇格しました。
風雨の災害が無いよう、また五穀が豊かに実ることを祈願して毎年5月と8月に行われる風日祈祭と関わりの深い別宮です。 -
3人の神職の方が来て、何をするのかと思っていたら、賽銭を集めて社務所へ持っていきました。
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「御厩(みうまや)」・・・皇室から献上された神馬のいる場所ですが、いつもいるわけではありません。
現在の神馬は2018年に奉納された草新号(くさしんごう)という茶色い毛の馬です。 -
宇治橋手前にある休憩所・参集殿の近くの池に、大きな錦鯉が気持ちよさそうに泳いでいます。
以前、五十鈴川にいた鯉たちが、参拝者の投銭した硬貨を餌と間違え飲み込んで死んでしまうことがあり、神域内二つの池に引っ越しをしたんだとか。 -
宇治橋から美鈴川を見ると、カモやシラサギが秋の日差しを楽しんでいるようです。
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駐車場に隣接した「おはらい町」でお土産を。
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赤福を食べたかったのですが、少量の箱は売り切れのため、明治43年創業の「岩戸屋」へ入り、バラマキ用のお菓子をゲット。
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お伊勢参りを終えて、那智勝浦の「ホテル浦島」へ向かいます。
ホテルには船で行くと聞いていたので、島かと思ったらここは海底が隆起して出来た岬で、観光バスが通れる道路や駐車場がないため、陸の孤島のような場所です。 -
伊勢神宮から2時間半ほどかけて、18時20分に勝浦港に到着・・・バスから送迎船「浦島丸」に乗り換えます。
因みに、団体客がいない午前10時から午後3時迄は、船でなく車での送迎です。 -
暗闇の中、ホテル浦島の本館と山上館(右上)が見えてきました。
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本館前の船着き場が近づいてきました。
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船に乗っておよそ5分・・・ホテル浦島に ” ようこそ !”
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本館・なぎさ館・日昇館・山上館の4棟からなるホテル浦島は、3,000人分の客室を持つ超巨大な温泉宿。
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船を降りて本館に向かい・・・
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ロビーで係員から広いホテルの説明を受けます。
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私たちが泊まるのは、熊野灘に面した日昇館・・・東側の海が目の前です。
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本館から土産屋さんが並ぶ長い通路を歩いて・・・
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8513号室に辿り着きました・・・10畳以上もある広い部屋です。
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この籠にタオルなどを入れて、夕食前に温泉へ・・・
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先ずは、日昇館の先の岩場にある洞窟温泉「玄武洞」へ・・・ここで「温泉巡り記念スタンプ」を押します。
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入り口の周りも洞窟そのもの。
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これが「玄武洞」・・・これまで経験したことがない洞窟温泉です。
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大きな湯船の先は、熊野灘に面した露天風呂・・・暗闇の中、岩に砕ける波の音だけが響いています。
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玄武洞から部屋に戻る途中にある「磯の湯」・・・浴槽が2つあり、最も源泉に近いお湯がひかれているので、6箇所の温泉の中でも特に効能が多く、右側の浴槽からは湯を汲み上げる ” ガバ、ガバ! ” という音が湯治場を思わせる雰囲気です。
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夕食は日昇館の2階にあるレストラン「サンライズ」でバイキング。
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メニューも豊富で、なかなか美味でした。
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夕食後、一息入れて本館の先にある「忘帰洞」へ。
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忘帰洞に向かう途中にある「ハマユウの湯」・・・熱めの温度の浴槽がひとつある内湯で、近くにある「滝の湯」と午前・午後の男女入れ替え制。
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忘帰洞の入り口を見上げると、玄武洞と同様、岩肌がむき出し・・・忘帰洞は、隆起の際に生じた於泥岩層の破砕帯が、熊野灘の荒い風波に浸食されて出来た、間口25m・奥行50m・高さ15mの天然洞窟です。
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これが楽しみにしていた忘帰洞・・・天然洞窟の中に湧出した温泉は、古くから沐浴に利用されていたようです。
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海側から入り口側を見ると、広い洞窟は左右に仕切られ、午後は左が男性用、右が女性用で、午前・午後の入替制です。
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露天風呂の先は熊野灘の荒波。
忘帰洞の名は、当所で旅館営業が始まった大正末期、紀州藩の徳川頼綸公が『帰るのを忘れさせるほど心地よい』と誉めて名付けられたもので、その名の通り入浴客に感動を与える洞窟風呂です。 -
昭和30年代の忘帰洞の写真が飾られていました。
当時はまだ混浴だったそうで、仕切りがないので浴槽が広く、洞窟の穴も大きくて景色が広く見えます。
明日も熊野古道など、沢山歩く予定なので、早めに布団に入りました。
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