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弘前観光と言えば?<br />◎文学が好きな人は「それは太宰治でしょう」太宰治は旧制弘前高校で3年間過ごしました。<br />◎お城が好きな人は「絶対、弘前城でしょう」明治維新以前に築かれ、今日まで残る「天守閣」は全国で12城のみ。関東より東では弘前城のみ。貴重な天守!<br />◎伝統文化が好きな人は「津軽藩ねぷた村」弘前ねぷた祭りや津軽三味線の生演奏、津軽民芸制作実演など体験できます。<br />◎りんごが好きな人は「弘前市りんご公園」弘前市はりんご生産量日本一です。<br />◎大自然が好きな人は「世界遺産の白神山地ハイキング」「岩木山登山」でしょうか。<br />さてさて、我々の目的は?勿論、弘前城です。全国お城巡りの一環です。<br /><br />私の新著出ました。<br />『ホテル上級会員の世界ーマリオットのプラチナに憧れ、ヒルトンのダイヤに目がくらんだ、シニア男性の夢物語』<br />私のホームページに上記書籍の紹介あり。<br />『第二の人生を豊かに』<br />http://www.e-funahashi.jp/work/index.htm

弘前観光(地上に降りた弘前城天守)

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2021/09/26 - 2021/09/27

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funasan

funasanさん

弘前観光と言えば?
◎文学が好きな人は「それは太宰治でしょう」太宰治は旧制弘前高校で3年間過ごしました。
◎お城が好きな人は「絶対、弘前城でしょう」明治維新以前に築かれ、今日まで残る「天守閣」は全国で12城のみ。関東より東では弘前城のみ。貴重な天守!
◎伝統文化が好きな人は「津軽藩ねぷた村」弘前ねぷた祭りや津軽三味線の生演奏、津軽民芸制作実演など体験できます。
◎りんごが好きな人は「弘前市りんご公園」弘前市はりんご生産量日本一です。
◎大自然が好きな人は「世界遺産の白神山地ハイキング」「岩木山登山」でしょうか。
さてさて、我々の目的は?勿論、弘前城です。全国お城巡りの一環です。

私の新著出ました。
『ホテル上級会員の世界ーマリオットのプラチナに憧れ、ヒルトンのダイヤに目がくらんだ、シニア男性の夢物語』
私のホームページに上記書籍の紹介あり。
『第二の人生を豊かに』
http://www.e-funahashi.jp/work/index.htm

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  • 青森県内にある都市の人口ランキングは、上位から青森市(約28万人)八戸市(約22万人)弘前市(約17万人)となっています。青森県全体でも約125万人で、前年より15536人減少しています。青森県は秋田県に次ぐ全国2番目の人口減少率です。2021年4月現在<br />写真:JR弘前駅

    青森県内にある都市の人口ランキングは、上位から青森市(約28万人)八戸市(約22万人)弘前市(約17万人)となっています。青森県全体でも約125万人で、前年より15536人減少しています。青森県は秋田県に次ぐ全国2番目の人口減少率です。2021年4月現在
    写真:JR弘前駅

  • 我々は弘前駅前に建つ「ホテルルートイン弘前駅前」(写真)に1泊しました。部屋は高層階指定の「コンフォートツイン」です。部屋の窓からは弘前駅と市街が一望できます。

    我々は弘前駅前に建つ「ホテルルートイン弘前駅前」(写真)に1泊しました。部屋は高層階指定の「コンフォートツイン」です。部屋の窓からは弘前駅と市街が一望できます。

  • コンフォートツインの部屋の広さは18㎡、広くはないですが、大浴場、朝食付きなので何も問題ありません。料金は1泊2名利用で10300円でした。

    コンフォートツインの部屋の広さは18㎡、広くはないですが、大浴場、朝食付きなので何も問題ありません。料金は1泊2名利用で10300円でした。

  • 我々の弘前観光のメインは「弘前城」です。弘前城は津軽統一を成し遂げた津軽為信(ためのぶ)が慶長8年(1603年)に計画、2代藩主信枚(のぶひら)が慶長16年(1611年)に完成させた津軽氏の居城です。

