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2日目は宿泊したホテルが主催する「語り部バス」で南三陸町を巡り、その後は気仙沼、陸前高田、そして大船渡と、いずれも今回の大震災で大きな被害を受けた街を巡った。<br /><br />表紙の写真は岩手県・陸前高田市に造られた「高田松原津波復興祈念公園」の防潮堤に設けられた祭壇だが、眼前に広がる広田湾には、今でも行方不明となった方々が大勢、眠っている。

2021年 南三陸を往く2:南三陸、気仙沼・大島、陸前高田&大船渡

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2021/05/11 - 2021/05/11

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2

78

chiaki-k

chiaki-kさん

2日目は宿泊したホテルが主催する「語り部バス」で南三陸町を巡り、その後は気仙沼、陸前高田、そして大船渡と、いずれも今回の大震災で大きな被害を受けた街を巡った。

表紙の写真は岩手県・陸前高田市に造られた「高田松原津波復興祈念公園」の防潮堤に設けられた祭壇だが、眼前に広がる広田湾には、今でも行方不明となった方々が大勢、眠っている。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
ホテル
5.0
グルメ
5.0
ショッピング
3.5
交通
1.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
自家用車 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 5/11<br /><br />04:30 夕べ飲んだ「蒼天伝」が効いたのか、昨晩は部屋に戻るとすぐに爆睡。そして、こんな時間に目が覚めたので、薄明るくなった部屋のカーテンを開けると、志津川湾に昇る見事な朝日が拝めた。震災の翌朝もこんな朝日が昇ったそうだが、ホテルの女将さんは複雑な思いで朝日を見つめていた、と「語り部バス」のスタッフさんから話があった。<br />

    5/11

    04:30 夕べ飲んだ「蒼天伝」が効いたのか、昨晩は部屋に戻るとすぐに爆睡。そして、こんな時間に目が覚めたので、薄明るくなった部屋のカーテンを開けると、志津川湾に昇る見事な朝日が拝めた。震災の翌朝もこんな朝日が昇ったそうだが、ホテルの女将さんは複雑な思いで朝日を見つめていた、と「語り部バス」のスタッフさんから話があった。

  • UP1

    UP1

  • UP2

    UP2

  • どUP。こんな時間から漁師さんは働いている。<br />

    どUP。こんな時間から漁師さんは働いている。

  • 志津川湾に太陽の道が出来た。湾に浮かんでいるのは養殖牡蛎の筏か。<br />

    志津川湾に太陽の道が出来た。湾に浮かんでいるのは養殖牡蛎の筏か。

  • 朝早くから、ご苦労様です。<br />

    朝早くから、ご苦労様です。

  • 観洋の部屋の窓の手すりめがけて、ウミネコが飛んできた。<br />

    観洋の部屋の窓の手すりめがけて、ウミネコが飛んできた。

  • ものは試しにスナックのかけらをやると・・・<br />

    ものは試しにスナックのかけらをやると・・・

  • 増殖した。ちなみにホテルの売店では、ウミネコの餌を販売しているそうだ。<br />

    増殖した。ちなみにホテルの売店では、ウミネコの餌を販売しているそうだ。

  • 朝風呂を浴びてから朝食。朝食は最大1000人入れるという大きな部屋でバイキング。<br />

    朝風呂を浴びてから朝食。朝食は最大1000人入れるという大きな部屋でバイキング。

  • こんな感じにまとめてみた。<br />

    こんな感じにまとめてみた。

  • 今日も朝から良い天気だ。<br />

    今日も朝から良い天気だ。

  • 08:45 ホテル玄関から「語り部バス」に乗り込む。参加者は8人ほど。「南三陸ホテル観洋」では、震災を風化させない為に、スタッフが町をバスで案内する「語り部バス」を毎日運行している。一般コースは8:45ホテル前出発・9:45ホテル前到着で参加費は大人1人500円。宿泊予約時に申し込んでおいたが、普段聞けないような話を聞くことができたので、有意義な1時間だった。<br />

