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広島県人の考える歴史上のヒーローは、やっぱり毛利元就がナンバーワンでしょうね。周防の大内氏、出雲の尼子氏といった有力大名に挟まれた安芸の国人領主の一人にすぎなかった立場から始まって、息子たちを養子として送り込んだ吉川家、小早川家との関係を足掛かりに力を蓄えると、大内氏を滅ぼした陶氏を厳島の戦いで破り遂には尼子氏を討って、とうとう中国地方に覇を唱える大大名にのし上がる。毛利家は孫の輝元が関ヶ原の戦いで西軍の総大将となったことで領地を大幅に減らし萩に逼塞することになりますが、幕末は薩長同盟によって討幕を実現し、結果的にはあの徳川家康にさえ見事なリベンジを果たす。これも少なからずプラスの印象になりますよね。<br />つまり、三本の矢の逸話とかは天才的な知略とか剛腕的な武力とかではなく、ち密に行動し着実に実績を積み上げていくという地味な感じもなくはないのですが、こういった長期的な視点に立つと、やはり時代の行く末をすべて見通している慧眼の持ち主といったイメージにもつながるように思えてくる。渋い魅力がある人物だと思います。<br /><br />さて、郡山城跡は、吉田町の市街地を見下ろすような山城。<br />市街から近いし、山頂付近の本丸跡以下、元就の墓のある洞春寺境内跡とかも含めて全体がよく整備されているので、予想以上に手軽な場所でしたね。<br /><br />ちなみに、元就が家督を継ぎ、郡山城に入るのが大永3年(1523年)。既に、永正14年(1517年)、西の桶狭間とも呼ばれる有田中井手の戦いでは、安芸守護、武田元繁を討ち取って初陣を済ませています。さらに、天文9年(1540年)から翌年正月までの吉田郡山城の戦いでは、尼子晴久の3万の大軍を撃退。天文24年(1555年)、厳島の戦いで陶晴賢を破ると永禄9年(1566年)には、尼子氏を降伏させ、中国一円を制圧しています。その後、元亀2年(1571年)郡山城において75才で死去。輝元が後を継ぐという流れ。10年続く信長の石山合戦は、その前年から始まったばかりです。この郡山城を拠点にして、戦国の終わりの始まりといった時代を駆け抜けた。そんな感じかなと思います。<br />

中国地方に覇を唱えた毛利元就の居城、郡山城を訪ねる旅~旧安芸郡吉田町の市街を見下ろす城跡は今でも身近な存在。手軽なハイキング気分でOKです~

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2021/02/21 - 2021/02/21

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たびたび

たびたびさん

広島県人の考える歴史上のヒーローは、やっぱり毛利元就がナンバーワンでしょうね。周防の大内氏、出雲の尼子氏といった有力大名に挟まれた安芸の国人領主の一人にすぎなかった立場から始まって、息子たちを養子として送り込んだ吉川家、小早川家との関係を足掛かりに力を蓄えると、大内氏を滅ぼした陶氏を厳島の戦いで破り遂には尼子氏を討って、とうとう中国地方に覇を唱える大大名にのし上がる。毛利家は孫の輝元が関ヶ原の戦いで西軍の総大将となったことで領地を大幅に減らし萩に逼塞することになりますが、幕末は薩長同盟によって討幕を実現し、結果的にはあの徳川家康にさえ見事なリベンジを果たす。これも少なからずプラスの印象になりますよね。
つまり、三本の矢の逸話とかは天才的な知略とか剛腕的な武力とかではなく、ち密に行動し着実に実績を積み上げていくという地味な感じもなくはないのですが、こういった長期的な視点に立つと、やはり時代の行く末をすべて見通している慧眼の持ち主といったイメージにもつながるように思えてくる。渋い魅力がある人物だと思います。

さて、郡山城跡は、吉田町の市街地を見下ろすような山城。
市街から近いし、山頂付近の本丸跡以下、元就の墓のある洞春寺境内跡とかも含めて全体がよく整備されているので、予想以上に手軽な場所でしたね。

