2021/11/03 - 2021/11/05
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ペコちゃんさん
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旅の2日目は、熊野三山(熊野那智大社・熊野速水大社・熊野本宮大社)の参拝と熊野古道ウォーク・・・2004年にユネスコの世界遺産(文化遺産)として登録された「紀伊山地の霊場と参詣道」の観光です。
熊野は古くから人々の熱い信仰に支えられた聖域で、平安期には貴族や上皇など身分の高い人々のものだった「熊野詣」・・・江戸時代には、「伊勢に七度(ななたび)、熊野へ三度(さんど)」と言われるほど、伊勢神宮と熊野三山を参詣することは庶民の憧れで、多くの人々が長く険しい祈りへの道を歩いて熊野三山へ詣でましたが、道半ばにして行き倒れて亡くなる人々も多かったそうです。
「熊野古道」は熊野三山に詣でる路で、いくつかのルートがありますが、多くの旅人が歩いたのは、京都から大阪・和歌山を経て田辺に至る紀伊路から山中に分け入り熊野本宮を経て那智・新宮へ向かう「中辺路(なかへち)」・・・今回は熊野三山参拝の前後に中辺路の一部を歩きました。
写真は、熊野那智大社に隣接する青岸渡寺の三重塔と那智の滝。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 観光バス 新幹線
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- JTB
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<2日目>
早朝の5時過ぎ・・・8513号室から熊野灘を見ると、右側に玄武洞の露天風呂の明かりが、左側には漁船の灯が見えます。 -
漁師さんが獲っているのは伊勢海老のようです・・・那智勝浦といえばマグロが有名ですが、伊勢海老も日本有数の水揚げ量を誇っており、例年11月には「いせえび祭り」が開催されますが、今年は不漁のため開催中止だそう。
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少し明るくなってきたので山上館から狼煙山に登り、展望テラスへ・・・東の海を見ると「山成島」が見えます。
この島には、屋島を抜けだした平維盛が高野山で出家し、熊野三山の参詣を終えた後、小舟で山成島に着き、松の木に辞世の句を残して入水したというくだりが平家物語にあります。 -
その帰りに忘帰洞で朝風呂を・・・今朝は昨夜と反対側のお風呂です。
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露天風呂の先には、熊野灘が広がっています。
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よく見ると、左側にもう1か所の洞窟風呂が・・・昨夜の洞窟風呂と合わせ、忘帰洞のスケールの大きさにビックリ!
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玄武洞にも、また入りました。
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露天風呂から見えるサンライズが美しい!
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露天風呂からの眺望は最高!・・・左側を見ると、穴が開いた奇岩が見えます。
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私たちが泊まった8513号室も見えます。
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部屋に戻ると、ちょうど朝日が上がるところ・・・神々しさを感じます。
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部屋からは、熊野灘の荒波の右側に玄武洞の露天風呂が見えました。
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朝食は昨夜と同じ日昇館の「サンライズ」でバイキング。
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朝日を浴びて海を見ながらの朝食・・・リッチな気分になりますね。
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出発前のチェックアウトで「温泉巡り記念スタンプ」を提示・・・入浴剤の景品でした。
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送迎船に乗る前に「スペースウォーカー」をパチリ。
本館と狼煙山に建つ山上館を繋ぐ「スペースウォーカー」は、全長154mで高低差77m、所要時間は5分45秒・・・エスカレーターの脇には階段も設けられ、段数は428段。
昭和31年に創業したホテル浦島は、宿泊施設拡張のため狼煙山までケーブルカーを昭和36年に敷設し、昭和42年に山上館を竣工させました。
平成5年にケーブルカーからバトンタッチしたのがこのスペースウォーカーです。 -
送迎船「浦島丸」がやってきました。
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熊野灘に面したホテル浦島の本館(上)となぎさ館(下)を見ながら勝浦港に向かいます。
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今日は、最初に熊野古道・大門坂を歩き、那智の滝~熊野那智大社~青岸渡寺と回ります。
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大門坂の駐車場に建つ「なでしこジャパン記念モニュメント」・・・黒い八咫烏(やたがらす)が金色のサッカーボールを抑えています。
これは、2011年のFIFA女子ワールドカップ優勝とロンドンオリンピック銀メダルを記念して2014年に建てられました。 -
