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あの忌まわしい東日本大震災が発生してから10年。TVのニュース等で復興の様子は良く見るが、実際のところはどうなのか自分の目で見たくなったことと、少しでも復興のお役に立てればとの思いで、コロナ禍の最中ではあったが、宮城県・岩手県の感染者が落ち着いてきたタイミングで愛車を走らせ出かけてみた。<br /><br />表紙の写真は被災した石巻市南浜津地区にある手作り看板だが、これは自宅と仕事場が津波で流された被災者の黒澤健一さんが、「地域の人を励ましたい。津波に負けたくない」と、流れ着いた板を使って震災から1か月後に自宅の跡地に掲げたもの。「石巻南浜津波復興祈念公園」の造成工事にともない、5年前に今の場所に移され、看板も新しくなった。なお、現在の看板は3代目で、2021年4月11日に地元の中学生とともに作った看板。<br /><br />2024/03/11 タイトル変更<br />

2021年 南三陸を往く1:石巻、女川、雄勝、大川小学校&南三陸ホテル観洋

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2021/05/10 - 2021/05/10

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chiaki-k

chiaki-kさん

あの忌まわしい東日本大震災が発生してから10年。TVのニュース等で復興の様子は良く見るが、実際のところはどうなのか自分の目で見たくなったことと、少しでも復興のお役に立てればとの思いで、コロナ禍の最中ではあったが、宮城県・岩手県の感染者が落ち着いてきたタイミングで愛車を走らせ出かけてみた。

表紙の写真は被災した石巻市南浜津地区にある手作り看板だが、これは自宅と仕事場が津波で流された被災者の黒澤健一さんが、「地域の人を励ましたい。津波に負けたくない」と、流れ着いた板を使って震災から1か月後に自宅の跡地に掲げたもの。「石巻南浜津波復興祈念公園」の造成工事にともない、5年前に今の場所に移され、看板も新しくなった。なお、現在の看板は3代目で、2021年4月11日に地元の中学生とともに作った看板。

2024/03/11 タイトル変更

旅行の満足度
5.0
観光
4.5
ホテル
4.5
グルメ
4.5
ショッピング
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配
  • 5/10<br /><br />8:00に佐久の自宅を愛車スティングレーで出発。ところがいつも使用しているETCカードが車載器にはねられるトラブルが発生。幸い家にもう一枚のETCカードがあったので、家まで取りに戻り30分のロスタイム発生。これが最後までひびいた。<br /><br />写真は東北自動車道・安達太良SAにあったウルトラマンの像と自販機など。ウルトラマンの生みの親・円谷英二さんは福島県須賀川市の出身ということで、福島県は県内いたるところにウルトラマンがいる。<br />

    5/10

    8:00に佐久の自宅を愛車スティングレーで出発。ところがいつも使用しているETCカードが車載器にはねられるトラブルが発生。幸い家にもう一枚のETCカードがあったので、家まで取りに戻り30分のロスタイム発生。これが最後までひびいた。

    写真は東北自動車道・安達太良SAにあったウルトラマンの像と自販機など。ウルトラマンの生みの親・円谷英二さんは福島県須賀川市の出身ということで、福島県は県内いたるところにウルトラマンがいる。

  • 安達太良SAのレストラン「お食事処あだたら亭」で昼食。<br />

    安達太良SAのレストラン「お食事処あだたら亭」で昼食。

  • 名前は忘れたがカツとうどんのセットを注文。冷たいうどんがおいしかった。<br />

    名前は忘れたがカツとうどんのセットを注文。冷たいうどんがおいしかった。

  • 「ペロリでございます」と、ユーチューバーのEさんのマネをしてみる。(ちなみに管理人は最近YouTubeをよく見ています)<br />

    「ペロリでございます」と、ユーチューバーのEさんのマネをしてみる。(ちなみに管理人は最近YouTubeをよく見ています)