    08:45 ホテル玄関から「語り部バス」に乗り込む。参加者は8人ほど。「南三陸ホテル観洋」では、震災を風化させない為に、スタッフが町をバスで案内する「語り部バス」を毎日運行している。一般コースは8:45ホテル前出発・9:45ホテル前到着で参加費は大人1人500円。宿泊予約時に申し込んでおいたが、普段聞けないような話を聞くことができたので、有意義な1時間だった。

  • 語り部はホテルスタッフのIさん。大震災はもちろん、チリ地震津波まで体験している高齢の男性。バスが最初に向かったのはホテルより南側に隣接する戸倉地区。<br />

    語り部はホテルスタッフのIさん。大震災はもちろん、チリ地震津波まで体験している高齢の男性。バスが最初に向かったのはホテルより南側に隣接する戸倉地区。

  • 折立川という名の、普段は地区を流れる小さな川に新しく造られた橋を渡る。10m近い防潮堤で囲まれているが、Iさんの話では津波は川からやってくるのだそうだ。<br />

    折立川という名の、普段は地区を流れる小さな川に新しく造られた橋を渡る。10m近い防潮堤で囲まれているが、Iさんの話では津波は川からやってくるのだそうだ。

  • かつてはここに集落と町立戸倉小学校の旧校舎があり、地震発生当時、学校には児童91人と教職員がいた。指定避難場所は3階建て校舎の屋上又は高台となっていたが、校長の判断は高台だった。もし、屋上を選んでいたら大川小学校と同じ惨事になっていたことだろう。<br />

    かつてはここに集落と町立戸倉小学校の旧校舎があり、地震発生当時、学校には児童91人と教職員がいた。指定避難場所は3階建て校舎の屋上又は高台となっていたが、校長の判断は高台だった。もし、屋上を選んでいたら大川小学校と同じ惨事になっていたことだろう。

  • 家が数軒建っているのが、その高台。なんと津波はそこまで押し寄せてきた。<br />

    家が数軒建っているのが、その高台。なんと津波はそこまで押し寄せてきた。

  • 高台の後ろには小山があり頂上には五十鈴神社という小さな祠があったが、避難してきた保育園児や、付近の住民と児童、教職員併せて150名近くの人々がこの小山に登り、一晩を過ごして全員助かった。<br />

    高台の後ろには小山があり頂上には五十鈴神社という小さな祠があったが、避難してきた保育園児や、付近の住民と児童、教職員併せて150名近くの人々がこの小山に登り、一晩を過ごして全員助かった。

  • これは海抜19mにある戸倉中学校の体育館だが、津波はここまでも来た。ちなみに中学校は避難訓練のようなものはやっていなかったそうだ。残念ながら、ここでは、さらに高い所へ逃げようとして生徒1名、先生1名、さらには町民数名が校庭で亡くなっている。<br />

    これは海抜19mにある戸倉中学校の体育館だが、津波はここまでも来た。ちなみに中学校は避難訓練のようなものはやっていなかったそうだ。残念ながら、ここでは、さらに高い所へ逃げようとして生徒1名、先生1名、さらには町民数名が校庭で亡くなっている。

  • 中学校の校舎だが、現在は公民館となっており、正面の掛け時計は災害のあった時刻で止まっている。さすがに2階までは津波はこなかったので、2階にいた生徒や教職員は無事だった。<br />

    中学校の校舎だが、現在は公民館となっており、正面の掛け時計は災害のあった時刻で止まっている。さすがに2階までは津波はこなかったので、2階にいた生徒や教職員は無事だった。

