2018/05/17 - 2018/05/23
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kiyosanさん
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リスボンからイベリア航空を使いマドリッド経由でグラナダに来ました。
旅行日数が多いので、観光に充てる日数も多いように思われますが、移動も多いので、移動日はそのために一日使ってしまいますから、思ったほどには観光に充てられません。
また、個人旅行で朝は洗濯してから出かけるなどどうしてもゆっくりしてしまうので、なかなか効率的に観光して回るという風にもいきませんでした。ま、そういう旅なんですが。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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リスボンからイベリア航空でマドリード乗り換えでグラナダに到着。
小さな空港で、すぐ空港バスの乗り場があります。30分ほどで市内に到着。
アパートがカテドラルのそばだったので、そこで下車。
アパートはIsabel la Catolica Ⅲ Apartment in Granadaといい、イザベルカトリカ広場に面しています。
こちらはマドリードのアパートのエントランス。 -
リビングダイニングです。
ここは2ベッドルーム、2バスルームです。約100㎡。 -
回りをぐるっとベランダがあり、ちょっとアルハンブラ宮殿が見えます。
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キッチン
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ベッドルーム1
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ベッドルーム2
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部屋から見るイザベルカトリカ広場です。
ほぼ、街の中心です。 -
サン・ニコラス展望台から見るアルハンブラ宮殿。
バスで展望台まで上がり、そこからはアルバイシン地区をてくてく降りてきました。 -
途中の家並み。
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途中でギターを弾く人がいて、アルハンブラの思い出を弾いてくれました。
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アラブ風というか、イスラム風というか、そんな感じがします。
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アラブ風のお土産屋さんが多い。
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ヌエバ広場の近くに来ました。
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お昼を食べようとレストランに入りましたが、英語メニューがありません。主人がポケトークを使って話してみようとしましたが、うまく動かず、がっかり。
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部屋に帰り、ベランダでチョット紅茶をいただきました。
アルハンブラ宮殿がちょっとだけ見えます。 -
カテドラルに向かいます。
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グラナダ陥落の後にモスクの跡に作られたそうです。
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天井も高いですが、柱の太さもすごいです。
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内陣です。
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パイプオルガンです。ここは左右に一つずつありました。
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主祭壇も回廊の祭壇も絢爛豪華な造りですが、白と金の装飾なので金ぴかという感じではありません。
1492年にレコンキスタも終わり、イザベル女王の支援を受けたコロンブスがアメリカ大陸を発見し、スペインのそれこそ黄金期に入った時期に作られたカテドラルなので、潤沢に費用をかけられたのでしょう。 -
カテドラルを出て、奥に見えるのが王室礼拝堂です。この後に行く予定でしたが、私の具合が悪くなり、いけませんでした。カテドラルより古くて、美術的・歴史的にも価値が高いらしいです。
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外に出ました。
この後、私が熱を出してダウンし、次の日カードに付帯していた旅行保険の会社に連絡して、グラナダにいる提携の会社の日本人の社員さんが来てくれて病院に連れて行って貰いました。
それで、丸二日寝てしまったので、予定していたミハスやマラガなどへも行けなくなってしまいました。返す返すも残念でしたが、これがツアーの旅行だったら、ほかの方に大迷惑をおかけし、どんなことになったかと思うと、個人旅行で幸いでした。
私は寝ていましたが、主人は町の隅から隅まで見て回ったようです。良かった。 -
夜のイザベルカトリカ広場です。
噴水がライトアップされて幻想的です。 -
今日は予約していたアルハンブラ宮殿のツアーの日です。
アルハンブラ宮殿の予約はなかなか取れないので、ツアーに参加してしまった方がいいように思います。
私は熱は下がりましたが、まだ本調子ではありませんでしたが、何があってもここは外せないので気合を入れました。
バスがイザベルカトリカ広場に迎えに来てくれて、日本人のガイドの方がアルハンブラ宮殿に連れて行ってくれます。
他の参加の方は五名でした。
アルハンブラと素朴に描いたプレートのところを入っていきます。 -
アルハンブラ・サンタ・マリア教会。
レコンキスタ(国土回復戦争。キリスト教勢力によるイスラム教徒の排撃運動。8世紀から15世紀まで続く)の後、モスクを壊して作られたそうです。因みに最後のアルハンブラ宮殿のイスラム王はボアブディル王で、泣く泣く城を追われたそうですが、無血開城のため、宮殿は残ったのです。 -
裁きの門です。
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ワインの門
