2005/11/18 - 2005/11/27
656位(同エリア1017件中)
kiju-jiさん
- kiju-jiさんTOP
- 旅行記102冊
- クチコミ6件
- Q&A回答0件
- 52,166アクセス
- フォロワー21人
第3日目(11/20・日)
今日は、プラハを8:30に出発。9:30 トイレ休憩。11:00 チェスキークルムロフ着。旧市街観光。
14:30 チェスキー・クルムロフ発。15:15 トイレ休憩。
18:15 ザルツブルクのホテル・ルネッサンスに到着。
第4日目(11/21・月)
午前中、ザルツブルグ市内観光
午後は、ザルツガンマーグートのヴォルガング湖とハルシュタットに。
夕方、ザルツブルグの戻って・・・。
この旅行記は、コロナ禍で海外旅行にも行けず、日本でコロナ禍が収束しつつあると思われる2021年10月に、暇を持て余し執筆している。何しろ16年前の旅行なので変わった面、記憶違いは悪しからず・・・。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.5
- ショッピング
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
-
第3日目(11/20・日)
6:00 起床。6:40 朝食。7:00 荷出し。8:00 チェスキークルムロフに向け出発。
朝食はしっかりと食べている。ホテル・マリオット・プラハは食材に野菜と果物が豊富。パン、ハム、ソーセージも美味い。
ロケーションも良かった。
プラハを8:30に出発。 -
9:30 トイレ休憩。11:00 チェスキー・クルムロフ着。
猛吹雪の中、バスを降りヴュースポットのチェスキー・クルムロフ城の横に来たら、肝心の市街の景色も霞んで・・・。聖ヴィート教会の塔が微かに・・・。 -
地球の歩き方2005年度版に記載の地図。旅行に際しコピーしていた。勝手に借用。有難う。この地図には聖ヴィート教会の位置が記載されていない・・・。
後述する聖ヴィート教会の写真を、ずーとラトーン地区の聖母マリア修道院だと思っていた・・・。 -
チェスキー・クルムロフ城の塔も霞んで・・・。
-
懲りなく記念に奥さん。
-
ここは有名な景色だが・・・。
-
吹雪が止めばこのように眺められたはず。写真はネットから借用。有難う。
-
爺も一応記念に・・・。やけくそ気味・・・。基本的に手袋は嫌い?・・・。
1996年に行ったイタリア旅行で、ローマのスペイン階段の近くの手袋専門店で買った手袋を25年近く大事に使っているが・・・。シーズンが終わるとミンク油で手入れを欠かさないが・・・。 -
本当に残念・・・。期待していたのに・・・。
日頃オネストジョンを自称しているが、天はお許しにならない・・・(まだまだ行いが悪いようだ)。 -
季節が良ければこのように。ネットから借用。有難う。
-
地球の歩き方2017年度版に載っていた、チェスキー・クルムロフ城の平面図。勝手に借用。有難う。
天は我を見捨てた、いざ行かん。敗軍の将の気分で・・・。 -
チェスキー・クルムロフ城は13世紀に南ボヘミアの貴族ヴィートコフ家によって創建された。その後、14世紀初頭にロジェンベルク家に支配され町は華々しく発展。16世紀になるとルネッサンス様式の都市として現在の姿がほぼ出来上がり、繁栄の頂点に達する。その後、エッゲンベルグ家、シュヴェルツェンベルグ家と支配が替わるうちに近代化に乗り遅れさびれていったと・・・歩き方にある。
色々の新しい建物が付け加えられ東西にひろがった、もっとも繁栄した時代の風景が損なわれることなく現在まで保存された?・・・。プラハ城に次ぐ大きな城館。
チェスキー・クルムロフ城の第2の中庭から塔をバックに・・・。奥さんもブルっている。 -
爺も・・・。
-
流石に私達御一行様(添乗員のOさんを入れて23名)以外はいない。
-
有名な塔だけど、上がりたいとは誰も言わない。塔からの眺めは素晴らしいらしいが・・・。来た時期が悪かった。初夏に来よう?!・・・。
塔は建築当初ゴシック様式で建設された。後に16世紀後半の1580年から90年にかけてルネッサンス様式に改修。晴れていればカラフルな美しい塔なのだが・・・。 -