  • 中学校の裏手はこんな感じ。右側が体育館、左側が公民館(旧校舎)だが、津波はこの崖を昇ってきたという。<br />

    中学校の裏手はこんな感じ。右側が体育館、左側が公民館(旧校舎)だが、津波はこの崖を昇ってきたという。

  • 新しく開発された高台に新しい集落が造られている。<br />

    新しく開発された高台に新しい集落が造られている。

  • そして再建された戸倉小学校の屋根も見えた。<br />

    そして再建された戸倉小学校の屋根も見えた。

  • 次ぎにバスが向かったのは高野会館。<br /><br />高野会館は気仙沼に本社のある阿部長商店が保有する民間の結婚式場で、震災当時は地元の老人クラブの歌や踊りの発表会が行われ閉会式の最中だった。元漁師だった会館の営業部長が海を見ると、海面が大きく下がっていたため、大きな津波が来るはず、と判断し家へ戻ろうとする高齢者達を4階屋上に誘導し、出入り口には数人の職員が手をつないで、出ようとする人たちを押しとどめたが、職員の手をかいくぐって8人出て行ってしまった。(8人全員行方不明)<br /><br />足の悪い方があったせいか、今回のツアーは下車無しで、全て車窓からだった。左に写っている方が語り部のIさん。<br />

    次ぎにバスが向かったのは高野会館。

    高野会館は気仙沼に本社のある阿部長商店が保有する民間の結婚式場で、震災当時は地元の老人クラブの歌や踊りの発表会が行われ閉会式の最中だった。元漁師だった会館の営業部長が海を見ると、海面が大きく下がっていたため、大きな津波が来るはず、と判断し家へ戻ろうとする高齢者達を4階屋上に誘導し、出入り口には数人の職員が手をつないで、出ようとする人たちを押しとどめたが、職員の手をかいくぐって8人出て行ってしまった。(8人全員行方不明)

    足の悪い方があったせいか、今回のツアーは下車無しで、全て車窓からだった。左に写っている方が語り部のIさん。

  • 会館の近くには公立志津川病院があった。病院の被害は甚大で入院患者・病院職員併せて74人が亡くなっている。会館の屋上からはベッドごと流されてゆく人を見たそうだが、救助を求めて手を振る姿が、まるでこの世に別れを告げているかのように見えたそうだ。3階の上の壁面に青いサインが張ってあるが、津波はここまで来た。<br />

    会館の近くには公立志津川病院があった。病院の被害は甚大で入院患者・病院職員併せて74人が亡くなっている。会館の屋上からはベッドごと流されてゆく人を見たそうだが、救助を求めて手を振る姿が、まるでこの世に別れを告げているかのように見えたそうだ。3階の上の壁面に青いサインが張ってあるが、津波はここまで来た。

  • 350人の命を救った高野会館は、2013年に所有者が震災遺構として施設を残す意向を固めた。震災遺構は「津波を思い出す」、「見たくも無い」と周辺住民から反対の声が出ることが多く、これまでに保存方針が明らかになった建物は少なく、民間業者が自発的に決めるのは珍しいケース。<br />

    350人の命を救った高野会館は、2013年に所有者が震災遺構として施設を残す意向を固めた。震災遺構は「津波を思い出す」、「見たくも無い」と周辺住民から反対の声が出ることが多く、これまでに保存方針が明らかになった建物は少なく、民間業者が自発的に決めるのは珍しいケース。

  • 志津川病院があったと思われる跡は、かさ上げされた公園となり何も残っていない。<br />

    志津川病院があったと思われる跡は、かさ上げされた公園となり何も残っていない。

  • ツアー最後の場所は南三陸町・旧防災対策庁舎。この防災庁舎は1995年、歌津町と合併する以前の志津川町時代に建てられ、近くには行政第一庁舎と第二庁舎があった。震災時、16m近い大津波により第一・第二庁舎は流失、防災庁舎は鉄骨の骨組み、床、屋根、それと非常階段を残して破壊される。<br />

    ツアー最後の場所は南三陸町・旧防災対策庁舎。この防災庁舎は1995年、歌津町と合併する以前の志津川町時代に建てられ、近くには行政第一庁舎と第二庁舎があった。震災時、16m近い大津波により第一・第二庁舎は流失、防災庁舎は鉄骨の骨組み、床、屋根、それと非常階段を残して破壊される。

