2021/05/12 - 2021/05/12
6位(同エリア87件中)
chiaki-kさん
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旅のプランを考えるにあたり、当初の予定では、さらに北上して釜石、大槌、宮古を訪れ、浄土ヶ浜あたりで一泊して盛岡廻りで帰るコースを考えていたが、諸般の事情により残念ながら大船渡からUターンとなってしまった。(fuzzさん、ごめんね。いつかリベンジします。)
表紙の写真は宿泊した大船渡温泉の窓から撮影した大船渡湾の風景。底まで見える綺麗な海では朝からウニ採りの小舟がたくさん集まっていた。
ホテルの口コミは↓
https://4travel.jp/dm_hotel_tips/14370381
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 5.0
- ショッピング
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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5/12
04:35 大船渡湾の向こうの山から朝日が昇ってきた。今回の旅行は毎日良い天気に恵まれた。 -
湾の入り口に造られた防波堤から漁船と思われる船が何隻も出漁していった。沖に中型の貨物船が見えるが、昨夜から碇を下ろして停泊中。
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カキあるいはホタテの養殖イカダと思われる所に漁船が一隻入ってきた。
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イチオシ
波紋がきれいだ。
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イチオシ
部屋の東側の窓からは大船渡方面の風景が見える。底まで見える綺麗な海には、ウニ採りと思われる漁師さんが乗った小舟がたくさん集まっている。
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密です(^^;;
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箱めがねのようなもので水中を覗きながら、長い竿を操作して器用にウニを採取していた。夕べの食卓にあったウニはこの漁師さんたちが採ったウニだったりして。
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大船渡湾を最後に一枚。
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絶景を拝んだ後は朝風呂へ。写真はロビーから見た大船渡湾の眺め。
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大浴場は1Fにある。
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誰も居なかったので・・・
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浴場をパチリ。右側の引き戸が露天風呂への出入り口。
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朝風呂の後は朝食タイム。お!さんまだ。これは大船渡にあがったさんまかな?
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朝食会場はこんな感じ。感染防止のため飲み物だけは自分で取りに行くが、料理はお盆に乗って運ばれてきた。
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ペロリでございます。
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チェックアウト後、車まで移動。お天気が良いのでホテル外観をもう一枚。
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ホテルの左側にある東屋は足湯。無料で利用できるそうだ。
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ホテルを出発して海岸通りを行く。再建された大船渡漁港は10mを超えるコンクリートの擁壁に囲まれていた。なお、この写真はドラレコの画像を撮影した荒い画像で申し訳ない。
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大船渡市魚市場が新しくなっていた。
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まるで中世の城門のようだ。(ドラレコより)
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ドラクエの世界のよう。(ドラレコより)
*防潮壁の内側の構造物は展望台のようです。 -
これぞ現代の城門か。
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ホテルルートイン発見。ちなみにルートインは長野県上田市から生まれたホテル。(ドラレコより)
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かもめテラスという、お店が作られていた。(ドラレコより)
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盛駅に到着。JR大船渡線の始発駅であり、
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三陸鉄道の始発駅でもある。