途中、騙し絵の壁などあったがショルダーバッグからカメラも出す気にならない。
写真はネットから借用。有難う。 -
地球の歩き方2017年度版に載っていた、チェスキー・クルムロフの地図。勝手に借用。有難う。
この地図には聖ヴィート教会の位置が載っている。年々、記載内容が変わっている・・・。 -
チェスキー・クルムロフ城を出て、ヴルタヴァ川の湾曲した中州の南端にある聖ヴィート教会にどういう風に来たのか全く記憶がない。多分チェスキー・クルムロフ城を出てバスに乗り来たと思われる。
写真は聖ヴィート教会の身廊・・・。身廊も冷え冷え・・・。 -
大きく湾曲しているヴルタヴァ川の橋の上で・・・。後ろはさっき一寸だけ入った聖ヴィート教会。
-
爺も・・・。
この後、中州の地区で暫しの自由行動。市庁舎の前で再集合。 -
早々と歩いて、チェスキー・クルムロフ城が見える所に来て。
-
チェスキー・クルムロフ城を背景に・・・。
この後に、小雪が舞う街中を歩き回り(まるで彷徨)、次の写真のチェスキー・クルムロフの絵地図を買った以外は憶えていない。
そして、スヴォルノスティ広場の市庁舎の再集合。
市庁舎のあるスヴォルノスティ広場を抜けて、レストランのホスポタ・ナ・ロウジで昼食。メモによれば、前菜はくり抜いたトマトに何かが入ったサラダ、鱒のグリルとポテトのメイン。地ビールでなくバドワイザーを飲んだようだ。 -
土産物屋で写真の絵地図を買った。奥さんも気に入ったのか自分の寝室兼仏間(約12畳、小さな仏壇がある)の壁に額(約60cm*80cm)に入れて飾っている。
この俯瞰地図を日頃眺めていれば聖ヴィート教会の位置と姿が分かったはずだが・・・。このブログを書くにあたって写真を撮り、眺めて判明・・・。
14:30 チェスキー・クルムロフ発。15:15 トイレ休憩。 -
18:15 ザルツブルクのホテル・ルネッサンスに到着。
写真は、ホテル・ルネッサンスのカード・キーのケースとコースター。
ザルツブルク駅にも近く、ロケーションも良かったが、改装を終えたばかりでペンキ臭かったのに閉口したが・・・。
添乗員さんが近くにスーパーマーケットあると、部屋に荷物を置きツア仲間と早々に・・・。 -
写真は、ばらまき用にたくさん買った箱のラベル。チョコレートは楕円型で何層かになっている。ご老体は記憶があるかも知れないが、昔々チャイナマーブルという何層に色がついた固い駄菓子があったのを思い出す。嚙み割るには歯が欠けそうな、仕方なく長くなめられたが・・・。
その後、19:30頃、ホテルのレストランで夕食を摂ったが内容は写真もないし覚えが全くない。 -
第4日目(11/21・月)
5:50 起床、6:40 朝食。
8:30 ザルツブルクの市内見物にバスに乗って・・・。
地図は添乗員から貰った。パックツアでのバス移動、徒歩を赤線で示している。
自由行動で夫婦で彷徨った道筋はパックツアとほぼ同じなので記載していない。 -
ミラベル宮殿の東側の入り口から入って・・・。
-
靴の中にも水が入るぐらいグジュ・グジュの路面・・・。まさかこんな降雪に遭うなんて奥さんもブーツを持って来なかった。事前に、旅行社に問い合わせたら例年、降雪は12月に入ってからと・・・。
-
良い季節に来ればこのようなところで・・・。
ネットから勝手に拝借。有難う。 -
ミラベル宮殿の南側の出口を出ると、目の前にモーツァルトが16歳から24歳まで移り住んだ家(2F)。ここで、父のレオポルドが亡くなった。大司教との関係がうまくいかずウィーンに・・・。
モーツァルトは7歳の時に、最初のオペラ”ヴァスティエンとヴァスティーヌ”を作曲している。”ヴァスティエンとヴァスティーヌ”については思い出がある。
1963年10月(昭和38年)に一念発起して、総合電機メーカーH社の中央研究所の横浜分室に転職した。H社がこれから音響製品に注力するために創られた研究機関だった。
11月に直接の上役のM先輩に連れられ、東京・茗荷谷の御茶ノ水女子大学の付属高校の学園祭で”ヴァスティエンとヴァスティーヌ”を演じるので録音にいった。M先輩(故人)は上野の芸術大学の楽理科を卒業した人で、恩師の大宮真琴さんが退官後、付属高校の音楽科の先生をされていた関係で頼まれタクシーでオープンデッキ(テープレコーダー)を運びこんだ。翌日の録音当日は日曜日だったので爺は休み・・・。本番の録音に立ち会っていないので内容は不明・・・。