  • 2階に危機管理課があり、町災害対策本部が置かれていた。本庁舎では津波に襲われる15時25分まで、防災無線放送で繰り返し住民に避難を62回に渡り呼びかけ続けた。危機管理課の女性職員・遠藤未希さんは繰り返し避難を呼びかけ続けたが、波の高さについては「最大で6メートル」という放送が続き、最後の4回のみ「10メートル」と放送した。結婚を控えた遠藤さんを気遣って、途中から三浦毅・課長補佐が放送を代わったが、最後は2人とも津波に飲みこまれ殉職した。<br />

    2階に危機管理課があり、町災害対策本部が置かれていた。本庁舎では津波に襲われる15時25分まで、防災無線放送で繰り返し住民に避難を62回に渡り呼びかけ続けた。危機管理課の女性職員・遠藤未希さんは繰り返し避難を呼びかけ続けたが、波の高さについては「最大で6メートル」という放送が続き、最後の4回のみ「10メートル」と放送した。結婚を控えた遠藤さんを気遣って、途中から三浦毅・課長補佐が放送を代わったが、最後は2人とも津波に飲みこまれ殉職した。

  • 防災庁舎屋上には佐藤町長以下54人が避難したが、大津波によって多くの人が流され、助かったのはたったの11人だけだった。チリ地震津波の経験と、当初の6mという津波予想のため、庁舎に留まり避難しなかったのが、犠牲者を大きくする一因となった。<br />

    防災庁舎屋上には佐藤町長以下54人が避難したが、大津波によって多くの人が流され、助かったのはたったの11人だけだった。チリ地震津波の経験と、当初の6mという津波予想のため、庁舎に留まり避難しなかったのが、犠牲者を大きくする一因となった。

  • ツアーを終了後、愛車を走らせ「南三陸さんさん商店街」へ。<br />

    ツアーを終了後、愛車を走らせ「南三陸さんさん商店街」へ。

  • 商店街にあった掲示板には震災前の南三陸町と<br />

    商店街にあった掲示板には震災前の南三陸町と

  • 震災後の写真が掲示されていた。<br />

    震災後の写真が掲示されていた。

  • 八幡川に架けられた新しい半木造の橋を渡ると・・・<br />

    八幡川に架けられた新しい半木造の橋を渡ると・・・

  • 南三陸町震災復興祈念公園が造られている。<br />

    南三陸町震災復興祈念公園が造られている。

  • 公園内に残された旧防災庁舎について、存続を巡って町を2分する議論が起きたが、10年という期限付きで、今は宮城県が管理している。将来的には残す方向で進んでいるようだ。庁舎後方には国道45号線、高野会館、そしてさらに左手奥にはホテル観洋が見える。<br />

    公園内に残された旧防災庁舎について、存続を巡って町を2分する議論が起きたが、10年という期限付きで、今は宮城県が管理している。将来的には残す方向で進んでいるようだ。庁舎後方には国道45号線、高野会館、そしてさらに左手奥にはホテル観洋が見える。

  • さんさん商店街も、時間帯とコロナの影響か、客は少なかった。<br />

    さんさん商店街も、時間帯とコロナの影響か、客は少なかった。

  • 商店街の東側にある上の山公園から眺めた町の様子。ここは大勢の町の人々が避難した公園で、震災時に恐ろしい映像が撮影された場所だが、盛り土のため、公園自体が低くなってしまったような錯覚を覚える。<br />

    商店街の東側にある上の山公園から眺めた町の様子。ここは大勢の町の人々が避難した公園で、震災時に恐ろしい映像が撮影された場所だが、盛り土のため、公園自体が低くなってしまったような錯覚を覚える。

  • R45を横切り、志津川湾を南下する。湾を挟んだ向こう側にホテル観洋が見える。<br />

    R45を横切り、志津川湾を南下する。湾を挟んだ向こう側にホテル観洋が見える。

  • サンオーレ袖浜海水浴場が再建されており、ここには・・・<br />

    サンオーレ袖浜海水浴場が再建されており、ここには・・・

  • モアイ岩が横たわっている。もう少し満ち潮のほうがわかりやすいかな?<br />

    モアイ岩が横たわっている。もう少し満ち潮のほうがわかりやすいかな?