    我々の弘前観光のメインは「弘前城」です。弘前城は津軽統一を成し遂げた津軽為信(ためのぶ)が慶長8年(1603年)に計画、2代藩主信枚(のぶひら)が慶長16年(1611年)に完成させた津軽氏の居城です。

  • 築城以降、明治維新の廃藩置県に至るまで江戸時代260年間、津軽藩政の中心でした。明治28年(1895年)に弘前公園として市民に開放され、昭和27年(1952年)に史跡に指定されました。

    築城以降、明治維新の廃藩置県に至るまで江戸時代260年間、津軽藩政の中心でした。明治28年(1895年)に弘前公園として市民に開放され、昭和27年(1952年)に史跡に指定されました。

  • 弘前城はとにかく広いです。広さは約49.2haもあり、東京ドーム10個分以上の敷地に三重の堀をめぐらしています。先ずは一番外堀にある追手門(写真)から入ります。

    弘前城はとにかく広いです。広さは約49.2haもあり、東京ドーム10個分以上の敷地に三重の堀をめぐらしています。先ずは一番外堀にある追手門(写真)から入ります。

  • 弘前公園の正面玄関と言える「追手門」(写真)は2層の櫓(やぐら)門となっています。追手門を入ると「弘前城:三の丸」になり、堀と橋を渡るごとに「二の丸」「本丸」と続きます。

    弘前公園の正面玄関と言える「追手門」(写真)は2層の櫓(やぐら)門となっています。追手門を入ると「弘前城:三の丸」になり、堀と橋を渡るごとに「二の丸」「本丸」と続きます。

  • 櫓門は全体的に簡素な素木造り(しらきづくり)となっていて、戦国時代の古い形式を残し、全国の城郭建築の中でも珍しいものとされています。<br />注:素木造り‥色を塗らない、木の地肌そのままの材木を使って建物を建てること。

    櫓門は全体的に簡素な素木造り(しらきづくり)となっていて、戦国時代の古い形式を残し、全国の城郭建築の中でも珍しいものとされています。
    注:素木造り‥色を塗らない、木の地肌そのままの材木を使って建物を建てること。

  • 追手門をくぐると長い直線の道があり、左側が広大な「市民広場」(写真)になっています。大木が育ち、木陰で読書・昼寝・お弁当が楽しめます。この反対側に「弘前城植物園」があります。

    追手門をくぐると長い直線の道があり、左側が広大な「市民広場」(写真)になっています。大木が育ち、木陰で読書・昼寝・お弁当が楽しめます。この反対側に「弘前城植物園」があります。

  • 弘前城には立派な石垣が多数残っています。今のようなクレーン等の機械のない江戸初期、どうやってこのような大きな石を運んだのでしょうか?“石引き”は祝祭空間だった、という説明(写真)がありました。

    弘前城には立派な石垣が多数残っています。今のようなクレーン等の機械のない江戸初期、どうやってこのような大きな石を運んだのでしょうか?“石引き”は祝祭空間だった、という説明(写真)がありました。

  • 石材運搬という苦行は熱狂と興奮のお祭りにしないと「やってられなかった」のでしょう。そのように人足を仕向けた藩政は賢いですね。

    石材運搬という苦行は熱狂と興奮のお祭りにしないと「やってられなかった」のでしょう。そのように人足を仕向けた藩政は賢いですね。

  • 2番目の堀「中濠」にかかる朱塗りの「杉の大橋」(写真)を渡ると二の丸に入ります。

    2番目の堀「中濠」にかかる朱塗りの「杉の大橋」(写真)を渡ると二の丸に入ります。

  • 二の丸に入る関所「南内門」(写真)が訪問者の前に立ちはだかります。

    二の丸に入る関所「南内門」(写真)が訪問者の前に立ちはだかります。

  • 二の丸の角、中濠に面して「辰巳櫓」(写真:たつみのやぐら)が建っています。二の丸には、この他に「丑寅櫓(うしとらやぐら)」「未申櫓(ひつじさるのやぐら)」があります。城郭に取り付く敵を攻撃したり、物見の櫓として機能していました。