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「三陸鉄道ここに始まる」の石碑あり。ここで三陸鉄道の歴史を見てみよう。
三陸沿岸を結ぶ「三陸縦貫鉄道構想」は、1896年(明治29年)逓信大臣に提出された「三陸鉄道株式会社創立申請書」に遡る。「構想」に基づき、1928年に仙台駅 - 石巻駅間(宮城電気鉄道、現在の仙石線)、1930年には久慈駅 - 八戸駅が開通。1935年に気仙沼駅 - 盛駅間(大船渡線)、1939年に釜石駅 - 宮古駅間(山田線)が開通した。
この「構想」は大戦後も継続され、1957年に気仙沼駅 - 本吉駅間(気仙沼線)が開通、1962年には宮古駅 - 久慈駅間および盛駅 - 釜石駅間が工事線に格上げされた。そして高度経済成長期には、国鉄線として1968年に前谷地駅 - 柳津駅間(柳津線)、1972年に宮古駅 - 田老駅間(宮古線)、1973年に盛駅 - 吉浜駅間(盛線)、1975年に普代駅 - 久慈駅間(久慈線)が相次いで開業した。
こうして明治29年に始まった「三陸縦貫鉄道構想」は完成間近となったが、国鉄の財政悪化により建設が中断され、1981年に誕生した第三セクター「三陸鉄道株式会社」が国鉄に代わって三陸鉄道を引き受け、整備することとなった。 -
翌年の1982年から未開業区間の建設を進め、久慈線と宮古線、盛線の引き継ぎと同時に未開業区間を開通させて北リアス線および南リアス線の営業を開始し、地元の悲願であった三陸縦貫鉄道は1984年4月1日に全通した。開業初年度からの約10年間は黒字を計上し、三陸鉄道の成功はその後の第三セクター鉄道の誕生を強く後押しした。しかし、少子化などの理由により1994年からは赤字経営に転落し、このままでは運営資金が底を突くことから、2003年に経営改善計画を策定し、合理化の徹底と共に観光客の誘致を図った。
2011年に発生した東日本大震災は、三陸鉄道に甚大な被害をもたらした。路線各所で駅舎や路盤が流出し、車両も3両が使用不能となった。しかし、地震発生から5日後には久慈駅 - 陸中野田駅で運行を再開、さらに被害が少なかった他の区間についても3月末までに運転を再開し被災者を勇気づけた。
また、震災で不通となっていたJR東日本・山田線のうち宮古駅 - 釜石駅間は、2019年に三陸鉄道へ移管されて北リアス線・南リアス線と一体となり、リアス線として再開された。これにより三陸鉄道の営業路線・総延長は第三セクター鉄道としては日本最長の鉄道となった。 -
盛駅を後にして丘の上にある大船渡市役所に寄ってみる。大船渡市は私の住んでいる長野県・佐久市とはJAXA関連施設のとりもつ縁で友好都市となっており、震災時には物資の支援や市職員の応援など復興のお手伝いを、させてもらった関係にある。
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大船渡市をはじめ、震災で被災した多くの街は、やっとスタートラインに着いたばかり。これから本当の復興に取り組まなければならないが、皆の力を併せて、がんばってもらいたい。
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市役所を後に街を北上して三陸自動車道大船渡ICへ。高速道へはここを左折。
なお、PCとの相性の問題か、ドラレコの映像の切り出しがうまくいかなかったので応急処置としてPCの画面をカメラで撮影したものを使用しているため、しばらく青色の強い、荒い画像が続きますが、ご了承ください。 -
陸前高田方面へ。
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三陸道は鳴瀬奥松島ICから北は無料区間となっているので交通量はそこそこある。また、車線はICの前後などを除いて、ほとんど片側1車線。
ちなみに三陸道というのは愛称で、正式には三陸沿岸道路。三陸縦貫自動車道+三陸北縦貫道路+八戸久慈自動車道を指す。なお、三陸縦貫自動車道路は、宮城県仙台市宮城野区から岩手県宮古市に至る高規格幹線道路ですでに全線開通済み。他は一部未開通区間あり。 -
ほぼ全線内陸部を通っているのでトンネルや橋がやたらと多い。東日本大震災後「復興道路」と位置付けられ、一部のPAは避難場所にも指定されているそうだ。
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大船渡基石海岸IC出口。大船渡温泉へはここで降りる。全通すれば無料区間(鳴瀬奥松島IC - 八戸是川IC)が連続320 kmを超える、日本最長の無料高速道路でもある。
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陸前高田IC出口。昨日立ち寄った「高田松原津波復興祈念公園」はここから3km。三陸道の制限速度は大型貨物車等・三輪・牽引車は80 km/h、最低速度は50 km/h。
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陸前高田長部ICの手前から、奇跡の一本松や広田湾が見えた。
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気仙沼湾横断橋を渡る。愛称は(かなえおおはし)。橋の長さは海上部が680m、陸上部が664mとなっている。なお、海上部は東北地方最大の斜張橋。
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大谷海岸ICで高速道を降りて、道の駅大谷海岸に立ち寄る。三陸道にはSAは設置されておらず(PAはある)、何カ所かIC近くに道の駅が設けられている。
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左の建物が道の駅、右側が大谷海岸となっている。
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”おおたに”ではなく”おおや”です。