  • 道路沿いには木彫りのモアイ像が並んでいる。なお、見逃してしまったが、さきほどのさんさん商店街にはチリから送られた、イースター島の石で掘られたモアイ像が飾られているそうだ。<br />

    道路沿いには木彫りのモアイ像が並んでいる。なお、見逃してしまったが、さきほどのさんさん商店街にはチリから送られた、イースター島の石で掘られたモアイ像が飾られているそうだ。

  • 最近、志津川湾はラムサール条約湿地に指定された。<br />

    最近、志津川湾はラムサール条約湿地に指定された。

  • 南三陸町を後に三陸自動車道で気仙沼へ向かう。時間の制約があるので気仙沼は市街地へは向かわず震災後、橋が架かり陸続きになった大島へ寄ってみた。写真は自動車道から見た気仙沼横断橋(愛称:かなえ大橋)左側に気仙沼の街が見える。<br />

    南三陸町を後に三陸自動車道で気仙沼へ向かう。時間の制約があるので気仙沼は市街地へは向かわず震災後、橋が架かり陸続きになった大島へ寄ってみた。写真は自動車道から見た気仙沼横断橋(愛称:かなえ大橋)左側に気仙沼の街が見える。

  • 気仙沼大島大橋(愛称:鶴亀大橋)は2019年4月に開通した橋で、今まで連絡船でしか行き来できなかった大島を陸続きにした。<br />

    気仙沼大島大橋(愛称:鶴亀大橋)は2019年4月に開通した橋で、今まで連絡船でしか行き来できなかった大島を陸続きにした。

  • 昼食目当てで気仙沼大島ウェルカム・ターミナルに寄ってみたが、これといった施設がまだ整備中だったので、昼食は別の所で取ることにした。<br />

    昼食目当てで気仙沼大島ウェルカム・ターミナルに寄ってみたが、これといった施設がまだ整備中だったので、昼食は別の所で取ることにした。

  • 駐車場からは亀山と呼ばれる山が良く見えたが、展望台があるので、後で行ってみよう。<br />

    駐車場からは亀山と呼ばれる山が良く見えたが、展望台があるので、後で行ってみよう。

  • 整備された港には一隻のフェリーが停まっていたが、震災後、瓦礫が浮かぶ危険な湾を往復して水や食料を運んだ勇敢な船長がいたそうだ。<br />

    整備された港には一隻のフェリーが停まっていたが、震災後、瓦礫が浮かぶ危険な湾を往復して水や食料を運んだ勇敢な船長がいたそうだ。

  • 結局、昼食はターミナルの下にあった「島の味処・こまつ」さんで取ることになる。<br />

    結局、昼食はターミナルの下にあった「島の味処・こまつ」さんで取ることになる。

  • 鶴亀丼と呼ばれる海鮮丼を注文。どちらかというと家庭料理に近い素朴な味だった。<br />

    鶴亀丼と呼ばれる海鮮丼を注文。どちらかというと家庭料理に近い素朴な味だった。

  • 昼食後、山道を5分ほど登り、適当な空き地に車を置いて、徒歩で展望台へ登る。写真は展望台手前の道から撮影した大島と気仙沼湾。<br />

    昼食後、山道を5分ほど登り、適当な空き地に車を置いて、徒歩で展望台へ登る。写真は展望台手前の道から撮影した大島と気仙沼湾。

  • 展望台手前の建物から撮影した気仙沼の街。ちなみに気仙沼はサンマやカツオの水揚げでは日本有数の大きな漁港。手前には気仙沼大島大橋、街の右側には気仙沼横断橋が見える。<br />

    展望台手前の建物から撮影した気仙沼の街。ちなみに気仙沼はサンマやカツオの水揚げでは日本有数の大きな漁港。手前には気仙沼大島大橋、街の右側には気仙沼横断橋が見える。