日本にサッカーを広めた中村覚之助(1878~1906)は那智勝浦町の出身で、熊野には三本足の八咫烏と蹴鞠(けまり)にまつわる伝承があることから、1931年に日本サッカー協会が八咫烏を協会のシンボルマークとしました。
記念モニュメントの周りには、2011年のドイツワールドカップでの優勝メンバー全員の足型(手型)があります。 -
熊野古道の中でも、当時の面影を最も美しく残している「大門坂」。
熊野詣の人々が通った熊野古道・・・京洛の地より80里・片道15日間の行程でした。 -
開店準備中の「大門坂茶屋」・・・ここでは平安衣装の貸し出し(有料)も行っています。
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鳥居をくぐった先は「振ヶ瀬橋」・・・この橋が俗界と聖域とを振り分ける境の橋。
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2本の大杉は、樹齢800年、幹周り8.5mの「夫婦杉」。
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九十九王子ある中辺路の最後の王子社・多富気王子跡の石碑・・・王子社とは、樹叢や峠の神仏に「手向(たむ)け」をした場所で、休憩地としても利用され、時には歌会なども開かれて長い旅の疲れをほぐしました。
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苔むした石段の両サイドは、樹齢500年以上の見事な杉並木。
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僅か10分余りのウォークでしたが、熊野古道の雰囲気を楽しめました。
坂を登りきるとバスが待っています。 -
バスで移動して、那智の滝へ・・・駐車場に面する「飛瀧(ひろう)神社」の鳥居をくぐって石段を滝壺まで下りて行きます。
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両側が大樹に囲まれた石段を下っていくと、木々の間からしぶきを上げる日本3大名瀑の一つ「那智の滝」が目の前に・・・落差133m、滝壺の水深10mにも及ぶ大滝は古来より熊野信仰の中心地のひとつとして参拝者を集めてきました。
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飛瀧神社は熊野那智大社の別宮で、那智の滝自体が御神体・・・本殿や拝殿もなく、直接、滝を拝みます。
滝の飛沫に触れることによって、延命長寿の霊験があるとか。 -
流下する水量は毎秒約1トン・・・水しぶきが涼やかな風とともに届き、ここが確かに信仰の場所であったことを実感します。
那智の奥にある大雲取連山からの流れには那智48滝と言われる多くの滝があり、一番大きな那智の滝は一の滝とも言われ、上流に二の滝、三の滝と続きます。 -
華厳滝・袋田の滝と共に日本三名瀑に数えら、一段の滝としては落差日本一の那智の滝ですが、もう一つの日本一は、社務所の前にあるおみくじ・・・日本一の滝の長さ(133m)に因んだ日本一大きな(133cm)のおみくじで、大人がやっと抱えられるくらいの大きさです。
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参道の石段も133段・・・借りた杖を頼りに、何とか駐車場まで戻りました。
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バスで移動して、熊野那智大社と青岸渡寺へ向かいます。
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参道入り口の案内板から467段の石段を登っていくのですが、高齢者ツアーに杖は欠かせません。
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上皇や法王の宿所だった「実方院」の跡地。
手前にカエルの賽銭箱が置かれています。 -
石段の途中にはお土産屋が軒を連ねています。
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那智黒碁石で有名な那智黒石・・・でも産地はこの周辺でなく、三重県熊野市神川町周辺。
白は蛤ですが、くり抜いた後の貝殻を見ると『13日の金曜日』のジェイソンを思い出して、ちょっと不気味・・・ -
熊野那智大社の「一の鳥居」。
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鳥居をくぐって左側にある手水舎で身を清め・・・
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最後の石段を登って「二の鳥居」へ。
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熊野速玉大社・熊野本宮大社とともに熊野三山の一つである「熊野那智大社」・・・元々は那智の滝の近くで祀られていましたが、仁徳天皇5年(317年)、那智山の中腹に改めて社殿を設けたのが熊野那智大社の始まりです。
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平成31年に改修工事が終わった「拝殿」・・・色鮮やかです。
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拝殿の左側にある「宝物殿」・・・那智経塚の出土品や熊野那智大社文書(国指定文化財)等、熊野信仰の歴史を語る重要資料が閲覧できます。
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平清盛の嫡男・平重盛が参詣の折り手植えしたと伝わる樟(クス)の大木・・・樹齢約800年と推定され、樹高は27m、幹回り約8.5mで根幹部は空洞化しており、「胎内くぐり」ができます。
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で、護摩木初穂料300円を納めて願い事を書いて・・・
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胎内くぐりにトライ!