ちなみに、元就が家督を継ぎ、郡山城に入るのが大永3年(1523年)。既に、永正14年(1517年)、西の桶狭間とも呼ばれる有田中井手の戦いでは、安芸守護、武田元繁を討ち取って初陣を済ませています。さらに、天文9年(1540年)から翌年正月までの吉田郡山城の戦いでは、尼子晴久の3万の大軍を撃退。天文24年(1555年)、厳島の戦いで陶晴賢を破ると永禄9年(1566年)には、尼子氏を降伏させ、中国一円を制圧しています。その後、元亀2年(1571年)郡山城において75才で死去。輝元が後を継ぐという流れ。10年続く信長の石山合戦は、その前年から始まったばかりです。この郡山城を拠点にして、戦国の終わりの始まりといった時代を駆け抜けた。そんな感じかなと思います。

  • 広島市内から路線バスで、安芸高田へ。バス停「吉田病院」下車。<br />そこから歩いて、郡山城跡に向かいますが、<br />城の西麓の安芸高田市歴史民俗博物館の脇から入るコースが一般的かな。<br />今日は晴れのはずなんですが、この辺り特有の霧ですね。けっこう濃いですねえ。

    広島市内から路線バスで、安芸高田へ。バス停「吉田病院」下車。
    そこから歩いて、郡山城跡に向かいますが、
    城の西麓の安芸高田市歴史民俗博物館の脇から入るコースが一般的かな。
    今日は晴れのはずなんですが、この辺り特有の霧ですね。けっこう濃いですねえ。

  • ここが城跡の入口です。

    ここが城跡の入口です。

  • すぐにあるのは、元就火葬場伝承地。

    すぐにあるのは、元就火葬場伝承地。

  • その前は駐車場になっているのですが、<br />アスファルトのなだらかな坂道はさらに奥まで続いています。

    その前は駐車場になっているのですが、
    アスファルトのなだらかな坂道はさらに奥まで続いています。

  • 右手のこの辺りは大通院谷遺跡。<br />大通院というのは、元就の曽祖父煕元の菩提寺なのですが、あったのは元就の祖父豊元の菩提寺広修寺であったという説もあって、はっきりとしたことは分かっていないようです。

    右手のこの辺りは大通院谷遺跡。
    大通院というのは、元就の曽祖父煕元の菩提寺なのですが、あったのは元就の祖父豊元の菩提寺広修寺であったという説もあって、はっきりとしたことは分かっていないようです。

  • アスファルトの道を上りきるとまた広いスペース。ここが一番奥の駐車場ですね。<br />ここからがいよいよ山域です。

    アスファルトの道を上りきるとまた広いスペース。ここが一番奥の駐車場ですね。
    ここからがいよいよ山域です。

  • 地図で改めて位置を確認。<br />ここは西麓の一番端です。

    地図で改めて位置を確認。
    ここは西麓の一番端です。

  • 鳥居から入りまして

    鳥居から入りまして

  • 奥へ

    奥へ

  • 奥へ。<br />まだ、ちょっと雪が残ってます。

    奥へ。
    まだ、ちょっと雪が残ってます。

  • 石段が現れて、また鳥居。

    石段が現れて、また鳥居。

  • 鳥居とか石段とかって神社みたいな雰囲気ですが、このエリアは、毛利元就・一族の墓。

    鳥居とか石段とかって神社みたいな雰囲気ですが、このエリアは、毛利元就・一族の墓。

  • 一段上がって、

    一段上がって、

  • 最初にあるのが毛利氏一族墓所。<br />郡山初代城主毛利利時親以来歴代一門の墓で、毛利氏がまだ安芸の小規模な国人領主だった時代の城主たちですね。

    最初にあるのが毛利氏一族墓所。
    郡山初代城主毛利利時親以来歴代一門の墓で、毛利氏がまだ安芸の小規模な国人領主だった時代の城主たちですね。

  • もう一段高い場所に元就の墓がありまして、まずは左手に百万一心碑。<br />毛利元就が郡山城の築城の際、人柱に代えて「百万一心」と彫らせた巨石を埋めたという逸話を基にした碑。あんまり知られた話ではないと思いますが、元就の合理的な考え方を示すものかと思います。

    もう一段高い場所に元就の墓がありまして、まずは左手に百万一心碑。
    毛利元就が郡山城の築城の際、人柱に代えて「百万一心」と彫らせた巨石を埋めたという逸話を基にした碑。あんまり知られた話ではないと思いますが、元就の合理的な考え方を示すものかと思います。