  • UPで一枚。なお、山の上には新しい住宅が並ぶ集落があるが、これらは皆、復興住宅と思われる。<br />

    UPで一枚。なお、山の上には新しい住宅が並ぶ集落があるが、これらは皆、復興住宅と思われる。

  • 対岸はこんな感じ。行かなかったが、ここもかなり津波の被害が出ているようだ。<br />

    対岸はこんな感じ。行かなかったが、ここもかなり津波の被害が出ているようだ。

  • さらに左へカメラを振るとこんな感じ。<br />

    さらに左へカメラを振るとこんな感じ。

  • 気仙沼大島ウェルカム・ターミナルと「島の味処・こまつ」さんも見えた。<br />

    気仙沼大島ウェルカム・ターミナルと「島の味処・こまつ」さんも見えた。

  • 最後にもう一度大島の風景を撮して、気仙沼を後にする。<br />

    最後にもう一度大島の風景を撮して、気仙沼を後にする。

  • 三陸道を陸前高田長部ICで降りR45を進むと陸前高田の街。写真は道の駅に併設された「東日本大震災津波伝承館」。かつて街があった場所には大きな公園が出来ていた。<br />

    三陸道を陸前高田長部ICで降りR45を進むと陸前高田の街。写真は道の駅に併設された「東日本大震災津波伝承館」。かつて街があった場所には大きな公園が出来ていた。

  • 海の方には巨大な防潮堤が造られ、海は全く見えない。<br />

    海の方には巨大な防潮堤が造られ、海は全く見えない。

  • 防潮堤の上までやってきた。後ろを振り返るとこんな感じ。何度も言うが、かつてここには陸前高田の街があった。<br />

    防潮堤の上までやってきた。後ろを振り返るとこんな感じ。何度も言うが、かつてここには陸前高田の街があった。

  • そしてやっと見えたのが広田湾。手前にあるのは祭壇だが、震災当時最大30mと言われる大津波に襲われた陸前高田では亡くなった方は1,602人、いまだに行方不明の方は202人もいる。行方不明者の多数はこの広田湾に眠っていると思われるので祭壇に花を供え、ご冥福をお祈りする。<br />

    そしてやっと見えたのが広田湾。手前にあるのは祭壇だが、震災当時最大30mと言われる大津波に襲われた陸前高田では亡くなった方は1,602人、いまだに行方不明の方は202人もいる。行方不明者の多数はこの広田湾に眠っていると思われるので祭壇に花を供え、ご冥福をお祈りする。

  • まるで万里の長城のような防潮堤を西へあるいて行くと<br />

    まるで万里の長城のような防潮堤を西へあるいて行くと

  • 奇跡の一本松が見えてきた。<br />

    奇跡の一本松が見えてきた。

  • かつてここには350年にわたって植林されてきた約7万本の松の木が茂り、「高田松原」と呼ばれ、陸中海岸国立公園(現三陸復興国立公園)や日本百景にも指定されていた景勝地であった。あの日、ほとんどの松の木が津波でなぎ倒されて壊滅したが、松原の西端近くに立っていた一本の木が津波に耐えて、立ったままの状態で残ったことから、この木は震災からの復興への希望を象徴するものとして捉えられるようになり、「奇跡の一本松」や「希望の松」などと呼ばれるようになった。<br />

    かつてここには350年にわたって植林されてきた約7万本の松の木が茂り、「高田松原」と呼ばれ、陸中海岸国立公園(現三陸復興国立公園)や日本百景にも指定されていた景勝地であった。あの日、ほとんどの松の木が津波でなぎ倒されて壊滅したが、松原の西端近くに立っていた一本の木が津波に耐えて、立ったままの状態で残ったことから、この木は震災からの復興への希望を象徴するものとして捉えられるようになり、「奇跡の一本松」や「希望の松」などと呼ばれるようになった。

  • 地盤沈下により海水が浸入したことなどにより、残念ながら松の木は枯れてしまったが、震災からの復興を象徴するモニュメントとして残すことになり、幹を防腐処理し心棒を入れて補強したり、枝葉を複製したものに付け替えたりするなどの保存作業を経て、元の場所に再び立てられた。<br /><br />7万本の松の木の中で一本松だけが生き残った理由は、一本松と海との間にユースホステルが建っていたため、建物が防波堤となって津波の直撃を防いだ形となったこと、押し寄せた津波が引いていく際、一本松から見て陸側にある高架道路(国道45号陸前高田バイパス)が堤防の役目を果たし引き潮の衝撃を弱めたこと、一本松自体が他の松に比べて背が高く、さらに過去の津波でもぎ取られていて波の高さに枝がなかったため、流されてきた瓦礫が引っかかることなくすり抜けていったこと、加えて幹も他の松より太かったことなどが作用したためと推測されている。<br />

