2009/02/25 - 2009/03/02
57位(同エリア952件中)
Takashiさん
- TakashiさんTOP
- 旅行記134冊
- クチコミ57件
- Q&A回答13件
- 436,870アクセス
- フォロワー100人
メキシコやグァテマラを中心とした中米ではマヤ、アステカ、テオティワカンといった古代文明とその後継の文明が栄えた。シロナガスクジラのウォッチングでメキシコを訪ねた機会に、このメソアメリカ文明に接しようと考えた。
メキシコシティではまず、アステカ帝国の中央神殿があったテンプロ・マヨールを見た。発掘されてから、それほど時を経ていない遺跡の中を歩けて興奮した。続いて国立人類学博物館を訪問した。メキシコで出土したメソアメリカ文明の遺物が見事に集められ、相互の関係がよく分かた。目玉はパレンケ王パカルの墓の複製と遺物の展示である。ヒスイの仮面は精巧でマヤ文明古典期の傑作と称せられている。
翌日、テオティワカンへ。その後のメソアメリカ文明へ大きな影響を与えた古代文明が目の前にあった。そしてカンクンへ飛び、ここからチチェン・イッツァを観光バスで往復した。ピラミッドは見事だったし、壁面が美しく飾られた尼僧院もあった。
メソアメリカ文明入門の旅としては満足できるものだった。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
2009年2月25日。ロサンゼルスからメキシコシティへ飛んだ。メキシコのメソアメリカ文明を見る旅の始まりだ。計画を立てるとき、2つ問題があった。まず、私たちは2人とも働いていて、これ以上、あまり長く旅行することはできなかった。また、メキシコの都市部の治安も心配だった。本来、ツアーで旅したほうがいい場所にも思えた。
そこで、メキシコシティでは高級ホテルであるフォーシーズンズに泊まることにし、ここに車の手配を頼んだ。これなら安全に効率よく回れるだろう。
空港で迎えの車に乗り、ホテルにチェックイン。荷物を置いたら、すぐに出発。まず、中央広場であるソカロに向かってもらった。メトロポリタン・カテドラルが堂々とそびえている。ソカロ (中央広場) 広場・公園
-
隣は国立宮殿。回廊にはメキシコの歴史が描かれている。写真はアステカ時代の生活を示している。
国立宮殿 城・宮殿
-
さらに、その隣にあるのがテンプロ・マヨールである。アステカ帝国の中央神殿跡だ。アステカは14世紀ごろからメキシコ中央部で栄えたが、スペインのコルテスらの侵略によって16世紀初頭に滅ぼされた。その首都は、まさにここにあり、当時はテノチティトランと呼ばれた。人口25万人程度の、世界有数の都市で、湖の中の島にそびえる中央神殿は宇宙の中心と信じられていた。
1978年、電気工事中、偶然に月の女神の巨大な石板が発見されたのを契機に、大規模な発掘が始まった。現れたのは、破壊された神殿の遺跡であった。ここには2つの神殿があり、1つは雨と農業の神トラロックに、もう1つは太陽と戦争の神ウィツィロポチトリに捧げられていた。
発見されてから時を経ていない遺跡の中に入れることに興奮した。遺跡にはピラミッドや建物の跡と思われる石垣がたくさんあり、その間を歩いていった。テンプロ・マヨール 建造物
-
蛇の頭のような物がたくさん突き出している。古くから信仰されてきた、羽毛を持つ蛇、ケツァルコアトルだ。豊穣などの神とされる。
石垣は斜めの部分(タルー)と直角の部分(タブレロ)が組み合わさっている。テオティワカン文明のタルー・タブレロ様式を取り入れているのだろう。 -
このケツァルコアトルは、将に大蛇である。
-
頭の部分のアップ。赤い色が残っている。
-
これもケツァルコアトルだろう。
-
カエルの像もある。水の象徴のようだ。農業のための水の重要性が強く認識されていたのだろう。
-
チャックモール。生贄の心臓を中央の丸い部分に置いた。赤い色とともに青い色も残っている。
-
ここに、ワシの戦士の像があったことを示している。本物は付属の博物館でお目にかかることになる。
アステカ帝国は軍事帝国であり、ワシの戦士は精鋭部隊であったと思われる。 -
この辺りはワシの戦士のための部屋だったと考えられている。写真はワシの戦士のレリーフ。
-
ツォンバントリ。生贄の頭骸骨を模写した彫刻であろう。