  • SAの駐車場は営業車で賑わっていた。<br />

    SAの駐車場は営業車で賑わっていた。

  • 安達太良SAを後に仙台を通過、2時間ほどで石巻市に到着。石巻港ICで三陸道を降り、石巻南浜にある「石巻南浜津波復興祈念公園」に立寄る。<br />

    安達太良SAを後に仙台を通過、2時間ほどで石巻市に到着。石巻港ICで三陸道を降り、石巻南浜にある「石巻南浜津波復興祈念公園」に立寄る。

  • 東日本大震災による津波で壊滅した住宅街跡地に、犠牲者の追悼や復興祈念を目的に造られた公園で、2021年3月28日に開園する。<br />

    東日本大震災による津波で壊滅した住宅街跡地に、犠牲者の追悼や復興祈念を目的に造られた公園で、2021年3月28日に開園する。

  • こちらは公園の見取り図。<br />

    こちらは公園の見取り図。

  • 1987年当時の航空写真。<br />

    1987年当時の航空写真。

  • そして2011年3月12日の航空写真。この大津波により南浜地区だけで394名もの人命が失われ、今も148人が行方不明になっている。この後訪れる被災した町は全てこんな感じだが、まるで空襲を受けた町のようだ。<br />

    そして2011年3月12日の航空写真。この大津波により南浜地区だけで394名もの人命が失われ、今も148人が行方不明になっている。この後訪れる被災した町は全てこんな感じだが、まるで空襲を受けた町のようだ。

  • 公園の中央部には大きな池のようなものがある。<br />

    公園の中央部には大きな池のようなものがある。

  • これは「洗掘湿地」といい津波と地盤沈下によって出現した湿地をあえて残してあるそうだ。<br />

    これは「洗掘湿地」といい津波と地盤沈下によって出現した湿地をあえて残してあるそうだ。

  • 公園の西側には日本製紙石巻工場がある。<br />

    公園の西側には日本製紙石巻工場がある。

  • 東側には避難のための小山と日和大橋が見える。橋の手前には当時石巻市立病院があり、被災後に取り壊された。(写真に見える建物は何かの工場かと思われる)<br />

    東側には避難のための小山と日和大橋が見える。橋の手前には当時石巻市立病院があり、被災後に取り壊された。(写真に見える建物は何かの工場かと思われる)

  • そして北側に進むと<br />

    そして北側に進むと

  • 「がんばろう!石巻」の看板(再掲)。そして・・<br />

    「がんばろう!石巻」の看板(再掲)。そして・・

  • 空を泳ぐたくさんの鯉のぼりがいた。<br />

    空を泳ぐたくさんの鯉のぼりがいた。

  • ちなみに、ここ南浜地区の津波の高さはおよそ6m。標識では、そんなには見えないが、ここは1mほどかさ上げしている。<br />

    ちなみに、ここ南浜地区の津波の高さはおよそ6m。標識では、そんなには見えないが、ここは1mほどかさ上げしている。

  • ここは南浜町三丁目(だった)。<br />

    ここは南浜町三丁目(だった)。

  • 被災した市立門脇小学校が、まだ残っている。日頃からの訓練(すぐに逃げろ)の成果により在校していた児童からは一人の犠牲者も出さず「石巻の奇跡」と言われている。しかし残った子供達は震災後ちりじりになってしまったので2015年に石巻小学校と統合し閉校となった。<br />

    被災した市立門脇小学校が、まだ残っている。日頃からの訓練(すぐに逃げろ)の成果により在校していた児童からは一人の犠牲者も出さず「石巻の奇跡」と言われている。しかし残った子供達は震災後ちりじりになってしまったので2015年に石巻小学校と統合し閉校となった。

  • 湿地となった公園内には以前ここに家があった痕跡がまだ残っていた。<br />

    湿地となった公園内には以前ここに家があった痕跡がまだ残っていた。

  • 出来たばかりの駐車場には他の車は居なくなっていた。そして駐車場のむこうには海があるのだが4mほどの防潮堤が延々と設置されている。<br />

    出来たばかりの駐車場には他の車は居なくなっていた。そして駐車場のむこうには海があるのだが4mほどの防潮堤が延々と設置されている。

  • 16時頃、女川町に到着。町役場(右側の高台)の駐車場に車を駐める。<br />

    16時頃、女川町に到着。町役場(右側の高台)の駐車場に車を駐める。

  • 黄色い建物はJR石巻線・終点駅の女川駅。後ろに林立するアパートのような建物は復興住宅と思われる。<br />

    黄色い建物はJR石巻線・終点駅の女川駅。後ろに林立するアパートのような建物は復興住宅と思われる。

  • 「シルバーピア女川」と名付けられたショッピングモールが出来ていたが、時間とコロナのせいで人通りは無かった。<br />

    「シルバーピア女川」と名付けられたショッピングモールが出来ていたが、時間とコロナのせいで人通りは無かった。

  • 大津波の被災地には、たいてい高い防潮堤が作られ、海は見えないのが普通なのだが、ここは女川湾がちゃんと見えている。女川町は「防災」では無く「減災」の視点を取り入れた復興計画を実施したのだ。<br />