    地盤沈下により海水が浸入したことなどにより、残念ながら松の木は枯れてしまったが、震災からの復興を象徴するモニュメントとして残すことになり、幹を防腐処理し心棒を入れて補強したり、枝葉を複製したものに付け替えたりするなどの保存作業を経て、元の場所に再び立てられた。

    7万本の松の木の中で一本松だけが生き残った理由は、一本松と海との間にユースホステルが建っていたため、建物が防波堤となって津波の直撃を防いだ形となったこと、押し寄せた津波が引いていく際、一本松から見て陸側にある高架道路(国道45号陸前高田バイパス)が堤防の役目を果たし引き潮の衝撃を弱めたこと、一本松自体が他の松に比べて背が高く、さらに過去の津波でもぎ取られていて波の高さに枝がなかったため、流されてきた瓦礫が引っかかることなくすり抜けていったこと、加えて幹も他の松より太かったことなどが作用したためと推測されている。

  • 破壊されたユースホステルの残骸が残っている。所有者は日本ユースホステル協会。幸い震災の数カ月前から無期限休館中だったため人的被害はなかった。そして、建物は震災遺構として保存される方針だそうだ。<br />

    破壊されたユースホステルの残骸が残っている。所有者は日本ユースホステル協会。幸い震災の数カ月前から無期限休館中だったため人的被害はなかった。そして、建物は震災遺構として保存される方針だそうだ。

  • 漫画家のやなせたかしさんからメッセージが寄せられていた。<br />

    漫画家のやなせたかしさんからメッセージが寄せられていた。

  • そして、モザイク画も。

    そして、モザイク画も。

  • 7万本あった、と言われる松の木の根が残骸となって残っていた。<br />

    7万本あった、と言われる松の木の根が残骸となって残っていた。

  • 現在、市は津波で失われた「高田松原」の再現に取り組んでおり、防潮堤の海側に松の木の苗を植えている。<br />

    現在、市は津波で失われた「高田松原」の再現に取り組んでおり、防潮堤の海側に松の木の苗を植えている。

  • 「高田松原」の復活を祈って、陸前高田を後にした。<br />

    「高田松原」の復活を祈って、陸前高田を後にした。

  • 国道45号線を経由して隣町の大船渡に着いたのは15:00頃。まだ時間的に余裕はあったが雨がポツポツ降り出してきたことと、カミさんが疲れたと言い出だしたので、ちょっと早かったが宿にチェックインすることとした。<br /><br />宿の名前は「大船渡温泉」。昨日泊まった「ホテル観洋」と比べると小ぶりだが、震災後に建てられたホテルであり、オーナーが漁師さん、ということで海の料理がおいしいとの口コミを信じて予約した。<br /><br />口コミは↓です<br /><br />https://4travel.jp/dm_hotel_tips/14370381<br />

    国道45号線を経由して隣町の大船渡に着いたのは15:00頃。まだ時間的に余裕はあったが雨がポツポツ降り出してきたことと、カミさんが疲れたと言い出だしたので、ちょっと早かったが宿にチェックインすることとした。

    宿の名前は「大船渡温泉」。昨日泊まった「ホテル観洋」と比べると小ぶりだが、震災後に建てられたホテルであり、オーナーが漁師さん、ということで海の料理がおいしいとの口コミを信じて予約した。