-
イチオシ
30分ほど遺跡を見学して、付属の博物館に入った。ここの最大の見ものは月の女神の石板である。直径3.3m, 重さ8.5トンと巨大だ。全体像の写真を撮るには、上の階から見下ろす必要がある。この石板の発見が遺跡発掘の契機になった。
月の女神コヨルシャウキは太陽神と戦って敗れ、バラバラにされてしまった。遺体の様子が石板に刻まれている。乳房も見える。 -
死の神、ミクトランテクートリ。冥府の王である。ワシの戦士の像とともに、国立科学博物館の展示で紹介されたことがある。
-
ワシの戦士。ワシの羽、くちばし、爪を形どった衣装を着ている。
-
その他にも、いろいろな展示物があったが、メモを取らなかったので、何を撮ったか分からないものも多い。
-
45分ほどの見学の後、博物館を出て、待っていた車で、国立人類学博物館へ向かった。
-
国立人類学博物館に到着。
テンプロ・マヨールでかなり時間を使ったし、途中の道も混んでいたので、閉館時間の7時までに、1時間半位しかないが、急げば何とかなるだろう。メキシコ国立人類学博物館 博物館・美術館・ギャラリー
-
最初のハイライトはテオティワカン文明の部屋である。テオティワカンはメキシコシティの中心部から北東へ約50kmのところに位置する。テオティワカン文明は紀元1年前後から350年ごろまで発展を続け、ピラミッドもこのころ築かれた。繁栄は600-650年ごろまで維持されたが、その後、急速に衰退していった。
部屋に入ると、頭骸骨と舌を出した姿の写真がまず目に入った。本物を貸し出しているための対応だ。
死滅しつつある太陽のようにも見えるが、wiki英語版によれば、死の神、ミクトランテクートリだ。いずれにせよ、テオティワカン文明の文字については詳しいことが分かっていないから、アステカの言葉での説明である。太陽のピラミッド付近で見つかった。 -
ケツァルコアトル神殿にある装飾のレプリカで、往時を想定しての彩色が施されている。
ケツァルコアトルとトラロック(雨と農業の神)が交互に配置されている。アステカのものと比べると、こちらのケツァルコアトルはより象徴的で、羽毛が目立つ。
ケツァルコアトルはアステカの言葉だから、最近は羽毛を持つヘビと記すことも多い。トラロックもアステカの表現で、この像は火や戦いのヘビだとの説もある。 -
水の神、チャルティトゥリクエの像。月のピラミッドの前で発見された。川、泉、水路など地上の水をつかさどっていた。
-
次の部屋はトルテカをテーマにしている。テオティワカン崩壊後、メキシコ中央高原を支配した文明だ。7世紀ごろから12世紀ごろである。
有名なのは写真の戦士の像。 -
イチオシ
そして、アステカの部屋に入る。ここの最大の見ものは太陽の石(アステカカレンダー)である。直径3.6mと巨大だ。
中央に太陽神があり、周囲に今まで生まれては滅んだ太陽が描かれている。外側は暦である。 -
大地の女神、コアトリクエ。太陽神と月の女神などを産んだ。
奇怪な像である。頭を切り落とされた跡に2頭の蛇が現れたという。人の手、心臓、頭蓋骨をつないだネックレスをしている。スカートは蛇だ。 -
ジャガーの像のようだが、中央にやはり生贄の心臓を置くくぼみがある。
-
ミクトランテクートリらしい。いろいろな姿になるのだろうか。突起が気になる。
-
王の装束だろうか。
-
次の部屋はオアハカのモンテ・アルバン遺跡などを扱っている。サポテコ人が築いたモンテ・アルバンでは紀元前から文明が栄えた。石に刻まれた「踊る人」が有名である。
楽しく踊っているのではなく、捕虜の姿らしい。 -
次の部屋はメキシコ湾岸の文明を扱っている。メソアメリカ文明の母とされるオルメカ文明がハイライトだ。オルメカ文明は紀元前1250年ころから紀元前後まで栄えた。
オルメカの巨大石頭が見ものである。右端にぼんやり見える人物と比較すると、大きさがわかる。 -
そして、マヤ文明の部屋だ。マヤ文明は、メソアメリカ文明の中で、最高に輝いている。
マヤ文明はグァテマラ、メキシコ南東部などに栄え、その絶頂期は古典期(250年ー900年頃)とされる。
マヤの文字は美しく複雑だが、その多くが解読されている。写真の右上、T字型の中にマヤ文字が刻まれている。 -