ちなみにSYOHEI・OTANIは岩手県奥州市出身、大リーグで活躍中。 -
震災以前は国道の海側が道の駅、JR大谷海岸駅、そして海水浴場だったが、ここにも10mを超える防潮堤が築かれることになった。海岸の景観を一変させる防潮堤の建設は、どの街でも議論の対象となったが、ここは当初の予定より防潮堤を数十メートル内陸よりに建設、国道45号線と一体化し、道の駅は国道の山側に移転することにより、砂浜を守ることに成功する。
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新しい道の駅建設に、もうひとつ貢献したのがJR大船渡線のBRT化だ。
三陸海岸沿岸部を走行していたJR大船渡線・気仙沼駅 - 盛駅間は、東日本大震災で津波の被害を受け、鉄道の復旧は断念、2013年から「大船渡線BRT」としてBRT(バス高速輸送システム)が運行されている。その結果従前は”海に最も近い駅”と知られた大谷海岸駅を廃止、道の駅構内に新たなBRT駅を設置することにより、道路から階段を降りれば直接砂浜に出られることとなった。 -
このBRTバスは、以前鉄道線路が敷かれていた道を舗装して専用道路とし、一部は公道を使用するようになっている。
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道の駅2階のテラスから眺めた大谷海岸。確かに海の見える風景は良いものだ。
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道の駅内にある販売コーナーで、しこたま干物以外のお土産を買い込んで出発。
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干物は塩釜の市場で購入する作戦を直前に立てたのだが・・・
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歌津IC手前の三陸道。前にも後ろにも車はいない。
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こういう場合はクルーズコントロールをセットすると右足がフリーとなるので楽ちん。ちなみに今回走った高速道の90%はクルコン使用。
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登米市の手前で北上川を渡る。津波は北上川を45km遡上したそうだ。
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桃生豊里IC手前から片側車線が2車線となる。それと交通量が次第に増えてきた。
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三陸道は鳴瀬奥松島ICから有料区間となる。そしてめっきり交通量が減った。
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松島海岸ICを降り、塩釜を目指す。目的は昼飯と干物の購入。
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ここを右折。
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ここも右折してR45に入る。
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街中のここを左折、目指すは塩釜水産物仲卸市場。ところが・・・
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正面入り口が閉鎖されている。掲示を見ると本日なんと休場!!!
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それでは塩釜海の駅へ廻ってみたが・・・
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こちらも市場と連動して閉館中!!! と、いうことで干物購入作戦は大失敗。こんなことなら大谷海岸道の駅で購入しておけばよかった。
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塩釜から松島海岸ICに戻り三陸道を南下、仙台若林JCから仙台南ICを経て東北道へ。菅生PAでやっと昼飯にありつく。写真は仙台名物・牛タン定食。心の動揺が表に出たのかブレた写真になってしまった。
この後、福島で親戚の家に寄り、2時間ほど積もる話をした後、再出発。福島-郡山-宇都宮と東北道をひた走り、岩舟JCから北関東道、高崎JCから関越道、藤岡JCから上信越道を経由し、19:30頃自宅到着。いつものことながら自分にお疲れ様。 -
ところで、今回お邪魔した地域は被災した、ごく一部の地域です。東日本大震災では関東南部から北海道南岸までの広範囲な地域で大きな被害が出ましたが、特に福島県は福島第一原発の事故まで発生、未だに家へ帰れない方々がたくさんいらっしゃいます。旅行記中にも記述しましたが、復興はやっとスタートラインについたばかりです(一部にはそこまで届かない方も)。これから本当の復興に取り組まなければならない段階になりましたが、皆で力を併せ、がんばってもらいたいと、エールを送ると同時に幸いにして被災者とならなかった私たちも、可能な限り、末永く応援を続けて行きたいと思っています。
これで「2021年 南三陸を往く3:大船渡、大谷海岸&塩釜」及び2021年三陸旅行記は終了です。本日も最後までご覧頂きありがとうございます。全編ご覧になった方には最大の”ありがとうがんす”を差し上げます。 -
OMAKE
今回のお土産はこんなところです。上記のとおり干物関係が購入できなかったのが痛かったです。
おしまい
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