    二の丸の角、中濠に面して「辰巳櫓」(写真:たつみのやぐら)が建っています。二の丸には、この他に「丑寅櫓(うしとらやぐら)」「未申櫓(ひつじさるのやぐら)」があります。城郭に取り付く敵を攻撃したり、物見の櫓として機能していました。

  • 二の丸へは「南内門」からと「東内門」から入りますが、その2ルートが「下乗橋」(写真)で合流し、いよいよ「本丸」に向かいます。

    二の丸へは「南内門」からと「東内門」から入りますが、その2ルートが「下乗橋」(写真)で合流し、いよいよ「本丸」に向かいます。

  • そして、この下乗橋から見上げた天守閣が素晴らしい!<br />の、はずでしたが、何と「天守閣がない」、無残な建築現場(写真)と化していました。

    そして、この下乗橋から見上げた天守閣が素晴らしい!
    の、はずでしたが、何と「天守閣がない」、無残な建築現場(写真)と化していました。

  • 素晴らしい弘前城天守閣(写真)は石垣工事のため、平成27年10月に本丸の内側に曳家(ひきや)され、元の位置に戻すまでには5年以上かかる見込みという。<br />注:曳家(ひきや)‥建物を解体せず、基礎ごと切り離しジャッキアップして建物を引っ張って移動する

    素晴らしい弘前城天守閣(写真)は石垣工事のため、平成27年10月に本丸の内側に曳家(ひきや)され、元の位置に戻すまでには5年以上かかる見込みという。
    注:曳家(ひきや)‥建物を解体せず、基礎ごと切り離しジャッキアップして建物を引っ張って移動する

  • 現在の弘前城天守は文化8年(1811年)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。ところで、明治維新以前に築かれ、今日まで残る「天守閣」は全国で12城のみしかありません。信州「松本城」より東では弘前城のみしかありません。貴重な天守ですが、何故、残ったのか?その歴史ヒストリアは?

    現在の弘前城天守は文化8年(1811年)に再建されたもので、国の重要文化財に指定されています。ところで、明治維新以前に築かれ、今日まで残る「天守閣」は全国で12城のみしかありません。信州「松本城」より東では弘前城のみしかありません。貴重な天守ですが、何故、残ったのか?その歴史ヒストリアは?

  • 明治維新の動乱の中、1868年(慶応4年/明治元年)5月6日に奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)が成立しました。これは奥羽の諸藩が反維新政府として結束した軍事同盟で、戊辰戦争で個別に敗北していきます。<br />写真:本丸周囲の内濠から北の郭に架かる「鷹丘橋」

    明治維新の動乱の中、1868年(慶応4年/明治元年)5月6日に奥羽越列藩同盟(おううえつれっぱんどうめい)が成立しました。これは奥羽の諸藩が反維新政府として結束した軍事同盟で、戊辰戦争で個別に敗北していきます。
    写真:本丸周囲の内濠から北の郭に架かる「鷹丘橋」

  • 戦後処理として、新政府に敵対した藩は厳しい処分を受けました。仙台藩は62万石から28万石に、盛岡藩は20万石から13万石に減封されました。一方で、津軽藩はこの同盟から離反して新政府の処罰を避け「城の取り壊しの免除、さらに1万石贈与」でした。<br /><br />写真:武徳殿

    戦後処理として、新政府に敵対した藩は厳しい処分を受けました。仙台藩は62万石から28万石に、盛岡藩は20万石から13万石に減封されました。一方で、津軽藩はこの同盟から離反して新政府の処罰を避け「城の取り壊しの免除、さらに1万石贈与」でした。

    写真:武徳殿

  • 本丸は面積14200㎡もあり、四方に石垣が築かれ、藩政時代には御殿や能舞台が建てられていたそうです。写真左の巨木は、樹高約21m、樹周囲394㎝、推定樹齢220年以上の「ウラジロモミ」(弘前市古木名木)で、江戸時代(1800年頃)から弘前藩の歴史を見てきています。