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これが御神木である大樟の中・・・階段を上って出口の護摩舎に護摩木を納め、胎内くぐりは終了。
この護摩木は毎月十八日の権現講祭に炊き上げ祈願するそうです。 -
拝殿の先にある門を潜り、天台宗の「青岸渡寺」へ・・・西国三十三所観音巡りの第一番札所で、本堂(如意輪堂)は1590年の建立。
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仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人の開基とされ、上人が那智の滝の滝壺で得た金製の如意輪観音菩薩を本尊として安置したと伝承されています。
かつては那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場でしたが、明治初期の廃仏毀釈は免れました。 -
この鰐口(わにぐち)は、1590年に豊臣秀吉の命で本堂を再建した際、豊臣秀吉より寄進された日本一の大鰐口で、直径1.4m、重量450kgもあります。
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境内にある「タブノキ(犬樟)」・・・樹齢約700年の大木です。
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鐘楼・・・梵鐘は1324年の鋳造。
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宝篋印塔・・・1322年の造立で、高さは4.3m。
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青岸渡寺の境内からは、那智の滝がよく見えます。
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那智の滝は、境内一帯から観ることが出来ますが、その中でも青岸渡寺の三重塔とのコラボレーションは絶景!
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三重塔は1581年に焼失しましたが、約400年を経た1971年に再建されました。
塔の高さは25mで、各層は美しい格天井(ごうてんじょう)と板壁画で飾られています。 -
熊野三山の2つ目は「熊野速玉大社」。
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「太鼓橋(下馬橋)」を渡って鳥居をくぐり、境内へ進むと・・・
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左側にある御神木の「梛(なぎ)」・・・平重盛が国の安寧を祈念して手植えしたと伝わる、樹齢約千年の日本一の梛の大樹です。
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神宝館の前にあるのは、チェーンソーで作られた武蔵坊弁慶の木像・・・弁慶の出身は、熊野三党の一つである鈴木一族と伝えられます。
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神門の手前にあるユニークな龍の手水舎・・・今はコロナ禍で竹を使っていますが、通常は象の鼻のように突き出た龍口から清水が注がれ、柄杓で受け清めるのでしょう。
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「神門」・・・巨大な注連縄(しめなわ)が掛けられています。
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境内にある「オガタマノキ」・・・幹周り:1. 65m、樹高:21m。推定樹齢:1100年の大樹です。
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「社殿」は1883年に焼失した後、仮殿を建て、1967年に再建・・・従って伽藍はコンクリート造りのものが多いのですが、朱で彩られた社殿は周囲の杜の中にあって荘厳な印象を与えてくれます。
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主祭神は熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)の夫婦神で、日本初の夫婦となった2人の神様を主祭神として祀っていることから、縁結びは勿論、家内安全のご利益があると言われています。
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また、11月のこの時期には七五三の家族連れも多く見かけます。
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「熊野御幸」の石碑・・・907年から1303年にかけ上皇、女院、親王を含め140回の皇室の参詣があり、後白河上皇は33度、後鳥羽上皇は29度の行幸記録が残っています。
御幸の道順は京都から紀伊半島海岸線沿いに南下し、田部~中辺路~本宮を経て熊野速玉大社に参拝して帰京する、二十数日に及ぶ旅でした。 -
車窓から熊野川を眺めながら、3つ目の熊野本宮大社に向かいます。
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これは山を削り取った採石場跡・・・まるで岩の柱を垂直に並べ立てたような見事な柱状節理は熊野酸性火成岩の花崗斑岩で、マグマが冷え固まる時に出来た割れ目です。
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途中の「瀞峡めぐりの里 熊野川」で昼食。
ここはレストラン、土産物屋のほか、瀞峡をめぐるウォータージェット船の乗り場にもなっています。 -
奈良県・三重県・和歌山県の三県にまたがる瀞峡・・・この美しい秘境の景色を船でめぐる瀞峡めぐりですが、コロナのせいか、現在は運休中。
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昼食は「瀞峡御膳」・・・鮎の甘露煮や梅そうめん等、マーマーでした。
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熊野本宮大社は、かつては熊野川の中洲にあった「大斎原」(おおゆのはら)にありましたが、明治時代の大水で流されたため、被害を免れた社殿が山の上にある現在地に移築されました。
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熊野本宮大社が近づき、バスの車窓から見えた巨大な鳥居は大斎原の「大鳥居」・・・2000年に建てられ、高さは33.9mで日本一の大鳥居です。
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バスを降りて「一の鳥居」へ。
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狛犬もコロナ対応・・・八咫烏の印が入ったマスクをしています。
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参道には奉納された幟がズラリ。
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その先に待ち受けていたのは、158段の階段!