    口コミは↓です

    https://4travel.jp/dm_hotel_tips/14370381

  • 部屋の南窓から眺めた大船渡湾。天気が雨っぽいのでこんな感じだが、翌朝はすばらしい好天となり、良いものを見せてくれた。<br />

    部屋の南窓から眺めた大船渡湾。天気が雨っぽいのでこんな感じだが、翌朝はすばらしい好天となり、良いものを見せてくれた。

  • 角部屋の東窓からは大船渡の街の一部が見える。湾がきれいだ。<br />

    角部屋の東窓からは大船渡の街の一部が見える。湾がきれいだ。

  • ガラガラの温泉で一風呂浴びてから、お楽しみの夕食タイム。目の前に出されたものはまるで大船渡の海。そしてとりあえず生ビールを注文。<br />

    ガラガラの温泉で一風呂浴びてから、お楽しみの夕食タイム。目の前に出されたものはまるで大船渡の海。そしてとりあえず生ビールを注文。

  • お作りだが、刺身の厚さが通常の倍くらいあり全部平らげるのに苦労した。<br />

    お作りだが、刺身の厚さが通常の倍くらいあり全部平らげるのに苦労した。

  • ウニも実がたっぷり詰まっており、食べでがあった。<br />

    ウニも実がたっぷり詰まっており、食べでがあった。

  • 鍋の中身はこの分厚いホタテ。そして実の厚いサケが出てきた。このあとエビの天ぷらまで出てきたのだが、お腹が苦しくなったので衣は取り除き、身だけ食べた。<br /><br />お腹が満足したところで「2021年 南三陸を往く2:南三陸、気仙沼・大島、陸前高田&大船渡」は終了です。本日も最後までご覧いただき、ありがとうございます。<br />

    鍋の中身はこの分厚いホタテ。そして実の厚いサケが出てきた。このあとエビの天ぷらまで出てきたのだが、お腹が苦しくなったので衣は取り除き、身だけ食べた。

    お腹が満足したところで「2021年 南三陸を往く2:南三陸、気仙沼・大島、陸前高田&大船渡」は終了です。本日も最後までご覧いただき、ありがとうございます。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • fuzzさん 2021/05/20 17:41:47
    あれから10年
    chiaki-kさん、こんにちは。

    岩手へようこそ。
    ホテル観洋に来るウミネコ、可愛いですね。
    テレビで観たことがあります。

    今年は10年なのですが、コロナで式典みたいのも中止。
    仕方ないですね。

    でも、こうして忘れずに被災地を訪れてくれてありがたいとおもいます。
    大船渡の宿、ウニの殻付きって沿岸にすむ私は小さい頃に父と父の友人が密漁してビーチで食べていました(笑)あ、通報しても、父はもう他界してます(;^ω^)

    ブラックジョークはおいといて・・・

    ウニの殻付きって珍しいでしょ。沿岸出身でも家が漁業ではないので、密漁でもしなければ食べられないですよ。アワビも貝に乗せて・・・美味しそう!

    お部屋から見える大船渡の海の養殖棚、カキだべか?ホタテだべか?すごいですね。

    fuzz(*^^*)

    chiaki-k

    chiaki-kさん からの返信 2021/05/21 09:20:34
    大船渡からUターンしてしまいました。

    fuzzさん、おはようございます。いつもありがとうございます。

    > ホテル観洋に来るウミネコ、可愛いですね。

    観洋さんの名物になっているようで、売店では餌まで売っている
    そうですよ。

    > ウニの殻付きって珍しいでしょ。

    はい、まいうでございます。学生時代に九州へボンビードライブ
    旅行をした時、都井岬の海岸まで降りてウニを採って食べたとき
    以来かと思います。

    > お部屋から見える大船渡の海の養殖棚、カキだべか?ホタテ
     だべか?すごいですね。

    翌朝、地元の漁師さん達が漁をされていましたが、透き通った
    海がとても綺麗でしたよ。

    当初の計画では、このあと釜石、大槌、そして宮古にもう一泊
    して盛岡経由で帰ろうか考えていたんですが、ツマが13日に予定
    が入ってしまい、残念ながら大船渡からUターンしてしまいました。

    そんな訳でfuzzさんの地元へは行かれませんでしたが、また
    いつかリベンジしたいと考えています。

    今、3日目の旅行記作成中ですが、UPしたら、また見てやって
    ください。

    では、また。

    chiaki-k

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