    本丸は面積14200㎡もあり、四方に石垣が築かれ、藩政時代には御殿や能舞台が建てられていたそうです。写真左の巨木は、樹高約21m、樹周囲394㎝、推定樹齢220年以上の「ウラジロモミ」(弘前市古木名木)で、江戸時代(1800年頃)から弘前藩の歴史を見てきています。

  • 本丸には、ソメイヨシノやシダレザクラはじめ、数多くの桜が植えられ、ここから望む岩木山(写真:標高1625m)は絶景です。自然の美しさは変わりませんが、時代はどんどん変化します。時代の先を読み、藩の保全を図った弘前藩は立派ですね。(弘前城観光終わり)

    本丸には、ソメイヨシノやシダレザクラはじめ、数多くの桜が植えられ、ここから望む岩木山(写真:標高1625m)は絶景です。自然の美しさは変わりませんが、時代はどんどん変化します。時代の先を読み、藩の保全を図った弘前藩は立派ですね。(弘前城観光終わり)

  • 弘前城の追手門前の広い道路を歩いていたら古風な建物(写真)がありました。よく見てみると、何と「スターバックス」の店でした。歴史的な建物を現代のカフェに利用した実例でgoodですね。

    弘前城の追手門前の広い道路を歩いていたら古風な建物(写真)がありました。よく見てみると、何と「スターバックス」の店でした。歴史的な建物を現代のカフェに利用した実例でgoodですね。

  • スタバ店内は混んでいたので、弘前公園内にある「市民会館」のレストランでランチにしました。お洒落な店内でゆっくり休憩、食事ができました。

    スタバ店内は混んでいたので、弘前公園内にある「市民会館」のレストランでランチにしました。お洒落な店内でゆっくり休憩、食事ができました。

  • サラダ・スープ付きのパスタセットとデザート・コーヒー。両方で1650円です。これを夫婦2人でシェアして食べました。健康のためランチは小食にして、その後再び歩け歩け観光です。

    サラダ・スープ付きのパスタセットとデザート・コーヒー。両方で1650円です。これを夫婦2人でシェアして食べました。健康のためランチは小食にして、その後再び歩け歩け観光です。

  • 明治維新後の文明開化の波に乗り、弘前市には独特の洋館が造られました。それらは弘前公園の周辺に建っているので徒歩で十分観光できます。市民会館の前に「藤田記念庭園」があります。

    明治維新後の文明開化の波に乗り、弘前市には独特の洋館が造られました。それらは弘前公園の周辺に建っているので徒歩で十分観光できます。市民会館の前に「藤田記念庭園」があります。

  • 藤田記念庭園は弘前市出身の実業家の藤田謙一が1919年に東京から庭師を招いて造らせた江戸風な庭園です。この中に「洋館」(写真)があり、現在「大正浪漫喫茶」「藤田謙一資料室」になっています。貸しホールもあります。

    藤田記念庭園は弘前市出身の実業家の藤田謙一が1919年に東京から庭師を招いて造らせた江戸風な庭園です。この中に「洋館」(写真)があり、現在「大正浪漫喫茶」「藤田謙一資料室」になっています。貸しホールもあります。

  • 洋館としてインパクトが強いのが「旧弘前市立図書館」(写真)です。明治39年に建てられ、昭和6年まで市立図書館として利用されました。木造洋風3階建で、八角形の双塔をもつルネッサンス様式。<br /><br />

    洋館としてインパクトが強いのが「旧弘前市立図書館」(写真)です。明治39年に建てられ、昭和6年まで市立図書館として利用されました。木造洋風3階建で、八角形の双塔をもつルネッサンス様式。

  • 「旧東奥義塾外人教師館」(写真)は青森県初の私学校「東奥義塾」の外国人宣教師が住んだ家で、1階に喫茶室があります。

    「旧東奥義塾外人教師館」(写真)は青森県初の私学校「東奥義塾」の外国人宣教師が住んだ家で、1階に喫茶室があります。

  • この周囲に多数のミニチュア建造物があります。明治から大正期に弘前市内に実在した建造物が10分の1の模型で展示されています。全部で14棟が再現されています。

    この周囲に多数のミニチュア建造物があります。明治から大正期に弘前市内に実在した建造物が10分の1の模型で展示されています。全部で14棟が再現されています。

  • 「旧第五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)」(写真)は青森県初の銀行第五十九銀行の本店として、堀江佐吉が設計施工したルネッサンス風の和洋折衷の建物です。