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手水舎には龍でなく三本足の八咫烏・・・八咫烏の「八咫」とは大きく広いという意味で、三本の足は天・地・人を表し、神と自然と人が同じ太陽から生まれた兄弟であることを示す、という意味だそうです。
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3つの川(熊野川・岩田川・音無川)が合流する大斎原の中州に鎮座していた、かつての神社・・・明治22年の熊野川の大洪水で多くの建物は倒壊しましたが、難を逃れた上四社を明治24年に現在の地に移築し、遷座しました。
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「神門」・・・左には神の遣いである八咫烏の幟が。
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神門をくぐると上四社の社殿が鎮座しており、参拝順序は<証誠殿(本宮・第三殿)⇒中御前(結宮・第二殿)⇒西御前(結宮・第一殿)⇒東御前(若宮・第四殿)⇒最後に満山社>の順です。
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左側:証誠殿(本宮・第三殿)
右側:東御前(若宮・第四殿) -
右側:中御前(結宮・第二殿)
左側:西御前(結宮・第一殿) -
1986年に建立された白河上皇歌碑・・・書は秩父宮勢津子妃殿下の御筆です。
『 咲きにほふ 花のけしきを 見るからに 神のこゝろぞ そらにしらるゝ 』 -
神門の左側にある拝殿。
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御神木の多羅葉(たらよう)の木の下にある「八咫ポスト」・・・普通のポストとして機能しているので、手紙やハガキを投函することもできますよ。
古人は多羅葉の葉の裏に、針などで経文や手紙を書いたそうで、「葉書」の語源になっています。 -
拝殿に向かって右に亀石、左には大黒石・・・「亀石」に触ると長寿になり、向かいの「大黒石」に触ると金運が上がるとか。
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拝殿右側の八咫烏・・・八咫烏は神武東征の際に神武天皇のもとに遣わされ、熊野国から大和国への険しい道を案内したとされるカラスで、熊野三山の各大社では八咫烏を神の使いの鳥としています。
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拝殿もマスクを着けた狛犬が守っています。
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熊野三山の参拝を終え、熊野古道・中辺路へ・・・道の駅の駐車場でバスを降り、ここから山道を1時間ほど歩きます。
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中辺路は田辺市を起点として熊野三山(本宮・那智・新宮)を回る、総距離が84kmのルートですが、派生ルートも多いため、実際の距離はそれ以上あり、現在でも4泊五日は必要・・・さわりの部分を語り部の方が案内してくれます。
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杉林の中、我が家の近郊にある山歩きの感じで、高齢者でも大丈夫!