マヤの石碑がいくつか展示されていた。石碑には王の姿などが刻まれ、そしてマヤ文字で関連する出来事とその日付が記されている。マヤ文字の解読が進むとともに、マヤの歴史が次第に明らかになってきたのである。
例えば、マヤの都市で最も有名なティカルについては、以下の記載がある。378年1月31日、シャフ・カックがティカルに到着し、それまでの王が入水した(古代マヤ王歴代誌、マーティンら、創元社、2002)。
テオティワカンの軍事力を背景とした介入がうかがわれる。その後、ティカルはさらに発展した。 -
石碑ではマヤ人はしばしば、特徴的な横顔で描かれている。
-
マヤの部屋の、いや、この博物館の一番の見ものパレンケの王、パカルの遺品だろう。パカル王は長命で、615年から683年まで在位した。
1949年、碑文の神殿を修復していたメキシコの考古学者が、墓室に至る通路を発見した。苦労して土砂を取り除いていくと墓室に達した。石棺の蓋を開けると、遺品をまとったパカル王の遺骸があった。1952年のことで、メキシコのツタンカーメンといわれる事件であった。博物館では墓室のレプリカも展示している。 -
石棺の蓋だけを示そう。横たわるパカル王が、その上に立ち上がっているトウモロコシの神として再生する姿だという。
立ち上がっているのは世界樹で、これを通ってパカル王が昇天するという説明もある。 -
パカル王の遺品は身に着けた姿で展示されていた。
-
イチオシ
特に素晴らしいのは、ヒスイの仮面だ。340片のヒスイの断片を接ぎ合わせていて、高度な技術をうかがわせる。
ヒスイは宝石だから、この豪華さはメキシコのツタンカーメンと呼ばれるのにふさわしい。 -
遺品の中にはパカル王の像もある。
-
これも。
-
チツェンイッツァにあるチャックモール。コピーかどうかは分からなかった。
-
雨神、チャックの姿で、カバー遺跡にあるものだ。大きな鼻が特徴だが、目や口はテオティワカンの雨神、トラロックと明らかに似ている。
無事にマヤの部屋までを見終わり、閉館間際の博物館を後にした。 -
2月26日。ホテルをチェックアウトして、ホテルの車に荷物を積み込んだ。テオティワカンを観光して、そのまま空港に向かうのだ。
テオティワカンでは、まず太陽のピラミッドに上った。高さ65メートル、底辺の一辺が220 - 230mと巨大である。頂上からの眺めは写真のように壮大だ。前方に月のピラミッド。左手の道は死者の道である。太陽のピラミッド 建造物
-
次に月のピラミッドに向かった。
高さは47メートル。途中まで登ることができる。月のピラミッド 建造物
-
月のピラミッドから太陽のピラミッドを望んだ。
-
太陽のピラミッドの頂上部分を拡大した。何人かの人がいることが分かる。
-
ピラミッドには満足したので、そのほかの遺跡も見物することにした。
まず、月のピラミッドに近いケツァルパパロトルの宮殿に行った。神官の住居と考えられている。
柱のレリーフが綺麗だ。ケツァルパパロトルの宮殿 城・宮殿
-
拡大した。鳥をモチーフにしたらしい。
-
近くのジャガーの宮殿にも行った。
ジャガーの図が残っている。ジャガーの神殿 建造物
-
この羽毛のあるジャガーは羽毛のある、ほら貝を吹いている。
-
死者の道を引き返して、ケツァルコアトルの神殿(羽毛を持つヘビのピラミッド)を訪問した。
ケツァルコアトルの頭が突き出している。ケツァルコアトルの神殿 建造物
-
一面にケツァルコアトルとトラロックが並んでいる。
-
改めてケツァルコアトルのアップを撮影。
-
トラロックも。
目がユニークだ。
テオティワカンには3時間弱、滞在した。満足して車に帰り、空港まで送ってもらった。 -
カンクンまで飛び、リッツカールトンに投宿した。くつろげるリゾートホテルで、ここに3泊だ。
明日はマヤの遺跡、チチェンイッツァの観光である。
マヤ文明は古典期の終末に当たる800年ごろに危機に陥った。しかし危機は北部には波及せず、ウシュマル、チツェンイッツァはむしろこの時期に発展した。後古典期前期(900-1200年)もチツェェンイッツァは繁栄を続けた。中央高原のトルテカの影響が強まり、マヤ、トルテカ両文明の融合が起こった。ケンピンスキー ホテル カンクン ホテル
-
イチオシ
2月27日。観光バスによるチチェンイッツァ観光である。遺跡の中で最初に目を奪ったのはククルカンの神殿(エルカスティージョ)だ。美しい!