年代を考えると、ピアニストの内田光子さんが在校されていた時期でもある。
後々、1985年頃にCDプレーヤーが実用化されたときに内田光子さんのモーツァルトのピアノ・ソロのCDが一世を風靡したが・・・。
大宮真琴さんは後に?、日本ハイドン・クラブを主宰された。鎌倉の扇谷のご自宅にはオーディオ機器のメンテナンスに伺ったことがある。
なお、爺の奥さんが親しくお付き合いをしている女性が、内田光子さんと同級生?(同期生)。女性が同じ住宅地に住んでいられるが、先述の”ヴァスティエンとヴァスティーヌ”については記憶がないと・・・。 -
モーツァルトが16歳から24歳まで移り住んだ家を眺めてからザルツァッハ川の川辺に・・・。マカルト小橋の袂からホーフェンブルグ城方向を遠望する。
マカルト小橋の袂には、彼のカラヤンの生まれた家もあり銅像もあったが写真を撮っていない。今思うと残念至極・・・。
カラヤンは、映画・愛と哀しみボレロではナチの軍楽隊長として描かれている。第2次世界大戦の後にニューヨークのカーネギーホールでのアメリカ初公演の際チケットは完売。しかし、公演の聴衆は新聞の芸能記者2名だけ。ユダヤの関係者が買い込み意趣返しをしたのだ。それでもカラヤン達はを完璧に演奏したらしい・・・。 -
絵葉書から。雪だらけの景色をとっても仕方ないと諦め絵葉書類を沢山・・・。
-
マカルト小橋を渡って・・・。
-
旧市街とホーフェンブルグ城はこのように見えたが・・・。ネットから借用。有難う。
-
ザルツァッハ川を渡って、先ずモーツァルトの生まれた家に。博物館になっていてモーツアルトに関係あるものが展示されていたが写真を全く撮っていない。
-
ザルツブルク大学の教会のドーム。ここを右折れしていくと祝祭劇場と馬の水飲み場がある。我々は左折れして・・・。
祝祭劇場は、横に扇型に広がり音響効果が今一つとこの頃は誤解していた。
東京、上野の文化会館大ホールで”魔笛”の公演があり、予備学習のためにCDやDVDを繰り返し聴いた・・・。
2006年のモーツアルト・イヤーに特別に作られたシリーズのDVDを聴いた。
DVDの”夜の女王のアリア”はものすごく良かった。奥さんもこれ以上の夜の女王のアリアは中々聴けないと・・・。 -
東京、上野の文化会館大ホールで”魔笛”の公演があり、予備学習のためにCDやDVDを繰り返し聴いた・・・。
写真は2006年の2006年のモーツアルト・イヤーに特別に作られたシリーズのDVDである。
DVDの”夜の女王のアリア・地獄の復讐は胸にたぎり”はものすごく良かった。奥さんもこれ以上の夜の女王のアリアは中々聴けないと・・・。
”夜の女王のアリア・地獄の復讐は胸にたぎり”を歌ったのはディアナ・ダムラウ。
演奏はウィーン・フィルハーモニー、ウィーン国立歌劇場合唱団、指揮は爺が好きなリッカルド・ムーティ。 -
ホーフェンブルグの真下にあるサンクト・ペーター教会?・・・。
-
余り写真を撮っていないが記念に奥さん。爺はイイヤと・・・。
-
大聖堂にやって来ました。夜はクリスマス・マーケットが開かれる・・・。
-
ホーフェンブルグ城を眺めて。写真の右端に写るケーブルカーで行けるらしいがパックツアには予定なし。
-
大聖堂の内陣。
-
大聖堂のパイプオルガン。天井画も素敵だったようだが・・・。
パイプオルガンの周りの装飾がゴテゴテしすぎる。コペンハーゲンのグルントヴィークス教会のパイプオルガンはシンプルで素晴らしかったが・・・。 -
大聖堂も早々に出て・・・。モーツアルトの銅像があるモーツアルト広場にも行く気がわかない。
-
ザルツブルクのメイン通りのゲトライゼ通りに戻って・・・。
寒くて早く撮ってと奥さんが急かす・・・。 -
爺も記念にと。モーツァルト肖像がある袋を下げているのでどっかの土産物屋(帰国後、ドライフルーツを食べたかすかな記憶があるが)に寄ったと思うが・・・。昼食前の暫しの自由行動で・・・。
-
昼食を摂ったホテルKK?のパンフレット。2階がレストラン。写真の右側の窓辺の一番いいテーブル席で、女性のカップルと相席だったとかすかな記憶・・・。