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「一里塚」は一里ごとに道の両側に塚を築き、その上に松を植え、旅の目印にしたもので、ここは和歌山から26里(102km)・・・今はどこにも塚や松が残っていませんが、昔が偲ばれます。
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箸折峠の「牛馬童子」・・・明治時代に作られたものですが、牛と馬にまたがる僧服の石像は花山法皇(平安時代中期)の熊野詣の旅姿であるとも言われ、高さ50cm程の姿は中辺路のシンボル的存在。
牛馬童子像のある箸折峠は、花山法皇が食事をとるため休憩した際、近くに生えていた萱を折って箸にしたことから、その名がついたと伝えられています。 -
牛馬童子の後ろにある宝篋印塔は鎌倉時代のものと推定されています。
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この石畳は当時のものか語り部の方に聞いたところ、世界遺産登録前に市の方で石畳にしたとか・・・オリジナルの道でなくなったことに語り部の方は憤慨していました。
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山を下り日置川を越えた所に、このコースの終点「近露王子」があります。
昔は日置川で禊(みそぎ)をしてからお参りしたそうです。 -
王子とは、熊野の神様の御子神が祀られている所で、参詣者の休憩所でした。
近露王子は、九十九王子(99ヵ所あるのではなく「数が多い」の意味)の中でも古くからあった王子です。 -
熊野三山の参拝と熊野古道ウォークも終わり、田辺市経由で今日の宿泊地・みなべ町に向かいます。
途中、「紀州梅の里 なかた」に立ち寄り・・・ここは創業百二十余年の老舗。
平成9年には天皇皇后両陛下も本社工場を訪れたことがあります。 -
国産梅の約6割は和歌山県産で、南高梅が代表品種・・・南高梅はみなべ町の高田梅を原木として改良を重ねて生まれた梅で、南部高校園芸科の協力も得たこともあり『南高梅』と命名されました。
2012年にオープンした直売店では、いろんな味の南高梅製品を置いており、「はちみつ梅」をお土産にゲット。 -
本日最後の観光は、熊野の入り口・田辺に勧請された「闘鶏神社」。
一の鳥居から二の鳥居につながるこの参道では、7月の田辺祭りで流鏑馬が行われるそうです。 -
二の鳥居をくぐって境内へ・・・闘鶏神社の正式な表記は「鬪雞神社」。
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419年に熊野権現(現在の熊野本宮大社)をこの地に勧請し、田辺の宮と称したのが闘鶏神社の始まりで、白河法皇の時代(1100年頃)には新たに熊野三所権現を勧請し、熊野別当・湛快の時(1147年)に更に天照皇大神以下十一神を勧請して新熊野権現と称し、湛快の子の湛増が田辺別当となりましたが、その子が弁慶と伝えられています。
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田辺は熊野街道の大辺路・中辺路(熊野古道)の分岐点であることから、皇族や貴族の熊野詣の際は当社に参籠し、心願成就を祈願したそうです。
熊野三山の全ての祭神を祀る熊野の別宮的な存在だったので、当社に参詣して三山を遥拝して山中の熊野まで行かずに引き返す人々もいました。 -
源平合戦の際(1185年)に、源氏と平氏のどちらに付くか思案した湛増が、神前で赤(平氏)と白(源氏)の鳥を闘わせたところ、白の鶏が勝ったため源氏に味方した、という故事があり、そこから闘鶏神社と改称されました。
このことから、勝負の神様としてご利益があるとも言われ、勝運向上を祈願する人も多いとか。 -
境内にある湛増と弁慶の銅像・・・二人の前で二羽の鶏が闘っています。
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境内にあるこの大楠は、落雷により中央部を失ったため高さはないですが、幹回り、枝振りは見事なもので、樹齢1200年ほどと推測されています。
歯病平癒の御利益があるとされ、楠の下に立って楠の葉を患部に付け、祈願すると平癒するとか。 -
この後はバスで紀伊半島西側の海岸線を走り、海に沈む美しい夕日を眺めながら、夕方5時半に今日のホテル「ホテル&リゾーツ和歌山みなべ」に到着。
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広いロビー。
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ロビーの柱にはガラス越しに平成天皇皇后両陛下が宿泊された時の写真が何枚も展示されています。
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部屋も広く、ゆったりしています。
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夕食前に地下一階の温泉へ・・・大浴場と海が見える露天風呂で疲れを取ります。
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これは大浴場の手前に飾られた紀州備長炭のオブジェ・・・和歌山県は日本有数の白炭の生産量を誇っており、年間約1,200トンを生産しています。
紀州備長炭は、ウバメガシを原料に作られる固くて良質な白炭で、料理の加熱・焼き物には最適の材料です。 -
夕食はバイキングでなく和食膳・・・刺身・鯛しゃぶ・鴨のすき焼き等、美味しく頂きました。
明日は高野山へ向かいます。
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