ピラミッドの高さは24m、その上に6mの神殿がある。作られたのは900-1,000年ごろらしい。四方の階段の数を合計し、これに神殿の階段、1段を加えると365段になるそうだ。
ククルカンはマヤ語の表現で、ケツァルコアトルと同一とされている。エルカスティージョ 建造物
-
中央階段の根元にはククルカンの頭が彫られている。帰り際の写真から切り抜いて示した。
春分と秋分のころには、落日の作る階段の影がククルカンのうねる胴体となる。 -
ククルカンに近づいて、よく眺めた。
-
ほかの建物も見て歩いた。これは天文台。
カラコル 建造物
-
尼僧院、あるいは教会と呼ばれる2つの建物は、ウシュマルで栄えたプウク式の建築である。チャック神の装飾がふんだんに施されている。写真は建物の1つを示した。
尼僧院 建造物
-
戦士の神殿。
戦士の神殿 建造物
-
その上に、チャックモールがある。
-
ツォンパントリ。
-
ジャガーの神殿には、ジャガーの像がある。
-
2時間を少し超えた訪問を終えて、帰路に就いた。
帰り際に、もう一度、ククルカンの神殿を眺めた。 -
2月28日。カンクンの美しい海を眺めて過ごした。明日は帰国である。
その後、写真を整理して、アルバムに貼ったら、すっかり満足して、多くのことを忘れてしまった。この旅で興味を持ったものの、メソアメリカ文明を再び旅することもなかった。
コロナ危機で自粛中に思い立って旅行記を書くことにして、見たものの意義が分かったことも多い。予想外のコロナの恵みである。ケンピンスキー ホテル カンクン ホテル
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- TKさん 2023/08/26 13:13:51
- TakashiさんのWEBサーフィン旅行を楽しんでいます。
- Takashiさん
こんにちは!
いつもお世話になっております。また、私の旅行記にたくさんの「いいね」をありがとうございます。私も、Takashiさんの旅行記の訪問先は、大変興味のある場所ばかりなので、TakashiさんのWEBサーフィン旅行をたっぷり楽しませていただきました。ありがとうございます
私達も、メキシコ国立人類学博物館へ行きましたよ!。アマゾンジャングルリバークルーズへ行くとき、メキシコシティーで1泊いたしました。ここの展示物は迫力のあるものばかりで素晴らしいですね。
パカル王の緑のヒスイの仮面の写真で思い出しました。いま、パカル王のお妃の「赤の女王」(赤いヒスイの仮面なので)の特別展示会が東京国立博物館で開催中(9月3日まで)ですよ。お時間がありましたら、名古屋から、軽くお出かけください。
チチェンイッツァにも行かれたのですね。懐かしいです。私たちは、アメリカに滞在中に、家族でコズメルから出かけました。昔は、ここのピラミッドへ登れたのですよ。なんと、うちの息子(3人)たちが、競争でピラミッドの頂上へ登り始めたのです。まあ。ビックリしました。でも、ピラミッドの頂上からの展望は素晴らしく、周り一面のジャングルが見渡せ、感動した思い出があります。
いろいろなところへの旅の思い出を、Takashiさんの旅行記で、再度思い出して大変楽しませていただきました。ありがとうございます。
今後ともどうぞ、よろしくお願いします。
TK
- Takashiさん からの返信 2023/08/26 16:55:25
- RE: TakashiさんのWEBサーフィン旅行を楽しんでいます。
- TKさん
こんにちは
嬉しいコメントを頂き、大変ありがとうございます。また、たくさんの旅行記に、いいねを頂き、感激です。
TKさんの旅行記も楽しませていただいています。目的が共通した旅行が結構多いですね。TKさんはチュニジア、私はモロッコとか。でも、近くに行きながら、訪ねられなかった場所の旅行記は特に興味深いです。バラナシは恐ろしそうで敬遠してしまいましたし、黄龍は九寨溝を楽しんだら、急にインフルエンザか何かにやられ、取り止めました。
極め付きは、アマゾンクルーズです。凄い経験が出来るのですね! 私たちはマナウスから簡単に行けるジャングルロッジを訪問しただけです。
チチェンイッツァのピラミッドに登られたのですね! 見渡されたジャングルの景色は、さぞ素晴らしかったと存じます。赤い翡翠の仮面とは興味津々です。来週はメンテのため眼科と歯科の予約を入れるなど立て込んでしまっていますが、都合がついたら是非新幹線に乗りたいです。
TKさんの旅行記を読ませていただいたりすると、また海外に出かけたくなります。コロナの時代になって、海外旅行は打ち止めと思っていましたが。円安で旅費が途方もなく上がっているので、おじけづきますが、アジアは比較的上昇率が低い気もします。旅は計画するのも楽しいので、じっくり情報集めと思っています。
これからもよろしくお願い致します。
Takashi
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
Takashiさんの関連旅行記
この旅行で行ったホテル
-
ケンピンスキー ホテル カンクン
3.84
この旅行で行ったスポット
もっと見る
メキシコシティ(メキシコ) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
64