  • それと向き合う先、右手奥にあるのが毛利元就の墓。洞春寺跡と呼ばれる一角です。<br />毛利家にとっては当然特別な存在だと思いますが、

    それと向き合う先、右手奥にあるのが毛利元就の墓。洞春寺跡と呼ばれる一角です。
    毛利家にとっては当然特別な存在だと思いますが、

  • 驚くような造りではないかな。静かな聖域といった感じです。

    驚くような造りではないかな。静かな聖域といった感じです。

  • ここから、本丸を目指します。

    ここから、本丸を目指します。

  • 墓の裏側を抜けて

    墓の裏側を抜けて

  • 山の奥へ。

    山の奥へ。

  • 山道ですが、

    山道ですが、

  • それなりに整備されていて、そんなに急なところもないですし、

    それなりに整備されていて、そんなに急なところもないですし、

  • まあ、何ということはないでしょう。

    まあ、何ということはないでしょう。

  • 右本丸、左釣井の壇の標識<br />その先に見えるのは御蔵屋敷の説明板。<br /><br /><br />

    右本丸、左釣井の壇の標識
    その先に見えるのは御蔵屋敷の説明板。


  • 本丸まで100m。<br />もう少しですね。

    本丸まで100m。
    もう少しですね。

  • 御蔵屋敷の説明板には<br />「北に釣井の壇、東に三の丸、西に勢溜の壇に通じている」とあります。

    御蔵屋敷の説明板には
    「北に釣井の壇、東に三の丸、西に勢溜の壇に通じている」とあります。

  • もう一段高い場所が見えていて、そっちが本丸の方ですね。

    もう一段高い場所が見えていて、そっちが本丸の方ですね。

  • 緩やかな斜面を上りますと

    緩やかな斜面を上りますと

  • これは二の丸跡。<br />標識は右が三の丸と示しています。

    これは二の丸跡。
    標識は右が三の丸と示しています。

  • まっすぐ進むと本丸ですよね。<br />本丸の方に進みます。

    まっすぐ進むと本丸ですよね。
    本丸の方に進みます。

  • ここが本丸跡なんでしょうが、<br />もう一段高い場所がありますね。

    イチオシ

    ここが本丸跡なんでしょうが、
    もう一段高い場所がありますね。

  • そちらにも上ってみると

    そちらにも上ってみると

  • ここには杭の本丸跡。<br />まあ、たぶん、どっちも本丸ってことなんでしょうね。

    ここには杭の本丸跡。
    まあ、たぶん、どっちも本丸ってことなんでしょうね。

  • 二の丸に戻って、

    二の丸に戻って、

  • そこから三の丸も確認。<br />こちらもそこそこの広さがありますよ。

    そこから三の丸も確認。
    こちらもそこそこの広さがありますよ。

  • さて、これでいいでしょう。

    さて、これでいいでしょう。

  • 帰りは興禅寺跡(郡山公園)の方に向かって下ります。

    帰りは興禅寺跡(郡山公園)の方に向かって下ります。

  • どんどん下っていきますよ~

    どんどん下っていきますよ~

  • と、展望台ですね。

    と、展望台ですね。

  • 旧吉田町の市街が広がります。まだ少し霧がかかってますね。

    旧吉田町の市街が広がります。まだ少し霧がかかってますね。

  • 展望台の前に掲げているのは、毛利氏の家紋「一文字に三つ星」ですね。<br />これが麓の街からでもよく見える。最後にそれも確認しました。

    イチオシ

    展望台の前に掲げているのは、毛利氏の家紋「一文字に三つ星」ですね。
    これが麓の街からでもよく見える。最後にそれも確認しました。

  • ほどなく、郡山公園に出ました。<br />

    ほどなく、郡山公園に出ました。

  • 日本庭園が予想以上に見事ですが、

    日本庭園が予想以上に見事ですが、

  • これは、毛利元就の時代、京都から観世宗節一行が下向して能狂言を催したという興禅寺の跡を整備したというもの。

    これは、毛利元就の時代、京都から観世宗節一行が下向して能狂言を催したという興禅寺の跡を整備したというもの。

  • そう思えば、確かにそういう雰囲気がちゃんと残っているように感じます。

    イチオシ

    そう思えば、確かにそういう雰囲気がちゃんと残っているように感じます。

  • 郡山公園から少し進むと清神社。

    郡山公園から少し進むと清神社。

  • 郡山築城以前から祇園社としてあった神社ということですが、圧巻は、本堂の前、境内に立つ樹齢700年以上ともいわれる大杉。まっすぐ空に伸びていて、凛とした清々しさを感じます。<br />

