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古城・城址巡り第8弾<br /><br />2021年09月23日 亀山城址と亀山宿<br /><br />亀山城は文永2年(1265年)関氏によって築城されたのが起源<br /><br />天正15年(1590年)に秀吉の命で入城した岡本良勝により<br /><br />天守・本丸・二之丸など城郭が整備された<br /><br />ところが<br /><br />江戸時代になって「丹後の亀山城」と間違えられて<br /><br />天守が取り壊されるという悲劇に見舞われた<br /><br />以来天守が再建されることはなかった<br /><br />このような悲劇に見舞われた亀山城だが徳川時代には<br /><br />本丸が将軍の上洛時の宿舎として重用されていた<br /><br />そのため城主は二之丸を居住地としていた<br /><br />寛永13年(1636年)城主本多俊次によって<br /><br />天守を失った天守台に多門櫓が造られた<br /><br />明治の廃城令で大方は壊されたが天守台と多門櫓は残された<br /><br />現在三重県で往時の遺構が残されているのはこの多門櫓のみである<br /><br />

2021年09月 亀山城址と亀山宿

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2021/09/23 - 2021/09/23

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旅行記グループ 古城めぐり

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カブト虫

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古城・城址巡り第8弾

2021年09月23日 亀山城址と亀山宿

亀山城は文永2年(1265年)関氏によって築城されたのが起源

天正15年(1590年)に秀吉の命で入城した岡本良勝により

天守・本丸・二之丸など城郭が整備された

ところが

江戸時代になって「丹後の亀山城」と間違えられて

天守が取り壊されるという悲劇に見舞われた

以来天守が再建されることはなかった

このような悲劇に見舞われた亀山城だが徳川時代には

本丸が将軍の上洛時の宿舎として重用されていた

そのため城主は二之丸を居住地としていた

寛永13年(1636年)城主本多俊次によって

天守を失った天守台に多門櫓が造られた

明治の廃城令で大方は壊されたが天守台と多門櫓は残された

現在三重県で往時の遺構が残されているのはこの多門櫓のみである

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