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アルカサル
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ナスル宮殿の中、まずメスアール宮。
行政や裁判の場だったそうです。宮殿で最も古い部分です。 -
メスアールの中庭にある青銅の門。
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レース編みのように繊細な模様アラベスク
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白いファサードをくぐるとコマレス宮です。
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アラヤネスの中庭に出てきました。
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ライオン宮に入ってきました。
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美しい柱の間から噴水が見えてきます。
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12頭のライオンの噴水があるライオンの中庭です。
これは水時計の役割があったそうで。 -
一頭ずつ表情が違います。
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ここは二姉妹の間という名前で、鍾乳石飾りという天井の飾り。
この二人は王の愛妾だったそうです。 -
諸王の間の天井
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ちょっとした窓から、庭が見渡せる
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リンダラハの中庭。二姉妹の間の妃のひとりがリンダラハ。その人の名のお庭です。
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アルバイシン地区が下に広がります。
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カルロス五世の宮殿に行きます。
ここは16世紀にレコンキスタが終わった後、そこにあった建物を壊して作られたそうなので、アルハンブラ宮殿のその他の建物とは全く趣の違うものになっています。 -
中庭は円形の広場になっています。
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昔の要塞のところに来ました。
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グラナダ市街が一望できます。
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少し高いところにある夏の離宮ヘネラリフェです。
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あの狭い門を通らねばなりません。
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アセキアの中庭。
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上からみるとまた素晴らしいでしょうね。
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アルハンブラ宮殿敷地内にあるパラドールの中庭に来ました。
屋外カフェがあり、ちょっと休憩。 -
反対側にヘネラリフェが見えます。
直射ではかなり暑いですが、木陰に入れば涼しい。 -
ここから外へ出ます。
かなり歩きましたが、本当に素晴らしいところでした。
ここを世に知らしめてくれた、アメリカ人の作家ワシントン・アービィングに感謝です。アービィングは1832年ころから3年間グラナダに住み、当時荒れ果てて貧民窟のようになっていた有様の宮殿に惚れ込んで、古書を見つけて研究し、昔の栄光をアルハンブラ物語という本にして世に出しました。
宮殿の中に住んでいたこともあったようです。 -
ヌエバ広場の方に降りてきました。
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ヌエバ広場近くには、たくさんの小さなバルがあり、飲み物を一つ頼むとタパス一品がついてきます。なので、一杯飲んでは次のバルへ。私はあまり飲めないので、クララ・コン・リモン(ただ、クララでもいい)というビールとレモンの炭酸飲料を混ぜたようなものがあるので、そればかり頂きました。4軒も廻るとおなかもいっぱい
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アパートの前の並木の木。
オレンジだそうです。
実がついています。実がつく木とつかない木があり、葉っぱの形が違うと教えてもらいました。
明日はマドリッドに向かいます -
夜はフラメンコ観賞ツアーに参加しました。
サクラモンテの洞窟住居を利用した洞窟タブラオで、飲み物を頂きながら、迫力あるダンスを見ました。細長い店内で、踊り子さんが手が届きそうな距離です。 -
このおばさんの迫力
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フラメンコのツアーの最初に夜のサンニコラス展望台からアルハンブラ宮殿を見せてくれました。
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ヌエバ広場から、アルバイシン地区の坂を登って展望台に行く道はちょっときついけど、ダーロ川を挟んでアルハンブラ宮殿も見え隠れするグラナダの雰囲気がいっぱい感じられる通りです。
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ヌエバ広場の隣にある教会の前で、女性のダンサーの方のパフォーマンスが行われていました。
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明日は列車に乗ってマドリッドに移動です。
私の病気が無ければシェラネバダ山脈を越えて他の街も訪れることができたはずなのにという未練はありますが、クラナダは特別に人を魅了する街、また必ず訪れたいです。
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