    大津波の被災地には、たいてい高い防潮堤が作られ、海は見えないのが普通なのだが、ここは女川湾がちゃんと見えている。女川町は「防災」では無く「減災」の視点を取り入れた復興計画を実施したのだ。

  • 旧女川交番が大震災遺構として残されていた。<br />

    旧女川交番が大震災遺構として残されていた。

  • 横倒しになった旧女川交番。鉄筋コンクリートであっても大津波には勝てなかった珍しい例。<br />

    横倒しになった旧女川交番。鉄筋コンクリートであっても大津波には勝てなかった珍しい例。

  • ありし日の女川交番。<br />

    ありし日の女川交番。

  • 夜勤のお巡りさんが仮眠した畳もそのまま。<br />

    夜勤のお巡りさんが仮眠した畳もそのまま。

  • 旧女川交番の周りには震災関連パネルが飾られている。これは震災前の女川の街。<br />

    旧女川交番の周りには震災関連パネルが飾られている。これは震災前の女川の街。

  • 震災後の女川の街。このように鉄筋コンクリート、又は鉄骨の建物だけは残っている。<br />

    震災後の女川の街。このように鉄筋コンクリート、又は鉄骨の建物だけは残っている。

  • さらに商店街から上にあった木造住宅は、ほぼ壊滅した。<br />

    さらに商店街から上にあった木造住宅は、ほぼ壊滅した。

  • 何度も何度も、気の遠くなるような話し合いが行われた。<br />

    何度も何度も、気の遠くなるような話し合いが行われた。

  • 2011年9月に「女川町復興計画」が策定され、住居は上へ、商店は中段へ、公園と漁業施設は海沿いに建設することが決定する。<br />

    2011年9月に「女川町復興計画」が策定され、住居は上へ、商店は中段へ、公園と漁業施設は海沿いに建設することが決定する。

  • 大規模な街造りが始まった。ご覧の通り防潮堤は最初から無い。(沖合の防波堤はある)<br />

    大規模な街造りが始まった。ご覧の通り防潮堤は最初から無い。(沖合の防波堤はある)

  • かなり建物が建ってきた。旧女川交番も見える。<br />

    かなり建物が建ってきた。旧女川交番も見える。

  • 2015年12月 「シルバーピア女川」オープン。コロナ禍が収束したら是非この賑わいを取り戻してほしい。<br />

    2015年12月 「シルバーピア女川」オープン。コロナ禍が収束したら是非この賑わいを取り戻してほしい。

  • 女川を後に、国道398号線を北上する。途中にはまだ工事中の道路もある。<br />

    女川を後に、国道398号線を北上する。途中にはまだ工事中の道路もある。

  • 再び石巻市に入り、雄勝地区に立ち寄る。話には聞いていたが集落を取り囲む防潮堤がものものしい。<br />

    再び石巻市に入り、雄勝地区に立ち寄る。話には聞いていたが集落を取り囲む防潮堤がものものしい。

  • かつて雄勝には40床の病院があった。<br />

    かつて雄勝には40床の病院があった。

  • 過去何度も津波に襲われた海岸沿いに、なぜ病院を建てたのかは謎である。<br />

    過去何度も津波に襲われた海岸沿いに、なぜ病院を建てたのかは謎である。

  • 慰霊碑裏には当時の状況が書かれている。碑文の一部を紹介します。<br /><br />眼前に海が広がっていたこの場所には、その日まで石巻市立雄勝病院が建っておりました。<br /><br />2011年3月11日、この地をマグニチュード9.0の巨大地震が襲い、さらにその46分後に病院の屋上をはるかにしのぐ16mの巨大な津波が来襲しました。<br /><br />その時、病院長以下28名の職員は、医療人としての強い責任感と高度な使命感で、自立歩行が困難な高齢者等の入院患者40名の命を守るため、一丸となって懸命に努力しました。<br /><br />しかしながら、どす黒い想像を絶する大津波に、入院患者全員と職員24名、計64名の尊い命が犠牲となりました。旧雄勝街の地域医療を担い続けて56年目のことでありました。(以下略)<br />