    イチオシ

    郡山築城以前から祇園社としてあった神社ということですが、圧巻は、本堂の前、境内に立つ樹齢700年以上ともいわれる大杉。まっすぐ空に伸びていて、凛とした清々しさを感じます。

  • 石段を下りて、街の方に出ましょう。

    石段を下りて、街の方に出ましょう。

  • なお、近年では、サンフレッチェ広島の必勝祈願所としても知られています。

    なお、近年では、サンフレッチェ広島の必勝祈願所としても知られています。

  • 最初の安芸高田市歴史民俗博物館へ戻りますが、その近くの元就像。あるのはあるのですが、ただ、出来はあんまりよくないかなあ。

    イチオシ

    最初の安芸高田市歴史民俗博物館へ戻りますが、その近くの元就像。あるのはあるのですが、ただ、出来はあんまりよくないかなあ。

  • 順番が後先になってしまいましたが、安芸高田市歴史民俗博物館へ。<br />毛利元就を始めとする毛利一族やその居城だった郡山城の関係を紹介していて、特に、尼子晴久の軍勢3万を迎え撃った吉田郡山城の戦いについては丁寧な解説。ビデオでも拝見しましたが、毛利方の戦上手が際立っていて、その後の元就の躍進の基礎となったことがよく分かります。<br />とはいえ、大局的には安芸を巡る大内氏と尼子氏の戦いであり、毛利氏は大内氏の援軍によって最終的な勝利をつかむ。その結果、安芸からは尼子の勢力が一掃され、尼子の支援を受けていた安芸守護武田氏も滅びることに。<br />一方で、吉田郡山城の戦いの翌年、天文11年(1542年)、大内義隆はこの勢いをかって劣勢となった尼子晴久を討つべく、月山富田城の戦いを仕掛けるのですが、結果は大敗。この戦いで後継者の大内晴持を失ったことは、義隆が領土的な野心や政治への関心を失い陶隆房の謀反につながった一因ともされています。また、片や尼子晴久はこの勝利で勢いを盛り返し、尼子氏の最盛期(山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任する八カ国守護)を迎える。毛利氏が中国地方に覇を唱えるまでにはまだまだ長い物語が続くことになります。

    順番が後先になってしまいましたが、安芸高田市歴史民俗博物館へ。
    毛利元就を始めとする毛利一族やその居城だった郡山城の関係を紹介していて、特に、尼子晴久の軍勢3万を迎え撃った吉田郡山城の戦いについては丁寧な解説。ビデオでも拝見しましたが、毛利方の戦上手が際立っていて、その後の元就の躍進の基礎となったことがよく分かります。
    とはいえ、大局的には安芸を巡る大内氏と尼子氏の戦いであり、毛利氏は大内氏の援軍によって最終的な勝利をつかむ。その結果、安芸からは尼子の勢力が一掃され、尼子の支援を受けていた安芸守護武田氏も滅びることに。
    一方で、吉田郡山城の戦いの翌年、天文11年(1542年)、大内義隆はこの勢いをかって劣勢となった尼子晴久を討つべく、月山富田城の戦いを仕掛けるのですが、結果は大敗。この戦いで後継者の大内晴持を失ったことは、義隆が領土的な野心や政治への関心を失い陶隆房の謀反につながった一因ともされています。また、片や尼子晴久はこの勝利で勢いを盛り返し、尼子氏の最盛期(山陰山陽十一カ国のうち、八カ国の守護を兼任する八カ国守護)を迎える。毛利氏が中国地方に覇を唱えるまでにはまだまだ長い物語が続くことになります。

  • 館内は基本写真撮影不可。<br />これは地元のお祭りなんだと思いますが、写真はこれだけです。

    館内は基本写真撮影不可。
    これは地元のお祭りなんだと思いますが、写真はこれだけです。

  • ここからは吉田の市街をぶらぶらかな。<br />ゆめタウン吉田は、安芸高田市歴史民俗博物館から吉田町の市街中心部に向かう途中。<br />ゆめタウンの中では中くらいか少し小さいくらいの規模かな。それでも、吉田ではひときわ大きな商業施設。山の中を歩いた後だったので、ここの賑やかさでちょっとほっとした気持ちになりました。