    「旧第五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)」(写真)は青森県初の銀行第五十九銀行の本店として、堀江佐吉が設計施工したルネッサンス風の和洋折衷の建物です。

  • 「日本聖公会 弘前昇天教会」(写真)は大正時代に建てられたゴシック様式赤煉瓦づくりの聖堂。

    「日本聖公会 弘前昇天教会」(写真)は大正時代に建てられたゴシック様式赤煉瓦づくりの聖堂。

  • 「日本キリスト教団 弘前教会」(写真)は明治8年(1875年)に創立された、東北最古のプロテスタントの教会。クリスチャンの棟梁「桜庭駒五郎」が設計。外観はフランスゴシック風の双塔が印象的。

    「日本キリスト教団 弘前教会」(写真)は明治8年(1875年)に創立された、東北最古のプロテスタントの教会。クリスチャンの棟梁「桜庭駒五郎」が設計。外観はフランスゴシック風の双塔が印象的。

  • 弘前にはじめてカトリック宣教師アリべ神父が福音伝道をしたのは1872年でした。1910年にモンダナ神父が「カトリック弘前教会」(写真)を新築し現在に至っています。外観は尖塔を有するロマネスク様式の木造モルタル作りの聖堂です。

    弘前にはじめてカトリック宣教師アリべ神父が福音伝道をしたのは1872年でした。1910年にモンダナ神父が「カトリック弘前教会」(写真)を新築し現在に至っています。外観は尖塔を有するロマネスク様式の木造モルタル作りの聖堂です。

  • 聖堂内部に入ってみました。正面にある祭壇(写真)はオランダの首都アムステルダムの聖トマス教会にあったものを弘前教会のために譲りうけたものです。

    聖堂内部に入ってみました。正面にある祭壇(写真)はオランダの首都アムステルダムの聖トマス教会にあったものを弘前教会のために譲りうけたものです。

  • 夕日が岩木山に沈みます。弘前市は人口わずか約17万人の小都市ですが、弘前藩の伝統を守りつつ、明治維新後の西欧化の流れに乗っていったようですね。

    夕日が岩木山に沈みます。弘前市は人口わずか約17万人の小都市ですが、弘前藩の伝統を守りつつ、明治維新後の西欧化の流れに乗っていったようですね。

  • 今夜の夕食は弘前駅の周辺にある地元の居酒屋に入りました。鮮度抜群の刺身盛り合わせ(写真)はとても美味しかったです。

    今夜の夕食は弘前駅の周辺にある地元の居酒屋に入りました。鮮度抜群の刺身盛り合わせ(写真)はとても美味しかったです。

  • お店の特選定食(写真)はボリューム満点。全部合わせて6000円くらいでした。ご馳走様でした。明日は秋田市に行きます。<br />→秋田観光に続く

    お店の特選定食(写真)はボリューム満点。全部合わせて6000円くらいでした。ご馳走様でした。明日は秋田市に行きます。
    →秋田観光に続く

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この旅行記へのコメント (2)

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  • kazuさん 2021/11/05 20:28:18
    弘前城
    弘前城素晴らしいですね!行ってみたいものです。四国が世界で行ってみたい場所6位になりました。松山城や高知城はオススメです。奥様がルールインがお気に入りのようですが、私はドーミーインを推薦したいです。
    大浴場の温泉、夜鳴きそばなどいいですよ。

    funasan

    funasanさん からの返信 2021/11/05 22:10:26
    Re: 弘前城
    Kazuさん、コメントありがとうございます。
    四国はまだ未知の領域でお城巡りに残してあります。
    いずれ四国周遊して松山城、高知城も訪れてみたいと思います。
    ネットで調べてみるとドームインも良さそうですね。
    やはり温泉は欠かせません。

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