    慰霊碑裏には当時の状況が書かれている。碑文の一部を紹介します。

    眼前に海が広がっていたこの場所には、その日まで石巻市立雄勝病院が建っておりました。

    2011年3月11日、この地をマグニチュード9.0の巨大地震が襲い、さらにその46分後に病院の屋上をはるかにしのぐ16mの巨大な津波が来襲しました。

    その時、病院長以下28名の職員は、医療人としての強い責任感と高度な使命感で、自立歩行が困難な高齢者等の入院患者40名の命を守るため、一丸となって懸命に努力しました。

    しかしながら、どす黒い想像を絶する大津波に、入院患者全員と職員24名、計64名の尊い命が犠牲となりました。旧雄勝街の地域医療を担い続けて56年目のことでありました。(以下略)

  • この雄勝病院の悲劇は、68名中4名が助かっただけの大惨事だったこともあり、関係者の口は重く、マスコミもあまり取り上げてこなかったためか、あまり知られていない。そして、慰霊碑のある公園前には高さ10m以上の防潮堤が建設され、悲劇の舞台となった海は全く見えない。<br /><br />なお、慰霊碑の表には犠牲となった入院患者と職員の氏名が刻まれていたが、まだ10年しか経っていないので、伏せさせていただきます。<br />

    この雄勝病院の悲劇は、68名中4名が助かっただけの大惨事だったこともあり、関係者の口は重く、マスコミもあまり取り上げてこなかったためか、あまり知られていない。そして、慰霊碑のある公園前には高さ10m以上の防潮堤が建設され、悲劇の舞台となった海は全く見えない。

    なお、慰霊碑の表には犠牲となった入院患者と職員の氏名が刻まれていたが、まだ10年しか経っていないので、伏せさせていただきます。

  • 雄勝から長いトンネルを抜けると10分ほどで釜谷地区。この地に大川小学校の建物がある。悲劇の小学校は震災遺構として目下整備中なので、中には入れない。<br />

    雄勝から長いトンネルを抜けると10分ほどで釜谷地区。この地に大川小学校の建物がある。悲劇の小学校は震災遺構として目下整備中なので、中には入れない。

  • 大川小学校は1873年(明治6年)、釜谷小学校として開校して以来、何度か名前を変えて、2005年、平成の大合併により石巻市立大川小学校となる。<br />

    大川小学校は1873年(明治6年)、釜谷小学校として開校して以来、何度か名前を変えて、2005年、平成の大合併により石巻市立大川小学校となる。

  • 校舎は合併前の1985年に建てられた当時とすればモダンな建物だった。<br />

    校舎は合併前の1985年に建てられた当時とすればモダンな建物だった。

  • 被災前の学校。驚くことに周囲に十数軒の民家があった。そして集落の向こう側には東北最大の北上川が流れている。<br />

    被災前の学校。驚くことに周囲に十数軒の民家があった。そして集落の向こう側には東北最大の北上川が流れている。

  • 被災後の学校。十数軒あった民家は影も形も無い。そして学校だけが瓦礫に埋もれている。<br />

    被災後の学校。十数軒あった民家は影も形も無い。そして学校だけが瓦礫に埋もれている。

  • 学校の時計は午後3時37分で止まっている。<br />

    学校の時計は午後3時37分で止まっている。

  • 最大の驚きは校庭のすぐ後ろには裏山があること。<br />

    最大の驚きは校庭のすぐ後ろには裏山があること。

  • シイタケ栽培の体験学習で登っていたこと。(ただし、この写真は被災後撮影)<br />

    シイタケ栽培の体験学習で登っていたこと。(ただし、この写真は被災後撮影)

  • 北上川河口から4km上流にあった学校は、当時のハザードマップでは浸水地域に指定されておらず、なんと避難場所に指定されていたため、避難してきた住民を巻き込み、このまま校庭に留まろうという意見と、裏山に逃げようという意見が対立、最終的に写真の奥に見える北上大橋のたもとの三角地点に避難しようと移動を始めるまでに40分の貴重な時間が費やされる。<br />

    北上川河口から4km上流にあった学校は、当時のハザードマップでは浸水地域に指定されておらず、なんと避難場所に指定されていたため、避難してきた住民を巻き込み、このまま校庭に留まろうという意見と、裏山に逃げようという意見が対立、最終的に写真の奥に見える北上大橋のたもとの三角地点に避難しようと移動を始めるまでに40分の貴重な時間が費やされる。