    ここからは吉田の市街をぶらぶらかな。
    ゆめタウン吉田は、安芸高田市歴史民俗博物館から吉田町の市街中心部に向かう途中。
    ゆめタウンの中では中くらいか少し小さいくらいの規模かな。それでも、吉田ではひときわ大きな商業施設。山の中を歩いた後だったので、ここの賑やかさでちょっとほっとした気持ちになりました。

  • 市街から見える郡山城。中腹にあの展望台の「一文字に三つ星」も見えています。

    市街から見える郡山城。中腹にあの展望台の「一文字に三つ星」も見えています。

  • 市街に入って、これは田原菓子店。しゃちほこの瓦ののった屋根に総二階の二階にはぐるりはレトロなデザインのガラス窓。もこし風の二重ひさしもなにげに格式を表しているようだし、土生玄碩生家という看板も誇らしげ。まあ、街のランドマークを自認しているといった風でしょうか。<br />

    市街に入って、これは田原菓子店。しゃちほこの瓦ののった屋根に総二階の二階にはぐるりはレトロなデザインのガラス窓。もこし風の二重ひさしもなにげに格式を表しているようだし、土生玄碩生家という看板も誇らしげ。まあ、街のランドマークを自認しているといった風でしょうか。

  • いただいたのは「毛利公」という最中。

    いただいたのは「毛利公」という最中。

  • 最初の一口は甘さもしっかりしていてインパクトがあったのですが、結局はフェイドアウト。ちょっと不思議な餡子ですけどね。

    イチオシ

    最初の一口は甘さもしっかりしていてインパクトがあったのですが、結局はフェイドアウト。ちょっと不思議な餡子ですけどね。

  • 昼飯は、なんとなく目についた茶房 いなだにしてみましょう。

    昼飯は、なんとなく目についた茶房 いなだにしてみましょう。

  • 歴史のある街にはひょっこりいいお店があったりするものなのですが、ここもまさにそういう感じ。レトロな店内は壁に玄楽器のコレクションが掛けてあったり、品のよさそうな趣味でいいじゃないですか。

    歴史のある街にはひょっこりいいお店があったりするものなのですが、ここもまさにそういう感じ。レトロな店内は壁に玄楽器のコレクションが掛けてあったり、品のよさそうな趣味でいいじゃないですか。

  • そして、いただいた焼きサンドのセットがまたいい。少し油に工夫をした香りのよい具に

    イチオシ

    そして、いただいた焼きサンドのセットがまたいい。少し油に工夫をした香りのよい具に

  • 付け合せの味噌汁も悪くない。日曜に開いているのも助かりますよね。<br />さて、以上で郡山城を訪ねる旅はおしまい。帰りも路線バスで帰ります。

    付け合せの味噌汁も悪くない。日曜に開いているのも助かりますよね。
    さて、以上で郡山城を訪ねる旅はおしまい。帰りも路線バスで帰ります。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • 機乗の空論さん 2022/01/01 10:57:03
    お久しぶりです!
    おめでとうございます!、今年も宜しくお願いします。今年こそはコロナ禍の終息を願ってもっと旅がしたいですね。安芸高田や三次は毛利のご城下、古い町にはそれに合う喫茶店や和菓子屋もあって好いですね!。また、拝見させて頂きますので宜しく!。

    たびたび

    たびたびさん からの返信 2022/01/01 22:55:04
    RE: お久しぶりです!
    明けましておめでとうございます
    こちらこそ、今年もよろしくお願いします
    一応、郡山城のアップはしたんですが、元就が晩年までここから動かずに中国地方を抑えていったというのがまだちょっともやもやとしなくもない。山口とか大内氏の文化が香り高かった後をどうやって始末をつけたんでしょうね。月山富田城、出雲の有力豪族たちに対しても同じ感じ。信長が美濃を手に入れたのは岐阜城に入るといった決定的な形がなければ実現しなかったはず。それに比べるとなんだかなあという感じなんですよね。
    それから、福島氏、浅野氏からすると毛利氏はどういう思いだったのかももやもや。幕末の長州征伐では浅野家の安芸藩はけっこう長州に同情的だったりするんですけど、それが幕末だけの話なのかどうなのか。そういうところも広島県人の元就に対する気持ちに影響しているんじゃないかと思うんですけどね。
    まあ、今年もぼちぼちです。

                           たびたび

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