-
前の写真のホテルKKの左端の角並びが、ザルツブルクの有名な銀紙で包んだ丸いチョコレートの店Fiistだったような・・・。
写真はチョコレートを包んだ銀紙(広げてアルバムに挟んでいた)と丸く包んだ後に右下の青いリボンで留めてあった。1個1ユーロ。沢山買い込んだが帰国後に奥さんのご相伴に預かったが、名物になんとか・・・。しかし、店は混雑していた。 -
レストランでのメイン(ターキーのロースト、ターキー(七面鳥)は西洋人は普通に食べる食材?らしい)。
前菜とデザートには全く記憶がない。 -
一番いいテーブル席からホーフェンブルグ城を・・・。
-
ザルツブルクでは、いたるところで名刺大のカードに出くわす。気に入った4枚を・・・。
-
モーツァルト一家の絵葉書。
-
ザルツブルクは、映画・サウンド・オブ・ミュージックの舞台となった処でもある。
トラップ一家はアメリカに亡命し、子孫はアメリカに実在するらしい・・・。
主役のジュリー・アンドリュースさんのドレミの歌は、確か梓みちよさんがカバーして日本でも流行したが・・・。
写真は絵葉書から・・・。 -
午後はバスでザルツカンマーグートに・・・。地図は添乗員さんに貰った。
最初にヴォルフガンプ湖に・・・。バート・イシュルを通ってハルシュタット湖へ。
その後、アウトバーンを通ってザルツブルクに・・・。
雑談:この辺りのオーベンドルフと云う町に、クリスマス定番の”きよしこの夜”にゆかりの、きよしこの夜記念礼拝堂があるがと添乗員さんに聞くがしらないと・・・。 -
最初にヴォルフガング湖に、対岸に著名なレストラン・白馬亭が見える。寒すぎるので奥さんはコートのフードを被って・・・。添乗員さんに撮ってもらって・・・。寒かった・・・。
-
バート・イシュルを通ってハルシュタット湖に・・・。北側の湖畔でバスを降車・・・。
-
吹雪の中、記念に奥さん。
-
爺も記念に。
-
ハルシュタット湖畔を暫しの散策。
写真中央の黒い家は、築400年ぐらいの家と説明を聞いたような・・・。 -
マルクト広場を抜けて、有名な景色の教会まで夫婦だけで歩いて・・・。
-
余り意味の写真。メモリーとバッテリーの無駄使い・・・。
-
もう少し歩いて行けばこのような景色が見られたかも・・・。何しろ寒い・・・。
写真は絵葉書から・・・。 -
マルクト広場に戻って。
-
記憶が定かでないが、マルクト広場のインフォメーション兼土産店で、ハルシュタットのポスター(新聞紙を広げた大きさ)を買った。
係員が壁にポスターを貼っていたので欲しいと声を掛けたら、奥からポスターの束を持ってきて、ポスターは入荷したばかりらしく一番上の少し傷んだポスターと2枚を丸く包んで渡してくれた。2ユーロ。
山小屋風の我が家の2階の、爺の書斎兼寝室(8畳)の壁にフレームに入れて下げている。
天窓から射しこむ光で16年も経つので少し色あせしてきたような・・・。高い位置なので取り外すのが面倒なので椅子に乗り腕を伸ばして写真を撮った。ハレーションを避けたので角度が悪い・・・。 -
最初にバスを下りたところに戻る途中に船着き場・・・。
この後に、アウトバーンを通ってザルツブルクの戻ったが、ハルシュタットを何時に出発しザルツブルクに何時に着いたかメモに無い。バスの中で熟睡していたらしい。
微かに記憶があり、ホテルに戻る前に希望者が途中下車して、添乗員さんが良くいくと云う中華料理店で、怪しげな中華そば(野菜と豚肉、ザーサイとメモにあった)を食べた。最初は冷え切った身体だったので美味く感じたが腹がくちくなるにしたがって独特な臭いに閉口・・・。そう云えばコペンハーゲンの中華料理店で食べたふかひれスープも生臭かった。
ホテルまで数人で雪明りのぐしゃぐしゃな道を歩いて帰った・・・。
次は、ウィーン篇(国立歌劇場のシューボックスでヴィオレッタ(椿姫)を観劇)に続く・・・。乞うご期待・・・。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
チェスキー・クルムロフ(チェコ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 感激!の中欧旅行10日間
0
65