  • 歩き始めて2分後に堤防を越えた津波が前方から児童たちを次々と飲み込み、校庭にいた児童78名中74名と、教職員11名のうち10名が死亡する。石碑などが立っている場所が児童たちが津波に飲まれた場所と思われる。なお、避難しようとして向かった三角地点は海抜約7mしかなく、もし移動できたとしても10mを超える大津波では結果は同じか、むしろ全員死亡していたと思われる。<br />

    歩き始めて2分後に堤防を越えた津波が前方から児童たちを次々と飲み込み、校庭にいた児童78名中74名と、教職員11名のうち10名が死亡する。石碑などが立っている場所が児童たちが津波に飲まれた場所と思われる。なお、避難しようとして向かった三角地点は海抜約7mしかなく、もし移動できたとしても10mを超える大津波では結果は同じか、むしろ全員死亡していたと思われる。

  • 現在、亡くなった児童の遺族から県と市を相手に訴訟が行われており、公判中のため、これ以上の詳細なコメントは差し控えるが、どこかの誰かが決めたことを守るよりも、自分の目や耳で判断して行動することのほうが大事なことを、この事件は教えてくれたのかも知れない。<br /><br />大川小学校を後に、北上大橋を渡って右折。暮なずむR398を海岸沿いに北上し、今夜の宿「南三陸ホテル観洋」に着いたのは、日もほぼ暮れた18:40だった。<br />

    現在、亡くなった児童の遺族から県と市を相手に訴訟が行われており、公判中のため、これ以上の詳細なコメントは差し控えるが、どこかの誰かが決めたことを守るよりも、自分の目や耳で判断して行動することのほうが大事なことを、この事件は教えてくれたのかも知れない。

    大川小学校を後に、北上大橋を渡って右折。暮なずむR398を海岸沿いに北上し、今夜の宿「南三陸ホテル観洋」に着いたのは、日もほぼ暮れた18:40だった。

  • 翌日、対岸から撮影した「南三陸ホテル観洋」。244室の三陸地方では最大級のホテル。ホテルの口コミは↓です。<br /><br />https://4travel.jp/dm_hotel_tips/14367748<br />

    翌日、対岸から撮影した「南三陸ホテル観洋」。244室の三陸地方では最大級のホテル。ホテルの口コミは↓です。

    https://4travel.jp/dm_hotel_tips/14367748

  • 部屋に荷物を置いてすぐに夕食会場へ。夕食はすでに大広間の席に用意されていた。<br />

    部屋に荷物を置いてすぐに夕食会場へ。夕食はすでに大広間の席に用意されていた。

  • 生ウニがうまい。

    生ウニがうまい。

  • 目の前で焼いたアワビステーキ。コリコリしておいしかった。<br />

    目の前で焼いたアワビステーキ。コリコリしておいしかった。

  • 頼んだ酒は気仙沼・男山酒造の「蒼天伝」。2011年の大震災で大きな被害を受けた酒造メーカーだが、幸いなことに原酒となる、もろみ樽は生き残っていたので、杜氏らは車や酒蔵に泊まり込み、タンクに氷袋を巻いて発酵を見守った。<br /><br />被災から約2週間。ついにもろみが熟成、最終工程にまでこぎつけた。搾りたての新酒を味見した5代目社長の菅原昭彦さんは「これまでで最高ランクに近い出来栄え」と目を潤ませたそうだ。<br /><br />味の方はどうかというと、キリッとした辛口のおいしい、お酒でした。<br />

    頼んだ酒は気仙沼・男山酒造の「蒼天伝」。2011年の大震災で大きな被害を受けた酒造メーカーだが、幸いなことに原酒となる、もろみ樽は生き残っていたので、杜氏らは車や酒蔵に泊まり込み、タンクに氷袋を巻いて発酵を見守った。

    被災から約2週間。ついにもろみが熟成、最終工程にまでこぎつけた。搾りたての新酒を味見した5代目社長の菅原昭彦さんは「これまでで最高ランクに近い出来栄え」と目を潤ませたそうだ。

    味の方はどうかというと、キリッとした辛口のおいしい、お酒でした。

  • ペロリでございます。(^^;;<br /><br />ペロリが出たところで「2021年 南三陸を往く1:石巻、女川、雄勝、大川小学校&南三陸ホテル観洋」は終了です。本日も最後までご覧いただき、ありがとうございます。

    ペロリでございます。(^^;;

    ペロリが出たところで「2021年 南三陸を往く1:石巻、女川、雄勝、大川小学校&南三陸ホテル観洋」は終了です。本日も最後までご覧いただき、ありがとうございます。

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